ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ヒマラヤ聖者の生活探求

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

言葉の力は使う人次第

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の3巻だったと思うが(英語版では確かに3冊目だが)、イエス・キリストが福音書では言わなかった実践的なことを教えている。
「他は忘れて良い」と言うくらいであるから、最上の教えということになるはずだ。
それは、「神」という言葉をなるべく多く使えというものだ。
そして、ここが私は気に入ったのだが、聖書が最も価値がある書物である理由は、他のいかなる本より「神」という言葉が使われているからだと言う。
「神」という言葉には、それほど価値があるとイエスは言う。
「神」は、この本の英語版では、普通に(何が普通か分からないが)“God”だった。

ただ、翻訳では、イエスは、それを「公式」にしてはならないと言っている。
「公式」は、英語版では“formula”で、「決まり文句」だとか「常套手段」といった意味だと思う。
つまり、簡単に言えば、「神」という言葉を空虚に繰り返しては駄目だぞという意味だろうか?

『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者のベアード.T.スポールディングは、「神(God)」を唱えるのは、有声、無声どちらでも全く同じと述べているが、「何度も繰り返す必要はない。一度でよろしい」とも書いていたように思う。
これもまた、「公式(formula)」にするなという意味と思う。
ラマナ・マハルシの本にも、彼の「私は誰か?」という言葉に対し、マハルシは「呪文にしてはならない」と言っていたのだと書かれていたのも、やはり同じような意味なのだろう。

言霊とでも言おうか、最も力ある言葉・・・ある意味「呪文」は、「神」ということになる。
昔の日本で使われていた「カム」や、アイヌでの「カムイ」でも、自分が馴染みのあるもので良いのではないかと思う(現代の日本人には圧倒的に「神」だろうが)。
ただ、「神」という言葉を、いい加減に軽く言ったり想ったりしてはならないとうことだ。
よく言われる言い方では、「心を込める」であるが、それを、普段から何をやるにも心が込もっていない者に言っても駄目である。
「心を込める」を「意識して」と言う人もいると思うが、私は、最も適切な言い方は「意思を込める」だと思っている。
そして、意思を強くするには、やはり修行が必要なのだ。
尊い本を読むことでも運動でも良いが、とにかく、意思を持ってやる・・・それは「丁寧に」「自主的に」といったことだ。
だが、現代人は「意思を込める」「丁寧にやる」「自主的にやる」ということが出来なくなっている。
自主的とは、たとえ周りがどうでも自分の意志でやるってことだし、責任を負うってことだ。
私は、私の職場のまるで駄目男君を興味深く見ていたことがあったが、彼の悲劇は、彼は何でも誰かの言いなりで、何でも他人に決めてもらい、自分で考えず、責任を持とうとせず、何でも言い訳する・・・つまり、自分の意志を放棄していることだと分かる。

そこで修行が必要になる。
どんなことでも良いから・・・多少シンドいと思うことでないと駄目だが、1年365日、1日も欠かさずを何年も続ければ、それなりの意思の力を持てる。
そんな者が「神」という言葉を使えば大きな力になるのだろう。

尚、『ヒマラヤ聖者の生活探求』は偽物だと言う者も多いと思う。
偽物だから良いのである。
あれほど本物っぽい偽物の値打ちは安くない。
そもそも、本物なんてどこにあるのか知らないが、きっと安っぽくて出せないのだろう。
私は、『ホツマツタヱ』だって偽物なら良いなと思うほどなのである。
『偽物語』(西尾維新)の貝木泥舟(かいき でいしゅう)の受け売りだが(受け売りでないって言えよ)、「本物であろうという意思のある偽物」は本物をはるかに超える。
『古事記』も『バガヴァッド・ギーター』も、「神」という言葉が沢山出てくる「本物」である。
だが、現代語や日本語にする過程ですっかり偽物になっているから良いのである。
どの翻訳者も本物にしようとしていたのだから、本物以上である。









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教育と修行の根本原理

呪文、マントラ、念仏、坐禅、静坐・・・これらは、同じことをやっているのだと思う。
それは、「注意を引き戻す」ことだ。
他にも、自分の思考に注意したり、自分が存在していることを意識するという方法もあるが、それらもやはり、「注意を引き戻す」訓練なのである。

