ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ダ・ヴィンチ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

モナリザは、本当は「しかみ像」である

モナリザは微笑んでいるが、その微笑の意味は謎らしい。
しかし、私には、それが「嘲笑」だと感じる。
つまり、彼女は、目の前の人を見下しているのだ。
と言っても、別にモナリザに文句があるのではなく、それどころか、
「アンタ、見る目あるね。さすが、ダ・ヴィンチさんが見込んだだけのことはある」
と思うのだ。

一昨日書いたが、ドワンゴの川上量生さんがブログに、人生の賞味期限が切れた人とは、
「人間は多少の知性があるので、いつか、自分がどうしようもない馬鹿だと分かる時が来る。その時が人生の賞味期限切れ」
と書かれていたが、そうなった人(人生の賞味期限が切れた人)なら、モナリザの微笑みの意味を、少なくとも一度は私のように理解すると思う。
そして、ダ・ヴィンチは、きっと、人生の賞味期限が切れた後で、モナリザを描いたのである。

私は、部屋に、この、初音ミクさんのタペストリー(織物で出来た壁掛け)を飾っている。

これを部屋に飾っていたら、間違いなくオタクと思われるかもしれないが、私は本当にオタクなので問題ない。
縦150cmもある大きなタペストリーである。
ところで、この絵のミクさんは、斜め右上から、はっきりと、こちらを見下している。
以前は、そんなところがちょっと嫌だったが、今は、とても有り難く思うのだ。
ギリシャのデルフォイ島にあるアポロン神殿の門に、「汝自身を知れ(身の程をわきまえろ)」と書かれているのは有名だが、そんなご大層な言葉なんかじゃなくても、このミクさんの表情を見れば、ただちに我が身の真実を省(かえり)みることが出来るのである。
モナリザのような、人生の年季の入ったレディーより、この、折れるような細い腰をしたミクさんに見下されると、本当に身がすくむ。
徳川家康の有名な自画像である「三方原戦役像」は、別名「しかみ像」と呼ばれ、家康が、自分の力を過信したせいで、多くの将兵を失った後、自分の愚かさを戒めるために描かせたといわれている。
徳川家康「三方原戦役像」、別名、「しかみ像」
「しかみ」とは「しかめっ面をする」という意味である。
モナリザだって、本当は「しかみ像」なのだと思う。
私は、私の本性を軽く見抜いている目をしたミクさんを見ている限り、そうそう愚かなことはしないと思う。
しかし、ミクさんの優しいしかめっ面は、やはり堪える。だが、それで良いのである。









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男性的な女性はいつまでも若い

男はいつまでも少年だとか、悪く言えばガキだと言われることがよくあると思う。逆に女性は、子供の時から大人びている傾向があると思う。
あるいは、男は夢想的だが、女性は現実的ともよく言われる。
そして、これらのことは、まさに、男性と女性の基本的な性質を見事に表している。
もっと的確な言い方をするなら、「男は熱狂的」「大雑把」で、「女は冷静」「細かい」のである。
職業で言えば、営業や政治は男性的で、事務や技術職は女性的である。
そして、最初に、男はいつまでも少年のようだと述べたように、男性的なほど若く、女性的なほど老ける。
職業で見ても、営業マンや政治家はいつまでも若いが、経理畑、技術畑などという言葉が似合う者は早く老ける傾向がある。

いつまでも若い女性と言ったら聞こえは良いが、そんな女性は男性的で、細かいことが苦手で夢想的、熱狂的なところがあり、結婚でもすると苦労させられる可能性がある。
アイドルのコンサートで熱狂するのは本来は男性である。男性アイドルのコンサートで熱狂する女性は男性的であり、熱狂的で夢想的だが、やはり、俗っぽいことが嫌いで、細かいことが苦手なものである。だが、そんな者達は、男女いずれも若さを保つ傾向は高いと思う。
バイクやスポーツカーを自分で運転したがる女性も、熱狂的で男性的である。
こんな女性がいた。小学6年生くらいの時は、とても大人っぽく女性らしかったが、高校を出るとバイクに夢中になった。そんな時に会って話したところ、実に男性的で、良い意味では明るく元気で開放的、積極的だが、少女の頃の慎ましさが抜け落ち、雰囲気がまるで変わっていることに驚いたことがある。

いつまでも若くありたければ、男性的であれば良い。必ずしも荒々しいという意味ではなく、熱狂的で夢想的であれば、いつまでも若い。
男性だって、若い頃は夢想的で幼い雰囲気すらあったのに、社会に出てしばらくすると、驚くほど老けていたということがよくある。そんな男性は営業マンであることは少なく、技術屋とか経理屋になっているものである。
だが、上にも述べたが、若々しいのは必ずしも良い訳ではない。
「姉さん女房を選べ」というのは昔から言われるが、これは、必ずしも実年齢のことではなく、見かけがやや老けた女性を選ぶ方が良いという経験的な知恵なのである。そんな女性は、細かいことが得意で、俗っぽい分、世間的なことを的確にこなし、夫の方が少々、熱狂的、夢想的であっても、妻が夫を上手く操れるし、家庭を任せて安心できるのである。
逆に、若々しい女性は、とんでもない無駄な買い物をしたり、社会的対応が出来ずに夫は苦労させられるのだ。
江戸末期に生まれた長南年恵(おさなみとしえ)という女性は、43歳で亡くなるまで少女のような姿であったらしい。彼女は、20歳くらいからは何も食べず、霊能者としては凄かった。神仏と話をしたり、病気を治したりも出来た。しかし、無邪気で夢想的で、おそらく、嫁としては務まらなかったのではと思う。

