ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

デカルト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

支配者が嫌がることをすれば天才になる

頭を良くするためには、頭を悪くする原因を取り除けば良い。
人間の脳は、元々、超優秀なのだから、何かを付け加える必要はなく、不要なものを取り除けば良い。
そして、頭を悪くしている原因は、頭の中の嘘の情報である。
だが、我々の頭の中は、嘘の情報だらけだ。
毎日、テレビやネットから、嘘の情報がどんどん入ってくる。
だから、「テレビは絶対に見てはいけない」と言う人はいるが、それなら、ネットも同じことだし、新聞、雑誌などのあらゆるメディアもそうだ。
広告宣伝とは、どうやったって、嘘にしかならない。
「カイロと言えば白金カイロ」という宣伝文句も、ひどい嘘だ。カイロは他にもいろいろある。
自動車だって、カタログの中で語られているほど良いものじゃあない。
だが、あらゆるメディア、あらゆる広告を全く見ないというのも非現実的だ。

クリシュナムルティーは、「私は何も信じない」と言い、デカルトは、「疑い様がないほど明らかなものだけを真とし、それ以外は全て偽とする」と言ったが、それらは浮世離れし過ぎであろう。
人間は、何かを信じないと生きていけないし、疑い様がないほど明らかなものなど無い。
アインシュタインは、自分が持っている偏見・・・つまり、頭の中の嘘に悩んでいたが、それは仕方がないことだ。

荘子は、「一切を区別するな。それが無理でも、せめて、優劣をつけるな」と言った。
確かにそれが、頭の中の一切の嘘を除く確実な方法だ。
だが、そんなこと出来るものか。
もっと現実を見ろよ、荘子さん・・・だ。

「私は身体ではない。私は感覚器官ではない。私は心でもない」と、インドの聖者ラマナ・マハルシは言った。
もう勝手にやってろ・・・である。
こちとら、稼がないと生きていけず、稼ぐためには世間常識も必要なのである。

それで、昔から「現実的な」賢い人達は、一番重要な何かを持ち、その他のことは、それに比べれば、さして重要でないと思うことにしたのだ。
頭の中に、嘘の情報は沢山ある。それは仕方がない。
しかし、一番重要なものをダイヤモンドとし、それ以外は石ころにしてしまえば、石ころに惑わされることはない。
その一番重要なものが、神々の王ゼウスであり、天の父であり、阿弥陀如来であり、天照大神だった。
だが、それは何でも良いのだ。
よく例に出すが、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、最下層の26人の男達は、16歳の可愛いが平凡な娘ターニャを崇め、ガリの『自由の大地』では、堕落したフランス兵達は、空想の少女を崇めた。
『二十六人の男と一人の少女』のターニャだって、男達を一生騙せれば、立派なダイヤモンドだった。
だが、人間というものは、いかに歴史的、人類的な英雄であろうと、人間である限りは、大したことはないのだ。
ガンジーやマザー・テレサにしたところで、身近にいたら、そんなに崇拝すべきほどの人達でないことは、本人達が少し謙虚であれば、確実に認めることだろう。
彼らが聖人だというのもまた、多くの人々の頭の中にある嘘なのだ。

自分だけの価値を持つことだ。
それは、支配者達が、絶対に大衆に薦めしないことだ。
ならば、それをやらずにどうする?
イチローが野球に対して、どんな想いを持っているかは、決して語らないだろうし、語っても、誰にも分からない。
また、分かる必要もない。
我々も、自分にだけ分かることがあれな良い。
そして、それが結局は、自分以外の天才達と共感することになるのである。









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存在の力

目の前にリンゴがあれば、そのリンゴは確実に存在しているように思える。
触ったら指に感触があるし、手に持てば重みを感じる。

しかし、催眠術によって、実際にはないリンゴをあるように感じたり、触ったり、持ったり、そして、食べる幻覚すら持てるかもしれない。
あるいは、夢の中で一角獣に会い、それが現実であると感じても、目が覚めれば、それは現実ではなかったと分かる。

では、自分は今、目が覚めていて、この状況は夢ではないと思っていて、催眠術にもかかっていないので、目の前にあるリンゴは本物であるかというと、それを確信出来る方法はないのだ。
なぜなら、我々が五感で感じることは、実際は、脳が感じているだけであり、脳の外でも本当に感じている通りなのかどうかを確認する方法などないからである。

