ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ノーマン・ヴィンセント・ピール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ナーマスマラナ、真言、アファーメーションの融合

良い本とは、どんな本だろう?
そもそも、最も優れた本はどれだろう?
それは聖書である。
なぜか?
『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻 因果の超克』で、イエス・キリストが語ったその理由が素晴らしかった。
それは、聖書には、「神」という語(英語なら“GOD”)が最も多く使われているからである。
「神」という語は、最も高い生命力とエネルギーを持った言葉なので、使えば使うほど、言えば言うほど良いのである。
つまり、内容が本の価値を決めるのではない(もちろん、内容がどうでも良いと言うのではないが)。
『コーラン』も『ギリシャ神話』も『古事記』も、不滅の生命を保っているのは、やはり、「神」という語が多く使われているからである。
人間も、「神」という言葉を多く想い、語る者ほど、優れていて、力があり、幸運である。
トランプ大統領は「神」という言葉を多く使うが、ジョー・バイデンはそうではない。そこからも、両者の実体や格が分かるのである。

『ナーマスマラナ』の中で、サイ・ババは、最も重要なものは神の名であると訴えている。
個々の神、あるいは、仏の名も、当然、「神」という語に匹敵する。
よって、数多く唱えるほど良く、それで、世界への支配力が増す。
真言も、多くは、それぞれの神仏を、直接、あるいは、象徴する言葉を含む。
例えば、弥勒菩薩真言の「オン、マイタレイヤ、ソワカ」のマイタレイヤは弥勒菩薩のことである。
観世音菩薩真言の「オン、アロリキャ、ソワカ」のアロリキャも、良く見る(=観世音)という意味で、観世音菩薩を指す。
阿弥陀如来真言の「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」のアミリタも、阿弥陀如来を示す。
もちろん、真言には、それ以外の効果も込められていて、特別な恵みを得られるように出来ている。
だが、やはり、神仏を指す言葉が含まれている意味が大きいのである。

次に、アファーメーションと呼んで良いのか、祈り言葉とでも呼ぶべきか迷うが、「力ある言葉」がある。
例えば、このブログでも度々取り上げる、あるホームレスが唱え続け、一億円を2回当てた言葉として知られる「神様の奇跡が起こる」は、無意識に浸透する暗示的効果も重要であるが、やはり、「神」という語を含むことで、威力を最大化していると思えるのである。
他にも、トランプ大統領が崇拝するノーマン・ヴィンセント・ピールの世界的ベストセラー『積極的考え方の力』で、ピールが打ちひしがれた人々に教え、蘇らせた聖書の言葉、
「もし神が我々の味方であるなら、誰が我々に敵し得ようか」
「私は神の手のなかにある」
などに、「神」の語が含まれ、また、
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでもできる」
の、「私を強くして下さる方」は、直接に「神」を指しているのである。

「神」の語を含むアファーメーションの力を最も効果的に人々に使わせたのは、フローレンス・スコーヴェル・シンだと思う。
「神は道なきところに道を作られる」
「奇しき御業もて神はなしたまえり」
「予期しない御業もて神はなしたまえり」
「神よ与えたまえ」
「神の御手は巧みで、神の御業は過ちがない」

このように、ナーマスマラナ、真言、アファーメーションは関連したものであり、同じものだとも言える。
だから、自分に合ったやり方を選ぶと良い。
ただし、毎日継続し、なるべく多く行うことが大切である。
「神よ与えたまえ」と言うだけで、決して、がっかりさせられることはないだろう。
(神は与えたがっているのであり、人間が受け取ろうとしないことが問題なのである)
これらの理論面に関しては、上記の『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻 因果の超克』ではイエスが、また、第6巻あたりでも、著者が量子力学的に説明しており、やや難しいが、教科書的な書き方をしているのではないので、よく読めば、直観的に分かると思う(逆に言えば、教科書の通りでないと受け付けない人は不満であろうが)。
著者のベアード.T.スポールディングは、14歳で大学を卒業した原子物理学者であるようだ。








