ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ファウスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

超人への招待

何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。

ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。

超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。

ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。

超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。

イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。

ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。

涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。









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虚無感からどう逃れるか

私は、すっかり「燃え尽き症候群」を起こしている。
一時的なものだとは思うのだけれども。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2016」が終わると、もうすっかり、全てがどうでも良くなってしまった。

コンサート1日目の夜に悪くなった体調もかなり回復し、トレーニグも再開したが、楽にやれる範囲でやっている。
数ヶ月の間、ヒンズースクワット200~300回、ヒンズープッシュアップを30回を1日も欠かさずやっていたので、それぞれ、100回と20回なら、子供の遊びだが、その子供の遊びをやっているという訳だ。
だが、『ファウスト』に書かれているように、人間は怠けたがるものであり、いつまでも弛んでいると、神は悪魔を送って刺激を与える。
それでも、試練から逃げ回り、どうにもならないくらい緩んでしまった人間ばかりなのであるが。

良い本には、人生を生きる心構や、成功するためのノウハウについて素晴らしいことが書かれていることもあるが、所詮、唯一必要なものはIQだけである。
そして、重要なことは、IQを伸ばすことは大変に難しいが、落とすのは極めて簡単だということだ。
普通の人は、中年以降に大きくIQを落としているが、実際は、働き始めて仕事に刺激がある時期を過ぎれば、ほとんどの人がIQを見事に失っているのだろう。

そして、人間向上(根本的にはIQを伸ばすこと)のための唯一の方法は、「素振り」で、野球選手にとっての素振りが自分にとって何であるかを見極め、出来るだけ多く繰り返すことが必要だ。
ネットで、SMAPの中居正広さんが20年の間毎日、新聞を読んでいるというのを見たが、これが優れた素振りだろう。もちろん、良い新聞を隅々までしっかり、ほとんど1日も欠かさず読んでいるということのはずだ。
優れた人間、成功する人間は、必ず熱心に素振りをしているのであり、それによって、あらゆる面で向上するのである。
エミール・クーエが言うように、「私は毎日、あらゆる面で向上している」と呪文のように自己暗示をして、何か効果があった人は本当はいないと思う。
素振りは、実際の行動でなくてはならない。
そして、素振りは、楽なものであってはならない。
もちろん、厳し過ぎてもいけないが、楽なものでも絶対に駄目なのだ。

私には、良い逆の見本がいる。
怠け続けたら、まるで駄目男君になってしまう。
そう思うと、恐怖を感じ、励もうという気になる。
そして、よく考えたら、どこに行っても、まるで駄目男君だらけだ。
ぞっとする悪い見本にはこと欠くまい。
そして、励んでいなければ、ミクさんの歌も心に響いてこない。
そんな世界にはいたくない。
では、難しいことに挑むとしよう。









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ハンパ者

本当に優れた人が最後に行きつくのは、「僕は無力だ」ってことだろう。
それは、宇宙に対する自分の感覚器官や知的能力の、極めて低い限界を悟ったということである。
つまり、五感や心が捉えることが出来るのは、あまりにひどい世界のイミテーション(まがいもの)に過ぎないということだ。
それでも、結構、素晴らしいもの、美しいものもあるような気がするが、それは、安物の粗悪品を喜んでいる貧乏人や田舎者にも喩えられようか。
そのことを示したカントは、だからといって、どうしたら良いかなんて全く述べていない。
彼はただ、その偉大な知性と考察をもって、事実を正確に(おそらく誠実に)示そうとしただけだ。
だが、芸術家であったゲーテやタゴールは、直感的知性によって、世界の隠された姿をいくらか見抜いていたようである。
そして、それを本当に解明し、さらに、それ(隠された真理)を知るにはどうすれば良いかを実際に示したと思われるのが、ルドルフ・シュタイナーだった。
そんなシュタイナーの著作が、すらすら理解出来るはずがない。
ところが、初音ミクさんの名曲『ODDS&ENDS』では、そんな真実を、そっと語るというか、「すっぱ抜いている」という感じすらする。


「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~


歌としては、ちょっと年齢の高い人なら、恥ずかしい感じがするかもしれない。
畑亜貴さんが、『God knows』(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中歌)の詩を作った際、本気か冗談かは知らないが、「思いっきりこっ恥ずかしいことを堂々と書いた」と言っておられたように思うが、詩を改めて見たら、本当に恥ずかしい(笑)。
『ODDS&ENDS』は、それほどでもない。
面白いことに、この2つの歌は、タイトルの音感が似ている。
ちなみに、ODDS&ENDS(odds and ends)とは、はんぱもの、ガラクタという意味で、この歌の中では、「僕」と初音ミクさん両方を指している。
『God knows』も、相当、ハンパ者の歌だし、ゲーテの『ファウスト』の主役ファウストも、紛れもなく半端者だ。

