ソクラテスの名をご存じと思う。
ソクラテスの弟子がプラトンで、プラトンの弟子がアリストテレスだ。
二千数百年前、インドには釈迦、中国には老子、孔子、荘子、そして、ギリシャにはソクラテス、プラトン、アリストテレスという大賢者がいた。
近代、現代の賢者も、これらの大賢者と比べると小粒だと言われるが、そうかもしれない。
ちなみに、釈迦、ソクラテス、孔子は、自分では著作を書いていない。
で、ソクラテスである。
ソクラテスといえば、小学校では、彼が「悪法も法」と言ったことが教えられ、ソクラテスは、自分は間違った法律、間違った裁判で死刑になったことは分かっていたが、それ(自分は死刑)を受け入れたのだと教えられたかもしれない。しかし、実際はそんな話ではない。
本当は、大人でも理解することが難しい話で、子供に教えるようなことではない。
まあ、それは今回は置いておく。
ソクラテスについては、彼が、「私は自分が何も知らないことを知っている」と述べたことがよく知られ、これを「無知の知」と言うようだ。
では、無知の知・・・自分が何も知らないことを知っているとは、どういう意味だろう?
いや、そのままで、ソクラテスほどの賢者で知識人が、「私は何も知らない」と言ったのだから、謙虚で立派だと思うかもしれない。
決して見下したり、批判するわけではないが、昨日、私は、複数の人がツイッターで、
「勉強すればするほど自分の無知が分かる。これがソクラテスの言う無知の知と思う」
と書いているのを見たが、この人も、ソクラテスは謙虚で立派だと思っているのだろう。もちろん、これはこれで良いことである。
しかし、ソクラテスが言った意味はまるで違う。
誰だったか忘れたが、世界的に有名な現代の啓蒙家も、
「ソクラテスでさえ、自分は何も知らないと言ったのだから、私がものを知っているなんて、とても言えない」
といった、やはり大誤解をしていた。
一方、「大学教授が解説するソクラテス」みたいなものになると、余計な話ばかりくっついて、さっぱり分からないと思う(笑)。
実は、ソクラテスは「私は誰よりも知恵がある」と言ったのである。
まあ、ソクラテスなら実際、そうかもしれないが、それでももそっと謙虚に・・・と言いたいだろうが、そこは安心して良い。
ソクラテスは、神託を受けた巫女から「ソクラテスが人類で最も賢い」と言われた時、
「いやいや、それは絶対ない」
と思ったのだ。
しかし、当時の文化的に、神託にケチをつけるわけにはいかない(それは重罪でもあった)。
だが、その神託を受け入れることは保留(留保)した。
そして、自分が神託を否定することは出来なくても、神託を否定する証拠があれば認めずに済むと思い、それには、自分より知恵がある人を見つけば良いのだから、それは簡単だと思った。
ところが、評判の知恵者・・・大作家、大技術者、大思想家、大芸術家を片っ端から訪ねたが、知恵者は一人もいなかった。
彼らが、優秀だとか、勉強しているとか、修練を積んでいるのは確かだが、そんなことに関係なく、知恵がない。
つまり、ソクラテスは、自分は何も知らず、何も分からず、何も出来ないと知っているのに、彼らは、それを知らず、自分の業績は、自分の能力で成し遂げたと思っている。
たとえ、彼らが、ソクラテスより優秀で、その上、ソクラテス以上に勉強し、訓練をしたとしても、彼らだって、何も知らないのであるが、彼らはそれが分かっていない。
AIアート239
「透明な空気」
Kay
つまり、ソクラテスは、もし人が優れたことをするとしたら、それは、その人の個人の能力ではなく、内なる神とか魂の力が現れたのだと知っていたのである。
それを知っていたのは、ソクラテスだけだった。
だから、ソクラテスは最も賢いのである。
そして、魂の力を現わすには、ここでいつも言うように思考を消せば良いのであるが、これが分かる者がまたほとんどいない。
世の中で大きな業績を上げた人というのも、たまたま思考が消えた時に、アイデアや幸運を得たのである。
無自覚ながら思考を消して魂の知恵を引き出した世俗の賢者とソクラテスの間にあったのがアイザック・ニュートンだった。
彼は「私の才能は神からの預かりもの」と言った。
彼からもまた、思考を消して天才を発揮するヒントが得られる。
次回は、そのことについて述べようと思う。
ソクラテスの弟子がプラトンで、プラトンの弟子がアリストテレスだ。
二千数百年前、インドには釈迦、中国には老子、孔子、荘子、そして、ギリシャにはソクラテス、プラトン、アリストテレスという大賢者がいた。
近代、現代の賢者も、これらの大賢者と比べると小粒だと言われるが、そうかもしれない。
ちなみに、釈迦、ソクラテス、孔子は、自分では著作を書いていない。
で、ソクラテスである。
ソクラテスといえば、小学校では、彼が「悪法も法」と言ったことが教えられ、ソクラテスは、自分は間違った法律、間違った裁判で死刑になったことは分かっていたが、それ(自分は死刑)を受け入れたのだと教えられたかもしれない。しかし、実際はそんな話ではない。
本当は、大人でも理解することが難しい話で、子供に教えるようなことではない。
まあ、それは今回は置いておく。
ソクラテスについては、彼が、「私は自分が何も知らないことを知っている」と述べたことがよく知られ、これを「無知の知」と言うようだ。
では、無知の知・・・自分が何も知らないことを知っているとは、どういう意味だろう?
