数ヶ月前、近所の老夫婦の猫が行方不明になってしまい、私はネコサーチに登録して、情報提供を呼びかけたが、反応はなかった。
しかし、愛猫探索の半端ない努力を続けた老夫婦のところに、遂に、待ちに待った発見の報が届き、老夫婦がすぐに行ってみると、確かに、懐かしい彼らの猫だったそうだ。
飼われていた訳でもなかったようだが、寝る場所と、美味しいご飯を与えてくれる家を2件も確保し、他の猫達と仲良くやっていたようだ。逞しいものである。
何だか、初音ミクさんの『キャットフード』を思い出す。

おいしいご飯があるなら 一緒に住んであげましょう
笑えるテレビがあるなら 一緒に見てあげましょう
あたたかい寝床があるなら 一緒に寝てあげましょう
それ以上何を望むの 聞いてあげましょう
~『キャットフード』(作詞・作曲・編曲:doriko。歌:初音ミク)より~

ところがなんと、その猫は老夫婦のことを忘れてしまっていて、彼らが近寄ると、警戒して逃げてしまうらしい。
何日も通って、説得(?)を試みるも、うまくいかないと言う。
犬は3日飼うと恩を忘れないというが、猫は奔放で気まぐれだ。まあ、そこも猫の可愛いところではあるのだが・・・

ちなみに、その猫と私は、あまり仲が良くなかった。
見かけると、私は必ずちょっかいを出していたが、少しも遊んでくれない。
ただ、以前は、私が少しでも近寄ると、一目散に逃げていたのが、失踪の前は、あまり近くに行かない限り、逃げずに、「にゃあ」と挨拶(?)してくれるくらいにはなっていた。
ところが、こんなことがあった。
4歳くらいの女の子が歩いているところに、その猫が近付き、女の子の真正面に立つと、「にゃあ」と鳴いて、いかにも「遊んでよ」という様子を見せた。
そして、女の子が歩くと、並んで歩いていった。
(私と女の子の)大きさの違いもあるが、やはり何か違うのだろう。
しかし、以前も書いたことがあるが、私は中学生の頃は、庭で猫の鳴き真似をいい加減にやるだけで、猫の10匹やそこらを集めることが出来た。
これは、テレパシーのようなもので、私は他にも、不思議なことをいろいろ、何の気なくやっていたものだ。

老夫婦が、その猫とよりを戻す(?)ためには、いくらか時間がかかるかもしれない。
猫に限らず、人でも宇宙人でも、天使でも、好意を寄せると、いずれは好意で応えてくれるものだ。
聖書にだって、「神と和らぎなさい(親しくしなさい)」と書かれている。神様だって、好きになれば、好きになってくれるのだと思う。
逆に、「このヤロー、気にいらねえな」と思っていると、向こうもそう思うものだろう。
好きな女性(あるいは男性)に好きになってもらうことも同じなのである。
純粋な愛を送れば、必ず愛で応えてくれる。
そうでないとすれば、こちらに何か不純なものがあるのだろう。まして不純な動機だらけでは、相手になってもらえるはずがない。
下でご紹介する本(『借金2000万円を抱えた…』)に書いてあったが、親しくしたい人に対しては、心の中で良いから、「愛してるビーム」と言えば良い。
こんな冗談を本気でやるなら、相手もメロメロになるさ。
ただし、愛されるのは簡単だが、いったんモメると、特に男女では厄介なことになる。
光線銃は、撃ちまくるのではなく、狙って撃つものである。

三千世界 常世之闇 嘆ク唄モ聞コエナイヨ
青藍の空 遥か彼方 その光線銃で打ち抜いて
~『千本桜』(作詞・作曲・編曲:黒うさP。歌:初音ミク)より~









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