ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ヒトラー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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モラルのない者に引き寄せは出来ない

昨日まで、私は、共産主義国家が民主主義国家を侵略する手口は、学校やマスメディアを支配し、共産主義思想を植え付けていくことだと理解していたが、元KGB(ソ連国家保安委員会)スパイのユーリ・ベズメノフのインタビューを聞いて、そうではないと分かった。
まあ、そういったこと(共産主義思想の植え付け)も一部あるのだとは思う。しかし、肝心なことは、やはり、学校やマスメディアを利用するのであるが、それで行うことは、「モラルの破壊」である。
なぜなら、モラルを持たない人間には正しい判断が出来なくなるからだ。
正しい判断が出来ない人間は弱いので、容易くコントロール出来るのである。

いや、別に、思想話をしたいのではない。
目的は、あくまで、弱い人間、駄目な人間、惨めな人間が力を得る鍵を解明することである。

現在の日本でも、多くの啓蒙家が、共産主義国家が、いかに、アメリカ、日本、その他の民主主義国家の学校やマスメディアを乗っ取り、共産主義思想を洗脳しているかという話をしている。
共産主義思想とは、自分の物・・・つまり、個人資産を持たず、皆で公平に共有し、全ての人が平等であることだ。
これ自体は、1つの理想だ。だが、なぜ共産主義国家が腐敗するのかというと、国民には平等を強い、優秀な者、やる気のある者でも、多くを持とうとするなと説くが、国民には内緒で、権力者は大きな資産を保有して贅沢三昧し、快楽を貪るからだ。
権力者がこれを実現するには、国民を「弱い馬鹿」にする必要があり、そのためには、モラルを破壊することが最も効果的なのである。

日本も、すでに、学校、マスメディアが乗っ取られ、共産主義国家の支配が進んでいる。
しかし、人々を見ても、特に共産主義思想は見られない。
だが、モラルは、もう悲惨なまでに破壊されていることが分かる。
それを具体的に書くと、あまりにもドロドロするし(書きたくない)、そもそも、モラルを持たず、正しい判断が出来ない者は、それを見ても反発するだけだろう。

私は、子供の時から、なぜ日本人はモラルが低くなり続けているのだろうと疑問を持つと共に、自分のモラルのなさに気付いて愕然としていた。
「いや、日本人のモラルの高さは海外で有名だ」と言う人もいるだろう。
例えば、災害が起こっても略奪が起こらず、ワールドカップサッカーでは、観戦後、会場のゴミ掃除をする。
もしかしたら、まだ、日本には、モラル的にマシな部分もあるのかもしれない。
だが、実際には、災害の際、悪いことをする者は、以前からいっぱいいて、しかも、どんどん増えているし、海外の重要文化残に落書きをする馬鹿もいた。
そして、何より、外国との比較はともかく、根本的なモラルを持たない者が多過ぎることは確かだ。

まあ、とにかく、他人のことはどうでも良い。
モラルがない者には、正しい判断が出来ないのは、モラルがなければ、本当の知性を得られないからだ。
いくら試験の成績が良く、数学や物理学が出来たり、討論が上手くても、モラルを持たなければ知性は低く、能力はない。
学歴は立派な馬鹿が多いことはご存じと思う。
例えば、昔、東大生に「頭が良いと思う人間を5人上げよ」というアンケートをしたら、アインシュタインやジョン・フォン・ノイマンらと共に自分を上げる馬鹿が大勢いたというから、そんな昔に既に、東大でも、知性の低下と、その元となるモラルの破壊は進んでいたのだろう。

ところで、モラルがないと、引き寄せも不可能なのである。
引き寄せは、詳細な説明は難しいが、宇宙の知性とも言うべきものにアクセスすることで発動する。
それには、ある程度の、学問などとは異なる純粋な知性が必要だが、モラルを持たない者には、それがない。
だから、まるでダメ男に引き寄せを教えてもうまくいかないことが納得出来るのである。

