ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ダイアン・フォーチュン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

謎が解ける

ダイアン・フォーチュンの『神秘のカバラー』は、カバラー(とりあえず「西洋魔法」としておく)の歴史的傑作で、大沼忠弘氏による翻訳書は、学術的オカルトという、最も売れないような分野でありながら、現在までロングセラーを続けている。
これは、大沼氏が翻訳したW.E.バトラーの『魔法修行』も同様であるが、バトラーは代表的な著作『魔法入門』の中で、フォーチュンの『神秘のカバラー』は必ず入手すべき書としている。

とはいえ、正直、『神秘のカバラー』はとても読めたものではないと思う。
私も昔、初めてこの本を入手し、がんばって読んでみたが、さっぱりだった。
しかし、この本の中の「神とは圧力である」という言葉をずっと憶えていた。
ダイアン・フォーチュンも、この言葉を聞くや、たちまち悟りを開いたという。
私はそこまでではないが(笑)。

ところが、フォーチュンのような天才ではない私も、別の要因との融合を待って、ようやく落ちてくる熟した木の実を得た。
たとえば、このようなことだ。
無能唱元の引き寄せ書『強くなる瞑想法』の表紙折り返しに、作詞家の阿久悠氏の推薦文があるが、それがそのまま、引き寄せの強力な秘法となっている。
メソッド部分のみ引用すると、

まず目をつぶって息を十分に吸う。そして数秒息を止める。この間に瞑想をする。息を吐いたらすべてを忘れてしまう。

であるが、この「瞑想」に関しては、「作詞した曲がヒットした光景をありありと思い浮かべながら瞑想する」としている。
昔、私はこれを真似してやってみたが、効果は確実ではなかった。
しかし、最近、『弓と禅』で、弓聖と言われた弓術の達人、阿波研造の呼吸法と、最初の『神秘のカバラー』の「神とは圧力である」を融合させることで、阿久悠氏がやったことが明晰になった。

これに関しては一応のことは既に書いたが、これほど強力で重要なものはないので、もっと丁寧に説明する必要があると思う。

月夜の妖精
AIアート361
「月夜の妖精」
Kay


それで、『強くなる瞑想法』に面白い箇所があるので、そこを読み直して改めて説明しようと思う。
だが、何より深呼吸が重要であることに変わりはない。
深呼吸をしっかりやっておけば、望まなくても神助が得られる。
単純な論理から言っても、深呼吸でIQが上がり、運動せずとも楽にダイエットが出来ると思う。それだけでスーパーモデルになれるとは限らないが、深呼吸をしなければスーパーモデルにはなれないだろう。
たとえて言えば、普通の深呼吸が光線銃なら、「神とは圧力」は無限の威力を持つレーザー砲である。
この地獄の世界では、武器が必要である。








スペシウム光線の出し方

もし、あなたがウルトラマンに変身し(お好きならウルトラセブンでも良い)、凶悪な怪獣が迫って来て、スペシウム光線(セブンの場合は、エメリウム光線かワイドショット)を発射する時、どうすれば良いだろう?
もし、スペシウム光線(あるいは、エメリウム光線やワイドショット)のポーズを知っていれば、その形を決めるだろう。
しかし、うまく光線が出てくれるだろうか?
私は、子供の時、夢の中で何度か、そんな状況を「実体験」した。
そんな時、決して、「スペシウム光線、出よ!」と唱えたり、スペシウム光線が出る様子をイメージしたりしなかった。
出せる時は、自然に出せたのだ。

もう少しハードルが高いものとして、夢の中で「自主的に」空を飛ぶというものがある。
「自分は飛べる」と何となく分かってるのだが、どうもうまく宙に浮かないことがある。
最後まで飛べなかったこともある。
しかし、何度かは飛べたのだが、割と調子良く飛べたこともあれば、頼りない飛び方の後、すぐに着地してしまったこともあった。

インドの聖者達の言うところによれば、夢と目覚めの間に、何の違いもないらしい。
江戸川乱歩やバシャールによれば、むしろ、夢の方が現実で、目覚めている時の方が幻であると言う。
では、その「よりリアリティの高い」夢の中で、スペシウム光線を出したり、空を飛べれば、我々が普通「現実」と呼ぶ幻想世界を自在に操ることは簡単なのである。
夢を使って現実創造の練習をしろと言う者もいるが、眠っていようが目覚めていようが、いつでもどこでもやればよろしい(目覚めの時は、別のことをやることをお薦めするが)。
スペシウム光線を出したり、空を飛ぶコツは、一瞬の集中と自信のはずだ。
頭の一点(私の場合、眉間よりやや上)にそっと集中して力を送り、自信を持ってポーズを取ると、スペシウム光線が出る。自分には、出す力があるのだから当然だ。
あるいは、少し息を吸い、吐くのを少し待つ感じで呼吸の流れを止め、一瞬に願ったことは何でも実現する。