だが、世界は、ハンパ者であっても・・・仏の手の平の上で走り回るだけの者ではあっても、そこから抜け出そうと、自分と戦う者のみに、その姿を明かすのだろう。
初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」では、これまでずっと、ラストソングは、この『ODDS&ENDS』だったが、今回もそれは変わらないと思う。
「ミクの日感謝祭」コンサートでは、3回とも、それが『SPiCa』だったのを思い出す。この歌も、ハンパ者の星のような歌だったと思う。
半端者には2通りしかない。
努力する半端者と堕落する半端者だ。
まあ、努力しても半端者なのだが、堕落して完全に生ゴミになるよりは良いだろう。









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夏休み明け間近の子供の救い方

昨日の朝日新聞の夕刊の第一面に「学校つらいなら ここにおいで」という見出しがあった。
夏休み明けは子供の自殺が多いので、それを防ぐために活動している団体があるらしい。
で、(苦しい状況にある子供達が)そこに行ってどうなるのかというと、悩みを聴いてあげたり、一緒にゲームをしたり、お菓子を出したり・・・で、さぞ、慈愛の微笑みで迎えてくれることだろう。

だが、必要なことはただ1つ。
鍛えてやることだ。
もっと正しく言えば、自主的に自分を鍛えることが出来るようにしてやることだ。
まるで駄目男(私が知る人生の完全落伍者)だって、自主的に自分を鍛えることさえ出来れば何の問題もない。
逆に言えば、彼に何の見込みもないのは、彼は自主的に自分を鍛えることが絶対に出来ないからだ。

もちろん、きっかけ作りとしては、少しくらい、甘い顔を見せるのも良いだろう。
また、やはり、導入として、指導して鍛えてやるのも良いだろう。
しかし、そんなものは、なるべく早く止めなければならない。

有名な『ルーツ』という、1977年制作のアメリカのテレビドラマ(今年も国内で再放送されている)で、アフリカのある部族で、主人公のクンタ・キンテ達、成人を迎えた男子(15歳くらいだろうか)達を集めた中で、逞しい戦士が、「男は強くなければならない。強ければ強いほど良いのだ」と言う。
実際は、男でも女でも強くなければならないし、それは、心身両面でなければならない。
「心身両面」なんて、ちょっと曖昧だが、もっとはっきり言えば、頭脳と肉体のことで、その両方が強くなければならない。
そのためには、鍛えるしかないが、本当に強くなれるのは、自分で自分を鍛えることが出来る者だけである。

それは、大人も同様だ。
自主的に鍛えるのをやめた途端、どれほど偉大な人物も、「ただの脂肪の塊」になる。
世間では、サッカーの三浦知良さんや、野球のイチローさんが称賛されるが、あれが単に正常なのである。
もちろん、持って生まれた素質が違うので、同じような活躍は出来ないだろうが、いくつになっても上を目指して努力するのが、当たり前の人間だ。
かつての大選手だって、自主的に鍛えることをやめた人間には、何の価値もないし、彼らの発言には傾聴すべきことなど何もない。

WIREDサイトを見ると、世界的な認知科学者で教育者であるスガタ・ミトラ氏は、子供に教えるべきことは3つだけで、それは、
・読み書きする能力。
・必要な情報を得る能力。
・そして、その情報の価値を判断する能力。
だと言う。
これは確かに重要であるが、それは2番で、一番は、自主的に自分を鍛える意思の力だ。
私は、ミトラ氏の巨漢は嫌いではないが、あえて言えば、もうちょっと鍛えて痩せた方が良い。

ゲーテの『ファウスト』の主人公ファウストは、スケベで偏屈なジジイであるが、神を目指して努力することを忘れないことだけが取りえだ。
だが、その取りえのために、彼は神に見込まれているのである。
まさしく、ファウストはゲーテそのものだ。
だが、そのゲーテも、中年になると肥満し、はるばるやって来た、彼を崇拝する青年の顔には、明らかな失望があったという。
富と名声がゲーテを堕落させたのだが、堕落とは、自主的な努力を止めることだ。
ゲーテだって、自主的に鍛えることを放棄したら、もはや、「ただの脂肪の塊」なのである。









