ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ナポレオン・ヒル

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

嘘も1万回言えば本当になる

自己暗示は、様々な目的で使われている。
身体や心の健康の増進や、病気の改善あるいは治癒。
性格の改善、能力の強化。
社会的・経済的成功。
これらを引き起こしたという事例は、その全てが事実ではないにしろ、膨大と思う。

医学的、心理学的に説明が出来る範囲のこともあれば、それらでは完全には、あるいは、全く説明出来ないような効果があったことが客観的に報告されたことも、かなりの数であると思う。
中には疑わしいものもあるだろうが、頭から否定することも出来ないものも多い。
それに、これまでは科学的、医学的、心理学的に説明出来ないことも、超心理学的、量子力学的に、かなりの程度の説明がされたり、仮説ながら、考慮に値する理論もあると思う。

その中でも、ナポレオン・ヒルが世界的に普及させた、思考が現実化するという考え方は、実績を積み重ね、今や事実と言っても差し支えないように思うが、これも、一種の自己暗示を活用するものであると思う。
また、フランスのエミール・クーエは自己暗示により、主に心身の状態を劇的に改善する手法で知られるが、その効果は社会的な成功にまで及ぶ。
クラウド・ブリステルやジョセフ・マーフィーらの、願望の現実化の手法は、時に神秘的に感じるので、全く受け入れない者もいるのだが、一方で、社会的地位や評価の高い人物の多くが、その威力を認めている。
チャンピオン・トーチェは、思考の現実化について、科学的な態度で『トーチェ氏の心の法則』を書き、好評を得たが、なぜか今では忘れられた感がある。
これらのどれも、根本的には、自己暗示が大きな役割を果たす。

自己暗示の欠点は、自分の考え方に反する暗示には反発が起こるということだ。
よく言われる例が、「私は金持ちだ」という暗示である。
この暗示により、まだ超自然的と考えられているかもしれない原因で金持ちになることが実際にあるし、そうではなくても、金持ちらしい態度が身に付いて、それが本当の金持ちになる道を開くことも考えられると思う。
しかし、現実には貧乏なのに、「私は金持ちだ」と自己暗示を行っても、心の奥から「そんなことは嘘だ」という声が上がり、そして、暗示はその心の奥の本音の方に従うので、下手したら、ますます貧乏になるとも言われる。
それに対し、エミール・クーエは、問題を特定化せず、さらには、未来のこととして表現することで、心の反発を呼び起こさない自己暗示を提示した。
それが、有名な、「毎日、あらゆる面で、私はますます向上していく」である。
この自己暗示は好評な反面、効果が出難いと考えられていると思う。
そこで、クーエのやり方を転用し、「私は金持ちになりつつある」という暗示を薦める人もいたが、実際は、成果は芳しくないはずだ。
一方、ある世界的な成功プログラムでは、「私は金持ちだ」と、現在形で断言せよと言う。
また、発明家で啓蒙家として知られた政木和三さんは、過去完了形、つまり、「私は金持ちになった」というのが良いと断言した。
しかし、いずれもあまりうまくいったという話はない。

ところが、事業家の斎藤一人さんが、核心を突くことを『千回の法則』で述べている。
それは、「千回言えばそうなる」である。
私は、1万回くらいで効果があると思う。

空手家の大山倍達さんは、確かに、恐ろしく強い空手家であったと思うが、海外でプロレスラーやプロボクサー、その他のあらゆる格闘技の強者と戦って全勝したというのは、かつては信じられたが、今は大半が創作・・・早い話が嘘だとバレているのだと思う。
しかし、『大山倍達正伝』で見たが、大山さんは、「嘘も百回言えば真実になる。千回言えば伝説になる」と言ったらしい。
冗談や言い訳に聞こえるし、本人も、そのつもりで言ったかもしれないが、妙なところで真実である。
実際に、大衆はその嘘を信じたし、何より、大山さん自身が、その嘘を信じたのだ。
その結果、彼の空手組織は世界的になり、総理大臣が組織に参加し、彼は少年達や若者を中心とした時代のヒーローになった。
良い意味でも、「嘘も百回言えば真実になる」。
だが、本当は、百回というのは少な過ぎ、千回でも少ない場合が多い。
念仏のように、子守唄のように、常に唱えれば本当になる。
ただし、感情を込めずに淡々と・・・が秘訣である。








文句を言うな

人間の幸福なんて、ただ1つで、それは、心が穏かなことだ。
「いや、心が燃えていることが俺の一番の幸せだ」と言いたい者もいるだろうが、それだって、心穏かであればこそだ。それに、ずっと心を燃やしたりなんかしたら、すぐに燃え尽きてしまうし、心が燃えていない時に心が穏かでないと、燃やすエネルギーがなくなる。

