今日、10月31日はハロウィンといって、死者の霊が家族を訪れるとか言われているから、日本で言えばお盆のようなものか?
ただ、それと共に、精霊や魔女も現れると言われている。
ケルト人の伝統行事に起源を持つものらしいが、ケルトでは1年の終わりが、本日、10月31日であるらしい。その意味では、日本の大晦日でもある。
日本では、「盆と正月が一緒に来た」というのは、めでたいことなのだろうから、一応、そう思っても良いかもしれない。
ジョディ・フォスターが少女の頃に主演した映画『白い家の少女』は、ジョディ演じるリンという名の美少女の14歳の誕生日から始まるのだが、その日が、ハロウィンである10月31日だった。
リンは、1人で手作りのケーキを作り、1人で自分の誕生日を祝うつもりだったのだ。
リンはとても利発な少女で、父親は有名な詩人だった。父はリンに、「大人達は個性的なお前を認めないだろう。お前を攻撃し、押さえつけ、従わせようとするだろう」と言った。そして、そうなったら戦えと教えて死んだ。
さて、リンの父親は、彼女に勝ち目があると思ったのだろうか?
そうではあるまい。
岡本太郎も言っていたが、芸術家というのは、世間に対して言いたいことがあるものなのだ。
それは、まず、自分が世間に迎合したくないからだし、自分の可愛い娘が、世間のいいなりになるのは耐えられないことに違いない。
世間の教義と信念にひれ伏すくらいなら、傷付き倒れることを選べと言ったのだろう。それも愛というものだ。

ところで、1年の終りというのとスケールが違うが、古代マヤ暦が今年の12月中に終ることから、終末論が聞かれることがあり、ちょっと楽しみにしていたのだが、今はまだ、随分と静かに感じる。
何があるかは、人の言うことではなく、自分の直感で感じるものだ。
それで言うなら、破滅のようなことが起こるというのではないが、とても変わったことは起こるように思う。
1990年代に足立育朗さんが書かれた『波動の法則』では、特に今年と書かれていた訳ではないが、地球が別の場所にテレポートするとあった。
我々が言うクォークとはちょっと違うのだが、全ては、やはり最も基本的な構成単位であるクォークの状態になり、テレポート先で復元されるのらしい。ただ、その際、魂の成長度が低い者は、再び物質化されないという。
しかし、何が起こったとしても、その5分後には、ごく当たり前に感じる世界の中に当たり前に生きていて、何が起こったのかなんて誰も気付いていないかもしれない。
ひょっとしたら、1999年に地球は滅び、新しい世界が始まっているのかもしれないが、誰もそれに気付かず、「ノストラダムスの預言は外れた」なんて言っているのかもしれない。そう言ったら、「ああ、そうえいば・・・」と思う者もいるだろう。
そんなことを心において備えていれば、面白い体験になるかもしれないと思う。









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