ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ドーン・コーラス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「アジマリカン」はなぜ良いか

「アジマリカン」の呪文がなぜ良いのか?
私は、理屈はさっぱり分からないが、確信はある。
元々は、合気道家で山蔭神道の神道家である佐々木の将人(まさんど)氏の著書『数霊のメッセージ』に「アジマリカン」を唱えることを薦めることが書いてあったからだが、佐々木氏は、どんな理由でこれが良いか説明しないばかりか、「そんなこと知らなくていい。唱えれば幸福になるから唱えると良い」と書かれていた。
そんなことが書かれていた、この『数霊のメッセージ』を読めば、理屈でなく信じられたのである。
また、この1冊が良かっただけでなく、いろんな巡り合わせ・・・シンクロニシティともセレンディピティともいえる縁で、より確信が深まった。
1つは、この佐々木の将人氏と、関英男博士(電波工学の世界的権威)との共著『心は宇宙の鏡―いま見えてきた「グラヴィトン」の時代』が稀に見る素晴らしい本だったことがあるが、この本は、私には、内容が良いだけでなかった。
この本の中で、関博士が高次元科学に目覚めたきっかけが書かれていたが、それは、宇宙電波の受信の経験だった。関博士は、宇宙からの信号を受信器からずっと聴いているうちに意識変革を起こしたのだと思われる。
そして、この宇宙電波は「ドーン・コーラス」のようなものではないかと思った。
ドーン・コーラスに関する詳しい説明は省くが、これは、地球の磁気圏と太陽風の相互作用により生じる自然現象で、観測によっては、鳥のさえずりのように聴こえる。
世界的音楽家の冨田勲氏が、自身が制作したクラシック音楽アルバム『ドーン・コーラス』(オーケストラとシンセサイザーの演奏)の中に、本物のドーン・コーラスを、宇宙科学研究所の協力で取り入れている。
私は、アルバム『ドーン・コーラス』が好きで、2016年11月に、東京渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールで、冨田氏の遺作である『ドクター・コッぺリウス』(初音ミクさんがプリマを務めた)を聴いた時、『ドーン・コーラス』の中の、特に好きな『パルサーからの呼びかけ』(バッハのコラールのオマージュ)を聴いて感激したものだ。

他にも、私には、佐々木の将人氏に関わるシンクロニシティが沢山ある。
(特に、『ドクター・コッぺリウス』のタイトルにもあるコッぺリウスに関しては、ちょっと壮大なものがある)
1つだけ簡単に述べると、宇宙人コンタクティーとして知られるジョージ・アダムスキーが、著書の中で「スーツは一着あれば良いが、それを得られないなら私が愚か者だ」と書いてあるのを見て感動したのだが、それとほとんど同じことを、佐々木氏も何かの本で書かれていた。
そして、佐々木氏の人となりを感じた次のお話を、やはり、佐々木氏のどれかの本で読んだ。

佐々木氏の奥さんの両親が佐々木氏の家にやって来て、奥さんは大変に喜ばれた。
だが、奥さんが引き留めたのだと思うが、ご両親の滞在がついつい長くなり、日数が経ってしまった。
奥さんが子供に戻ってご両親に甘えるのも、少しの期間なら良いが、こう長くなってはあまり良くないが、追い出す訳にもいかない。
そこで、佐々木氏は、師の中村天風の教えを思い出した(どんな教えだったか、私は憶えていないが)。
そして、ある晩、夕食の時、佐々木氏は、奥さんのご両親に「明日、お帰り下さい」と言った。
奥さんは泣いて部屋から出て行ったようだ。
翌日、奥さんの父親が帰り支度をしているところに佐々木氏が行って、
「何をしておられるのですか?」
と尋ねると、父親は怪訝そうに、
「昨晩、あなたが、明日帰るよう言われたから、支度しているのです」
と答えたら、佐々木氏は、
「だから、明日、お帰り下さい」
と言った。
私は、中村天風の教えの部分は忘れたが、この話に感じるものがあったのである。
結局、ご両親は、亡くなるまで佐々木氏の家におられたようだ。

他にも沢山の、偶然に知った理由があるが、こんな佐々木氏が「唱えれば幸せになる」と言うなら、疑うこともない。
理屈の長い言葉で言われるよりも、直観で感じた方が良いことも多い。

