ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

フロイト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

切れる脳は思っている以上に深刻である

「切れる」という精神用語の意味は、怒りの感情が、制御可能な範囲を超えることで、正式には「心神喪失」と言う。
「切れる」が一般化した背景には、現代人の多くが、著しく心神喪失に陥り易くなっていることがあるはずだ。
若者の切れ易さが話題になるが、実際は、年齢を問わず、切れ易くなっている。肉体的パワーがある若者が切れると害が大きいことから、特に若者に注意が行っているだけではないかと思う。
ヨボヨボの老人が切れたって、単に煩(うるさ)いというだけのことだからね。

だが、切れ易いことは、もっともっと深刻に考えねばならない。
なぜなら、自分の精神の制御レベルが低ければ、世界の制御などまるでおぼつかない・・・つまり、好きな人生を作れないし、願いも叶わないからだ。
切れ易い者は、不遇に惨めで哀れな人生を送るしかないのである。

親が子を、兄や姉が弟や妹を、あるいは、その逆を切れさせることが多い。
まるで、それが親の子に対する使命ででもあるかのように、巧妙に切れさせる。
実は、それは確かに、ある意味、使命なのだ。
だから、本来は、なるべく早く、家族からは離れた方が良い。

なぜ切れるのだろう?
医学者や心理学者が好き勝手言っているが、まさに好き勝手で、曖昧でいい加減なことを言っている。
だが、いずれにしろ、切れ易いのは、ここで探求はしないが、脳機能の異常である。逸脱と言い替えても良い。
L.ロン.ハバートの「ダイアネティックス」に逸脱の原理が書かれているが、その内容自体は怪しいかもしれないが、現象面は、なかなか的確に捉えていて面白かった。
しかし、おそらく、私の判断ではだが、彼の解決法は全くのデタラメだ。

では、どうやって解決すればいいのかというと、毒には解毒剤、ウィルスにはアンチウィルスだ。
脳というハードウェアは、ホログラフィックな構造で、そう簡単に壊れるものではない。ほとんど脳がない(無脳症)のに、高い知性を持つ者すらいるくらいだ。
問題は、ソフトウェアの方だ。
そして、機能正常化オブジェクト(プログラムの塊)は、脳内に沢山用意されている。それを使えば良い。
切れることでコントロールを失うことがなければ、自分の意志が発したコマンドは脳の神秘領域(一応、こう言うだけだ)に送られ、世界を動かせるし、世界を自由に創造出来る。
自分が切れ易いと思ったら、本気でなんとかしなければならない。
フロイトのやり方は、実際は「ダイアネティックス」と同じで(もちろん、「ダイアネティックス」が後だが)、切れさせる原因になった出来事を再体験することで、その記憶を客観化する方法だ。それも確かに有効な場合もあるが、あまりに実施が難しく、必ずしも上手くいくとは限らない。
とりあえずは、「心おだやかに」と心で唱えると良い。
だが、一番肝心なことは、心の支配権を取り戻す決意をすることなのだ。
あなたは、ハッカーに乗っ取られたクラウドコンピューターの管理者のようなものだ。コンピューターをリブートさせたところで、不揮発性記憶領域にウィルスは残っている。ならば、隅々にまで、正常化プログラムを送り込まねばならないが、その役割を果たすのは、象徴的に言えば、神や天使、あるいは、仏や菩薩の心の一部なのである。
それは、割とそこらにあると思う。
システムコマンドとしては、聖書や仏典の中で見つけられるかもしれない。自分の気に入った言葉で試してみると良いだろう。
ただし、再度言うが、一番大切なことは、心の制御権を取り戻そうという意思である。









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上位の存在との対話

自問自答しておられるだろうか?(笑)
TEDカンファレンスという、世界的に有名な講演会で、アメリカの事業家イーロン・マスクが、対話形式の講演を行ったが、その冒頭で、「なぜ、穴なんか掘ってるの?」と尋ねられ、マスクが「私もよく自問自答しています」と答えたのは、観衆を笑わせるためで、狙い通り笑いを取れたが、私は、マスクが、つい本当のことを言ったように感じられた。
彼は、本当によく自問自答しているのではないだろうか?
しかし、これはおかしな疑問だ。
自問自答しない人間はいない。
問題は、どれほど明確に、どのように自問自答しているかだ。
(イーロン・マスクの「穴を掘る」とは、ロサンゼルスなどの大都市の地下に自動車を自動走行させるトンネルを作り、地上の交通渋滞を解消させる計画のこと)

