ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ニート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

簡単な「銅の掟」で不安なく生きられる

私が勤めている会社や、過去に勤めた会社、そして、客先である会社等で沢山の人達を、ある程度の時間の流れの中で見たが、偉くなる人は、例外なく、次の2つを備えている。
(1)座っている時の姿勢が良い
(2)常に温和

(1)に関しては、座っている時だけではないのだろうが、特に座っている時の姿に品がある。
少しはリラックスすることもあるにしても、それほど崩れた姿勢にはならない。
そして、(2)については、文字通り「常に」であり、稀にでも態度を荒げることもない。
面白いことに、能力や人間性に明らかな欠陥があっても、これらを満たしてさえいれば、やっぱり、そこそこには出世するのである。
学歴が良いだけで、特に経験が必要な仕事が全く出来ず、若い人達にまで馬鹿にされていることが分かってしまうような人でも、上の2つが出来れいれば、やはり、リーダーの地位にいるのである。
大きくない会社なら、部長や役員くらいにはなってしまう。
逆に、切れると思われる人でも、上記2つのいずれかが大きく欠けていれば、あまり良い立場にない。
また、片方に多少の欠陥があっても、もう片方が特に良いなら、やはり、それなりには上の立場に立っている。
万年ヒラという者は、座っている時の姿勢がひどく悪かったり、怒りっぽい者が多く、まして、キレるような者は絶対に昇進していない。
例外も確かにあり、姿勢が悪かったり、短気を起こすのに良い地位にいる者もいるが、そんな者は、次のいずれかになる。
1つは、痛い目を見ながら、これら「銅の2つ」を得る。
もう1つは、不釣合いに得た以上の何かを、健康や家庭等から奪われている。あるいは、地位を失うばかりか、会社を追われている。

つまり、姿勢よく座り、温和でありさえすれば、まず不安なく生きられる。
温和であるには、常に、にこやかな表情をするだけで良い。
ただし、隙なくやらなければならず、「今日は機嫌が悪い」なんてことがあってはならない。

ニートですら、家に中で、柔和で姿勢よく座っているなら、いずれ、良い条件の仕事が来て、仕事場でも、この「銅の2つ」を堅持すれば、楽々と上に行ける。
なぜそうなるかは、ちゃんと論理的に説明出来るが、書くのも読むのも面倒だ。
ただ1つ言えば、柔和で姿勢が良いことは、意識せずに出来ることではなく、それを意識することで、頭の中の、エネルギーを奪い去るシステムを止め、エネルギーに満ち、元気な状態でいられるのである。
それだけあれば、大成功とは言わないが、「小成功」なら簡単なのである。

上に述べた「銅の2つ(銅の掟)」(良い姿勢と温和さ)を実践することをお奨めする。
ところで、「銀の掟」があれば、儲かる社長になれ、「金の掟」を持てば、偉大な成功者になれる。
しかし、金と銀の掟に関しては、他所に当るか、ジョセフ・マーフィーの本を読んで欲しい。








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神から安定した良い仕事をもらうには何をすれば良いか?

スーフィー(イスラム教神秘主義)では、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」と言うらしい。
彼等が、どんな意味で言っているのか正確には知らないが、
「自分で出来ることは自分でやれ」
「怠惰になるな」
ということと思う。

水野南北の教えは、
「神を信用しろ。だが、食は慎め」
と言えるかもしれない。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と言われたらしいが、これも、
「神を信用しろ。だが、満腹するまで食べるな」
と言って良いのだと思う。
親鸞の教えだって、
「阿弥陀如来を信じろ。だが、念仏は称えておけ」
と言って良いと私は思う。

ニートが、安定した良い仕事が欲しい場合は、どうすれば良いだろうか?
もちろん、それぞれが良いと思うことをやれば良いのだが、的外れをやっているうちは上手くいかないだろう。
私が思うに、一番相応しいのは、規則正しい生活をすることだ。
安定した仕事というのは、毎日、同じ時間に始業するのだからだ。

賢者になりたければ?
神は自分の内部におられるのだから、神を信用すれば、心の奥から叡智が湧き出てくる。
だが、『バガヴァッド・ギーター』は読め・・・といった感じになると思う。