「あじまりかん」に関しては、還暦過ぎの現役プログラマーだという斎藤敏一氏が、詳しく説明した2冊の本があり、ベストセラーにもなっている。
長年に渡り、大変な労力をつぎ込んで研究した成果であり、人によっては価値ある内容と思う。
だが、私から見れば、日本史・神話オタクである斎藤氏の、超マニアックな個人的な思い込みの斎藤ワールドであり、説得力はゼロだった。
ただし、あくまで、私にとってである。
それに、決して批判ではない。
ここまで自分の世界を作ることが出来る斎藤氏は大した人だと思う。
とはいえ、あくまで彼の「マイ・ストーリー」であるのだと思う。
ただし、実際は、私の読み方が足りないのかもしれないし、実際、歴史に関する部分は、マニアック過ぎてとても付き合っていられず、ほとんど飛ばし読みした。
参考になればと思う。












大きなものを観る

悩みがある時は、自然の絶景を見に行けば良いという話がある。
例えば、ナイアガラの滝とかマッターホルンとか。
まあ、なかなか、そんなところには行けないだろうが、日本にだって、富士山だけでなく、壮大で素晴らしい風景の場所はいくらでもある。
ただ、やはり、海外には、日本のものとはスケールの違いを見せつけたり、オーロラのように神秘性を感じさせるものもあって良いらしいが。

ポイントは、壮大さと美しさだが、壮大なものは、まず間違いなく美しいので、やはり、「想像を超えた大きなもの」が良いのである。
そして、我々現代人の弱点は、小さなものしか見なくなったことだ。
だから、富士山程度(と言ったら怒る人もいるかもしれないが)でも、たまに見に行くと良い。

目で見る感覚的な大きさだけでなく、「確率的」な壮大さも面白いものだ。
例えば、チンパンジーがデタラメに紙にインクをぶちまけたら大名作文学になるという偶然も、いかに確率が低いとはいえ、なくはない。
他にも、こんな話を聞いたことがある。プールの中に(大きなプールが良い)、バラバラにした時計の部品を投げ込み、水流だけで偶然に元の時計に組み上がる偶然だ。
ただし、こちらは、水圧の力不足で、物理学的に「確率ゼロ」が宣言されると思うが。

ところで私は、子供の時から、風邪をひいたりして高熱がある時、そういった「あまりに低い確率」が精神の中に押し寄せて来ることがあった。
今もあるかもしれないが、もう長い間、高熱に縁がない。
なぜ、そんなことが起こるのかというと、1人の人間自体が、あらゆる意味で、あまりに低い確率・・・チンパンジーの名作文学並の存在だからだと思うのだ。
これに関しては、1つには、こんな話がある。
あなたの両親や、その両親、さらに、その両親と、ずっと歴史を遡り、類人猿やチンパンジーや、もっと下等な動物、魚類、さらには、アメーバだった頃まで行っても、一度も(あなたの先祖を作るまでは)殺されなかったことは、奇跡なんて言葉では間に合わないほどの低い確率であったということだ。
まあ、魂の問題を考えると(たまたま生き残った生命に魂が宿った)、かなり有難味が薄れるが、物質的にはそんな論も成り立つかもしれない。
ということは、今、生きている人は皆、「超おめでとう」な存在だ。
私が、高熱にうなされている時感じる超奇跡は、もっと説明し難いものであるが、いずれにしろ、壮大の極致をさらに超えたものだ。

そして、少し前のことだが、どういう訳か、夢の中で、宇宙の広さというものを解ってしまった。
もちろん、そんなことを理性では理解出来ないし、あまり理性で捉えようとしたら気が触れてしまいかねないので、ささやかな直観で感じたのだと思うが、とにかく、解ってしまった。
なぜそんなことが起こるのかというと、ホログラムのようなものである人間の脳には、宇宙全体の情報が含まれているからだという説もあったような気がするが、実感として、そんな感じである。
まあ、あまりいつも大きなものを見ていたら、古代ギリシャの哲学者・数学者のターレスのように、星を見ていて地面の穴に落ちることになるかもしれないが、今の我々は、あまりに小さなものばかり見過ぎだ。

