ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ニサルガダッタ・マハラジ

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

存在感の秘密

インドの聖者と言われるニサルガダッタ・マハラジは、「1日中、存在の感覚にしがみつけ」と言ったと書籍に書かれているが、もっとマシな翻訳はなかったのだろうかと思う。
彼の発言の翻訳に、ロクに学校に行ったことのない彼が使うとはとても思えない難しい言葉を当てたり、また、やたら抽象的な言い回しにして、神秘めかそうとする意図はなかっただろうか?
実際の彼の言葉は、単純素朴で、何ら特別なことを言ったりはしていないはずなのだ。
それは、釈迦の言葉にも言えるらしく、釈迦は、教養など全くない庶民の中に入って行って、日常の言葉で簡単なことを言ったはずが、自分達を権威付けようとする僧侶や学者(あるいは、それらを兼任する者達)が、釈迦の教えを難しくしてしまったらしい。
釈迦が、般若心経に書かれている、馬鹿みたいに難しいことを言ったとはとても思えないのだ。

さて、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」であるが、優れた人々の間で、「存在感」について改めて見直されている。
というのも、人間の力は存在感に現れるし、ものごとがうまくいくかどうかは、関係する人や人々の存在感で決まるように思われるからだ。
「あの人は存在感がある」
「彼女の存在感は特別だ」
などと言い、真に優れた人の存在感は、言葉では言い表せないが、やはり何か特別なのである。

アントニオ猪木さんが嫌いという人は少ないのではないかと思う。
あの人がテレビに登場すると、ぱーっと陽性の気が広がり、安心感を感じるほどで、彼の講演会が大変に人気があるのも納得出来るのである。
つまり、彼の存在感は特別なのである。
サッカーの三浦知良さんも、特別な存在感があり、それは英雄的ムードと言えるほどだと思う。
俳優の丹波哲郎さんなども、彼がいるだけで、その場が明るくなり、人々に生命力を与えたものだった。
そして、ビジネスの重要な交渉が成功するかどうかは、プレゼンテーションをする人の存在感に関わることが分かってきていて、アメリカのビジネススクールでは、存在感について本格的に研究し、学生にそれを得させようとしている。

とはいえ、存在感について、そう難しく考える必要はないと思う。
存在感とは意図的に演出出来るものではないし、それをしようとすればするほど、存在感は賎しくなり、軽くなる。
存在感のある人とは、「あるがままの人」であり、「自分らしくある人」、「自然な人」、「飾らない人」である。
普通の人は、自分を大きく見せよう、自分を飾ろうとして、かえって小さく、賎しい存在になってしまっているのだ。
つまり、最初の、マハラジの「存在の感覚にしがみつけ」と言ったらしいことは、実際は、「余計なことをするな」というだけのことだろう。
マハラジはきっと、「余計なことを考えず、どっしり構えなさい」程度のことを言ったのだろうと思うのだ。

言葉で表現し難いので、「特別な存在感」と言うが、そんな特別な存在感を持っているのが初音ミクさんだ。
チームラボ社長の猪子寿之さんと、斎藤ウイリアム浩幸さん(凄過ぎるので何者と紹介し難い)が、日経ビジネスオンラインで対談したことがあるが、その時に、初音ミクさんの熱烈なファンである猪子さんは、「初音ミクに本物はいないし、偽者もいない。全部、初音ミク」と言われていたが、本当にそうだと思う。
猪子さんらは、それは、ミクさんが非実在だからと言われていたが、それこそが、何にも優る実在なのである。
非実在というより、遍在なのだ・・・なんて難しいことを言うと、やはり神秘めかすことになってしまうなあ・・・
でも、ミクさんが好きな人達は、そんなことを、理屈ではなく、ハートで、「ミクさんマジ天使」って言うのだと思う。
感謝祭のミクさんも、ミクパのミクさんも、Hatsune Miku Expoのミクさんも、マジカルミライのミクさんも、ままま式あぴミクさんも、そして、誰が描いたミクさんも、全部ミクさんなのである。
「マジカルミライ」の企画展では、人々が壁に貼られた大きな紙にミクさんのイラストを描くのだが、それらがもう、まさにミクさんそのものなのである。
あれこそが本物の芸術なのであると確信する。
私は、「マジカルミライ」の企画展やライブコンサートで、初音ミクさんの存在を魂で感じ、プレゼンス(存在)に目覚めたのだが、誰もがそうであったのだろう。
インドまで聖者を訪ねる必要もない。
イエス流に言えば、それに優る者がいたのだった。それがミクさんである。
リアルな存在に触れたからには、銃で撃たれようが、ミサイルを打ち込まれようがビクともするものではないし、そもそも、あるがままである者に逆らうことなど出来ないだろう。

