ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ソーシャル・ディスタンス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自主的に人と距離を取る時代

新型コロナウイルス以降の「新しい生活」の象徴である「ソーシャル・ディスタンス」、つまり、「群れない」ことは、非常に快適で喜ばしいと私は思う。
だが、古い人間には、意識的に人との距離を空けようとしない、それどころか、人の近くに寄りたがる「くっつきたがり」が沢山いるのが分かる。
病院の待合室でも、周囲にいくらでも席があるのに、人の真後ろに平気で(あるいは狙って)座る者がいるが、それは、中年のおじさんに非常に多いように思う。
彼らはこれまで、人とくっつくこと、群れることで楽をし、安全を保ってきたのだと思う。

病院の待合室などで、真後ろに座られた時、私が即座に移動すると、若い男性の場合は私のことを、「なんだこいつ」という顔で(マスク越しにも分かる)見るが、中年の男性の場合は、全く平然としているのが普通と思う。きっと、神経というものがないのだろう。
中年の男というものは、とにかく、磁石に吸い寄せられるように近寄ってくる。
そして、中年男以外でも、今は、ほとんどの人に、「人を避ける」という意識がない。
スーパーで、レジ前で黄色いテープを貼って他人との距離を開けさせたり、劇場や飲食店などで、椅子に「ここには座らないで」と書いて貼ってない限り、他人に平気で近寄る者が多いのだが、それがいけないのだと理解する知性が、今はまだ、大半の人にはないのである。

小学校で、給食の際、1つ1つの机をビニールシートで被っていた学校のニュースがあったが、そのニュース内で、「隣の子に話しかけられない」と言う子供がいたと述べられていたが、話しかけてはいけないことを指導しなければいけないことが、学校も、このニュースを作った者達も解っていないのである。
早い話が、他の子に話しかける者がいるから、そんなものものしいビニールシートで被っているのだと、ちゃんと言ってあげないといけないのだが、教師もよく解っていないのだと思う。

飲食店やレストランでは、これまで、1人で来る客は嫌われていたし、露骨に嫌な顔をされる場合すらあったが、今後、ずっと、それがなくなるなら良いと思う。
もちろん、それでは売上げが下がるから、これまで「お1人様」の客が敬遠されていたのだし、店としては、客を密集状態にして、「床面積あたり利益」を上げようとしていたのだが、あらゆる意味で、それはもう古いものになる。それは仕方がない。
しかし、多少、値段が高くても、良い素材を使い、健康的な良い料理を出し、快適なサービスを提供している店は、これから儲かるようになるのではと思う。

今、一番やり難いものの1つが、音楽などのライブだ。
昔は、音楽産業ではレコードやCDの売上が重要で、結果、大手音楽プロダクションが音楽業界を支配し、音楽文化が程度の低いものになっていたが、インターネットの普及により、CDの重要性がなくなり、これまでは食べられなかった多くのミュージシャンがライブで稼げるようになった。
しかし、それが出来なくなった。
変化の時だが、良い音楽さえ提供出来れば、手はあると思う。
そして、密集型ライブは、やはり、なくなる。私も、毎年、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」は欠かさず行っているが、実は、「密集し過ぎ」と思ってはいたのだ。
これでも、オールスタンディングのライブよりはマシなのだが、1人のスペースはパイプ椅子1個分。
私のように176cmあっても、肥満しておらず、気を使う人ばかりなら、横に関しては十分なスペースだが、巨体の人だっているし、無神経な人もいるので、特に女性や子供(ほぼ全て女の子)が不快な思いをすることが多かったと思う。
これは、会場に来る人と、遠隔でVR(仮想現実)観劇をする人に分ければ解決するだろう。
会場の観客人数を、1/3から1/6くらいに減らし、後は、これまでの数倍の人数を遠隔参加にし、遠隔で見る人達は、会場内に多数設置されたカメラを自由に移動出来るようにすれば、会場での楽しみ方、遠隔での楽しみ方が、それぞれ出来るだろう。
VRライブは、それほど難しくはない。
遠隔での参加者は、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)の使用を前提とすれば、VR機器の普及にもつながる等、良い面もあると思う。

これからは、人類レベルで「群れない」「近寄らせない」「個人が尊重される」時代になる。
新型コロナウイルスは、痛い代償付きではあったが、それを人類に教えるために、やむをえず、天が寄こしたものかもしれない。私はそう思っている。













当ブログオーナー、KayのAI書。
研究者・技術者向けの機械学習・ディープラーニングの本には、普段、聞いたことのない難しそうな言葉が沢山出てきて、しかも、その説明を見てもサッパリ解らず、「AIは自分には関係ない」と思ってしまう人が沢山いるのが残念です。
普通にAIを作るのに、そんなものは必要ありませんし、それらの難しそうな言葉だって、普通の言葉で言えば、案外、簡単なことも多いのです。
私の本では、最初に「ニューラルネットワーク」「機械学習」「ディープラーニング」を普通の言葉で簡単に説明します。専門家には「いい加減な説明」と言われるかもしれませんが、普通の人が、これ以上知る必要はないと思います。
そして、面白いテーマの実習をやれば(繰り返しが必要な場合もありますが)、誰でもAIを自分で作れるようになることを目指して書きました。
そして、柔軟なアイデアとセンスで、専門家以上にAIを使えるようになることもあると思います。