心穏かってのは、変化や刺激がないことではない。
変化や刺激がないと、心は荒れてきて、少しも心穏かでなくなるし、刺激が強過ぎると、最悪、心が崩壊し、穏かさを感じることが出来なくなる。

では、どうやれば、心は穏かになるだろう?
日本人の多くの愚かな者達は、良い学校を出て、良い就職をし、高い社会的ステータスと高い収入が、幸福をもたらすと思ってるが、それが心を穏かにすることはない。
持ち物をなくしていく(これをあるヨガ行者が断捨離と言ったらしいが)と心の平和を得られると言う者もいるが、それがきっかけになることはあるかもしれないが、直接には関係がない。

どうすれば心の平和が得られるかというと、それを皆があまりに知らないせいで、適切な言い方がないのかもしれないが、とりあえず言ってみると、魔法の力を持つことだ。
今流に言えば、引き寄せの力や、潜在意識の万能力と一致するか、少なくとも、親しいことだ。
だから、引き寄せ関係の本はよく売れる。
ただ、引き寄せの本を読むと、ますます心が荒れて、穏かさを得られないのは、本を読んで実践した結果、引き寄せがうまく出来ないことが分かってしまうからだ。

ところで、新しい引き寄せの本を書いている人達が、真面目に、自分はこの本で引き寄せが出来るようになったと言う本は、ほぼ、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』だけである。
もちろん、邪まな著者達が、言っているだけ、書いているだけなら、他にも沢山あるが、最も信用出来るのはそれである。
保江邦夫さんによれば、ナポレオン・ヒルというのは、その方面のノウハウをマスターしている中では下っ端なのだそうだが、本物であることは間違いないようだ。
そして、ナポレオン・ヒルを読んで、力を身につけた人達は皆、ヒルの本をボロボロになるまで読んでいる。
そうだ。ヒルの本をボロボロになるまで読めば、間違いなく、一定の・・・と言っても、普通の人から見れば驚異的な力を得る。
だが、お気付きかもしれないが、ヒルの本をボロボロになるまで読むことがなかなか出来ない。
ヒルの本をボロボロになるまで読んで、力を得た者というのは、どん底を知っている者だ。
つまり、救いを求める強烈な願いがなければ、引き寄せの力なんてなかなか得られない。
不満なら誰もが持っているだろうが、誤魔化せるよう不満、人の悪口を言って「ガス抜き」が出来るような不満じゃあ、魔法の力を得る要因には全くならない。

かといって、皆が皆、落ちるところまで落ちる必要はない。
愚痴を言わなければ良いだけだ。多くの人が、人の悪口を言うのが好きだが、それも愚痴の一種だ。
簡単に言えば、文句を言わなければ良いのである。
それが、タルムードにも書かれてるユダヤの秘法である。
魔法力を持った者は決して愚痴を言わない。
ナポレオン・ヒルの本をボロボロになるまで読んだ人達は、愚痴を言わなくなった時に、それを始めたのである。









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現代人の運は貸出超過状態で、返さないと危ない

どんな幸運の法則も1つにまとめることが出来る。
水野南北は、運命は食が多いか少ないかで決まり(食が少なければ幸運、多ければ衰運)、万に1つの外れもないと断言し、自ら証明もした。
しかし、この本質とは、人間は食を慎めば確実に辛いので、その辛さに耐えることで幸運が得られるということなのだ。

ラマナ・マハルシは、沈黙の行を重んじていたように思うが、これも、人間は、自己主張したり、自慢したり、批判したり、言い訳したり等が大好きなのであり、それらをしなければ苦しいのだから、それらをやめてしまい・・・つまり、話すことをやめて苦しさに耐えれば、神の恩寵が与えられるということなのである。

ナポレオン・ヒルは、性エネルギーの転換だとか難しい言い方をしたが、これだって、生殖器官を使うことは楽しいが、逆に、それをしないことは苦しいのだから、あえて、性的行為を諦めて、その苦しさに耐えれば運に恵まれることを発見したのだ。

法然は、起きている間はずっと念仏を唱えよと言ったが、それは決して楽しいことではなく、辛いのだということを、『選択本願念仏集』ではっきり書いている。
しかし、その苦しさに耐えれば、死んだ後はもちろん、生きている間も、ずっと仏の保護を得られると述べているのである。

その他の、いかなる幸運を呼び込む方法も全て、根本的には、自主的に苦しみに耐えるということだ。

ところで、ラマナ・マハルシは、「強制的に会話を止められることは沈黙の行ではない」と言った。
そして、貧しくて食べることが出来ないとか、プライベートな場所がないので性行為に耽るころが出来ない、また、無理矢理に念仏を唱えさせられるというのも、原則的に幸運を呼ばない。
しかし、食べるものを得ることが出来なくても、黙って耐え、心の中でも、不満も恨み言も言わなければ、それは運を呼ぶ修行になる。
強制的に会話を禁じられても、「私は耐える」と決意し、平静でいれば、やはり大きな神の恵みを得るのである。

