小中学生のなりたい職業ランキングの上位にYouTuberが入ってきたことは知られているが、そろそろそれも古くなるかもしれない。
今はまだ、1万人規模と言われるが、次はVTuberで、現在は、VTuberが「バーチャルYouTuber」を指すという認識があるが、もう、VTuberの活躍場所はYouTubeに限定されないばかりか、もっと適したプラットホームが沢山出てきた。
それで、「VTuber」がYouTubeとは何の関係もない言葉になり、「バーチャルライバー」という呼び名が格好良いので、こちらが使われるようになればと思う。
YouTubeがなくなることはまだないかもしれないが、曲がり角が来ているのは確かだ。
何事も、参加者が多く、お金になるとなると、いろんな問題が起こるし、それで消滅する時はあっとう間だ。今後は、YouTubeも改変や拡張が進み、他の仮想空間サービスと競っていく必要が出てくるし、すでに、そうなっている。

とりあえず、VTuberと呼ぶが、それは今後、増えてくるのだと思うが、これは20~30年前のBBS(電子掲示板)時代を彷彿させるものがある。
今のSNSは、ホスト(主催者)とゲスト(参加者)の区別が強いが、昔のBBSは、それが弱い場合が多かった(参加者全てが対等な立場にあった)。今の5ちゃんねる(2ちゃんねる)と同じで、5ちゃんねるは昔のBBS文化を継承してくれた。
SNSでは、ホストの役割が明確なので、Facebookのように実名でやらないまでも、実体とあまりにかけ離れた存在として振る舞うことは少ない。
しかし、BBSでは、おじさん、おばさんが若い女の子のなりすましたりは普通で、あまりに若い女の子役が上手くて、中身はおじさん、おばさんなのに、恋愛感情を持たれたりしてしまうこともあった。
VTuberでも、そのようなことは起こり得るかもしれないが、しかし、VTuberには個性というか感性が強く現れるので、そこで、若い女の子に見えるなら、リアル世界がどうであれ、ある意味、本物の若い女の子である。
『ソードアート・オンライン』の最初の話で、プレイヤー達は、仮想ゲーム空間の中ではアバターなのだが、ゲーム主催者は、プレイヤー達を実際の姿にしてしまう。
すると、あちこちで「お前、オッサンだったのか」などという声が上がる。
しかし、主人公のキリトも、後に彼の恋人になるアスナも、アバターとあまり変わらない。

「シンギュラリティ」の概念で知られるAI研究者で天才発明家のレイ・カーツワイルは、その有名な著書『シンギュラリティは近い』(2005)で、自分がバーチャル空間で若い女性になりきった体験を述べている(当時、カーツワイルは50代後半)。
カーツワイルは、現実の姿が実際に意味を持たなくなる可能性を指摘していたが、実際にその通りになりつつある。
また、現実においてすら、テクノロジーの進歩で、肉体や頭脳の拡張が進み、誰もが天才になり、永遠に若く、性別すら自由に選べるようになる。
カーツワイルは、未来学者の呼び名も定着しており、未来を正確に予測し続けたことでも知られている。
だが、いよいよ、魂の神秘に近付くにつれ、いかに天才のカーツワイルの予測も通用しなくなるのではないかと私は思う。
いつの時代も、老人はメンターとしては重要だが、第一線のプレイヤーとしては引退するものなのだ。

渋谷109の中のWEGO(ウィゴー。ファッションブランド)の店で、バーチャル店員が登場したが、これも、バーチャルプラットホームを運営するベンチャーHIKKY(ヒッキー)という、いかにもそれらしい名の企業が手がけたものだ。
これにより、ど田舎にいる人がWEGOの店で働いたり、入院したWEGOのお店の店員が症状によっては、継続して勤務出来る。
とはいえ、ファッション店では、リアルに身を包むための服を、やはり、リアルな人間が買いに来る。
もちろん、バーチャルな空間の服や、姿そのものを、バーチャルな空間で買うこともある。
だが、リアルはやはりなくならない。
私のように、毎日身体を鍛えてビルドアップする者も時代遅れでは無い。とはいえ、それも価値観の1つであり、押し付ける訳にはいかない。
それこそ、身体全体、機械化する未来が来るかもしれない。
しかし、テクノロジーがいかに進んでも、細胞1つ、電子1つにだって高度な知性があり、実際は、完全な機械化は不可能で、ある臨界点を超えると、人類は滅亡しかねない。
古く聞こえるかもしれないが、一番大切なものはあくまで真の心、あるいは、魂なのである。