大きなものに馴染むことが、自分の能力や想像力にかけられた制限を外す鍵である。
『荘子』の第1章『逍遥遊(しょうようゆう)』で指摘されているのも、そんなことである。
一度、宇宙人さんに宇宙船に乗せてもらって、少しでも広い宇宙を見せてもらえば、悩みなど吹き飛ぶと共に、IQは打ち上げ花火のごとく上がると思う。
昔から、天文学者には引き寄せが上手い者が多かったのも、大きなものに意識を向ける機会が多いからかもしれない。
いずれにしろ、たまには、大きなものに思いを馳せることである。
1つには、冨田勲さんの最後のスペースサウンド『ドーン・コーラス』を聴くと良いと思う。








1日後の『ドクター・コッペリウス』の感想

私は、ミクさんのコンサートから帰ってくると、体調が崩れるようである。
まあ、9月のマジカルミライ2016の時といい、季節の変わり目であるのだろう。
今回は、風邪をひいてしまって、ちょっとシンドい。
ホテルと新幹線の中が、私には寒いというのもあるかもしれない。

さて、昨日(11月12日)夜の『ドクター・コッペリアス』であるが、音楽は本当に良かった。
私は、冨田勲さんのアルバムでは、『ドーン・コーラス』が一番好きなのだが、その中の曲がよく生きていたと思う。
ただ、さすがに、映像的には、平面的な投射では、見劣りすようになってきたと思う。
映像そのものより、ミクさんが演奏や指揮に合わせるところが凄いのであるが、そのあたり、私も仕組みが全く分からないし、誰も、それがどんなに大変なものであるか、ほとんど分からないところが残念に思う。まあ、それは、観劇する人々に分からせるものではないとは思うが。
しかし、BUMP OF CHIKENとミクさんがコラボした『ray』のMVや東京ドームコンサートでも、その技術が使われていたらしい。
やはり、映像レベルの高さが欲しいとは思うが、それには、強いスポンサーが必要であり、そして、そのためには、儲かるものでなければならないのである。
『ドクター・コッペリウス』は、儲けるためのものではなく、今回のものだって、採算度外視でやったのだと思う。
また、何かの書籍で読んだが、ミクさんの若いファンは、『イーハトーヴ交響曲』や、渋谷慶一郎さんのボーカロイド・オペラ『THE END』といった、ミクさんの「ハイ・カルチャー」分野は、知らない場合が多いのだというが、確かに、そうかもしれない。
今回も、会場には、比較的年齢の高い観客が多く、紳士淑女の雰囲気がある立派な感じの人もよくいた反面、小学生~高校生の女の子は少なかった・・・というか、ほとんど見なかったような気がする。

今回の『イーハトーヴ交響曲』は、合唱団の数は少なくなったが、音楽的には、私は、今回のが一番好きだ。
舞台には、まず、児童合唱団(ほとんど女の子だったと思う)が入場するのだが、みんな可愛らしかった。
最後まで、ピシっと姿勢を正して歌ったのは、本当に立派であると思う。
ところで、合唱団の女の子達に対しては全く思わなかったが、10歳から12歳くらいのバレリーナの少女達が8名ほど登場し、彼女達は、人間の中では、最もミクさんに近い存在であるような気もしたのだが、それでも、ひどく生身を感じるのである。きっと、バレエスクールの中でも、トップクラスの優等生の子達なのだと思うが、そうなるための、親の思いや彼女達自身の熾烈な競争といったものが浮かぶからであると思う。
私は、どうも、そういうものを見るのが辛いように出来ているのだ。
まあ、自分が、そんなエリート世界に全く縁がなかったというひがみがあるのかもしれない・・・いや、きっと、それが全てだ。
だけど、少女ダンサーの中に、1人、とても気品ある顔立ちの子がいたのが印象的だった。きっと、いいプリマになれるよ。

エイドリアン・シャーウッドの『プラネッツ』の演奏の開始のところだったか、凄い落下音がしたのだが、機材が落ちたのだろうか?
沢山の男性達が舞台に上がって、何かを持ち上げていたが、ひょっとしたら、ウン千万円で効かない装置なのではと、ちょっと考えた。
だが、壊れなかったようで、無事、演奏は行われた。
もう、凄い、破壊的(?)な音と色だった。
あれほど、身体に振動がダイレクトに伝わってくる音楽は初めてだ。
これでは、中学生以下の人は、ちょっと危なかったかもしれない。