元Googleの技術者であったチャディー・メン・タンは、SIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)という、マインドフルネスの訓練でEQ(心の知能指数)を高める技法を開発したが、その実習の中にも、自分の呼吸を意識するというものがある。
自分の呼吸を意識するというのは、古くから、様々な修行や心の訓練で採用されているが、その意義について、タンは、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』の中で、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズの最適な言葉を引用している。

そして、さまよう注意を自発的に繰り返し引き戻す能力は、分別や人格、意思の根源にほかならない。それなしでは、いかなる者も自分の主とは言えない。この能力を育む教育は卓越した教育だろう。
『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(チャディー・メン・タン著。Kindle電子書籍の25%あたり)
James,The Principles of Psychology(翻訳『心理学の根本問題』)より引用されている。

法然のように、いつでもどこでも、常に念仏を称えたり、黒住宗忠や岡田虎二郎のように常に腹に力を込めることも、これである。
ラマナ・マハルシは、常に自分に対し「私」と呼びかけよと、また、ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと教えた。
どれも良い教えだが、その原理を、ウィリアム・ジェイムズやチャディー・メン・タンがやっと示してくれたのだと思う。
そして、原理さえ分かれば、やり方は自分で自由に選べる。
どんな方法が良いかは、人それぞれだ。
子供の時に、念仏や、何かの真言に馴染んだ者には、念仏や、その真言がやり易い可能性が高い。
どれが良いか分からないなら、自分の呼吸を意識する方法が最良と思う。
呼吸をコントロールするのではない。ただ、呼吸を観察するのだ。冷徹な科学者のようにね。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か?(私とは何か?)」という問いを、呪文にしてはならないと言ったらしいが、真面目に丁寧にやるなら、呪文のようにやって良いと思うし、マハルシ自身が、常にそう問えと言っているのであるから、やはりそうであるはずだ。
ベアード.T.スポールディングは、「神」という言葉を口や心で称えることが最上だと述べているが、やはり、これを呪文にしてはならないとも言っている。しかし、やはり、真摯に行う限り、常に行うのが良いと私は思う。









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本当の目標

私だけではないと思うが・・・という話から始める。
小学校低学年の時、「大人になったらなりたいもの」、つまり、「将来の夢」とかいうのを授業中に発表させられたり、作文に書かされると、子供達は、野球選手だの、歌手だの、デザイナーだの、保母さんだのと言ったり書いたりする。
しかし、私には、何もなかった。
いや、教師というか、大人に納得してもらえるような「なりたいもの」がなかったというのかもしれなかった。
他の子が誰か、何かのアニメのヒーローでも挙げてくれれば同調したかもしれないが、真剣になりたいわけでもない。
サンタクロースを信じるような歳でもないからね。
それで、一番近いものとして、「魔法使い」とか書くのだが、それは、子供っぽく、幼い夢ということなのだろう。
いや、十分、子供で幼いのだが。
そして、小学校も高学年になると、そんな答では許してもらえない雰囲気になり、仕方なく、「医者」とか書いたりするのだが、そんなもの、ちっともなりたくない。別に、お医者さんごっこを本格的にやりたいということもなかったし(いや、あっただろうが)。

ところが、大人になってから、当時人気があった自己開発セミナーに行った時、やっぱり、「将来なりたいもの」を書かされた。
セミナーの受講生達は、起業家だの、日本一、あるいは、会社一のセールスマンだの、作家デビューだのと書くのだが、やっぱり、私には何もないのだ。
それで、やむなく「賢者」と書き、「どういう意味か?」と聞かれたら、「具体的にはキリストのような・・・」というのは、ちっとも具体的でないようだ。
だから仕方なく、事業家とか書き、具体的な業種まで捏造しなければならないので、セミナーはもうこりごりとなって、結果、実にラッキーだった。

つまり、私は、子供の時から現在に至るまで、世間的な目標なんてものを持ったことは一度もなかった。
いや、学校で、「小学6年での目標」だの「中学生になるにあたっての目標」だの、会社の中での「本年度の目標」だのも、全くなかったし、ない。
ところが、社長でもない限り、会社でも、「今月の目標」だの、「今年の目標」なんてものを書かされる。
好きな漫才師の大木こだまさんではないが、本当に、「往生しまっせ」だ。

