ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

デュルクハイム

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

こんな熱意があれば成功する

願いを叶えるには熱意が必要だ。
言い換えれば、願いが叶わないのは願望の強さが十分でなく、熱意に欠けるからだ。
熱意があるとは、1日中、たゆまず、片時も離れず、そのこことを考え続けるということだ。
少しの間、そのことを考えるが、次の瞬間には、もう別のことを考えているといった、パートタイムの熱意では、願望の達成に必要な心のエネルギーは注ぎ込まれない。

明治、大正の時代に、岡田虎二郎は、「岡田式静坐法」を考案して指導し、広く知らていた。ドイツの著名な心理学者であるカールフリート・デュルクハイムがこの岡田式静坐法を学び、ヨーロッパに持ちかえって、精神療法に大きな成果を上げている。
岡田式静坐法においては、下腹に力を入れることを重視する。ただし、これは決して、「息む」ことではない。
例えば、「腹を据える」と言う時、それが腹の筋肉に力を入れることでないようなものだ。
意識を下腹に集めて、上ずった心を静め、どっしりと落ち着いた状態だ。
虎二郎は、人間は、腹から力が抜けている時に、よからぬことを考えるのだということが、それは、直感的に納得いただけるのではないかと思う。
そして、虎二郎は、1日中、腹に力が入っていなければならないと言った。
腹に心の力を込めることが、即ち静坐である。
「生活しながら静坐をするのではいけない。静坐をしながら生活するようでなくてはならない。念仏を唱える行をするなら、生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活しなければならない」

世界一の大富豪であるビル・ゲイツは、マイクロソフト社の経営から退く時、「17歳の時からこれまで、フルタイムでテクノロジーの仕事をしてきた。これからも福祉事業の分野でフルタイムで働く」と言った。
彼は、一瞬たりとも仕事のことが頭を離れない。
だから大富豪なのだ。

ずっと、人々に虐げられ、蔑まれてきた者が、「いつかあいつらを見返してやる」と思う。
しかし、そんな者は、偉い人が、気紛れに、ほんのちょっといい身分にしてやると、それでもういい気になり、ふんぞり返って余計なことばかりを考える。
そして、そのちっぽけな栄光もすぐに終わり、以前にも増して惨めになるのだ。
本当に熱意があるなら、その自分のボスすらはるかに超えることをいつも考えるはずである。

どんな願いを持っても構わない。
悪い願いなどはない。
だが、熱意が無いのが悪いことなのだ。

願いを持ったなら、1日中、そのことを片時も忘れてはならない。
そうすれば、必ずや叶うのである。









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自分の心を支配し、自在に信念を持つ秘訣

私は、高校1年生の時に、こんなことを考えたことをはっきりと憶えている。
それは、大悪人が善き人になるには、どのくらいの時間がかかるかというと、それは間違いなく一瞬であるということだ。
別に何か根拠があるわけではなかったが、そうとしか思えなかったのは、それが自分にはできるという、確信めいた感覚があったからだ。
そして、最近、その感覚が蘇ってきたように思う。
それがどんな感覚であるとか、どうやってその感覚を起こすのかというと、少し難しいのであるが、こんな話が参考にならないだろうか?
私は、小学生の時から、専門の選手ではなかったのだが、走り高跳びが得意で、誰かに負けたということがなかった。
ところが、おかしなことに、自分がどんな飛び方をしていたのか、さっぱり分からないのだ。
普通の人なら、バーの斜めから走ってきて、はさみ飛びで飛ぶのだろうが、私は、必ず正面から走ってきて飛んでいた。
ところが、ある日、一瞬で飛び方が分からなくなったのだ。
中学1年生の時であったが、やはり真正面から走ってきて、なぜか飛ぶのをやめた。その瞬間に忘れたのだ。以降、正面から走ってきて飛ぶということは、もうやれなくなった。
だが、それまでは、確かに、特別な飛び方をしていたのだ。
一瞬で心を変える技術というものも、ほとんどの人には全くやり方が分からないのであるが、できる者には簡単にできるのである。
そして、それはある時期までは誰にでもできるのだが、私の走り高跳びの飛び方のように、一瞬でやり方が分からなくなるのだ。
それだけではない。
私は、小学4年生で天体望遠鏡を手に入れた時、何の天文の知識も資料もなく、土星をいとも容易く見つけることができた。
また、図書館がどれほど広くて、どの場所がどんな本のコーナーかということを誰にも聞かなくても、読みたい本のところに真直ぐに進むことができた。
こう言うと、不思議な子供のようだが、そのようなことはできるのが当たり前で自然なことなのだ。それをできない者の方が、問題なのである。