イエスは、「苦しんでいる者は幸いである」と言ったが、暗に、「黙って耐えれば」と言っているのだと思う。
徳川家康は、「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し」と述べたが、誰でも、嫌でも苦が与えられるが、それに黙って耐えれば、運に恵まれるのである。
イエスも、家康も(意外に名前が似ている)、「黙って耐えれば運に恵まれる」は、あからさまに言うより、示唆(それとなく示す)した方が効果的、あるいは、美しいと感じたのかもしれない。
しかし、欲深な現代人には、はっきり言ってやるのも良いかと思う。
現代人は、運が貸し出し超過しており、少しは運を貯めないと危ないのである。









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若い特権と老人の特権

若い特権と老人の特権がある。
若い特権は、活力と美だ。
老人の特権は、知恵と財力である。
それぞれの特権を十分に持たなけばならない。
若いのに活力がなかったり、あるはずの美を失ったり、年を取っているのに知恵や財力がないというのは悲しいし、惨めである。
ところが、若い特権を十分に持つことが、老人の特権を持つことにつながるのである。

若い特権である活力と美を無駄にしない方法は、ただ1つ、自己制約である。
自己制約とは、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)になろうとするところを、意思の力で自分を制することである。
具体的には、規則正しい生活をし、食や性を慎むことである。
自己制約により、本来持っている活力と美を引き出せるのである。
自己制約のない者が、いくら栄養のあるものを食べたり、美容やファッションに金と時間を使っても全く無駄である。

おかしなことに、老人の特権である知恵と財力を持つ方法も、ただ1つ、自己制約である。
だから、いかに早い時期に、自己制約を持つかで、人生は決まるのである。
年を取っても自己制約の出来ない者は哀れである。
老人になり、活力と美は無いのに、知恵と財力も無ければ、全く生きている意味がない。
だから、できるだけ若い時から、生活を規則正しくし、無駄に食べたり、性に耽ることを自分に戒め、身体を鍛え、本を読むようにした方が良い。
言っておくが、他から強制された慎みでは何の意味もない。
あくまで、自己制約による慎みが必要なのである。
毎朝、駅に行くと、いつもかならず何か食べている若者がいる。それでも若いので、太らず、良いスタイルをしているが、既に顔には醜さが表れ始めており、それは今後、どんどん加速すると共に、やがて肥満して、美のカケラも無くなる。そして、このような、勝手気ままな者は、若く無くなった時にも、知恵も財力も無いのである。

若いうちから自己制約を大いにする者は、まだ若い間に老人の特権をいくらか持ち、老人がさらに熱心に自己制約に励めば、若い特権を失わない。
この世の秘密を明かせば、神は、人間が自分に課した制約の2倍以上の力を、その人間に与えるのである。
自己制約とは2つに分けられる。
1つは、遊びや楽しみに使える時間を修行に使うこと。
もう1つは、食、性、言葉を慎むことである。
水野南北は、食の慎みが他に圧倒的に優ると言った。
ナポレオン・ヒルは、性の慎みを強く勧めた。
ラマナ・マハルシは、全て十分であったが、特に「沈黙の聖者」と呼ばれ、言葉の慎みが完璧だったので、何も語らずとも人々を導くことが出来た。

だが、呼吸の慎みが最大の秘法かもしれない。
しかし、容易く得られるものではない。
毎日、欠かさず腕振り運動をしたり、心の微かな声の呪文を行うことで、3つの慎みを持ちやすくなると同時に、秘法である呼吸の慎みを得られる。
そうなれば、普通の人間の数十倍から数百倍の力を持ち、自由自在になる。

ところで、特殊な人間もいるということを少し述べる。
『レ・ミゼラブル』に登場するバティスティーヌ嬢が、その象徴だ。
「嬢」と言っても、彼女は若くはない。ただ、未婚だから、そう呼ぶのだ。
なぜ未婚かというと、若い時ですら美しくなかったからだ。
だが、彼女は、楽しいこと、面白いことが全然無くても、自己制約を忘れなかった。
すると、年を取ってから不思議な美しさを持つようになり、また、不思議な幸福を味わうようになった。
自己制約は一種の貯金で、貯め続けると、年を取ってから利息を受け取り、死ぬと、神は、その全てを数倍化して与えるのである。
実際、自己制約に励む者は、死を恐れないし、厭いもしない。
そして、我々は、達磨の秘法、腕振り運動と、微かな心の声の呪文により、容易く自己制約を持ち、自己制約による進歩は驚くほど速くなり、呼吸の慎みにより、老化を逆転させ、死を乗り越えるのである。