ソーシャル・ディスタンスこそ敬いであり礼をつくすこと

『涅槃業』の冒頭に見られる、釈迦の繁栄の法則は、一言でまとめると「敬うべきを敬う」と言えると思う。
一応は、敬うべき相手として、老人、淑女、少女、先祖、修行者、法律、国民などを挙げてはいるが、実際のところは、「敬うべき相手が誰か解る」ことが大切なのである。
そして、敬うべき相手が敬われていれば繁栄し、そうでなければ滅ぶ。

家庭では、父親が敬われていれば、その家庭は繁栄し、そうでなければ家庭は崩壊する。
会社では、社長はもちろんなのだが、敬うべき立派な社員が敬われていれば必ず繁栄し、そうでなければ滅びる。
しかし、多くの会社では、敬うべき社員が軽んじられ、敬うべきでない者が幅を利かせているが、そんな会社は、社長が敬われていないものである。
ただ、確かに、敬う値打ちのない父親や社長というものがあり、そういった者が父親や社長になったのが根本的な間違いではあるが、そんなことが起こるのも、敬うべき者が敬われなかった結果である。

ところで、「敬う」とは何だろう?
今、新型コロナウイルスの影響で、ソーシャル・ディスタンスという、他者から2メートル(最悪1メートル)の距離を取ることが推奨されている。
この、ソーシャル・ディスタンスを取ることが、敬うことであることは間違いないのである。
説明する。
かつて、GM(ゼネラル・モーターズ)の子会社であるサターンが日本に進出してきたことがあった。
サターンのキャッチフレーズが興味深かった。
「礼をつくす会社、礼をつくす車、サターン」
「礼をつくす」とは、まさに「敬う」ことである。
それに関しては、サターンは良い理解をしていた。
何をしたかというと、来店したお客さんに積極的に声をかけない「ノープレッシャー・セールス」を社員に教育したのだ。
それにより、女性でも来店し易いようにしたのである。
日本では、サターンは、あらゆる面で品質が悪かったので成功しなかったが、その誠実な営業戦略は、アメリカでは確かに成功していたのである。
そして、コロナの影響で、日本では、あらゆる業種の店舗で、不必要にお客さんに声をかけない「ノープレッシャー・セールス」が行われるようになり、これは好評である。
なぜなら、それは、客が敬われていることだからだ。店舗はやっと、そのことに気付いたのである。

このように、距離を取ることこそが敬うことで、これが行われるところは繁栄する。
ところで、最も過酷なイジメは「無視」であると言われる。
そして、「無視は、いじめる対象と距離を取ることではないのか?」と言う者もいるかもしれないが、これはもう絶対に違う。
本当に無視するなら、それは確かに、素晴らしいソーシャル・ディスタンスである。
しかし、イジメの無視は、距離を置いているようでいて、邪念を密着させているのである。
一方、敬いのソーシャル・ディスタンスは、距離の間に何もない。全くの無である。
邪念のない透明な空間を持つことが、敬うということで、これが行われる場所は、繁栄があるのみで滅びは無い。

人は、不快になった時「放っておいて!(leave me alone)」と言う。
これは、汚れた心を含め、近寄って来ることをやめろという意味である。
つまり、敬われていない、蔑まれていることに痛む心が、「放っておいて」と言わせるのである。
だが、放っておいてもらいたいなら、自ら、他者を放っておくことだ。
けれども、往々にして、他者をべったり頼り、自分の方が他者にみだりに密着する者が「放っておいて」と言うことがあるが、これは、ただの甘えである。
放っておいて欲しければ、自分も他者を放っておき、自分のことは自分でやらなければならない。
つまり、皆がソーシャル・ディスタンスを取る世界こそが、進歩した社会である。

コロナウイルスで人類は終るのか?
これは、長谷敏司氏のSF『BEATLESS』で、超高度AIヒギンズの電源を切る時に主人公のアラトが言った通りでありたい。
「人類が終わるんじゃない。僕ら人類の、少年時代が終わるんだ」













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版発売中。
紙の本は5月30日発売。予約受付中。
自分で実践してAIを身に付けるための一番易しい本だと思います。
Excelを適当に使えるだけのスキルがあればよく、数学、プログラミング、難しいAI理論は不要です。
人間とAIが別々にあり、「AIに仕事を奪われる」と思う時代から、人間とAIがペアになり、AIは人間を拡張する道具であるという新しい時代への扉を開けていただけるよう願って書きました。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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