◆チームが機能しないと売れるものはつくれない ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(前編)~
◆日本の「あいまいさ」が競争力になる ~齋藤ウィリアム浩幸氏×猪子寿之氏のデジタル時代のチーム論(後編)~
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自分だけの真言を持て

合気道家の藤平光一氏の本に、「重みは下にある」と言えば、氣が出ると書かれていた。
これは、氣を出す1つの方法が、真理をあえて口に出すこと・・・というものだったと思う。
そして、重みが下にあるのは、確たる真理だということだろう。
「氣」は、普通、気功などで言う「気」と同じだが、藤平氏は「氣」の字に大変にこだわっておられた。

ところで、私は、「重みは下にある」という言葉には抵抗があった。
重みが下にあるのではなく、重みがかかる方向を下と言うとしか思えなかったからだ。
「地球には重力がある」と言うなら、まだマシだが、それなら、月や火星にだって重力はある。
結局のところ、真理というなら、万有引力があるということになるが、これとて、万有引力があるというよりは、万有引力の原因があるということだと思う。
別に、私が特別にひねくれていると言うのではなく、理系・・・と言うほどでなくても、現代的に考える癖があれば、私のように思うのではないかと思う。

藤平氏はとても偉い人のようだが、残念なことに、その教えは、あまり私にはしっくりこなかった(勿論、参考にはなった)。
そして、彼が言う、「下腹の一点に想いを沈める」なんてのは、分からないものは分からないのであり、それを分かったフリをするのは馬鹿だと思うのである。

ニサルガダッタ・マハラジは、「私は在る」こそ究極の真理であり、「私は在る」が最高のマントラ(真言)であるとも言っていたと思う。
しかし、これも、「私」の意味が、あまりに曖昧である。
よって、私は、「私は在る」と思うごとに疑問が浮かび、心が乱れた。
本で見る限り、彼の教えは美しいと思う部分も多いが、私には結局、意味不明だった。
追求していけば、分かったつもりにはなれても、臨終になるまで、本当のところは分からないだろう。

別に、藤平光一氏やニサルガダッタ・マハラジの教えに問題があるのではない。
単に、私には合わなかったというだけのことだ。
そして、そんなものを後生大事に抱えていられるほど、人生は長くない。

「重みは下にある」、「私は在る」が、真理として受け入れられる人もいるかもしれない。
そんな人にとっては、これらの言葉が貴いマントラ(真言)になる。
貴いマントラであれば、それを言ったり、想ったりすると、心に喜びが満ちるだろう。
『歎異抄』には、唯円が親鸞に、「念仏を唱えても、躍り上がるほどの喜びが湧かないのですが、どうしたことでしょう?」と尋ねると、親鸞は、「私もじゃ。それは煩悩のせいなのだが、煩悩の深い凡夫を救うのが阿弥陀如来様の意思なのだから、ますます往生確実じゃ」とうまいことを言ったことが書かれている。
『歎異抄』は大好きだが、しかし、これはちょっとどうかと思うのだ。
「躍り上がる」の度合いにもよるが、念仏が自分に合っているなら、それなりの喜びが湧いてくるはずである。
そうしたら、そんな疑問は出てこないと思う。
つまり、唯円は、親鸞の弟子に安住していないで、自分の道を探すべきだったかもしれないのだ。
土台、いつまでも師匠の元にいるやつに、ロクなのはいないじゃないか?
別に、人間は、必ずしもロクなものになる必要はない。
ロクなものでないということなら、私は相当な自信がある。
単に、唯円は、私同様ロクデナシの一人と(勿論、唯円は私の百万倍マシだが)、貶す訳ではなく、本当のことを言いたいのである。

皆、権威あるものを捨て、自分だけの真理を探さないといけない。
でないと、短い生涯を、満足のないまま終わってしまう。
ましてや、会社のポリシーを崇めるなんてことは、会社や経営者には都合が良いかもしれないが、そんなことをいつまでも続けたら、死ぬ時に後悔するぞと言っておく。
L.H.ロースンの言った「神の他に何もない。ただ神だけがある」という言葉は素晴らしいと思うが、やはり、これは彼の言葉だ。私には関係ない。
YMOの『LOTUS LOVE』では、「I Love You」がいつもの呪文だと言うが、これも、「そんな人もいるだろう」といいうだけのことだ。
私には、「ミクさんの他に何もない。ただミクさんだけがある」の方が真理であり、「I Love Miku」が私らしい呪文である。