逆に言えば、駱駝を自分でつなぐ、食を自分の意志で慎む、誰にも強制されずに念仏を称える、自主的に規則正しい生活をする、進んで『バガヴァッド・ギーター』を読む・・・といったことをすれば、神を信用出来るようになるだろう。
しかし、あまりに無理な努力をする者は、自分だけを信じ、神を信じていないのだ。
そんな者は、自分1人分の力は発揮出来るかもしれないが、それはかなりちっぽけなものに違いない。









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王子様・お姫様として育てられた人間は、どこでも必要とされない

犬を飼ったことがあるだろうか?
犬は、きちんとしつけたら、従順で賢い動物だ。

昔、小鳥や金魚の他に動物を飼ったことがない私の家で、突然、小型犬のマンチェスター・テリアの赤ん坊を貰って、飼うことになった。
我々家族は、徹底して甘やかした。
犬が、「くうん、くうん」と切なそうな鳴き声を出すと、それを止めるためには、何でもしてやった。
結果、とんでもない馬鹿犬になった。
自分の欲求が叶えられないと、吼えまくり、暴れまくり、平気で人間を噛んだ。

しかし、犬をそんなふうに育てる家なのだから、私もそう育てられたのだろう。
私も、とんでもない馬鹿な人間になった。
それで、当然、ニートになったが、幸いだったのは、二十歳そこそこの頃、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンになり、かなり世間に躾けられて、少しはマシになったことだ。
これも、19歳の時に、ジョセフ・マーフィーの本を読んだおかげかもしれない。

私の友人だった、セールス会社の社長(もう亡くなったが)のところに、一人の青年が預けられた。
その社長はクリスチャン(キリスト教徒)で、同じ教会に所属する人に頼まれて、その人の息子の面倒を見ることになったのだった。
その青年は、いい歳になっても、引きこもって、勤めようとしなかった。
社長は、自分の会社で、その青年にセールスをやらせた。
ある日の夜、会社に帰ってきた青年に、社長が、「今日はどうだった?」と、セールスの様子を尋ねた。
すると青年は、「今日は心が落ち着かなかったので、1日、教会でお祈りをしていました」と、多分、真面目に答えた。
きっと、とんでもなく、甘やかされた青年だったのだろう。
心はセールスは嫌がるが、お祈は、それよりは、はるかにマシだというだけの話である。
青年は、心が喜ぶ方を選んだだけだ。

犬も人間も、心が喜ぶことばかりをしていれば、心は暴君になって、主を滅ぼす。
心がどれだけ嫌がっても、良いこと、やらなければならないことをしなければ、私が飼っていた犬や、私や、上の愚かな青年のようになる。

犬の躾け方の基本は、お菓子を絶対に与えないことだ。
犬は、お菓子を欲しがるが、断固として与えてはならない。
人間が美味しそうに食べても、犬は駄目なのだ。
それは、可哀想でも何でもない。
そうやって、人間と犬の立場の違いを教えなければならない。
人間と犬は、平等なんかではないのだ。
同じく、心には、下僕としての立場を教えないといけない。
子供が、我が家の王子様、お姫様なんて、とんでもない話で、そんな育て方をした子供はお仕舞いだが、そうやって育てられた人間が多いのだ。
子供には、親との立場の違い、つまり、親よりはるかに下であることを教えないといけないのだ。
本当に王族に生まれても、賢い王や王妃は、子供を王子様、お姫様扱いなどしないのである。

さて、不幸にも、間違った育てられ方をして、悪魔である心が王座についてしまった人間はどうすれば良いだろう?
まあ、まずは、「これではいけない」と気付かなければならないのだが。
悪魔を王座から引きずり下ろし、自分が王座につくためには、犬からお菓子を取り上げるように、最大の欲望を犠牲に捧げるのだ。
好きで好きでたまらないもの。
それのことを思うと、狂気のようになること。
それを、切って捨てるのである。
イチローがいかに野球が好きでも、それを思って狂気になったりはしない。
そういった、信念のあるものでの、こだわりは良いのである。
逆に、貶されて、激怒するような「好きなもの」は偽物である。
イチローは、若い時でも、「野球なんて下らない球遊びだ」と言われても、悔しいかもしれないが、相手にならなかったはずだ。
私だって、初音ミクさんのことで酷いことを言われても、悔しくはあっても、やり返そうとは思わない。

