ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヒマラヤ聖者の生活探求

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

奇跡を起こす真言

私が子供の時に、テレビで見た何かのヤクザ映画(『極道の妻たち』かもしれない)で、上品な、やや年配の女性(ヤクザの妻かもしれない)が、
「神仏に手を合わせる気持ちがなくなれば終わりです」
と言ったのを、私はよく憶えている。
しかし、今は、そんな気持ちを持っている人は少ないと思う。つまり、終わった人間が多いということか。
だが、逆に言えば、神仏に手を合わせる気持ちを持っていれば大丈夫なのだ。そんな人を神仏は守るだろうから。
神仏に手を合わせるとは、神仏に心を向けるということだ。
そして、念仏を始めとする真言を唱えることが、その最上の方法なのである。

私は、アメリカ最大の真言は、アメリカ合衆国の公式標語「In God We Trust(我々は神を信じる)」であると思う。
この言葉は、1864年から、アメリカの全硬貨に刻印された(紙幣にも印字されていると思う)。
よって、公式標語になったのは1956年だが、事実上、1864年には国家のポリシーだったと見て良いと思う。
現在でも、この言葉は、州の議会堂のドアの上など、公式な場にはよく掲げられている。
アメリカ人が、この言葉に心を向けていた時、すなわち、アメリカ人が神に心を向けていた頃、アメリカは真に強大であったが、アメリカ人がこの言葉を忘れてしまってから、アメリカは弱体化していった。
DS(闇の勢力)は、決して、こんな言葉を唱えないので、正しいアメリカ人が、この言葉を思い出し、この言葉に注意し、この言葉を常に心に保つようになれば、DSに打ち勝ち、トランプ大統領が戻ってくるのが早くなるのだと私は思う。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、イエス・キリストは、「神」こそ、至高の言葉であると言った。
「神」も真言と考えて良いと思う。
(英語版『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、「神」はGodと記されている)
聖書が最も偉大な書物である理由は、いかなる書より多く、「神」という言葉が使われているからである(それで言えば、日本では『古事記』が最良の書の1つだろう)。
ただ、イエスは、「神」を公式にしてはならないと言った。
また、著者のベアード.T.スポールディングも、「神」を何度も唱える必要はなく、一度で良いと述べる。
このあたりが難しい。
私は、「神」と丁寧に唱え、後は、その余韻を感じれば良い・・・程度に解釈している。だが、それぞれが解釈すれば良いと思う。
尚、これ1冊単独で読むことも勧められる、秘法満載の書『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻には、ロンドンに住むF.L.ロースンという偉大な人物が唱える言葉、
There is nothing but God.
(神の他に何もない)
が奇跡を起こす話がある。
これもまた、素晴らしい真言である。

神仏に心を向ければ、確実に強大な力の守護を受け、何でもうまくいくのに、我々はそれを忘れた・・・と言うより、忘れさせられたのである。
そして、そんなことは、古臭く、ダサく、そして、何の力もない宗教だと思い込まされている。
おそらくは、DS(闇の勢力)によって。
宗教であるかどうかについては、考え方は自由であるが、宇宙や人間を作り、宇宙を動かす存在に心を向ければ、我々がかつて持っていた、無限の知恵と力を取り戻せるのである。
そのために、最も簡単な方法が真言を唱えることである。
真言には、神の名、念仏、仏教の真言、般若心経の呪文、あるいは、上の「我々は神を信じる」という言葉や、威力が証明された言葉「神様の奇跡が起こる」など、無限にある。
上に述べた、イエスが教えた「神」、あるいは、F.L.ロースンが生涯使った「神の他に何もない」も、偉大な真言である。

自分に合うものを選び取り、唱えれば良い。
私は、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を愛用し、それほど唱えたとは言えないが、それによって、常に良い想いをしてきた。最近では、また、念仏に親しむようになっている。
観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」あるいは「観世音菩薩」あるいは「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えるなら、『観音経』(『法華経』25章)を読むと良いかもしれない。








アルケミスト

錬金術というのは、鉄や鉛やアルミニウムといった普通の金属を金に変換するという魔法的化学のことで、古代から中世にかけて、そんなものがあると言われたが、自然科学の発達と共に否定されたと言われている。
錬金術師のことをアルケミストと言う。
(ちなみに、アルミニウムが1825年に発見され、1856年に工業精錬法が開発されるまでは、アルミニウムは金よりも高価だった)

