ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ハワード・ヒューズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

欠点が才能であり、「欠点がひど過ぎる」のが天才だ。

アインシュタインは健康的な天才だったと言われている。
だが、私は信じない。
彼は美化されただけで、本当は、普通の人とは比較にならないほどの深刻な欠点があったに違いない。
そして、実際にそうであったという証拠もかなりあるし、そもそも、本人も認めているようだ。
しかし、それでアインシュタインの価値が減るわけではない。

ニュートンや、一時、彼のライバルであったフック(フックの法則発見者。引力の法則もニュートンより早く発見していた)となると、蔑(さげす)み疎(うと)むに十分過ぎる欠陥人間だった。
ニュートンの傲慢、自己中心主義、無慈悲、フックの色情などは、彼らの欠点のほんの一部に過ぎないかもしれない。

こう言うと、「誰にだって欠点はある」という反論は当然あるはずだが、普通の人の欠点なんて「可愛らしい」のである。
天才は、「壮大な欠点」を持っている。

昔、当時、大スターだったマイケル.J.フォックスを採用した本田技研工業のCMで、「Hにもほどがある」、「もう見事なまでにH」というコピーがあった。
このHは、表向きは「本田」のHだが、マイケル.J.フォックスの顔にキスマークを付け、裏側で「エッチ(好色)」を感じさせるという仕組みであった。
誰だって「エッチ」である。
しかし、上に挙げたフックがそうだったが、天才となると、「エッチにもほどがある」、「恐ろしいまでにエッチ」でなければならないのだ。
池田満寿夫さんがそうだったかもしれないが、きっと、池田さんが憧れたモデリアーニもそうだったし、ピカソは明らかに、「エッチにもほどがあった」。
60歳過ぎのピカソは美術学校の通学路を徘徊し、10代の可愛い画学生の女の子を見つけては、「ボク、ピカソ」とナンパし(それでうまくいく有名人だ)、何人かとは同棲し、子供も作った。

昔、野田佳彦さんが総理大臣だった時、野田首相は、自分の美点として、小学生の時、教師に、「野田君は馬鹿がつくほど正直」と評価されたことを挙げていた。
私は、彼が総理だった時も馬鹿正直であったことは認めても良いし、確かにそれは良い性質である。
しかし、何の力にもなりはしない。
彼は我々同様、凡人だ。
大きな仕事をする一国のリーダーというのは、小泉純一郎のように「恐怖の欠陥人間」でなくてはならないのだ。
まあ、小泉さんが優れた仕事をしたかどうかは知らないが、強力なリーダーであったことは確かで、良い側近がいれば、日本はもっと良くなったはずだ(まあ、いなかったが)。

何度かご紹介したが、江戸時代と思うが、ある町人が、臆病を治したくて、毎日欠かさず、夕刻に墓場に行ったという話があり、その町人を一目見た、眼力のある武士が、即座に、「只者ではない」と感じた。
だが、もし、この町人が、本当に人物であるとすれば、彼の臆病は治っていない。
ただ、自分の欠点をいっそう強く自覚しただけだ。
そして、彼は臆病に徹したのだ。

あなたにも欠点はあるだろう。
だが、それを治そうなんてケチなことを考えるな。
土台、色欲が強くて、それを改めようとか、隠そうとする小善人が痴漢などの性犯罪をするのだ。
いわゆる、「むっつりスケベ」が一番危ない。
これも極端過ぎるが、『シティーハンター』のヒーロー、冴羽りょうのような、色欲全開なら、案外に危険はなく、作品の中でも、冴羽はいつもうまくいっていない。

欠点こそが才能なのである。
これは決して忘れてはならない。
正直、誠実、器用、努力家・・・などの美点は、確かに、周囲の人達に好かれるが、それは、周囲の人にとって、そんな美点の持ち主は都合が良いからというに過ぎない。
自覚した欠点こそが力なのである。
そして、欠点が大きければ能力も大きく、度の過ぎた欠点を持つなら天才である。

