ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ソクラテス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ソクラテスが教える、特別な存在になる方法

人間は、自分を高く評価し、他人を低く評価する。
そう言われると、「確かにその通り」と思う。
だが、十代前半くらいまでは、「しかし、自分だけは別。自分だけは確かに特別」と思うことも多いものだ。
しかし、今は、いくつになっても、そう思い続ける者がひどく多いのだ。

「え?私は『世界に一つだけの花』じゃないの?」
って、それは・・・・・まあ、うまい商売って、そんなもんじゃないだろうか?
いや、確かに、他人と自分を比べても仕方がない。
それを、ドングリの背比べと言うのだから。

だが、ご安心を。
特別な存在になれる方法なら、あのソクラテスが明確に教えてくれている。
ソクラテスは言ったのだ。
「私は自分が特別だと解った。私だけが、自分は特別じゃないって知っているからだ」
なんと、中二病(自分を特別な存在と思うこと)ってのは、現代日本特有の病ではなく、ソクラテスの時代からそうだったのだ。
ただ、病状の重さは、やはり我々の方がずっと上だ(自慢にならないが)。
しかし、アンドリュー・カーネギーだったか誰だったか忘れたが、世界で特別視されている人物はこう言った。
「どう間違えても、私がソクラテスより偉いはずがないので、やっぱり私は大したことはないのだ」
自然な、まともな理解である。
ところが、この程度のことが解らない者が多いのだ。
まあ、そのことが解るから、彼も、普通の人よりは偉大だったのだ。

シーモア・パパートは、数学、コンピューター、教育、心理学の分野で、人類を前に進めたが、彼は、自分の能力は平均的だと言う。
ただ彼は、自分は幼い(3つか4つ)時、歯車に惚れ込み、ものごとを歯車で考えたから、うまくいった・・・つまり、「概念の力」を持っていたし、それを持てば、誰でも私程度のことは出来ると言った。
まあ、それがちょっと難しいらしく、パパートも、教育学者、あるいは、現場の教師として、子供達に、何らかの「歯車」を持たせようとしたが、あまり成功しなかったような気がする(少しはうまくいったこともあっただろうが)。
パパートは歯車を好きになったのだが、それは、自然にそうなったのであり、誰も、彼に、歯車を好きになるようそそのかした訳でも、まして、強要した訳でもない。
アインシュタインも、Google創業者のラリー・ペイジも、何かを好きになったのだし、我らが初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之さんは電子音楽を好きになったのだ。
まさに、セベ・バレストロスのお父さんの教えのように、「何でもいいから好きになれ」である。
それは歯車で十分なのだ。
武道家の堀部正史さんは「誰でも三度のメシより好きなものがある。私の場合はケンカだった」と言うが、彼のケンカ好きは半端でなかった。そして、本当のケンカ好きは弱い者いじめは決してしない。それは、極真空手の大山倍達さんも同じだった。









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最高の金言は「身の程を知れ」

身の丈に合った仕事をし、身の丈に合った収入に満足していれば、日本で貧しくなることはない。
しかし、身の程を知らない職業や給料を望むと、おかしなことになり、長年月、収入が得られない状態が続き、挙句、落伍者になりかねない。
30代半ばの、人生の落伍者と言うしかない「まるで駄目男君」に、「社長にでもなるか?」と、半分冗談、半分励ましで言ったら、まるで駄目男君は、「社長、いいですねえ」と真顔で言うのに呆れたことがある。
彼が人生の落伍者であるのは、身の丈、身の程を知らないからだ。

若い時に、身の程をわきまえた仕事をしていれば、やがては実力もつき、自然に待遇も良くなっていく。
しかし、最初から高望みし、何もしなければ、身の丈はどんどん小さくなるだけである。
私は昔、詐欺師紛いの仕事をして、若いのに高級車に乗っていた男を知っていたが、やはり彼も、身の程を知らない収入を望んだから、そんな仕事をするようになってしまったのであり、そんな仕事では何の実力もつかないので、中年になってから全うな仕事をしようと思っても、とんでもなく困難なのである。

