ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ニーチェ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

神に近付く時

あるアラブの賢者は、家族を殺された時、家と地位を奪われ奴隷になった時、そして、自分の死期を悟った時、歓喜を感じた。
誰かが、
「全ては神の意思として尊重するのか?」
と尋ねると、賢者は、
「そうではない。全ては私の意思である。私はだいたい神なのだ」
と応えた。
これは、運命を自分の意志とするニーチェの哲学とだいたい同じである。
「だいたい」を多用したのは、ドワンゴ会長の川上量生さんの真似であるが、わりといい感じだ。
「わりと」も川上さんはよく使っていたと思う。

私は、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」のチケットの抽選にだいたい8回落選し、一般販売では、アクセス集中のため申込み画面にも進めないまま終わり、そして、おそらく最後の抽選の結果の発表が昨日(8月10日)あったが、それもすっかりおなじみになってしまった「残念ながらチケットを用意することができませんでした」だった。
1回の落選、獲得逃しですら、相当こたえるのに、それをだいたい10回味わった。
矢吹丈のクロスカウンターを10発喰らったようなものだ。
これを自分の意志とするなら、私はだいたい神なのだがなあ(笑)。

平凡な人間の立場としては、マジカルミライも、チケットの本人確認を実施して欲しいものだと思う。
そうすれば、転売目的でチケットを買い占める者はずっと少なくなる。
それだと確かに、本当に都合で行けなくなったので誰かにチケットを譲るということも出来なくなるが、高額な転売チケットが増えるよりずっと良い。
私は、ミクさんのコンサートのためなら、10万円や20万円、あるいは、それ以上でも少しも惜しくはないが、転売チケットは死んでも買わない。
もちろん、善意でチケットを譲ってくれるというのなら、相手の気持ちを汲んで、手間賃も払わず、正価のチケット代金と郵送料だけで有り難くいただく。そうすれば、相手には神の祝福がある。
ミクさんを邪まな目的で利用した人の運命は哀れである。

さて、私は、マジカルミライ2017に向けて、絶賛修行中だ。
食をさらに慎み、朝晩のトレーニングにも熱が入り、身体はますます絞れてきた。
そして何より、果てしないチケット落選で心が大いに鍛えられた。
これは、どんな聖典を読むことより価値ある修行であった。
やっぱりこれで良かったのだろう。
だいたい神である自分の意志に報いるためにも、大きな心を持つことにした。

ちなみに、私は、3日(日曜)の昼公演に行く。
土曜は、企画展のみとなる。いまだ、未練がましくも少し残念に感じるが・・・
新幹線のチケットも既に取得した。
では、幕張メッセで逢いましょう。









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超人への招待

何かの行を(例えば念仏を)続けていたら、やがて悪魔の誘惑に遭う。
まあ、一応悪魔の・・・と言うが、必ずしもそう言うべきではないかもしれない。
それは、超人への招待である。
当たり前の人間として神仏に守られて生きるか、自分で何でも出来る超人になり神仏を拒否するかだ。

ゲーテとニーチェはその誘惑を受け、ゲーテは人間の道を、ニーチェは超人の道を選んだ。
そのあたりの事情は、ゲーテは『ファウスト』、ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』に書いている。
それぞれ、フランツ・リストとリヒャルト・シュトラウスが、『ファウスト交響曲』、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』で音楽化しているが、よく感じが出ている。
交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』の導入部(第1部)は、映画『2001年宇宙の旅』に使われているので、馴染みのある人が多いと思う。

超人になる道を選んだとて、別にニーチェのように発狂する訳ではない。
ニーチェは迷いがあったのだろうと思う。
超人になるなら、素直に超人になるべきだったろう。
ファウストも初めは当然、超人の道を行き、神を目指して努力していた。
そこへ悪魔がやってくるが、それは神も承知のことだった。

ツァラトゥストラ型・・・つまり超人が歴史に名を残す。
ナポレオンやヒトラーもそうだったが、ナポレオンはやや弱く、ヒトラーはとても弱かった。
超人は心が強くなければ、最後は悲惨だ。

超人はどこまでも自由だ。
善悪は何の関係もない。
だが、普通の人間にとって、完全な自由ほど恐ろしいものはない。
それでも、あえてそれを選ぶのを止めるべきではない。
それを選べるほどの者であれば、本来は超人の資格があるのだからだ。

