ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

デカルト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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偉大な国、偉大な人間が持っているもの

アメリカ合衆国は、唯一の超大国として、今日まで生き残っている。
かつての超大国ソビエト連邦は崩壊し、現在のロシア連邦として再構成されたが、ロシアのGDP(国民総生産)は世界11位でカナダ、韓国並。1人当たりGDPでは、日本も悲惨なもの(25位)だが、ロシアは65位で、これは中国やメキシコ並で、途上国と競うレベルだ。
中国は全体としては超大国と言えるかもしれないが、上の1人当たりGDPを見ても分かる通り、貧富の差が激しく、早い話が国民の大半は幸福とは言えない。

なぜ、アメリカがこれほど偉大な国であるのかというと、アメリカ合衆国憲法の力と言えるのだと思う。
アメリカ合衆国憲法は、1787年9月17日に作成され、1788年に発効している。
アメリカ建国者達が、将来ずっと、アメリカが発展し、子孫が幸福であることだけを願って、知恵を絞り、最大のエネルギーを費やして作ったのが、このアメリカ合衆国憲法だ。
その前文は感動的であるので、Wikipediaから和訳を引用する。

われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。

スーパーマンは自由と正義のために戦うが、まさにそれが、アメリカ合衆国憲法の精神なのである。
これと共に、アメリカの公式モットー、「IN GOG WE TRUST(我々は神を信じる)」が、アメリカに超自然的な加護をもたらしたように思う。
だが、今や、アメリカの権力者達は、アメリカ合衆国憲法を踏みにじり、神への崇拝を巣て拝金主義に成り下がり、アメリカは危機的状況にある。
トランプ大統領は、「私の最大の責務は合衆国憲法を護ること」と言ったが、他の多くの政治家はそうではないのである。
だが、軍のトップは、誰に従うかと聞かれ、「憲法に従う」と述べたのであり、アメリカ軍はまだ生きている。
アメリカ合衆国憲法が存続出来るか、それとも、捨てられるか、そして、アメリカが神を崇拝する国か、神を捨てた国になるかが、次の6日の上院下院合同会議で決まるかもしれないのである。

ところで、人間が個人で、優れた憲法のような格率(かくりつ。行動規則)を持てば、その者は、他に抜きん出た偉大な人間になれるかもしれない。
フランスの哲学者ルネ・デカルトにとっては、自ら作った『方法序説』がそれ(自己の格率)で、これは6章から構成され、序文のデカルト自身の弁によれば、「12歳の子供でも理解出来る」ものである。
プラトンの『ソクラテスの弁明』を読めば、ソクラテスも、シンプルで特別な格率を持っていたと思われるのである。
空手家の大山倍達氏は、中学生の時に、パスカルの『パンセ』を熟読し、それによって、自分なりの格率を持っていたから、世界的な空手組織を作るまでになれたのだと思う。
偉大な人間は、やはり、何か具体的な格率があると言って間違いない。
その上で、やはり皆、様々な形ではあるが、強い信仰を持っているのである。
格率は、一般的には、「自己の哲学」とも言えるが、自分に合った、そして、現実的には、あまり難しくないものが良いに違いない。
そして、それを持つ者のみが偉大になれるのではないか、あるいは、成功するのではないかと思うのである。








洗脳から何とか逃れよ

どんな人であっても、自分は強烈に洗脳されていると思った方が良いと思う。
「少しは洗脳されている」なんてものではない。
どこぞの悪名高い専制国家の国民と同等・・・ひょっとしたら、もっとひどいかもしれない。

それならもう、インドのジッドゥ・クリシュナムルティのように、「私は何も信じない」と決心した方が良いとも思うが、そのクリシュナムルティだって、かなりの部分で洗脳を免れていないかもしれない。
クリシュナムルティは、ガンジーやマザー・テレサのように、皆が泣いて褒め称える人達だって、悪の根源と言うような人である。
まあ、本当は、善いとも悪いとも言いたくないのかもしれないが、そのくらいの言い方をしないと、普通の人には話の要点が伝わらないのだと思う。

ルネ・デカルトも、絶対に何も信じないと決めた人だった。
しかし、それでは社会で生きていけないので、法律と伝統的な道徳にだけは従うことにした。
それで、大体うまくいってたのだと思う。

