ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

バンパイヤ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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ジョークが通じない相手

昨日、ツイッターの中で、だいたい、こんな感じの発言を見て胸が痛んだ。
「ジョークが通じないやつは始末に負えない。俺はそんなやつと友達になれない」
それで思い出したのが、以下のことだ。

手塚治虫の漫画には、よく、ロックという名の悪役が登場する。
それぞれの作品で、全く別人なのだが、名前だけでなく、容姿や性質は、全くと言って良いほど同じである。
つまり、ロックは、若く、超美男子(今流には超イケメン)で、超絶頭が良く、そして、極悪非道冷酷非情な大悪人で、今流行りの言葉で言えばサイコパスにも該当するだろう。
手塚治虫は、ロックというキャラクターに、何か深い思い入れがあるのだと思う。しかし、私は、手塚さんの自伝的著作を少しは読んだことがあるが、それ(手塚さんのロックへの想い)が何かは、まだ分からない。

手塚作品で、ロックという名の男が人間的感情を見せることはない。
ところが、私が知る範囲でだが、ただ1つの大きな例外がある。
つまり、ロックが全く普通の人間のような心を見せたことがあり、まるで、その作品に関して言えば、ロックは生まれつきのサイコパスではなく、大悪人になった理由があったと思えるのだ。
ただし、あくまで、その1つの作品に関してだけである。
その作品は『バンパイヤ』(連載:1966~1969)だ。
バンパイヤ村という、何かのきっかけで動物に変身してしまう人々が住む村があり、その村の15歳の少年であるトッペイ(月を見ると狼に変身する)がロックと出逢う。

※以下、『バンパイヤ』のネタバレを含む。
ロックは、生まれつき頭脳が超優秀だったこともあり、普通の子供とは違っていたのだろう。
それで、他の子供達からは異物として排除され、学校でも孤立し、友達がいないばかりか、頭は良くても肉体的には普通なので、いじめの標的にされていた。
そんな辛い日々を送っていたが、風介(ふうすけ)という名の、頭は悪いが純朴で、正義感と、そして身体が強い少年が、いじめっ子達からロックを守り、友達になってくれる。
時が流れ、生来の悪魔であったように、悪の限りをつくしていたロックだが、そこに、不意に風介が訪ねて来た。
風介との再会の瞬間、ロックは喜びに打ち震えるように相好を崩した。まるで、自分が悪党であることを忘れてしまったかのようだった。
だが、ロックに悪いことをやめさせ、まともな人間にしようとする風介は、ロックには邪魔だった。
ロックの投げたナイフが風介の胸を貫き、ロックが「悪く思わないでくれ」と言うと、風介は「悪くは思わないが、びっくりしたなあ」と言って息絶える。
最後まで風介は、心でもロックを裏切らなかった・・・つまり、ロックを信じていたのだ。
ううう・・・(筆者の泣き声。笑)

最初の「ジョークが通じないやつとは友達になれない」と言った者の話に戻る。
頭のレベルや趣味や主義などが違えば、ジョークは通じない。
ある者にはジョークであっても、別の者は、その発言で怒ったり、悲しんだり、時には深く傷つく。
世の中では、上流の人間がジョークで言ったことが、下流の人間には、とても笑えないことがあり、上流の人間である政治家や偉い先生などの有名人が、そんなジョークで糾弾されることがある。
すると、上流の人間が、自身の発言を「失言」として謝罪するが、彼は、本当は自分の発言がなぜ悪いのか理解していないことも多い。
本当にモラルに反しているなら、責められても仕方がないかもしれないが、発言した当人にしてみれば、配慮には欠けたかもしれないが、本当にただのジョークのつもりだった場合もあるだろう。
しかし、人間の種類が違えば、ジョークは通じない。
だが、偏見を捨てれば、分からないはずのジョークでも「笑ってあげられる」かもしれないし、ジョークが通じなくても、仲良くなれるかもしれない。
ロックや風介がジョークを言ったかどうかは分からないが、もし、言ったとしても、お互いにジョークが通じなかった可能性が高い。
それで、一時的に彼らの友情が崩れることもあるかもしれない。
しかし、友情であれ、愛情であれ、それが本物であれば、そんなことがあっても、むしろ、絆は強くなる。
いや、そんなことがなければならない。
異なる者同士が理解し合うことが本当の友情や愛情だ。
今の人類は、まだまだ、そのレベルに達しておらず、似た者同士でくっつきたがり、すぐに対立、異物の排除といったことが起こる。
だが、起こっても良い。限度をわきまえる知性や理性があればだが・・・
人間には、時にぶつかり合いも必要である・・・と、『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』で、タキシード仮面も言ってたなあ(笑。セーラームーンが、ウラヌス、ネプチューンと戦う時)。

◆KayのTwitterホーム








念仏はお金や切符のようなもの

念仏は、お金に似たところがある。
あるいは、株券、小切手、電車の切符のようでもある。
それは、どういう意味だろうか?