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成功者は無自覚に嘘をつくのでご注意を

ビジネスで大成功した者が、「こうすれば成功するのです」といった感じで、成功法則、成功哲学を本に書いたりしている。
何といっても成功の体現者であるし、これらの多くの本は「法則に則りさえすれば誰でも成功するのです」「努力なんて不要です」といったことが面白く書かれているので、非常によく売れる場合があり、何十万部というベストセラーもあるほどだ。

それらの本が役に立つかというと、絶対に役に立たない。実際、そんなものを読んで成功した人はいない。
一番問題な点は、書いている成功者は善意で書いていて、自分が嘘をついていることが分からないことだ。これほど始末の悪いことはない。
成功者が成功したのは、単に、それが運命だったというだけのことなのだ。
彼は、生まれる前からの成功者だった。それ以外、他の人との違いは全くない。成功に、原因も秘訣も何もない。成功する運命であれば成功は避けられないし、成功する運命でなければ、いかなる努力をしても決して成功しない。
そして、成功するかしないかなど、何の意味もない。
むしろ、成功して自我が強くなると、真の幸福である至福を逃す可能性が高くなるのであるから、成功というものは無い方が幸せなのである。
成功を選ぶことは出来ないが、至福への道なら選ぶことは出来るのだ。

ナポレオン・ヒルという人は、数多くの成功者にインタビューして、成功の要因を抽出し、成功プログラムを作った。
しかし、それを使って成功した人はない。当たり前のことだ。
成功者をいかに調べても何の意味もない。
ナポレオン・ヒルが調べるまでもなく、成功者の成功要因はただ1つだ。それは、彼は成功する運命だったということだ。他には何もない。
なるほど、成功者の多くは多大な努力をしているし、直感が冴えている。
しかし、それは、彼が多大な努力をし、素晴らしい直観を得る運命が与えられていたというだけのことである。

ラマナ・マハルシは言った。
「運命によらずして何も起こらない。働く運命に無ければ、いくら仕事を探しても、仕事は見つからないであろう。逆に、働く運命であれば、いかに嫌でも働くことは避けられない」
これが真実である。
成功して金持ちになる運命に定められていれば、いくら嫌でも、そうなることは避けられない。逆に、いかに成功を望み、金持ちになることを願っても、そうなる運命でなければ、何をしても成功し金持ちになることは絶対にない。

だが、ほぼ全ての金持ちは惨めで不幸だ。
富だって、いつまでも続く訳ではない。大半の金持ちが、短期間に富を失い、やがては借金まみれになっている。僅かな富豪は生涯富を保有するが、実は幸福でない。世界屈指の富豪ハワード・ヒューズも、何も食べられずベッドに寝たきりで、家族は離れ、友人もなく、執事だけに看取られて惨めに死んだ。
驚くべき成功を収め、「思い通りになるのが人生だ」と豪語して成功哲学を説き続けた牧師も、全く思い通りにならず、年をとって莫大な負債を抱え、家族に見捨てられて余生を送っていると聞くが、不思議なことではない。
一方、ふんどし1本以外、何も所有しなかったラマナ・マハルシは生涯を至福のうちに過ごした。
別に、貧しくなければならないと言うのではない。
金持ちになる運命であれば、金持ちになるしかない。
誰も、自分の意志で、金持ちになったり貧乏になったりは出来ない。
そんなことは神の決めることであり、我々には何のコントロールも出来ない。
金持ちか貧乏かは、何の関係もない。
確かに極端な貧乏の場合もそうかもしれないが、不要な富を持ってしまうと、幸福を逃し易いのである。
イエスが「5体満足で地獄に行くより、身体の一部を失って天国に行く方が良い」と言ったのは、「豊かで地獄の苦しみを味わうより、多少足りなくても、至福であることがどれだけ良いだろうか」という意味である。

我々は完全に無力であり、世界や人生に何の影響を与えることもできない。全ての出来事は、我々の意思と何の関係もなく起こる。
それを完全に無条件に受け入れ、荘子が言ったように、全てをなりゆきに任せることだ。
こう言うと、愚かな者は、「それなら、みんな投げやりになって、何もしなくなる」という誤解をする。
そんな馬鹿なことはない。
超人的な努力をする運命にあれば、そうするだろう。
怠惰を好む運命であれば、サミュエル・ベケットのように、ノーベル賞授賞式にも「面倒だから」という理由で、行かないだろう。
至福への第一段階は、運命を無条件に受け入れることだ。
そうすれば、自我は弱まり、欲望が少なくなって行き、妄想(空想と等しい)をしなくなる。それが至福への基本的条件となるのだ。









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・SE、プログラマー
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