ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

プログラミング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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引き寄せの訓練

誰にも強制されず、自主的に勉強や訓練をして何か出来るようになることは、特に若いうちは貴い経験になる。
それは小さなことであっても、強制された勉強や訓練で、テストで1番になったり、ピアノが弾けるようになったり、スポーツで優勝することに優るに違いない。
私は小学4年生の時、格闘技の選手に憧れていたこともあり、大学レスリング部の選手だった従兄に教えられて腕立て伏せや腹筋運動を始めたが、その時はあまり熱心ではなかった。
しかし、中学1年生の時、屋根の上を飛び移るアニメのヒロインに憧れ(笑)、熱心にスクワットをやるようになった。男のロマンより萌えだったのであるが(笑)、まあ、自主的かつ真面目に修行したのだから良いだろう。
やはり、中学1年生の時、これも、どうせ、ギターを弾くアニメの美少女キャラの影響だろうが(笑)、クラシックギターを一人で練習し、上手くはないが、一応、弾けるようになった。
学校の授業は一切聞かなかったが、これも独学で数学だけは勉強して、まともな成績を取っていて、やがて、英語と理科だけは少し勉強し(当然独学で)、それで人生に何の問題もなかった。

私のプログラミングも全く独学である。
プログラミングは、全くゼロから始めた場合でも、寝食を忘れるほど熱心にやれば、私のような平均レベルの地頭の場合、1か月程度で、未経験枠で企業に採用される程度にはなると思う。
私の場合、それほどはやらなかったので、社内SEで通用するのに3か月ほどかかったと思う。
だが、3か月だろうが1年だろうが、若い時期であれば短いものである。
45歳からBASIC言語(今なら Excel VBAに相当すると思う)を独学し、プログラミングで成功した人もいる。この人の場合、「プログラミングが出来る事務員」といったものではなく、まず、プログラミングで、勤めていた企業に貢献し、独立してコンサルタントになった。
プログラミングは、多くの分野で多くの活躍場所があるのだから、今は何も特技がなくても、また、少々年齢がいっていても、一発逆転を狙い、努力する価値があると思う。

留学経験や海外勤務経験もなく、英語で成功した人もいる。
アインシュタインの物理学も全くの独学だった。
歴史的なヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニのヴァイオリン演奏も独学だった。
コリン・ウィルソンが言うように、天才とは内なる衝動に過ぎない。
そして、天才とは言わなくても、私のように、多少、動機がアレでも(笑)、また、能力に欠けても、やる気になれば人に優ることが出来る。

それで言えば、引き寄せの訓練も良いと思う。
引き寄せの能力も訓練で確実に高まるのである。
引き寄せが出来ないのはなぜかとか、引き寄せの本を読んでも引き寄せが出来ないとか言うのは、単に、訓練不足なのである。
訓練もせずに、楽器が弾けたり、プログラミングが出来たりするはずがないのに、引き寄せに関しては訓練が問題にされないのはおかしい。
だが、引き寄せは、人間が当然持つ能力なのだから、間違いなく出来るようになれる。
私は、子供の時に、奇跡レベルの引き寄せが出来たが(世間的に実用的かどうかはともかくだが)、空想により精神を鍛えていた面はあったのだと思う。
司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』にも、剣の達人への道は、無になるか、妄想に集中することであるようなことが書かかれていたが、いかなる分野でも同じで、引き寄せはまさにそうと思う。
空想癖のある者は、現実逃避しているのでない限り、かなりの引き寄せ能力を持ち、逆に言えば、それが出来れば現実逃避する必要はない。
筒井康隆さんの有名なSF小説『時をかける少女』の中で、重要人物である深町 一夫の印象が「夢想家」と書かれていたのを見て、私は中学1年生の時、自主的夢想家になったようにも思う。
それで、何度か書いたが、中学生の時、およそ馬鹿げたほどの引き寄せを行って見せたのである。
精神修行は、何でも引き寄せの訓練になる。
空想もそうだが、コロコロ変わる空想ではなく、同じことを熱心に空想すれば、それが現実になる。そのためには、それが魅力的で胸が震えるような空想でなくてはならない。ただし、露骨な性的空想は害にしかならないことは注意した方が良い。
他にも、マントラを唱える、祝詞を唱える、聖典を読むなどは、どれも優れた精神修行になり、引き寄せの力を高める。
楽しみというよりは、多少は修練のつもりで、『バガヴァッド・ギーター』や『ラーマーヤナ』や『聖書』や『古事記』を読むと、引き寄せ能力は格段に上がるだろうと思う。
呼吸に関する様々な訓練や、肛門を引き締めたりの訓練は、いつでもどこでも出来るので、熱意があれば、早い時期に顕著な成果が出るだろう。












