人間の、世界に対する支配力は極めて小さい・・・小さいどころか、ゼロであると言う賢者もいる。
つまり、納得出来ない人も多いだろうが、全ては、運とか偶然といったもので決まるのである。
そんなふうに、運命に翻弄される中で、人間は、高次の力を使う、あるいは、高次の存在の援助を受ける方法を探し、それが提示された。
だが、ほとんどの人にとって、それらが効果があるようには思われず、うまくいったと思える者も、やはり、本当は、たまたまうまくいっただけなのである。
けれども、2つの、誰でも出来、しかも、確実に効果を上げる方法がある。
1つが、マントラ(真言)である。
これは、呪文、祈り言葉、祓詞、口ぐせ、力ある言葉・・・などと呼ばれる。
もう1つの最大の方法が、ナーマスマラナで、これは、神仏の名を心の中で唱える行である。
ナーマスマラナは、発祥の地インドでは、「クリシュナ」や「ラーマ」といった聖典や神話の神の名が唱えられるが、日本では、念仏が馴染み深い。しかし、日本の念仏は宗教儀式のイメージになってしまった。だが、念仏は葬式のためにあるものではなく、生者に力を与えるためのものなのだ。

私の場合、マントラから入り、それで高次の力を感じたことでナーマスマラナに導かれるのだが、これもよくある流れかもしれない。
マントラで確実な効果があるので、実利的な面では、これで十分である。
いきなり、ナーマスマラナから入るのは、特別な縁によるが、割と苦難がある人の場合が多いと思える。
私の場合、元々が割合に平安であったので、ずっとマントラだけできたのである。

いずれにしろ、この2つの方法でしか、高次の力に触れることは出来ない。
引き寄せのようなものは、全て効果はないが、引き寄せも、マントラやナーマスマラナを行うものがやれば、一見、効果があるように見える。だが、実際の効果は、マントラやナーマスマラナが起こしているのである。
だが、引き寄せなどのスピリチュアルが無意味であるわけではなく、人々を、物質を超えたものに目を向けさせるためには必要な部分もあると思う。
確かに、高次の世界に逃避したがる者も多いように思えるが、本当は逃避する必要はなく、現実を平然と見ておれば良いのである。
マントラや、ナーマスマラナを行えば、見捨てられることはないのだから。
また、現実を見ている者でなければ、マントラやナーマスマラナを根気強く行えないと思う。
実際、完全なひきこもりだが、マントラやナーマスマラナだけは熱心であるという者はいない。

つまり、現状がどんなに悪くても、現実から目をそらさず、しかし、現実に打ちのめされたり翻弄されずにいなければならない。
一休さんが遺言で言ったように、「心配するな、何とかなる」のであるから。
だが、そのための、本当に効果がある方法は、マントラかナーマスマラナしかない。
ちなみに、一休は、宗派は違うが、法然や親鸞を尊敬し、最後は念仏・・・つまり、日本流ナーマスマラナを行ったのである。

本来、ものごとがうまくいく時というのは、たまたまうまくいくだけなのだが、マントラを根気強く唱えると、「確実にたまたまうまくいく」のである。
だが、マントラの力が弱く感じたり、あるいは、マントラで持ちこたえることは出来るが壁を突破出来ない時、ナーマスマラナに導かれる。
それはこんな感じである。
戦場で、とりえあず鉄砲が与えられると、鉄砲がうまい者は、それでバリバリやっていけるが、鉄砲が下手な者は、鉄砲はないよりはある方がはるかに良いが、厳しいのである。
そこで、強力な援軍が現れて守ってくれたら、鉄砲がうまい者も下手な者も、自分は何もしなくても、安心でいられ、しかも、その気になれば、敵の本丸を落とせるのである。
言うまでもなく、鉄砲がマントラのたとえで、強い援軍がナーマスマラナのたとえである。
大将軍には、鉄砲が好きな者が多いが、自分では鉄砲は全く持たない者もいるのである。