2人の超駄目息子のお話

『新約聖書』の『福音書』と『法華経』に、少し似た、大金持ちの駄目息子の話があるが、私は、両方共大好きである。

『福音書』の方は、だいたい、こんな話だ。
途方もない大金持ちである大農園主の父親に2人の息子がいた。
そのうちの1人が、父親に、ここを出ていくと言い、財産分与を求めた。
父親は、求めのままに大金を渡し、その1人の息子は父親のところから去った。
ところが、出て行った息子は、やがて財産を使い潰し、食べることも出来なくなり、豚の餌を食べる有様だった。
そこで息子は、「お父さんの所に帰って、奴隷として雇ってもらおう」と思い、父親の農場に帰った。
すると、父親は大喜びし、その息子に良い服を着せ、大宴会を開いて歓迎した。

『法華経』の方の話はこうである。
途方もない大金持ちの父親に幼い息子がいたが、ある時、この息子が行方不明になり、父親は必死で探すが見つからない。
だが、父親は諦めず、ずっと探し続け、50年が経った時、ついに、父親は息子を見つけた。
しかし、息子は浮浪者で、すっかり貧乏根性が身に付いていて、今、父親が「私が父だ」と言っても、受け入れてくれそうになかった。
そこで、父親は息子を奴隷として雇い、父親も息子と一緒に奴隷として働きながら、息子を少しずつ導いていった。
20年かかったが、ついに息子の心構えが立派になり、自分は寿命が尽きようとしていたので、息子と親類縁者全員を集め、息子に自分が父だと明かすと共に、皆に、この息子が自分の後継者であると言い、膨大な財産を息子に譲って死んだ。

両方のお話共、息子の駄目さ加減が半端ない。
『福音書』の方の放蕩息子は、落ちぶれるにしろ、豚の餌を食べないといけないという生活力のなさには呆れる。妻子を養えないまでも、男が自分1人食べていくくらいのことは、いくら何でも出来そうなものである。
『法華経』の息子も、浮浪者にまでなるとは、飛び切りの駄目息子であり、しかも、大金持ちの父親が、いきなり「私が父だ」などと言ったら、逃げ出すに違いないと思われるほど心が貧しくなっていた。
両方の息子共、働くことすら一切出来ない愚か者で、ひょっとしたら私やあなたより酷いかもしれない(笑)。
しかし、両方の息子共、やるべきことは、父親のところに帰り、父親に甘えることだけだった。
ちなみに、『福音書』と『法華経』の、大富豪の父親とは、神様や仏様であり、無限の富と力を持っている。
そして、両方の駄目息子は、私やあなたなのである。
我々は、これらの息子達に比べれば、少しはマシに見えるかもしれないが、この世で辛い目に遭いながら生きていることは同じだ。
だが、そんなことをしていないで、神様仏様の力を頼れば良いのである。
ドナルド・トランプがこよなく尊敬するノーマン・ヴィンセント・ピールの世界的ロングセラー『積極的考え方の力』の最後を、ピールは、「なぜ神の力を求めないのか」と、結んでいる。
また、求め方も書いているが、読者に伝わっていないかもしれない。
簡単過ぎて伝わらないのだ。
我々は、学校やマスコミから、ひねくれて考えるよう洗脳されているからね(笑)。
学校やマスコミは、我々に奴隷根性を叩き込んでいるのである。
だから、我々は、自分が神様や仏様の息子や娘だという実感を取り戻さないといけない。
そのためには、神様仏様の実体を知る必要がある。
それが出来るよう、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが、懇切に教えていたのだが、彼らの本の難しいこと(笑)。
彼らの言葉を記録したり、翻訳した人が、教えをよく分っていないので、易しい言葉にすることが出来なかったのだと思う。
だが、ネヴィル・ゴダードが、『At Your Commnad(翻訳:新装版 世界はどうしたってあなたの意のまま)』で、同じことを、少しは分かり易く書いてくれている。








全年齢対応の駄目でなくなる方法

人生の落伍者と言っても、例えば、昨夕の記事で書いたような、50代後半の人間と、20代前半の人間では深刻さが違うと思うかもしれない。
しかし、駄目な当人にとっては同じことなのだと思う。
そして、実のところ、対処法も同じなのだ。
どちらも、自分で勝手に助かれば良いのである。