VBAはコスパが最高

必ずしもエンジニアになりたいわけではないが、コンピュータープログラミングをしたい。
そして、それは、単なる趣味ではなく、実益を得たい。
それであれば、私が勧めるものは、Excel VBA一択である。
なぜかというと、Excdel VBAは十分、本格的で、中程度レベルのプログラミングは全て出来る上、Excelの素晴らしい機能を自在に使えるからだ。
一般の人なら、プログラミングは中程度レベルが出来れば十分で、はっきり言って、職業プログラマーでも、中程度までちゃんとプログラミングが出来る人は多くない。よって、Excel VBAがしっかり出来れば、日本に限れば、職業プログラマの半分は抜ける。
そして、Excelの、長年に渡って世界中で使われることで徹底的に磨き抜かれた機能は、他のプログラミング言語で実現しようと思ったら、出来るとしても、複雑になってしまうが、Excel VBAなら、シンプルに出来てしまう。
そういえば、プログラミングに「オブジェクト指向」という、何だか専門っぽくて格好良い(笑)言葉があるだろう。
しかし、それが何か、本当に分かっている人は、職業プログラマでも、あまりいない。
だが、Excelの機能をVBAで使うことは、それだけでオブジェクト指向プログラミングなのである。
つまり、VBAプログラミングの中で、Excelの機能を封じ込めたオブジェクト(実に沢山ある)を使えば(簡単に使える)、もうオブジェクト指向でプログラミングしているのである。

「VBAはプロが使うものじゃない」と言う人がいるようだ。
嘘である。私が使っているし、VBAを好んで使うプロもいる。
能力が高いプロが使えば、JavaもVBAも優れた処理を行うソフトウェアを構成させることが出来る。
プロが好んでVBAを使う場合には、それが、ユーザーに最大の利益を与えるからであることが多い。他のプログラミング言語では望めないことが沢山あるのだ。
例えば、ユーザーが慣れたExcel上で、高度なデータ処理プログラムを使えるメリットは実に大きい。
私は、ユーザーのシステムを見て、JavaではなくVBAを使っていれば、ユーザーの利益は十倍だったのにと思うことは多い(その逆も確かにあるが)。

そして、エンジニアでない人がVBA以外を使っても、ほぼ利益はない。
HTMLすら、ほとんどの場合、素人が使っても、ロクなものは作れないが、VBAなら、素晴らしい利益が得られることも多い。

だから、特にITエンジニアになりたいというわけではない人には、迷うことなくVBAをお勧めする。
また、コンサルティングや業務分析、業務企画等の能力と組み合わせれば、プロで通用する。
VBAは古い?
確かに最新ではない。しかし、それで何か困ることは、まずない。むしろ、最新のプログラミング言語の奇妙な特性で困ることの方が多い気がする。
それに、COBOLやFortran等に比べればはるかに新しいが、COBOLやFortranだって、現在も実用に何の問題もない。

このようなわけで、私は、普通は、Excel + VBAを勧めるが、Acccess + VBAはさらに良いと思うのだ。
データ処理の規模や適応性が飛躍的に上がるからだ。
Accessのデータベース機能だけでも、Excelの数十倍の能力があると思うが、Accessと、マイクロソフトの大規模データベースシステムであるSQL Serverの相性は良く、簡単にくっつけて使えるが、それであれば、大きな規模のシステムも、Accessで出来てしまう。
しかも、無償のSQL ServerであるExpress版でも、相当なことが出来てしまうのである。
私は、ある企業の、年商30憶円規模の部門の主要システム(ネットワークシステム)をSQL Server Expressに入れたことがあるが、余裕で入ってしまった。
また、AIの機械学習のデータを作るのに、Accessほど効率の良いツールはないと思うし、個人的な考え方では、Accessは使いこなしさえすれば、BIツールとしても最強であると思う。
ただ、Accessを効果的に使うには、データベースに関する理解とセンスが必要になるので、少しは勉強しなければならないが、そのメリットは大きいだろう。

