ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ハワード・ヒューズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

成功者は無自覚に嘘をつくのでご注意を

ビジネスで大成功した者が、「こうすれば成功するのです」といった感じで、成功法則、成功哲学を本に書いたりしている。
何といっても成功の体現者であるし、これらの多くの本は「法則に則りさえすれば誰でも成功するのです」「努力なんて不要です」といったことが面白く書かれているので、非常によく売れる場合があり、何十万部というベストセラーもあるほどだ。

それらの本が役に立つかというと、絶対に役に立たない。実際、そんなものを読んで成功した人はいない。
一番問題な点は、書いている成功者は善意で書いていて、自分が嘘をついていることが分からないことだ。これほど始末の悪いことはない。
成功者が成功したのは、単に、それが運命だったというだけのことなのだ。
彼は、生まれる前からの成功者だった。それ以外、他の人との違いは全くない。成功に、原因も秘訣も何もない。成功する運命であれば成功は避けられないし、成功する運命でなければ、いかなる努力をしても決して成功しない。
そして、成功するかしないかなど、何の意味もない。
むしろ、成功して自我が強くなると、真の幸福である至福を逃す可能性が高くなるのであるから、成功というものは無い方が幸せなのである。
成功を選ぶことは出来ないが、至福への道なら選ぶことは出来るのだ。

ナポレオン・ヒルという人は、数多くの成功者にインタビューして、成功の要因を抽出し、成功プログラムを作った。
しかし、それを使って成功した人はない。当たり前のことだ。
成功者をいかに調べても何の意味もない。
ナポレオン・ヒルが調べるまでもなく、成功者の成功要因はただ1つだ。それは、彼は成功する運命だったということだ。他には何もない。
なるほど、成功者の多くは多大な努力をしているし、直感が冴えている。
しかし、それは、彼が多大な努力をし、素晴らしい直観を得る運命が与えられていたというだけのことである。

ラマナ・マハルシは言った。
「運命によらずして何も起こらない。働く運命に無ければ、いくら仕事を探しても、仕事は見つからないであろう。逆に、働く運命であれば、いかに嫌でも働くことは避けられない」
これが真実である。
成功して金持ちになる運命に定められていれば、いくら嫌でも、そうなることは避けられない。逆に、いかに成功を望み、金持ちになることを願っても、そうなる運命でなければ、何をしても成功し金持ちになることは絶対にない。

だが、ほぼ全ての金持ちは惨めで不幸だ。
富だって、いつまでも続く訳ではない。大半の金持ちが、短期間に富を失い、やがては借金まみれになっている。僅かな富豪は生涯富を保有するが、実は幸福でない。世界屈指の富豪ハワード・ヒューズも、何も食べられずベッドに寝たきりで、家族は離れ、友人もなく、執事だけに看取られて惨めに死んだ。
驚くべき成功を収め、「思い通りになるのが人生だ」と豪語して成功哲学を説き続けた牧師も、全く思い通りにならず、年をとって莫大な負債を抱え、家族に見捨てられて余生を送っていると聞くが、不思議なことではない。
一方、ふんどし1本以外、何も所有しなかったラマナ・マハルシは生涯を至福のうちに過ごした。
別に、貧しくなければならないと言うのではない。
金持ちになる運命であれば、金持ちになるしかない。
誰も、自分の意志で、金持ちになったり貧乏になったりは出来ない。
そんなことは神の決めることであり、我々には何のコントロールも出来ない。
金持ちか貧乏かは、何の関係もない。
確かに極端な貧乏の場合もそうかもしれないが、不要な富を持ってしまうと、幸福を逃し易いのである。
イエスが「5体満足で地獄に行くより、身体の一部を失って天国に行く方が良い」と言ったのは、「豊かで地獄の苦しみを味わうより、多少足りなくても、至福であることがどれだけ良いだろうか」という意味である。

我々は完全に無力であり、世界や人生に何の影響を与えることもできない。全ての出来事は、我々の意思と何の関係もなく起こる。
それを完全に無条件に受け入れ、荘子が言ったように、全てをなりゆきに任せることだ。
こう言うと、愚かな者は、「それなら、みんな投げやりになって、何もしなくなる」という誤解をする。
そんな馬鹿なことはない。
超人的な努力をする運命にあれば、そうするだろう。
怠惰を好む運命であれば、サミュエル・ベケットのように、ノーベル賞授賞式にも「面倒だから」という理由で、行かないだろう。
至福への第一段階は、運命を無条件に受け入れることだ。
そうすれば、自我は弱まり、欲望が少なくなって行き、妄想(空想と等しい)をしなくなる。それが至福への基本的条件となるのだ。









