ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

ファウスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

餓鬼・畜生にはなりたくない

ゲーテの『ファウスト』の最初の方で、神様が言った言葉を覚えておきたい。
そこは、森鴎外や、その他の名訳者達は難しい言葉で訳しているが、単純に言えば、
「人間は弛み勝ち」
ってことだ。
自分で引き締めないと、どんどん堕落してしまう。
人間は、英雄や天使に向かうか、餓鬼や畜生に向かうかのいずれかしかない。
言い換えれば、人間とは「英雄・天使、餓鬼・畜生のいずれかに向かっているもの」と定義出来る。

そして、餓鬼・畜生への道は、弾みがつけば、坂道をかけ落ちるがごとくだが、英雄・天使への道は上り坂であり、一気には進まない。
だが、「英雄・天使になりたい」というのも欲望であるから、それが強過ぎると、せいぜいが餓鬼や畜生のリーダーになるだけだ。
英雄や天使は、崇めるものであり、自分を引き締める鍵を持てば良いのだと思う。

人のことは言えないが、世間の人を見ると、「よくここまで弛むものだ」と呆れさせる者が少なくない。もう見事なまでに、餓鬼・畜生に成り下がっている。
せめて、「こんなふうにはなりたくない」と思い、自分を引き締めようと思う。
まあ、それも差別意識であるのだから、少しも大物の性質とは言えないのだけれど、弛み切るよりはまだマシかもしれない。

人間の本来の修行とは、嫌いな人間も含め、他人とうまくやっていくことだ。
それが出来る者が、人間界で長く上に立っていられる。
それが出来ない者には大物の素質はないし、たまたまのし上がっても、すぐに転落するし、転落したらただでは済まない。
だから、我々凡人としては、嫌いな人間にはなるべく目をつぶり、英雄や天使を崇め、自分を引き締めることだ。

法然や親鸞の念仏が、自分を引き締めることが出来るかというと、堕落している暇をなくすという意味では、大いに効果がある。
しかし、今の人間は理屈屋なので、理性が邪魔をする。
美味しい食べ物や、いい男・いい女に対しては、理性は全然邪魔をしないが、育ちからくる思考パターンに合わないものに対しては理性は邪魔をするのだ。
早い話が、理性は理屈屋で、理屈に逆らえない。
数学者の岡潔は、山崎弁栄(やまざきべんねい)の教えで念仏を受け入れたから、毎日念仏を唱えられたし、数学者・武術家の木村達雄さんは師の佐川幸義さんが素晴らし過ぎたので、真似をして毎日千回四股を踏むことが出来る。
やはり、師というものは良いものだ。
師の強烈な教えがない人というのは、一時期は念仏を熱心にやっても、時が経てば坐禅をやり、さらに次は聖書を読んでる・・・といったふうに移ろい易く効果は少ない。
柳田誠一郎さんは、若い人に「何か1つやれ」と言うが、彼自身、岡田虎二郎から学べたので、一生静坐が出来たのだ。
彼は、自分が若い人達の師になれるとは思わない謙虚さがあったのだと思う。だから彼は、若い人達に「静坐をやれ」とは言わず「何でもいいから、心を締める鍵を1つ持ちなさい。私は、たまたまそれが静坐だった」と謙虚に言ったのだ。
だが、私は四股が気に入った。相撲式の四股ではなく、おそらく、佐川幸義さんの四股に近いのだが、あくまで自分流だ。
佐川さんや木村さんについては、あまり調べないことにした。
彼らとて人間である。あまり探るとボロも出る。
ミスター・スポックが美しい姪っ子に言ったように「どんな人間にも欠点はあるものだよ」だが、師や偉人のボロに幻滅した者は多いのである。









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悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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所詮、人間は逆境で本気にならないと動かない

夢を叶えるには、それを具体的に、紙に書くか、口に出せば良いことは分かった。
だが、ゲーテの『ファウスト』で神が言うように、人間とは怠り勝ち(緩み勝ち)な生き物だ。
居心地の良い環境にいると、特に何も望まなくなるし、現状を守ろうとする。
手塚治虫さんの漫画で、くらーい感じの中年男性が、「人間、何とか食っていけると、それ以上は望まなくなるものですよ」と言っていたのが、子供心にも強い印象を持ったことを覚えている。
いくら、ニート脱出を目指しているフリをしても、親に食べさせてもらえ、部屋や服・・・つまり、衣食住足りて、あまつさえゲームまで与えられたら、自立出来るはずがない。
働いて欲しいなら、ニートをとことん冷遇しないといけないし、どう考えても、それが本人のためだ。