いや、そのままで、ソクラテスほどの賢者で知識人が、「私は何も知らない」と言ったのだから、謙虚で立派だと思うかもしれない。
決して見下したり、批判するわけではないが、昨日、私は、複数の人がツイッターで、
「勉強すればするほど自分の無知が分かる。これがソクラテスの言う無知の知と思う」
と書いているのを見たが、この人も、ソクラテスは謙虚で立派だと思っているのだろう。もちろん、これはこれで良いことである。
しかし、ソクラテスが言った意味はまるで違う。
誰だったか忘れたが、世界的に有名な現代の啓蒙家も、
「ソクラテスでさえ、自分は何も知らないと言ったのだから、私がものを知っているなんて、とても言えない」
といった、やはり大誤解をしていた。
一方、「大学教授が解説するソクラテス」みたいなものになると、余計な話ばかりくっついて、さっぱり分からないと思う(笑)。
実は、ソクラテスは「私は誰よりも知恵がある」と言ったのである。
まあ、ソクラテスなら実際、そうかもしれないが、それでももそっと謙虚に・・・と言いたいだろうが、そこは安心して良い。
ソクラテスは、神託を受けた巫女から「ソクラテスが人類で最も賢い」と言われた時、
「いやいや、それは絶対ない」
と思ったのだ。
しかし、当時の文化的に、神託にケチをつけるわけにはいかない(それは重罪でもあった)。
だが、その神託を受け入れることは保留(留保)した。
そして、自分が神託を否定することは出来なくても、神託を否定する証拠があれば認めずに済むと思い、それには、自分より知恵がある人を見つけば良いのだから、それは簡単だと思った。
ところが、評判の知恵者・・・大作家、大技術者、大思想家、大芸術家を片っ端から訪ねたが、知恵者は一人もいなかった。
彼らが、優秀だとか、勉強しているとか、修練を積んでいるのは確かだが、そんなことに関係なく、知恵がない。
つまり、ソクラテスは、自分は何も知らず、何も分からず、何も出来ないと知っているのに、彼らは、それを知らず、自分の業績は、自分の能力で成し遂げたと思っている。
たとえ、彼らが、ソクラテスより優秀で、その上、ソクラテス以上に勉強し、訓練をしたとしても、彼らだって、何も知らないのであるが、彼らはそれが分かっていない。
AIアート239
「透明な空気」
Kay
つまり、ソクラテスは、もし人が優れたことをするとしたら、それは、その人の個人の能力ではなく、内なる神とか魂の力が現れたのだと知っていたのである。
それを知っていたのは、ソクラテスだけだった。
だから、ソクラテスは最も賢いのである。
そして、魂の力を現わすには、ここでいつも言うように思考を消せば良いのであるが、これが分かる者がまたほとんどいない。
世の中で大きな業績を上げた人というのも、たまたま思考が消えた時に、アイデアや幸運を得たのである。
無自覚ながら思考を消して魂の知恵を引き出した世俗の賢者とソクラテスの間にあったのがアイザック・ニュートンだった。
彼は「私の才能は神からの預かりもの」と言った。
彼からもまた、思考を消して天才を発揮するヒントが得られる。
次回は、そのことについて述べようと思う。