昨夜(2021/02/13)11時過ぎに東北地方で非常に大きな地震があり、宮城県、福島県では、震度6を記録した場所もあった。
自然災害や戦争の中で、我々は無力を思い知る。
しかし、必ずしもそうではないのではないか?
大地震で倒壊した家の隣の家で、食器の皿1枚も落ちなかったという話を聞いたことがある。
都市伝説的なものもあろうが、私の知人の知人の家の話・・・といったものも数件あったと思う。
私が交流があった著名な発明家で理学博士であった橋本健氏が薦めておられた宗教書『生命の実相』には、激しい戦場になった村でも、ガラス1枚割れずに無事であった家や、あるいは、戦闘地域を危なげなく通り抜けた人の話があるが、そんな家には『生命の実相』(あるいはその関係書)があったり、その人は、やはりそのような書を携帯していたという話であったと思う。
私は、神に守られているような人の話をよく読んり聞いたりした。
例えば、あくまで伝説であるが、織田信長は、銃弾が飛び交う戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠然と歩いたという話がある。彼の強運を示す話として創作されたものかもしれない。
ところが、合気道家の藤平光一氏の『氣の威力』では、太平洋戦争の時、23歳で隊長を務めた藤平氏は、部下を安心させるために、自分も同じようなことをやって見せたそうである。
藤平氏の場合は、彼から「氣が出ていた」から、そのようであったのだろう。
ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』には、第二次世界大戦で5年間戦って1人の戦死者も出さなかった指揮官の話があるが、その指揮官は、部下全員に、聖書の詩編91を暗記させ、度々唱えさせたのである。
それと出所が同じ人物である話が、『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻にある。
F.L.ロースンなる人物(イギリスの技術者)は、第一次世界大戦で百名を率いて参戦したが、やはり1人の負傷者も出さなかった。
また、ロースンは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者であるベアード.T.スポールディングが訪ねて行った際、男が岩で生き埋めになったかに見えた事故を前に、ある言葉を唱えると、その被害にあった男は全くの無傷であった。
その言葉は、
「神の他には何もない、只神あるのみ」
である。
原書では、
「There is nothing but God」
であった。
おそらく、上の「只神あるのみ」は、訳者が、読者が分かり易いように付けたもので、「神の他には何もない」のみでも良いと思う。
戦場でも、この言葉の力が、彼や彼の部下を守ったのだと思う。
さっきのジョセフ・マーフィーの本の話は、ロースンの著作からの引用である。
また、マーフィーは別の本で、ある刑事が、「私は神の鎧に守られている」と常に思うことで、何度も、ある時は至近距離から狙撃されたに関わらず、怪我1つしなかったという話がある。
やはり、アファーメーション(肯定的確言)のような言葉が、自然災害、戦争を含む、あらゆる危害から身を護るのであると思う。
最近、このブログで、ずっと、アファーメーションをお薦めしているが、昨夜の地震により、ますます、そうしたいと思ったのである。
地震などの天災、事故、戦争、あるいは、ウイルスの災禍からも、あなたを護ると思うのだ。
これは、科学でもあると私は思う。
私は、「わたしはXXXXである」というアファーメーションと共に、私が好きな言葉である「神様の奇跡が起こる」も唱えるが、神的な保護を求める言葉を持つのも良いと思う。
あるいは、上の万能の言葉「神の他には何もない」を唱えたり、聖書が好きであれば、詩編91を読んだり、唱えるのも良いと思う。
自然災害や戦争の中で、我々は無力を思い知る。
しかし、必ずしもそうではないのではないか?
大地震で倒壊した家の隣の家で、食器の皿1枚も落ちなかったという話を聞いたことがある。
都市伝説的なものもあろうが、私の知人の知人の家の話・・・といったものも数件あったと思う。
私が交流があった著名な発明家で理学博士であった橋本健氏が薦めておられた宗教書『生命の実相』には、激しい戦場になった村でも、ガラス1枚割れずに無事であった家や、あるいは、戦闘地域を危なげなく通り抜けた人の話があるが、そんな家には『生命の実相』(あるいはその関係書)があったり、その人は、やはりそのような書を携帯していたという話であったと思う。
私は、神に守られているような人の話をよく読んり聞いたりした。
例えば、あくまで伝説であるが、織田信長は、銃弾が飛び交う戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠然と歩いたという話がある。彼の強運を示す話として創作されたものかもしれない。
ところが、合気道家の藤平光一氏の『氣の威力』では、太平洋戦争の時、23歳で隊長を務めた藤平氏は、部下を安心させるために、自分も同じようなことをやって見せたそうである。
藤平氏の場合は、彼から「氣が出ていた」から、そのようであったのだろう。
ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』には、第二次世界大戦で5年間戦って1人の戦死者も出さなかった指揮官の話があるが、その指揮官は、部下全員に、聖書の詩編91を暗記させ、度々唱えさせたのである。
それと出所が同じ人物である話が、『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻にある。
F.L.ロースンなる人物(イギリスの技術者)は、第一次世界大戦で百名を率いて参戦したが、やはり1人の負傷者も出さなかった。
また、ロースンは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者であるベアード.T.スポールディングが訪ねて行った際、男が岩で生き埋めになったかに見えた事故を前に、ある言葉を唱えると、その被害にあった男は全くの無傷であった。
その言葉は、
「神の他には何もない、只神あるのみ」
である。
原書では、
「There is nothing but God」
であった。
おそらく、上の「只神あるのみ」は、訳者が、読者が分かり易いように付けたもので、「神の他には何もない」のみでも良いと思う。
戦場でも、この言葉の力が、彼や彼の部下を守ったのだと思う。
さっきのジョセフ・マーフィーの本の話は、ロースンの著作からの引用である。
また、マーフィーは別の本で、ある刑事が、「私は神の鎧に守られている」と常に思うことで、何度も、ある時は至近距離から狙撃されたに関わらず、怪我1つしなかったという話がある。
やはり、アファーメーション(肯定的確言)のような言葉が、自然災害、戦争を含む、あらゆる危害から身を護るのであると思う。
最近、このブログで、ずっと、アファーメーションをお薦めしているが、昨夜の地震により、ますます、そうしたいと思ったのである。
地震などの天災、事故、戦争、あるいは、ウイルスの災禍からも、あなたを護ると思うのだ。
これは、科学でもあると私は思う。
私は、「わたしはXXXXである」というアファーメーションと共に、私が好きな言葉である「神様の奇跡が起こる」も唱えるが、神的な保護を求める言葉を持つのも良いと思う。
あるいは、上の万能の言葉「神の他には何もない」を唱えたり、聖書が好きであれば、詩編91を読んだり、唱えるのも良いと思う。