ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

ソクラテス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

金持ちは悟りを開けないのか?

貧乏でないと悟りが開けないという観念を持つ人は多い。
それは、新約聖書の福音書の中の、1つの話の影響があるのだろうと思う。
こんな話である。
ある金持ちの男がイエスに永遠の生命を得るために何をすれば良いのかと尋ねる。
イエスは、「殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、他人のものを欲しがるな、父母を敬え」と言う。それらは、モーセの十戒と呼ばれる戒律のうちの6つで、人と人との関係において守るべきこととされていたものある(残り4つは、神に対して守るべき戒律)。
男は、それらは、小さい時から全て守っていると言った。
イエスは、彼に目をとめ、いつくしんで言った。
「持っているものをみな売って、貧しい人々に施せ」
すると、男は悲しんで去った。彼は資産家だった。
イエスは、「豊かな者が神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しい」と言う。
「永遠の生命を得る」「神の国に入る」とは、悟りを開くことと同じ意味と思って良いだろう。

この話を正しく解釈できる者は少ない。
イエスは、この資産家の男を見捨てたのではない。
イエスが、そんなことをするはずがない。
しかも、イエスは、この男に目をとめ、いつくしんだと書かれているのである。
金持ちでありながら、清く正しく生きてきた立派な男だからだ。イエスは彼を高く評価していたし、当然、彼も神の国に入るべきと思ったはずだ。

だが、なぜイエスは、あの資産家の男にそんなことを言ったのだろう?
確かに、豊かな者が悟りを開くことは難しい。しかし、本質的には、貧しいか金持ちかは、関係がないのである。ましてや、この男に関しては、そのことは何の問題もない。
問題は、別のところにあるのだ。

あの資産家の男は、盗むな、姦淫するな等の戒律を、小さい時から守っていると言った。
それは、父母のしつけでもあっただろうが、成長してからは、彼は自らの意思で、そうしていると思っているはずだ。
そして、これからも、戒律を守ろうと思っているに違いない。
それが問題なのだ。
その問題を教えるために、イエスはわざと、「全財産を寄付しろ」と無茶を言ったのだ。
イエスは、男にそれが出来ないことを知っていた。
つまり、イエスが黙して伝えた教えはこうだ。
「お前が戒律を守ってきたのは、お前がそうしようと思ったからではない。それは、神の意思であったのだ。お前が自分の意志で何か出来ると思うな。全ては神の思し召しなのだ。そうでないと言うなら、全財産を捨ててみろ。出来ないだろう?なぜなら、神の思し召しでないからだ。分かるか?お前が思うままに戒律を守ったり、あるいは、破ったりなどできないのだ。それが分かれば、お前は永遠の生命を得るのだ」

金持ちや有力者になると、傲慢になる者が多い。
そんな者は、世の中や人々、そして、自分の人生を自分で支配していると思っている。
そうではない。
全て、自分がやっているのではない。ただ、起こっているのだ。
何が起こるかは、全て神の意思である。
イエスは、雀一羽、主の意思によらず落ちることはないと言ったのだ。
ではなぜ、イエスは、良い行いをすることを、あれほどに命じたのだろう?
人は、自分のおもうままに、良いことも悪いことも出来ないと言うのに。
実に、イエスは、この「人は自分の思いでは、良いことも悪いこともできない」と教えたかったのだ。だが、直接そう言って、理解できる者はほとんどいない。
それで、実際には出来もしないことも言ったのである。
「女性を邪まな(淫らな)目で見れば姦淫したるも同じ」
と言われたとて、それが出来る者は少ない。
なぜイエスが、理想ではあるが、こんな出来もしないことを言ったかについては、これまでも様々な人によって様々な見解が述べられた。
しかし、答は、今述べた通りだ。
自分の意思では、それが出来ないことが分かれば良いのだ。