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特技がない人の大きな生き方

「特技は何?」と聞かれて、「何もありません」と言うしかない人は多いだろう。
「俺には特技なんか必要ないぜ」と、しれっと(平然と)言う者は、単に馬鹿だろう。
そして、特技を得るのに必要な時間は、よほど才能がある場合で3年、普通は10年と思う。
時々、「MOS(マイクロソフトオフィススペシャリスト)の資格を持っています」と、それが特技であるように言う者がいるが、それは、戦場でエアガンを持っているというようなもので、文字通り、「武器にならない」。
社会が戦場であれば、持っている武器が、ナイフか、刀や槍か、弓矢か、拳銃か、マシンガンか、光線銃かといったことが重要だが、出来れば拳銃が欲しいところで、マシンガンを持っていれば厚遇され、光線銃なら成功出来るのである。

ところが、世の中には、ナイフ一本も持っていない者がいる一方、マシンガンをじゃらじゃら持っている者もいるのである。
また、ゼネラリスト(ジェネラリスト)とかいって、「俺の仕事は専門職ではなく、専門家を使うこと」と言いたげな者もいるが、ゼネラリストになれるのは、マシンガン以上を持っている者だけだ。
優れた経営者がゼネラリストと言えると思うが、良い経営者は、専門性でも、大抵の部下には勝っているものである。

ただし、世間的な特技は拳銃レベル以下であっても、世間の専門技能リストにないことで、マシンガン以上を持っているという人もいる。
ドワンゴの川上会量生長なんて、そんな人だと思う。
彼は、「僕はプログラマとして本格的なキャリアはない」と言ったことがあったが、それはビル・ゲイツも同じだ。
だが、プログラマーとしても拳銃レベルかそれに近いだろうし、その他のいろいろなことで、刀か弓矢を持っているのだ。
例えば、川上さんは、スタジオ・ジブリで見習いプロデューサーを何年もやり、実際のプロデューサーの仕事も経験して、拳銃レベルに近い能力を得たが、それに特化したら三流かもしれないが、経営者としては、光線銃の特別オプションを得たということだと思う。

私のプログラミングは旧式で時代遅れな拳銃といったところで、普通のシステム開発会社に、普通のSEやプログラマーとして入れば雑魚だが、それよりは良い思いをしている。
その理由は、他にも、ナイフや刀をいくらか持っているからだ。
そして、そのオンボロの拳銃も大切にしているのである。

エドガー・ケイシーは、世間的には写真屋で、多分、弓矢かせいぜい拳銃レベルの写真家だったのだろうと思うが、霊能力者として光線銃を持っていた。
光線銃を得るためには、9歳の時から、毎朝、欠かさず聖書を読んでいたのだ。
彼のような生き方をするのは、特別な運命を持っている者だけであると思う。
ラマナ・マハルシは、特別な才能があったが、人々に教えるためには、3年の沈黙の行を必要とした。
聖者だって、「ぽっとなれる」ものではないのである。
世の中には、「俺は世俗の仕事に興味はない。世界を救う仕事をする」と言う者もいるのだと思うが、それならそれで、世間的にはせめてナイフを持って、貧しい生活を送りながら、「専門の救世主」としてマシンガン以上を持つよう励まねばならない。
ゲーテの『ファウスト』の主人公ファウストがまさにそれで、世間的学者としては弓矢レベルだが、神智学者として光線銃を得ようとしていたのだろう。

世間的な最低限の武器を持ちつつ、自分だけの理想の光線銃を得ようとするのが、人間として望ましい生き方なのだろうと思う。
そして、おそらくだが、自分だけの光線銃を情熱を持って求めれば、世俗的な武器も最低限得られるのだと思う。
イエスも、他の聖者も、その点は同じことを言っているのだと思う。
特技は何もないが、宇宙的真理に関心があるなら、遊んだり、休んだりせずに、『バガヴァッド・ギーター』を千回読むとか、念仏やナーマスマラナ(心の中で神の名を想うこと)を何十万回とやれば、世俗のことは神仏が面倒をみてくれるかもしれない。
ただし、決してゆるまず、引き締まってやらなければならない。
本当にそれでうまくいくのかどうかは、自分の一生で試すしかないというリスクがあるが、他に何も出来ないなら、他の人のために大実験をするのも良い。
ひょっとしたら、私がそれをやっているのかもしれず、まあまあ、上手くいっていると思う。









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