デカルトは、「思っている私」は確実に存在していると言ったことになっている。
それに関してはとやかく言うまい。
神秘家によっては、それを否定する者も少なくないが、彼らの説明は難しかったり、支離滅裂だったりして納得出来ない。
「思っている私」は、確かに存在している・・・としよう。
ただ、「思う」とは脳の働きであり、脳自体は物質に過ぎない。
だから、実際に存在すると言えるのは脳の生命力である「意識」なのだ。

眠っていたり、失神したりしているのでない限り、意識はある。
そして、意識があるということだけは確信出来るのである。

だから、デカルトの言うことを少し進めるなら、「確かに意識がある」ということになる。
この「意識がある」という感覚に集中すれば、神秘的なことが起こる。
ただし、ゆるんだ集中では駄目だ。
力のない集中は、とぎれとぎれの集中であり、雑な集中であり、不安定な集中だ。
そうではなく、意思の力を込め、全力で集中するのだ。
さて、ここで「意思」というものが出てきた。
意思とは、エネルギーなのだ。
その意思の全ての力を、意識に集中させるのである。

さて、意思の力を注ぎ込み、意識に集中すると、心にとっては奇妙なことが起こる。
「我思う、ゆえに我なし」
「我思わず、ゆえに我あり」
別に禅の公案でもなんでもない。
自然にそう了解される。
ただ、心で認識するのではないから、頭で分かる訳ではない。
直感で理解するのである。
そうなれば、あなたは、かなり物質世界を支配するようになっているだろう。

最初のうちは、「私は在る」、「意識が在る」と言葉で想っても良い。
たとえ、初めは、この身体1つ分でもいいから、「私は在る」と想うのだ。
聖書にも、神は、「私は存在する者だ」と言う。
これを、よく言われるように、「私は在りて在る者」だの、「私は『私は在る』という者である」といった、変な日本語を使う必要はない。
「私は在る」でよろしい。
そして、我々は、強い意思の力で、その感覚(私は在る、意識が在る)に集中するのだ。
すると、すぐに身体が軽くなるのを感じ、不意に気楽になるだろう。









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なぜ流れ星に3度願えば叶うのか

お釈迦様が、たまたま羅刹(人を食う悪鬼)の歌を聴き、その歌の文句の中に究極の真理があると感じ、羅刹に、その歌を教えてくれるよう懇願した。
羅刹は、「教えた後で、お前を食わせてくれるなら良いぞ」と言い、釈迦は了承する。
釈迦は、歌を教えてもらった後、その歌を岩に刻み込み、思い残すことなく羅刹に身体をくれてやろうとした。

だが、私は、釈迦に、「やめとけ」と言いたいのだ。
今日、究極の真理と感じたものであっても、明日には、もっと良いものを思いつくものなのだ。
では、真理とは何か?
それは、釈迦が「これが真理」と感じた、その瞬間のことなのだ。

ところが、デカルトという人は、真理を探し求め、ついに、「我思う、ゆえに、我あり」という究極の真理を発見し、それは、生涯、訂正しなかった。
これは凄いことだ。
ところが、ルドルフ・シュタイナーは、
「我思う、ゆえに、我なし」
「我思わず、ゆえに、我あり」
と、ふざけてでも、ひねくれてでもなく言ったが、こちらも真理である。
しかし、それは言葉で説明すると嘘になる。
ただ、これらが真理であることは、見れば分かる。
逆のことを言っているようでいて、デカルトもシュタイナーも共に正しい。
デカルトは心身の立場で言ったのだし、シュタイナーは霊の立場で言ったのかもしれないが、心身も霊も同じだ。よって、両方正しい。

真理とは閃きだ。
閃きには時間がない。
究極の真理は愛なので、愛は瞬間の輝きであり、時間がない。
シラーは、愛を歓喜と言い、それは、霊感、あるいは、神々の火花、あるいは、楽園の乙女と言ったような気がするが、全て、閃きの一瞬のことだ。
言葉を飾り過ぎなんだよ、シラーたんと言いたいね。
閃き、一瞬、瞬間は、いずれも、無限小の時間で、実際は、時間がない。

