ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヒマラヤ聖者の生活探求

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

あらゆる災禍から身を護る言葉

昨夜(2021/02/13)11時過ぎに東北地方で非常に大きな地震があり、宮城県、福島県では、震度6を記録した場所もあった。
自然災害や戦争の中で、我々は無力を思い知る。
しかし、必ずしもそうではないのではないか?

大地震で倒壊した家の隣の家で、食器の皿1枚も落ちなかったという話を聞いたことがある。
都市伝説的なものもあろうが、私の知人の知人の家の話・・・といったものも数件あったと思う。
私が交流があった著名な発明家で理学博士であった橋本健氏が薦めておられた宗教書『生命の実相』には、激しい戦場になった村でも、ガラス1枚割れずに無事であった家や、あるいは、戦闘地域を危なげなく通り抜けた人の話があるが、そんな家には『生命の実相』(あるいはその関係書)があったり、その人は、やはりそのような書を携帯していたという話であったと思う。
私は、神に守られているような人の話をよく読んり聞いたりした。
例えば、あくまで伝説であるが、織田信長は、銃弾が飛び交う戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠然と歩いたという話がある。彼の強運を示す話として創作されたものかもしれない。
ところが、合気道家の藤平光一氏の『氣の威力』では、太平洋戦争の時、23歳で隊長を務めた藤平氏は、部下を安心させるために、自分も同じようなことをやって見せたそうである。
藤平氏の場合は、彼から「氣が出ていた」から、そのようであったのだろう。

ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』には、第二次世界大戦で5年間戦って1人の戦死者も出さなかった指揮官の話があるが、その指揮官は、部下全員に、聖書の詩編91を暗記させ、度々唱えさせたのである。
それと出所が同じ人物である話が、『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻にある。
F.L.ロースンなる人物(イギリスの技術者)は、第一次世界大戦で百名を率いて参戦したが、やはり1人の負傷者も出さなかった。
また、ロースンは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者であるベアード.T.スポールディングが訪ねて行った際、男が岩で生き埋めになったかに見えた事故を前に、ある言葉を唱えると、その被害にあった男は全くの無傷であった。
その言葉は、
「神の他には何もない、只神あるのみ」
である。
原書では、
「There is nothing but God」
であった。
おそらく、上の「只神あるのみ」は、訳者が、読者が分かり易いように付けたもので、「神の他には何もない」のみでも良いと思う。
戦場でも、この言葉の力が、彼や彼の部下を守ったのだと思う。
さっきのジョセフ・マーフィーの本の話は、ロースンの著作からの引用である。
また、マーフィーは別の本で、ある刑事が、「私は神の鎧に守られている」と常に思うことで、何度も、ある時は至近距離から狙撃されたに関わらず、怪我1つしなかったという話がある。

やはり、アファーメーション(肯定的確言)のような言葉が、自然災害、戦争を含む、あらゆる危害から身を護るのであると思う。
最近、このブログで、ずっと、アファーメーションをお薦めしているが、昨夜の地震により、ますます、そうしたいと思ったのである。
地震などの天災、事故、戦争、あるいは、ウイルスの災禍からも、あなたを護ると思うのだ。
これは、科学でもあると私は思う。
私は、「わたしはXXXXである」というアファーメーションと共に、私が好きな言葉である「神様の奇跡が起こる」も唱えるが、神的な保護を求める言葉を持つのも良いと思う。
あるいは、上の万能の言葉「神の他には何もない」を唱えたり、聖書が好きであれば、詩編91を読んだり、唱えるのも良いと思う。








厳選引き寄せ書の紹介(3/6)『ヒマラヤ聖者の生活探求 ~第5巻 久遠の生命~』【Kayはマジカルミライ遠征中】

私は現在、初音ミクさんのライブコンサート&企画展「マジカルミライ2020」のため、千葉県に居る。
その間である、18、19、20日は、とっておきの引き寄せ書をご紹介する。お役に立てれば幸いと思う。

