ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ターラー菩薩

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

腰痛のない、身軽な身体を得るには

最も腰痛に縁遠そうな、若くてスリムな女性でも、腰痛に苦しんでいる人が、私の周囲にも多い。
その原因が、長時間のデスクワーク・・・特に、パソコンの操作と関係があると思われているようだが、誰よりも長時間、パソコンに向かっている私は、腰はなんともない。

日本人は腰痛が多いらしい。
というより、欧米人は腰痛がかなり少ないようだ。
日本人と欧米人の身体の顕著な違いとして、骨盤が欧米人は日本人より前傾しているようだが、それは確かだと思う。
欧米人はお尻が上がっていて格好良いが、それは、骨盤が前傾しているからだ。
前傾と言っても僅かなので、「腰が立っている」という言い方が合っていると思う。

私の部屋に、初音ミクさんのタペストリー(布製ポスター)が飾られているが、横から見た姿のミクさんは、見事に腰が立っている。
コンサートのミクさんも、ほとんどそうだと思うが、コンサートのミクさんの姿や動きは、プロのダンサーを元にしているのだろうから、やはりそこらへんは、普通のアイドルとは全然違う。

ところで、骨法という格闘技の創始者の堀部正史さんの本に、こんなことが書かれていた。
彼は、日本人の身体に合った格闘技を編み出す過程で、日本人と欧米人の身体の違いをよく調べたようだが、歩く時に、欧米人は膝が伸びているが、日本人は曲がっていると述べていたことを、印象深く覚えている。
膝を伸ばして歩こうとしたら、腰から歩く感じ・・・つまり、右脚を前に出す時は、腰の右側を前に出すように捻ると思う。
そんな西洋人の歩き方をするには、骨盤が前傾している必要があると思う。

日本人の腰と、西洋人の腰のどちらが良いかという問題は別として、腰痛をなくし、身軽に動けるためには、骨盤が前傾している西洋的な腰が有利と思う。
実際、普通に歩いても、周囲の人達と比べ、異常と言って良いほど歩くのが速い私は、確かに、腰から歩いている。
私の骨盤は西洋人的に前傾しているのだと思うが、その理由は、割と明晰だ。つまり、普段の座り方の問題だ。
電車では、私は、多少脚が長いために、人様の迷惑になることを恐れて、腰を出来るだけ引いて座り、鳩尾のあたりから下は前傾している・・・つまり、腰が立っている。
オフィスでも、背もたれに背中が当っていることはほぼなく、腰を引いて座っているが、椅子を前にやると、鳩尾のあたりがすぐにデスクの端に当る。
ちなみに、私のウエストは72cmで、お腹は全く出ていない。
健康診断でも、計る必要を感じないのか、私は腹囲を測ってもらえなかった。
それでも、鳩尾がデスクに当るということは、やはり、腰が前傾しているのだろう。

そして、私の動作は、やはり相当速いのだと思う。
なぜかと言うと、私から見て、他の人の動きが遅過ぎて、私は、人と一緒に行動するのが、すっかり嫌になってしまい、引きこもり振りに磨きがかかってしまったからだ。
人のいるところが嫌で、買い物にも行きたくない。
最近では、私が社員旅行に行かない第一の理由は、それではないかと思うほどだ。

ところで、とっておきの秘訣を1つ教えよう。
それは、両手を高く上げることだ。
思い出し、それが出来る状況なら、いつでもやると良い。
出来るだけ両手を高く上げると、自然に、腰が前傾し、それで気持ちが良いのは、身体の各部位が正常な位置に戻るからだと思う。
これは、初音ミクさんの『Weekender Girl』という歌の中の、「両手を高く上げて」という歌詞を聴いて、ピンときて始めたことなのだが、これのおかげで、身体が一層軽くなった。
2013年と2014年の『マジカルミライ』のコンサートで、この歌を歌うミクさんのスタイル、動き方は、まさに完璧で、私は常に見習っているのである。
実際、マジカルミライの、この歌でのミクさんのダンスは特に素晴らしいと思う。
また、Zeng Haoさんの描くターラー菩薩様の絵では、ターラー様は女性らしく横座りをしていても、腰が本当によく立っていて美しいのである。
さすがは、ターラー菩薩様は、初音ミクさんの実体だけのことはある(※私は個人的に、初音ミクさんはターラー菩薩様の化身と信じている)。

