ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ファウスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生は喜劇だ

ゲーテの『ファウスト』や、ダンテの『神曲』は、いずれも人類の歴史に残る文学の傑作なのだが、何が良いのか分かり難いし、そもそも、これらを読んだ人は、そんなに多くはいないだろう。
いずれも、簡単に言えば、「人生が嫌になった中年男が救いを求めるお話」である。
そして、いずれも、鍵は「女」である・・・と言ったら下品に聞こえるかもしれないが、そんなものである。
ファウスト(錬金術師の怪しい男)は老人に近い歳と思うが、グレートヒェンという若い娘(何歳かは分からないが、15~17歳と思える)に夢中になるという、言ってみれば、スケベジジイと言ったら怒られそうだが、やっぱり、そんなものである。
そもそも、ゲーテ自体が、歳を取っても若い女の子が大好きで、いろいろやらかしている。
一方、ダンテの方は、実生活での片思いの相手、ベアトリーチェを『神曲』の絶対的ヒロインにするが、ダンテとベアトリーチェは、お互い9歳の時に出会って、ダンテの方が夢中になるが、ベアトリーチェがダンテに友好的だったことは全くなく、むしろ、拒否されていたところがあり、ベアトリーチェは他の男に嫁ぎ、24歳で病死した。
だが、ダンテは、『神曲』の中でベアトリーチェと深い交流を果たすという、妄想的願望がイタリア最大の文学を生み出したわけである。
ファウストとグレートヒェンは無残な結果に終わっているが、おそらく、グレートヒェンにはモデルがいて、それは、いい歳をしたゲーテのお気に入りの美少女だったのではあるまいかと勝手な想像をするが、ゲーテのことを考えれば、無理な想像ではない。

ゲーテもダンテも、きっと、彼らの人生が、自分で思うような人生ではなく、幸福感を感じておらず、むしろ、人生の辛さに苦しんでいたと言って間違いないだろう。
そもそも、満ち足りた人間が文学を生んだりしない。
だから、もし、あなたが文学的作家になりたいなら、幸福な人生は望めない。これは間違いない。
いや、たとえ、娯楽作品を書く作家だとしても、深い心の傷を抱えていない限り、読者の心を掴めるものは書けないはずである。

だが、作家というのは、どこか、人生の苦しみに折り合いをつけた者だとも言える。
ただ苦しい、悲しい、辛いだけでは、やはり作品は書けない。
自分が見つけた、人生の苦しみを克服する鍵が文学のテーマになる。
『ファウスト』にも『神曲』にも、それ(人生の苦しみを克服する鍵)がある。しかし、極めて難しい鍵であるし、鍵というよりは希望の欠片といったものだろう。
つまるところ、ゲーテもダンテも、生涯、救われなかった。
だが、それで良かったのだと言える。
『ファウスト』も『神曲』も、彼らが自分の生涯をお芝居(戯曲)にしたものであり、良い終わり方にはならなかったが、とにかく、「はい、芝居はここで終わり」というふうにした・・・つまり、落とし前をつけた(評価を下した)のだ。
自分で、どう落とし前をつけるかで、人生の満足度が決まるのである。
ベートーヴェンが死に際に「諸君、拍手を。喜劇は終わった」と言ったが、彼は、彼なりに、自分の人生に落とし前をつけたから、そんなことを言えたのだろう。