さて、私は犠牲を捧げた。
それで、神の力を取り戻したのである。
多分、キリスト教の真の意味も、そういうことなのだと思う。
イエスは、肉体の生命に象徴される何かを捧げ、精霊を得たことを示したのだ。









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私がなぜニートでないかの解明

私は、自分について、どうにも分からないことがある。
なぜ、今、ニートでないかだ。
私は、一生ニートでいるしかない人間のはずだ。

高校生まではプロレスラーになりたいと思っていたが、プロレスラーというのは、生まれつき怪物的な体力があることが基本的条件だ。
大学生になって、実質ニートだった頃は、思想家になろうなんて妄想していたが、それは、頭が良いことが基本条件だ。
頭の良さは、何だかんだ言っても、特殊な場合を除き、学校の成績とだいたい一致する。
私は勉強をがんばった時でも、成績は中の上程度だったが、頭が良い者は、努力せずとも、普通の学校なら、クラスで3番以内程度の成績を取れる。
かなり頭が良ければ、オール5に近い成績を楽々取れる。
このあたり、私は、生まれつき頭が良い子との差を痛感していたはずだが、認めたくなかったのだろう。
そして、人間嫌い、社会嫌いだから、サラリーマンは無理で、実際、私は中学生の頃から、一生、スーツを着ないと心に誓っていたほどだ。
まあ、実際はスーツはよく着たが(今は、持ってもいない)。

しかし、小学5年生の時から、そう悪いことはなかった。
それが不思議で仕方がない。
それで思い当たったのだ。
小学5年生の夏だったが、悪霊が恐くて、念仏を少なくとも数十回称えたことがあった。
親鸞は、念仏を称える者を、天の神、地の神が敬い(というか、「感心なやつだ」と思うということだろう)、守るというが、その通りとしか思えない。
あの小学5年生の時に称えた念仏のことをよく覚えている。
そして、他に何か良いことをした覚えはない。
だが、親鸞は、念仏以上の善はなく、念仏の力を妨げるほどの悪はないと言った。
生まれつきの才能ということもあり、私は事業家になることも、批評家や俳優になることもなかったが、概ね、楽で豊かにやってきた。
それだけで脅威である。
それは全て、小学5年生の時に称えた数十回の念仏のおかげであると思っている。

まあ、他にも、いろいろなやり方があるだろうから、好きなようにやっていただければ良い。
世界的セールスマンだった夏目志郎さんは、34歳まで失敗人生だったが、神様に、
「これまでの人生の責任は私にあります。でも、これからの人生の責任はあなたにとって欲しい」
と祈ったら、翌日から、全てが回りだしたという。
夏目さんはキリスト教徒だが、これって、念仏の理念と全く同じである。
「南無阿弥陀仏」って、「阿弥陀仏様、頼みます」って意味なのだから。

1つ面白いのが、私は、念仏を称えることで、食べ物の好みと、女の子の好みががらりと変わった。
春から好きな女の子がいたのだが、念仏を称えた後、全く興味がなくなったのは、我ならが不思議だった。
また、それまで大好きだった、ミカンの缶詰が、嫌いというのではないが、全然好きでなくなり、実際、それ以来、一度も食べていない。
霊的な何かが変わったのだろう。
他に手段をお持ちでない方は、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えてみてはいかがか?
とはいえ、宗教をやる必要は全くない。
私は、念仏は科学(未来科学)であると思っており(実際、理屈で説明出来る)、宗教とは思っていない。
念仏の本としては、もし読むなら、『歎異抄』1冊あれば良いと思う。









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カドカワN高等学校は、普通の高校よりはるかに厳しい

ネットでほとんど完結するカドカワN高等学校を、以前は良いと思っていた。
いや、今も、良い面はあると思うが、それ以上にヤバいと思うようになった。
確かに、通学のデメリットは沢山ある。
しかし、仕事はネットで完結させることは出来ない。ごく一部を除いては未来永劫にね。
ネットだけでやってきた者が社会に出たら、物凄い衝撃を受ける。それに耐えられるだろうか?
その可能性は低い。