協調性がない?
なるほど、確かに、平凡なサラリーマンには向いていない。
しかし、度が過ぎた人間嫌い、唯我独尊であれば、大芸術家や大経営者になれる。
その最高の例は、ハワード・ヒューズだった。
彼は、何十年も、表舞台どころか人前に一切現れないという病的な人間嫌いであったが、世界を動かし続けた。
もっとも、彼は幸福ではなく、特に最後は悲惨であったが、彼か、彼の側近がもっと賢ければ、もっと何とかなったと思うのだ。

欠点を大切にするのだ。
何なら、欠点を育てても良いかもしれない。
だが、心も鍛えるのだ。
刹那の快楽のために、せっかくの才能を殺してはならない。

ルイス・キャロルが少女のヌード写真を撮ったことについて、「あれは芸術的行為で、猥褻ではない」などと馬鹿を言うな。
彼は致命的な少女性愛者、今で言うロリコン、ニンフェット・コンプレックスである。
彼は、写真の大半を処分しているが、残った写真の構図を見ても、明らかに色欲を感じさせ、表現は悪いが、「変態」と感じさせるものもあったと思う。
処分した方のは、さぞやひどかったのではあるまいか?
だが、彼は優れた心を持ち合わせ、少女に手を出すことはなく、実際に、数学や文学に昇華させたのだ。
それも、きっと、彼は自分の欠点・・・大いなる闇を自覚していたからだ。

欠点を自覚し、それはそのままにして、心を鍛えよ。
欠点と共に生きることを決意すれば、心は自然に鍛えられ、強くなる。
欠点が才能であり、大きな欠点が天才の証である。









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あまり苦しまずに経験という大切な力を得る方法

知識と経験が融合して調和したものを「知識×経験」と言い表すなら、それは社会的には大きな力になる。
ただし、最上の「知識×経験」とは、「知識×経験」の限界を知ることなのだ。
また、経験の欠ける知識というものは、ほとんど何の力にもならない。博士号を持っている教育ママが無知の極みなんてことはよくあることだ。
ところが、政治や事業も、ある程度高度になると、「知識×経験」の力が役に立たなくなる。
「知識×経験」の力が効力を持つのは、普通のサラリーマンから、大企業であっても、社長やごく一部の経営中枢を除く役員くらいまでだ。
最近は、超大型の企業買収や合弁なんてのがよくあり、評論家が「この買収の狙いは」なんてことを言っているが、実際は、ある限度を超えたことに関しては、やっている本人すら理屈では分かっていないのである。
ある大物経営者が、大きな買収を行う際に何日も誰にも会わずに考え続けたとか、ビル・ゲイツだって、ある事業計画の実施を決断する前に、何日も部屋に閉じこもって考えたという話があるが、それは、考えたというよりは、お祈りをしていたと言う方が正しいのである。
そういった話が伝わるのは、結果が成功であった場合が多いが、もし、彼らが、論理的に考えていれば失敗していたに違いないのである。
アメリカ大統領だって皆、世界の運命が決まるような決断を迫られた時には、教会に行ってお祈りをするのである。

よく、大物政治家や大物事業家が、占い師や霊能者に相談しているという話があり、「そんなの本当は嘘だよ」と言う者もいるが、本当である。
むしろ、そんなことをしていないはずがないのである。
高度な政治家や事業家は、極めて大きな「知識×経験」を持っている。たとえ学歴がなくても、かなりの勉強をしているし、経験となると普通の人では想像もできないものを持っていることが多いのである。
だが、「若い頃は大陸で馬賊を率いて、銃撃もやった」というほどの経験があったところで、あるいは、政治学と経済学の博士号を持っているといったところで、さらには、たとえその両方であったところで、それが何の役にも立たない局面があるのである。
そんな時に、優れた占い師や霊能者に頼るのは、不思議なことでも何でもない。