ジクムント・フロイトは、人間には、自我とは別に、超自我という、自我より上位の自我があり、自我が悪いことをしようと考えると、超自我が「こら、やめろ」と注意したりすると言う。
フロイトは、超自我は後天的に作られるもので、幼い時の家庭教育や伝統や宗教によって作られると言っていたが、カール・グスタフ・ユングは、超自我の存在は認めるが、それは先天的(生まれつき)持っているものであると主張し、フロイトだって、実際はそう思っていると断言した。
超自我が先天的であるという理由は、人々を監察した結果、後天的に作られたと考えると、かなりの矛盾があるからだった。
超自我が、遺伝子に関係することは想像が出来るが、いずれにしろ、超自我は最初からあり、ある意味、道徳的、倫理的であるが、それよりも、やはり自我よりずっと賢い存在なのである。
ソクラテスが、自分の中にいる神と対話したという話があるし、そのようなことをしていたという偉人は少なくない。いや、きっと、優れた人物は、皆、実際は、自分より上位の存在と対話しているのだし、言い換えれば、上位の存在と対話するから優れた人物になれたのである。
量子物理学では、人の心と宇宙の心が交流するものであることを既に解明しているとも聞く。

我々の中にいると言うよりは、自分より上位の心はどこにでもあるのであり、いつでも対話出来るし、実際はいつでも対話している。
賢い人は、疑問をそのままにしておくと、熟した果実が自然に木から落ちてくるように、しかるべき時に答が得られると言うが、上位の存在は、必ずしも即答してくれる訳ではなく、大切なことを教える場合には、適切で効果的なタイミングで教えるので、自ら答を導いたように感じるのである。
科学者が、科学上の疑問を限界まで考えた後、夢で答が与えられたという話がよくあるが、そのような形で教えられることもあるのだろう。
この場合、「一生懸命考えないと神様は教えてくれないよ」というのかというと、そういう面もあるだろうが、やはり、適切で絶妙な教え方をするのが上位の存在なのである。
上位の存在は、おそらく、全知と言えるほど偉大な知恵を持っているのだろう。
荘子は、そのような知恵を知を超えたもの・・・仮に明と言ったが、明の所有者が上位の存在なのであろう。

超自我、神、宇宙の心、上位(高位)の存在、至高者・・・何と呼んでも構わないが、それは確実に存在し、我々の面倒を見てくれる・・・いや、見てくれている。
それは知っておくと良いだろう。









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腕振り運動以上の生命エネルギー活性化法

腕振り運動は、非常に効果的な全身運動であると共に、エネルギー蓄積法であると思う。
しかし、こと、エネルギー(細胞の活性化エネルギー等の生命エネルギー)発生に関して、腕振り運動よりはるかに効果のある方法がある。
私は、それを心理学者のアレクサンダー・ロイド博士の『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』で見たが、そこで教わったというより、「やっぱりか」と思ったのだった。
方法は簡単で、胸に両手を重ね、重ねた手を胸の上で右回りか左回りにぐるぐる10秒ほど回し、次に向きを変えて回すことを数分続けるだけだ。
また、額の上、頭頂でやるのも良い。
回さず、ただ重ねて置くだけでも効果があるが、どちらが良いかは人による。普通は回す方が効果が高い。
初音ミクさんが、コンサートで『えれくとりっくえんじぇぅ』を歌う時、「電子のココロ震えるの」のところの手の動きを、両手を重ねてゆっくりやる感じである。

ロイド博士も述べていたが、ジクムント・フロイトも、この方法を使っていた。
これはロイド博士の本には書いてなかったが、フロイトは精神分析による治療では、ほぼ1つも成功していない。
いかに偉大な心の理論を作ったとはいえ、専門の精神科医として実績を上げられなくては、人類史上最高の精神科学者になれるはずがないが、フロイトは、患者の額に手を当てて、その手を回すという方法で、奇跡的とも言うべき成果を上げていたのだ。
これを自分でやれば良いだけである。
フロイトは額だけであったが、胸や頭頂も効果があり、また、どこが一番効果があるかは、人によって違う。
それに、胸、額、頭頂で効果が異なるので、全ての部位でやると良い。