所詮、人間は逆境になければ変われない。
だから、職場の居心地が悪かったり、露骨に冷遇されることは、ツイてることなのである。
それこそ、斎藤一人さんの教えに従い、「ツイてる、ツイてる」「幸せだなあ」「有り難いなあ」と声に出して言えば良い。
若い頃の苦労は買ってでもしろというのは全く真実で、実際は、タダでいくらでももらえるのだから、実に有り難いし、みんなツイている。

歳を取ったら、それなりに安楽な環境で安らかに過ごしたい。
まあ、普通はそれで良いのだが、アイルランドの「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツは、老人になっても、死の直前になっても、安らぎを激しく拒否した。
死ぬまで生きるとは、まさにこのことだ。

逆境になり、切羽詰まらないと、まともな目標を紙に書いたり、声に出したりはしない。
まともな目標とは、決して、世間的に現実的であるとか、小さくまとまっているという意味ではない。
むしろ、今日の米代(私は米やパンはあまり食べないが)が無いくらいの方が、大望であっても本当の夢が見えるものである。

まあ、なかなか「逆境よ来たれ」と言う度胸はないが、心配しなくても(?)、これも『ファウスト』に書かれている通り、ぐーたらしてたら、神様は悪魔を送ってよこして、ちゃんと酷い状況にしてくれる。
「幸せだなあ」「有り難いなあ」である。

以前、テレビで、失業した40代の妻も子もある男性が、2年かかってやっと、ある会社の営業課長職に迎えられたというのを見た。
その男性は、本当は余裕があったのだと思う。
2年も失業した後で、あまり大きくないにしろ、小さくもない会社の営業課長になれるくらいだから、元々、いい会社にいて経験を積んだのだろうし、その会社では給料も退職金も高く、貯金もあったのだろう。自分や妻の親の援助もあったに違いない。
そんな状態では、なかなか死に物狂いにはならない。
しかし、2年の失業で、そろそろヤバいと思った時に、やっとやる気になっただけだと思うが、そのテレビでは、そんなことは一切言わず、「今の時代の中高年の再就職は、こんなに厳しいのです」なんてことをアピールするだけだった。

エマーソンも言うように、あなたは王様であるべきである。
今の環境が、王様に相応しいものか真剣に考えることだ。
実際は、誰もが逆境であるのに、その事実から目をそらしているだけだ。

ところで、「簡単に、お腹を凹ませる」なんて本がよくあるが、それらを見ると、もう絶対、うまくいかないのは確実である。
本1冊になっている時点で、難しくて実践出来ないし、やってもまず効果はないものばかりにしか見えない。
大切なことは、どんな理由でも良いが、心底から「腹をひっこめたい」と思うことである。
それで、紙に「腹を引き締める」と書いたり、声に出して言えば、後は潜在意識が勝手にやってくれるだろう。
どんな願いも同じである。









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一番醜い人とは

『法華経の新しい解釈』という本には、法華経の第25章(法華経では25品と言うが)の『観音経』について、こんなことが書かれている。
「この品ほど誤って受け取られているものはない」
「観世音菩薩の名を唱えれば、たちどころに現実の難儀から救われるのだというふうに、非常に浅く解釈され、安易な拝み信仰の対象にされてしまっている」
そして、観音経の本当は意味はこうだと、解説しているのだが、それは立派な解説であると思うと同時に、とにかく抽象的で難しい。

それで言えば、斎藤一人さんの「ツイてる」と言えばツキが来るから、「ツイてる、ツイてる」と言えというのも、安易な拝み信仰である。
しかし、安易な拝み信仰で良いと思う。
ただ、『法華経の新しい解釈』の言うことも分かる。
著者の庭野日敬氏も、「のほほんとした安易な拝み信仰者」に愛想をつかしたのだろうと思う。

「念仏、毎日唱えてまーす!」
「腕振り運動、千回しましたー!」
で、後は何にもせず、する気もなく、のほほんとしたがる者は確かにいるだろう。
そんな人が言うのだ。
「念仏さえすればいいんですね?」
いいけど、のほほんとしてはならない。

ゲーテの『ファウスト』で、神様も言ったではないか?
人間はすぐに怠けたがる。
そんな人間には、悪魔を遣わして刺激を与えると。
そんな刺激、いらないよね?
どんな刺激かというと、仮想通貨で大金をスるとか、難病になるとか・・・そんな感じと思う。

『バガヴァッド・ギーター』では、「戦争いやだ。戦いたくない」というアルジュナを、神クリシュナが「義務を果たせ」とたしなめる。
斎藤一人さんだって、「学生は一生懸命勉強し、戦争になったら一生懸命戦うのが良い」と書かれていたくらいだ。
あるいは、学校の勉強に背を向け、もっと偉大な努力をしたり、単に「戦争反対」なんて言うだけの楽な反戦運動をするのではなく、戦争を止めたいなら止めたいで、自分に出来る最善を尽くすことだ。
それによって、自分がいかに卑小な存在であるかも自覚出来る。