ExcelやAccessの機能から考え、値段の安さは奇跡的だ。
共に、2万円以下で永久ライセンスが買える。
恐ろしい(笑)。ライバルは絶対に現れない。真似が出来るはずがない。
Accessなら、100万円(あるいは、月10万円)でもおかしくはないと思う。実行版(いわゆるランタイム)は無料なのだから、もっと高く見積もっても良いと思う。
実際、Accessのランタイムを100台以上のPCにインストールして使っている中規模の会社を知っているが、もし1台のランタイムが年5万円なら、毎年500万円以上必要だが、これが無料なのだ。

ご参考に。








頭を良くする簡単な方法

天は人の上に人を作らずと言うが、現実的には、人間の能力には差があり、その中でも重要な頭の良さにも明確な差がある。
これもまた、現実の話として、公立の中学では、頭の良さが極端に違う者同士が、同じ教室、あるいは、隣の席にいたりする。
ただ、中学校では、頭が特に良い者にとっても、頭が悪い者が邪魔になることはあまりなく、その頭の良い者がよほど性格の悪い人間でない限り、頭が悪くて何ごとも上手く出来なくて困っている者がいたら、助けることが多いと思う。
高校や大学以上では、それほど極端に頭の良さに差がある者と関わることは少ないと思う。
だが、社会人になると、超大企業の場合は少ないかもしれないが、頭の良さがかなり異なる者が、同じ部署、あるいは、他の部署や取引先の関わり合う人間にいたりする。
そして、頭の良い者にとっては、頭の悪い者に足を引っ張られたりするうちに、頭が悪い者に嫌悪感を持つようになることがある。
ここらが、頭が悪い者がいても、利害関係があまりない中学の時と違うところだ。

自分のことは、とりあえず棚に上げるが、会社の中で、「こいつ本当に馬鹿だな」と思った人は確かに少なからずいる。
ただ、その者が本質的に・・・つまり、生まれつき頭が悪いのかというと、そんな場合もあるのかもしれないが、あまり多くないと思うのだ。
その理由は、「こいつ、頭が悪いな」とうんざりさせられるような者でも、何かの時に、妙に鋭かったり、物覚えが良かったりということがあって「あれっ」と驚くことがよくあったからだ。
「こいつ馬鹿だと思っていたけど、実は頭悪くないんじゃね?」
とか思うが、それでも、仕事で関わると、「アホにもほどがある」と思うのである。
だが、やはり、馬鹿に見えても、ほとんどの者は、本質ではかなり優秀なのだ。
それなのに、なぜ馬鹿なのかというと、家庭や学校で、頭を使えないように、あるいは、間違った頭の使い方をするように教育されているからとしか思えない。

有名な映画監督だった伊丹十三氏が、心理学者の岸田秀氏の本を読んだ時のこんな感想を語っていた。
「自分が、かぶせられた帽子を外されたカブトムシのように感じた」
つまり、自分の能力を封印していたものから解放されたということである。
まあ、誰もが、岸田氏の本を読んだらそうなるとは限らないが、我々は、学校やテレビなどで付けられた、能力の見えない手枷足枷を壊さなければならないことは確かだ。

その方法をクドクド説明せず、シンプルに言う。
1つは、仏・菩薩の真言を淡々となるべく多く唱える。例えば、観世音菩薩真言なら「オン、アロリキャ、ソワカ」だ。これを唱えると良い。有声、無声どちらでも良いが、無声をお勧めする。
1つは、少し温度が高い蒸しタオル(熱いと感じるほど温度が高くてもいけない。適度に絞った濡れタオルを1/6程度にたたみ、電子レンジで600W1分30秒加熱する)を、後頭部の下の方に5分当てる。
そして、プログラミングをやったことがなければ、Excel VBAか、Access VBAを練習して欲しい。マスターするごとに頭が良くなるから。
そうすれば、さらに良いことに、社員募集面接で「Exce VBA、滅茶苦茶出来ます」「Access VBA、滅茶苦茶出来ます」と言ったら、良い条件で採用されるだろう。頭が良くなっているので、仕事も出来るはずである。
尚、一応言っておくと、頭が良過ぎると、普通の職場では仕事がうまくいかず、辛いことになる可能性があるので、自分がそうだと思ったら、就職せず、個人事業をやることだ。