キリストも、なかなか大変そうなので、自分がなろうとは思わない・・・まあ、なれるはずがないというのは置いておいてね。
もっと一般的な聖者というのも、嫌悪感を感じるほどの馬鹿にしか見えないので、ちっともなりたくない。
つまり、やっぱり、なりたいものは何もないのだ。
一応、コンピュータープログラマーというかシステムエンジニアと呼ばれるものになったが、別に、「プログラマーになるぞ」とか思ってなったわけではない。
いや、思ったかもしれないが、それは単に、「自分が出来る範囲で、他の仕事よりマシそうに思えた」というのと、後は、なりゆきだった。
ひょっとしたら、プロスポーツ選手や芸能人、あるいは、政治家なんかでも、案外、そんな人は多いのではないかと思う。
大俳優の丹波哲郎さんなんて、「楽な仕事はないかな?」「そりゃ、俳優くらいだろう」「じゃあ、俳優だ」から俳優になったらしいし、プロレスラーのジャイアント馬場さんは、プロ野球でクビになった時、「そういえば、力道山にプロレスラーにならないかと言われたことがあったな」と思い出して、プロレス入りしたといったものらしい。

魔法使いとか、キリストや仏陀でも良いのだと思う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』や、『マスターの教え』を読めば、実際のマスターの姿が分かるので、マスターになりたいと「具体的」に思える。
ちなみに、『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場する大師も、英語ではマスターだ。
それら全てまとめて、マスターと言える。
つまり、マスター像というのは、人それぞれだ。
なら、人間はマスターになれば良い。
ただ、世間では、それは黙っているように。
そして、しれっと、社長になるだの、売上○千万円達成だのと言っていれば良い。
そんな目標、気が向けば、ついでに達成すれば良いのである。









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大師(マスター)になるには

『ヒマラヤ聖者の生活探求』(Life and Teaching: Of the Masters of the Far East)という本があり、その中に、超人としか言えない大師達が登場する。
水の上を歩き、遠隔に瞬間移動し、美味しい料理を出現させ、人々のいかなる重い病気や怪我も治し、立派な家を想念で建ててしまう。
数百歳でも50歳くらいに見えたり、さらに、その母親は美しい少女にしか見えない。
そして、それほどの力を持ちながら、謙虚である・・・というより、私には、退屈しているように見えないところが良いと思う。
では、これらのお話が真実であるかというと、著者のベアード.T.スポールディングは読者の判断に任せると言うが、私なら判断しない・・・しようがない。

私はずっと前に、他にやることもないので、ヒマラヤの大師達のようになろうと思った。
スポールディングと共に、極東で大師達に会ったアメリカ人の中にも、大師達と同じになるまで帰国しない決心で、そこに残った人達もいたらしい。
だが、よくよく考えれば、どうすれば大師達のようになれるか、私は分かっていなかったのだ。
しかし、方法があるとすれば、真言を称えることだけだろう。
厳しい修行をしたり、瞑想に打ち込む人々・・・起きている時間の大半をそれに費やす人々もいるのだろうが、そんな者達ですら、普通の人間として普通に死んでいる。
では、我々など、同じ手段(修行、瞑想)では、もっとどうにもならないだろう。

念仏も真言と言って良いと思うが、常に念仏を唱えていた法然は、当時としては異例の80歳まで生きた。
しかも、死の2日前に、『一枚起請文』という名文を書き上げている。
一休もそう言ったと思うが、私は、この短い文章こそ、仏教の書の中の最高位であると思っている。
そんな法然は、ただ死んでみせただけであろうし、法然に超人になる意図も必然もなかったのだろう。
彼は、『一枚起請文』を記して死ぬ必要があっただけだろう。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中でも、イエス・キリストが、「他は忘れても良い」と言った最上の行は、「神」という言葉を、出来るだけ多く使うことである。
イエスはそれを、「公式にしてはならない」と言ったが、「集中力の訓練のつもりなら良い」とも述べている。
それはよく解るのである。
「神」という言葉も1つのマントラであるが、日本語の「神」は特に良いのである。
マントラの1つの科学的な意味は、何度も述べているが、無駄な思考を止めることと、自分より高い存在に意識を向けることだ。
特に、普通の人は、高い存在を意識することに失敗するように思える。