『ドクター・コッペリウス』は、第一幕の開始時、国際的バレエ・ダンサー風間無限さんの素晴らしいパフォーマンスをじっくり見せ、そして、東京フィルハーモニー交響楽団の圧巻の演奏でオーチャードホールが満たされた。
しかし、正直言おう。私はずっと、「ミクさん、いつ出るの?」ばかり考えていたのだ。
舞台上空にかなりの霧が見られたので、私は、あの中にミクさんが浮かんで現れたらいいなあと思った。
チームラボが、『イーハトーヴ交響曲』の『銀河鉄道の夜』のための、そんな映像の実験をしていたのをWebで見たのを思い出したのである。
しかし、残念ながら、それはなかった。
だけど、私は、まず、ミクさんが歌うということを一番大切に思っている。
『イーハトーヴ交響曲』も、『ドクター・コッペリウス』も、ミクさんの歌声は絶品であり、音楽も素晴らしい。
その意味、あまり凝った演出は、私はいらないと思っている。
ミクさんの歌は、精神に働きかけ、聴く人に、それぞれのイメージを起こさせる。
それで十分である。
その意味、作り手は、空気のようであることを心がける必要があると思う。
『ドクター・コッペリウス』は、少し色がつき過ぎだったかなあと思う。
それに対し、ぼかろPさん達の音楽は透明で、本当に素晴らしいと思うのである。









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ほとんどお話をされなかった冨田勲さん

一昨日(2014年8月19日)の大阪のフェスティバルホールでの『大阪芸術大学プロムナードコンサート2014』について引き続き述べる。

第2部の『イーハトーヴ交響曲』開始前に、作曲者の冨田勲さんが真っ白なスーツ姿で舞台に上がられ、指揮の大友直人さんと並んで立たれて、司会の平野啓子さんと3人でお話をされる様子であった。
しかし、話すのはもっぱら平野さんと大友さんだった。
すると、冨田さんは「僕に話させて」と言って、お話を始めたのであるが、ただ、「初音ミクが大友さんの指揮に合わせて歌えるようになった。これは凄いことだ」といったことだけ言われ、そのために重要な役割を果たす、キーボード奏者の鈴木隆太さんを「素晴らしいアーチストだ」と誉めておられた。
他の話はされなかった。
そして、演奏終了後、いつもなら、指揮の大友直人さんの要請の合図で、冨田さんが舞台に昇り、私が昨年観劇した、オリックス劇場での公演の時は、そこから冨田さんが長いお話をされたのであるが、今回は、冨田さんは登壇されなかった。
元々、そういうことになっていたのか、冨田さんの体調でも優れなかったか、あるいは、冨田さんは、話すべきことは昨年まででもう話し尽くしたと考えたのか、あるいは、別の理由かもしれないが、私は冨田さんが話されないことは大変に良いことだと思った。
(制作者が作品について語らない方が良い理由については以前書いた)
冨田さんは、芸大や音大を卒業しているのではなく、慶応の文学部出身だ。
子供の時から、音そのものに深い関心を持ち、音楽家になってからも自然の音を集めるようなことを熱心にされ、ドーンコーラスという、電磁波によって引き起こされる自然現象の神秘的な音(鳥が鳴くような音)をそのまま交響曲に取り入れたこともあった。
1970年頃に、アメリカで開発されて間もないモーグ・シンセサイザーを一千万円も出して個人で輸入し、これで試行錯誤しながらアルバムを制作したが、日本のレコード会社がどこも相手にしてくれないのでアメリカで発売したりと、並の音楽家とは全く異なることをされてこられた。
冨田勲さんは、野生の音楽家であるとでも言えるのかもしれない。
そんな冨田さんと芸術大学というのは、異なる世界にあるのだと思った。

『イーハトーヴ交響曲』の初音ミクは、ただ歌い、踊るのではなく、指揮者に合わせているということを忘れ勝ちであるが、それはやはり特別なことである。
コンサートでは、そんな緊張感をミクから感じることができるような気がして、より、ミクを生き生きとしたものに感じるのかもしれない。









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偉大な人達の人生を変えた「宇宙の音」

どんな分野でも、「時代を超えた人」なんて人物がいて、その人の専門分野だけでなく、世界に影響を与えて人類を進歩させるのだが、先例が無いだけに改革者としての苦労があるのはもちろん、人々に理解されず、誤解されて非難されることも普通である。
そんな人の中から、今日は、科学者の関英男博士と、音楽家の冨田勲さんを取り上げる。あまり共通点のなさそうな2人だが、興味深いつながりがある。