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人の一生の運のトータルは同じだ

ある日本人男性が、やや政治的に不安定な国で電車に乗っていた。彼はトイレに行くが、使用中だったので、別の車両のトイレに行った。その時、元いた車両が戦闘機に爆撃されて破壊された。そこのトイレが使用中でなければ、彼は死んでいたところだった。この出来事により、彼は、人生の全ては偶然なのだと悟った。
だが、彼がトイレに行きたくなったのも、自分のいた車両のトイレが使用中で、彼が他の車両に行かざるをえなくなったことも、そして、その後で、元居た車両が爆撃されたことも、全て、最初から決められていた神のシナリオである。
人の立場から見れば偶然であっても、深い見地から言えば全て必然である。

私は中学生の時、以前見た、あるテレビドラマのある回をどうしても、もう一度見るだけでなく、ビデオ録画したいと思った(ビデオの時代だった)。
それで何をしたかというと、ただ、ビデオ装置の録画リモコンを握り、その番組が放送されるのを待った。その番組が再放送されるという情報を調べもしなかったし、何のあてもなかった。
しかし、その番組はすぐに放送され、私は楽々と録画できた。そういうことは何度もあり、失敗した記憶はない。
1つの考え方として、私が予知能力を発揮し、その番組が放送されることが分かった時に、それを見て録画したいという衝動が起こったと言えるかもしれない。
だが、実際はこうだ。その番組が再放送されることや、私がそれを見たいと思うことも、そして、録画しようと考えることも、全て、あらかじめ決められた運命だったのだ。
逆に、こういうこともあった。
私は、あるテレビコマーシャルを気に入っていて、それを録画しようと思って、やはり、録画リモコンを持って待っていた。
よく放送されていたCMだし、こちらに関しては、普通に考えて、そのうち録画できるはずだった。
しかし、そのCMは、それ以降、一度も見ることはなかった。
私が録画リモコンを持って狙ったその時に、放送終了したかのように、世界から消えてしまったのだ。
そして、これもまた、神の決めたシナリオだったのだろう。

今はもうほとんどいないと思うが、少し前には、戦争中、捕虜の敵兵の首を切った経験を話す老人がいた。日本軍はそんなことをよくやっていたのだ。
彼は、「あれは戦争だから仕方がなかったのだ」と言う。
このようなことに関して、丹波哲郎さんが、著書で、やはり「罪なし」と書かれていたのを憶えている。ただ、そこで命令拒否をすれば、非常に霊格が向上するとも書かれていた。
捕虜の首を切ったり、あるいは、目をつぶすなどの残虐行為をした者の中には、罪の意識に苦しむ者も多いだろう。
しかし、そのような状況になり、自分がそんなことをすることもまた、避けられぬ運命である。
そうすることが、神の決めたシナリオであったなら、どうあってもやったことだ。言うなれば、捕虜の首は既に神によって切られていた。それをやった人が悩む必要はない。
ただし、逆に自分が首を切られることになっても、首を切る者を恨むことはできない。相手もまた、神の意志の通りに動いているだけである。

ところで、人生経験の豊富な人ほど、人の一生の運のトータルは、みな同じであると感じるものだ。
幸運なところもあれば、不運な部分もある。大きな幸福を得た者は、同時に大きな不幸も背負うものだ。
ハワード・ヒューズは、長身イケメンで、俳優、映画制作、事業で大成功し、世界屈指の富豪になったが、重病になり、190cmを超えていたが体重は30kgほどしかなくなり、ベッドから動くことも出来ない身体になって、何も食べられず、そして、ほとんど誰にも看取られずに孤独に死んでいった。
アンデルセンは青年時代までは苦難が多く、また、一生女に縁がなかったが、偉大な詩人・作家としての名誉を得、決して豊かではなかったが、国王から年金をもらうことが出来たので働く必要もなく、生涯、世界旅行をして過ごした。
平凡な人間でも、やはり、たとえば、家族運や結婚運はないが、一生安楽に過ごすといった人もいるだろうし、その逆に、モテモテだったり、家族には恵まれても、生涯、金に苦労し、心労が耐えないという人もいるだろう。
ある程度の年齢にならないと分からないだろうが、やはり、人間の運勢はバランスが取れていて、、一見、凡人か傑出した人物の違いはあっても、そうは変わらないものかもしれない。
だから、不運なところは、出来ることならむしろ喜べばいいし、恵まれたところがあれば、それを他人に回すとか、かえって慎み深くすることで、大きな不幸を免れるかもしれない。
だが、やはり、人の一生の運命は決まっていて変えられない。自分には、人生を支配するどんな力もないことを知り、どんな出来事も受け入れるなら、たとえどんなに不幸に見えても、安らかでいられる。そして、神はそんな人間の自我を破壊してくれ、その者は、魂の束縛を解き放つことだろう。