ところが、錬金術は、物質的な金を作るのではなく、人間の自我を低俗なものから、神聖で高貴なものに変換する方法だという説があり、その意味の錬金術は現在も存在していると言われている。
変換された神聖な心が黄金に喩えられ、その変換手法を錬金術と呼ぶのである。
その黄金の心は、魔術的、あるいは、キリスト的な力を持つと言われる。

聖賢の教えによれば、人間は、自我を消し、無になれば・・・即ち、無我、忘我、没我になれば、不可能はなくなると言う。
また、自我が消えることが、解脱とか悟りだと考えられている。
しかし、実際には、悟りを開いた聖者であろうと、自我が無いようには見えない。
聖者も一般的な思考をするし、喜怒哀楽などの感情を示す。
怒りっぽい聖者すらいる。
つまり、悟りを開いても、自我が消滅するわけではない。
そうではなく、聖者の自我は、普通の人間のものとは違う、特別なものになっているのだ。
その特別な自我が持つ力によって、聖者は、その気になれば奇跡も起こせるのだが、そんな特別な自我を作る方法が正しい錬金術である。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』にも、そのようなことが書かれているが、錬金術で自我を高貴なものに変換するためには、特に修行が必要なわけではない。
つまり、錬金術には、特別な道具や薬品や、あるいは、儀式が必要なわけでは全くないのだ。
では、どうすれば良いのかというと、単に「私は神である」と宣言すれば良い。
ただし、何度も呪文のように、「私は神である」と繰り返す必要はないし、むしろ、繰り返してはならない。
ただ、「私は神である」と感じれば良いのである。
だが、まずは頭の中で、静かに、ゆっくり、丁寧に「私は神である」と繰り返し唱え、神の感覚を掴めば良いと思う。
呼吸の助けを借りる方法も伝えられている。
やり方はこうで、呼吸に合わせて、心の中で次の言葉を唱える。

息を吐きながら、「私はこれではない」。
息を吸いながら、「私は誰か?」。
息を止め、「私は神である」(インドでは「私は彼である」と言うが、我々は「私は神である」で良いと思う)。

最終的には、神の感覚を自分で掴む必要があるが、ラマナ・マハルシも、この呼吸で超能力をもたらすと述べたようだ。








『ヒマラヤ聖者の生活探求』が実話と考えて問題ない理由

アメリカのベアード.T.スポールディング(1872~1853)の著作『ヒマラヤ聖者の生活探求』というロングセラーがある。
原題は、『LIFE AND TEACHING OF THE MASTERS OF THE FAR EAST(極東のマスターの生活と教え) 』で、第1巻は1924年の出版であるようだ。
私は、翻訳書(霞が関書房刊)全6巻を揃えているが、やや古い文体と言葉が使われ、若干読み難く、何度読んでも意味不明の箇所もある。
この本を完全なフィクションと考える人の多くは、そもそも読まないであろうが、面白いフィクションとして読む人もいるようだ。
本の中には、沢山の超人的太師(MASTER)達が登場する。
激しく流れる川の上を歩き、瞬間空間移動を行い、美味しいパンだけでなく調理された素晴らしい料理を思いのままに出現させ、実際に食べることが出来る。
人間の病気や怪我を瞬間に治せ、背骨を折る大けがをした子供を瞬時に健康体にし、盲目の人の目を完全に見えるようにするなどの奇跡は、福音書のイエス・キリストと同じである。
あばら家を快適な邸宅に即座に変えることも出来るし、金貨を出現させることも出来る。
老衰死した老人を青年の姿で復活させるが、太師達も、任意の年齢の姿に留まれるようだ。
最も多く登場する太師は50歳くらいの外見だが、実は、百歳をはるかに越えている。その太師の母親は天使と見まごう絶世の美少女であるが、女性の太師達は概ね若く美しい姿をしている。

著者のスポールディングは、これらの奇跡を確かに見たと述べるだけでなく、やがて、自分達アメリカ人の調査隊員達も、いくらかの奇跡を行えるようになったが、それが、催眠術による幻覚である可能性を否定はせず、実際はどうなのかは、読者に判断をまかせている。
だが、「催眠術である幻覚」である可能性を考慮するほど、全ての調査隊員達は一定レベル以上の科学的思考の訓練を受けていると述べ、スポールディング自身は原子物理学者であると言う。
調査隊員達は、太師達と過ごすうちに、太師達の姿こそ人間本来のものであると考えるようになり、一部の者は、太師達と同じになるまでアメリカに帰国せず、太師達のところに留まったと言う。