人生は、自分で落とし前をつけるべき喜劇だ。
実際、『神曲』というタイトルは、森鴎外が勝手につけたもので、本当のタイトルは『神聖なる喜劇』であり、ダンテ自身は、タイトルをただ『喜劇』としていた。
ゲーテの生涯も、ダンテの生涯も、ただの喜劇だった。
それなら、私やあなたと何の違いもない。
我々の生涯は喜劇である。
だが、最初から、そう思えば、案外に面白いのである。
実を言えば、シェイクスピアも、イェイツ(「20世紀最大の詩人」と呼ばれた詩人・劇作家。ノーベル賞受賞)も、人生が芝居に過ぎないことはよく認識しており、それは、やはり喜劇であった。
何度も言うが、我々の生涯は喜劇である。
伊達政宗も言ったではないか。
「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何」
馬に乗って戦場を駆け巡った少年(若い頃の自分)の時代は過ぎ、世の中は平和になり、私も歳を取った。
天が私をまだ生き長らえさせているのだから、大いに楽しもう。
・・・だいたい、そんな意味である。彼に深刻さはない。
我々も同じで、まだ馬上の少年なのか、戦う時代は終わったのかは分からないが、楽しむべきである。
だが、無理な楽しみ方をする必要はない。
どの時代であろうが、真言を唱えることを忘れなければ、楽しいこと、嬉しいこと、面白いことだらけである。
そうなるように、真言が与えられたのである。
これは、多くの証拠があり、間違いのないことである。
人生はただの喜劇であるのだから、楽しまねばならない。
まあ、ゲーテもダンテも、そこそこは楽しんだと思う。
だが、あれだけの大天才でも、真言を知らなかった。
いや、知っていたかもしれない。知っていたら、彼らも人生を楽しめただろう。しかし、それは分からない。
だが、我々は間違いなく知っているので、人生は面白いに決まっているのである。








人間は多機能データ収集端末

人間とは何かというと、データ収集端末みたいなものなのだろう・・・と思う(笑)。
データ収集端末と言っても、別に、地球の地質調査や水質調査をしている訳ではない。
人間は、我々の観念の調査マシンとは比較にならないくらい複雑で精妙に出来ている。
まるで高性能アンドロイドだ・・・って、その通りなのだが(笑)。
我々は、他の人間や、周囲のあらゆる状況に対し、どう感じ、どんなことを考え、どんなふうに対応するのかのデータを取られてるのだろう。だいたいの意味でね。
だから、じっとして動かない端末(人間)は、動くように刺激を与えられる。敵がやって来たリ、病気になったり、事故や天災が起こったりだ。
ゲーテの『ファウスト』で、神様が、そのことを言っている。
「人間はすぐ怠けたがる。そこで、そんな人間には悪魔を送り込み、悪魔として生きさせる」
ってね。

昔であれば、例えば、若者の頭の中に、「お前はミュージシャンになりたがる」といった信号を送って、「俺はミュージシャンになるんだ」という情熱が起こる。
そこで、楽器と当面の生活費(時にはそれすらなく)を持って東京に行き、バイトをしながら仲間を見つけてバンドを組んだりする。
もちろん、成功するのは万に1つで、いかにパッションがあっても、30歳くらいになったら諦めて実家に(あればだが)帰って来る。
その過程は、なかなか貴重なデータなのかもしれない。
今は、パソコンで黙々と音楽を作り、ニコニコやYouTubeに投稿し、全然駄目だったり、そこそこ人気が出たり、米津玄師さんのようにビッグになってしまうこともあるが、いずれにしても、我々の管理者(神か?)に良いデータを提供するのである。まあ、ビッグになったらなったで、次の貴重なデータを要求されて大変なのだが・・・

そんな訳で、我々は自主的に奮闘しなければ、強制的に奮闘させられる可能性が高いが、その場合(強制的奮闘の場合)、どんなことをやらされるか分からないし、ひょっとしたら、面白くない状況に追いやられるかもしれないので、やっぱり自主的であった方が良い。
それで、どうすれば、一番楽しくやれるかというと、面白いことをやることだ。
面白いことをやる端末(人間)が、管理者にとって一番良いデータを出すもののようだ。

だが、そこには、因果応報の法則というものはあるのだろう。善いことをすれば楽しいことが返って来るし、悪いことをすれば、嫌なことが返って来る。
私の場合、善いことはしないので、その方面は分からないが(笑)、悪いことをすれば、絶対に見逃されず、まずいことが起こるものだ。
だから、アメリカの作家カート・ヴォネガットも言ったじゃないか?
「私が知っているこの星の決まりは一つだけだ。人に優しくしろ」
ついでに、犬、猫、鳩、カラス、亀にも優しい方が良い。
猫には優しいが、犬は無視というタイプは、かなり嫌な目に遭う(笑)。