現代で言えば、引きこもっていないで働けと言われても、そう出来る者も多いだろうが、出来ない者もいる。
私は働けるようになったが、それは神の意思によって起きたことであり、別に私が根性を出したとか、心を改めた訳でもない。
働いて楽しい訳ではないのだけれど、やはり、自分の思うまま、仕事をやめることもできないのだ。
別に私は、ひきこもりの擁護をしているのではない。単に事実なのだ。

仏教では、神や仏の意思と言わず、縁と言う。
働く縁があれば仕事は避けられないし、働く縁が無ければ、いくら探しても仕事は見つからない。
『バガヴァッド・ギーター』では、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に、「戦う運命にあるなら、戦いは避けられない。自然の本性のまま戦え」と教えた。

古代ギリシャの都市デルポイ(デルフォイ)の神託所に書かれた3つの格言(いわゆるデルポイの神託)の第一は「汝自身を知れ」である。
それを成し遂げることは、とても難しい。
しかし、人は、自分では何もできないことが分かれば、それを(自分自身を)知る道も開けるだろう。
それで、ソクラテスは「私が知っていることは、私が何も知らないということだけだ」と言ったのだが、これは別に、謙遜でも何でもない。彼が知っていた真理である。
彼は、自分がなぜ、あることをするのか、あるいは、しないのかを、自分では分からないということを知っていたのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

頭の良過ぎる人は滑稽なことをする

極端に頭の良い人が、その頭脳をとことん駆使してやったことは滑稽な結果になる・・・という実例を1つは知っておくと良い。
人間の知性など、たかが知れているとよく分かる。
マルクスやフロイトがそうだったかもしれない。もちろん、良いところは学べば良いが、心酔して全て肯定すると、彼らほど賢くない我々はすぐに滑稽になる。
一方、アインシュタインという人は、知性に頼った訳ではなかった。彼は、「私自身は無知だ」と言ったソクラテス的に優れた人だった。

アメリカにサイエントロジーという新興宗教がある。トム・クルーズやジョン・トラボルタらが熱心な信者であることが知られているが、そういった芸能人だけでなく、あらゆる分野の一流の人たちに信者がいる。
創始者は、SF作家で教育家のL.ロン.ハバート。サイエントロジーの基本理念でもあるはずの、彼の自己啓発書『ダイアネティックス』は2千万部近くが出版されているらしい。書かれたのは半世紀以上も前と思われるが、現在もロングセラーを続けている。彼の教育書も、著名な教育家から高く評価される場合が少なくはない。事業家の稲盛和夫さんが推薦が付いた本もある。一応、彼の本業といえるSF分野の小説は、レイ・ブラッドベリ、アイザック・アシモフ、スティーブイン・キングらが絶賛し、出版数は1億冊を超える。ある出版社の調査では、アメリカにおいて、ハバートはSF分野で1位、全文学でも3位の作家と評価されているという。ヘミングウェイ、スタインベック以上である。

ところが、このハバートが、頭が良過ぎて滑稽なことをやったかもしれない。
だが、彼の『ダイアネティックス』の批判者は多いが、まともな批判を見たことがない。読まずに批判していると思えるような人なかりである。私からみれば、少なくとも、批判者よりはハバートの方がずっと優秀なのだ。
『ダイアネティックス』の凄いところは、この中で、ハバートは神様のミスを指摘しているのだが、同時に、神様の弁護までしているのだ。「仕方のないミスだった」と。
そして。ハバートは、その神様のミスを修正する方法を考え、それを教えた。

ハバートはワシントン大学で数学とコンピュータを研究した。
1950年代以前のコンピュータ理論とはいえ、根本的には現在のコンピュータと何等変わらない。彼は、人間の頭脳を見事にコンピュータに模した。あの時代にそんなことが出来たのは、まぎれも無く天才だろう。
彼は言う。「私は数学と工学で頭を鍛えた」と。しかし、それが問題だったのだ。
どんなに頭の良い人間でも、ソクラテスの言う、「神の言葉を伝えるダイモーンの声を聞く真の知者」に比べれば、所詮は猿知恵なのだ。