良ければ、次のことを覚えておいてくれればと思う。
英国の神秘家ダイアン・フォーチュンが、偉大な導師にこう聴いて、ただちに悟ったことが、『神秘のカバラー』(国書刊行会)57ページに書かれている。
「もし『神』とは何かを知りたいとすれば、一言で語ることができる。『神』とは圧力なのだ。」
私は、この言葉を見た後、2冊の本を読んだら、両方の本の同じページに「気圧される」という言葉があり、10年以上、机に置かれていた別の本に「けおされる」とひらかなで書かれてあるのを見た。「気圧される」は「けおされる」と読む。
神とは気の圧力かもしれない。
Omoi(ユニット名)による初音ミクさんの歌『テオ』を聴いた時、そんなイメージが流れ込んで来て、私は一瞬で悟ったのだ。









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沈黙の力

人間の究極の目標とは神になることである。
「神になる」という言い方は本当は正しくないのかもしれないが、誰にでもるように言うには、一応、これで良いと思う。
神秘的なことについて、独特な用語や言い回しを好む人はよくいるし、それは必要なことではあるのだけれど、私は、誰でも分かるということを重視したいのだ。

スーフィー(イスラム教神秘主義)のことわざに、「神を探しに行くと、神になって戻って来る」というものがあり、神を探しに行くと言う考え方もあるようだ。
その神とは何だろう?
イギリスの神秘家ダイアン・フォーチュンは、
「もし『神』とは何かを知りたいとすれば、一言で語ることができる。『神』とは圧力なのだ」
という言葉に非常に感銘を受けたらしい(『神秘のカバラー』より)。
旧約聖書では、神は「在りて在るもの」であるようだが、それなら一言で「存在」と言えば良いと私は思う。

ところで、『バガヴァッド・ギーター』の中で、至高神クリシュナは、神たる自分は何かを譬えで語っている。
「光るもののなかでは太陽」
「星々のなかでは月」
「水体のなかでは大洋」
「動かぬもののなかではヒマラヤ」
「獣類のなかではライオン」
「魚類のなかでは鱶(ふか=大型サメ)」
「河川のなかではガンジス河」
「季節のなかでは花咲く春」
「詐欺(だまし)のなかの大賭博」
※『神の詩 バガヴァッド・ギーター』(田中嫺玉著、翻訳。TAO LAB BOOKS)より引用。
その他にも、数多くの喩えを述べているが、要は、神とは、いついかなる場所でも「最上のもの」ということだろう。
私は、クリシュナが挙げたものの中で、
「強者の持つ“強さ”」
「秘行者における沈黙」
「智者における智慧」
というのを特に気に入った。

それで分かったのだ。
強さ、沈黙、知恵が神なのだが、最上の強さ、最上の知恵とは沈黙なのだ。
全てが滅した一瞬の中に神は現れる。
簡単に試したければ、人差し指を立てた一瞬の中に神を感じるだろう。
その一瞬にイメージを込める術を見出せば、いかなる非常識なことでも実現出来る。
それは、経験上も確かで、私は子供の頃から何度も実体験している(このブログでも度々述べた)。

だから、最も優れた神になる方法とは沈黙なのだろう。
口と心と身体の沈黙である。
ただ、心の性質上、人間は長く沈黙出来ない。
だから、まずは1秒の完全な沈黙を心掛ければ良い。
いつでも、そうやって訓練を重ねれば、やがて沈黙の能力を得る。
その成果は大きなもので、決して失望させないだろう。









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インドの聖者達の幻想を超える

インドの聖者達の言葉は、日本では、英訳されたものの日本語訳を見る場合がほとんどだろう。
ならば、英訳された時点で、重要な意味の多くが抜け落ちているに違いない。
物質的、一神教的に考えるアメリカ人に理解できる、あるいは、アメリカ人が好む概念に置き換えらているからだ。
ラマナ・マハルシにしろ、ニサルガダッタ・マハラジにしろ、教えの要点は、「私は在る」ということのように伝わっている。
それは、旧約聖書で、神がモーセに言った「エヒエー・アシャル・エヒエー」を英訳した 「I am that I am.」の影響だろう。
つまり、神は自分のことを、「私は在りて在るものだ」と名乗ったことになっているが、これはひどい誤訳だろうと思う。
元のヘブライ語「エヒエー・アシャル・エヒエー」は、本来は「私はなるようになるであろう」という意味らしいし、もっと忠実には、「私はつねに生成するものである」となるという説があるが、これらの方がずっと正しく感じる。

著名な神秘家ダイアン・フォーチュンは、「ある人」から聴いたらしい「神とは圧力なのだ」という言葉を非常に気に入り、それで大いなる気付きを得たというが、それは私にも理解できるように思えるのである。
もちろん、普通に考えれば、「圧力」とは見ない力であることが神をうまく言い表しているのだが、それを、単に物理的な力と考えるなら、意味を誤る。
そして、アメリカ人は、圧力を物理的にしか感じないし、「精神的プレッシャー」という場合ですら、それをごく表面的に感じているのだ。
だが、日本には「気圧される」という、「神とは圧力なのだ」の雰囲気を感じさせる言葉もある。
そして、やはり、神の本質の本質ということになれば、「神は常に生成するもの」なのであり、「神とは圧力なのだ」もそれに通じるのである。