中岡俊哉さんは、何百冊も本を書いたが、もしかしたら、一番の傑作は『ハンド・パワーの秘密』ではないかと思う(ベストセラーでもある)。
中岡さんは、長年、ハンド・パワー等のヒーリング法を真面目に研究すると共に、多くの人にハンド・パワー療法を行い、成果を上げていた。
そして、最も凄い効果を上げたのは、自分自身に対してだった。
中岡さんは64歳の時、激務による疲労やストレスで脳梗塞で倒れた。
脳梗塞からの復帰がいかに厳しいかは、国民的英雄である長嶋茂雄さんの例を考えれば解るし、身近で脳梗塞になった人がいれば、その深刻さが解ると思う。
中岡さんの場合、なんと、25歳の時に脳梗塞で倒れていて、2度目であり、64歳で倒れた時は指1本動かせないほどの重症で、医者も回復は不可能と言ったようだ。
ところが、中岡さんは「ハンド・パワーの本を書いた自分が回復出来なければ、俺は嘘つきだ。それに本の内容には自信がある」と思い、回復を目指した。
すると、数日で両手が動くようになり、医師を驚愕させ、脳のCTスキャンを撮ると、何と完治しており、1ヶ月で退院し、また、激務の生活に戻った。
こんな話が信じられるはずがないが、おそらく事実だ。

私は、胸に手を当てると、生命力が高まることを知っていた。
手を当てて回すのが難しい状況である場合は、片手でいいから胸や額に手を当てても、かなりの効果がある。
さらに、実際にやらなくても、想像の中でやっても効果があり、実際にやるのと変わらないと感じることもある。
これをやると、胸のつかえや不安も氷解すると思う。
私は、若い時から、おそらく、不安症からだと思うが、胸の痛みに苦しめられ、狭心症で倒れたことすらあるので、胸の状態には敏感であり、これをやると、まるで生まれ変わったようなクリアな気分になるのである。
これまで、あまり意識しなかったが、ロイド博士の本のおかげで、はっきり意識出来、ここにお知らせ出来たのである。









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壊れてしまっている人たち

人々の中には、「精神とか人間性といったものが、どうしよいうもなく歪んでしまっている」人が、必ずいる。
そうなってしまったのは、本人のせいではなく、多くの場合は、親のせいであり、他にも、子供時代に身近に接した人々の影響によるものである。
そういった、精神とか人間性の歪み、崩れ、壊れ・・・何と表現すべきか困るが、とにかく「逸脱」してしまった人の心に対し、「教育」とか「指導」といったものは、ほとんど全く意味がない。

私の職場にも、「あまりにおかしな考え方」をし、そのために、異様な行動をする人がいて、時に、私も厳しく叱責したりすることもあるが、もちろん、何の効果もない。
その時(厳しく叱責した時)には、相手も、一応、しおらしい態度を見せ、少しの間、改めることもあるが、その者も、元通りの「異様な行動」をしたくてたまらず、遠くなく、元に戻ってしまう。
そんな人を、改めて冷静に見ると、不気味である。
だが、それは、ほとんどの場合、その者の親が、そんなふうにしてしまったのである。

逸脱した人間は、自分では、逸脱していることに気付かない。
精神分析学者の岸田秀さんは、子供の頃から、自分が、「なんとなくおかしい」と思っていたと言うが、それは、よほど頭が良い(IQが高い)からだと思う。
さらに彼は、それを治そうと、大学(早稲田大学)の心理学部に入ったが、そこには自分の求めるものはなかったので、独学でフロイトを勉強し、ある程度解決してしまったというから恐ろしい。
岸田さんが、自分がおかしいと思った理由は、いろいろあったが、私が覚えているものでは、中学生の時、セーラー服を着た女子生徒を見ると、彼女達には、絶対に「おちんちん」が付いているとしか思えなかったり、道を歩いていると、よほどの決意をしなければ、引き返すことが出来ないなどであった。
そうなった理由は、自分の母親が、岸田さん自身はまだ気付いていなかったが、全く女性的な性質を持っていなくて男性的であったこと、また、これも自分では気付いていなかったが、母親に完全に支配されていて、彼女の指示なく動けないようになっていたからである。

