ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ナンセンス文学

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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ナンセンス感覚で成功する

「ナンセンス文学」というものがある。
「ナンセンス」とは、「意味がない」「ばかげている」といった意味なので、「ナンセンス文学」とは、意味のない、馬鹿げた文学だ。
童話は、グリムでもペローでも、根本的にはナンセンス文学なのだと思う。
「この童話には、こんな教訓がある」などというのは、あくまで、後の世の人の1つの解釈、あるいは、想像であり、実際は何の意味もないと思って読んでも、読み方が間違っているとは言えない。
逆に、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』シリーズは、ナンセンス文学の代表のように言われるが、それらの作品に、どんな深い解釈を付けたって別に構わない。

そして、この世界や人生そのものがナンセンス文学なのである。
人生には何の意味もないと思えばそうであるし、深い意味があると思えば、やはりそうなのである。どちらの態度が正しいのかは分からない。

『魔王城でおやすみ』という、これこそナンセンス文学と思われる漫画・アニメ作品がある。
人間のお姫様のスヤリス姫が、人質として、魔王の城に捕らえられ監禁されるが、害されることもなく、それなりの待遇を受けていた。
だが、スヤリス姫が「枕が固くて眠れない」と思っていたら、ふかふかの毛の動物(魔獣か妖精)が現れ、スヤリス姫は、その毛を使って、モフモフの枕を作る。また、シーツの触り心地が悪いと思ったら、スベスベの肌触りの布の魔物が現れ、スヤリス姫は。その魔物の身体をシーツにしてしまう。
望んだものが、すぐに都合よく現れるところは、童話の基本と思う。
例えば、白雪姫では、森の中に捨てられた白雪姫は、都合よく七人の小人の家を見つけるし、シンデレラでは、これもあまりに都合よく、魔法使いのお婆さんが現れる。
「やっぱり漫画」「やっぱり童話」と思うかもしれないが、我々の人生だって、絶対に同じなのだ。
私だって、「こんなものがあればいいな」とか「こんな人がいればいいな」と思うと、必ず、そんなものや人が出現する。
思い返してみると、それはもう確実なのである。
例えば、勤めていた会社が面白くなく、「別の会社に変わりたいなあ。しかし、就職活動は面倒だ」と思っていたら、ある日突然、別の部署の課長が「ちょっと休暇を取って付き合ってくれないか」と言い出すので、「ああ、いいですよ」と一緒に行ったのは、その課長の先輩が経営する会社で、本当は、課長がそこに入社したかったのだが、なりゆきで私が「ああ、入ってもいいですよ」といった感じで入社し、厚遇された。
「いや、俺はそんなにうまくいったことはないぞ」と言うなら、何か間違えているのである。
多分、何でも自分の小さな頭で考えてしまい、なりゆきにまかせようという心構えが足りないのだ。
なりゆきにまかせることの大切さは、『荘子』や『新約聖書』のイエスの言葉を読めば分かると思う。
スヤリス姫のように、何も考えないか、あるいは、気楽で良い気分でいれば、都合の良いことは必ず起こる。
まあ、確かに、歳を取るほど、そんなマインドでいるのが難しくなるが、出来ないわけではない。
「私は最高の気分だ」という言葉を、心の中で、静かにゆっくり(つまり丁寧に)繰り返すことだ。
「私は〇〇だ」と繰り返し唱えれば、そうなるように宇宙は出来ているのである。
そして、気分が良ければ、良いことが起こることもまた、宇宙の仕組みなのである。








世界の秘密

ナンセンス文学というものをご存知だろうか?
お話としては、よく考えられていて面白いかもしれないが、何の意味もないという、ちょっと人を食った(小馬鹿にした)ような小説のことだ。
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』などのアリスシリーズが、ナンセンス文学の代表と言われている。
『不思議の国のアリス』は、奇想天外なお話が軽妙に展開されて面白いが、実は、どんな意味もない。
しかし、読み手が、その都度、自分勝手に意味付けする楽しさがあり、そのために、大傑作小説になっているのである。

ナンセンス文学は、夢の中の出来事に似ている。
夢を思い出すと、とても奇妙な内容で、時には面白いと感じるが、何の意味もない。
それを、フロイトとかユングといった精神科医で精神分析学者である人達が、いろんな意味をつけて説明するが、あまり信用しない方が良い。
それよりも、彼らがやる、夢の意味付けを真似して、自分で意味を付けた方が良い。
夢って、本当は、ナンセンス(無意味)なのだ。
そして、そうしたくば、自分で意味を作り出せば良い。

例えば、こんなお話を作ってみた。

灰色の空の下を歩いていたら、緑色の髪と緑色の目をした15か16くらいの少女に出会った。
空気はひんやりして気持ちがいい。
少女は、ガラス瓶を私に手渡しながら、
「火星はきれいだけど平和だわ」
と言い、こっそりと左手の指を2本立てると、そのまま通り過ぎ、5つくらいの小さな女の子になった。
私が、
「フルートは金色だ」
とつぶやくと、女の子は小鹿になって駈けていった。

このお話のどの部分にも、何の意味も持たせずに書いた。
しかし、ガラス瓶の意味は何で、なぜフルートが金色なのか、なぜ、少女は小さくなったり、小鹿になったのかを、勝手に意味を付けることも出来るし、それが案外面白かったり、示唆に富んでいるように感じるかもしれない。

それで、私は、ほぼ確信しているのだ。
聖書も仏典も古事記も・・・いや、あらゆる聖典の類は、全部、ナンセンス文学なのだ。
そんな何の意味もないものに、特定の意味があるとして、そんな一方的な意味を押し付け、人々に強要して権威を作っている者がいるのだよ。
庶民は自分の知恵というものに自信がないので、そんな権威的な意味付けを信じ、有り難がったりするのである。
『不思議の国のアリス』に、ガチガチの意味をつけて、「この作品はこういう意味じゃ。有り難く信じろ」と言われているのと同じである。

聖書に関して、「ここは、こういう意味なのです」と偉そうに説く牧師や神父が多いが、それは、あくまで、その牧師や神父の個人的な考えなのだ。
あなたは、別の意味を感じるかもしれないし、今は、何の意味も思いつかないかもしれない。
しかし、自分で感じる通り、思う通りで良いのである。
そして、聖書の中に、自分の想いを入れれば、何かが起こるかもしれない。

そして、実は、あらゆる芸術がナンセンス文学なのだ。
誌や小説を読んだら、「作者は何を訴えているのか?」と、考えても良いが、考えない方が良い。
そんなこと、決して分からないのだし、実は、作者すら、読み返す度に違う意味を感じるかもしれないし、ひょっとしたら、意図的に何の意味も持たせなかったのかもしれない。
そんな、あるはずもないことを推し量るなんて滑稽じゃないか?
作者は、「これが売れたら、新しいバイク買うぞ」くらいしか考えていなかったのに、壮大な意味があるという文芸評論家がいるのだ(まあ、それが商売なのだから仕方ないが)。
『星の王子さま』を、テグジュペリがどんな想いで書いたか、天国で彼に聞いたら、案外に、「さあ、忘れちまったが、大したこと考えてなかったと思うよ」と言われるかもしれないのだ。

美しい芸術は透明性があり、その中に自分の気持ちを入れ易い。
初音ミクさんの歌には、そんなものが多いし、彼女の声がまた、感情がなく透明なので、想いを自然に入れることが出来、しかも、その想いが広がっていくのである。
そんな想いのことを魔法と言うのだ。
初音ミクさんと交われば、いつでも魔法を使っているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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