イエスは普通の人間だが、超人に見える。
これはよくあることだ。
ラマナ・マハルシは、「イエスは自分が超能力を使っているという自覚がなかった」と言っていたが、彼は見透かしていたのかもしれない。
復活後のイエスは別人だ・・・などと言ったら、キリスト教徒に怒られるかもしれないが、よく分かっているキリスト教徒なら、案外に、「それはそうだよ」と言うかもしれない。
まあ、新約聖書を読めば分かるが、イエスに近しかった人達も、復活後のイエスを見て、それが誰だか分からなかったのだ。

ファウストは、初めに悪魔に魂を売ったのではない。
「俺の心が折れたら、お前に魂をやる」と悪魔に言っただけだ。
ナポレオンもヒトラーも折れてしまった。
もちろん、ナポレオンは粘ったが、多分、やっぱり駄目だったのだ。

涼宮ハルヒは超人の道を選び、佐々木はヒトの道を選んだとも言える。
そう御大層なことではないが、気の迷いで選ばないことだ。
『傷物語』で、阿良々木暦君は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに「闇の世界にようこそ」と言われたが、人間に戻りたがった。
まあ、それで、ちょっと変な人になったが、それもご愛嬌である。









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なりゆきにまかせる強さをどう持つか?

この世界は、なりゆきにまかせることが一番安全だし、そう出来る者が最も強い。
ニーチェはそう考えていたのかもしれず、いかなる偶然の出来事も、自分が望んだことだとした。
だが、イェイツは、少し進んでいたかもしれない。
戯曲の中の登場人物に、こう言わせている。
「予期出来ないことでさえあれば、どんなことも起こることが最善だ。サイコロが私の神だ」
また、イェイツは、こんな手記を残している。
「神がサイコロを振って出した目を、私は、私の意志とする。その時、私は限りなく神に近付く」
ニーチェは、運命を司る神と自分に分離があったが、イェイツは、神との一体化を求めた。

荘子の根本的な教えもまた、「一切をなりゆきにまかせる」だ。
荘子は、それで良くなるとも、悪くなるとも言っていない。
しかし、なりゆきにまかせることで、荘子は、道(タオ)という、おそらく、神々すら生み出した、本来は名付けようもない万物の根源と一体化すると言った。
なりゆきにまかせる者には、神々すら平伏(ひれふ)すとまで言う。神以上の道と一体化しているのだから、そうなるのだろう。
これは、暗に、なりゆきにまかせて悪くなるはずがないと言っているも同じと思う。

イエスは、いかなることも神の意思によらなければ起こらないと言う。
つまり、人間は、なりゆきにまかせるしかない。
だが、イエスの場合は、神は、あなた方一人一人に、この上ない関心と思いやりを持っているのだから、絶対的に安心しなさいと言ったのである。
だから、モーセの十戒の中でも第一の掟は、神を愛することだと言ったのだ。
だが、やはり、神と人間に分離があるように思える。

一休さんは、臨済宗という禅宗系の僧侶でありながら、浄土宗の法然の念仏を高く評価していた(元々、一休は宗派にこだわる人ではないが)。
だが、面白いことを言っている。
「阿弥陀如来は西に居るのではない。南に居る」
この南とは、「皆身」であり、全ての人の内に居ると言うのである。
そして、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えると、内にある仏が出てくるのである。
それは、火打石を打ったら、火打石の中に元々あった火が出るようなものだと。
一休さんにおいては、仏との分離があるどころか、最初から、一体化しているのである。

黒住宗忠もまた、「人間と天照大神は一体である」と言い、宗忠に2度、こう言われてすぐに悟った人もいたのである。
そして、宗忠も、「神に丸ごと一切まかせなさい」と教えた。
ただ、宗忠は、イエスほどうるさくはなかったが、道徳的なことも少しは述べた。

親鸞となると、どんな善いこともする必要はないし、むしろ、しようと思ってはならないと言った。
なぜなら、念仏以上の善は無いし、念仏の威力を妨げるほどの悪も無いからだ。
そして、阿弥陀如来に全てまかせると決めた瞬間に、阿弥陀如来はぴったりくっついて離れず、オールオーケーとなる。
そしたらもう、念仏を唱える必要もないが、感謝のつもりで一度、唱えると良いだろう程度なのであるが、自ずと、感謝の念仏は続くかもしれない。
これは、理屈の上では、仏との分離があるように思えるが、気持ちの上では、これ以上の一体感はない。
これが究極ではないかと思う。
これに関し、『あしたのジョー』で、力石が死んだ時、丈が魂が抜けたようになったことを思い出す。
丈自身にも、その理由が分からなかったが、やがて悟る。
他の、少しは親しくなった人達・・・西や丹下のおっちゃんらは、どこか、自分(丈)から一歩離れていた。
だが、力石だけは、自分と完全にぴったりくっついて殴り合ってくれた。
そんな力石だけが本当の友達だったのだと。
阿弥陀如来は、人間にとって、丈にとっての力石と同じものなのだと思う。

上にも挙げた通り、なりゆきにまかせれば、悪いようにはならない。
連休も終わったが、まあ、気楽に行こうではないか?