ところが、本物の占い師や霊能者というのは、逆に、世間的な知識や経験はほとんど無いのである。
そんなものがあったら、本当に力のある占い師や霊能者になれたりはしない。
力のある霊能者でも、事業や商売をやって成功したり、タレント活動をやるようになったら、霊能は無くなる。
だから、世間に名の知れた占い師や霊能者のところに相談に行くなら気を付けた方が良い。それらの占い師や霊能者は、今は何の力もなく、おみくじのように、それらしい適当なことを言っているだけであるからだ。面会時間が極めて限られていて、5分や10分という時間で高額な相談料を取られるものはほとんどそうだと思う。いかに霊能者といえども、悟りでも開いているレベルでない限り、必要な霊感に同調するためには、意識的な集中が必要で、それには、ある程度は儀式的なものも必要で、それなりの時間はかかるのである。
ところで、まるで売れっ子コンサルタントや、あるいは、大成功しいている小売業者のように、応対の仕方が洗練されていて、心地良く感じる場合も注意したが良い。
本物の霊能者は、知識や経験がないことから想像できるように世間知らずだ。
ほとんど子供みたいな人だっている。それで、礼儀をわきまえていないことも珍しくはなく、相手になる時は、かなり忍耐を必要とすることもあるが、それが普通だと思った方が良いのである。

どうしても、世間で働いて経験を積むのは嫌だというなら、占い師や霊能者になるという手もないとは言えないが、それは厳しく、苦しいものである。
それこそ、世間的な楽しみは全て捨てる覚悟が必要だ。
余程の精神的レベルに達していれば別だが、肉や魚はもちろん、一切の美食はできないし、性的な快楽も捨てなければならず、生涯、異性と交わることもないのが普通である。
超事業家や超政治家の中には、自分自身で占い師や霊能者の役割を果たす者も、極めて稀ながら存在する。本人自体がそうなのか、あるいは、背後の霊の力なのかはよく分からないが、いずれにしても、本人も巫女的な制約は必要になる。それらの事業家などは、極端に少食だったり、物欲がなかったりする。しかし、それでも、ある程度は凡人なのであり、時には、美味しいものを食べたがったり、女性に夢中になったりするのだが、よほどうまく禊(みそぎ)をしないと大変なことになる。
ほとんどのカリスマ的事業家や政治家は、世俗に帰った後の調整に失敗し、珍しい難病で死んだり、あるいは、暗殺されたりするのである。
こう言うと、スティーブ・ジョブズやハワード・ヒューズ、あるいは、J.F.ケネディがそうであるのだと分かる人もいると思うが、必ずしもそうではなくても、おそらく当っているだろう。

我々は、大事業家や大政治家になる必要はないし、そもそも、そのようなものになる運命になければ、決してなれない。
だから、若くてエネルギーがあり、ある程度の苦難に耐える力があるうちに十分な経験を積むと同時に、遊びの時間はある程度犠牲にして勉強し、その上で神仏を崇めれば、間違いなく幸福になれる。
だが、学歴が高ければ世間的な苦難を逃れることができると誤解したり、実際は、そういった思い違いをしているような母親のとんでもない無知のためにそんな道を取らされてしまう者が多くなってきた。
大物政治家や大物事業家の子供達の大半がニートであるのもそのためである。
だが、心配は無用だ。そうなっている場合でも、神仏に、「あまり苦しくない試練をお与え下さい」と祈れば良い。
全く楽チンでうまくいくようにと祈るのとは大違いであり、実に、ここが地獄と天国の分かれ道だ。
苦い薬も一瞬なら我慢するように、最低限の苦難は受け入れることだ。
何、大したことはない。それで、十分に豊かに楽しくやっていけるようになるのである。









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真の大物は表に出ないものだ

「日本未来の党」代表の嘉田由紀子滋賀県知事が、小沢一郎さんのことについて、「表に出ないでいただこうと思う」と言ったのがとても面白いと思う。
本物の大物は表に出ないものだからだ。
世の中で最も大きな力を持っているのは、いつも黒幕と決まっている。
私には、嘉田さんは、小沢さんに本当の大物になれと言っているように思えたのだ。
だが、小沢さんが真の大物になるかどうかは分からない。
ハワード・ヒューズが、俳優やったり飛行機に乗っていた頃って、単なる有名人、お金持ち、優秀なビジネスマンだった。
しかし、数十年、誰にも会わず、どこにいるかも分からないようになってからは世界を動かしていたのだ。
それでも彼は、いつもマスコミの話題だった。やはり長い間、どこか大物になり切れていなかったのだ。
彼が最後、190cm以上の長身ながら、35kgしかない身体で死んだといっても、それ自体は運命だ。
私は、彼は、きっと救われたのだと感じる。別に根拠はないが直感である。