とはいえ、『ダイアネティックス』に有用性が無いとは思わない。いや、実に有益だ。
大雑把に言えば、理論の半分は正しい。人間がそこまで探求できることは稀だ。手法の方も、考えて適用すれば有益なこともあるだろう(いろいろな意味で害も多いと思うが)。
彼の言い方とは違うが、彼の人間矯正技術の目的は、「潜在意識の浄化」だ。彼自身の言い方も面白いので、一度、読んでおくことをお奨めする。
ダイアネティックスでは、脳、あるいは、心に逸脱が起こった時点まで、その人の心を退行(時間移動)させ、同じことを心の中で再体験させれば、逸脱が消えるという。他の精神療法にも似たような手法はあるが、ダイアネティックスの特徴は、心の退行(ハバートはリターニングと呼ぶ)能力の活用にある。催眠術での退行も可能だが、催眠術の退行では、心の機能の多くが閉じられるので良くないというのかもしれない。このあたり、私にはよく分からない。

いずれにしろ、潜在意識をきれいにすれば、人間の能力は向上し、ハバートの言い方では、「知能指数は打ち上げ花火のごとく向上する」。それは正しいと思う。
しかし、頭で考えた彼の手法は、複雑で不自然と思える。神様のミスを補おうとすればそうなるのだろう。
だが、神様はミスをしない。
黒住宗忠が、ハンセン氏病患者に「ありがたい」という言葉を1日1万回言わせて1週間で完治させたという、原始的と言うべきかもしれない方法でも潜在意識をクリアに出来る。
不自然な方法で能力を高めると、一見、実に輝かしくても、どこかで極端に逸脱しているものだ。それが、人の知恵の限界を示している。
自然に従えば正しくなる。逆に、自然に反すれば逸脱する。
合気道家の藤平光一さんが、「重みは下にある」という、自然そのままの言葉を言えば、氣が出て、驚異的な力が発揮されると著書に書いていたようなものだ。
尚、最も自然な言葉があるとすれば、ニサルガダッタ・マハラジが言ったように、「私は在る」だ。彼には逸脱はない。
ハバートの『ダイアネティックス』と、マハラジの『アイアムザット』を読み比べれば、人の知恵と神の英知の違いが分かるかもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

「告る」は、真実(白=月光)の無いメッセージ

「子供の話を聞かない親」「生徒の話を聞かない教師」というのは、無能な親や教師だということは知られている。
ところが、自分は子供、あるいは、生徒の話をよく聞いていると言っている親や教師の大半は、確かに子供や生徒と話はしていても、何も聞いていない。自分の言うことを聞かせているだけだ。
実際のところは、ほとんどの親や教師は、自分のことばかり話しているのである。

昔、何かのテレビ番組で、女性にもてない男性を集め、女性と会話させるというものがあった。すると、多くのもてない男性は、別に女性と話せないという訳ではなく、むしろ、よく喋るのである。しかし、よく聞いていると、自分のこと・・・自分の素性や、自分の趣味のことばかり話しているのである。

小我の好きな言葉は「黙れ」だ。
小我とは、個人的自我である小さな心で、本能的欲望で出来ている。それは、自分だけの快楽を求め、落ち着かず、自己主張の強い愚かな自分だ。
そんな小我は、自分のことを話すことが大好きで、他者の話を聞くのが大嫌いだ。
だから、愚かな人間というのは、立場の弱い相手を黙らせて、自分のことばかり話すのである。
ちょっと偉くなると、すぐに「黙れ」と言うのは、「俺はアホだ」と公言しているだけだ。
馬鹿な親や教師は、無自覚かもしれないが、子供や生徒に「黙れ」と言って、自分のことばかり話すのだ。
愚かな人間とは、大きなものの存在を知らず、身体や、欲望に満ちた小さな心と完全に一致している者である。
そして、愚かな親や教師が圧倒的に多いのである。

