ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

ナポレオン・ヒル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

文句を言うな

人間の幸福なんて、ただ1つで、それは、心が穏かなことだ。
「いや、心が燃えていることが俺の一番の幸せだ」と言いたい者もいるだろうが、それだって、心穏かであればこそだ。それに、ずっと心を燃やしたりなんかしたら、すぐに燃え尽きてしまうし、心が燃えていない時に心が穏かでないと、燃やすエネルギーがなくなる。

心穏かってのは、変化や刺激がないことではない。
変化や刺激がないと、心は荒れてきて、少しも心穏かでなくなるし、刺激が強過ぎると、最悪、心が崩壊し、穏かさを感じることが出来なくなる。

では、どうやれば、心は穏かになるだろう?
日本人の多くの愚かな者達は、良い学校を出て、良い就職をし、高い社会的ステータスと高い収入が、幸福をもたらすと思ってるが、それが心を穏かにすることはない。
持ち物をなくしていく(これをあるヨガ行者が断捨離と言ったらしいが)と心の平和を得られると言う者もいるが、それがきっかけになることはあるかもしれないが、直接には関係がない。

どうすれば心の平和が得られるかというと、それを皆があまりに知らないせいで、適切な言い方がないのかもしれないが、とりあえず言ってみると、魔法の力を持つことだ。
今流に言えば、引き寄せの力や、潜在意識の万能力と一致するか、少なくとも、親しいことだ。
だから、引き寄せ関係の本はよく売れる。
ただ、引き寄せの本を読むと、ますます心が荒れて、穏かさを得られないのは、本を読んで実践した結果、引き寄せがうまく出来ないことが分かってしまうからだ。

ところで、新しい引き寄せの本を書いている人達が、真面目に、自分はこの本で引き寄せが出来るようになったと言う本は、ほぼ、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』だけである。
もちろん、邪まな著者達が、言っているだけ、書いているだけなら、他にも沢山あるが、最も信用出来るのはそれである。
保江邦夫さんによれば、ナポレオン・ヒルというのは、その方面のノウハウをマスターしている中では下っ端なのだそうだが、本物であることは間違いないようだ。
そして、ナポレオン・ヒルを読んで、力を身につけた人達は皆、ヒルの本をボロボロになるまで読んでいる。
そうだ。ヒルの本をボロボロになるまで読めば、間違いなく、一定の・・・と言っても、普通の人から見れば驚異的な力を得る。
だが、お気付きかもしれないが、ヒルの本をボロボロになるまで読むことがなかなか出来ない。
ヒルの本をボロボロになるまで読んで、力を得た者というのは、どん底を知っている者だ。
つまり、救いを求める強烈な願いがなければ、引き寄せの力なんてなかなか得られない。
不満なら誰もが持っているだろうが、誤魔化せるよう不満、人の悪口を言って「ガス抜き」が出来るような不満じゃあ、魔法の力を得る要因には全くならない。

かといって、皆が皆、落ちるところまで落ちる必要はない。
愚痴を言わなければ良いだけだ。多くの人が、人の悪口を言うのが好きだが、それも愚痴の一種だ。
簡単に言えば、文句を言わなければ良いのである。
それが、タルムードにも書かれてるユダヤの秘法である。
魔法力を持った者は決して愚痴を言わない。
ナポレオン・ヒルの本をボロボロになるまで読んだ人達は、愚痴を言わなくなった時に、それを始めたのである。









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現代人の運は貸出超過状態で、返さないと危ない

どんな幸運の法則も1つにまとめることが出来る。
水野南北は、運命は食が多いか少ないかで決まり(食が少なければ幸運、多ければ衰運)、万に1つの外れもないと断言し、自ら証明もした。
しかし、この本質とは、人間は食を慎めば確実に辛いので、その辛さに耐えることで幸運が得られるということなのだ。

ラマナ・マハルシは、沈黙の行を重んじていたように思うが、これも、人間は、自己主張したり、自慢したり、批判したり、言い訳したり等が大好きなのであり、それらをしなければ苦しいのだから、それらをやめてしまい・・・つまり、話すことをやめて苦しさに耐えれば、神の恩寵が与えられるということなのである。

ナポレオン・ヒルは、性エネルギーの転換だとか難しい言い方をしたが、これだって、生殖器官を使うことは楽しいが、逆に、それをしないことは苦しいのだから、あえて、性的行為を諦めて、その苦しさに耐えれば運に恵まれることを発見したのだ。

法然は、起きている間はずっと念仏を唱えよと言ったが、それは決して楽しいことではなく、辛いのだということを、『選択本願念仏集』ではっきり書いている。
しかし、その苦しさに耐えれば、死んだ後はもちろん、生きている間も、ずっと仏の保護を得られると述べているのである。

