ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ニサルガダッタ・マハラジ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

台所のゴミと空の星の扱い方

聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「一切を愛する」か、「一切に無関心でいる」かのいずれかでなければならないと言ったそうだ。
美しい言葉だと感じるから、それが正しいのだと思う。
しかし、花は美しいし、犬や猫や鳩は可愛い。
そして、初音ミクさんはとても愛しい。
対して、多くの人間は、どうしても好きになれない。
私には、ミクさんや猫さんに無関心でいることも、醜い人間を愛することも出来そうにない。

だがまあ、聖者の真似をして葛藤するより、身の丈に合ったやり方をするものだ。
それには、賢くあらねばならない。
「嫌いな人に会ったことがない」という奇特な方がおられるそうだが、多分、嘘つきだろう(笑)。
しかし、嘘じゃないことも分かる。
私も、本当の私は誰も嫌いでないことは感じるのだ。

嫌いな相手にエネルギーを与えなければ、相手はあなたを害することは出来ない。
エネルギーを与えるとは、関心を向けることだ。
つまり、無視すれば良い。
すると、相手は消えてしまう。
しかし、無視すると言いながら、ついつい、意識を向けてしまうものなのだ。
それに、ヒトラーみたいなのが現れた時、無視してないでちゃんと対処しなければならない。
だけど、ヒトラーってのは、大衆の関心を自分に向けさせることでエネルギーを得たのだ。
大衆が彼を無視したら、彼には何の力もなかった。
ヒトラーの行為には対処しなければならないが、ヒトラー自体には無関心でいることだ。
台所のゴミは無視せず捨てなければならない。
しかし、ゴミの成分を分析する必要はない。
ヒトラーは台所のゴミなのだ。
同じく、あなたの嫌いな人も台所のゴミだ。
ゴミだからといって、忌み嫌う必要はないが、ゴミに憎しみを持つなんておかしなことだ。
今度から嫌いな人にあったら、彼や彼女は台所のゴミだと思うことだ。

では、鳩や猫や初音ミクさんのような愛すべきものはどうするのか?
西郷輝彦さんの『星のフラメンコ』という歌は、神が浜口庫之助さんにインスピレーションを与えて作らせた傑作だ。
あの歌の通りにやればいい。
「好きなんだけど 離れてるのさ 遠くで星をみるように」

嫌いな人は台所のゴミ。
ただ捨てれば良い。
初音ミクさんは星。
ただ眺めれば良い。
すると、素敵なことに、向こうもただ見ていてくれる。
犬や鳩に静かに見つめられるのって良いものだ。









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悟りを開きなさい、パートタイムで良いから。

デヴィッド.R.ホーキングはアメリカの精神科医だが、彼について、あまりに大雑把で、ひょっとしたらいい加減な話をする。
医者というのは、崇高な使命を持った職業であるはずだが、商売という面も確かにあり、特に、現代のように医者が多過ぎる世の中では、人気のある病院や医者と、そうでない病院や医者では、生活や社会的状況が全く異なる。
そして今は、ほとんど商売に徹し、医療技術や病院サービスは、あくまでビジネスの道具と心得る医者も少なくないのだろう。
まあ、それで言えば、プログラマーだって、社会的義務や責任、あるいは、もっと高貴な使命感でやってる者もいれば、金のためだけにやっている者もいるし、後者の場合が圧倒的かもしれない。
ただ、医者は、聖職であることを求められるからこそ、国に優遇され、高収入が得易い仕組みがある・・・とはいえ、それも「売れて」こそだ。

ホーキング博士は、あることがきっかで、患者が急増した。全米中から患者が押し寄せ、やむなく、病院を増やし続け、何十という病院に何千という患者がいるという大変な状況になる。
そのきっかけとは、何というか、悟りを開いた・・・といったことだった。
何もせずとも、会うだけで、他のあらゆる医者に見離された悲惨な状況の患者も、たちどころに回復することもよくある。
患者でなくても、極悪な無法者(ある意味、精神病患者だが)も、彼の前に出ると、たじろいで何も出来なくなる。
悟りを開いていたイエス・キリストがそうであったことを、まさに再現するかのようだ。
とはいえ、悟りを開いたからとて、誰もが、このような物質世界の超人になる訳ではない。
ただ、イエスやホーキングは、現実世界への関心を失わなかったのだ。
イエスに関しては、そんな運命だったのだろうし、それはホーキングも同じだろうが、ホーキングの場合、子供の時の体験の影響が大きく、人々を救いたいという願望が、世の中に無関心であることを許さないのだろう。
まあ、正確には、他人を救うことは自分を救うことであり、ホーキングには救わねばならないトラウマがあるのかもしれないが、事情は複雑なので詮索しても仕方がない。