ちなみに、私は、高校生の時に、ひどい腰痛になり、数年苦しんだ経験があるので、腰痛の辛さはよく分かっている。
だから、腰痛がないということは、物凄く自由で、本当に有り難いことだと、常に感謝しているのである。
初音ミクさんや、『Weekender Girl』を作ってくれたkzさん、八王子Pさんという、超有名なボカロPさん方にも感謝している。
そして、ターラー菩薩様を敬い、常に、その名を想っているのである。









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繋がりを信じることが、あなたを導く

私の小学生の時の一番の思い出は、おかしいかもしれないが、「名前が似てる人は感じが似ているものだ」という、確信的な印象を持ったことだった。
顔などの姿形が似ていると言うよりは、性格や得意なことが似ている、いや・・・それよりも、やはり、フィーリングが似ているのだと思う。
また、名前だけでなく、誕生日や血液型といったものには、世間の占いのような意味ではないが、重要な意味があるのだと思える。
関わりの強い人同士が、同姓同名か、それに近かったり、あるいは、誕生日が同じか、近いというのは、よくあるのではないだろうか?
野球では、チームメイトでもあった高橋由伸さんと上原浩治さんは、共に1975年4月3日生まれで、高橋さんは巨人の監督になったが、同時に阪神の監督になった金本知憲さんも、年齢は違うが4月3日生まれだ。
このくらいは、たまたまだろうが、私の知っているもので面白いものがあるので、お話する。
とても可愛いと思っていた少女がいたが、後で、彼女と同姓同名で、年齢は違うが、誕生日が同じという子を偶然に知ったことがある。ついでに言うと、私も同じ誕生日だった。
私は、何か啓示を受けたような、敬虔な気持ちになったものだ。

実際、人を見抜く必要があったり、芸術的感性の優れた人の中には、やはり、普通に言う誕生日占いや姓名判断、あるいは、血液型占いの意味ではないが、それら(名前、誕生日、血液型)には意味があると感じていると言っている人は少なくないと思う。
私は別に、人間に対し、目利きである必要がある立場ではないが、勘が働く方だとは思う。
例えば、私は、小学生の時、たまたま手に入れた天体望遠鏡で、何の手がかりもなく、簡単に土星を見つけることが出来たが、今考えたら、それは不思議以外のなにものでもない。

スティーブ・ジョブズは、人生の出来事が点だとしたら、その点と点が繋がることを信じるべきだと言った。
それが、自分に自信を与え、導いてくれると。
そして、直観を信じなさいと。

私は、名前や、誕生日といったものに対しても、ジョブズが言ったような態度であって良いと思う。
名前が同じとか、似ているなら、やはり、何か繋がりがあるのだと、ちょっと思ってみた方が、きっと直観が働く。
名前や誕生日だけでなく、その他のことでも、似ているとかいった、何か繋がりを感じたら、少しでも、心を向けてみれば良い。
そういったことを軽んじることなく、少しは意識することが、幸運を得たり、ジョブズの言う、導きを得ることになるかもしれないのだ。

最近、私は、ターラー菩薩という、チベット仏教で信仰を集める菩薩様のことを知ったが、緑ターラー(グリーンターラー)というのは、やはり、初音ミクさんと深い関係があると思う。
(ターラー菩薩には、白ターラーと緑ターラーがいる)
仏画には、緑ターラーの肌を緑色で描いたものがあるが、それよりも、ミクさんのように、髪が緑であるとか、Zeng Hao氏のターラー菩薩の絵のように、緑色の羽衣を着ているように描いた方が良いと思う。
Zeng Hao氏の描いたターラー菩薩が着ている緑色の羽衣は、まさに、初音ミクさんの緑色の長い髪のようである。
そして、ターラー菩薩は、蓮(ハス)の花を持っている。蓮は英語でLOTUS(ロータス)だ。
初音ミクさんは、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の名曲『LOTUS LOVE』を、YMOの3人の正式な許可を得た上でカバーしているが、ミクさんの歌う『LOTUS LOVE』は、実に神秘的で、幽玄そのものだ。
やはり、私の霊的な確信として、ミクさんとターラー菩薩には深い関わりがあり、私を導いてくれるはずである。
私は、日夜、ターラーの名を想っている。

ずっと前のことだが、知り合いのキャリアウーマンが小学生の娘さんを連れているところに会った。
その娘さんは、とても可愛い子で、そして、全く人見知りしない明るい子だった。
名前を聞くと、「ミク」だと言う。
どんな字かと尋ねると、「未来」だそうだ。
それは、初音ミクさんが生まれるより前のことだったが、私の頭の中には、緑の大地のイメージが浮かんだものだ。
やはり、私と、ミクさん、ターラーさんの出会いは必然なのだろう。
普通の人は、こんなことを聞くと笑うだろうが、ジョブズは、そんなことを信じることが大切だと言ったのだと思うし、私も、全く同感である。
あなたも、点と点がシンクロ(共鳴)するのを感じたら、それをぞんざいに(粗略に)扱ってはならない。
そのためには、ゆるんでいてはいけない。
ゆるんでいる者には、点と点の繋がりを感じることが出来ないのだ。









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16歳の女性

16歳の女性が子供であるはずがない。
だが、今の日本では、18歳未満は、何と「児童」とされているのである。
それが、どれほど日本を駄目にしているかは、恐ろしいほどである。

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』の、いかなる男性も虜にしてしまうヒロイン、スカーレット・オハラは16歳で、気性がやや激ところはあるが、別段、特別な女性ではない。
ところで、『風と共に去りぬ』の映画の主題歌『タラのテーマ(Tara's Theme)』のタラとは、スカーレットの実家の農園の名であるが、スカーレットは、このタラの農園を心から愛していた。
そして、私は、昨日あたりから、チベットで信仰されている、ターラー菩薩に深い関心を持つようになったのだが、ターラー菩薩も、英語表記ではTaraになる。
ターラーという名を想うだけで、心に不思議な高揚が起こるようだ。
ターラー菩薩も16歳なのであるが、ターラーは決して、西洋のペルセポーネやアルテミスのような少女神ではなく、慈悲深く美しい大人の女神なのである。

初音ミクさんも16歳だが、ミクさんは声が幼いので勘違いし易いが、決して子供っぽい訳ではなく、特に、ミクさんの歌は、アイドルの歌とはかけ離れた、物凄く深い、芸術的なものが多いのである。
そして、『風と共に去りぬ』の公開は1939年で、製作費は390万ドルと、偶然とはいえ、ミクさんとの繋がりが感じられるのである。

女性は、16歳にもなって全く子供扱いされると、いくつになっても大人になれない。
そして、人間の構築に、母親の重要性は計り知れないものがあるのに、その母親が大人になりきれていないのではと思う。
まあ、男の方は馬鹿と決まっているのだから、女がしっかりしなければいけないはずなのに、ロクでなしの男と同等レベルの母親が増えているのではあるまいか。
確かに、年齢を問わず、女性を敬い大切にするのが文明の証であるが、保護し過ぎるのも良くない。
今の日本は、これらのことに関し、何もかも間違っているのである。

渡部昇一さんの昔の著書『知的風景の中の女性』に、こんなエピソードが書かれてあった。
ある大学生の男性が、女性同伴のパーティーに行くのに、相手が見つからなかったので、16歳の従妹を連れていったところ、その従妹が入ることで、周囲の大学生の女性たちが、ほとんどおばさんに見えてしまう。
もちろん、若い女性は美しく、美しいことに価値はあるのだが、だからこそ、それに見合った精神性が必要で、その精神性とは、ある程度の知恵と力があるものでなければならないのだ。
美しい女性に、精神の力がなければ、世界はおかしなことになる。
女性は本来、男性より強く、若い女性の美しさにも、非常に危うい力がある。

男道ってのは、厳しいとしても、馬鹿でも行くことが出来る。
しかし、女性は馬鹿ではいけないところがある。
『風と共に去りぬ』を読み、スカーレットを、ある程度は反面教師としながら、それでも、彼女のゆるまない見事な生き様を見て、女の道を学んでも良いかもしれない。









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掟とは自ら選び取るもの

自分に課した掟の重さの数倍の力を、神は授けて下さるというのは、本当のことであると私は思う。
容易な掟であっても、それに見合っただけの、そして、厳しい掟であれば、不思議と言えるほどの力を持つことになるだろう。
ただ、掟というものを、思い違いする人がいてはならないので、少し説明する。

人に、「これをしなさい」と言われてやることは掟ではない。
しかし、人が話してくれたことを、自ら進んでやるなら、自分に相応しい掟である。

喋ることが許されないという、強制された沈黙は、沈黙の掟ではない。
法で禁止されたこと(泥棒や痴漢等)等、刑罰を恐れてやらないことも掟ではない。
また、慣習やしきたりに従って、やったり、やらなかったりするのは、賢い生き方であるとは言えても、それも掟ではない。

もちろん、慣習やしきたりの中にあるもので、自分の意志で特別に選び取ったと言えるものなら、優れた掟である。
やって誉められようなどと、さらさら思わず、やらなければ非難されたり侮辱されたり、あるいは、恐ろしい目に遭わされるとしても、決してやらない・・・そのようなものが真の掟である。
まして、やると得だから、あるいは、やらないと損だからといった、賎しい心があるものが掟になるはずがない。

つまり、掟には、どこか使命感のようなものがあるのかもしれない。
それは、魂の命令と言えるかもしれない。

とはいえ、難しく考える必要もない。
「トイレのスリッパは必ず揃えて出る」であっても、自分の魂に従い、人々の模範になる志があるなら、やはり立派な掟で、神は十分に報いて下さるだろう。

木枯し紋次郎は、女、子供、老人には、いかなる理由があっても危害を加えないという掟を持っていた。
たとえ不可抗力であっても、その掟を破れば、いかなる償いでもし、害を及ぼした相手に死ねと言われれば死ななければならない。
また、自分のような渡世人(博打打、ヤクザ)は堅気の衆より絶対的に下と認識し、いかに蔑まれても当然と考え、まして、まともな人間(堅気の人間)より上に扱われることは、いかなる時でも避けた。
だから、紋次郎は、いかなる苦難も、結局は乗り越えるのである。

ところで、話が変わる。
ataruさんに教えてもらったことだが、私は、初音ミクさんは、本当にターラー菩薩の化身であるのではないかという気がしてきた。
ターラー菩薩とは、いかなる菩薩であろうか?
かの観世音菩薩が、自分がいくら修行しても、人々が苦しみから逃れられないことを嘆き、流した清らかな涙から生まれた、16歳の少女の姿の聖なる存在がターラー菩薩である。
観世音菩薩の右の目から生まれたのが白ターラー、左の目から生まれたのが緑ターラーであるようだ。
手に、青い蓮の花を持っていることでターラーだと分かるが、やはり、音楽とも関係の深い菩薩であると思う。
中国の画家、曾浩(Zeng Hao)氏のFacebookで、素晴らしいターラー菩薩の油彩画を見ることが出来る。
ZENG HAO DUN HUANG | Facebook









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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