ラマナ・マハルシや、ニサルガダッタ・マハラジ自体は偉大であったに違いないが、我々に伝わっている彼らの姿は、おそらく、本物の2割以下だろう(それでもかなりのものであるが)。
だから、日本でいつまでも、マハルシ崇拝をしていてはいけない。
そもそも、彼らがいかに偉大だとしても、彼らは、現在の日本とは比較にならない、当時の差別の多いインド社会の、主に底辺の者達に教えたのであり、その教えは、現代の我々に適合しない部分が非常に多いはずだ。
我々は、もっと前に進まないといけない。
少なくとも、神は、アメリカ人好みの「私は在る」では不適切である。
「私はなるようになるであろう」
「私はつねに生成するものである」
「神とは圧力なのだ」
この、より進んだ神の定義を深く想えば、精神に変革を起こすことができるに違いない。









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この世界は本当は希望に満ちている

どこの国の昔話にも、ごく平凡な人間なのに、やたらと神様に気に入られる者がいる。
それらの話は、ある意味、実話なのであるが、そのように神様に好かれる者達の特徴は、大抵が、馬鹿がつくほど正直者であるところだが、実はそれだけではないのである。

こんな話がある。
ある商売人の男もまた、山の神に非常に気に入られていた。
それで、彼が商売で危機的な状況に陥った時、神様が夢に現れて、「お前は感心なやつだから助けてやる」と言い、実際、その男は奇跡的に破滅を免れた。
彼は、必ずしも正直者ではなかったし、商売だって、稼いで自分が良い思いをしたいというところが多分にあった。
しかし、彼は、稼ぐと、貧しい者達に施すのを楽しみにしていたのだった。
神様は、彼のそんな性質を愛でていたのだろう。

高橋 弥七郎さんの、発行部数750万部という人気小説『灼眼のシャナ』で、主人公の坂井悠二は、ごくごく平凡な高校1年生男子で、現代的には平均的なのかもしれないが、ヒロインのシャナ(見かけは11歳くらいの美少女)には、最初、男としてのあまりの情けなさに完全に馬鹿にされていた。
ところが、この坂井悠二が、異世界の神である「祭礼の蛇」にやたら気にいられ、その無敵の身体を自由に使わせるまでになる。
私は、かなり後で気付いたが、それは不合理なことではなかった。
よく考えれば、祭礼の蛇と坂井悠二は、実に似た者同士だった。
坂井悠二は、人間であった時の友人に、祭礼の蛇のことを、こう紹介する。
「みんなが喜ぶことをしようと一生懸命なんだ」
坂井悠二は、戦いに巻き込まれる中で、家族を、クラスメイトを、町のみんなを、そして、愛するシャナを守りたいと強く思った。
そして、いつか、全ての人を守りたいと思うようになったのだ。
敵としてシャナのところに戻ってきた悠二が言った言葉が非常に印象的だった。
「僕は強くなりたいと思った。そして、強く、強くなった」
彼は、棚からボタモチ式に祭礼の蛇の力を得たのではなく、祭礼の蛇に似てくることによって、祭礼の蛇の共感を呼んだのだ。

イギリスの魔法使い、ウィリアム・アーネスト・バトラーによれば、魔法とは、「心に自在に変革を起こす」ことなのだそうだ。
これは、彼が崇拝する同国の魔法使い、ダイアン・フォーチュンの魔法の定義を受け入れたのだろう。
心に自在に変革を起こせれば、それは確かに強大な力になる。
しかし、その力を持つ目的は何かと問われたら、ただ、「奉仕するため」であると言う。
これは、イエスの「私は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来た」という言葉に従ったのだと思う。
ところが、面白いことに、これはループ理論である。
その意味はこうだ。
心に変革を起こす→魔法の力を得る→人々に奉仕する→心に変革が起こる
というふうに、手段が目的になってしまうのだ。
この魔法は、ユダヤ人が持つ、旧約聖書の解説書『タルムード』の、さらに深い教えである『カバラー』からきている。
当時のヨーロッパの複雑な社会情勢の中で、『カバラー』は完全に封印されていた。
それを蘇らせたのが、フォーチュンら、現代の魔法使い達である。

しかし、世界のどの地域も、ほとんど同じ事情があった。
魔法は秘密にされ、オカルト(本来の意味は「隠れていること」)と呼ばれるようになり、やがて、「超自然現象」がオカルトの第一の意味になってしまった。
そして、本当のオカルトは、確かに超自然(スーパーネイチャー)現象ではあっても、アブノーマル(異常)現象ではない。
上にあげた、商売人の男、坂井悠二、そして、イエスの力も、スーパーネイチャーであり、アブノーマルな力ではない。スーパーではあっても、ちゃんと自然の原理に則っているのだ。
そして、スーパーネイチャーの力は、程度の違いこそあれ、誰でも手に入れられる。
その「程度の差」は、差別的なものではなく、どれほど多くの人に奉仕しようとしているかによって決まることである。
アインシュタインが言ったらしい言葉である「自分以外の者のために生きるようになって、初めて本当に生きることができる」が事実なのであり、力(フォース)は「本当に生きる」者と共にある。
何とも、この世界は希望に満ちている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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