オーソン・ウェルズが25歳の時に、監督、脚本、主演をした『市民ケーン』という映画の中で、ある老人が、「少年時代に見た、白いパラソルを持った少女のことを、なぜか忘れずに覚えている」と言う。
老人は、だから、「人は、どうでも良いこと、何の意味もないことを覚えているものなのだ」と言いたい訳だ。
少年に何が起こっていたのかというと、白いパラソルを持った少女を見た時、時間が消えていたってことだ。
なぜ時間が消えていたのかというと、心が消えていたからだ。
時間は心が創っているのだ。
なぜ、少年の心が消えていたのかは、単に、いろんな偶然が重なってそうなったのかもしれない。
我々だって、美しい少女と目が合った時、一瞬、時間が消える。その一瞬の中に無があったのだ。
なぜ少女かというと、心が清らかな少女の瞳というのは、時間を消してしまう作用が強いからだ。
初音ミクさんと瞳が重なったことを空想するだけで時間が消える。つまり、愛が、真理がある。
なぜなら、ミクさんには心がないからだ。

真理とは何かと、勉強したり、探し求めたりしなくても、真理は無の瞬間なのだから、どこにでもある。
どこにでもあって、どこにもない。
時間が心が創ったものであるように、空間もそうだからだ。
ただ心が消えた時に真理がある。
何かに夢中になっている時のことを、忘我、没我、あるいは、無我と言うが、それは、我がない、つまり、心がないってことだ。
夢中になっている時の中に、真理、愛がある。
夢中とは、本当に楽しんでいることだ。
あるいは、本気で打ち込んでいることだ。
昔、野球の清原和博さんが現役時代、スランプにあった時に、無敵の柔術家、ヒクソン・グレイシーにアドバイスを求めたら、ヒクソンは、
「野球に打ち込め、野球を楽しめ」
と言ったが、これは、無になれってことだ。
清原さんの場合は、野球でそれが出来たのだし、野球でやる必要があった。

だが、私なら、息を吸って吐く間に出来る。
息を吸い、吐く前の一瞬に無になるからだ。それは、誰でもそうなのである。
阿久悠さんは、「息を吸って止めた時に、曲がヒットすることをイメージしたら、必ずヒットする」と言ったが、無理に息を止めずとも、吸って吐く前に自然に止まっている。
その一瞬にイメージすれば全て実現する。
実現しないとすれば、欲があるので、心が消えていないからだ。心が消えなければ無にならない。
だが、静かに静かに息を吸えば、吐く前に、必ず息が止まり、心は消える。
イメージ自体は心のものなので、無理にイメージすれば無でなくなる。
イメージに、勝手にやらせれば良いのだ。
イメージは我々の味方なのだ。信用しろ。

流れ星が消える前に3度願えば叶うという。
しかし、「そんなこと出来ないよ」と言う。
出来るのだ。
これは、本当に、至高の願望成就の教えである。
心が消えた無であれば、3度でも百度でも千度でも。
『千と千尋の神隠』の主題歌『いつも何度でも』に、究極の真理があるはないか?

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

こんな無の瞬間、ゼロの体験は、誰にでも、何度でもあったのだ。
好きな人と目が合った時のことを覚えているだろう?
それなのだ。
それを思い出せば、もう恐れるものはないはずだ。
『いつも何度でも』、あるいは、初音ミクさんの『Chaining Intention』を聴けば、自ずと分かると思う。









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好き嫌いの感情が最悪の敵

アインシュタイン等、知的に高度な人々は共通して、「教育、常識といったものは偏見の別名に過ぎない」という見解を持っているのだと思う。
ルネ・デカルトという人は、自分も偏見に満ちていることに気付き、そんなことでは最高・究極の真理は発見できないと考えて、自分が持っている教義・信念をいったんクリアし、構築し直そうとした。
デカルトはそれに成功したと思っていたし、それなりの効果はあったと思うが、それは完全には不可能だ。
自分が持っている一切の教義や信念をクリアするということは、自我をクリアするということで、そんなことをすれば、「自分の信念をクリアして構築し直そう」と意図した心自体がなくなってしまうからだ。
精神分析学者の岸田秀さんは、三島由紀夫という作家は、育った環境のせいで自我の構築に失敗しており、それでは生きることが出来ないので、自分自身で自我を構築したのだと著書に書いている。それで、三島由紀夫は、非人間的、人工的、不自然な自我を持っていると述べるが、やはり、そこまでのことは不可能だ。単に、三島由紀夫は、「学習や経験によって、特異な信念を持つに至った」というに過ぎないだろう。