マジカルミライ中も、こちらでつぶやくと思う:◆KayのTwitter Home

3回目は、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第5巻である、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻 久遠の生命』を取り上げる。





『ヒマラヤ聖者の生活探求』シリーズ全5巻の、1~3巻は、著者ベアード.T.スポールディングらアメリカの調査隊の記録だが、4巻、5巻は特別な内容だ。
簡単に言えば、

◆4巻『奇跡の原理』
高度な理論書。
◆5巻『久遠の生命』
ノウハウ、コーチングで、神の力を誰でも簡単に使える方法が書かれている。

となると思う。もちろん、「簡単に言えば」であり、実際には多岐に渡る。
4巻『奇跡の原理』は、やや高度過ぎ、なかなか手に負えないかもしれない。
しかし、5巻『久遠の生命』は、すぐにでも役に立ち、しかも、秘法が満載の、軽い言い方で恐縮だが、真のお宝本、有難い書と私は思う。
よって、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の他の巻を読む機会がない場合でも、第5巻を単独で読んでも良いのではないかと思う。
もちろん、1~3巻を読むと、より深く納得出来、効果も上がるのではと思う。
尚、『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、全体的に、格調高い文語調で、慣れないとやや読み難いかもしれないが、それほど徹底した文語体ではないので、内容が分からないというほどでもないと思う。

世界をあっさり作り変える方法

目の前の現実は、一瞬、一瞬で作られている。
そして、その世界を作っているのは自分だ。
それなら、現実を一瞬で変えられるだろうか?
例えば、自分が94kgで太っているとして、一瞬で、60kgのすらりとした身体に変えられるだろうか?
私は、それを1年かけてやったが、一瞬では無理なのかというと、原理的には可能だ。

世界とは何か?
少し古いが、フィルム映画で説明しよう。
と言うのは、これが一番、単純で解り易いし、近代の聖者達も、フィルム映画で説明していることが多いので参考になるからだ。
簡単に言えば、世界とは、魂という光源から発した光が、心のフィルムをスクリーンに投影した幻だ。
フィルムは潜在意識の中にある記憶で、スクリーンは、本当は脳の中にあるが、面倒なので、虚空にあるスクリーンと思ってもらえば良い。
だから、現実を変えたければ、潜在意識の中の記憶を変えれば良いのであるが、幼い頃は、それ(潜在意識の中の記憶)は柔軟に変わるが、歳を取るごとに固定化される傾向があり、変え難くなる。

潜在意識の中の記憶が変わり難い人のことを、「固定観念が強い人」と言うのである。
固定観念というのは、潜在意識の中の記憶の、変化し難い部分だ。
それは、長い時間をかけて刻み込まれてきたものなので、なかなか変わらないのである。
例えば、「学校の試験の成績が良い者は賢い」といった固定観念を持っている人は多いし、今は、そんな人は、その固定観念を生涯持ち続けることが多い。

潜在意識の中の記憶には、喩えて言えば、タガとかギプスのようなもので固定されたものがあり、これは極めて変化させ難い。
例えば、頭がツルツルに剥げているとか、自分は〇歳であるとかいったもので、これは、理由があってはめられたタガやギプスであり、なかなか壊せない。
だが、絶対に壊せないものでもない。
ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中には、いったん死んだ老人が、青年になって蘇るというシーンがあるが、それが、「普通は絶対的に壊せない固定観念を壊した」例で、それは、今のところ、特別な方法でのみ可能である。
まあ、ほとんどの人は、こんな話は、「あり得ないこと」という固定観念を持っているし、それはそれで悪い訳ではない。
しかし、いずれは、そんなものはなくなると思う。

可能な範囲で、潜在意識の中の記憶を変化させれば、ほとんど奇跡とも思えることが十分に出来る。
そのために必要なことは、明確な目標を持つことと、良い気分でいることだ。
目標は、イエスが言ったように、既に叶ったと思い、良い気分になれば、潜在意識の中の記憶は、望み通りに変化する。
いつも言って恐縮だが、『イット・ワークス』の方法でやるのが簡単である。