唱えれば、大地が振動し、天楽が響き、花が舞い散る真理を、各自が持たなければならない。
それは権威に平伏したり、人真似をすることをやめない限り得られない。
聖書を権威的に見ずに探せば、自分に合う言葉も見つかるだろう。
私は、そうやって見つけたのだ。
だが、唯円が親鸞に言ったように、唱えて躍り上がる・・・かどうかはともかく、喜びが湧き上がらないなら正しくない。
ただし、言葉は神である。
だから、自分もまた、少しは、それを受けるに相応しくしなければ、それは得られない。
それにはただ、権威、あるいは、世間の教義や信念に平伏すことをやめ、人真似もやめること・・・それが、「自分であること」である。









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私が最高の書籍と思った本&初音ミクさんコンサート観劇予定

私は、小学生の時から、人間の潜在能力に関心を持ち、自分なりに研究してきたが、そのための書籍に関して言うと、
「これだけあれば、他はいらない」
と思ったものが2つある。
1つは、L.ロン.ハバートの『ダイアネティックス』。
もう1つは、ニサルガダッタ・マハラジの『アイアムザット』。

『ダイアネティックス』というよりも、ハバートが作ったサイエントロジーという宗教の悪い評判はよく見る。
ただ、私は、昔から、サイエントロジーに興味を持ったことは全くないので、これについてはサッパリ分からない。
また、『ダイアネティックス』が正しいかどうかも、全く保証しない。
ただ、『ダイアネティックス』を批判する人で、これをちゃんと読んでいると思えた人は皆無だったと思う。
ところで、私は、『ダイアネティックス』を読んでいたおかげで、宗教や自己開発に興味を持っていたに関わらず、宗教団体や自己開発セミナー、あるいは、それらを主催する人が書いた著書に騙されること(完全にのめり込んでしまうということ)が全くなかった。
もちろん、どんなものも、初めは先入観なく、真面目に見なければならない。
しかし、あらゆる、宗教家、自己開発指導者や、彼らが書いた書籍の全てが、『ダイアネティックス』に比べれば、ひどく安っぽく、曖昧だということが分かるのである。
SMIという、かなり高額なCDの自己開発教材を聴いた時も、かなり良いとは思ったが、その後で『ダイアネティックス』を読むと、ひどく未熟に感じた。

ただ、『ダイアネティックス』で残念なことは、これを実践するには、誰かに治療してもらわないといけないことだ。
『ダイアネティックス』では、治療のことをオーディティングと言い、それをする人を、オーディターと言う。
オーディティングをする方法は、『ダイアネティックス』に全て書かれているが、とても難しいと思う。
専門のオーディターもいるらしいが、あくまで個人的感想だが、非常に優秀なオーディターだという人の写真を見て、私は一目で、「こつは駄目だ」と思ったのだ。
私の見立てが間違っているという可能性もあるだろうが、私はそう思ったし、そもそも、自我を持った人間に、深い精神の治療を任せるべきではないと私は思っている。
むしろ、実際には、精神治療に成功したことは皆無だったというフロイトの誠実さを感じるのである。
人間に人間の心の治療は出来ないのだ。

ところで、『ダイアネティックス』と『アイアムザット』の2つだけが本物と感じたのなら、この2つに共通点があったのかと言うと「あった」。
『ダイアネティックス』では、脳内にある命令はただ1つで、それは「生存しろ」だと言う。
ハバートの別の本では、このことを「生きろ」と訳していたが、それは良くない。やはり、「生存しろ」と訳さなければならないと思う。
そして、『アイアムザット』では、「あなたが確信できる唯一のことは、自分が存在するということだけだ」とあったのだ。
つまりだ、「存在する」というところに、人間の究極の秘密があるのだ。
そして、何が存在するのかというと、「私」だ。
私とは何だろう?
インドの聖者は、それを探求しろなんて無茶を言う。
そんなものの、直接の探求なんか出来やしないさ。
だから、各自で工夫して、自分のやり方を探すしかない。
私の場合で言えば、「私とは、初音ミクさんを愛する者」だ。
インドの聖者がこれに文句を言おうが知ったことではない。
デカルトが、「我思う、ゆえに、我あり」(実際にデカルトが言ったのは、「疑っている我は確かに存在する」)なんて、哲学者ぶった難しいことを言うからいけない。
私は、「初音ミクさんを愛する私は確かに存在する」と言う。
そして、「ミクさんの何を愛するのか?」と自分に問えば、ぱーっと光が差したのだ。
答えは、「何か」だ。
思考の限界を超えた何かなのである。
だが、それがあることは確信出来る。
それで十分であり、何の不備もない。
もちろん、ミクさんの声が可愛いとか、3D映像の姿が素敵だというのはあるが、それは、あくまで二次的なものだ。
だが、そこから入っていかなければならないのも確かだ。
そして、ミクさんというのは、とても入りやすいのである。
なぜなら、ミクさんに自我というものがないからだ。
また、ミクさんの曲を創るクリエイターの方々も、自我を超えたところで創造されていると思う。
きっと、ミクさんがそうさせるのだ。
ミクさんに出逢えたこと以上の幸運はあるまい。