少なくとも8割の人間は、自分の身の丈を、実際より相当高く見誤っている。
そんな人達は、自分の容姿や好感度さえ、かなり自惚れた誤解をしているものだ。
卑屈になって、自分を肯定出来ない人も多いと聞くが、私はそんな人は、やはり、自分を高く見積もり過ぎ、周りがそれに見合った扱いをしてくれないことの不満から、そうなっているのだと思えるのだ。

そもそも、凡人というものは、全く大したものではないし、我々も、少しも特別でない凡人なのだから、大した者であるはずがない。
しかし、自分を凡人でなく、特別な者であると思い違いしている人が多過ぎるのである。
それは、高学歴であろうが、スポーツで好成績を上げた者であろうが、全く同じなのである。

そして、ソクラテスが典型なのであるが、本当に凄い人は、自分を本当に身の丈通りに・・・つまり、自分は凡人だと認識しているのである。
徳川家康も全くそうだったのだと思う。
彼は、天下取りの秘訣は「身の程を知る」であると言ったのだ。
本気で謙る者は、神が助けるので、危うさはないのだと思う。









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ニュートンとソクラテスの差

自分を高く評価し、自信を持たなければならないとも言われるが、一方、自分は取るに足らない者だという謙虚さを持たねばならないとも言われる。
どちらも、キラ星のごとき偉人達が言っているからややこしい。
持つべきものは自信か謙虚さか?
確かに、身の程知らずの法外な自信を持っている馬鹿は多いし、「自分なんて・・・」とウジウジしている卑屈な連中も沢山いる。
まあ、身の程知らずは、本当は自信なんて持ってないし、卑屈なやつは心の中は傲慢なものなのだが。
だから、あくまで、本物の自信、本物の謙虚さを問題にしなければならないが、「本当に自信がある者は謙虚である」なーんて当たり前のことを言っていてはならない。
そんなことを言うのは小賢しいだけの馬鹿だ。

ソクラテスは、権威ある巫女に、「お前が人間の中で一番賢い」と言われ、巫女に逆らうつもりはないが、そんな言を受け入れる訳にはいかないと思った。
それで、賢いと評判の人を全て訪ね、自分より賢い人がいることを証明しようと思った。
ところが、訪ねていった賢い人達は、皆、彼らが賢いと言われる訳になってる彼らの仕事について、「自分の能力でやっている」「自分は貴重な秘訣を知っている」と思っている。
しかし、ソクラテスは、自分は何も知らず、神が教えてくれるだけだと言う。
そして、ソクラテスは、「私は、自分が何も知らないことを知っているがゆえに、私が一番賢い」と結論する。
だけど、貧乏な一生を送り、あげく、老人になって死刑だ。
ちーっとも賢くない。

一方、アイザック・ニュートンは、あの感動的な言葉、「私は浜辺で遊ぶ子供に過ぎず、時々、きれいな貝や石を拾い上げたが、目の前に横たわる真理の大海には全く手をつけられなかった」を残した。
「嗚呼!美しい!!」などと騙されてはいけない。
ニュートンほど傲慢な人間はいないのだ。
だが、ニュートンは富豪で地位も高かった。
ソクラテスとは偉い違いだ。

で、やり過ぎてはならないが、皆さんはニュートンを目指して欲しい。
ニュートンは、実に執念深かった。
しかしそれは、言い換えれば、根気があるってことだ。
その根気を支えたのは熱情だ。
ニュートンは、1つの部屋に、大きな猫のために大きなドアを、小さな猫のために小さなドアを作るほどの阿呆だった。
だが、熱情と粘りを持っていたのだ。
だから、あなたもそうあれば良い。
何に熱意を持てば良いか分からないなんてことはあり得ない。
ヒントを言えば、誰だって劣等感を持っている。
それを帳消しにする目標を持てば良いのである。
それが基本ってやつじゃないのか?