ヒトラーは、元々はモラルを持つ、知性の高い人間で、その部分を捉えて崇拝する実力者は案外に多いのである。
しかし、権力を得る中で、ヒトラーはモラルを失い、同時に知性を失くして、彼の判断は滅茶苦茶になり、多大な人間に被害を与えると共に、ナチスは滅びるべくして滅びた。
せっかく優秀だった彼を、おかしな方向に行かせたのも、つまるところ、モラルを失ったドイツの権力者達で、そんな者達こそ問題にされるべきなのである。

私には、はっきりとは分からないが、国の根本的な神話や聖典は、権力者に改ざんされている恐れもあるのではないかと思う。
しかし、民間伝承の童話や、報酬なしに書かれたおとぎ話的なものには、モラルが生きていると思うのである。








黒魔術的引き寄せに近寄らない

「悪が栄えたためしはない」とは言うが、悪がかなり長く栄えることもある。
ナチス・ドイツだって十数年は続いたし、大国のマフィア的なものとなると、完全に悪と言えるかどうかは分からないが、数百年以上続いているものもある。
ヒトラーは、彼が何と呼んでいたかは知らないが、やはり、引き寄せの高度なテクニックを用いていた。
だが、それは邪悪な手法、つまり、黒魔術だった。
黒魔術というのは、安易な方法で、確実に、心のエネルギーを起こして、それで世界を書き換える技術で、手段を選ばない。
最も邪悪なものであるが、「殺しの味は忘れられない」と言うように、生贄の儀式は、少し慣れると、大きな狂喜のエネルギーが確実に起こり、これを利用した引き寄せは、邪悪ながら強力である。
あるいは、黒魔術系と思われる宗教の秘術の中には、かなりどぎつい性的儀式があるのも、同じ理由(確実に心のエネルギーが湧き起こる)からである。
それ(黒魔術的性的儀式)には、若い美男や美女を使うが、高級なものになると、美少年や美少女を使う。
それは、単に、性的満足のためではなく、魔術の力を得るために行うのである。
もちろん、そのような、邪悪な道に入れば、心がどんどん闇に浸食され、たとえ形は人間の形態を留めていても、人間とは言えないし、いずれは、人間らしい姿を保てなくなる。

一方、正当な引き寄せは、全ての人間が行使する権利を持つ神の力を使うのであり、いくら使っても良いが、使うためには、ある程度の条件がある。
その条件とは、健全な方法で、心のエネルギーを取り出すための状態である。
それ(心のエネルギーを引き出す状態)は、子供なら普通そうであるという部分もあるが、強力なものでは、高い志を持った大人にしかない部分が多いのである。
その状態を言葉で言えば、「愛に満ちた状態」なのであるが、ほとんどが自己に向かう子供の愛より、他者に向かう大人の愛の方がずっと大きいのである。
だから、愛する者がいない大人は、あまり大した引き寄せが出来ないのである。
とはいえ、安楽に過ごす程度の引き寄せは出来るのであるが、それでは人生の満足は得られない。
それで、白魔術のグルの中には、「何でもいいから愛しなさい」と言う人もいる。
例えば、絵画や彫刻や音楽や武術や初音ミクさんなどである。
それらを、高貴に愛するべきである。

今の時代は、病気というのではなく、家庭や学校やマスコミによる(悪い)影響で発達障害を起こし、例えば10歳くらいの精神のまま大人になった者が多い。
そのような者は、本来、大きな引き寄せは出来ないのであるが、そんな者が間違って黒魔術に長けてしまうと、富豪や権力者になってしまうこともあるので恐ろしいのである。
おそらく、ヒトラーもそうだったのではないかと思うが、よく解らない。