むろん、誰でも、大なり小なりは歪んでいて、「完全にまとも」な人間などいないが、その程度が大きな者は、多くの場合、社会不適合になる。
私の職場にいる、歪んだ人達も、会社が儲かっていて、「飼っていられる」間は、周りが見て見ぬふりをして「泳がせておけば」良いのだが(その者が、よほど迷惑なことをしない限り)、本当は、いたらいけない人達である。
このブログで時々とりあげる「まるで駄目男君」も、その典型であり、凶暴性のようなものはないにしろ、いるとどうしても影響を受けてしまうので、いない方が良いのは確かである。
だが、彼にだって生活がある。
会社は慈善団体ではないにしろ、ある程度は、そんな面も必ずある。もちろん、収益が上がっている優良な会社の場合である。
まるで駄目男君も、余裕のない会社にいた時は、当然ながら、何度もクビになっている。

いろいろ書いたが、こう言っている私自身、ひどく逸脱している。
岸田秀さんのように優秀ではないので、子供の時、あるいは、若い時に気付くことはなく、認識出来たのは、それなりに人生経験を積み、勉強し、自分を少しは客観視出来るようになってからだ。
まあ、友達がいない、周りとうまくやれない、結婚出来ない・・・といった場合、ほぼ確実に、心の歪み、崩れ、破壊があると言って良いだろう。
私の場合、どの会社でもクビになったことがないのは、1つには、例えば、技術的なことなら、毎晩2時過ぎまで勉強や訓練をするといったことをしたからである。そんなことが出来ない者は、やはりクビになっている。
もう1つは、最低限のIQはあったと見えて、「やって良いこと」「やってはならないこと」が、健全な人間のように、「考えなくてもぱっと分かる」ことはないが、少し考えれば、そこそこ正しく判断出来るからで、それは、年と共に、ますますうまくやれるようになってきたと思う。

あなたも、人生がうまくいってないなら、多くは親のせいで、心が歪み、崩れ、壊されている可能性が大きいだろう。
アメリカでは、精神医学が進んでいて、治療を受ければ治ることが多いらしいが、それでも、大半の人は精神科医にかからないし、特にアメリカは医療に相当な費用がかかるので、やはり、ほとんどの者は、そのままで一生を送るのだろう。
まして、日本では、精神科医なんて、「キチガイ」が「行かされる」ところという観念があるし、分からないが、まともな治療が出来る医者もいないのではないだろうか・・・という認識が私にはある。実際がどうだかは、私にはさっぱり分からない。
いずれにしても、逸脱してしまった心を、矯正することは難しいし、ほとんどの場合は不可能である。
私は、人の何倍、何十倍(何百倍?)も、時間やお金をかけて、自分で努力し、良くなった部分もあると思うが、むしろ、そのせいで歪みが大きくなった部分もあるに違いない。
だから、贅沢は言わないが、自分が平和で安楽であれば、それで良いのである。
それには、心身が、それなりに健康で、社会的にも、それなりにうまくやれれば良い。
そういった程度のことに関しては、十分以上に成功しているし、しっかりしたノウハウは出来つつあるので、歪んでいる人のお役には立つと思う。
ただし、自分で、「これではいけない」と気付いている場合だけである。
健全な大成功者になる方法を教えられる人に会うことは、それこそ、大海原で針1本見つけるようなものだ(つまり、絶対に会えない)。
巷で多少売れている、自己啓発家や自己開発指導者といったものは、皆、有害な偽物である。商売は上手い人はいるのだけれども、あくまで、彼らが自分が儲かるだけで、あなたはカモである。でも、そのことに気付かない者は気付かないのである。









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良心は幻想か

ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、少年の時、こう思ったらしい。
「自分が悪魔であるなら、悪魔になりきる。」
つまり、自分でないものになってはならないということと思う。