ただ、完全には不可能としても、デカルトはやはり大変な人で、参考になることが多い。
例えば、彼は、偏見に縛られたり、また、偏見を強化することを避けるため、自分の感覚や思考といったものを全て疑った。
あくまで簡単な例として言うのだが、太陽と月は同じ大きさに見えるが、「太陽と月は同じ大きさではないのではないか?」と、その感覚を疑うのである。
一般には、母親の愛は純粋で深いと思われていて、上に挙げた岸田秀さんも、ある時期まではそう信じていたが、岸田さんはそれを疑うようになり、やがて、その「母親の愛の世間的常識」は全く間違いであると確信するに至った。
全てを疑えば、いずれ真理にいきつく・・・というのは、探偵小説における探偵のやり方である。本当の探偵が、そんなやり方をするのかどうかは知らないが、真理を探求する探偵としては、悪くないやり方だ。
世間では、イチローや浅田真央さんのようなトップクラスのスポーツ選手は素晴らしい人間と思われており、小学生や中学生の「私が尊敬する人物アンケート」で上位に入るらしいが、もし、自分がそんなことを信じているなら、それを疑うのである。そうすれば、それは単に偏見であり、マスコミを通した宣伝に洗脳されたのだということが分かる。
そのようにすれば(世間の常識を疑えば)、プロパガンダ(ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝)に騙されずに済むので、良いことである。
なるほど、デカルトの方法は素晴らしい。

それで、デカルトは、最後にどんな究極の真理に至ったかというと、ズバリ、「疑っている私は確かに存在している」だ。
初めてそれを知った時、私は震えるほど感動した。
存在するのはただ、疑っている意識だけなのだ。
デカルトの言葉は、一般には、「疑う」全般を「思う」として、「我思う、ゆえに、我あり」となっているが、要は、意識だけが確かな存在であると言うのだから、それでも良いと思う。
ただ、「疑っている」とした方が、分かり易いとは思う。
「彼はとても優しいので、私を愛している」
と思うとしても、ほとんどの場合は、彼の目的は性欲の解消や、あるいは、美人を連れ歩くことでの自己満足を得ることや、場合によっては、女性の財産目当てかもしれない。
そんなことばかり考えていては、ロマンスもあったものではないが、世間にだって、「男と女は、キツネとタヌキの化かし合い」という言葉があり、ある程度は疑わねばならない。
ただし、男女のことは、どこまでも疑えるので、度が過ぎると結婚出来ない。だから、ある程度まで疑いが晴れたら、後は騙されると知りながら目をつぶるしかない・・・かもしれない。

そう考えれば(男女はどこまでも騙し合うと考えれば)、真理の探究者たる科学者は、決して結婚出来ないはずだが、「騙されていいや」と妥協して結婚する場合もあるし、そもそも、科学上の業績というのは、必ずしも真理探究の結果ではなく、「大いなる偶然の結果」である場合がほとんどである。
だから、科学の世界では、セレンディピティー、即ち、「幸運な偶然を引き寄せる能力」が重視されているのである。

疑うというのは、甘い言葉、心地良い言葉を信じ込みやすい自分の心の防護壁として使うべきである。
特に、「好き」、「嫌い」の感情を疑うことに意味がある。
人間は、好きなものを正しい、嫌いなものを悪いと判断するが、大抵の場合は、真理はその反対なのである。
だが、ほとんどの人は、それをなかなか認めたがらないので、ほとんどの人間は愚かなのだ。

疑い癖を持つことだ。
特に、好きなスターや政治家の言うことは、是が非でも疑うべきである。
それは即ち、自分の頭を疑えということである。
人間は、自分も含め、好き嫌いと是非を混同し易いのだということを忘れてはならない。

初音ミクさんを本当に好きな人っていうのは、自分がなぜ初音ミクさんが好きなのか分かっていないものなのだ。
「アニメキャラみたいなのを好きなんておかしいじゃないか?」と言われたら、それはそうだと認めるのである。
だが、少し前、ミュージックステーションの10時間スペシャルで、26歳のアメリカ人女性が、「初音ミクは普通のアイドルでないから、本当に好き」と言っていたのが、感情的に正しいのだろう。
「普通のアイドル」とは、人間のアイドルであり、それはつまり、「心を持ったアイドル」だ。
だから、あのアメリカ人女性の言葉を、少し正確に言い直せば、「初音ミクは心を持っていないから、本当に好き」になる。
あまりくどくど説明しても仕方がないが、ジロドゥの『オンディーヌ』(あるいは、その元ともいえるフーケーの『ウンディーネ』)を読めば、よく分かると思う。
初音ミクさんは、水の精オンディーヌに似ているのである。