「南無観世音菩薩」と唱え、想えば、全てうまくいく。
だからといって、のほほんとしてはならない。
観世音菩薩に助けてもらったら、観世音菩薩の心に応える生き方をすることだ。
自分の本心が観世音菩薩なのであるからね。
ところで、私は、のほほんとした人間ほど醜いものはないと、子供の時から思っている。
醜くはなりたくないものだ。









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山を動かす装置の使い方

人間が不幸になる原因について、2つの貴い書物の2つの指摘を取り上げる。
ゲーテの『ファウスト』では、それは、「人間は楽をしたがるから」である。
だから、怠けてのほほんとした人間のところに、神様は悪魔を差し向け、酷い目に遭わせて、動かざるをえないようにするのである。
確かに、人間、いつまでも緩んでいられるものではない。
たとえ資産家の息子で、遊んで食べていける身であっても、毎日チンタラ過ごしていたら何かとんでもなく悪いことが起こるものだ。

『荘子』はちょっと趣が違い、人間の不幸の原因は、「ものごとを公平に見ない」からであると言う。
あれは善くて、これは悪い。
あれは好きで、これは嫌い。
あれは貴く、これは賎しい。
あれは美しく、これは醜い。
こんなふうに、優劣・是非・好悪を区別し、いちいち価値判断をすることが不幸の原因と言う。
私は、小学4年生の時、衝撃的な想いに襲われた。
教室の中でのことだ。
クラス一番の美少女で、他のクラスにも、その名が轟くほどの女の子を見ていた。
嗚呼、可愛い、きれいだ。
そして、ふと、近くにいる、ブスな女の子を見た。
それで愕然としたのだ。
同じ日本に生まれた同じ人間の、同じ歳の同じ女の子が、なぜこんなにも違うのだろう?
美少女の方は、可愛いだけでなく、頭が良くて成績もトップクラスで、運動も得意で、特に脚の速さは有名で、ピアノが弾けて上品で、性格も良い。
だが、ブスの方は、愚鈍で、勉強はさっぱりで、肥満していて運動も苦手で、走る姿はみっともない。特技はないし、性格がひどく悪い。
だが、その肉体の中に入っている魂に差があるとは思えない。
なぜ、一方の魂は、あんな素晴らしい女の子の中に入り、もう一方の魂は、こんな惨めな肉の塊に中に入らなければならなかったのか?
不公平だ。
ブスな肉体に入った魂が可哀想じゃないか?
いったん悪い身体の牢獄に入ってしまったら、普通は、少なくとも60年、長い場合は90年、100年と過ごさねばならない。
そりゃ、宇宙の歴史の中では一瞬かもしれないが、辛い時は1分でも長いものだ。

そして、荘子は、私のように、こっちの子は美人だが、あっちの子はブスと見ることが不幸の原因と言う。
太古の賢い人達は、2人を区別なんかしなかったさと言う。
ちょうど、池の魚は、美人が来ても、ブスが来ても、驚き怯えて水中に逃げるように。

まあ、私も、大したことないというか、ロクな肉体に入っている訳ではないが、やっぱり美人を評価する。
美少女のパンツには千億万の価値を感じるが、オバサンのパンツは目にも触れさせたくない。
同じパンツでありながら、なぜそんなにも「値打ち」が違うのか?
そんなふうに感じることが不幸の原因なのだ。

つまりね、自分の外のものを、そんなふうに、自分勝手に優劣、是非、好悪の判断をするということは、自分についても、ある部分を肯定し、ある部分は否定してるのである。
それが自己不信を生んでいるのだ。
自分を信じられないことは、とても悲しいことであるらしい。

では、どうすれば良いか?
荘子は、優劣・是非・好悪の判断をするなと言ったが、どうすればそうなれるか、分かり易くは教えなかった。
だが、やり方は分かっている。
鼻で静かに呼吸することだ。
いつも、自分は鼻で静かに呼吸しているか気をつけていることだ。
驚くべきことに、それだけで良いのである。
なぜなら、呼吸器官の中に、驚くべきメカニズムとシステムが組み込まれているからだ。
そして、追い詰められた時、緊急事態の時、あるいは、ここ一番の時。
呼吸をやめてしまうほどに呼吸を微かにすることだ。
それでスイッチが入り、山をも動かす力が始動するのである。
ゲーテも、こんな簡単なやり方を知らなかった。
だが、これを知っていれば、我々は、容易くファウストにも、メフィストにも勝てるのである。









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