聖者でもない限り、眠っていて悪夢を見ることがある。
その時、「よくもまあ、これほどピンポイントで(正確に狙いを定めて)私が嫌だと思うものを見せてくれるものだ」と、感心することがある。現実では、どんな悪意のある者でも、そこまで巧妙な嫌がらせはしないだろうほどだ。
それは、良い方、楽しい方の夢でも同様だ。良い夢だと、あまりに良いのだ。
なぜそんなことになるのかというと、夢は短いからだ。現実は長いので、良いことも悪いことも、時間で薄めてしまい、急激さを感じないのである。
悪夢から覚めて、「ああ、夢で良かった」と思う。
夢はいったん覚めれば終りで、継続性は無いからだ。
だが、現実の方は、悪いことがあれば、それは、明日も明後日も、あるいは、何年も、年十年も続くかもしれない。
ところで、こんな感覚を持ったことがあるだろうか?
たとえば、今は、狭くて小汚いワンルームに住んでいるが、昨日まで、宮殿のような屋敷に住んでいたように思えてならないといったものだ。
今は下っ端サラリーマンで、無能な上司の指示を嫌々やっているが、最近まで、大きな会社を思うまま動かしていたはずだと。
それは、妄想と言えば妄想なのだけれど、実際、そうだったのかもしれないのだ。それを、今となっては妄想と言うだけのことだ。
もし、輪廻転生というものがあれば、死んで生まれ変わった時は赤ん坊だと思い込んでいるかもしれないが、死んで目覚めれば50歳だったということもある。その場合の、約50年の記憶は、デッチ上げと言えばそうなのだが、現実と価値と変わらないデッチ上げだ。
時々、世界のそんな裏側を、どういう訳か、見てしまう者がいる。いや、案外に多くの人が見ているものだが、憶えていないのだ。
例えば、目の前に巨大UFOが現れたとする。
「わあ!UFOだ!凄い、ついに見たぞ!しかも、こんなでっかいのを見たやつなんていないに違いない!」
とあなたは思う。しかし、次の瞬間、「あれ、今何か凄いものを見たような気がするけど・・・まあ、いいか」と思って忘れてしまうのだ。
武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』に、こんなお話があった。
セーラームーンこと高校1年生の月野うさぎの恋人、地場衛は医大の1年生だったが、非常に優秀なので留学してしまった。
うさぎは、留学した衛に手紙を書くが、返事は全く来ない。
そのはずで、衛は留学していなかった。
うさぎが見送った空港で、衛は死んでいたのだ。身体が溶けて消えるという異常な死に方だった。
それを、うさぎははっきり見ていたが、記憶を封印してしまったのだ。
L.ロン.ハバートの小説『フィアー』では、そういったことを、実に劇的に描いている。
アシモフ、ブラッドベリ、S.キングらが賞賛すると言われる天才作家の、この作品は、本当に恐い。
しかし、驚くことではない。
我々は、とんでもないことを忘れているのだ。それに比べれば、どれほど重大なことだろうが、とるに足りない。
自分が、本当は何者であるかだ。
だから、ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と問うことだけが重要なことであると言い、ニサルガダッタ・マハラジは、「私は誰か?」以外の一切の質問を放棄しろと言ったのだ。
だが、「私は誰か?私は誰か?私は・・・」と馬鹿のように繰り返してはならない。
知性、心、頭脳・・・どれでも同じだが、それは答を知らない。
一度、「私は誰か?」と尋ねたら、後は、ただそれを沈黙の内に想うのだ。本当に想っているかどうかなど心配しなくていい。
一度、そう想って黙すなら、確実に想っている。
これを、思い出す度にやれば、宮殿に住んでいたことも、大会社の社長だったことも思い出すだろうし、瞬間前に90歳で死んだことも分かるだろう。
しかし、それは些細なことだ。ある意味、やはり全て妄想なのだ。
もっと重大なことを思い出すことだ。
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その時、「よくもまあ、これほどピンポイントで(正確に狙いを定めて)私が嫌だと思うものを見せてくれるものだ」と、感心することがある。現実では、どんな悪意のある者でも、そこまで巧妙な嫌がらせはしないだろうほどだ。
それは、良い方、楽しい方の夢でも同様だ。良い夢だと、あまりに良いのだ。
なぜそんなことになるのかというと、夢は短いからだ。現実は長いので、良いことも悪いことも、時間で薄めてしまい、急激さを感じないのである。
悪夢から覚めて、「ああ、夢で良かった」と思う。
夢はいったん覚めれば終りで、継続性は無いからだ。
だが、現実の方は、悪いことがあれば、それは、明日も明後日も、あるいは、何年も、年十年も続くかもしれない。
ところで、こんな感覚を持ったことがあるだろうか?