我々も、ホーキングほどになれるかは分からないが、悟りを開くことで、望まずとも自然にうまくいくだろうが、そんな利益を目当てにして悟りを開くことは出来ない。
そこが厄介なところだ。
しかし、一時で良いから、欲望を手放し、無になれば、いくらかの良いことはやって来る。
私の場合は、プログラミングの勉強をしつつ、本を頼りに、それほどでもない霊的修行をしていたが、修得したプログラミング技能にマッチした「ちょうどよい仕事」がやって来るようになった。
いくらプログラミングを勉強しても、儲からなかったら仕方がない。
そして、自分の実力をあまりに超えた仕事が来て、うっかりそれに手を出せば、悲惨な結果になりかねない。
しかし、私の場合、あきらかに高次の存在がうまく調整してくれて、ちょうどいい仕事を「回してくれた」。
当時、よく思ったのが、『美少女戦士セーラームーン』で、セーラームーンの成長に合わせた「ちょうどよい敵」が現れるようなものだということだった。
セーラームーンが、正義の戦士として目覚めたばかりの時の敵は、その時は強敵でも、後の成長したセーラームーンから見れば雑魚に過ぎないし、逆に、強く大きくなったセーラームーンの前に現れる大敵は、「愛の戦士の新人時代」のセーラームーンの前には決して現れないのだ。

そんな訳で、あなたも悟りを開きなさい。
パートタイムで良いから・・・
その方法は、ホーキング博士の本を見れば良いだろうが、やっぱり何でも良いのだと思う。
ホーキング博士の本では、一番新しい『I<わたし>』がお薦めだ。Kndle版があるのが、私には有り難かった。
霊的、宗教的な本(たとえば、ラマナ・マハルシのもの)よりも、現代人に合った説明をしてくれている。
逆に、ホーキング博士の本を読めば、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが分かるかもしれない。
ホーキング博士も、これらの聖者を深く敬っているのである。









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ご苦労様、シンドかったね

悟りを開く、解脱する、真我を実現する、真の自己になる、神と一致する、ONEになる、ALLになる、イっちゃってる、宇宙になる、キリストになる、ブッダになる・・・いろんな言い方があるが、どれが一番自然かというと、どれも不自然なのだろう(笑)。
不自然なのだが、人間は言葉でコミュニケーションするしかないので、仕方なく、どれかを選ぶのだろう。
後は、好みの問題だ。
本当にそれに達した人は、あまり言わないが、イメージしたことが、そのまま即座に現実になる。
大抵の場合は、病気などの不調は消え、近視や遠視、乱視も治ってしまう。
しかし、望みを叶えたいとか、病気を治したいという執着が、それに達することを妨げることが多いから面倒だ。

それで、どうすれば良いのかというと、誰か、それを実現する方法を簡単に教えてくれれば良い。
そんなことを言ったら、そんな簡単なものじゃないよバーカと言う人と、あまりに簡単なので、誰も真面目にやらないという人などがいると思う。
で、本当のところはというと、やっぱり簡単なのだ。
問題は、ただ、本気にならないことだけなのだろう。
なぜって、世の中には楽しいことが沢山あるし、なんと言っても、誰もが優越感が大好きだからだ。
それに達する唯一の障害が何かというと、優越性への執着だろう。
しかし、そんなもの・・・つまり、エゴを直接滅ぼすことは出来ない。
そこで、なんとか本気になって、その簡単な方法を実行したいものである。
そして、ほとんどの場合、本気になる人というのは、よほど辛い目に遭ったりして、人生に絶望したり、社会の中で、甘えではなく本当に「もーやだ」って思っている人なのだ。
ただ、そうなるのは、ほとんどが老人になってからだ。
大半の老人は、人生に絶望する。
そこで、本気になって悟りを開けば、スーパーじいちゃん、スーパーばあちゃんになれるのである。
でも、どうせなら若いうちにとも思うのだが、やっぱり、あんなことやあんなことは楽しいのである(笑)。