魔法手順大公開(質問大歓迎)

ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』には、100万ドル(約1憶円)を引き寄せるのも、1ドル(約百円)を引き寄せるのも、全く違いはないと述べられている。
また、斎藤一人さんも愛読していると言われる(実際、斎藤さんの著書の中に、極めて似た内容が書かれている部分があった)『マスターの教え』の中で、マスターが客船の最も豪華な部屋を使っている時、こんなことを言っている。
この船の船長は、船長という仕事に相応しいが、船主になるのは、とても無理と思っているかもしれない。しかし、船長と船主の違いは、呼び名の違いに過ぎないと言い、船長がその気になれば、簡単に船主にもなれる。
そして、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、チベット、インドで、超人的なマスター達としばらく一緒に過ごしたアメリカの調査隊の1人が、「マスターこそ、本来の人間の姿。人間が、地上を這う虫のようなものであってはならない」と言い、マスターと同じことをやろうと言い出す。そして、皆が、実際に、アメリカ等での常識では奇跡としか言えないことを楽々と行う。

これらは、私には非常に納得出来る。
なぜなら、私はある意味、100万ドルや客船を得る以上に難しいことを平然とやったことがあるからだ。それも、何度も。
その1つが、テレビ放送のコントロールだ。
最近、私はテレビドラマというものを全く見ないので、今、どんなものがあるのか分からないが、例えば、数年前に放送されたドラマのある回を、何度も見たいと思ったとする。
そんな場合、今なら、Amazonプライムビデオを探したり、DVD化されていないかお店に探しに行くのだろうが、私が子供の時は、そのようなものはなかった、あるいは、あっても、存在を知らなかった。
それで、どうしたのかというと、その見たいドラマの特定の回が放送されることを期待し、録画リモコンを握っていたのである。
「何、この阿呆」と思うだろうが、それで、いつも、さして待つことなく期待通りに放送され、楽々、録画したのだった。
その時のやり方を再現出来れば、相当な奇跡現象を起こせるだろう。
で、どうやってやったかというと、ただ強く期待しただけだった。
頭の中で、「放送されよ」と念じた訳でもない。
つまり、目標が分かっていたら、言葉など不要である。
例えば、好きな女の子がいて、「A子さんを彼女に出来ますように」とか、結婚したい男性がいて、「B男さんと結ばれますように」といった祈り言葉を使うというのとは違う。
別に言葉にしなくても、具体的な願いははっきりしている訳だから、「願う」「期待する」という精神行為をすれば良いのである。
受験に合格したい時も、「〇〇大学に合格出来ますように」「〇〇大学に絶対合格する」と言ったり思ったりは、ちょっとどうかと思うのだ。
と言うのは、言葉にすると、どこか思念にノイズが混ざるように感じるのだ。

非言語で願う・・・という感覚は、そんなに難しい訳ではないと思う。
例えば、私は、子供の時、向こうを向いている人を、声も音も出さずに振り向かせることが出来るのは、当たり前だと思っていた。
そして、それをする時も、決して、頭の中で「振り向け」と言うのではない。
ただ、振り向くことを期待するだけである。

しかし、どうしても、「非言語で願う」感覚が分からないなら、こうすれば良い。
願いがイタリア旅行とする。
それなら、まず一度、頭の中で(口に出したり、紙に書いたりしても良い)、「イタリア旅行に行く」と言い、その感覚を覚えるのだ。
覚えていないと思っても、もう願いは分かったし、実際はその感覚を覚えているので、それをただ、願えば(期待すれば、求めれば)良い。
その願いの想いを込めて、笑顔やガッツポーズをすれば良い。