たとえば、今は、狭くて小汚いワンルームに住んでいるが、昨日まで、宮殿のような屋敷に住んでいたように思えてならないといったものだ。
今は下っ端サラリーマンで、無能な上司の指示を嫌々やっているが、最近まで、大きな会社を思うまま動かしていたはずだと。
それは、妄想と言えば妄想なのだけれど、実際、そうだったのかもしれないのだ。それを、今となっては妄想と言うだけのことだ。
もし、輪廻転生というものがあれば、死んで生まれ変わった時は赤ん坊だと思い込んでいるかもしれないが、死んで目覚めれば50歳だったということもある。その場合の、約50年の記憶は、デッチ上げと言えばそうなのだが、現実と価値と変わらないデッチ上げだ。
時々、世界のそんな裏側を、どういう訳か、見てしまう者がいる。いや、案外に多くの人が見ているものだが、憶えていないのだ。
例えば、目の前に巨大UFOが現れたとする。
「わあ!UFOだ!凄い、ついに見たぞ!しかも、こんなでっかいのを見たやつなんていないに違いない!」
とあなたは思う。しかし、次の瞬間、「あれ、今何か凄いものを見たような気がするけど・・・まあ、いいか」と思って忘れてしまうのだ。
武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』に、こんなお話があった。
セーラームーンこと高校1年生の月野うさぎの恋人、地場衛は医大の1年生だったが、非常に優秀なので留学してしまった。
うさぎは、留学した衛に手紙を書くが、返事は全く来ない。
そのはずで、衛は留学していなかった。
うさぎが見送った空港で、衛は死んでいたのだ。身体が溶けて消えるという異常な死に方だった。
それを、うさぎははっきり見ていたが、記憶を封印してしまったのだ。
L.ロン.ハバートの小説『フィアー』では、そういったことを、実に劇的に描いている。
アシモフ、ブラッドベリ、S.キングらが賞賛すると言われる天才作家の、この作品は、本当に恐い。
しかし、驚くことではない。
我々は、とんでもないことを忘れているのだ。それに比べれば、どれほど重大なことだろうが、とるに足りない。
自分が、本当は何者であるかだ。
だから、ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と問うことだけが重要なことであると言い、ニサルガダッタ・マハラジは、「私は誰か?」以外の一切の質問を放棄しろと言ったのだ。
だが、「私は誰か?私は誰か?私は・・・」と馬鹿のように繰り返してはならない。
知性、心、頭脳・・・どれでも同じだが、それは答を知らない。
一度、「私は誰か?」と尋ねたら、後は、ただそれを沈黙の内に想うのだ。本当に想っているかどうかなど心配しなくていい。
一度、そう想って黙すなら、確実に想っている。
これを、思い出す度にやれば、宮殿に住んでいたことも、大会社の社長だったことも思い出すだろうし、瞬間前に90歳で死んだことも分かるだろう。
しかし、それは些細なことだ。ある意味、やはり全て妄想なのだ。
もっと重大なことを思い出すことだ。
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