洗脳されると頭が悪くなり、今や、普通の日本人で、本当の頭脳の力の3割も使えないようになっていると思う。いや、実は、数パーセントしか使えていないという話もある。
そして、頭脳そのものより、精神の力を奪われていて、不満が多く、不安に苦しみ、直観で分かって当たり前のことが分からず、精神を媒介する引き寄せも全く出来ない。
洗脳が強いほど社会の下層にいるのかというと、必ずしもそうではなく、一見、上層にいながら下層の人々より苦しい者も多いのだ。

イエス・キリストは、洗脳を免れることが出来るよう人々を導いたが、それは、神と天国という害の少ないストーリーで、悪意のない洗脳を行うことによってだった。
イエスが、「神と悪魔の両方に仕えることは出来ない」と言ったように、人間は、2つの異なる洗脳を受け入れるようには出来ていない。
それなら、害がない洗脳を先に入れておけば良く、既に、害のある洗脳を受けている者は、良い洗脳と入れ替えれば良い。
そのためには、何を信じれば良いのだろう?
それは福音書に書かれている。
誰かがイエスに「第一の掟は何か?」と尋ねると、イエスは、「神を愛せよ」と即答した。
これが、トランプ大統領やウッド弁護士の言う、「政府や大統領を崇拝する国ではなく、神を崇拝する国にする」ということだ。
だが、ある巨大な勢力である敵は、アメリカ人に別のものを崇拝させようとしている。
それが何か分かっているが、私も恐くて言えない(笑)。

我々は、経典と言うよりは、法然の『選択本願念仏集』や、親鸞の教えを書いた『歎異抄』を理解することで、阿弥陀仏を崇拝して念仏を唱えた方が良いかもしれない。
数学者の岡潔や、おそらく、物理学者の湯川秀樹もそうしたのだと思う。
もちろん、他に好ましく思うものがあり、それが害のないものなら、それを信じれば良い。
そうすれば、頭も良くなり、引き寄せもうまくなると思う。








賢い人は疑う

私は中学1年生の時、いろんなところで「探偵は何でも疑う」と聞き、真実を探す者は何でも疑うのだという考え方を覚えた。
その考え方も疑ってはいるが(笑)。
昨日、久々に、その言葉を聞いた。
カリフォルニア州弁護士、ケント・ギルバートさんが、YoiuTubeの中で、
「私は弁護士で、疑うのが商売です」
と言われていたのである。
現在、アメリカ大統領選挙はまだ終わっておらず、一応は、バイデンが次期大統領だという流れになっている。
ギルバートさんは、投票日直後あたりは、「選挙で大きな不正があった」ことを、事実のように話し、非常に憤慨している様子も見せたが、ある時から態度をぱっと変え、「不正の証拠は全くない」「トランプ弁護団の戦況は悪い」と淡々と述べるようになった。
そして、まるで言い訳のように「私は弁護士ですから、弁護士の立場ではこう言うしかない」と言うのだった。
ただ、ギルバートさんは、自分もトランプが好きで、トランプの再選を心から願っているとは言っておられた。
ギルバートさんの急変に対し、あるジャーナリスト(らしい)が、「ケントさんは圧力をかけられている」と言っていた。まあ、それは疑っているが(笑)。

私もトランプ支持で、バイデンが大統領になったら、日本も世界も危ない(本音では「終わり」)と思っているが、それでも、YiuTubeに沢山ある「トランプさんは必ず勝ちます。安心して下さい」と言い、その理由を自信たっぷりに語るのを、実を言うと私は、「疑ってはいないが、信じてもいない」のである。
シドニー・パウエルが、「選挙不正の確固たる証拠が沢山ある」と言うのも、私は今のところ、話半分以下に思っている。
もちろん、新聞やテレビしか見ない人は、1月にバイデンが大統領になると、全く疑うことなく信じているだろうが、私は日本のマスコミは全く信じていないので、そんなこと(バイデンの大統領就任が確定)を信じることも全くない。
しかし、ルドルフ・ジュリアーニ(トランプの個人弁護士)を見る度に、「昔はニューヨークの英雄的な市長だったが、もう老いぼれているのではないか」と感じる。
敵さんのやり口はずさんだが、力技は凄い。
だから、真実は明らかであるが、法的な裁判で勝てるかどうかは全く別問題であり、トランプ陣営の戦況が厳しいことは、法律に強くない私でも解る。