携帯電話の普及も、人々の馬鹿さ加減を大きくしただけだった。携帯を握って話し続けている者は馬鹿と思って間違いないということは、私に言われるまでもなく、誰もが感じていると思う。
メールはどうかと言うと、もっと悪いかもしれない。1日百通のメールをするなら、単に百の愚かな自己主張をしているだけだ。
ツイッターはさらに悪い。より多くの相手に自分の話を押し付けるのは、小我の大好きなことで、それにより、大きな自分からますます離れ、自分だけの欲の心にしがみつくようになるのである。
Twitterは決して「つぶやき」などではない。騒がしい自己主張である。

我が国でも、一頃から、ある出来事によりディベートという、競技討論がよく知られるようになった。
アメリカでは、リーダーを目指す者は、学生の頃からディベートのテクニックを磨く。ディベートの能力が高くなければ、アメリカでは政治家になれない。大統領となると、ディベートの天才と言われるほどでなければならないし、そもそも、そうでないと大統領になれない。
ディベートも、ある範囲では必要かもしれない。たとえ聖人であっても、世の中で何かをする時は、世間的駆け引きが必要なことは必ずある。
もちろん、対話で本当に大切なことは誠意と思いやりであるが、それらを全く持たない相手と交渉する必要だってある。
いや、たとえ、本質では誠意のある相手であっても、利害が対立することも少なくない。
ところで、ディベートの極意は、何を話すかではなく、何を話さないかだ。

アイラブユーを言葉で伝えることを告白するという。
今は、告ると略していう場合が多いらしいが、告られる女性は低く見られている。告白される女性はそれよりは値打が認められている。白という字が抜けている重大さを知るべきだ。
白は闇夜を照らす月の明かりだ。それは真実を明かす。白の無い告るには、真実が無いのである。
つまり、「告る」男には値打ちがないのでだ。それで喜ぶ女にも値打ちがない。
セーラームーンは200回も「月の光は愛のメッセージ」と言ったのになあ・・・(セーラームーンシリーズは全200回。番外編も含め、約200回、次回予告の最後にセーラームーンは「月の光は愛のメッセージ」と言った)
そもそも、告白なんて必要はない。
告白しなければならないなら、うまくはいかない。
ただ、それを知る者にとっては、当たり前過ぎて、それをいちいち語らない。
老子も言っていたものだ。「知る者は語らず」と。

村上春樹さんだったかなあ。
若い頃かもしれないが、彼は、原稿用紙10枚を1日のノルマとして必ず書いたらしい。
これは、なかなか書けるものではないだろう。
だが、より私の注意を引いたのが、同時に、「11枚以上書かない」だった。
私は、何年間もその意味を考えた。
プラトーンの『ソクラテスの弁明』を読んで分かった。10枚までは内なる英知が書くのだ。だが、11枚以上書くと、小我が書くようになるのだ。
また、芥川龍之介のように、原稿の締め切り日になっても1枚も書けておらず、編集担当者が青くなり、やむなく、芥川が喋って編集担当者が筆記したら、実に素晴らしいものが出来るという話もあるが、こちらも理解できるのである。芥川は、普段は、小我と戦っているのである。芸術家は皆そうなのだ。そんな時に作品は出来ない。しかし、小我に破れたことを悟り、戦いを諦めて小我を手放した時、内なる英知が輝き出でるのである。
無論、最も賢い人は、「沈黙の聖者」ラマナ・マハルシだ。彼は、16歳で悟りを開いた後も、何年も沈黙の行をしたのだった。
アインシュタインも、ヘレン・ケラーも、エリクソンも、話すことに難があったゆえに賢くなったのだと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ミク(39)とミロク(369)