1966年から1969年にかけて漫画雑誌に連載された、手塚治虫さんの『バンパイヤ』という作品がある。
主人公のトッペイという15歳の少年は、とんでもない田舎村から東京に出てくる。トッペイは、なんと、お金というものを見たことがなかったのだ。
ロック(間久部緑郎)という美形の悪党は、トッペイに10円銅貨を見せ、こう言う。
「これが金(かね)だ。世の中は、これを沢山集めた者が勝ちなんだ」
トッペイは非常に困惑したような、恐れたような顔をする。

私は、1万円もする料理を食べたことは、記憶する限り無いのだが、1万円あれば、庶民感覚では、かなりのご馳走が食べられるだろう。
しかし、トッペイのように、お金というものを知らない者であれば、1万円の豪華な料理を見ると、1万円札という紙切れ1枚で、どうして、これほどのご馳走が食べられるのか全く理解できないだろう。
10万円の小切手であれば、これを10回、無条件で食べられるのだ。
また、新大阪-東京の新幹線の切符があれば、なぜか、新大阪から東京まで、誰にも文句を言われずに乗っていられる。

お札にしろ、小切手、切符、あるいは、株券にしろ、その紙の値打ちで、ご馳走が食べられたり、新幹線に乗れたりという、それぞれに対応した利益が得られるのではない。
そのお札の価値を政府が保証し、切符の価値をJRが決めて、やはり政府が法でそれを保障しているからだ。
トッペイのように、お金の価値が分からなくても、それは変わらない。
つまり、お金の価値を信じていようが、信じていまいが、お金は全く同じ力を発揮するのだ。
また、天才が使おうが馬鹿が使おうが、善人が使おうが悪人が使おうが、お金の価値に何の違いもない。

念仏も全く同じなのである。
善い人が「南無阿弥陀仏」と唱えても、極悪人が「南無阿弥陀仏」と唱えても、全く変わることなく、阿弥陀如来という仏(如来)は、念仏を唱えた者を救うのだ。
それが、阿弥陀如来の約束であり、如来が約束を破ることは絶対に無いからだ。
また、念仏を信じる者が唱えても、信じていない者が唱えても、効果は全く違わない。
念仏を唱える者であれば、誰でも、仏、菩薩、天の神、地の神、竜の王やその配下の竜達、そして魔王すら、護るのである。
それを、誰あろう阿弥陀如来が絶対的に保障しているのであるから、水が高いところから低いところに流れるがごとく、太陽が東から昇るがごとく、確実にそうなるのである。

引き寄せの法則や、潜在意識の活用による成功法則、あるいは、全ての自己啓発プログラムでは、信じなければ効果は無い。
しかし、念仏はそうではない。
善人でなければ救われない宗教もあるだろう。
しかし、念仏はそうでないばかりか、親鸞は、「善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずがない」とまで言ったのである。

だから、信じようが信じまいが、念仏を唱えるのが一番安全で、一番安心で、一番確実で、一番お得なのである。
我々は、1万円札を使うのに、その価値を信じてから使う必要はない。
1万円の値打ちは政府が保証しているから、それを出せば、嫌でも1万円の物やサービスが得られるのだ。
同じく、念仏の威力は、阿弥陀如来が絶対的に保障しているのであり、唱えれば、嫌でも救われるのである。









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弱者が強者に登りつめた時

弱くて、辛く苦しかった者が、強くなって、自分を虐げてきた者達に復讐を果たす物語は沢山ある。
今、引きこもったりして、辛い毎日を送っている者は、そのような姿に憧れるかもしれないし、また、そうあるべきと考える者もいるのではないかと思う。

手塚治虫さんの『バンパイヤ』という作品では、中学生の時、皆にいじめられていた間久部緑郎(まくべろくろう)という男が、強力無比な巨大犯罪者、通称「ロック」となり、自分を虐げた世界に復讐するかのように大きな悪事を繰り返し、その世界をも手にいれようとする。だが、ある時、ロックと同じ歳くらいの若い男が、ロックを訪ねてくる。どう見ても、ただの田舎者だが、彼の顔を見ると、冷酷無情のロックの顔が見る見る緩み、子供のようになる。しかし、その男は、有無を言わせず、ロックの顔面にパンチを叩き込み、さらに、容赦なくてロックを叩きのめす。彼は、社会的には下層の庶民だが、子供の時、いじめられていたロックをかばい、いじめっ子達をやっつけ、そして、ロックと一緒に遊んであげていたのだった。天才的頭脳の情け無用の極悪人ロックも、彼にだけは弱かったのだ。
世の中で、富と権力を傘にのさばっている者達だって、そんな存在の1人や2人はいるものだ。
結局、ロックは滅ぶことになる。

イタリアの大俳優だったジュリアーノ・ジェンマが主演したマカロニ・ウエスタン『怒りの荒野』では、父親の知れない娼婦の子であるスコットは、町の皆に虫けらのように扱われながら生きてきたが、流れ者の凄腕ガンマン、タルビーの子分になってのし上がり、遂に、タルビーと共に町を手中に収め、かつて自分を虐げた連中を震え上がらせる。
スコットにも、弱い相手がいた。親代わりに彼の面倒を見てくれたマーフという老人だった。ところが、今は小さな馬屋を営むマーフは、昔、遠い町で保安官をやっていた。その時、タルビーのことを知っていたのだ。マーフは、町の支配者となったタルビーを追い出し、スコットを救うために、保安官に復帰するが、タルビーに殺される。目が覚めたスコットはタルビーと決闘して見事、タルビーを倒すが、自分も銃を投げ捨てる。
スコットの場合は、破滅を免れた。

弱かった者が、復讐心を起こすと、とりあえず悪霊と言うが、そんな闇の力の援助を受け、急に力がつき、思いを果たしていって快楽に酔うことがよくある。
だが、悪霊としては、そうやって、心の弱い者をもてあそび、また、自分も偽りの力を楽しむのだが、最後には、その者を、悲惨な状態で捨てて喜ぶのである。
そうやって滅んだ、成り上がりの事業家、政治家、犯罪者は数知れない。ヒットラーなんてのも、そんな者だったのかもしれない。
『エメラルド・タブレット』にも、闇の力に対する警告は、何度もしつこく繰り返している。このような秘教の教えに熱心に取り組む者には、復讐心を持つ虐げられた人達は少なくないことを知っているのだろう。そして、それはそれで悪いことではない。人間は苦しい目に遭わなければ、強くなろうとは思わない。幼い頃から恵まれてきた人間というのは、意気地がないものだし、それはやはり正しいことではない。
しかし、いつまでも、復讐心や恨みの心を原動力にしていては、やがて、暗黒の力に絡め取られ、餓鬼、阿修羅の世界に入り、やがて地獄に落ちる。
そして、『エメラルド・タブレット』が、ただものが書いたものではないのは、この書では、悪の力を否定するのではなく、その中にも、透明な力があることを教えていることだ。

子供の女の子に人気がある、アニメのプリキュア・シリーズの最初の作品『ふたりはプリキュア』では、敵がどこか、見ている者に痛みを感じさせた。子どもには分からないだろうが、敵達は、心が弱いから悪になったことが、大人が見れば分かるのだ。ポイズニーという名の敵の女戦士は、「力のない正義は悪に劣るのよ」と言ったが、彼女は、悪とは、所詮、「劣る」存在であることを認めていた。きっと、彼女も、元々は弱い存在だったのだろう。強くなりたくて、心を悪魔に売ったが、どこかにまだ、純粋な魂が残っていたから、そんなことを言ったのだろう。しかし、手遅れだった。彼女は滅ぶしかなかった。
ピーサードという敵も、全くそうだった。彼は、心の純粋なプリキュア達を前に、なぜか卑怯な手を使わず、「全力でかかってこい」と言って、真正面から対決する。そして、破れたピーサードに、プリキュア達は哀れみを感じる。今は、ただの子供向けアニメになったが、実は素晴らしい作品だった。

現在、放送中の『灼眼のシャナ・ファイナル』で、かつては、シャナに石ころのように扱われた男子高校生、坂井悠二は、シャナ達の敵の首領にまでのし上がり、シャナの前に帰ってきて言う。「シャナ、僕は強く、強くなった!」と。そして、高邁を理想を語るが、シャナは同調しない。
私は、もう何年も前に、小説でその部分を読み、悠二が強くなったことは喜んでいたが、結局、彼も、どこか弱いのだろう。

『スター・ウォーズ』では、ジェダイになることを望む、ルーク・スカイウォーカーに、ヨーダは、フォース(力)の暗黒面に取り込まれないよう、強く戒めた。ルークの父、アナキン・スカイウォーカーは暗黒の力に負け、ダースベイダーとなった。それを止められなかったことを、ヨーダは悔やんでいたのだろう。

あなたも、秘教の教えを学べば、坂井悠二のように、アナキン・スカイウォーカーのように強くなれるだろう。
しかし、力の暗黒面に負ければ、黒悪魔の思うつぼである。
至高の力を目指すための教えと、暗黒力に対する警告は、下記にご紹介する書に詳しい。

















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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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