昨夕の記事の50代後半の駄目男の失敗原因は、「私は出来ない」と思っていたことだった。
ある時、この駄目男は、「AMERICAN」という文字の前半の「AMER」がたまたま隠れて見えなかったので、後半の「ICAN」だけが見え、それが「I CAN(私は出来る)」に見えた。
その時、この駄目男は、「私は出来る」と思えば良いのだと気付き、それだけで駄目でなくなった。
彼はその後、成功したのだ。

では、次は、20代前半の駄目男を取り上げる。
自分に自信がなく、引っ込み思案で、他人と・・・特に女性とまともに会話も出来ない駄目男だった。
何も出来ないから自信がないのか、自信がないから何も出来ないのかはともかく、この駄目男は、何も出来ないし、自信もなかった。
子供でも出来るようなことがしばしば出来なかった。
ある時、この若い駄目男は、「僕は何て駄目なんだ」とつぶやいた。
すると、近くにいて、それを聞いた友人が、
「君はちっとも駄目じゃない。自分は駄目だと思っているだけだ」
と言った。
その言葉は、この駄目男には啓示(神の教え)のように感じた。
「自分は駄目だと思っているだけ」
駄目男は、この言葉についてずっと考え続けた。
そして、すぐに彼は駄目でなくなり、誰からも一目置かれる立派な青年になった。
この青年は何を悟ったのだろうか?
自分が駄目なのは、自分は駄目だと思っているという、それだけの理由からだ。
つまり、人間は、自分が思っている通りのものだ。
では、自分は駄目ではない・・・私は力がある、私は出来ると思えば良いだけである。

つまり、50代後半の駄目男も、20代前半の駄目男も、「私は出来る」と思えば良いだけだ。
それには、「私は出来る」とアファーメーション(肯定的断言)をするか、「私は出来る」という態度をすれば良い。

あるいは、この2人の駄目男の中間あたりの年齢である、40歳の駄目男に、トランプ大統領がこの上なく尊敬するノーマン・ヴィンセント・ピールが与えた言葉を思い出すと良い。
それは、新約聖書の「ピリピ人への手紙(フィリピの信徒への手紙)第4章13節の、
「私を強くして下さるかたによって、私はどんなことでも出来る」
である。
40歳の駄目男は、この言葉を何度も何度も繰り返し唱えることで駄目ではなくなった。

我々は、我々の頭に植え付けられた「私は出来ない」「私は駄目だ」という暗示により、制限付けられている。
駄目でないように見える人間だって、実は同じだ。
つまり、例えば、駄目な人間はマイナス100の制限がかかっているのに対し、駄目でないと見なされる人間だってマイナス90くらいの制限がかかっているのだ。
その程度の差なのだ。
上記の、50代後半、20代前半、40歳(別に何歳でも同じだが)の駄目男達は、マイナス100から、マイナス50あたりまで上がり、平均的なマイナス90の人間を大きく超えただけかもしれない。
しかし、人間が本来持つ力はプラス100かもしれない。
いつか人類は、その力を持つことになるかもしれない。
いや、我々は、その力をすぐに持とうではないか。








一言で言えば「捨てろ」

昨夜、午後11時過ぎから、『人生を変える魔法の物語(原題:The Magic Story)』を一通り読んだ。
30分程度で読んだと思う。久し振りで読んだが、意味が分かってきたこともあり、面白かった。

人間が、力と幸運を得るには、昔風に言えば、良い背後霊についてもらうことだ。
政木和三さんの言い方では、優れた第二、第三の生命体(自分自身は第一生命体)についてもらうこと。
そして、『人生を変える魔法の物語』に書かれている表現では、「プラスの自分」についてもらうことだ。「プラスの自分」は原書では「プラスの生命体」で、政木和三さんの教えと同じなのだと思う。
『ローム太霊講話集』で、太霊ロームは、「釈迦やイエスは、背後霊との提携について教えるべきだった」と言っていたらしいが、イエスは、悪い背後霊(あるいは、第二第三の生命体)である悪霊を、それに憑りつかれた人から度々追い出している。
そして、確かに、直接は言わなかったかもしれないが、釈迦やイエスの教えを守れば、結果、優れた背後霊(第二第三の生命体)がついてくれるのだと思う。