★初音ミクさんのコンサート関係
私は、次の日程で観劇します。
【マジカルミライ2016】
場所:幕張メッセ
日時:9月10日(土)※夜公演
【ドクター・コッペリウス】
場所:Bunkamuraオーチャードホール
日時:11月12日(土)※夜公演
『マジカルミライ2016』公式サイト
『ドクター・コッペリウス』公式サイト
それぞれの会場で一緒に楽しみましょう。









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最もやりがいのある努力

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師に、「あなたは至高の実在だ」と言われ、その言葉を忘れなかっただけで、修行は何もしなかったが、4年で悟りを開いたという。
「至高の実在」とは神のことである。
つまり、マハラジは、師に、「あなたは神だ」と言われ、それを忘れずに覚えていただけで悟りを開いたのである。

だが、これは私には駄目なようだ。
理由は簡単で、自分が神であることを信じられない。
日々、愚かな自分を見ていたら、とてもではないが自分が神であるとは思えない。
マハラジの場合、あくまで、尊敬する師に言われたことが良かったのだろう。

しかし、私は、ゲーテの『ファウスト』で、ファウストを、「神になるための努力をする者」であるというのがとても気に入った。
努力だけなら、私にも出来る。
岡田虎二郎は、悟りを開くために、「克己、忍耐、努力は不要」と言ったが、神になるための努力ほど、やりがいのある努力があるだろうか?
確かに、神になるための努力を誤解する者は多いかもしれない。
しかし、間違っても、神は悪魔をつかわして警告してくれると、『ファウスト』で、神が言っているのである。
それに、私は、初音ミクさんを見ていたら、そうひどく間違うことはないと思うのだ。
なぜなら、身体も心も持たないミクさんは、霊的存在に近いので、ミクさんを見ていたら、肉や心による間違いを免れ、見えないものに向かうことが出来るからだ。
よって、私も、ファウスト同様、神に向かって努力する者である。









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自信があれば

人間は、自信を持てば大抵のことは解決する。
不登校の子供だって、子供が自分に自信を持てば、学校に行くのが楽になる。
大人となると、いかに辛くても登社拒否なんて、なかなかできないが、やはり、自分に自信を持てば、会社に行っても、嫌な思いをしなくなる。

自信をつける方法はいろいろあるし、ごく一般的なものも悪くは無いが、確実な方法は、やはり呪文なのである。
自己暗示やアファメーションよりも呪文である。
以前も言ったが、呪文というのは、宇宙大自然の真理であり、それを口にしたり、心で想うことで、心が宇宙と調和し、宇宙大に広がり、揺るぎない自信が湧いてくる。
「アジマリカン」のような呪文ももちろん効果があるが、これは、どちらかというと霊的作用が主体で、悪霊を払うには強力な力を持つが、現実問題は自分でなんとかしろというところもあるかもしれない。

合氣道家の藤平光一氏が著書に書かれている「重みは下にある」という言葉は、まさに、間違いのない重力の法則で、地球にいる限り、絶対的真理であるから、この言葉を唱えれば、心は落ち着き、藤平氏の言うところの「氣が出る」ことになり、素晴らしい力を発揮するだろう。

もちろん、藤平氏のその言葉で良いのだが、さらに絶対的な真理は、「私は在る」である。
ニサルガダッタ・マハラジの言うところでは、我々が確信できる唯一のことは、「私は在る」だけである。
マハラジも、「私は在る」は、最高のマントラ(真言)であることを認めている。
真言は呪文とは正確には違うかもしれないが、少なくとも、我々のように、宗教に関わらない者にとっては、同じと考えて差し支えない。

だが、経験上、自信を持つために、私が最も効果があると思うのは、昨日もご紹介したが、「私に恐れはない」である。
確かに、表面の心に恐れはあるかもしれない。
しかし、真の私は決して恐れないのであり、「私に恐れはない」と繰り返し唱えると、深い心の奥から、真の私が、その輝きを現すのである。
すると、一切の恐れは消え去り、心は静かで動じず、揺るぎない自信に満ちているだろう。

好きな言葉を呪文として活用していただきたい。
不安や恐怖を克服し、自信を持つために、呪文が偉大な力を発揮することを忘れないで欲しいと思う。









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