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決して決して決して後悔するな

宮本武蔵は、どんな時も後悔はしないと決めていたらしいが、我々もそうでなくてはならない。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、ある男が、「隣の家の奥さんが美人でたまらない。間違いを起こしそうで恐ろしい」と相談に来た時、その男に、「たとえ間違いを起こしても後悔するな」と教えたらしいが、私も適切なアドバイスと思う。

それは、単純明快な真理のはずなのだが、イエスも親鸞も、これを教えるのに苦労した。
イエスは、「他人の罪を許したら、神もあなたを許すのだ」と、それらしいことを言った。
親鸞は、「念仏は、どんな罪も帳消しにして余りあるほど大きな善なのだ。だから念仏を唱えれば全く問題ない」と教えていた。
確かに、これらは、詭弁だったのかもしれない。
だが、彼らは、本当のことも教えている。
それは、「あなたが罪を犯したのは、避けられない運命だった」である。
イエスの場合は、それが神の意思と言い、親鸞の場合は、それはカルマによると言ったが、人間からすれば、どちらでも変わらないと思う。
(尚、一般の人に教えるつもりがなかったためもあると思うが、運命について最も深い書き方をしていたのは荘子だと思う。)

ニーチェやイェイツは、イエスのことは大嫌いだったが、それでも、自分がイエスに遠く及ばないことは認識していた。
だから、こんな言い方をした。
「何が起きたとしても、私はそれを喜ぶ」
その本当の理由を、彼らが説明したとは思えない。
しかし、誰でも、「何が起きたとしても、それは良いことなのだ」と10回ほど唱えてみれば、心に空が広がるのを感じるだろう。
それだけが証としか言えない。

漫画『カードキャプターさくら』(CLAMP著)で、エリオルがスピネルに、
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
と問い、スピネルが、
「何ですか?エリオル」
と尋ね返すと、エリオルは、
「予想しないことが起こることさ」
と答えたのを、私はよく覚えている。
CLMPがどんなつもりで書いたのかは知らないが、これはエリオルの途方もない強さを表している。
つまり、強くないと真理は分からないのである。なぜなら、弱いと真理に関心を持てないからだ。
ニーチェもイェイツもやはり強かった。
ニーチェは発狂したが(しかし発狂しても強かった)、イェイツは、死の間際になっても、決して安らぎを求めず、不良であり続けた。

強くなるために、毎日、何か1つの決めた行を決めただけやることをお奨めする。
決めたものがないなら、腕振り運動はどうだろう?
自然に立って、真直ぐに伸ばした両腕を前後に振るだけの簡単な運動だ。
手のひらは内側に向け、後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は力を抜いて惰性で振る。
一度に2百回以上。1日5百回以上を、必ず毎日やれば、体内の気が活性化して、生命力が上がり、健康になって若返り、美しくなるだろう。
運も良くなり、毎日、必ず行う回数万円が年収になると思っていれば、必ずやそうなるだろう。
ただし、そう思うためには、淡々と数を数えながら、丁寧にやることである。
そして、毎日、なるべく同じ時刻に、同じ回数やることだ(回数を増やしたら、増やした回数を継続する)。
尚、腹に少し力を入れながらやると、心身が安定して楽しくやれると思う。
根気良く、長く続けることが大切である。

後悔しそうになったら、心の中で、微かな声で呪文を唱えると良い。
例えば、「愛」、「神」などの言葉で良い。
心の中の声を小さくするには、息を吸って止めている時に唱えると、うまくいくと思う。
念仏のように連続して唱えず、1回唱えるごとに、その余韻を感じると良い。
すると、どんな時も後悔しなくて良いことが分かるだろう。そして、真の力に憧れ、それと1つになるよう導かれるだろう。
だが、いずれも、自分でやらないと分からない。