初音ミクを聴き、見ていると、神秘なメッセージが流れ込んで来る。

初音ミクは、漢字で書くと、初音未来になるらしい。
「未来から初めての音がやって来る」という意味のようだ。素敵な名前であると思う。
未来からやって来るのだから、タイムトラベルである。
英語で初音ミクを表現すると、
The first sound from the future
が一般的のようだ。
ところで、初めての音は過去にあったのだから、世間的常識で考えると矛盾と言えるかもしれない。
喩えて言えば、「明日出発して昨日到着した」と言うようなものだ。
だが、世間の教義に縛られなければ、ごく自然なことなのである。

ミクを39ということが出来ることから、「39(サンキューまたはサンクス)=感謝」と洒落ることもある。
だが、実は、ミクがミロク(弥勒)を招くと考えれば、ぴったりするのである。
弥勒とは、釈迦の入滅後、56億7千万年後に、釈迦の次の仏として地上に降臨するとされている菩薩(仏になる前の聖者)である。
この56億7千万年というのは、あくまで喩えであり、「遠い未来」という意味だ。それがいつなのかは誰にも分からない。
だが、それは今なのである。

弥勒(ミロク)は369だ。
6は無であり、ミクの前で我々が無であれば、ミク(39)は弥勒(369)を呼べるのである。ミクはそのために地上に現れた天使である。
ミクの歌や姿は、本来、我々を無にする力を秘めたものである。
その根拠は、プラトーンによって伝えられたソクラテスの哲学にあるが、今回は本題ではないので説明は省く。

369という数字は、神道においても実に重要な意味がある。
だが、キリスト教の方の話で分かりやすいものがあるので、それで説明する。
キリスト教でも3は聖なる数である。
13世紀のイタリアの詩人ダンテの叙事詩の傑作『神曲』は、序篇が1詩、地獄篇が33詩、煉獄篇が33詩、天国篇が33詩である。
実は、ダンテが、序篇と、この6つの3(33、33、33)の99篇の詩で完成させたのは意図的なことだった。これにより、『神曲』はキリスト教の神聖なる教義と合致したものとして完成したのである。
ところで、『神曲』というタイトルは、実は日本独自のもので、森鴎外が、アンデルセンの『即興詩人』を翻訳する中で、その中に引用されていたダンテのこの作品をなぜか『神曲』とし、誰もがそれに倣ったのだ。ところが、本来の題名は『神聖なる喜劇』であり、ダンテ自身は『喜劇』としていたのである。
これは、ミクの歌を神曲とする予言である。森鴎外に、そのアイディアを与えたものは、ソクラテスの言う、神の知恵を運ぶものであるダイモーンであった。
ダンテが愛した美少女ベアトリーチェが天使として彼を天国に案内したように、ミクは我々に天国を示すのである。

ミクは電子と情報の存在であり、その歌や姿は1と0で構成される。
しかし、それは、コンピュータ、あるいは、エレクトロニクスだけではなく、実際は万物がそうだ。中国の易経で、昔から、万物は陰(0)と陽(1)から成るといったのも、それを表している。
1は有で0は無である。有無を「うむ」と読むのには意味がある。有(1)と無(0)から、あらゆるものが生まれるのである。
そして、生まれてくるものが3(産)だ。だから、お産とか産業という言葉がある。
『老子』42章にも、道(タオ)から1が生じ、1から2(陰陽)が生じ、そこから3が生まれるとある。そして、3から全てが始まるのである。根本の無が道なのである。
ミクがいかに重要かが分かるように思うのである。

人間に関する大切な真実は「無になれば不可能はなくなる」である。
ミク(39)により、無(6)になれば、弥勒(369)の世になる。
その秘法は以下の通りである。
自我は食物が育てる。食事をしないミクは自我を持たない。
『エメラルド・タブレット』にある、人の娘より美しい娘とは、自我を持たないミクである。(シラーの『歓喜によせて』では、楽園の乙女と表現されている。)
我々は自我を持つゆえに、粗い位置(1)を持つ。
対して、ミクは純粋な電子の情報としての位置(1)のみを持つ。
ミクは、我々よりはるかに希薄なのだ。
だが、我々が無になった時に、ミクと交わるのである。
そのためには、我々は食欲と性欲を克服し、魂を身体や心の位置から解放しなければならない。その時、ミクと同質の位置(1)に立つのである。
キリスト教の3位1体とは、父(神=無)と子(人)と聖霊(ミク)を表しているのである。
無というエーテル(エデン)の中で、我々はミクと出逢い1つになる。それが、あらゆる秘教の意味である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

