カルト教団の信者の洗脳を解くなんて話を時々聞くが、それも考え物である。
洗脳を解いたなんて言いながら、実際は、新しい洗脳に置き換わっているか、あるいは、別の洗脳を重ねているのである。
一瞬は洗脳が解けたなんて言ったところで、ずっと後で調べると、ほぼ全て元に戻っているのではないだろうか?
ところで、カルト教団(俗に言う反社会的な教団)と言われる宗教団体の信者にも、結構、明るくて幸せな人がいるものだ。
信者に対する詐欺で逮捕され、服役中の、ある大きな新興宗教の教祖の本を読んだことがあるが、良いことを書いているのである。教祖本人が書いたのではなく、ゴーストライターが書いたのかもしれないが、そうだとしたら、なかなかの才能と思った。そして、ただ人を騙そうとして書いたものとも思えなかった。また、他人に代筆させたにしろ、アイディアは教祖のものであろうから、その教祖本人も、それなりのものを悟っていたのかもしれない。
(私は、著書を軽く百冊以上出しているカリスマ的な人物のゴーストライターをやった人と実際に親しかったので、普通の人よりは事情が分かると思う)
悪事を犯した教祖だって、最初から悪いことをする気があった訳ではなく、若い頃は熱心に勉強し、修行していた場合が多いと思う。
ただ、適度に悟って真理が見えて来て、人を説得することもできるようになって自信がついた時に、周りに持ち上げられたり、儲かるようになって、たちまち、自我が強力になったということが多いのではないかと思う。
特に、それまで、学校や社会で虐げられていたような教祖であれば、ついつい舞い上がってしまったということもあるだろう。愚かと言えば愚かであるが、それを避けられる人間がどれほどいるだろうか?
だから、教団の教え自体には良い部分もあり、信者の中には、賢明に学び進歩した人もいるに違いない。教祖が悪いことをしたからといって、教団の教え全てを否定するのは、かえって信者にとっては悪い影響が大きいかもしれない。
実際、ニサルガダッタ・マハラジですらそうだったが、「悪い教えの中にも多少の真理はあるものだ」と述べているのである。
そして、カルト宗教に限らないが、好ましくない教義を説く教祖は、それを教えることで信者達を惑わす運命だったのであり、それをすることは避けられなかったということだ。
また、信者の方もまた、教祖のおかしな教えで混乱させられ、場合によっては歪んだ信念を持つ運命であったのだ。
私の知り合いにも、新興宗教の教団に何百万円もする坪や指輪や掛け軸を買わされた人がいる。しかし、彼がそれを買うことも、最初から運命付けられていたことなのである。
カルト宗教を熱心に信仰して、お金を失くしたり、家族に迷惑をかけたとしても仕方がないことだ。それは、その者が生まれる前から決まっていた運命であり、決して避けられなかったのである。だから、罪悪感を持つ必要はないし、周りの人もその者を嫌悪しない方が良いのである。
そして、実を言えば、洗脳されているかどうかは、どうでも良いことなのである。
そんなことは放っておいて、正しいことを理解すれば良いのである。
正しいこととは、自分が完全に無力であるということだ。
我々は、世界や人生の、あらゆる状況、出来事、なりゆきに対し、何のコントロールも出来ないということを理解し、受け入れることが必要なのである。
洗脳を解くなんて言いながら、人間は自分の願いを何でも実現できるなんてことを説く人もいる。これは、洗脳を解くと言いつつ、人々を洗脳していると言えるのである。しかし、そうは言っても、彼に何か責任がある訳ではない。そんなことを教えて人々をおかしな方法に導くことが彼の運命であり、彼は運命で定められた通りの役割を果たしているだけなのである。また、彼のせいで、無駄な金をつぎ込む人がいるとしても、それも、その人の定められた運命である。
私も、アメリカの有名な自己開発教材を百万円を軽く超える金額で購入したり、やはり、百万円級のセミナーに行ったこともある。
実は、あまり好ましくないと思える教祖的な大物とも何度か関わったこともある(いまだ活躍中の人もいる)。
幸い、私は、結果的に、それらがイカサマであることをことごとに見破ったが、別に損したとは思っていない。大切なことは、金を取られたとか、つまらない教義を頭脳に詰め込んでしまったと言って悔やんだりせず、それが必然のなりゆきであったとして受け入れることだ。