その他の、いかなる幸運を呼び込む方法も全て、根本的には、自主的に苦しみに耐えるということだ。

ところで、ラマナ・マハルシは、「強制的に会話を止められることは沈黙の行ではない」と言った。
そして、貧しくて食べることが出来ないとか、プライベートな場所がないので性行為に耽るころが出来ない、また、無理矢理に念仏を唱えさせられるというのも、原則的に幸運を呼ばない。
しかし、食べるものを得ることが出来なくても、黙って耐え、心の中でも、不満も恨み言も言わなければ、それは運を呼ぶ修行になる。
強制的に会話を禁じられても、「私は耐える」と決意し、平静でいれば、やはり大きな神の恵みを得るのである。

イエスは、「苦しんでいる者は幸いである」と言ったが、暗に、「黙って耐えれば」と言っているのだと思う。
徳川家康は、「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し」と述べたが、誰でも、嫌でも苦が与えられるが、それに黙って耐えれば、運に恵まれるのである。
イエスも、家康も(意外に名前が似ている)、「黙って耐えれば運に恵まれる」は、あからさまに言うより、示唆(それとなく示す)した方が効果的、あるいは、美しいと感じたのかもしれない。
しかし、欲深な現代人には、はっきり言ってやるのも良いかと思う。
現代人は、運が貸し出し超過しており、少しは運を貯めないと危ないのである。









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若い特権と老人の特権

若い特権と老人の特権がある。
若い特権は、活力と美だ。
老人の特権は、知恵と財力である。
それぞれの特権を十分に持たなけばならない。
若いのに活力がなかったり、あるはずの美を失ったり、年を取っているのに知恵や財力がないというのは悲しいし、惨めである。
ところが、若い特権を十分に持つことが、老人の特権を持つことにつながるのである。

若い特権である活力と美を無駄にしない方法は、ただ1つ、自己制約である。
自己制約とは、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)になろうとするところを、意思の力で自分を制することである。
具体的には、規則正しい生活をし、食や性を慎むことである。
自己制約により、本来持っている活力と美を引き出せるのである。
自己制約のない者が、いくら栄養のあるものを食べたり、美容やファッションに金と時間を使っても全く無駄である。

おかしなことに、老人の特権である知恵と財力を持つ方法も、ただ1つ、自己制約である。
だから、いかに早い時期に、自己制約を持つかで、人生は決まるのである。
年を取っても自己制約の出来ない者は哀れである。
老人になり、活力と美は無いのに、知恵と財力も無ければ、全く生きている意味がない。
だから、できるだけ若い時から、生活を規則正しくし、無駄に食べたり、性に耽ることを自分に戒め、身体を鍛え、本を読むようにした方が良い。
言っておくが、他から強制された慎みでは何の意味もない。
あくまで、自己制約による慎みが必要なのである。
毎朝、駅に行くと、いつもかならず何か食べている若者がいる。それでも若いので、太らず、良いスタイルをしているが、既に顔には醜さが表れ始めており、それは今後、どんどん加速すると共に、やがて肥満して、美のカケラも無くなる。そして、このような、勝手気ままな者は、若く無くなった時にも、知恵も財力も無いのである。

若いうちから自己制約を大いにする者は、まだ若い間に老人の特権をいくらか持ち、老人がさらに熱心に自己制約に励めば、若い特権を失わない。
この世の秘密を明かせば、神は、人間が自分に課した制約の2倍以上の力を、その人間に与えるのである。
自己制約とは2つに分けられる。
1つは、遊びや楽しみに使える時間を修行に使うこと。
もう1つは、食、性、言葉を慎むことである。
水野南北は、食の慎みが他に圧倒的に優ると言った。
ナポレオン・ヒルは、性の慎みを強く勧めた。
ラマナ・マハルシは、全て十分であったが、特に「沈黙の聖者」と呼ばれ、言葉の慎みが完璧だったので、何も語らずとも人々を導くことが出来た。

だが、呼吸の慎みが最大の秘法かもしれない。
しかし、容易く得られるものではない。
毎日、欠かさず腕振り運動をしたり、心の微かな声の呪文を行うことで、3つの慎みを持ちやすくなると同時に、秘法である呼吸の慎みを得られる。
そうなれば、普通の人間の数十倍から数百倍の力を持ち、自由自在になる。