良い第二第三の生命体についてもらうには、自分自身である第一生命体がしっかりしないといけないが、「しっかりする」とは、正直であるとか誠実である、公平であるといった、基本的なことはもちろん必要であるが、何と言っても、前抜き、積極的、プラス思考であることが大切である。
そのためには、積極的、前向きな人間の代表格であるトランプ大統領がこよなく尊敬するノーマン・ヴィンセント・ピールの著作『積極的考え方の力』を読むと良い。
尚、余計なことかもしれないが、私は、この本の現時点(2021年4月)での一番新しい翻訳本があまり好きでない。桑名一央(相沢勉)訳が良いと思う。ただし、あくまで主観である。

ピールの基本的な方法は、聖書の言葉を唱えることだ。
代表的なものは、
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「もし神が我々の味方なら、誰が我々に敵しえようか?」
である。
こう唱えることが祈りであると言える。
そして、こう祈ることで、神の力を持つ第二第三の生命体が来るのではないだろうか。
神が直接助けるのではなく、その代理として、輝く宇宙エネルギーであるところの、優れた第二第三の生命体が、こまごまと世話をしてれるのではないだろうか。

一方、業が深かったりで救いようがない劣悪な人間でも救ってくれるものが念仏だと言われる。
これは、自分を消す手段なのだ。
自分である第一生命体が立派になれば良いのだが、優れた第一生命体は、上で述べた通り、前向き、積極的な魂である。
だが、第一生命体を最も輝かせるのは、自我が消えた・・・いわゆる無になることである。
念仏を唱え続けると、自我が消え無になる。
ただ、それには、よほどの時間、唱えないといけないのだと思う。
一方、「論理的に無になり易い言葉」というものがある。
何の意味もない言葉を唱えれば、思考が生まれないので、無になるという原理である。
そんな言葉として、「ナ・ダーム」という言葉がある。
何の意味もない上、唱え易い言葉であり、「ナ・ダーム」と唱えることで、どんどん思念が消えていき、無に近付く。
TM(超越瞑想)も同じ原理を採用していると思われ、ごく短い、何の意味もない言葉(TMでは「マントラ」と呼ぶ)を唱えることで、想念を消すのである。
TMの場合は、1人1人に別の言葉を教えるが、おそらく、言葉の種類は、それほど多くはないのだと思う。
誰かがマントラは単に年齢で決まると暴露していたと思うが、いずれにしろ、効果的な方法ではあると思う。

ところで、自我を消す最強の方法は、政木和三さんが教えてくれたように「欲望をぽーんと手放す」ことである。
自分の最も強い欲望を手放すのが一番効果がある。
酒が何より好きで浴びるほど飲みたい人であれば、自分の意思で断固として禁酒すれば、無になる大きなチャンスになる。
アイドルオタクであれば、アイドルファンを一切やめるのである。
ただし、欲望ではなく純粋に好きなもの・・・例えば、芸術や武道といったものをやめてはならない。
あくまで、「自我の欲望」、つまり、「自分しか気持ち良くしないもの」を捨てるのである。
美食家であれば、豪華な料理に目を向けなければ良いのだし、ロリコンであれば可愛い女の子のことを考えなければ良いのである。
厳しいことのように感じるかもしれないが、欲望を肥大化させてしまった者には必要かもしれない。
つまり、いくら前向き、積極的であろうとしても、「欲しい欲しい」という欲望が、自我を肥大させ、第一生命体を駄目にしてしまうのである。
「欲望をぽーんと手放す」、一言で言うなら「捨てろ」である。