賢い人は疑うものである。
そして、賢い人の真似をして、なるべく疑うようにすれば、馬鹿な失敗を免れることが出来る可能性が高まる。
全く賢くない私は、それで何度も救われた。
プログラマーやシステムエンジニアにだって必須の考え方と思う。
でないと、ロボットは原子炉の壁を破って出てきてしまい、核ミサイルは誤爆し、人工衛星は落ちてしまう。
フランスの哲学者・数学者・物理学者のルネ・デカルトの『方法序説』は大変に素晴らしい知恵の書であるが、この本での疑いっぷりは半端ない。
「疑いようがないほど明白でない限りは、全て虚偽と決めつける」
と言う。
早い話が、これでは全て虚偽になってしまう。
だが、デカルトはやはり天才だった。
何と、「なぜ、何でも疑えるのか?」を疑ったのだ。
そして、それは、自分の中に、疑いようのないもの、絶対的な何かがあるからだとするしかなかった。
それが神である。
これがデカルトの天啓で、これによって、デカルトは、
「疑っている我は、確かに存在する」
と言い、これが、
「我思う、ゆえに我あり」
という有名な命題として知られている。
だから、「我思う」は、本当は、「我疑う」なのだと思う。

デカルトの天啓は、鴨長明の『方丈記』の最後の部分・・・世間を離れ、自然の中で清貧な生活を送り、すっかり聖人にでもなったような気でいたが、ある朝、相変わらず自分は、全くの穢れた凡夫であると思い知って愕然とし、その時、自然に「南無阿弥陀仏」という念仏が出てきた・・・と、非常に似ていると私は思う。
説明は難しいが、念仏はやはり真実なのである。
これは、証明しようがなく、根拠もないので(多少ならなくもないが)、疑おうと思えば疑える。
と言うより、嘘と言えば嘘である。
だが、「嘘を信じている」と楽しそうに言える嘘である。








努力せずに生きるには

デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言った時、「それなら、『われ歩く、ゆえにわれあり』でもいいじゃないか?」と言った人がいたらしい。
ふざけた言い分のようにも思えるが、「思う」は心の運動であり、「歩く」は身体の運動であるというだけの違いなのだから、案外に良い意見かもしれない。
愚にもつかないことや、エロいことを思っている者より、掃除したり、荷物を運んでくれる人の方が有り難いしね。
ルドルフ・シュタイナーは、「『われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり』が霊的真理なのじゃ」と言ったが、今と比べて、娯楽が極めて少なかった当時の人々には面白かったかもしれないが、現代人の関心はあまり引かないだろう。私は暇だったから興味を持ったがね。
そして、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「いかなることも否定できるが、自分が存在することだけは否定できない」と言い、「われあり」に条件は無用と言った。
そして、「われあり」以外は、決して確信を持てない・・・言い換えれば、あなたが確信できる唯一のことは「私はある」だけであると言う。
コリン・ウィルソンも「思おうが、思うまいが私はある」と書いてたっけ。
みんな暇だなあ。いいなあ(笑)。

さて、抽象レベルをちょっと下げられるかもしれないが、「何のために生きるのか?」も、似たような議論ができるが、こっちの方が多少現実的かもしれない。
すなわち、「何のために歩くのか?」「何のために起きるのか?」「何のために寝るのか?」「何のために食べるのか?」「何のためにトイレに行くのか?」などは、「何のために生きるのか?」と全く変わらない問いである。
だから、そのどれか1つに明確に答えられれば、「何のために生きるのか?」が解る。
生きてない者はトイレに行かないしね(笑)。
すると、腹を立てて、「ウンチしたいからトイレに行くんだ」と言う者もいるかもしれなが、実際、「ウンチしたいから生きる」のである。
ウンチしたくなければ、生きてなくていいのだから。
あるいは、生きるためにウンチするのだ。
すると、「生きるために生きる」ということになるが、これはパラドクス(逆理)でも何でもない。
だって、細胞1つだって「生きろ」とプログラムされているのだからだ。