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辛い状況から解放されるためには

あなたは、学校や会社や、あるいは、家庭の中を、辛かったり、憂鬱な場所であると思っているかもしれない。
では、いつ、その苦しみや悩みから解放されるのであろうか?

それは、会社や学校の中で、心静かにいられるようになった時である。
『バガヴァッド・ギーター』の中で、アルジュナ王子は、戦場で悩み苦しんでいた。だから、彼には戦争が必要だったのだ。至高神クリシュナが言うごとく、心を煩わせることなく戦うことができるなら、アルジュナに戦場は不要なものになるだろう。

心を静かにするにはどうすればいいだろう?
一時的には、呼吸を制御したり、マントラ(呪文)を唱えたりすることで心は静かになるかもしれないが、普通の呼吸の状態に戻ったり、マントラが途絶えると、再び、心は揺れ動く。そうではないだろうか?
世俗で鍛えられ、十分に強力になり、生存の危険が減れば、ある程度の落ち着きが得られるのも確かである。しかし、社会的な強者というものは、案外に心が騒いでいるものなのだ。それはなぜかと言うと、持っているものを失う不安のためと、もっと欲しいという欲望のためである。それらは、得れば得るほど大きくなるものなのだ。
よって、不安と欲望を捨てるなら、心は静かになり、真の平和に至ることが理解できるに違いない。
そうなった者のことを、荘子は、「その心は、来るものはそのまま映すが、去ってしまえば何の痕跡も残さない。そのような者が害されることはない」と述べている。

合氣道家の藤平光一さんは、砲弾飛び交う戦場を悠然と歩いた。心が静かな者には弾は当たらないのだ。
第2次世界大戦で、英国のウイットルゼイ大佐率いる連隊は、5年間戦って死者の1人も出さなかった。全員が、聖書の詩篇91を暗記して定期的に唱えることで、心が静かであったからだ。
英国のF.H.ロースンも、第一次世界大戦で数百人の部下を率いて厳しい任務をこなしたが、負傷者の1人も出さなかった。彼の人生の信念は、「神の他には何もなし。ただ、神のみがある」だ。

どんな思いが起こった時も、その思いを追いかけたり、心に留めたりしてはならない。
ただ、「この思いは誰に起こったのか?」と問え。
答は、「私に」であるに決まっている。
そして、「私は誰か?」と問え。すると、思いは根元において破壊される。
心は、次から次へと思いを生み出す。それは、多くの兵を擁している城のようなものだ。しかし、現れる敵兵を1人ずつ倒していけば、やがて城は我々の手に落ちるのである。
これが最も本質的で強力な方法である。
しかし、今はこれが難しいなら、聖書の詩篇91を何度も読んだり、聖なるマントラを唱えるのが良いだろう。

辛い状況は、我々を自由にするための、真の自己(真我)の配慮である。何も起こらなければ、自由になろうという願いが起こらないからだ。
心を常に静かにしていられるなら、どんな場所にいても平和でいられるのである。そして、エゴの無い目的を遂行するためであれば、富を得て、なおかつ、幸福であるだろう。しかし、個人の欲望のために得た富は、所有者を悲惨に導くのである。それが、人類史上、1つの例外も無かったことは明らかである。
世界一の免税店DFSの創業者で億万長者だったチャック・フィーニーは、全財産を慈善事業に寄付して、無一文となった。巨富を持ったまま惨めで不幸になるより、無一文でも自由になることを選んだのだ。
一方、美男子で屈強な肉体を誇ったハワード・ヒューズは、膨大な財産を抱えたまま、病気で何も口に出来ず、190cm以上の身長で35kgほどにやせ衰え、惨めに死んだ。
財産とは、あくまで、目的を達成するための手段であり、不要になれば手放すことが安全である。

尚、下にご紹介した『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻は、この単体で読むことが出来、驚くべき秘密や秘法が満載された貴重な書であると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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