不安を消すには

不安の多い仕事は何だろう。
1つは、戦闘が起こる可能性がある軍隊の軍人であることは間違いあるまい。
他にもいろいろあるが、スポーツ選手や芸能人のように、好きで選ぶものとは違い、いわば、やむなく就くことがある仕事としてセールスマンがある。
軍人とセールスマンは、何が不安かというと、予測がつかない仕事であることだ。
洗練された軍隊やセールス組織では、なるべく予測が立つようにしている。
つまり、命や給料がかなり保証されているのである。
とはいえ、軍隊では、いつ戦闘が起こるか、どんな戦闘になるか、セールスマンでは、先月は売れても今月は売れるかどうか分からないという状況の人も多い。
そして、人々は、不安の多い仕事を避け、不安の少ない仕事に就きたがる。
不安が少ない職業の代表が、公務員、大手企業のサラリーマンだ。
その反対なのが、軍隊と、小規模な(ことに個人的な)組織のセールスマンなのである。

個人単位のセールスマンは、売らなければ1円も得られない。
企業では、完全歩合制のセールスマンは禁止で、働く限りは、セールスマンが売らなくても、企業はセールスマンに給料を出さないといけないが、実際は、売らないと何ももらえないセールスマンは多い。
間違いなく、そういうもの(売らないと実入りゼロ)である行商人と言われるセールスマンの厳しさは大変なものだろう。
ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』の中に、こんな話があったように思う。
長年、行商人をやっている年配の男性がいた。1950年代の話と思う。
彼は、商品を車に積み、固定客がいる訳でもない中、長距離を走り回って商品を売っていたのだ。
私は、それを想像するだけで、身のすくむような不安・・・と言うより、恐怖を感じる。
特に、引きこもり気質の者にとっては、それはもう死んだも同然としか思えない。
しかし、その行商人は、明るく、不安を感じていなかった。
彼も、昔はそうではなかった。
他に仕事のあてがなく、仕方なく始めた行商だが、人々は冷たく、この哀れな若者を生かしてやろうなどという「お優しい」心を持った者などいない。
売上げは少なく、生活は困窮していた。
だが、その中で、聖書は読んでいた彼は、イエス・キリストが同伴してくれていると思うことにした。
すると、不安は消え、行商もうまくいくようになった。
分からないが、あらゆる、不安の大きな仕事に従事している人には、これは救いにならないだろうか?
私は、最初の仕事が完全歩合制のセールスマンだったので、その話に物凄く感激したものだった。
もちろん、キリスト教徒ではない人にとっては、イエス・キリストはそれほどの重要な存在ではないかもしれない。
私もキリスト教徒ではない。
しかし、福音書を一読すれば、イエスが大変な存在だと分かる。
まあ、心理学者の岸田秀氏が本に書いていたように「イエスのようなペテン師に騙されてはいけませんよ」という理屈は、むしろ分かるのである(笑)。
だが、岸田氏は、いろいろあったとはいえ、家が金持ちで、戦後間もない頃に、早稲田を大学院まで出て、フランス留学し、博士号まで取った人ならいい(後に、博士号獲得が誤解であったと分かったが)。
嫌でも、今の不安な仕事に就いている人には、希望や勇気も必要である。
ピールは、不安に押し潰されそうな人達に、聖書の言葉を与えた。
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「もし、神が私たちの味方であれば、誰が私たちに敵対出来るだろう」
また、福音書の中で、イエスは、自分はいつでもあなた達の中にいると約束している。
だから、あの行商人のように、イエスは同伴者であると見なすことが出来るのである。
もちろん、自分が信じる神や仏があるなら、それを同伴者と考えれば良い。
こういったことを、宗教とか妄想と言う人も多いだろうが、そう言うのは、予測がつくことをしている人の場合が多いだろう。
そして、神が同伴者だと信じると、確かに、そうであるような状況になる。
神が身近にいると感じることが出来るものとして、よく知られているのは、聖書の詩編の23番と91番である。
第二次世界大戦中、イギリスのある部隊では、隊員全員に詩編91を暗唱させ、度々、唱えさせた。
すると、5年の戦闘で、1人も死者も出さなかったという。
やはり、何かの力はあるのではないかと思う。

尚、私は個人的にだが、『積極的考え方の力』は、桑名一央(相沢勉)訳の方が好きである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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