ところで、絵画などでも、イエス・キリストは非常に男性的であるというものは少なく、中性的に感じることが多いと思う。
レオナルド・ダ・ヴィンチの描く『洗礼のヨハネ』などは、その絵のことを知らない人に、これは女性の絵だと言っても疑われないだろう。
ルドルフ・シュタイナーは、男性的、女性的という表現はしなかったが、イエスは、ルシファー的(熱狂的、夢想的)なものと、アーリマン的(唯物的、現実的)なもののバランスを取る役割を持っていたのだと言う。
ジョージ・アダムスキーが、宇宙人の宇宙船の中で、言葉に出来ないほど美しい金星の女性を前にしてすら、恍惚となるほど惹き込まれた神の絵は、18歳くらいの若い人物のようであったが、男性とも女性とも言えなかったという。
人間は、熱狂的、夢想的なところも必要である一方、細かいことをしたり、現実的であることも必要なのである。
いずれか一方に偏ってはいけないのだ。
しかし、人々を見ると、情熱的ではあるが現実的でなかったり、逆に、決して熱狂しないが、あまりに俗っぽくて老人じみた人が多い。
男性的、女性的、あるいは、熱狂的、事務的のいずれが善いとか悪いとか言うのではなく、バランスが大切である。
神秘主義者であっても、時には、細かいこともしなければならない。
宗教を信仰することも、何ら悪いことではなく、必要な時に現実的であれば良いのである。
だが、宗教に熱狂する一方では駄目なのである。
イエスやヨハネもであるが、弥勒菩薩や観世音菩薩などは、女性と見なされることもあるほど女性的であるが、やはり中性的なのである。
それはやはり意味深いことに違いない。









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気の活性化の易しい原理

体内にも無限に在る気のエネルギーを活性化させれば、何でもうまくいくし、病気も治る。
ただし、うまくやって儲けようとか、金メダルを取ろうとか、病気を治そうと思って、気が活性化することは無い。
ワクワクしている時は、気が活性化していると言えるかもしれないが、自己本位の理由でワクワクする時は、気は活性化していない。
難病に侵された人が、大笑い出来るようなビデオを見て病気を治したという話も本当のこととは思うが、本当は、笑って想像力を少し取り戻した時に、創造的なことをしたから気が活性化して病気が治ったのである。
巷には、「ワクワクすれば良い」だの「笑えば良い」、「氣を出せば良い」といった、有益で無いし、今の大半の人にとっては、むしろ害になるようなアドヴァイスが多く溢れているように思われるのである。

料理などは、普通、手間隙(手間暇)かけて作ったものは気が溢れている。だが、本当は、作った人の気が活性化している時、周りの人達が影響を受けて、多少、気を活性化させるのである。
ただし、手間隙かけても、気が活性化しないこともある。創造的で無い場合である。創造とは、自己は無になり、人のためになることをしたいと思っている時に起こるのである。
ところで、料理でも、手間もかけずにぱっと作ったものが美味しいということもあり、そんな料理に気が満ちていることもあるが、手抜きの料理で気が出ることはない。そうではなくて、気が活性化している人なら、手間をかけずに作っても上手くいくというだけのことだ。

『モナ・リザ』という絵は、抜群に気が出ている。いや、本当のことを言えば、あの絵から気が出ているのではなく、見ている人が気を活性化させる場合が多いのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、儲けるためでも、何かの見返りを求める訳でもなく、あの絵に何十年も手を加え続けた。ただし、ダ・ヴィンチは、ある時期には、あの絵を無心で描くことで気を活性化させていたが、その気が活性化する感覚だけを求めて描くようになった時期もあった。あの絵にも、多少の改悪はあるかもしれない。いや、見る人が見れば、かなり曇っていることが分かるかもしれない。

作者が気を活性化させながら創った作品は、それを見る者にも気を活性化させる。
絵でも小説でも、詩でも彫刻でも音楽でもだ。
三浦関造さんは、インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』を9年かけて翻訳したという。翻訳だけなら、彼なら短期間で出来たであろうが、満足の出来るものにするのに、それほどの時間がかかったのだ。今は、『バガヴァッド・ギーター』もサンスクリット語原典からの訳が多いが、三浦さんのものは英訳からの日本語訳である。しかし、彼は、素晴らしい英訳を選び、他のあらゆる英訳も参考にし、ヨーガそのものも深く研究した。元々の英訳が気に満ちている上に、三浦さんの気も最高に活性化していた。その三浦さんが訳したバガヴァッド・ギーターである『至高者の歌』は、読む者の気を最高に活性化させる。

石ノ森章太郎さんは、『サイボーグ009』の完結編の原稿を書いている時に、すさまじく気が活性化していた。末期の癌に侵され、医者が、「生きているのが奇跡」と言った状態であったが、気が活性化していたので、膨大な原稿を書けたのであり、その原稿は見た目は混沌とし、間違い、欠陥も多かったが、気の塊であった。そして、それを、凄まじい苦難に耐えて完成させた彼の長男の小野寺丈さんの気も活性化していた。あの作品を読むと、単に面白いだの、感動するだのでなく、気が活性化し、超人に変化するのを感じるのである。作品の中でも、サイボーグ戦士達の気もますます活性化し、驚くべきことが起こるのである。これほど優れた作品は無く、現代の聖書と言って良いほどである。
また、福永武彦さんの『現代語訳 古事記』はとても気が活性化させられる。それは、多くの人が、「リズムがある」といった感覚で感じている。お正月の読書にお奨めしたい。彼が、子供向けに書いた『古事記物語』も遜色ないほど素晴らしい。大人が読んでも良いものだ。









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