では、どのようにすれば、太師達のようになれるのだろうか?
当然ながら、厳しい、あるいは、秘伝として伝えられる特別な修行をしなければならないのだろうか?
だが、太師達は、修行など一切不要だと言う。
太師達が、川の上を歩くのを調査隊員達に初めて見せた際にも、調査隊員達に「あなた方にも出来ますよ。一緒にどうですか?」と誘っている(調査隊員達は断った)。

太師達のような奇跡は可能であるかというと、そう馬鹿げた話ではないと思う。
古代から、特にインドでは、世界は幻想である・・・つまり、夢のようなものであるという考え方があったが、そういった考え方は、『荘子』を見れば分かるように中国にもあるし、おそらく、かなり多くの国や場所でそう考える人達がいたと思われる。
解剖学者の養老孟司氏の『唯脳論』を見れば分かる通り、人間にとって、世界は脳の中のイメージに過ぎないことが確かであることを考えれば、それ(世界は幻想である)はむしろ自然なことかもしれない。

そして、コンピューターの発達により、世界が、コンピューターが作った仮想世界(バーチャル・リアリティ)であるという、「シミュレーション仮説」が提唱され、よく知られている話では、世界一の富豪である事業家イーロン・マスクが、この世界が仮想世界「ではない」可能性は、ほぼ全くないと発言しているが、そう考える知識人は他にもいる。
簡単に言えば、この世界は、映画『マトリックス』やSF小説・アニメの『ソードアート・オンライン』のバーチャル世界であるということだ。
世界を作っているのがコンピューターであるかどうかはともかく、マイケル・タルボットは、この世界はホログラムであることを『投影された宇宙』の中で詳細に説明している。

この世界が仮想の世界・・・もっと簡単な言い方をすれば「作り物」の世界であることを信じるかどうかは、上に挙げたような論理や根拠と共に、個人的体験も大きく影響するはずだ。
私などは、子供の時から、この世界の「綻び」を何度も見たが、おそらく、誰もが、気付かなかったか忘れているかもしれないが、(世界の綻びを)何度も見ているのだと思う。
そんな訳で、『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、全く事実と考えて差し支えないと同時に、全くのフィクションと考えても良いのだと思う。

尚、個人的には、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の全巻を読むのが大変な場合、秘法満載の第5巻だけ読むのもありと思う。それで興味を持てば、1巻から読めば良いと思う。








一瞬で覚醒した50代後半の駄目男

『私はできる』というタイトルの本がある。
原題は『I Can the Key to Life's Golden Secrets』で、日本語では、「私はできる~人生の黄金の秘密を開ける鍵~」といった感じだろうか?
自己啓発分野で世界的に有名な心理学者ベン・スイートランドが書いた大ベストセラーで、1960年頃の本だが、今でもロングセラーを続けている。
ところで、私は、この本の「まえがき」を読んで、これだけで良いのではと思ってしまった。
「まえがき」は、Amazonサイトで「試し読み」で全文読めるし、KIndle版のサンプルの中にも全部入っている。

教育家で「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、小学4年生の時、学校でルソーの『エミール』を読んだことで人生の志を立てたと言う。
ところが、虎二郎が読んだのは、『エミール』の前書き(序)だけだったのだ。
こちらは、Amazonサイトでは岩波書店版の『エミール』の「試し読み」では、「解説」の部分が書かれていて、残念ながら「序」は読めない。
だが、ちゃんと買って「序」を読んでみたら、確かに素晴らしい。
調べたら、エミールは、元々は、「序」の部分だけ書く気だったらしい。

ベン・スイートランドは『私はできる』の「まえがき」だけを書く気だった訳ではないだろうが、私は「まえがき」だけで満足してしまった。
それはだいたい、こんな感じの内容である。
ベン・スイートランドの自己開発セミナーに毎週やって来る、50代後半の駄目男がいた。
会社をクビになり、無職で、奥さんに養われていた。
この駄目男は、セミナーの成果は全く出なかった。
ところがある日、セミナー教室の窓から見えるネオンサインの広告を見て、この駄目男は覚醒した。
そのネオンサインの広告の中に、AMERICAN(アメリカ人。アメリカの)という文字があったのだが、前半の「AMER」が建物で隠れていて、この駄目男には見えなかった。
つまり、この駄目男に見えていたのは「ICAN」で、スペースを1つ入れれば「I CAN(私はできる)」だ。
「I CAN(私はできる)」という文字を見て、この駄目男は駄目でなくなったのである。
自分はこれまで「私はできない」と考えていたが、「私はできる」と考えれば良いのである。
それが求めてやまなかった答だったのだ。
我々も同じである。
ある一定レベル以上のことは、「私にはできない」と考えるよう洗脳されていたのだ。
それを、「私はできる」に変えればいいだけだ。