黒魔術は、儀式的な手順が快楽的だし、確実に力を得られるので、安易にのめり込む者がいるが、それは悪魔の奴隷になるようなもので、惨めなんてものではない哀れな状態になるので、決して、その道に行ってはならない。
とはいえ、心の弱い者は、その魅力に抗えないので、出来るだけ心を鍛えておかないといけないし、子供の心が自然に強くなるようにしてあげないといけない。
白魔術の道を行くには、本当に美しいもの、高貴なもの、優れたものへの憧れや敬意を持つことだ。
邪なものへの傾倒は防がねばならない。薄汚い快楽に耽溺すると、たちまち悪魔が誘いをかけてくるだろう。
童話や神話は、普通は良い影響があるものだが、童話を邪悪に解釈したもの、あるいは、実際に邪悪な童話や神話にも注意しなければならない。
確かに、グリムには、多少なのであるが、黒が混じっているかもしれない。あくまで多少と思うが。
そういえば、フランスの天才画家ギュスターヴ・ドレは、グリムを知らないことはないと思うが、ペロー童話の方ばかり描いている。
元々、ドレは、聖書とダンテの『神曲(原題:神聖なる喜劇)』を描くために画家になったのであるが、この両者も、光の道が描かれている。
聖書や神曲を愛読する黒魔術師などいないものであるが、ペローやイソップの童話もそうである。

是非、白魔術的な引き寄せの力を得るように。
ラマナ・マハルシ等のインドの聖者には、「何でも出来るけど何もしない」透明魔術(無色透明魔術)の系統の人が多いが、これはこれで幸せなのである。








悪しき願望を持ってしまったら

引き寄せの法則で叶う願望の範囲はどこまでか?
限界は一切ないが、制限はあるのか?
分かり易い例で言えば、不倫の願望でも叶えて良いのか?
それはあくまで一例であるが、「不倫は文化」などという戯言を支持するかどうかは別として、社会学の1つの説では、法的な規制がない限り、不倫は止められないものであるらしい。
つまりが、元々、人間は一夫一婦制に適合するように出来ていないということだ。
しかし、法律的、道徳的、倫理的、あるいは、宗教的には、厳しく非難される。
ところが、おかしなことに、科学だけが、それに同調しない。
それがどういう意味かは、考えても仕方がない。
単に、そういうことに関しては、科学より、法律、道徳、倫理、宗教、さらに、伝統や慣習がはるかに重要視されるというだけのことだ。

同性愛に関しては、昔は激しく非難され、法律で禁じる場合すらあったが、今や文明国では、それを非難することの方が偏見と言われるまでになっている。
だがまあ、不倫までがそうなるのは(なるとしたらだが)相当先の話かもしれない。
とはいえ、イエス・キリストの時代では、不倫は死罪もあり得、マリア(イエスの母)だって、ヨセフの態度如何では処刑されたと考える学者も多いが、それに比べれば、今はだいぶ緩くなり、「不倫は文化」という発言が称賛されることすらあるという訳だ。
では、ロリコンは、どうかというと、世界で5000万部を売り上げた(世界歴代22位)『ロリータ』の中に、そういったことも肯定される場合があるという証拠が、おそらく、著者のウラジミール・ナボコフの研究から示されている。

2400年のロングセラー『荘子』には、「善悪は立場の問題でしかない」と言い、中島敦の『名人伝』(『列氏』の引用と思われる)では、悟りを開いた弓の名人は「私には善と悪の区別がつかない」と言う。
CLAMPの漫画『魔法騎士レイアース』の主題は、「この世に絶対的な正義、絶対的な悪は存在しない」らしく、1つの世界を、自分の感情に従って滅ぼそうとした神官ザガートも英雄と見なされるかもしれない。
私は、ザガートは嫌いではないが、「もっと考えろよ」とは言いたいと思う(笑)。

結論として、やはり、悪というものを定義することは難しい。
そんなことをするよりも、ヒトラーのような者が現れた時、その被害に遭わないよう、引き寄せの法則をマスターした方が良いのではないかと思う。
むろん、引き寄せの法則を受け入れることが出来ない者には、それは妄言である。
それはつまり、引き寄せの法則を認めない者が、悪という概念を作り出しているとも言えるのではないかと思うのである。