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IQが低い人からの職のアドバイス

ニート対策、ひきこもり対策、ワーキングプア対策、失業対策・・・いろんな言い方があるが、肝心なことはただ1つだろう。
それは、「手に職があるか?」である。
誰でも出来ることしか出来ないから職が回って来ないし、特に、良い職が回って来ないのである。

だから、「お金に結び付くことで、好きなこと」を見つけるしかない。
しかし、学校に行けば、皆と同じことをしないといけないのだから、自分の好きなことなんて分からないばかりか、捨てなければならないことが多い。
なんと、諸悪の根源は学校であった。

とはいえ、文句を言ったり、嘆いていても仕方がない。
私が語れる職は、セールスマンとプログラマー(システムエンジニアも同じ)だけである。
この内、セールスマンに関しては、修行にはなったが、私には向いていなかった。
ところで、Facebookの元役員が、「プログラミングが出来れば、一生仕事に困らない」とか、カドカワN高等学校のプログラミング教育の責任者が、「プログラミングが出来れば、一生食いっぱぐれない」と言ったらしいが、私は「本当かなあ?」と思う。
本当だとしても、プログラミングには向き、不向きがあるらしく、イギリスの大学の「ふたこぶラクダ」という論文によれば、60%の人はプログラミングをマスター出来ないらしい。
ドワンゴの川上量生会長が、「地頭さえ良ければプログラミングは出来る」と言ったが、それはつまり、地頭が良くなければ・・・要するにIQが高くないとプログラミングは出来ないということだ。
しかし、私はIQが高くなくてもプログラミングが出来る。
私のIQが高くないという明白な根拠は、学校時代、「良い成績を取ろうと努力しても、成績が悪かった」ことである。
確かに、良い成績に興味がなければ、勉強が出来なくてもIQが低いとは言えないかもしれない。
けれども、私は、かなりがんばったことはあったのである。
そして、IQが高いと、やっぱり、その気になれば、楽々、良い成績が取れるのである。
それこそ、IQが高い川上量生さんは、高校の授業を熱心に受けただけで京都大学の工学部に入れて卒業も出来た。
私は、そこそこの大学の工学部に入ったが、「こりゃ無理だ」と思って、やめてしまった。

だが、アインシュタインだって、勉強は出来ず、大学入試に失敗し(制度を利用して無試験入学した)、卒業には大変な苦労をしたそうだ。
アインシュタインは、大してIQは高くなかったのだと思う。
一方、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグのように、やめたとはいえ、楽々ハーバードに入学出来る連中は、やはり飛び抜けてIQが高いのだろう。

だけど、私でもプログラミングが出来たのだ。
そして、やり方さえ間違わなければ、やっぱり、「誰でもプログラミング出来る分野はある」のである。
OSやプログラミング言語を作るとか、人工知能の根本的な仕組みといった基礎分野は、IQが高くないと無理だ。
しかし、Webサービスサイトや、業務システムのプログラミングなら、誰でも出来る。
ただ、面白いかどうかは分からないけどね(笑)。
いや、プログラミング自体はそこそこ面白くても、客先担当者との打ち合わせは、本当に気が滅入った・・・というか、嫌になったし、なる・・・これは言ってはならないことなのだけれども。
しかし、そのあたりは、工夫すれば何とかなるかもしれない。

