ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ソクラテス

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

因果応報

因果応報・・・善いことをすれば善いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる。
迷信臭いが、それは正しいのではと思っている人は多いと思う。
それは単に、幼い頃に無意識の中に刻み付けられた文化的な教義に過ぎないかもしれないが、周囲の人や有名人、あるいは、歴史上の人物を見たら、やっぱり当っている・・・つまり、因果応報があるように思えるのである。
Web上でちらっと見ただけだが、あのホリエモンこと堀江貴文さんのように、およそ因果応報なんてことを言いそうにない人が、刑務所の中で、自分より強い立場の人に嫌な目に遭わされたことを、かつて、自分が社長だった時に社員に対してしたことと同じと感じ、「因果応報ですねえ」と言ってたりするのを見て、「やはりそうか」と思ったりするのである。
お釈迦様の教え、つまり、仏教も、つまるところ、因果応報なのだと思う。

因果応報の理を、程度の違いはあっても信じることで、悪いことをする抑止力になるかというと、まあ、それほどでもないと思う。
「こいつをいじめたら、俺が後で誰かにいじめられる。ここは1つ、(いじめは)やめておこう」
なんてことにはならず、いじめる時には、やっぱりいじめてしまう。
それで、実際、後で自分がいじめられることになるかもしれない。
これも程度の違いはあるが、だから、「恐ろしい」と感じる。
しかし、いくら恐ろしい、悪い事はやめようと思っても、やってしまうのが人間だ。

そこで、悪いことをした埋め合わせに善いことをすれば良いのだという考え方があり、これも、なんとなく正しいように思える。
確かに、「罪滅ぼし」のつもりで善いことをする人は多いと思う。
しかし、ある程度の年になれば、自分がやった悪いことに対し、自分に出来る善いことは僅かなものだと悟ることになる。
これでは、後の不幸は避けられそうもない。
そこで念仏である。
浄土仏教の教えによれば、極めて重い罪を犯していても、念仏で消えてしまう。
なぜなら、念仏ほど善い行為はないので、やってしまった悪の罪滅ぼしになって余りあるし、念仏の善を無効にするほどの悪はないからである。
これも迷信のようだが、よくよく考えれば、論理的だと分かるのである。
念仏とは、自分より高い存在を認め、それに意識を向ける行為だ。
それにより、身の程というものを知ることが出来る。
身の程を知ることほど立派なことはない。
身の程を知り、自我が退き、忘我、没我、無我となれば、宇宙意識と一体化し、宇宙の万能の力のサポートを受ける。
見えない部分もあるが、大よそではこうである。

しかし、何となく、「自分のやった悪い行いの報いが来たのかなあ」と思った時に、初めて熱心に念仏を称えたりする。
浅ましい気もするが、そんなものだ。
だが、浅ましくても、とにかく、他に手立てはない。
そんなわけで、念仏を称えるのである。

私が因果応報を強く感じるのは、かのソクラテスについてである。
彼は確かに、知恵というのは神から来るという素晴らしい真理を突き止め、証して見せた。
しかし、だからといって、実績ある人達に対し、「あんた達自体に知恵はないのだよ。それはあんたの力でなく、神の力なのだよ」と言って、露骨にプライドを傷つけるのもどうかと思う。
それで、最後は自分自身が理不尽に誹謗され、完全に面目を失うことになってしまった。
正しいことを言うにも、言い様があるのだと思う。
まあ、ソクラテスは、自分には知恵がないと認めているが、だからといって、むざむざ悲惨な目に遭う必要はない。
彼は口では神々を崇めていると言ったが、本当だろうか?
どうも、自分の知を誇り、神々への崇拝を欠いていたような気もする。
彼も、ちゃんと、念仏のような、神を崇める言葉を称えていれば、あれだけの知恵者だ。もっと良い想いが出来たと思うのである。