ところで、特殊な人間もいるということを少し述べる。
『レ・ミゼラブル』に登場するバティスティーヌ嬢が、その象徴だ。
「嬢」と言っても、彼女は若くはない。ただ、未婚だから、そう呼ぶのだ。
なぜ未婚かというと、若い時ですら美しくなかったからだ。
だが、彼女は、楽しいこと、面白いことが全然無くても、自己制約を忘れなかった。
すると、年を取ってから不思議な美しさを持つようになり、また、不思議な幸福を味わうようになった。
自己制約は一種の貯金で、貯め続けると、年を取ってから利息を受け取り、死ぬと、神は、その全てを数倍化して与えるのである。
実際、自己制約に励む者は、死を恐れないし、厭いもしない。
そして、我々は、達磨の秘法、腕振り運動と、微かな心の声の呪文により、容易く自己制約を持ち、自己制約による進歩は驚くほど速くなり、呼吸の慎みにより、老化を逆転させ、死を乗り越えるのである。









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成功者は無自覚に嘘をつくのでご注意を

ビジネスで大成功した者が、「こうすれば成功するのです」といった感じで、成功法則、成功哲学を本に書いたりしている。
何といっても成功の体現者であるし、これらの多くの本は「法則に則りさえすれば誰でも成功するのです」「努力なんて不要です」といったことが面白く書かれているので、非常によく売れる場合があり、何十万部というベストセラーもあるほどだ。

それらの本が役に立つかというと、絶対に役に立たない。実際、そんなものを読んで成功した人はいない。
一番問題な点は、書いている成功者は善意で書いていて、自分が嘘をついていることが分からないことだ。これほど始末の悪いことはない。
成功者が成功したのは、単に、それが運命だったというだけのことなのだ。
彼は、生まれる前からの成功者だった。それ以外、他の人との違いは全くない。成功に、原因も秘訣も何もない。成功する運命であれば成功は避けられないし、成功する運命でなければ、いかなる努力をしても決して成功しない。
そして、成功するかしないかなど、何の意味もない。
むしろ、成功して自我が強くなると、真の幸福である至福を逃す可能性が高くなるのであるから、成功というものは無い方が幸せなのである。
成功を選ぶことは出来ないが、至福への道なら選ぶことは出来るのだ。

ナポレオン・ヒルという人は、数多くの成功者にインタビューして、成功の要因を抽出し、成功プログラムを作った。
しかし、それを使って成功した人はない。当たり前のことだ。
成功者をいかに調べても何の意味もない。
ナポレオン・ヒルが調べるまでもなく、成功者の成功要因はただ1つだ。それは、彼は成功する運命だったということだ。他には何もない。
なるほど、成功者の多くは多大な努力をしているし、直感が冴えている。
しかし、それは、彼が多大な努力をし、素晴らしい直観を得る運命が与えられていたというだけのことである。

ラマナ・マハルシは言った。
「運命によらずして何も起こらない。働く運命に無ければ、いくら仕事を探しても、仕事は見つからないであろう。逆に、働く運命であれば、いかに嫌でも働くことは避けられない」
これが真実である。
成功して金持ちになる運命に定められていれば、いくら嫌でも、そうなることは避けられない。逆に、いかに成功を望み、金持ちになることを願っても、そうなる運命でなければ、何をしても成功し金持ちになることは絶対にない。

だが、ほぼ全ての金持ちは惨めで不幸だ。
富だって、いつまでも続く訳ではない。大半の金持ちが、短期間に富を失い、やがては借金まみれになっている。僅かな富豪は生涯富を保有するが、実は幸福でない。世界屈指の富豪ハワード・ヒューズも、何も食べられずベッドに寝たきりで、家族は離れ、友人もなく、執事だけに看取られて惨めに死んだ。
驚くべき成功を収め、「思い通りになるのが人生だ」と豪語して成功哲学を説き続けた牧師も、全く思い通りにならず、年をとって莫大な負債を抱え、家族に見捨てられて余生を送っていると聞くが、不思議なことではない。
一方、ふんどし1本以外、何も所有しなかったラマナ・マハルシは生涯を至福のうちに過ごした。
別に、貧しくなければならないと言うのではない。
金持ちになる運命であれば、金持ちになるしかない。
誰も、自分の意志で、金持ちになったり貧乏になったりは出来ない。
そんなことは神の決めることであり、我々には何のコントロールも出来ない。
金持ちか貧乏かは、何の関係もない。
確かに極端な貧乏の場合もそうかもしれないが、不要な富を持ってしまうと、幸福を逃し易いのである。
イエスが「5体満足で地獄に行くより、身体の一部を失って天国に行く方が良い」と言ったのは、「豊かで地獄の苦しみを味わうより、多少足りなくても、至福であることがどれだけ良いだろうか」という意味である。