人と会った時、目の前でああだこうだと喋っている者を私は相手にしない。
本当に大切な相手は、その人間の奥深くに在る。
会社の面接に来た応募者が、自分がどんな人間であるとか、入社したら何をしたいとか言っても、それは全部嘘に決まっているじゃないか?
皆、嘘をつく習慣を身に付けてしまっているのだ。
そんな時は、「火星移住計画についてどう思う?」とでも聞いてみると良いのだ。
きっと、マイクロソフトという会社なら、無理にでも展開した論理が素晴らしい人間を雇うのだろう。それが知能指数の高さを示すからだ。あの会社は、頭の良い人間でないと駄目らしい。
しかし、あなたの会社に、本当に頭の良いやつが来るはずがない。なら、素直に「分からない」と言う者が一番だ。
世間で言う意味とは違って、火星には移住できないことを知っている者がいたとしたら、彼は黙っているしかないのだが、一応彼は、「分かりません」と言うのだ。
そして、実を言うと、マイクロソフトで一番良い仕事をするのは、面接で「分かりません」と言った者なのだ。
ゲイツの面接のお話は、世間向けのものなのだよ。

私は、政治には興味がないが、政党、あるいは、その党首を選ぶとすれば、それは、他党の批判を一切しない党首、あるいは、政党だ。
本当の人物と言うのは、他者の批判を一切しない者だ。
TPPがどうだとか言っても、そんなこと分かるはずがないじゃないか?
どこに行こうが、ある者は良いと言い、ある者は悪いと言う。
なら、良くも悪くもないということだ。
今日の昼食を、カレーにするかオムライスにするかで大騒ぎしているようなものだ。
私のように食べなきゃいいのだ。
身近で採れるものが身体に最も良い。そして、良い心で育てたものを食べれば、心も正しくなり、身体も丈夫になる。
儲けといった視点で考えることをやめれば、自ずと正しいことが出来るようになるだろう。

老子は、私は3つの宝を持つと言った。
倹約と慈愛と人の前に立たないことだ。
倹約すれば、無駄なものを買って見栄を張ったり、食べ過ぎて肥満することもないだろう。身近で愛すべき農家の人達が愛情持って育てたものを少し食べればそれで良くなる。
真の慈愛とは寛容だ。どんな相手も批判、非難しなければ、それが本当の慈愛を持つことになる。
そして、最初に言ったように、真に強力な存在になるなら、表に出ないことだ。
老子ってのは、聖人と言うよりは実践的な仙人だった。ビル・ゲイツの百倍頭の良い人だったのだ。
ゲイツは私より百倍頭が良いので、老子は一万倍・・・教えを聞かずにいられようか?









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成功者は無自覚に嘘をつくのでご注意を

ビジネスで大成功した者が、「こうすれば成功するのです」といった感じで、成功法則、成功哲学を本に書いたりしている。
何といっても成功の体現者であるし、これらの多くの本は「法則に則りさえすれば誰でも成功するのです」「努力なんて不要です」といったことが面白く書かれているので、非常によく売れる場合があり、何十万部というベストセラーもあるほどだ。

それらの本が役に立つかというと、絶対に役に立たない。実際、そんなものを読んで成功した人はいない。
一番問題な点は、書いている成功者は善意で書いていて、自分が嘘をついていることが分からないことだ。これほど始末の悪いことはない。
成功者が成功したのは、単に、それが運命だったというだけのことなのだ。
彼は、生まれる前からの成功者だった。それ以外、他の人との違いは全くない。成功に、原因も秘訣も何もない。成功する運命であれば成功は避けられないし、成功する運命でなければ、いかなる努力をしても決して成功しない。
そして、成功するかしないかなど、何の意味もない。
むしろ、成功して自我が強くなると、真の幸福である至福を逃す可能性が高くなるのであるから、成功というものは無い方が幸せなのである。
成功を選ぶことは出来ないが、至福への道なら選ぶことは出来るのだ。