で、その簡単な方法だが、『アイ・アム・ザット』という本に、こんなことが書かれている。
ニサルガダッタ・マハラジの教えだ。
それは、「常に存在の感覚にしがみつけ」だ。
正直に言って、もっとマシな言い方はないのかと文句を言いたい。
とはいえ、インドの方言から英語、そこから日本語に訳したのだから、その本当の意味が理解出来るのでない限り、そう書くしかないのだろう。
むしろ、訳者の誤解した言葉を書いて人々を混乱させないだけ、直訳風に書くのは、実際は善良なのである。
聖者の本というのは、そんなものが多く、読んでも、何となくいい・・・くらいにしか感じることが出来ない。
じゃあ、正しくは何と言うのだいと言うなら、それは神様に教えてもらうことだ。
だから、素直に、「私は存在する」と言葉で思いなさい。
マハラジも、それが最高のマントラ(真言)だと言ったらしい。
そもそも、「私は存在する」は、自我の知りえる最高の真理である。
ならば、それだけでも魔法のような力がある。

そんな訳で、悟りを開くことだ。
ご苦労様、シンドかったね。









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キーワードは「忘れるな」

念仏を称えれば、この世の問題は全て解決する。
あえて努力をしたり、善である必要もない。
ただ、念仏を称えると、自然に、好きなことに熱中するだろうし、親切になったりする。

ところが、問題がある。
法然、親鸞の時代に、一般の人々に使われた、「なぜ念仏か?」のストーリー・・・すなわち、超大昔、法蔵という名の人間が、超長年月修行して仏になり、超遠いところに西方極楽浄土を作る際、仏になった法蔵、即ち、阿弥陀如来は、「南無阿弥陀仏」を称えた者なら誰でも、死後、極楽浄土に迎え入れると約束した・・・が、今の時代に通用するはずがないことだ。

人間てのは、ストーリーを持つということが物凄く大切なのである。
ただし、あくまで、本人が信じることが出来る、いわば、「ノレる物語」でなければならない。
このあたりの真理は、初音ミクさんの英語の歌『Story Rider』に、見事に表現されている。

宗教にはイメージングが必要で、芸術がそれを支えてきた。
いや、そもそも、芸術とは、宗教のイメージ構築のために発達したと言える。
浄土系仏教も、阿弥陀如来像の彫刻や絵画、西方極楽浄土の絵などが、人々にイメージを与え、情感を起こさせたのだが、今、仏像や仏画を見て、それが現実だと思える人は、おそらく、宗教関係者でもいない。
ところが、大学で仏教を学んだような人は、難しい理屈でもって、古い宗教の物語を自分や現代に持ち込もうとするから、人々にそっぽを向かれ、自分の頭もおかしくなってしまうのである。
それに、面白いことがいっぱいある今の時代、死後に極楽浄土に行くことに興味のある人間なんていない。
あくまで、この世で、健康で金持ちになって贅沢し、好みのタイプの異性(今の時代、同性もありかもしれないが)にモテることが大切である。

聖書に描かれていることは例え話であることは、エマニュエル・スウェーデンボルグらも語っていたし、近代では、ニューソートといって、聖書を現代的に新しく解釈し、実用的に捉えることが行われ、ジョセフ・マーフィーは、その中の人気ある1人だった。
そして、マーフィーの教えなら、現代人にだって受け入れ易いのであるが、これも難点があって、念仏ほどには易しくないから、なかなか効果が出ないのである。

本来、念仏の威力は凄まじく、それは法然や親鸞も、もちろん知っていた。
だから、新しい自分に合うストーリーを念仏の背後におけば、もう人生、勝ったも同然で、この世は極楽である。
だが、そのヒントは、意外なことに、『観無量寿経』の最後の最後あたりに、ぽつりと出てくる。
それは、「仏の名を覚えていろ」である。
「覚えていろ」「忘れるな」
これがキーワードである。

