最高の目標を持てば、他のことはどうでも良くなる。
たとえば、こんな例がある。
釈迦と、彼の従弟のアーナンダの逸話だ。
アーナンダは結婚を控えていた。
相手は16歳のそれは素晴らしい美少女だった。
アーナンダは喜びに満ち、婚姻の日を心待ちにしていた。
だが、釈迦はアーナンダに言う。
「今が一番嬉しい時だろう。だが、彼女を得た時には詐欺に遭ったと感じるだろう」
アーナンダは、いくら釈迦とはいえ、酷いことを言うと思い苛立った。
さらに釈迦は言う。
「安物の宝のことなど忘れ、修行に励め。そうすれば本物の宝を得る」
つまり、結婚などやめて修行しろと言うのである。
当然、アーナンダは「そんなこと出来ませんよ」と拒否する。
すると釈迦は、神通力でアーナンダを雪が降るヒマラヤ山中に連れて行く。本当に連れて行ったのか、幻影を見せたのかは分からないが。
そこで釈迦は、一匹の年老いた雌猿を見せた。
毛並みはボロボロで醜く、皮は爛れ、哀れな姿であった。
釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この雌猿では、どちらが美しいか?」
アーナンダは憤慨し、
「私の妻に決まっています」
と激しく言う。
「そうか」
釈迦はそう言うと、今度はアーナンダを兜率天(天界)に連れて行った。
釈迦が無言で呼ぶと、天女が現れ、釈迦の前に跪(ひざまず)いた。
そこでまた、釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この天女では、どちらが美しいか?」
すっかり狼狽(うろた)えたアーナンダは、
「この天女と私の妻では、私の妻とさきほどの雌猿ほどの違いがあります」
と答えた。
釈迦は言う。
「アーナンダよ。修行すれば、この天女はお前のものである」
アーナンダは結婚をやめ、修行に打ち込んだが、やがて天女のことも忘れた。
AIアート389
「妖(あやかし)」
Kay
具体的に、そのような高い目標が示されればありがたいことだろう。
だが、文豪と呼ばれるほどの文学者や抜きん出た芸術家には、アーナンダが天女を見た時のような神秘体験が必ずある。
ドストエフスキーの『悪霊』で、キリーロフが言う。
「この五秒間のためなら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない」
ドストエフスキーは『白痴』でも、ムイシュキン侯爵に、これと似た体験について語らせていると思う。
この神秘体験の起こし方や、あるいは、そのヒントについて述べる芸術家も稀にいるが、なかなか分かり難い。
自己啓発家の言うことなら、それはあくまで金儲け目的なので聞かない方が良い。
しかし、深呼吸を続けているうちに、そんな瞬間が、おそらく訪れると思う。
これまで述べた呼吸法の大きな効用がそれである。
ただし、そんな神秘体験を求めず、ただ淡々と呼吸法に励むようにしないと、なかなか訪れないものである。
たとえば、こんな例がある。
釈迦と、彼の従弟のアーナンダの逸話だ。
アーナンダは結婚を控えていた。
相手は16歳のそれは素晴らしい美少女だった。
アーナンダは喜びに満ち、婚姻の日を心待ちにしていた。
だが、釈迦はアーナンダに言う。
「今が一番嬉しい時だろう。だが、彼女を得た時には詐欺に遭ったと感じるだろう」
アーナンダは、いくら釈迦とはいえ、酷いことを言うと思い苛立った。
さらに釈迦は言う。
「安物の宝のことなど忘れ、修行に励め。そうすれば本物の宝を得る」
つまり、結婚などやめて修行しろと言うのである。
当然、アーナンダは「そんなこと出来ませんよ」と拒否する。
すると釈迦は、神通力でアーナンダを雪が降るヒマラヤ山中に連れて行く。本当に連れて行ったのか、幻影を見せたのかは分からないが。
そこで釈迦は、一匹の年老いた雌猿を見せた。
毛並みはボロボロで醜く、皮は爛れ、哀れな姿であった。
釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この雌猿では、どちらが美しいか?」
アーナンダは憤慨し、
「私の妻に決まっています」
と激しく言う。
「そうか」
釈迦はそう言うと、今度はアーナンダを兜率天(天界)に連れて行った。
釈迦が無言で呼ぶと、天女が現れ、釈迦の前に跪(ひざまず)いた。
そこでまた、釈迦はアーナンダに問う。
「お前の妻になる女と、この天女では、どちらが美しいか?」
すっかり狼狽(うろた)えたアーナンダは、
「この天女と私の妻では、私の妻とさきほどの雌猿ほどの違いがあります」
と答えた。
釈迦は言う。
「アーナンダよ。修行すれば、この天女はお前のものである」
アーナンダは結婚をやめ、修行に打ち込んだが、やがて天女のことも忘れた。
AIアート389
「妖(あやかし)」
Kay
具体的に、そのような高い目標が示されればありがたいことだろう。
だが、文豪と呼ばれるほどの文学者や抜きん出た芸術家には、アーナンダが天女を見た時のような神秘体験が必ずある。
ドストエフスキーの『悪霊』で、キリーロフが言う。
「この五秒間のためなら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない」
ドストエフスキーは『白痴』でも、ムイシュキン侯爵に、これと似た体験について語らせていると思う。
この神秘体験の起こし方や、あるいは、そのヒントについて述べる芸術家も稀にいるが、なかなか分かり難い。
自己啓発家の言うことなら、それはあくまで金儲け目的なので聞かない方が良い。
しかし、深呼吸を続けているうちに、そんな瞬間が、おそらく訪れると思う。
これまで述べた呼吸法の大きな効用がそれである。
ただし、そんな神秘体験を求めず、ただ淡々と呼吸法に励むようにしないと、なかなか訪れないものである。