そこで、プログラミングをマスターしましょうということになる。
IQが低い私からアドバイスするなら、プログラミング思考をマスターしていた昔の人はソクラテスだということだ。
彼は、「悪法も法なり」と言ったからだ。
中学校の時に、授業中に話し合ったが、これには納得していなかった生徒が多かった。
しかし、それに納得出来ないとプログラミングは出来ない。
悪法を善法に変えるのは良い。
しかし、悪法だからと言って、ないがしろにしたら悲惨なことになる。
人間のやること全てにはルールがあるし、なければならない。
どれほど自由人だと言ったところで、ルールは必ず必要だ。
それが分かれば、プログラミングなんて楽々なのである。
ちなみに、私が好きなプログラミング言語はBASICで、それも、古いVBAだ。全然、クールなハッカーじゃない(笑)。
VBAは、ExcelやAccessといったマイクロソフトOffice製品に内蔵されたもので、無償のOpen OfficeやLibre Officeにも、ほぼ同じものが入っている。
ブラウザ用のプログラムを作るなら、PHPが単純で分かり易い。
RubyやPython(パイソン)は良いらしいが、私には面倒だ。そもそも、Pythonのスペルが覚えられない(笑)。
世の中、頭の良い人達のアドバイスは多いが、私のような頭の悪い者には、それは有害だったのである。









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自分は「美しい白鳥の子」でないと自覚しろ

アンデルセンの『みにくいアヒルの子』ほど、現代の世界に悪い影響を与えたお話は、そうはない。
あのお話のおかげで、沢山の凡人達が、自分は本当は白鳥で、いつか、輝かしい大したものになると思い込んでしまった。
君もそうではないかな?
ちなみに、私はそうだ。

そして、『みにくいアヒルの子』の最たる被害者の例が、私の職場にいる、30歳過ぎの人生の落伍者、派遣の雑用係である、まるで駄目男君だ。
彼は、30をとおに過ぎた今も、自分は、本当は白鳥だと思い込んでいる。
アヒルにも劣るボウフラなのにね。
彼だって、自分がボウフラだと自覚すれば、蚊にならなれるかもしれないのに。

そりゃ、アンデルセンは天才で、白鳥だった。
しかし、生まれた家が貧しかったせいで、凡人の中でいじめられ、辛い目に遭った。
だけど、勇気を出して行動し(14歳で故郷の村と母親を捨て、単身、コペンハーゲンに出た)、頑張り続け、ついに白鳥になれた。
なるほど、『みにくいアヒルの子』は、アンデルセン自身のお話として感動的だ。
だが、天才なんて滅多にいないのだ。
メンサなら上位2パーセントの知能指数があれば入れるが(脳科学者の中野信子氏によれば、テストの練習をすれば誰でも入れるらしい)、天才ってのは、多く見積もっても万人に一人・・・つまり、0.001パーセントだろう(それでも、日本に一万人の天才がいるという、あり得ない話になる)。

サラリーマン生活がすっかり身についた、若者達が蔑む40代、50代のオッサン達だって、頑張らなかったわけではないのだ。
持って生まれた才能が、その程度しかないのだ。
そりゃ、超人的な努力をしたとは言えないかもしれないが、皆、涙ぐましい努力はしたし、しているのだ。
そして、超人的な努力が出来るのは、自分がやっていることに、現実的な可能性を感じる天才だけなのだ。
これで分かるだろう。
「子供達には無限の可能性がある」なんてのは、大嘘、もしくは、幻想なのである。

ソクラテスは、本当の知恵ってのは、神の霊感のようなものだと言ったと思う。
シラーの詩を元にした、ベートーヴェンの『歓喜に寄せて』でも、そんなことを歌っていると思う。
しかし、高度な神の霊感がやってきても、それを形に出来るのは天才だけなのだ。
ソクラテスも、シラーも、自分が天才だから、そこに考えが至らなかった。
福沢諭吉が、どんな意味で「天は人の上に人をつくらず」と書いたのかは知らないが、才能という意味では、完全に、「天は凡人の上に天才をつくった」のである。

だが、凡人らしい生き方というのも、かなり誤解されている。
凡人の、なけなしの力だって、集中すれば、そこそこのものなのだ。
それを分散させ、弱めてはならない。
自分の力を集中させる方法を学べ。
そうすれば、意外に悠然と生きられるだろう。
だが、まず、自分が白鳥でないと自覚しろ。









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