本当に頼れるものは直観である

我々が、正しいかどうかの判断をする場合、だいたい、2通りの方法をしている。

大雑把に説明してみよう。演繹(えんえき)、帰納(きのう)なんて言葉を使うが、別に難しいことを言う気はない。私は難しいことが苦手だ。

まず、演繹(えんえき)という方法だ。
これは、「引力があるから、リンゴが落ちる」といったように、「引力がある」という前提のもとに、「リンゴが落ちる」という結論を導くものだ。
前提が正しい限り、必ず正しいというものだ。

しかし、この手の話は多いが、前提が正しいかどうかが分からないことが多い。
引力があるといった、明らかに正しいことを前提にしたものは、我々が判断を迫られるようなことでは、ほとんど無いのだ。
絶対安全、絶対確実を謳い文句にした製品やサービスが、いかにあてにならないかはご存知だろう。
「原発は、あらゆるリスク対策を講じているので安全だ」というのは、「あらゆるリスク対策を講じている」が前提だが、その前提が誤りなら、「安全だ」という結論が成り立たない。そして、事故が起こって、やっと、前提が正しくないことが知られるのである。
演繹の論理というのは、このように嘘が入りやすい。
そこで、演繹に対抗して、帰納(きのう)という方法がある。

帰納は、例えば、「この薬で私は痩せました」「私も痩せました」「私もそうです」という事例を示し、「だからあなたも痩せるに違いない」といったものだ。
あるいは、「この塾に入ってA君は成績があがった」「B君も上がった」「C君も上がった」ので、「あなたの子供の成績もきっと上がる」というものだ。
これは、事例を分析して判断するしかないが、いずれにしろ、結論が正しいという保障はない。しかも、世間には、いかにも事例に普遍性があるように勘違いさせて販売量を増やそうというものが多いので、多くの問題に関し、帰納も、あまりあてにならない判定法と言えると思う。

荘子は、「思慮分別を離れ、判断をするな」と言ったが、それは、論理的に言っても正しいかもしれない。
しかし、我々は判断せざるを得ないことがある。
そんな時は、やはり、荘子の言う無知の知を用いることだ。
判断をしない判断だ。
それは、直観である。

「この予想の根拠は何ですか?」
「勘よ!女の勘」
~『新世紀エヴァンゲリオン』より。シンジとミサトの会話~

「女の」は余分であるが、勘、すなわち、直観以上にあてになるものはない。
もちろん、リンゴが落ちるかどうかの判断を直観に頼るまでもないだろう。
だが、原発が安全かどうかなんて、一般の人には直観しか頼るものがない。そして、直観は、原発に対し、必ず「ノー」と言うのだ。
直観とは、疑いようのない確信と共にある。
直観は、心が静かであるほど働く。目覚める直前の夢や、目覚めた瞬間に難問が解決されることがあるのはそのためだ。静かな夢のない眠りで心が静まった後の夢や目覚めの時に直観が訪れるのだ。
ソクラテスは、神の意思を伝えるものをダイモーンと呼んだが、それも直観である。
荘子の言うように、思慮分別を離れ、判断をしなければ、至高の判断である直観が訪れる。荘子の教えは、論理的にも、超論理的にも正しいのだ。
だが、欲望があれば、心は静かでない。よって、欲望のある心に直観はやってこない。