スペシャリストを目指せ

ある有名な歌手が、40歳を過ぎた時に行き詰まり、二進(にっち)も三進(さっち)もいかない状態で、歌手を止めて、別のことをしようと思ったらしい。
しかし、思いとどまり、歌手を続けた。
思いとどまった理由はこうだ。
「どこの世界でも、20年、30年とやっている人達がいて、新しく始めた自分が、そんな人達にかなうはずがない」
何かの道を長く続けている者なら分かることだと思う。
長く積み上げてきた経験に優るものはない。
そりゃ、自分がやってきたことがもう古く、その仕事が、遠くなく消えてなくなる運命である場合や、自分がやっている仕事が簡単な仕事で、短期間で十分なレベルになれる場合は別だ。

大きな会社では、新入社員は、自分がどの部署に回されるか、分からないという場合が多い。
学校を出たばかりの学生は、まだ真っ白なので、何に向いているかを会社が判断してあげようとか、いろいろな部署に入り、いろいろな仕事を経験することで幅広い人間にしようというのだろうが、もうとんでもない話である。
大学どころか、高校を卒業したら、自分が何に向いているかなど自分で分かるはずだし、そもそも、会社に人間の適正の判断は難しい(事実上、不可能)し、はなから、社員の適正を見極めるのではなく、会社にとって都合が良さそうな部署に配置させることがほとんどだ。
また、あちこちの部署を経験させるのは、あくまで、その会社のことをよく理解させるためであり、どこの会社でも通用するような実力をつけさせるためではない。会社の意図かどうかはともかく、結果として、その会社でしか使えない能力しか得られない。
そんな会社でうまく出世して部長になっても、リストラされたり、会社が倒産すると、転職の際、「あなたは何が出来ますか?」と尋ねられたら、「部長が出来ます」といったような笑うしかない答しか出来なくなる。部長は仕事の名称ではなく、「部長が出来る」を正確に言えば、「前の会社の部長が出来る」ということであり、別の会社では平社員の仕事も出来ないのである。
営業をやってたと言っても、営業のやり方は会社によって違う。
また、営業という仕事には専門性がない場合が多く、一般的には、営業の仕事には就かない方が良い(もちろん、特殊な専門性が生きる営業は別だが)。
経営者だって、高い専門性を持っている場合が圧倒的である。

長くやればやるほどスキルが上がり、20年30年とやれば、誰にも負けない確固としたものを持てる仕事を選ぶべきだろう。
ただし、日本では、学校から会社まで、庶民は代替可能なロボット人間として育てるので、専門性のある生き方をしようと思うと、学校や会社(あるいは社会)を否定しなくてはならない場合が多い。それが出来ない者が、「私は何に向いているのだろう?」とか「私が進むべき道は何だろう?」ということが分からず、特に何も出来ないサラリーマンになってしまうのである。
私の場合、初めから学校や社会を否定していたので、プログラマーになるのは簡単だった。
しかし、ソフト開発以外のことについてはあまり知らないし、そもそも、自分でやったことのないことを本当に知ることは出来ない。

プログラマーになるなら、30歳くらいまでなら、JavaやPHPといった最も仕事の多いプログラミング言語や、PythonやJavaScriptといった最も将来性があるプログラミング言語を何か1つ、少なくとも、入門書レベルなら完璧にしておけば、開発会社に入れてもらえるので、そこで経験を積めば大丈夫である。
30代後半以上であれば、Excelマクロ(VBAプログラミング)が出来れば、会社の仕事を、それで自動化させれば頭角を表せるし、Excelを使わない会社はないので、転職の際、「ExcelとExcelマクロ、滅茶苦茶出来ます」と言ったことで採用されたら(採用される可能性が高い)、良い状況になるだろう。
「うちはExcelは使わず、別のツールを使ってますが、それをやってくれますか?」
と言われたら、もう既にExcelで十分な経験がある場合を除き、止めた方が良いと思う。まずは、どこでも通用する知識が大切だからだ。
尚、Excelマクロではなく、Accessマクロ(Access+VBA)なら、SQL Serverと組み合わせれば、そこそこの会社なら基幹システムでも作れ、システムの拡張修正も早く出来る。
そこで、Accessマクロを作ることが出来るなら、開発会社に入るより、システムを社内開発する会社の開発部署に入る方が良いかもしれない。社内開発をAccessでやっている会社は合理性が高い場合が多い。
社内でシステムを開発出来るメリットは多く、アメリカでは、かなり多くの会社が、システムを自社開発しているのは、それに合理性があるからだ。社内SE(システムエンジニア)の能力は、他社でも十分に通用する。