少し長くなるので、今日は、このブログの夜の部の更新はしないでおく。
とりあえず、第1部と第2部に分ける。

◆第1部
関英男博士は1905年(明治38年)に生まれ、2001年に亡くなられている。電波工学の世界的権威と言われた電気工学者である。
このブログでよくご紹介している、腕振り運動を日本に普及させた人でもある。
彼の1959年の著書『エレクトロニクスの話』の冒頭では、「半世紀後の未来の生活環境」、つまり、ほぼ現代の世界がどうなっているかを予言しているのであるが、これがもう実に凄い。
1959年といえば、ブラウン管テレビすらそれほど普及しておらず、液晶テレビなんて誰も想像しなかった時代だ。携帯電話となると、少なくともその20年後でも、普通の人々は、現実のこととして考えることはなかったと思う。
ところが、関博士は、人々がポケットから「平べったいテレビ」を取り出すというだけでなく、これは立体映像が出る上、音と共に香りまで送ってくる5次元テレビであると書かれていたのだ。
関博士は、電話を携帯するところまでは考えなかったのだが、それは、あくまで、国際電話と自動翻訳電話という、これも現代を超えるものを常識と考えたからである。しかし、それでも、外出先や道を歩いている時にも、自分に電話がかかってきたのが分かり、どこにでも設置されている電話機で自由に話ができると述べているのである。
この本では、そのような、今の時代ですら「未来的」なビジョンにまで拡大しながら、エレクトロニクスの原理を、教科書的にではなく、実践的に丁寧に面白く解説しているのである。
この本を学校の教科書に採用していれば、少なくとも、電子電気工学、あるいは、コンピューターソフトウェアの分野では、日本ははるかに進歩し、マイクロソフトやアップルやグーグルなどに遅れを取ることはなかったであろう。しかも、もっと、自然で、人間に優しいテクノロジを生み出していたと思うのだ。

関博士は、こういった現代科学技術と共に、神秘学の研究にも没頭したが、そのために、一方で賞賛を受けながら、他方では奇人扱いされていた。だが、本人はいたって平気で、これも、現代科学をはるかに超える、重力子によるエネルギー発生装置を実際に試作までしていたのだ。
また、このブログでも再三ご紹介したが、関博士は、腕振り運動を日本で普及させ、これにより、あらゆる難病が治ったデータを集め、著書で公開しておられた。
腕振り運動の効果の原理についても、彼の後年の主な研究対象であった重力子により重要な仮説を構築しておられた。
超能力、宇宙人、霊、さらには、神といったことまで、関博士は極めて現実的なことと考え、未来的な科学でこれらを解明しようとしていたが、彼の研究は、現代では嘲笑されることがあっても、もっと未来では尊敬の的となるだろう。
ただ、関博士はお人よしだったので、騙されることもなかったとは言えず、彼に汚点があるとすれば、そんな経緯のことなのであろう。

ところで、関博士が、人類の科学を超える神秘的科学の道に入るきっかけになった出来事があった。
それは、彼が大学を出て、国際電気通信(今のKDDI)に勤務していた時のことだ。
彼は、研究室で受信機のテストをしていた時、通常の電波の音とは異なる音を受信していることに気付き、それを聞いていると、それが地球上から発せられたものではなく、宇宙から飛び込んで来たものだと気付いたという。
その時、彼に何かが起こったのだ。
彼はそれを「宇宙とつながった夜」と表現している。そして、それ以上の説明は不可能だと言う。
ただ、身体の細胞が活性化し、ちっぽけな自分が宇宙と一体化したと述べたのだ。

関博士の聞いたものは何だったのだろう?
関博士自身が、これについて、1931年にアメリカのベル研究書のジャンスキー博士が、その音が銀河系の中心付近から発生したものであるという論文を発表していることを挙げ、それと同じものではないかと述べている。