悪がないと言うなら、盗んでも構わないのかといった極端論が出されることがある。
それに対し、キリスト教では「与えたものが与えられる」とし、「盗めば盗まれる」と教え、道徳ではなく、法則として「損だよ」と教えたとも考えられる。
だが、むしろ、「盗めば盗まれる」のではなく、「盗む者は既に自分から盗んでいる」のであり、だから、物質的にも精神的にも貧しいのだ。
また、引き寄せの法則では、盗まれる者も、盗まれる状況を自分で引き寄せたのだとされる。
納得しない人が多いと思うが、私は、その通りだと思う。
あなたは、引き寄せをマスターする限り、ロリコンもヒトラーも、あなたに害を及ぼすことはない。

『幻魔大戦』で、高校3年生の東丈は、深い劣等感や虐げられ否定されてきた屈辱や恨みから、ヒトラーになることを夢見ていた。
また、現代日本で、自分はヒトラーの再来だと言う、出版や映画界の大物もいる。
ある意味、彼らは、そんな状況を引き寄せた。
だが、正義というよりは、彼らは、ヒトラーよりも宇宙の法則を理解していたので、ことさらに悲惨を引き寄せなかっただけなのかもしれない。
2人とも、どこか純粋なところがあったのだ。
いや、ヒトラーだって、根は純情な小心者である。それに、当時は、今とは比較にならない偏見や横暴がまかり通っていた(だからといって擁護される訳ではないが)。
むしろ、彼の欠陥は、引き寄せの法則を正しく理解していなかったことだろう。
ヒトラーになるとまでは言わなくても、悪と見なされる願望が強ければ、東丈を参考にしたりして、賢くなることだ。
実を言えば、そんなプロセスを通った人間でなければ、世界は救えないのである。








人間の値打ちとは意外なものである

昔、夏目志郎さんという世界的なセールスマンが著書で、「人間の値打ちは収入の高さ」と断言していた。
今、そんなことを有名人が言ったら炎上するし、昔でも反発を持たれ易い発言だろう。
しかし、私は、当時も今も、それはある程度正しいと思う。
例えば、学歴の高さは、かなり人間の価値として認められているが、それに比べれば、収入の高さの方が、はるかに正しい価値だと思うのである。
それよりも、「人に優しい」とか「正直である」といったことが人間の価値であるというなら賛同も得易いかもしれない。
しかし、普通の人において、そういったことで著しい差はないと思うし、そもそも、親切さや正直さの高さは判定し難いはずだ。
だが、あからさまに不親切だったり、嘘つきだったりでは、悪徳政治家のような自分に縁のない存在の場合は知らないが、高い収入は得られないだろう。
他にも、「美人美男である」「トークが面白い」なども人間の価値と感じるかもしれないが、さりとて、美人じゃないから、トークが下手だから価値がない人間ということにはならない。
そんなふうに、いろいろ考えれば、収入の高さが人間の値打ちというのは、それほどひどい意見とは思えないのだ。

ところで、ここが核心なのだが、収入の高さは何で決まるだろう。
それは「人気」であると断言出来る。
金銭的価値そのものが人気で決まるのだから。
例えば、ピカソやゴッホやセザンヌの作品は高価であるが、なぜ高価なのかというと、絶対に、人気があるからなのだ。
芸術においても、高い値のつくものほど、芸術的にも価値があるのである。
ピカソの絵はピカソ存命中から価値があった。なぜなら、ピカソが生きているうちに絵は高値で売れ、ピカソは金持ちだったからだ。
しかし、ゴッホの絵は、ゴッホが生きている間は1枚も売れず(1枚、予約はあった)、ゴッホの作品はゴッホ存命中は値打ちがなかったが、ゴッホが死んでから価値あるものになったのである。

天動説になぜ価値があるかというと、それが真理であるからではなく、やはり人気があるからなのだ。
ガリレイの時代、地動説に価値はなかったのだ。
「いや、ガリレイの時代だって、地動説に価値があったはず」とは、今だから言えるのである。なぜなら、今は、地動説の人気が高くて価値があるからだ。

人気があったヒトラーに価値があったとは思いたくないし、人道的にはヒトラーが正しくないのは明らかだが、やはり、人気があった時のヒトラーには価値があった。今はヒトラーに全く価値がないことは間違いないがね。
例えば、仮に、ヒトラーは実は素晴らしい人物だが、闇の勢力の宣伝で悪人にされているとしたらどうだろう。
もし、そんなことが本当だとしても、将来、ヒトラーに価値が出るかもしれないが、今は、全くないのである。