私は、心理学者のマーサ・スタウトの『良心をもたない人たち』を読んで、スタウトの意図とは違うだろうが、自分がサイコパス・・・良心を持っていないのだと悟り、やっと、自分が何者であるかを理解したのだ。
自分の奇妙さが、これで説明がつく。

私は、普通の人より、よく寄付をする。
それも、分不相応な大きな額をだ。
しかし、善意で寄付をしたことなど、一度もない。
「喜んで惜しみなく寄付をしろ」だなんて言う人がいる。
だが、私は、喜んで寄付をしたことはないし、いつも惜しいと思いながら寄付をした。
そもそも、そうでない人がいるなんて、信じちゃいない。
私がなぜ寄付をするかというと、1つには、自己満足、1つには、見栄である。
そして、何より、「寄付をすれば運がよくなる」「寄付をすれば、その何倍も、何千倍も返って来る」という、怪しい法則を期待してのことである。
そのような教えを説く者は、私は、多分、サイコパスだと思う。

私は、虫も殺さない。
私は、虫は嫌いだ。
だが、部屋の中に、ハエや蚊や蜂がいても、殺さず捉えて、外に出す。
それもまた善意ではなく、自己満足か、やはり、「生き物を殺さなければ神が恵みを与えてくれる」と思っていた・・・というより、思いたがっていたのだ。

ところで、フロイトは、自我は幻想だと言ったらしい。
どういうことかというと、人間は、他の動物と違って、本能が壊れていて、本能だけで生きていけないので、自我を作ったという。
そのように、自我は自然に出来たものでないので、どこかおかしいのだという訳だ。
フロイト派の精神分析学者の岸田秀氏は、それで、自我は狂っているとまで言い切る。

私は、そうではなく、幻想であるのは、自我全体ではなく、その中の良心だけだと思っている。
ユングは、動物にだって道徳は見られると言ったと思うが、それは違う。単に、本能的な行為が道徳に似ているだけだ。
動物は良心など持ってはいない。
だが、人間だけが、幻想の良心を持ったのだ。
だから、良心なんて、曖昧なものなのだ。

つまり、私は、人間は全てサイコパスだと思っている。
そう思うことが、真正(本物)のサイコパスであるという証拠なのかもしれない。
なぜなら、良心の存在を全く信じていないのだからだ。
ひょっとしたら、他の人は良心を「本当に」持っているのかもしれない。
しかし、私には理解出来ないのだ。

私はサイコパスだが、良い社会人であろうとは思っているのだ。
もちろん、それは善意からではない。
論理的に考えて、その方が、安全で楽だからだ。
私はさして利口ではないが、馬鹿ではない。
だが、馬鹿なサイコパスが、悪いことをやって、結局、自分を滅ぼすのである。
あるいは、自分は能力が高いので、悪いことをやっても、切り抜けられると思っているのかもしれない。
それは自惚れってもんだ。
ただし、私の考える「良い社会人」は、世間で言う「良い社会人」ではない。
そんなものにはなれない。
世間で言う「良い社会人」は、サイコパスよりもっと悪い。
普通の人も、集団になると残虐になる。
特に、個人としては善い人ほどね。
マーサ・スタウトは、この点を見落としている。
彼女は、人間は権威によって命令されないと、残虐なことをしないというデータを示した。
そりゃ、データの扱い方が恣意的ってもんだ。
マーサ、人間はね、集団になると、個人的想像力を失くすんだよ。
それで、自分や家族が残虐なことをされることを想像出来なくなるから、平気で残虐なことをする。
マーサが上げたデータは、おそらく、少数の戦闘に関するもので、大軍同士になると、権威によって命令なんかされなくても、「殺せ!殺せ!」っていう狂気に陥るのだ。
少数戦闘では、権威によって命令されないと殺さないと言うが、それだって、権威によって命令されることで想像力を失くすからだ。
大切なのは、想像力なのだ。

なんだか、世の中の人皆がサイコパスであるということにしてしまったみたいだが、これはあくまで私に浮かんだ想いである。
もしかしたら、荘子が「セミには(地上の)1年が理解出来ない」と示唆したように、私には、良心を持った人間がどんなものか理解出来ないだけかもしれない。
きっとそうだ・・・と思いたい。









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