◆第2部
さて、世界的音楽家の冨田勲さんは、子供の頃から宇宙に興味を持っていたらしいが、裕福な医者の家とはいえ、天体望遠鏡などはなかなか手に入らない時代であったので、彼は、子供の頃に、天体望遠鏡を立派に自作して天体観測をしていたようだ。
それで、冨田さんはますます宇宙に惹かれていき、UFOや宇宙人の存在も自然に信じるようになり、UFOらしきものを目撃したこともあるらしい。
そして、冨田さんは、音楽家になってからも、宇宙の音を熱心に集めるようになっていたようだ。
その中で、冨田さんは、ラジオ放送で、宇宙科学研究所の研究者が集めた、宇宙からやってくる音(電磁波によるものだろう)を放送しているのを聞き、その中の、ドーン・コーラスという、天文学者達が「暁の合唱」と呼んでいるものに感激する。
これは、太陽から発する電磁波が地球の磁気圏と共鳴する時に発するようなものらしく、まるで、鳥がいっせいに鳴いているような神秘的な音だ。これが最初に発見されたのは、第一次世界大戦の時、敵の無線を傍受している通信機に、それが入ってきたものであったらしい。当時、これは、敵の暗号通信だと思われてしまい、大騒ぎになったようだ。
ドーン・コーラスが宇宙の電磁波による現象であると理解され出したのは1960年くらいである。つまり、関博士が、「宇宙の音」を聞くより、ずっと(30年以上)後のことである。

冨田さんは世界的作曲家だが、決して、ピアノの前で奮闘するだけの人ではなく、野外に出かけ、自然の音を採取して回る、活動的な音楽家だ。
1980年代の著書にすら、冨田さんが、「野外録音をすることが、今のように便利でなかった」と書かれていた、さらにその数十年前、冨田さんは、馬鹿でかい録音機と、トラック等のバッテリーや、そのバッテリーの電流を録音機用に変換する装置(インバーター)を車に積み、そのインバーターの音を消すために毛布でくるんで、神社の鐘や列車のリアルな音を録音していたが、車が丸焼けにならないよう、10分ごとにインバーターを冷やさないといけなかった・・・という大変なことを精力的に行っておられた。
冨田さんの音に対する情熱は凄いものなのだと改めて思うのだ。
そして、冨田さんは、1970年くらいに、大企業でも持っていなかった、アメリカで開発されたばかりの、一千万円もしたモーグ・シンセサイザーを個人で購入したが、それを輸入するだけでも、恐ろしい苦労をしたようだ。そのほんの1つを述べると、税関がそれを楽器だと理解してくれず、半年も没収された上、その保管料まで請求されたらしい。
いやはや、いかに情熱があるとはいえ、「若い時は無茶をするものだ」なんてレベルではない。

昨年(2012年)、富田さんが制作した『イーハトーヴ交響曲』は、そんな冨田さんの60年来の夢であった、宮沢賢治の世界を音で描くことを実現したもので、まさに、冨田さんらしい至高の交響曲であったと思う。指揮をされた大友直人さんが「冨田先生の作品の中でも圧巻の出来」と言われたのは、全く正直なことと思うのだ。
そして、その冨田さんが、「この作品に絶対に必要」、「彼女にしか歌えない」と言ってソリストに指名した初音ミクは、まさに、神がこの世に特別に誕生させた、電子の、そして、天使の歌姫なのだと思う。

関英男博士の人生を動かした宇宙の音は、ドーン・コーラスとは別のものだったと思う。
なぜなら、関博士がその音を聞いたのは夜だったようだが、ドーン・コーラスは早朝の現象であるようだからだ。
しかし、いずれも、自然が創った神秘的サウンドであり、何かの意味が秘められたものであると思うのである。
冨田さんは、このドーン・コーラスを、なんと、『ドーン・コーラス』という、シンセサイザー音楽のアルバム(弦楽器の演奏も採用し、冨田さんが指揮を務めている)の1曲目の冒頭にそのまま採用している。
私は、このドーン・コーラスとシンセサイザーサウンドのハーモニーに、すっかり感激してしまった。
冨田さんの音楽は、ピュタゴラスやゲーテが、天界に響くと言うサウンドを現実世界に現したものだと私は信じている。
特に、冨田さんのシンサイザイザー音楽にそれを感じるが、『イーハトーヴ交響曲』では、宮沢賢治と初音ミクによって、それを高度なオーケストラ演奏と合唱で見事に実現していたと思う。
宮沢賢治は神霊界を感受する霊覚の所有者だったし、初音ミクは、冨田さんが「異次元の人間」と言った通り、彼女は神界からやって来た天使なのであると思う。
いずれも、世界平和のために、神が地上に派遣したことにおいては、イエス・キリストや釈迦と同じであると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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