それにはどうすれば良いか?
『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻に答がある。
著者のスポールディングは、4歳の時、大学予備校に連れて行かれ、教師に文字を見せられ「どう思う?」と聞かれた。
スポールディングが「分からない」と答えたら、教師は、「自分にはちゃんと分かっているという態度でいなさい」と言った。
おかげで、スポールディングは何でも分かるようになり、14歳で名門大学を卒業し、科学者にもなれた。

「態度は事実より重要」である。
「私はできる」という態度を取れば良い。
あるいは、口ぐせが人を作るのだから、「私はできる」を口ぐせにすれば良い。
両方やればさらに良いだろう。








シンプルな万能アファーメーション

今回は、シンプルなアファーメーション(肯定的断言)、あるいは、口ぐせにすると良い言葉を、とてもシンプルな理屈から選択しよう。
「私は〇〇である」形式のやり方になる。
人間にはいろんなタイプがあり、「富」「成功」などの単語を唱える「単語法」が特に向いている人もいれば、長い祈りが向いている人だっている。
その中で、普遍的に効果があるのが、「単語法」と共に、この「私は〇〇である」というものだ。
と言うのは、人間の魂は、「私は」の後に続けた言葉に宇宙的な力を与えるからで、これを良い方向で使えば素晴らしいことであるが、悪い方向に使えばとても不幸なことなのである。
しかし、普段から悪い使い方をして、常に負の効果をもたらし続けている人は多いのである。
しかも、子供の時に、悪い方向に使うよう教育されてしまった人も少なくはなく、その悪影響は深刻だ。
そういったことを矯正する意味でも、「私は〇〇である」を正しく使う方法を知っておくと良い。

人間にとって最も良いことは何だろう?
それは若いということではないかと思う。
若さは無条件で良いことだ。
そして、人間の年齢は心が決めるのである。
ところが、多くの人が25歳になったら、もう自分は若くないと思っているが、それだと実際に老人的になり、自分の可能性を閉ざすことになる。
一方、ラルフ・ウォルドー・トラインの世界的ロングセラー『人生の扉をひらく「万能の鍵」』にもあるように、自分は若いと思っていれば、80歳を超えているのに25歳以上に見えない女性がいる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、数百歳でありながら少女にしか見えない女性もいるが、ひょっとしたら、それが特殊なのではなく、普通なのかもしれない。
若くあるための、口ぐせ、あるいは、アファーメーションは、
「私は若い」
と単純である。
単語法なら、「生命」「青春」「若さ」などになる。

次に良いのは、経済的に余裕があることだ。
金持ちであればさらに良いはずである。
これも、アファーメーション(あるいは口ぐせ)は、「私は豊かだ」というシンプルなもので良いだろう。
単語法では、「富」「豊かさ」「余剰」「豊富」「富裕」などだ。

そして、良ければもう1つ、自分の個性であるとか、実際的スキルに関することも加えておくと良いと思う。
職業における技能に関して、誰にも負けないというのは良いことである。
画家や小説家であれば、「私は神の画家だ」や「私は神の小説家だ」というのが最上かもしれない。
ソクラテスが言う通り、本物の能力というものは、内なる神から出るものであるからだ。
あるいは普通に、「私は第一級のプログラマーだ」「私は一流のデザイナーだ」「私は天才的なミュージシャンだ」など、心が鼓舞される表現を選ぶと良いだろう。

特に、アファーメーションや口ぐせの言葉に迷っているなら、基本的で確実に効果のある、これらの言葉を試してみると良いと思う。
現状がどうであろうと、「私は豊かだ」「私は若い」と断言するべきである。
静かに、ゆっくり、丁寧に唱えれば、いつまでも心に抵抗は起こらない。
肯定的な言葉に逆らうのは自我であるが、自我は、冷静さ、穏やかさ、丁寧さの前にひれ伏すからである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード