ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

バガヴァッド・ギーター

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

愛するとはどういうことか

イエス・キリストの教えは「神を愛せよ」だったのだと私は断言する。
旧約聖書では「神を崇めよ」だったのが、イエスは「愛せよ」に変えたのだ。
「崇める」ってのは、現代人には疲れるのだ。
人類最大の聖典『バガヴァッド・ギーター』の教えとは、至高神クリシュナの言葉「私を愛せよ」だ。
つまり、イエスの教えもクリシュなの教えも同じで、人間の最高の行為は、神を愛することである。

ただ、クリシュナとイエスは、そのやり方を示さなかったという、我々からすれば、大ボケをかましているように感じる。
「愛する」とはどういうことなのか?
それが分からないから、人間は苦労するのである。

「愛する」とはどういうことだろう?
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、そもそも、人間には愛することは出来ないと言った。
ただ、出来るのは、「憎しみを消す」ことだけなのだと。
イェイツは、オスカー・ワイルドやニーチェ同様、アンチ・キリストだったと思うが、彼らは、「愛し方」を教えなかったイエスに反感でも持ったのだろうか?

好きな人がいて、その人を愛するというのは、その人のことを想うことだ。

「あたしはシャオランのことをずっと考えているよ。シャオランはあたしのこと、考えることある?」
「考えてるよ。僕もずっとサクラ姫のこと」

CLAMP原作のアニメ『ツバサ・クロニクル』の第1話で、こんな感じの会話があったと思うが、これが愛するということなのだ。
でも、同じ人間を愛するのなら、これで良いが、愛する相手が神ともなると、どう想えば良いのか分からない。
『観無量寿経』という浄土仏教の経典には、阿弥陀如来や観世音菩薩、そして、勢至菩薩をイメージする方法が説かれている。
つまり、イメージすること、想うことが、愛することであるのは、サクラ姫やシャオランと同じだ。
だが、釈迦は最後の最後で言うのだ。
「想うとは、その名を覚えていることだ」
名は体を表すとか言うが、その名を覚えて、ずっと想うことで愛することが出来る。
そして、それそのことが念仏なのである。
アポローン神を愛するなら、ずっとアポローン神の名を想えば良い。
阿弥陀如来を愛するなら、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えれば良い。
そうすれば、自我は自分より高い存在があることを知り、自然に頭を垂れる。
すると、神仏の魂が我々の魂の中に流入し、我々の魂は神仏の魂の中に広がる。
一休が言った、念仏を称えれば、心そのものが仏になるというのは、こういう意味であると思う。









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聖書が最上の書である意外かもしれない理由

『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中にあった、聖書が最も重要な書であることの理由がとても良かった。
それは、聖書は、「神」という言葉が、最も多く書かれた本だからである。
それだけの理由で、聖書は他書より優れているというのは納得出来るのである。
それなら、「神」という字ばかりの本を作っても良いのかもしれないが、それでは人間の感情が納得しないので、適度なストーリーを付けたのだが、その内容は、何でも良いと言えばそうなのである。
同じ理由で、『ギリシャ神話』、『バガヴァッド・ギーター』、『古事記』なども、極めて価値高い本である。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』が、事実の話かどうかは分からないが、その指摘だけで、この本は優れた本と言える。
「神」という言葉自体に強い力がある。
クリシュナ、アメノミナカヌシカミ、南無阿弥陀仏といった、神仏の名を唱えること、あるいは、神仏のマントラを唱えることは、宗教的ではなく、科学的、論理的に言って、強大な効果がある。
だが、その最も純粋なやり方は、「神」と唱えることである。
神と仏に違いはあるのかもしれないが、その違いは、実際には、人間に分かることではない。
なら、全て、「神」という言葉で表し、これを唱えれば良いのである。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、「エホバ」という、特定の神の名より、「神」という言葉の方が効果が高いと述べている。
ただ、本質的にはそうであろうが、唱える者の感情の問題もあり、個別の神の名の方が親しみがあれば、それを唱えれば良い。
私は、サティヤ・サイババという人は少しも聖者だとは思っていないが、この点については、生前、ぶれずに正しいことを教えていたと思う。
サイババは、どの神の名でも良いから、熱心に唱えろと教えていた。
『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナは、他の神を拝んでも、それは結局は私を拝んでいることになるのだと述べていた。
クリシュナが神の中の神であるのなら、ただ「神」と言っても良いのであるが、そこは、クリシュナへの愛着があるのなら、クリシュナの名を唱えれば良いのであり、多くのインドの人々がそうであるように、ラーマ神が好きならラーマと唱えれば良いのである。
しかし、本質で言えば、どの神仏の名にも違いはない。

神にキャラクターはないが、人間は神に対するイメージを持たざるをえない。
ユダヤ教徒やイスラム教徒に多く見られるように、神を、恐い罰する存在と思うのは悪い面がある。
そこで、イエスは、「父なる神」、あるいは単に「父」と言い、神は人間を、あたかも父親が息子や娘に対するように、温かく優しく気遣う存在であると言ったが、それが最善のイメージである。
法然や親鸞も、阿弥陀如来のイメージを最高のものにしたところが素晴らしい。
『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナは、恐ろしい面もあるのだが、本質は、やはり慈悲深く愛に満ちた神なのである。

個人的に、親しみ深い神仏があるなら、その名や、その神仏のマントラ(真言)を唱えれば良いし、ただ「神」という言葉を真言として唱えても良いのである。
そうすることで、あらゆる恵みを得られることは、これまで何度も書いたが、極めて科学的、論理的に正しいのである。









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崖っぷちで持ちこたえるには

本当に苦しい時には、信仰というものを持っていた方がいいんだろうなあと思う。
かくいう私は、宗教の信仰は持っていない。
仏教も、キリスト教も、神道も、全く信用していない。
それぞれの中に、いくらか良いものがあるようには思っているし、仏典や聖書、古事記の中には、何か光るものがあるような気もするが、それだけのことだ。
どの宗教も、権威主義と形骸化で、全く駄目になっている。
ただ、『バガヴァッド・ギーター』は、完璧な真理であると思っているので、希望はある。

ところで、信仰とは、何か1つの貴いものを崇めることであり、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、クズのような26人の男達は、ちょっと可愛いだけの、ただの16歳の娘を女神のように崇め、ロオマン・ガリの『自由の大地』となると、堕落したフランス兵達は、空想の少女を崇めた。
それで、彼らは魂の中の神性を、いくらかでも取り戻した。
ただ、『二十六人の男と一人の少女』の方は、その16歳の娘ターニャが、女神でも何でもないことを思い知った男達は、もう駄目だろうと思う。
だから、正体がいつかはバレる現実の人間ではなく、空想の少女を崇める方が良いに違いない。

だが、一番肝心なことは、自分がどんな言葉を使うかだ。
心は支配できないが、言葉は間違いなく支配出来る。
悲しい時に「嬉しい」と言うことが出来るし、泣きたい時だって、「楽しい」と口で言ったり、心で思ったり出来るのだ。
弱音を吐いたら終わりである。
なぜなら、言葉が人間の最後の砦であり、そこが陥落すれば、戦う術は何もないからだ。
無理に感情など込めず、むしろ淡々と、全てがうまくいっている時の言葉を使うことだ。
後は天に任せるしかないが、言葉を守れなければ、そこで終わりである。
たとえば、「全てうまくいっている、ありがたい」と、言葉だけでいいので、口で言ったり、心で思わなければならない。









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内にある万能装置の使い方のヒント

今朝に続き、人間の内部に組み込まれた、他の動物のものに比べて圧倒的な性能を持つ、サイバネティックス装置(舵取り装置)についてお話する。
人間のものと比べると、ずっと劣る動物のサイバネティックス装置にしたって凄いものだ。
例えば鷹が、地上のどこに獲物がいるかなんてのは、いかに鷹の視力が良いといっても、目で探せるはずがなく、鷹の内部のサイバネティックス装置が、どこに餌があるか鷹に教えるのである。
鷹の視力が威力を発揮するのは、あくまで、その後だ。
これが人間ともなると、サイバネティックス装置を完全活用するなら、世界征服だって可能だ。

有名人には、サイバネティックス装置を効果的に活用した人が多いのは当然で、これを活用しない限り、成功しない。
UFO研究で有名なジャーナリストの矢追純一さんは、かなり高度に使っていたんだなあと思う。
Webのどこかで見たのだが、矢追さんは、若い時に、「自分は頭が悪いので、考えることを放棄した」と言っているらしい。
しかし、これは、最も頭の良い人のやり方だ。
ソクラテスが、本質的に、全く同じことを言っているはずだ。
矢追氏は、小我という小さな意識に舵取りをさせず、万能のサイバネティックス装置に舵取りの権限を与えたのだ。
それで、入れるはずのない日本テレビに、なりゆきでほとんど無試験で入り、そこでも、たちまち偉くなってしまった。
その後も、サイバネティックス装置は、矢追氏の願いに応えて働き、世界中の要人とも親しくなり、重要な情報がどんどん入ってくるようになったのだと思う。
矢追氏も人であるからには、時には、小我が出てきて舵取りをし、馬鹿なことを言ったり、やったりもしたかもしれないが、総合的には、特別としか言いようがない偉大な人生であると思う。
そもそも、普通、あれだけのことをやると、小我に操られたIQの低い人なら、もっと盛大に馬鹿をやり、駄目になってしまうものである。

野球の清原和博さんも、根本的には、かなりサイバネティックス装置を使えるのだと思う。
普通なら死んでいるような状況なのに、「野球の世界に戻りたい」「息子達に会いたい」という願いが、サイバネティックス装置を、良い方向に動かしたのだろう。
清原さんが逮捕されたことは、全然悪いことではなく、そのおかげで、万全の治療を受けられ、更生の道が開かれたのだ。
そして、これからも強い願いを持ち続け、小我を捨て、サイバネティックス装置に委ねれば、優れた指導者、そして、監督にだってなれるだろう。
大切なことは、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が言った通り、「私に全てをまかせた者を、私は見捨てない。だから、私に一切をまかせよ」の指示通りにやれるかだが、それは、分からない。

サイバネティックス装置の正体は分からないが、神との通信装置のようなものかもしれないし、神が持っているものより、やや小さな魔法装置かもしれない。
賢い人達は、神は人間を、自分より、やや劣ったものとして作ったとよく言うのである。
いずれにしろ、誰もが心臓の中に万能の世界制御装置を持っているのだから、強い願いで、その起動スイッチを押せば良い。
後は、飛行機に乗ったら、飛行機と機長にまかせてしまうように、サイバネティックス装置にまかせてしまうことだ。









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知力増強装置VS写経

電磁気を利用した機器が作られるようになってから、知力増強装置というものを多くの人が考え、いまなお考えられているのだと思う。

昔、『スタートレック』で、「盗まれたスポックの頭脳」というお話があり、拉致されたスポックの頭から脳が抜き取られてしまうのだが、カーク船長達は、何とか、スポックの身体と脳を奪還する。
しかし、地球の医学では、脳を元通りに頭の中に収めることは不可能だった。
ところが、宇宙人が作った頭脳増強装置があり、ドクター・マッコイは、危険を覚悟で、その装置で自分の頭脳を強化して、スポックを救おうとする。
その装置を自分の頭脳に対して使用した直後、マッコイは微笑みながら言う。
「(脳を元に戻すことなど)簡単だ。子供にだって出来る」
それを見た私は感動し、なんとか、その装置が欲しいと思ったものだ。

1956年のアメリカ映画『禁断の惑星』では、アルテア第4惑星のクレール人は、地球人類など足元にも及ばない超科学文明を築きながら、なぜか絶滅していた。
ところが、そのクレール人用の頭脳増強装置が残されていて、それを使ったモービアス博士は、言語学者でありながら、超高度なロボットであるロビィを製作した。

もう1つ上げると、L.ロン.ハバートのSF小説『バトル・フィールド・アース』を、ジョン・トラボルタが映画化した同名のSF映画は、サイクロ星人の侵略に対し、30世紀の地球の軍隊は9分も持たずに滅ぼされ、生き残った人類は旧石器時代に逆戻りする。
だが、ある人間が、サイクロ星人の学習装置を使って、自分や皆の能力を高め、サイクロ星人に逆襲して地球を取り戻す。

少し昔、政木和三さんが発明した、パラメモリー(後に、アルファシータ、バイオソニックと改名)という、記憶力増強装置があり、これを使って、記憶力だけでなく、知性を向上させたという話が沢山あった。
私が、親戚の、成績が下から2番という中学生に、この装置を与えたところ、この装置の威力かどうかはともかく、彼の成績は急上昇し、高校はずっと首席で通し、まずまずの大学にも入れた。何より、その若さで、驚くべき立派な人間性を持っていたが、それは即ち、IQが高いということである。
(何度か書いたが、普通には、人間性の問題は、人格や道徳の問題とされるが、実際にはIQの問題なのである。)
この装置の原理は、ヘミシンク効果によるバイノーラル・ビート現象と言って、右の耳と左の耳で、異なる周波数の音を聴くと、脳波は、その2つの音の周波数の差の周波数になる(10Hzと8Hzなら2Hz)というものである。
将棋棋士の羽生善治名人の対局中の脳波はシータ派になっているらしいが、脳波がアルファー派やシータ派になると、人間は不思議な、時に驚異的な能力を発揮することは、昔からよく知られている。
パラメモリーは、簡単に脳波をアルファー派やシータ派に出来る装置であるようだ。
もっとも、私が、直接、政木さんに、「使っても効果が感じられない」と言ったら、政木さんは、「この装置でうまくやってやろうという欲望があっては駄目です」と言われたのである。

今は、ヘミシンク音楽が沢山販売されていて、スマートフォンなどで手軽に使うことが出来る。
だが、私は、そんな型通りの方法で、知性が向上するなどとは思っていない。

知性を向上させるには、知性を向上させることが必要な、高貴な目的がなければならず、その目的のことを志と言うのであると思う。
そして、政木さんが私に言われたように、良い思いをするために知性を向上させたいなどというスケベ根性では駄目なのだと思う。

だが、高貴な志があれば、知性・・・つまるところ、IQを向上させることは出来ると思う。
そして、IQを高めるのに必要な心構えなら、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が詳しくアルジュナに語っていると思う。
また、無心に『バガヴァッド・ギーター』を繰り返し読めば、自然に賢くなるだろう。
もし、なかなかうまくいかないなら、声に出して読んだり、ペンやキーボードで書き写すと、さらに効果的だろう。
一流のプログラマー達がよく言うのだが、手本のプログラムを黙って書き写す(流行りのスラングで写経と言う)ことが、プログラミング言語を習得する最も効果的な方法であり、彼らですら、それを実際にやっているのである。
そういえば、私も、ちゃんとマスター出来たプログラミング言語は、例外なく写経で覚えた。
書き写すことには、何か恐るべき威力があるのだと思う。









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