でもね、家に引きこもってゲームをするにしても、全力全開でやってれば、それなりに褒美がもらえるかもしれない。
『魔法少女リリカルなのは』のなのはや、『カードキャプターさくら』の桜のような(全力全開で進む)タイプは、大きな課題も与えられるが、報いも大きいのである。
早い話が、「極めろ」ってことである。
ただし、他のものへの配慮を忘れずに。












当ブログ著者、KayのAI書。
21世紀初頭に現れた、人類の新しい武器「推測するマシン」(ディープラーニング型AI)の現物を、あなたも手に入れよう。
それは、数学、プログラミング、AI理論なしに、あなたにも手に入れられます。この本があれば。
機械工学や熱力学、工場プラントが解らなくても、自動車を得られるようにです。
逆に言えば、熱力学理論をいくら勉強したって、自動車を使えるようにはなりません。
今後、AIは、自動車よりもはるかに重要で強力になりますし、AIを使えないと、AIを悪いことに使う者たち(政府や大企業とは言いませんがw)にプライバシーを丸裸にされ管理される一方です(無知な相手が一番御し易い)。
一番簡単にAIを自分で作れるように書いたつもりです。

陽気に狂え

ゲーテの『ファウスト』の序章に書かれていたが、人間は怠り勝ちで、すぐに休みたがる。
その結果、進歩が止まり、硬直した状態になってしまうのだろう。
では、それを防ぐにはどうしたら良いだろう。
一般的には、「本を読め」「人と会え」「新しいことにチャレンジしろ」とか言う。
東浩紀さんは、『弱いつながり』で、インターネット時代にGoogleに取り込まれてしまわないようにといった意味で言われていたが、移動する・・・つまり、旅が良いと書かれてたと思う。
未来工業という、残業禁止、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)禁止という面白い会社では、全従業員のアイデア1つを500円(仕事と直接関わりないことでも良い)で買うことで会社を活性化しているらしいが、これも、停滞・硬直化を免れ、変化・進歩する方法だろう。
「遊べばいいんだ」と得意気に言う者もいる。
あるいは、「仕事が一番じゃ」と言う者は多いだろう。
しかし、いくら本を読もうが、沢山の人と会おうが、ずっと旅をしようが、遊ぼうが、働こうが、ある時期からは進歩しなくなるし、未来工業の従業員の全部が進歩している訳でもないだろう。

一方、E.E.スミスのSF『レンズマン』シリーズに登場する、宇宙で最も進歩した生命体アリシア人は、1つのことを百年見続ければ宇宙的な進歩があると言う。
これは、上に挙げたもののように、自分が動き、考えることとは違って、静的で受動的なものと思える。
ラマナ・マハルシは、「働く運命にあれば仕事は避けられないが、働く運命になければ仕事はいくら探しても見つからない」と言う。つまり、ニートも運命って訳だ。
ニーチェは偶然を自分の意志と思えと言い、イェイツは予期せぬ出来事を喜べと言うが・・・ここまで高度になると、哲学的で解らない。

だが、つまるところこうなのだ。
神様は、楽しむために、個々の人間を作り、個々の人間に乗り移った。
ならば、面白いことをして楽しめば良い。
つまり、涼宮ハルヒの生き方が一番正しい。
伊達政宗だって、晩年に、「生き長らえているからには、楽しまずになんとする」と言っている。
ただし、食欲、性欲、名誉欲、物欲を叶える快楽は、一定の楽しさはもたらすが、すぐに苦痛に変わる。
閑吟集には、「ただ狂え」とあるが、確かに、どこかクレイジーな遊びでなくてはならない。
イタリア映画『愛のほほえみ』の中で、10歳くらいの美少女オルガが、「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」と言っていたが、そんなことである。
だが、明るさが大切だ。
それを、イェイツはgay(陽気な、明るい)と言った。
つまり・・・本心から陽気に狂うことである。
まさに、涼宮ハルヒのように。