ナポレオン・ヒルという人は、数多くの成功者にインタビューして、成功の要因を抽出し、成功プログラムを作った。
しかし、それを使って成功した人はない。当たり前のことだ。
成功者をいかに調べても何の意味もない。
ナポレオン・ヒルが調べるまでもなく、成功者の成功要因はただ1つだ。それは、彼は成功する運命だったということだ。他には何もない。
なるほど、成功者の多くは多大な努力をしているし、直感が冴えている。
しかし、それは、彼が多大な努力をし、素晴らしい直観を得る運命が与えられていたというだけのことである。

ラマナ・マハルシは言った。
「運命によらずして何も起こらない。働く運命に無ければ、いくら仕事を探しても、仕事は見つからないであろう。逆に、働く運命であれば、いかに嫌でも働くことは避けられない」
これが真実である。
成功して金持ちになる運命に定められていれば、いくら嫌でも、そうなることは避けられない。逆に、いかに成功を望み、金持ちになることを願っても、そうなる運命でなければ、何をしても成功し金持ちになることは絶対にない。

だが、ほぼ全ての金持ちは惨めで不幸だ。
富だって、いつまでも続く訳ではない。大半の金持ちが、短期間に富を失い、やがては借金まみれになっている。僅かな富豪は生涯富を保有するが、実は幸福でない。世界屈指の富豪ハワード・ヒューズも、何も食べられずベッドに寝たきりで、家族は離れ、友人もなく、執事だけに看取られて惨めに死んだ。
驚くべき成功を収め、「思い通りになるのが人生だ」と豪語して成功哲学を説き続けた牧師も、全く思い通りにならず、年をとって莫大な負債を抱え、家族に見捨てられて余生を送っていると聞くが、不思議なことではない。
一方、ふんどし1本以外、何も所有しなかったラマナ・マハルシは生涯を至福のうちに過ごした。
別に、貧しくなければならないと言うのではない。
金持ちになる運命であれば、金持ちになるしかない。
誰も、自分の意志で、金持ちになったり貧乏になったりは出来ない。
そんなことは神の決めることであり、我々には何のコントロールも出来ない。
金持ちか貧乏かは、何の関係もない。
確かに極端な貧乏の場合もそうかもしれないが、不要な富を持ってしまうと、幸福を逃し易いのである。
イエスが「5体満足で地獄に行くより、身体の一部を失って天国に行く方が良い」と言ったのは、「豊かで地獄の苦しみを味わうより、多少足りなくても、至福であることがどれだけ良いだろうか」という意味である。

我々は完全に無力であり、世界や人生に何の影響を与えることもできない。全ての出来事は、我々の意思と何の関係もなく起こる。
それを完全に無条件に受け入れ、荘子が言ったように、全てをなりゆきに任せることだ。
こう言うと、愚かな者は、「それなら、みんな投げやりになって、何もしなくなる」という誤解をする。
そんな馬鹿なことはない。
超人的な努力をする運命にあれば、そうするだろう。
怠惰を好む運命であれば、サミュエル・ベケットのように、ノーベル賞授賞式にも「面倒だから」という理由で、行かないだろう。
至福への第一段階は、運命を無条件に受け入れることだ。
そうすれば、自我は弱まり、欲望が少なくなって行き、妄想(空想と等しい)をしなくなる。それが至福への基本的条件となるのだ。









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人の一生の運のトータルは同じだ

ある日本人男性が、やや政治的に不安定な国で電車に乗っていた。彼はトイレに行くが、使用中だったので、別の車両のトイレに行った。その時、元いた車両が戦闘機に爆撃されて破壊された。そこのトイレが使用中でなければ、彼は死んでいたところだった。この出来事により、彼は、人生の全ては偶然なのだと悟った。
だが、彼がトイレに行きたくなったのも、自分のいた車両のトイレが使用中で、彼が他の車両に行かざるをえなくなったことも、そして、その後で、元居た車両が爆撃されたことも、全て、最初から決められていた神のシナリオである。
人の立場から見れば偶然であっても、深い見地から言えば全て必然である。