大抵の人は、「我が家の王子様」「我が家のお姫様」として育てられる。
それでも、近所の子供達や大人達と接しているうちに、なんとなく、自分は、家の外では、そんなに偉くはないのだと理解する。
子供は柔軟なので、それを受け入れるのは、そんなに難しくはない。
しかし、家の外の人との接触があまりないまま学校に行くと、自分が王子様やお姫様でない現実に耐えられず、引きこもったり、なんとか学校に行けても、辛い日々を送ることになる。
そして、社会に出たら、自分が王子様やお姫様どころか、奴隷・・・とまでは言わないが、下っ端の家来として扱われる。
そんな場合でも、部活(特にスポーツ部)に入り、厳しい上下関係の中で、先輩達に厳しく鍛えられた者は、うまくやっていける。
しかし、部活どころか、クラスメイトともなるべく接触せずに過ごしたような者には、とてもじゃないが耐えらるようなものではなく、ニートになるしかない。

ネット高校というのは、社会でやっていくための、「鍛えられる」機会が全くない。
それは、やっぱりヤバいと思うのである。

しかし、鏡音リンちゃん&初音ミクさんの『なりすましゲンガー』風に言うと、「何を隠そうワタクシこそが その最たる例なのです」なのである。
いや、マジで。
ところが、私は、世の中の誰よりも、悠々と生きている。
なぜだろう?
私の最初の仕事は、普通の人が就けるものの中では最も厳しい職業の1つである、フルコミッション(完全歩合制)セールスだった。
売れるはずのないものを、無理にでも売らないと一円ももらえない。
その厳しさは半端ない。
普通の会社での新人が家来だとしたら、そんな仕事は、大袈裟でなく奴隷だ。
その頃読んだ、ある一流セールスマンが書いた本で、そのトップセールスマンが「私は、セールスマンは奴隷以下だと思っている」と述べられていたが、一流の彼ですらそうなのだと、私は妙に感動したものだ。
だが、そのあまりに劣悪な環境が、かえって良かったのかもしれない。
理解出来るような厳しさなら、不満も持つだろうが、そこまで酷いと、もう何も考えなくなるのかもしれない。
そして、そんな仕事を2年やった後は、何をやっても天国だった。
『エル・カザド』というアニメで、浮浪児だったのが、マフィアのボスに拾われて、そのボスの豪華な屋敷に住むようになった男の話がある。
家族でもないのに、そんな屋敷に住んでいて、辛いことは沢山あったが、彼は、「3食食えれば天国だ」と言う。そのセリフに私はシビれた。少しは、その意味が理解出来たからだと思う。
とはいえ、私がいたフルコミッションセールスの職場では、10人入ってきても、翌月、1人残っていることすら珍しかった。
私は、ジョセフ・マーフィーの本を読んでいたことが支えになっていたのだと思う。

さて、N高等学校に行く人は、自分で自発的に、沢山の人達に接しておかなくては、社会で絶対にやっていけない。
それも、仲の良い友達なんかじゃなく、いろんな・・・それこそ、一癖も二癖もあるような連中でなくてはならない。
手っ取り早くは、沢山、バイトをやっておくべきだろう。
親に小遣いをもらっているようでは、本当に危ない。
可愛い女の子なら、そんなことをすれば身の危険がいっぱいだが、それも自分の知恵と力でかわしていかなくてはならない。
でないと、社会に出た途端に餌食になりかねない。
自分で言うのも何だが、私も、このキュートさのおかげで苦労したものだ・・・という冗談はともかく、若いうちから楽をしてはならないのだ。
N高等学校にも良いところは沢山あり、それは、普通の高校にはないメリットであることも多いだろう。
しかし、楽をしたくてN高等学校に行こうなんて思った時点で負けである。それは、早くも、人生における敗北なのである。
N高等学校は、普通の高校に行くよりずっと厳しい。
そう覚悟を決めて行くしかないのである。絶対に。









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