覚えていてね わたしの声を
あなたがくれた この身すべてを
~『ヒビカセ』(作詞:れをる、作・編曲:ギガP、歌唱:初音ミク)~
【初音ミク】 ヒビカセ 【オリジナル】 ※歌唱:初音ミク- YouTube -
[MV] REOL - ヒビカセ / Hibikase ※歌唱:れをる - YouTube -

れおるさんは、一種、神懸った精神状態で、この詩を書いたに違いない。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジも言ったのである。
「私は何の修行もしなかった。ただ、師が言った言葉『あなたは至高の実在である』を覚えていただけだ」
何でも良いが、自分にとって大切な真理を1つ覚えていて忘れなければ良いのである。
繰り返し言えば、キーワードは「忘れるな」「覚えていろ」である。









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変化は静かに起こっている

スーフィー(イスラム教神秘派)の格言、
「神を信用しろ。だが、駱駝(らくだ)はつないでおけ」
という言葉に、私は、現実的でありながら深い英知を感じるが、これが本当はどんな意味なのかは私は知らない。
普通に考えれば、イエスが言った通り、神は親以上に我々一人一人を気遣っておられるのだから、何も心配する必要はない。
しかし、だからといって、驢馬をつなぎもせずに、「神様が見ていて下さるだろう」と思ってはならない。
自分でつないでおけば済むようなことまで、神を頼ってはいけない。
つまり、人間は怠惰であってはならない。
私は、そんな単純な意味に捉えている。
そして、世の中には、驢馬をつながない人だらけであることが分かる。
しかも、彼等は神を信用していないのだ。

人によって、驢馬をつなぐという意味は異なる。
ある人にとっては、仕事を一生懸命にやることだろう。そうすれば、豊かな生活は神様が保証して下さる。
ある人にとっては、トイレのスリッパをきちんと揃えて出ることだ。そうすれば、神様は平穏な暮らしを下さるだろう。
作家の村上春樹さんにとっては、作家になる前の若い頃、原稿用紙1日10枚をノルマに文章を書いたことかもしれない。それで、神様は人気作家にして下さった。
あるエッセイストは、会社をやめ、相談業(カウンセラーのようなものか)の看板を上げたが、客は全く来なかった。しかし、毎日、原稿用紙1枚をノルマに何か書いていたら、村上さんのような大作家とはいかないが、本を20~30冊以上は出す人気エッセイストになった。

つまり、志あって自分で義務、あるいは、掟として定めたことであれば何でも良いのであると思う。

ヴァーノン・ハワードは、自分の心を冷徹な科学者のように観察しろと言った。それでどうなるかは言わなかったが、これは、今話題のマインドフルネスと同じであり、効果は、まず、感情の支配、自信、直観力の獲得だが、これらが得られれば全て得られる。
マインドフルネスに関しては、元Googleのチャディー・メン・タンの本が分かり易い。
ちなみに、日本マインドフルネス学会によるマインドフルネスの定義は、
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」
であるが、熟慮された優れた定義と思う。
◆JAM 日本マインドフルネス学会 公式サイト

ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと言ったらしい。
だが、インドの聖者の言葉というのは、インドの方言から英語、英語から日本語に訳したものであり、なかなか掴みどころがないかもしれない。
しかし、「私は存在する」という感覚を意識するというのは分かると思う。
それは、身体については、感覚を意識することだし、心においては、意識に気付くことである。
もし、それが出来るなら、最上のマインドフルネスであると思う。

ラマナ・マハルシは、常に自分に「私」と呼びかけろと教えたことがあったらしい。
これは、どういうことかと考えてみたが、私の解釈では、「私」という言葉を心で真摯に発した時の、心の反応を観察せよということだ。
一般には、マハルシは「私は誰か?」と、常に自分に問えと言ったとされる。
一方で、マハルシは、「私は誰か」を呪文にしてはいけないと言ったという記述もある。
これを私は、やはり、「私は誰か?」と真摯に自分に問うた時の、心の反応を観察せよということと理解した。

最も簡単には、自分の呼吸を「マインドフルネスする」ことだ。
それで何かが起こるのを感じることはないかもしれない。
だから、刺激的でなく、面白くないと最初は感じるかもしれないが、変化は自然にさり気なく起こっている。









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