『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナは神であるから万能であったが、そのクリシュナは、人は、自分の義務を果たす以外のことは決して出来ないと述べているのである。義務を果たすとは、生まれる前から定められた運命の通りに生きるということでしかない。
そして、『新約聖書』の福音書を見ると、イエスですら、人としての自分は、ただ、神の定めた運命の通りに動いているだけだとはっきりと認めているのである。
中国の賢者、荘子は『荘子』の中で、すべてなりゆきに任せろと述べているが、実際にはなりゆきに任せるしかないのである。そして、荘子は、運命には決して逆らうことが出来ないことを、何度も繰り返し述べている。しかし、それが不幸なことではないのである。
良寛さんの悟りにはよくよく学ぶべきである。彼は、いつも身近にいたいたいけな少女達を守る力が自分には全くないことを思い知り、無力感に打ちひしがれていた。その時、幸いにして『荘子』を読み、大悟したのである。
家の貧しさのために売られていった少女達も、それが彼女達の避けられぬ運命であったのだが、不幸に見えるのは、ただの現象であり、それは幻想と言える。もちろん、自分がただの人間だと感じられるうちは、不幸は確固たる現実である。しかし、それは、催眠術師が、実際には何もないのに、「ここに堅くて重いものがある」という催眠術をかけると、かけられた方にとっては、現実として、それが堅くて重いのであることと同じなのだ。
そして、自分が無力であることを全面的に受け入れれば、不幸な自分もいないことが分かるのである。
つまり、こういうことなのだ。
我々は、どんな催眠術の達人、マインドコントロールの名人がかけた暗示や洗脳であれ、人がやった程度のことを相手にする必要はない。
洗脳されるなら、されればいい。私はそれでも構わない。
そんなつまらないものは放っておいて、神の聖なる催眠術のみ相手にすることだ。
神の目的など、全く想像も出来ないが、我々は、自分が、この身体や心であるという思い込みに囚われている。それこそが、神の聖なる催眠術なのである。
だが、同時に、我々は、神という虎のアゴにくわえられている。
良寛さんのように、我々は、自分が無力であることを無条件に受け入れれば、虎はアゴをぱくりと閉じてくれるのである。
『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナは、巨大な無数の牙で、全ての者を噛み砕き、アルジュナ王子を震撼させた。
だが、噛み砕かれることはこの上なく幸福なことなのである。
自我が噛み殺されることで、我々は魂の束縛を脱し、クリシュナと共にいることが出来るのである。ただし、それがどんな状態なのかは想像もできない。少なくとも、自我である我々がうっとりして満足するようなものではない。だって、その時は、考える心である自我は存在していないのだから。
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洗脳を解いたなんて言いながら、実際は、新しい洗脳に置き換わっているか、あるいは、別の洗脳を重ねているのである。
一瞬は洗脳が解けたなんて言ったところで、ずっと後で調べると、ほぼ全て元に戻っているのではないだろうか?
ところで、カルト教団(俗に言う反社会的な教団)と言われる宗教団体の信者にも、結構、明るくて幸せな人がいるものだ。
信者に対する詐欺で逮捕され、服役中の、ある大きな新興宗教の教祖の本を読んだことがあるが、良いことを書いているのである。教祖本人が書いたのではなく、ゴーストライターが書いたのかもしれないが、そうだとしたら、なかなかの才能と思った。そして、ただ人を騙そうとして書いたものとも思えなかった。また、他人に代筆させたにしろ、アイディアは教祖のものであろうから、その教祖本人も、それなりのものを悟っていたのかもしれない。
(私は、著書を軽く百冊以上出しているカリスマ的な人物のゴーストライターをやった人と実際に親しかったので、普通の人よりは事情が分かると思う)
悪事を犯した教祖だって、最初から悪いことをする気があった訳ではなく、若い頃は熱心に勉強し、修行していた場合が多いと思う。
ただ、適度に悟って真理が見えて来て、人を説得することもできるようになって自信がついた時に、周りに持ち上げられたり、儲かるようになって、たちまち、自我が強力になったということが多いのではないかと思う。
特に、それまで、学校や社会で虐げられていたような教祖であれば、ついつい舞い上がってしまったということもあるだろう。愚かと言えば愚かであるが、それを避けられる人間がどれほどいるだろうか?