我々は完全に無力であり、世界や人生に何の影響を与えることもできない。全ての出来事は、我々の意思と何の関係もなく起こる。
それを完全に無条件に受け入れ、荘子が言ったように、全てをなりゆきに任せることだ。
こう言うと、愚かな者は、「それなら、みんな投げやりになって、何もしなくなる」という誤解をする。
そんな馬鹿なことはない。
超人的な努力をする運命にあれば、そうするだろう。
怠惰を好む運命であれば、サミュエル・ベケットのように、ノーベル賞授賞式にも「面倒だから」という理由で、行かないだろう。
至福への第一段階は、運命を無条件に受け入れることだ。
そうすれば、自我は弱まり、欲望が少なくなって行き、妄想(空想と等しい)をしなくなる。それが至福への基本的条件となるのだ。









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世界を創るのは心であるという証明

星野富弘さんという画家(詩人でもある)の描いた草花の絵を初めて見た時、実に不思議な印象を受けたものだ。上手いのかどうかは、私にはよく分からないのだが、どこか子供が描いたとうか、まさに、良寛さんが描いた絵のように、今でも感じる。良寛さんが、子供と全く対等に遊んだことはご存知かもしれない。子供は、心そのままの存在だ。良寛さんもそうだったのだろう。そして、星野さんの絵は、人の心そのままだと思った。
星野富弘さんが、首から下が全く動かないと知って驚いたものだ。
彼は中学校の体育教師だった。スポーツ万能で、身体には絶対の自信を持っていた24歳の時、学校の部活で、器械体操の指導中だったと思うが、床に落下して頚椎を損傷し、以後、そんな身体になってしまったようだ。
だが、彼は、筆を口でくわえて絵を描くことを始め、数多くの詩画集を出版するようになったのである。

首や背骨を損傷して神経の断絶を起こし、身体が動かなくなったという人の話は時々聞く。
印象に残っているものでは、アメリカの自己啓発分野の世界的企業の社長の友人が、自動車事故でそのような状態になり、最高の医者が、一生、手足を動かすことはできないと言ったことから始まる話だ。だが、この社長は、その友人に、「医者の言うことなんか信じるな。絶対に治るさ」と言って、自分が開発した自己開発プログラムのカセットテープを彼に毎日聞かせた(当時、CDは存在しなかった)。
その社長の友人は、見事回復し、やがて、彼の会社の社長を務めることになった。私は、その社長と会った日本人の友人から、この話を聞いた。その社長は有名な人物だが、一応、名は伏せる。
他にも、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』にも、飛行機事故で重症を負った男が奇跡の回復をした話とか、ナポレオン・ヒルが、耳の器官を持たずに生まれた息子が、一生音を聴くことができないという医者の話を決して受け入れず、結果、息子はなぜか聴くのに不自由することはなかったという話を読んだことがある。

プロレスのジャイアント馬場さんは、試合中、アルバート・トーレスという選手に、彼の得意のフライング・ヘッドシザーズという技を受けて、マットにもろに頭から落ちた時、全身がしびれ、意識ははっきりしているのに、身体が全く動かなくなったことがあるらしい。タッグマッチだったので、試合は続いていたが、馬場さんは試合終了まで、そのままの格好だったようだ。普通の人なら、そのまま全身麻痺になったかもしれないが、プロレスラーの身体は常識外れだ。常識外れの訓練をするので、プロレスラーの常識は普通の人間とは全く違う。馬場さんは、辛いながらも、何と、翌日の試合も出場したという。もちろん、何の後遺症も残らなかった。
常識外れの訓練ということでは、プロ野球選手でもあった馬場さんは、こんなことを言っていた。「ぶっ倒れるまでやるのがスポーツの訓練だと思っていたが、プロレスの訓練というのは、ぶっ倒れてから始まるんだ」。科学的には正しいことではなく、身体を壊すことになるだろうが、プロレスをやる人というのは、ハートが違うのだろう。
昔は、1マイル(1609メートル)を6分以内で走れば即死するというのが定説だったらしいが、誰かがそれを達成したら、次々にそれをやれる選手が出たものだ。

私、自然に治ることは無いと言われるメニエール氏病を、医療を全く頼ることなく治したことがある。
また、この9月は、かなりの重症の乾癬という皮膚病にかかり、全身赤黒くはれ上がり、手の関節部分まで侵されるという、かなり危ないところまでいったが、これも、一度も病院にいかず、薬品も一切使わずに治してしまった。服を脱ぐと、床が大袈裟でなく白くなる(剥離した皮膚が一瞬で積もった)、まさに乾癬であった。乾癬を治す方法はなく、何十年も苦しみ、あまりの辛さに自殺をした患者すらおり、本当に死なないまでも、死にたいと思っている患者は少なくないと聞く。
私もまた、心の力で治したのだと思う。
正直、メニエール氏病は、ストレスの強い時には現れることはある。どうも業病のようだが、その都度、治している。私にとっては、何かを教えてくれる有難い病気だ。
身体に限らず、世界を創るのは心であることは間違いない。それを忘れないでいただきたい。









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