アニメ『BEATLESS』で、メトーデ(最強のアンドロイド)が「私達は生き残りたいのよ」と言ったのが印象的だ。
そして、何のために生きるのかというと、「移動し続けるため」だったと思う。あるいは「生きるために移動し続ける」だったか・・・
我々は、細胞同様、外敵を避け・・・即ち、苦痛を避け、快を求めて(食もその1つ)動くようプログラムされているのである。
単にプログラムされているのではなく、見事にプログラムされているのだ。
だが、そのプログラムは、親や学校や世間に、馬鹿な形でオーバーレイ(上書き)されている。
ここらは、コンピュータープログラミング(中でもオブジェクト指向)が解れば納得し易いのだが、別に、そんなものが解らなくても差し支えない。
この、上書きを消してしまえば、簡単に生きられるプログラムを使える。
つまり、努力しなくても生きていけるのであり、それはまさに、スーパーマジックである。

渋谷時間基準のアポトーシス
反証する可能性は SUPER-MAGIC
連れてくよもっと上へ IF YOU WANT IT
~『SEE THE LIGHT』(楽曲制作:ASY。唄:IA)より~
【IA OFFICIAL】SEE THE LIGHTS feat. IA / ASY (MUSIC VIDEO) -YouTube-









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疑いようのない正しさ

嘘発見器に、どのくらいの信頼性があるのか分からないが、犯罪捜査には不適切と思う。
というのは、生体反応は精神状態の影響を受けるのに、精神的に不安定なはずの犯罪者や、容疑をかけられた者から、まともな測定結果が得られるとは考え難いからだ。

Oリングテストというものをご存知の方も多いと思う。
片手の親指と人差し指で輪を作り、他の人に、両手の人差し指を使って、その輪を開いてもらう。
輪が維持される力の強さで、様々なことを調べるのだが、例えば、身体に良い食品を被験者の近くに置けば、輪は開き難く、反対に身体に悪い食品の場合は容易く開くといった感じだ。
イエス、ノーで返答出来るものであれば、形の上では何でも調べられる。
例えば、「あなたと彼は相性が良いですか?」などといった恋愛診断みたいなものもだ。
Oリングテストに信憑性があるかというと、被験者と測定者が精神的に安定しているなら、かなりあるのではと思う。

Oリングテストの科学的発展版と考えられるのがキネシオロジーテストである。
Oリングテストの場合は、統計以外にエビデンス(証拠)を示すことが出来ないが、キネシオロジーテストでは、キネシオロジーという身体と精神を含めた広範な研究が行われていて、デヴィッド・アール・ホーキング博士によれば、正しく行えば、完璧な結果を得られると言う。

ただ、本当に直観が研ぎ澄まされているなら、あらゆることの判断が、Oリングテストもキネシオロジーテストもなしに正しく出来るだろう。
あまり言われないことであるが、デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」の本来の言葉である「疑っているわれは確かに存在している」と言ったのは、疑うことが出来るということは、精神の中に完璧な真理が在るからだという考えから来ている。
これは私も完璧に納得出来る。
精神の中に真理がなければ、疑うことが出来るはずがない。
そして、ほとんどのことは疑うことが出来る。
だから、ほとんどのことは正しくない。
デカルトが至った結論は、「疑っているわれが存在することだけが真理である」だった。
これは偉大な成果であると思う。

どんなことがあっても、決して疑えないことだけが真理である。
それ以外は、全て嘘である。
そうであれば、世の中の99.99999999%は嘘である。
クリシュナムルティーは「私は何も信じない」と言ったが、それが本当なら、大したものである。
デビルマンは言った。「俺は誰も信じない。たった1人、牧村美樹を除いてはな」
アニメのクアラクターの牧村美樹は信じても良いかもしれない。現実に、それほどの少女がいるかどうかは知らないが。

決して疑えないこと。
それは、私が存在することだ。
だから、困った時には、「私は存在する」と心でつぶやくと良い。
すると、不思議なことに、問題は消えてしまう。最初から問題なんて「存在しなかった」からだ。
そういえば、自動車税の請求書が来てたなあ。
「私は存在する」と唱えれば、そんなものは消えて・・・しまわない。前回、支払いを忘れて、督促も来たし(笑)。
だが、支払えば消えてしまう(車検の時には、その支払い証明が必要だが)。
真理を知れば、そんなものは自動的に支払われるようになり、いずれ、本当に消えてしまうだろう。
つまり、自動車税は問題でも実在でもないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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