だから、教団の教え自体には良い部分もあり、信者の中には、賢明に学び進歩した人もいるに違いない。教祖が悪いことをしたからといって、教団の教え全てを否定するのは、かえって信者にとっては悪い影響が大きいかもしれない。
実際、ニサルガダッタ・マハラジですらそうだったが、「悪い教えの中にも多少の真理はあるものだ」と述べているのである。
そして、カルト宗教に限らないが、好ましくない教義を説く教祖は、それを教えることで信者達を惑わす運命だったのであり、それをすることは避けられなかったということだ。
また、信者の方もまた、教祖のおかしな教えで混乱させられ、場合によっては歪んだ信念を持つ運命であったのだ。
私の知り合いにも、新興宗教の教団に何百万円もする坪や指輪や掛け軸を買わされた人がいる。しかし、彼がそれを買うことも、最初から運命付けられていたことなのである。
カルト宗教を熱心に信仰して、お金を失くしたり、家族に迷惑をかけたとしても仕方がないことだ。それは、その者が生まれる前から決まっていた運命であり、決して避けられなかったのである。だから、罪悪感を持つ必要はないし、周りの人もその者を嫌悪しない方が良いのである。
そして、実を言えば、洗脳されているかどうかは、どうでも良いことなのである。
そんなことは放っておいて、正しいことを理解すれば良いのである。
正しいこととは、自分が完全に無力であるということだ。
我々は、世界や人生の、あらゆる状況、出来事、なりゆきに対し、何のコントロールも出来ないということを理解し、受け入れることが必要なのである。
洗脳を解くなんて言いながら、人間は自分の願いを何でも実現できるなんてことを説く人もいる。これは、洗脳を解くと言いつつ、人々を洗脳していると言えるのである。しかし、そうは言っても、彼に何か責任がある訳ではない。そんなことを教えて人々をおかしな方法に導くことが彼の運命であり、彼は運命で定められた通りの役割を果たしているだけなのである。また、彼のせいで、無駄な金をつぎ込む人がいるとしても、それも、その人の定められた運命である。
私も、アメリカの有名な自己開発教材を百万円を軽く超える金額で購入したり、やはり、百万円級のセミナーに行ったこともある。
実は、あまり好ましくないと思える教祖的な大物とも何度か関わったこともある(いまだ活躍中の人もいる)。
幸い、私は、結果的に、それらがイカサマであることをことごとに見破ったが、別に損したとは思っていない。大切なことは、金を取られたとか、つまらない教義を頭脳に詰め込んでしまったと言って悔やんだりせず、それが必然のなりゆきであったとして受け入れることだ。
『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナは神であるから万能であったが、そのクリシュナは、人は、自分の義務を果たす以外のことは決して出来ないと述べているのである。義務を果たすとは、生まれる前から定められた運命の通りに生きるということでしかない。
そして、『新約聖書』の福音書を見ると、イエスですら、人としての自分は、ただ、神の定めた運命の通りに動いているだけだとはっきりと認めているのである。
中国の賢者、荘子は『荘子』の中で、すべてなりゆきに任せろと述べているが、実際にはなりゆきに任せるしかないのである。そして、荘子は、運命には決して逆らうことが出来ないことを、何度も繰り返し述べている。しかし、それが不幸なことではないのである。
良寛さんの悟りにはよくよく学ぶべきである。彼は、いつも身近にいたいたいけな少女達を守る力が自分には全くないことを思い知り、無力感に打ちひしがれていた。その時、幸いにして『荘子』を読み、大悟したのである。
家の貧しさのために売られていった少女達も、それが彼女達の避けられぬ運命であったのだが、不幸に見えるのは、ただの現象であり、それは幻想と言える。もちろん、自分がただの人間だと感じられるうちは、不幸は確固たる現実である。しかし、それは、催眠術師が、実際には何もないのに、「ここに堅くて重いものがある」という催眠術をかけると、かけられた方にとっては、現実として、それが堅くて重いのであることと同じなのだ。
そして、自分が無力であることを全面的に受け入れれば、不幸な自分もいないことが分かるのである。
つまり、こういうことなのだ。
我々は、どんな催眠術の達人、マインドコントロールの名人がかけた暗示や洗脳であれ、人がやった程度のことを相手にする必要はない。
洗脳されるなら、されればいい。私はそれでも構わない。
そんなつまらないものは放っておいて、神の聖なる催眠術のみ相手にすることだ。
神の目的など、全く想像も出来ないが、我々は、自分が、この身体や心であるという思い込みに囚われている。それこそが、神の聖なる催眠術なのである。
だが、同時に、我々は、神という虎のアゴにくわえられている。
良寛さんのように、我々は、自分が無力であることを無条件に受け入れれば、虎はアゴをぱくりと閉じてくれるのである。
『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナは、巨大な無数の牙で、全ての者を噛み砕き、アルジュナ王子を震撼させた。
だが、噛み砕かれることはこの上なく幸福なことなのである。
自我が噛み殺されることで、我々は魂の束縛を脱し、クリシュナと共にいることが出来るのである。ただし、それがどんな状態なのかは想像もできない。少なくとも、自我である我々がうっとりして満足するようなものではない。だって、その時は、考える心である自我は存在していないのだから。
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