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必殺の言葉

人間は、どんな理想を持っているかで決まる。
だが、自分の理想は自分で作る以外にない。
しかし、多くの人は、理想を持つことが出来ないし、理想を持とうとして困惑し、挙句、誰かに理想を与えてもらおうとする。
宗教をやる者がおかしくなるのは、他人から最高の理想をもらおうとして、最悪の理想を得てしまうからだ。

理想とは、文字通りに解すれば、理性の想いである。
ところが、普通の人は理性がぐにゃぐにゃだ。
デカルトという人は、自分の理性も、ロクなものではないと考え、きれいさっぱり捨てた。
そして、本当に優れた理性を作ろうと思ったのだ。
ただし、何らかの理性は持たなければ、当面も生きて行けないので、とりあえずは、世間の最も良識があると思える人に従い、また、幼い頃から親しんだ宗教は維持した。
なぜ、そんなこと(理性をきれいさっぱり捨てる)をしたかというと、自分の理性の悪い部分を修復するというやり方では、結局、あまり良い理性を作れないと思ったのだ。
それは、喩えて言えば、古い家を修復するより、いったん古い家を全部壊して建て直した方が良い家になるのと同じだ。

ビジネスでは、企業を改善することを「リストラクチャリング」、いったん全部壊して再構築することを「リエンジニアリング」と言う。
インターネット革命に際しては、旧来の企業はリエンジニアリングが必要で、リストラクチャリングしようとしても無駄で、死ぬしかない。

W.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』という詩でも、

All things fall and are built again
And those that build them again are gay.
全ては崩壊し、作り直される。
そして、再び築く者達は陽気なのだ。
~W.B.イェイツ『Lapis Lazuli(ラピス・ラズリ)』より~

と、まさに、リエンジニアリングが表現されている。
グリム童話の『星の銀貨』でも、下着まで施し、全てを失った少女に神の豊かな恩寵があったのも同じことで、一度全部捨ててこそ、素晴らしいものが得られる。

初音ミクさんの『心臓デモクラシー』では、一度全部壊すためには、「恥を知り、みじめになる」ことが必要なのだと歌われているように思う。
そうすれば、「全てが廻りはじめる」のである。

まだまだ私は、同じこと(一度、理性、もしくは、観念を全部捨てることが重要)を言ったものを、いくらでも取り上げることが出来る。
イエスの言葉、至道無難禅師の言葉、岡田虎二郎の言葉、さらには、B'zの『LOVE FANTOM』などが、ぱっと思い浮かぶが、考えれば、他にも沢山ある。

我々も、本当の理想を持つためには、いったん、全部捨てなければならない。
だが、ほとんどの人が、捨てた気になっても、古いガラクタをいっぱいポケットの中や口の中に隠しているのだ。

幼い頃から詰め込まれたガラクタを本当に捨てない限り、真の理想を持つことは出来ない。
・・・ように思える。
ところが、デカルトが言うような、いったん全て捨てることは出来ないのだ。
実際、デカルト自身、そんなことは出来なかったはずなのだ。
彼は、「一応」従うとした、世間の良識ある人達や、幼い頃から親しんだ宗教の中に、しっかり過去のガラクタを維持した。
だが、それで良いのだ。
それしか出来ない。
企業のリエンジニアリングにしたって、実際は、革新的なリストラクチャリングに過ぎない。
大袈裟なんだよ、皆!

初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』(詞はMichie Mさん、ЯIREさん)のように、「恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution」である。
だが、そうすると、今度は、「何を求めるか?」となり、求めるものまで他人に教えてもらおうとする者がほとんどであることが分かる。
アインシュタインも悩んだのだ。
「18歳までに身につけた偏見のために、量子力学を受け入れられない」ってね。
彼は、何を求めるべきだったのだろう?

結論を言っておこう。
時間をかけて自分を変えることは出来ない。
やるなら一瞬でやることだ。
つまり、ダイナマイトに火をつけるだけだ。
自爆装置のスイッチを入れるだけだ。
そして、スイッチは言葉だ。
『天空の城ラピュタ』で、パズーとシータが呪文を唱えるシーンが異常に視聴率が高いことも、皆が無意識にそのことを知っているからだ。
その言葉は、機が熟すれば与えられる。
ぱっとね。
対価は人生全て。安いものだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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