私は中学生の時、以前見た、あるテレビドラマのある回をどうしても、もう一度見るだけでなく、ビデオ録画したいと思った(ビデオの時代だった)。
それで何をしたかというと、ただ、ビデオ装置の録画リモコンを握り、その番組が放送されるのを待った。その番組が再放送されるという情報を調べもしなかったし、何のあてもなかった。
しかし、その番組はすぐに放送され、私は楽々と録画できた。そういうことは何度もあり、失敗した記憶はない。
1つの考え方として、私が予知能力を発揮し、その番組が放送されることが分かった時に、それを見て録画したいという衝動が起こったと言えるかもしれない。
だが、実際はこうだ。その番組が再放送されることや、私がそれを見たいと思うことも、そして、録画しようと考えることも、全て、あらかじめ決められた運命だったのだ。
逆に、こういうこともあった。
私は、あるテレビコマーシャルを気に入っていて、それを録画しようと思って、やはり、録画リモコンを持って待っていた。
よく放送されていたCMだし、こちらに関しては、普通に考えて、そのうち録画できるはずだった。
しかし、そのCMは、それ以降、一度も見ることはなかった。
私が録画リモコンを持って狙ったその時に、放送終了したかのように、世界から消えてしまったのだ。
そして、これもまた、神の決めたシナリオだったのだろう。

今はもうほとんどいないと思うが、少し前には、戦争中、捕虜の敵兵の首を切った経験を話す老人がいた。日本軍はそんなことをよくやっていたのだ。
彼は、「あれは戦争だから仕方がなかったのだ」と言う。
このようなことに関して、丹波哲郎さんが、著書で、やはり「罪なし」と書かれていたのを憶えている。ただ、そこで命令拒否をすれば、非常に霊格が向上するとも書かれていた。
捕虜の首を切ったり、あるいは、目をつぶすなどの残虐行為をした者の中には、罪の意識に苦しむ者も多いだろう。
しかし、そのような状況になり、自分がそんなことをすることもまた、避けられぬ運命である。
そうすることが、神の決めたシナリオであったなら、どうあってもやったことだ。言うなれば、捕虜の首は既に神によって切られていた。それをやった人が悩む必要はない。
ただし、逆に自分が首を切られることになっても、首を切る者を恨むことはできない。相手もまた、神の意志の通りに動いているだけである。

ところで、人生経験の豊富な人ほど、人の一生の運のトータルは、みな同じであると感じるものだ。
幸運なところもあれば、不運な部分もある。大きな幸福を得た者は、同時に大きな不幸も背負うものだ。
ハワード・ヒューズは、長身イケメンで、俳優、映画制作、事業で大成功し、世界屈指の富豪になったが、重病になり、190cmを超えていたが体重は30kgほどしかなくなり、ベッドから動くことも出来ない身体になって、何も食べられず、そして、ほとんど誰にも看取られずに孤独に死んでいった。
アンデルセンは青年時代までは苦難が多く、また、一生女に縁がなかったが、偉大な詩人・作家としての名誉を得、決して豊かではなかったが、国王から年金をもらうことが出来たので働く必要もなく、生涯、世界旅行をして過ごした。
平凡な人間でも、やはり、たとえば、家族運や結婚運はないが、一生安楽に過ごすといった人もいるだろうし、その逆に、モテモテだったり、家族には恵まれても、生涯、金に苦労し、心労が耐えないという人もいるだろう。
ある程度の年齢にならないと分からないだろうが、やはり、人間の運勢はバランスが取れていて、、一見、凡人か傑出した人物の違いはあっても、そうは変わらないものかもしれない。
だから、不運なところは、出来ることならむしろ喜べばいいし、恵まれたところがあれば、それを他人に回すとか、かえって慎み深くすることで、大きな不幸を免れるかもしれない。
だが、やはり、人の一生の運命は決まっていて変えられない。自分には、人生を支配するどんな力もないことを知り、どんな出来事も受け入れるなら、たとえどんなに不幸に見えても、安らかでいられる。そして、神はそんな人間の自我を破壊してくれ、その者は、魂の束縛を解き放つことだろう。









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プロフィール
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