そして、私は、今日、心を一瞬で変えてしまう感覚に、再び目覚めていることに気が付いたのだ。
もし、多くのお金をすぐに得られるという心の態度にすれば、お金は必ず得られるだろう。
ジョセフ・マーフィーの成功法則が目指すものは、そのような心の態度を持つことなのだろうと思う。
それは、世間の人にはとても難しいことなのだろうが、マーフィーは、そのやり方を懇切丁寧に易しく教えたので、潜在意識を活用する技術を教える教師として世界的に名高くなり、そして愛されたのだろう。

1つコツを教えるなら、心臓の下、胃の上あたりを、いつも楽にすることだ。
このことを、明治、大正の偉人で、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、「鳩尾を落として座れ」と言ったのだと最近気付いた。
「鳩尾を落とす」とは、また難しいことだが、それは、このように、心臓の真下が清々しく、何もないかのように感じることなのだ。
岡田虎二郎の静坐も学び、世界的著書『肚(HARA)』を書いたドイツ人心理学者カールフリート・デュルクハイムは、本来の日本人の姿勢は、肚(腹)と胸が近くにあり、非常に精神に良い影響を与えていたのに、ある時期から、西洋的に、胸を張るようになり、胸と腹が離れてから、西洋人のように、高慢な自我が自己主張をするようになり、日本人の慎み深い素晴らしい感覚を失ったのだという。
それは、胸にある自我が、肚にある神を敬うことを忘れ、ないがしろにするようになってしまったということだ。
心臓の真下、胃の上、膵臓、鳩尾・・・そこが潜在意識の座である。
そこをきれいにすれば、心は支配できる。
そうなれば、どんなことでも、できると思いたいならそう思えるし、それであれば、何でも本当にできてしまう。
つまり、信じることができるようになる。それが信念を持つということである。
鳩尾を、楽できれいな状態にするには、粗食をし、決して満腹するまで食べて自分を甘やかしてはならず、できる限り食を慎むことである。
現在の日本人は、ふんぞり返って座り、ますます、胸と腹が遠くなった上、美食、飽食で、大切な鳩尾が穢れきっている。
まずは食を慎み、慎みのある美しい姿勢でいるよう意識すれば、心を制御できる力を取り戻し、不可能はなくなるのである。









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軍隊式姿勢が日本人を駄目にした

我々が感じる、身体的に格好の良い姿勢というのは、どんなものだろう。
立った姿としては、胸をぐっと張り、お腹をぎゅっと引っ込め、脚が真っ直ぐに伸びた姿勢というイメージがあるのではないかと思う。

カールフリート・デュルクハイムの世界的名著『肚-人間の重心』の冒頭に、戦後の日本の教育の最大の汚点が、軍隊式の姿勢である「胸を張って、腹を引け」を子供達に指導したことであるという記述がある。
また、脚を伸ばすことに関しても、ナチス式行進(ガチョウ足行進)として知られる、膝を曲げない歩き方は、単に見栄えが良いという理由だけで、多くの国の軍隊で導入されたが(現在も採用している国がある)が、不合理極まりないものである。
アインシュタインは子供の時、人々が熱狂する、そんな軍隊の行進を見て、「きっと、神様が間違えて、こいつらに頭をくっつけたんだ」と言ったと云われる。
我々の感じている、素晴らしい姿勢は、西洋の軍隊から来た愚かなものかもしれない。