実力は素振りの回数で決まる

野球のバッターの実力は素振りの回数で決まるのだと私は思う。
例えば、イチローが一番優秀なバッターだとすれば、イチローは一番多く素振りをやったのだ。
ピッチングにおいても、バッターの素振りのようなシャドー・ピッチングというものがあるらしいが、良いピッチャーは、このシャドー・ピッチングかどうかは分からないが、やはり、バッターの素振りに相当するものがあるのだと思う。
いや、実は、いかなることにおいても、バッターの素振りみたいなものがあり、実戦的な能力の高さはそれで決まるのだと思う。
ある高収益の優良な会社で、そこの優れた経営者と他の役員との力の差は絶対的だったが、役員達にこんなことを言っていたのを憶えている。
「俺とお前達で元々の能力の差はない。あるのは素振りの回数だけだ」
この経営者の言う素振りの具体的な意味は不明だが、やはり、経営においても、実力は何かの反復にあるということと思う。
そして、それ自体は難しいことではないのだと思う。

梶原一騎氏原作のスポ根、空手漫画は、しばしば妄想の領域に入るほど想像が飛躍し過ぎる傾向はあるが、ある空手漫画で、
「空手に王道なし。普段の練習の突きや蹴りの本数で決まる」
とよく書かれているのは色物の中の真理だと思う。梶原作品には、そういった点があるから、感心しない部分も少なくないながら時代を動かすほどの力があるのだと思う。

コンピュータープログラミングの場合は、プログラミングそのものが素振りのようなものだ。
まず、プログラミングには、毎回書くようなお決まりのプログラムは結構多い。
また、実際のプログラミングでは試行錯誤は少なくはなく、同じようなコードを何度も書くことがある。
それらはまさに素振りのようだ。
そして、特に、修行中は、優れたプログラム・コードを書き写すこと(業界では「写経」と呼んでいる)を多く行った者が良いプログラマーになる。
また、少々キャリアを積んでも、「プログラム書法」や「プログラム作法」などと題された、模範的なプログラミングが書かれた本を読んだり、それを打ち込んだりするのである。
世の中には、どうしてもプログラミングをマスター出来ない人もいるようだが、単に、外国語と同じで、パターン通りに使った回数、即ち、素振りの回数が少なければ力がつかないだけである。

ある世界的作家は、作家になる前、暇を見つけてはヘミングウェイなどの大作家の作品を、ただひたすらタイピングしたらしい。
まさに、素振りで作家になったのだが、これこそが正しい作家になる方法のように思える。

そして、最も重要なことは、この世界は、何等かのシステムで法則通りに動いており、昔は特に仏教が、そして、現代では、量子科学やコンピューター科学がそれを研究し、仏教においてはほぼノウハウが完成していたのだと思われる。
その成果によれば、この世界を制御する力も、何らかの素振りで決まるのだと思う。
そして、それは言葉の反復で成される。
言葉の反復自体が直接、世界を創造したり動かしたりするというのではないかもしれないが、重要な因にはなっている。
そして、言葉の種類ごとに、創造の成され方や動かし方に違いはあるのかもしれないが、良い言葉は良い反応を見るものである。
このあたり、体系的にまとめると、かなりのリファレンスが出来てしまうのかもしれないが、とりあえず、寿命の短い我々は、神の名やマントラとして伝えられる言葉を使えば良いのだということは間違いないと思う。
そんなわけで、優れた野球選手が誰よりも、好きで素振りをするように、我々も、心地よく感じる神の名やマントラを数多く唱えることが勧められる。
尚、参考までに言うと、聖書や仏典は、それらを読むことに素振りの効果があるよう仕組まれていて、繰り返し読むほど世界の王に近付く。特に、仏典はそうであることが、割と分かり易いと思う。
とはいえ、普通の人には、神仏の名やマントラを唱える方が簡単なのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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