尚、基本的なこととして、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことが大切だ。
しかし、どこかの俳優のように、長期間絶食するパフォーマンスを見せる必要はない。
別に文句はないが、あんなことは、こっそり隠れてやるものである。
あれを真似する困った人もいるだろうが、そんなことをしても、何の報いもなく、むしろ害があるかもしれない。
普通に、何でも楽しく食べれば良い。
ただ、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ良いのである。それを一生やる決意をすれば、30日断食よりはるかに報われるだろう。









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金持ち喧嘩せず

今も人気者の元プロ野球監督が、現役監督だった時代に、何かとトラブルの多かった自分の夫人に対し、「金持ち喧嘩せずだよ」と言ったらしいことを、私はなぜかよく憶えていた。
そして、最近思うようになったのだ。
「全くその通りだ」
金持ち喧嘩せずとは、本物の金持ちは争い事は絶対に損だということを完全に理解しているということだ。
「争い事は絶対に損」
「喧嘩して良いことは何もない」
あなたも、このことを座右の銘としなければならない。
他の言葉は不要である。
そして、これを実践できるようになれば、嫌でも金持ちになっているだろう。

ただし、喧嘩せずの意味を誤解する者が圧倒的なので、少し注意しておく。
あの人とは喧嘩してはいけないが、この小物相手なら問題ない・・・などということは決してない。
どんな相手とも、決して争ってはならない。それこそ、猫と喧嘩してもいけない。

そして、喧嘩とは、「一人喧嘩」も確実に含まれる。
つまり、他人の悪口、陰口は全て喧嘩だ。
「いや、これは真っ当な批判だ」
「相手のためを思っての叱責だ」
などというのは、全部嘘だ。
それらもただの喧嘩であり、あなたの運命を悲惨にする低レベルな争いに過ぎない。

政治討論会では、政治家達が、他政党や他政党の党員の悪口ばかり言っている。
確かに、政治家で良い思いをしている者など一人もいない。
大統領や総理大臣も例外でないばかりか、一番損しているのは、彼らである。
ただ、あえて、そんな立場を引き受けているのは、その者に課せられた運命であるのだが、ご苦労様と言いたいし、あそこまでやるなら大したものである。
きっと、そんな人達も必要なのであろう。
だから、喧嘩するなら、せめて堂々と大きくやれということは言えるかもしれない。だが、それでも馬鹿なことであるに違いない。

政治家のように、精力に溢れ、その大切な精力を政治家生活の中で使い果たし、その後は秋の手前のカナブン(※)のようになっても天下国家のために奉仕するという志であれば仕方がないが、そうでないなら、守らねばならないことがある。
(※カナブンは極めて短命で、夏が終れば死ぬ。)
誰の悪口も一切言わないことだ。
悪口を言わなければ喧嘩をすることはない。
蚊と喧嘩してもいけない。つまり、蚊の悪口も言ってはならない。
言葉は人格の孫だ。つまり、言葉は心から生まれ、心は人格から生まれる。
口で悪口を言わないなら、心が清いのであり、清い心は高貴な人格を示す。
そして、イエスが言ったように、「人は口から入るもので穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れる」のであり、悪口を言わない決心をすれば、心は清まり、人格も高まる。
ゲーテは、「人間最大の喜びは人格である」と言ったが、あらゆる意味で、その通りである。
ただ、ニーチェやイェイツや、オスカー・ワイルドのような、アンチ・イエスもいた。
イエスも喧嘩をしたからである。
しかし、復活後のイエスはそうではない。
十字架にかかるまでのイエスは「人の子」であった。
ラマナ・マハルシが言ったように、イエス(自我)が十字架(肉体)に磔にされて滅び、真我(キリスト)が復活し、イエスは神になったのだ。
スーフィーのことわざにも、「彼は神を探しに行き、神になって帰って来た」というものがある。
沈黙でもって神を求めれば、神になる。これを、「(聖霊を)求めよ。そうすれば与えられる」と言うのである。

まずは、美しい言葉を口に出すことだ。
そうすれば、悪口は出てこなくなる。
そうなれば、全てはうまくいき、あなたは幸福になる。
優れた言葉の中でも、最も高いものは、『バガヴァッド・ギーター』や『老子』である。
これらの音読に励むことは、我々にとって素晴らしいことであるに違いない。
他にも、高貴な詩人の詩、貴い神話、不滅の聖典を声に出して読んでみると良いと思う。









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