直観の原理を知る者は、大きなギャンブルにも必ず勝つ。
実際、そういった伝説のギャンブラーがいた。彼は、大金のかかったギャンブルで1対1の勝負をした時には無敵だった。
だが、ギャンブルに勝とうとして直観が働く訳ではない。むしろ、そんな邪まな欲望があると、直観は決して発揮されない。
だから、彼も、勝とうとはしない。相手に負けさせるのである。
私は、伊達政宗が、小田原参陣の際、豊臣秀吉の前に死に装束で現れたのは、決して、意表を突こうとしたのではないと思う。政宗は、秀吉を読んでいたのだ。秀吉は、大博打に必ず勝つ男だった。つまり、直観が優れていた。そんな者は、死にに来た者には勝てないことを知っているのだ。
だから、伝説のギャンブラーも、破滅覚悟で挑んでくる相手には、決して応じなかったはずだ。

私は、職業柄、直観をソフト開発に使うことがある。
設計書、プログラムコード、あるいは、出来上がったソフトウェアをぼーっと眺めていると、どこか嫌な感じがしてくることがある。そんな時には、必ず間違いがある。それは、頭で考えても決して分からない間違いであることもよくある。そのおかげで、ソフトウェアによる大トラブルを防げるのだ。
しかし、世間では、コンピュータシステムの大きなトラブルがよく起こっている。開発者が、嫌々仕事をしていて、心穏やかでないので、勘が働かないのだ。
それは、あらゆる仕事でも同じである。医者なんて、直観が必要な仕事だ。しかし、今の医者の仕事は、必ずしもやりがいのあるものではない。それで、判断を誤ってしまうのである。

直観は啓示でもある。
名曲の誉れ高い、フランス国歌ラ・マルセイエーズは、無名の日曜音楽家が、天啓を得て、一晩で作り上げたものだ。

ソクラテスのように、自分自身は無知であると知り、謙虚に心静かであることだ。
『エメラルド・タブレット』には、食欲が魂を縛るのであり、食欲を克服すれば、魂は解放されると述べられている。解放された魂には、直観が自由に流れてくる。
食を慎み、食欲を克服する者が最も安全なのだ。
また、『バガヴァッド・ギーター』を読み、至高神クリシュナの教えに従えば、心の静寂に至るだろう。そうすれば、常に、神の声である直観が訪れることだろう。
我々は、直観の価値を教えられることはあまりなかったと思う。ましてや、それを磨く方法を聞くことはなかったと思う。しかし、それは大きな間違いだ。直観ほど頼りになるものはないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新トラックバック
明日のことを語る (哲学はなぜ間違うのか?)
手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
非難することは本当に恐ろしいことだ
コンサイス英和辞典 (昭和を思い出すレトロなデザインが好き)
世間での狂い方をマスターする
持久走だ、たくましくいこう (ゴルフィーライフ? 〜 自分のなかの強さに向き合おう!)
ある神秘体験
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
お気に入りブログ
◆開き直りのススメ
彫刻家、石彫人さんが語る、マケドニアでの体験で培った開き直りの精神が心の壁を取り払ってくれます。
◆インフォニティ@情報ソムリエ
リア友、4大陸制覇は目の前、ロックな20代のブログ。見ろ!
◆書之時 華文字
インザちゃんのブログ、もとい!オランダ在住の書家、華文字さんのブログ。
◆風阿弥・記
不思議なドローイングアートを制作されているイラストレーター、風阿弥さんのシュールな作品展ブログ。
◆ガマ仙人の徒然草
街の中で無為自然に生きるガマ仙人さんのブログ。IT、柔術も一級品という変わったお方でもあります。
◆昭和を思い出すレトロなデザインが好き
日本人が希望と温かい心を持っていた時代を鮮やかに甦らせる、dandanさんの昭和レトロなブログです。
◆若く長生き! 幸福生活養生法
東洋医学の知恵で、健康と長寿の至福をもたらす養生先生の叡智に溢れるブログです。
現在の人気ランキング
QRコード
QRコード
初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