少し昔、ミル・マスカラスという、世界的に人気のあったメキシコのプロレスラーがいた。
だが、彼と対戦する相手は、ある嫌な感情を持ったと云われる。
その理由は、彼の、すっくと胸を張り、膝を伸ばして歩く様子によるものだった。
その姿勢は、身体の機能を殺してしまうものであるのだから、対戦相手としては、馬鹿にされているように感じるのである。もちろん、相手も、マスカラスが格好を付けているだけだというのは分かっているのだが、限度を超えているのだろう。それほど、不合理な姿勢なのである。
もっとも、彼だって、いざファイトが始まると、膝を緩め、うつむき加減の正しい姿勢であったのは当然のことだった。
私は、マイケル・ジャクソンが腰痛に苦しんでいたというのは、あの格好の良い姿勢をいつも取らざるを得なかったことがあったのではないかと思っている。

日本人というのは、元々、床に座る習慣があったことから、歩く時に西洋人ほどは膝が伸びておらず、これが「アヒル歩き」などと揶揄される通り、見栄えが悪かった。
しかし、能や歌舞伎では、軸足をやや曲げて、溜めを作ることが、優れた動きの秘訣とされ、武道でもそれに倣うことが多い、とても良いことなのである。

クリプトン・フューチャー・メディアのWindows用音声合成ソフトウェア『初音ミク』のパッケージに描かれた初音ミクの姿は、特に昔の教育者が見れば、「もっと胸を張れ」「腹を引っ込めろ」「腕はぴっしりとしろ」と言われそうである。
しかし、ポージングの都合で、やや腰をひねった感じではあるが、割合に良い姿勢ではないかと思う。お腹を少し前に出し、膝も緩んでいる。腕をだらりとしているのも良い(実際は、あくまで美しさを重視したポーズである)。

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初音ミクの公式画像の非営利での使用は、版権者であるクリプトン・フューチャー・メディアが許可しています。

(c)クリプトン・フューチャー・メディア
illustration by KEI

日本人は、天皇陛下がそうであるのだが、偉い人が人々の前に出る時に、威風堂々と胸を張るのではなく、お腹を少し前に出して、肩と腕をだらりとたらし、慎ましい姿勢をする美徳があったのである。
そして、それは、身体の中心が腹であることを示している。日本人は昔から、腹の重要性をよく理解していた民族で、「腹が出来ている」「腹を割る」などといった、腹を使った言葉が多くあり、武士は最大の誠意を示すために、最も重要な腹を切ったのである。
胸を張って、腹を引く姿勢を取れば、重心は上にあがって、中心であるべき腹から切り離され、精神的にも不安定になるのである。
そして、慎ましい心があれば、自然に正しい姿勢になるのである。
日本人の素晴らしさは、自然の中に神を感じ、それを畏怖して、身を慎んだことで、自ずと身体が正しい姿勢になり、正座をするようにもなったのであると思う。

最初に述べた、『肚-人間の重心』の著者である、心理学者、哲学者のカールフリート・デュルクハイムは、日本で長く暮らし、弓道、華道、茶道、書道といった日本文化を学ぶうちに、日本精神と共に、腹の重要性を感じ、座禅や岡田式静坐法を学んで、ドイツに持ち帰り、心身療法に導入して成果を上げたと云われる。
岡田式静坐法を創始した岡田虎二郎は、人は、腹から力が抜けた時に悪しきことを考えるのだから、片時も腹から力を抜いてはならぬと言ったそうである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、常に下腹に手をやって、力を込め、また、門弟達にも腹を鍛錬することを勧めていた。ただ、「腹に力を込める」「腹を鍛える」というのは、現代の我々の観念とはやや異なるかもしれない。ただ、腹を意識すること、腹を中心に動作することなどを工夫してみても良いだろうと思う。
下に、参考になる書籍をご紹介しておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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