1つの方法として、『法華経』の25章『観音経』を読み、観世音菩薩の力のイメージを掴んだら、「南無観世音菩薩」という言葉を真言にすることだ。
それを、1日中、1年中、常に続ければ良い。
あるいは、『選択本願念仏集』や『歎異抄』を読んで、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることだ。
実際は、念仏に転向していた一休は、80歳過ぎても元気で要職をこなし、エッチなことも盛んであったが、88歳で退屈したのかもしれない。当時としては驚異的とはいえ、やはり、その年で亡くなっている。まあ、やはり元気ではあったようだが。
だが、今は本人次第で、あらゆる制約を超えることが出来る時代だ。
サイコパスの私に善意などあるはずがないが、それでも大師方のようになれるか大実験である。
政木和三さんからは、生前、「君はそうなれる」と言われたこともある。
ただ、政木さんも、「もう十分」と言って死んでしまわれた。
立派な方々は生き急ぐのかもしれないし、普通の人々から離れないものである。









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聖書が最上の書である意外かもしれない理由

『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中にあった、聖書が最も重要な書であることの理由がとても良かった。
それは、聖書は、「神」という言葉が、最も多く書かれた本だからである。
それだけの理由で、聖書は他書より優れているというのは納得出来るのである。
それなら、「神」という字ばかりの本を作っても良いのかもしれないが、それでは人間の感情が納得しないので、適度なストーリーを付けたのだが、その内容は、何でも良いと言えばそうなのである。
同じ理由で、『ギリシャ神話』、『バガヴァッド・ギーター』、『古事記』なども、極めて価値高い本である。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』が、事実の話かどうかは分からないが、その指摘だけで、この本は優れた本と言える。
「神」という言葉自体に強い力がある。
クリシュナ、アメノミナカヌシカミ、南無阿弥陀仏といった、神仏の名を唱えること、あるいは、神仏のマントラを唱えることは、宗教的ではなく、科学的、論理的に言って、強大な効果がある。
だが、その最も純粋なやり方は、「神」と唱えることである。
神と仏に違いはあるのかもしれないが、その違いは、実際には、人間に分かることではない。
なら、全て、「神」という言葉で表し、これを唱えれば良いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、「エホバ」という、特定の神の名より、「神」という言葉の方が効果が高いと述べている。
ただ、本質的にはそうであろうが、唱える者の感情の問題もあり、個別の神の名の方が親しみがあれば、それを唱えれば良い。
私は、サティヤ・サイババという人は少しも聖者だとは思っていないが、この点については、生前、ぶれずに正しいことを教えていたと思う。
サイババは、どの神の名でも良いから、熱心に唱えろと教えていた。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナは、他の神を拝んでも、それは結局は私を拝んでいることになるのだと述べていた。
クリシュナが神の中の神であるのなら、ただ「神」と言っても良いのであるが、そこは、クリシュナへの愛着があるのなら、クリシュナの名を唱えれば良いのであり、多くのインドの人々がそうであるように、ラーマ神が好きならラーマと唱えれば良いのである。
しかし、本質で言えば、どの神仏の名にも違いはない。

神にキャラクターはないが、人間は神に対するイメージを持たざるをえない。
ユダヤ教徒やイスラム教徒に多く見られるように、神を、恐い罰する存在と思うのは悪い面がある。
そこで、イエスは、「父なる神」、あるいは単に「父」と言い、神は人間を、あたかも父親が息子や娘に対するように、温かく優しく気遣う存在であると言ったが、それが最善のイメージである。
法然や親鸞も、阿弥陀如来のイメージを最高のものにしたところが素晴らしい。
『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナは、恐ろしい面もあるのだが、本質は、やはり慈悲深く愛に満ちた神なのである。

個人的に、親しみ深い神仏があるなら、その名や、その神仏のマントラ(真言)を唱えれば良いし、ただ「神」という言葉を真言として唱えても良いのである。
そうすることで、あらゆる恵みを得られることは、これまで何度も書いたが、極めて科学的、論理的に正しいのである。









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