分からないところがあれば、ご質問をどうぞ。
多分、個々に、あるいは、すぐには答えないが、よく考えて、改訂版を出そうと思う。
その意味、質問は歓迎する。








魔法少女の世界が当たり前になる

最近は子供向けアニメが少ない影響もあるが、魔法少女アニメというものを見なくなった。
まあ、1年ごとに新しいシリーズに変えながら驚異のロングランを続けるプリキュアや、現在も新作映画が作られるなど世界的に人気があるセーラームーンなども、一種の魔法少女ものと言えるが、それらは、『魔法使いサリー』のような昔の魔法少女のように、魔法を前面に押し出さず、どこか控えめな感じがある。

ところで、横山光輝さん原作の『魔法使いサリー』は、初期はモノクロで、そのオープニングは、こんなシーンから始まる。
10歳位の魔法少女のサリーが、古木の切り株に魔法をかけると、それがみるみる西洋風の屋敷になる。
昔の魔法少女ものでは、そんな場面が普通だった。
今の魔法少女は、そんな個人的な魔法は使わない。昔と違って、何でもある時代だ(笑)。
しかし、昔の魔法少女が使う「露骨な」魔法を見て、私は、子供の時から、強烈な違和感を持っていた。
いや、空想の魔法に対し、そんなに違和感を持っても仕方がない・・・で反論出来ることではない。
どういうことかというと、「それ(魔法)は出来るが、どうやってやるのか解らない。そのやり方は、なぜ隠されているのか?」という想いから来る違和感だった。
私の親が工務店の社長と親しく、私も、その社長に可愛がってもらっていたので、家を建てるということについては、普通の子供より知っていた。
家を建てるというのは、細かい堅実な工程を経てなされるもので、魔法少女の気合い一発でどうなるものではない。
魔法で作られた家だって、建った後では、普通に建築されたようになっているはずなのだ。
では、誰かが、あるいは、何かが、その家が出来るよう、取り計らったはずなのだ。

そのように、「家をにょきにょき生やす」ということについては、19世紀に、アメリカのベアード.T.スポールディングが探検隊の一員として、インド、チベット等を調査した記録である『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本にもある。
天使のような美少女に見えるが、実は数百歳という存在が、あばら家で生活する家族のために、立派な家を一瞬で「生やす」ことを行い、アメリカの探検隊員達を驚かせる。
著者のスポールディングは、「信じなくても良いが、厳然たる事実である」と言う。
これを読むと、多くの人は「アホらしい」と思うだろうし、私も半ばそう思っていたが、実は、可能と言えば可能だ。

なぜ、家を「生やす」ことが可能なのだろうか?
まず、夢の中で、そんなことが出来るかもしれないと言ったら、納得する人も多いだろう。
だが、この現実も夢と変わらない。
全ては作り物であるというのが、古代からの賢者達の見解で、現在でも、世界で最も明晰な頭脳を持つ人達にも、それに同意する者が増えてきた。
つまり、この世界は、VR(仮想現実)であり、超高度なコンピューターが作り出したシミュレーション世界なのである。
このような説を「シミュレーション仮説」と言い、そこでは、世界は「シミュレーテッド・リアリティ」であると言う。
火星移住に現実的に取り組み、大都市の地下に無限階層の高速道路を作ろうと計画し、電気を無料にし、電気自動車の会社では時価総額でトヨタを抜いた大事業家のイーロン・マスクが、この世界がシミュレーテッド・リアリティでない可能性はほぼ全くないと言ったことがよく知られているが、そう言うのは、別に、マスクだけではない。
シミュレーテッド・リアリティの世界では、理論的には、家を生やすことなど、全く実現可能である。
新旧の魔法少女の世界も、設定次第では、全く普通に出来る。
私は最近、アニメを見始めたばかりだが(14話まで見た)『サクラダリセット』も、当たり前に説明出来る。

そんなことを考えていたら、今朝、久々に、非常に鮮明な夢を見た。
上に述べたようなことを考えれば、あなたも鮮明な夢を見て、現実も夢と変わらないことが分かると思う。













当ブログ著者、KayのAI書。
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専門的な難しい言葉や理屈は不要です。
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。






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