餓鬼・畜生にはなりたくない

ゲーテの『ファウスト』の最初の方で、神様が言った言葉を覚えておきたい。
そこは、森鴎外や、その他の名訳者達は難しい言葉で訳しているが、単純に言えば、
「人間は弛み勝ち」
ってことだ。
自分で引き締めないと、どんどん堕落してしまう。
人間は、英雄や天使に向かうか、餓鬼や畜生に向かうかのいずれかしかない。
言い換えれば、人間とは「英雄・天使、餓鬼・畜生のいずれかに向かっているもの」と定義出来る。

そして、餓鬼・畜生への道は、弾みがつけば、坂道をかけ落ちるがごとくだが、英雄・天使への道は上り坂であり、一気には進まない。
だが、「英雄・天使になりたい」というのも欲望であるから、それが強過ぎると、せいぜいが餓鬼や畜生のリーダーになるだけだ。
英雄や天使は、崇めるものであり、自分を引き締める鍵を持てば良いのだと思う。

人のことは言えないが、世間の人を見ると、「よくここまで弛むものだ」と呆れさせる者が少なくない。もう見事なまでに、餓鬼・畜生に成り下がっている。
せめて、「こんなふうにはなりたくない」と思い、自分を引き締めようと思う。
まあ、それも差別意識であるのだから、少しも大物の性質とは言えないのだけれど、弛み切るよりはまだマシかもしれない。

人間の本来の修行とは、嫌いな人間も含め、他人とうまくやっていくことだ。
それが出来る者が、人間界で長く上に立っていられる。
それが出来ない者には大物の素質はないし、たまたまのし上がっても、すぐに転落するし、転落したらただでは済まない。
だから、我々凡人としては、嫌いな人間にはなるべく目をつぶり、英雄や天使を崇め、自分を引き締めることだ。

法然や親鸞の念仏が、自分を引き締めることが出来るかというと、堕落している暇をなくすという意味では、大いに効果がある。
しかし、今の人間は理屈屋なので、理性が邪魔をする。
美味しい食べ物や、いい男・いい女に対しては、理性は全然邪魔をしないが、育ちからくる思考パターンに合わないものに対しては理性は邪魔をするのだ。
早い話が、理性は理屈屋で、理屈に逆らえない。
数学者の岡潔は、山崎弁栄(やまざきべんねい)の教えで念仏を受け入れたから、毎日念仏を唱えられたし、数学者・武術家の木村達雄さんは師の佐川幸義さんが素晴らし過ぎたので、真似をして毎日千回四股を踏むことが出来る。
やはり、師というものは良いものだ。
師の強烈な教えがない人というのは、一時期は念仏を熱心にやっても、時が経てば坐禅をやり、さらに次は聖書を読んでる・・・といったふうに移ろい易く効果は少ない。
柳田誠一郎さんは、若い人に「何か1つやれ」と言うが、彼自身、岡田虎二郎から学べたので、一生静坐が出来たのだ。
彼は、自分が若い人達の師になれるとは思わない謙虚さがあったのだと思う。だから彼は、若い人達に「静坐をやれ」とは言わず「何でもいいから、心を締める鍵を1つ持ちなさい。私は、たまたまそれが静坐だった」と謙虚に言ったのだ。
だが、私は四股が気に入った。相撲式の四股ではなく、おそらく、佐川幸義さんの四股に近いのだが、あくまで自分流だ。
佐川さんや木村さんについては、あまり調べないことにした。
彼らとて人間である。あまり探るとボロも出る。
ミスター・スポックが美しい姪っ子に言ったように「どんな人間にも欠点はあるものだよ」だが、師や偉人のボロに幻滅した者は多いのである。









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悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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