ただ、人気は取ろうとして取れるものではない。
普通は、多くの人を喜ばせることが出来れば人気者になる。
姑息なテクニックでは、一時的にいくらかの人達を喜ばせ、人気が出ることはあるかもしれないが、すぐに人気はなくなる。
そして、収入と人気は、少なくとも、正の相関関係はあると思う。
学歴や地位や美貌や家柄を鼻にかけるよりは、密かに、人気や収入を誇りに思うと良い。
ただし、密かにでなければ、人気を失い、実入りも少なくなるだろう。
だが、それよりも、大きな愛があれば、全てを得る。何も誇らなくてもね。
食欲や性欲や名誉欲の見返りなしに何かを大切にすれば、それが愛である。
それでうまくうだろう。絶対に。








成功者が大なり小なりヒトラー的である理由

今も学歴社会で、学歴がある方が圧倒的に有利だ。
だが、学歴だけでは駄目なことが、なぜはっきり言われないのか不思議だが、社会で上手くやっていくために絶対的に必要なものは、他人と仲良くやっていく能力である。
これが、ほとんど表立って言われない理由は、教育界や教育ビジネスのせいだろう。
受験産業は「まず受験」と言って儲けたいし、教育界は自分達の権威を守るためには、まず学歴の価値を第一に置く必要がある。
だが、よほどの天才でない限り、他人と仲良く出来ない者には暗い人生しか待っていない。
いや、天才であっても、人間界系を上手くこなせない者が何とかやっていけるのは、金持ちの親が元気な間だけである。
よって、天才であっても、親が金持ちでない場合、そして、親が金持ちでも、ごく若い頃を過ぎたら、もう終わりである。
一番惨めなのが、天才でない上に親が金持ちでない者だ。
そんな者は、最初から「人生、どん詰まり」である。
まして、歳を取ったら・・・

なぜ、他人と仲良くなれないのかというと、人間というのは、いかに能力のない愚かな者でも、自分が優秀で他人は無能に感じるからである。
ほんの少しでも優れた部分があれば、もう他人はみんな馬鹿に見え、そんな連中と対等に付き合うことに耐えられない。
そして、ほんの少しの優れた部分なら、誰でも持っているのである。
だから、謙虚になれば良いのだが、ほとんどの者は、謙虚になろうとすると卑屈になる。
さらに、自信も必要だが、自分を持とうとすると傲慢になる。
このように、人間というのは、とんだ欠陥品だが、それを分かった上で、子供を他人と上手くやれるよう育てることが出来る賢い親に恵まれた者だけが、社会で楽しくやっていけるのである。

一番悲しいのが、馬鹿な親に育てられ、大した能力もないのに自分を高く見、他人を低く見る傾向が極端な者で、今は、そんな者がかなり多い。
そんなことが、ひきこもりの大きな原因であり、はぐれ者として辛く惨めな人生を送る根本的な原因だ。

小学校で、他の子と仲良く遊べない子がいたら、教師は全力を上げて対策すべきなのであるが、そもそも、教師はそんなことをする訓練を受けていない。
学校の教師も塾の先生も、お勉強が出来ただけの者が多い。
教師は他の職種と比べ、人間関係が駄目でもやっていけるので、勉強がちょっと出来るが、自己中心的で他人とうまくやれない者ばかりがやっているのだから尚更だ。
本来、教師は、子供が最も距離を置かねばならない人間である。

他人とうまくやっていけない者がのし上がった典型がヒトラーである。
成功者は、大なり小なりヒトラー的であるというのが現実である。成功者は、実は人間関係が下手だ。
あまりお奨めする気もないが、ヒトラーに学ぶべきところは学ばないと、どん詰まりのまま、惨めになるしかない者が多い。
もう1つの方法は、全てを捨てて悟りを開くことだが、こちらは相当難しいかもしれない。
しかし、他に道はない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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