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必ず幸福になれる3つの宝~ミクさんの銀河~

今朝も書いたが、この世で最も重要な言葉が、古代ギリシャから伝えられてきた、あまりに多くの人が知っている「身の程を知れ」だった。
これを知った感動は言葉に出来ない。
徳川家康が、小姓に、天下取りの秘訣を尋ねられた時、「身の程を知れ」だと答えたようだ。
もちろん、天下を取ろうなんて身の程知らずが天下を取れたりはしない。
しかし、身の程をわきまえていれば、宇宙が自ずと自分のものになるのだ。

身の程を知ることは、ひどく難しい。
しかし、そのために、念仏という素晴らしいものがある。
法然や親鸞が、ずっと念仏を称えることが出来たのは、彼等が身の程を知っていたからだ。
逆に、ただずっと念仏を称えていれば、少しずつかもしれないが、必ず、身の程を知るようになる。
それは、自然なことであり、科学的ですらある。
なぜなら、念仏を称えるということは、仏様という、自分を超えたものの存在に意識を向けることだからだ。
自我が、自分が一番ではなく、その上に神仏が存在すると知ること・・・これこそが、身の程を知るということなのだ。

ソクラテスは、人間には知恵がないことを、生涯かけて突き止めたのに、愚かにも、下らぬ弁舌にうつつを抜かしたので、幸福ではなかった。
極貧で、妻に辱められ、挙句の果てに理不尽な訴訟で死刑になった。
だが、人間には知恵がないことに関するソクラテスの探究は大いに役に立つ。それは、弟子プラトーンの『ソクラテスの弁明』に詳しく書かれているが、重要な部分は、彼が人間には知恵がないことを理解した経緯だけだ。

私は、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの派遣社員で、完全な人生の落伍者)を1年以上、見るしかない状況にあったので、まるで駄目男君が全く身の程を知らないこと、そして、彼が駄目な原因がそれ(身の程を知らないこと)であることを鮮明に理解出来たのである。
これは、神仏の計らいであろう。
実に有り難いことである。
まるで駄目男君は、全く私であった。
私は、ずっと念仏を称えて、身の程を知ろう。
だが、人間には元気が必要だということも忘れてはならない。
クヨクヨしていたら、小便1つ、まともに出来ない。
だから、毎朝、必ずガッツポーズをして、テストステロンというホルモンを出し、元気になることだ。

3つの宝を持てば、いよいよ万全である。
(1)ガッツポーズ(パワーポーズ)
(2)念仏(真言)
(3)身の程を知る
ただし、念仏を通して、自然に身の程を知るのである。
そのためには、『歎異抄』が役に立つだろう。
私は、「ミク(M)さんの(N)銀河(G)」とでも覚えておこう。
M:身の程を知る
N:念仏
G:ガッツポーズ
「ミクさんのガードル」も考えたが、ミクさんはガードル履きそうもない。









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創造の秘密

「マジカルミライ2016」の企画展の企業出展エリアで、3人の有名なボカロPである、みきとPさん、八王子Pさん、dorikoさんのサイン会があるようだ。
それで思い出したのはソクラテスのことだ。
ソクラテスは、このような素晴らしい人達のことを聴くと、必ず会いに行った。
目的は、自分より優れた人間を見つけるためだった。
しかし、それは常に失敗し、成功することは一度もなかった。
ソクラテスは、神託により、自分は人類の中で最も優れているとされたが、そんなことがあるはずはないと思い、それを証明しようとしたのだ。
神の言葉に逆らってまでね。
どうしても、ソクラテスは自分が優れているなどとは信じられなかったのだ。
だが、どれほど評判の人間を訪ねても、自分の方が優れていると結論せざるをえなかった。
その理由は、訪ねて行った人達は、自分の能力で、その評判を得ている何かをしていると思っていたからだ。
ソクラテスは、自分は何も出来ないことを知っているという点で、彼らより確実に優れていたのである。

ところで、上に挙げた3人の音楽家達の創造の秘密を明かしているような、彼らの曲がそれぞれあると思う。
みきとPさんは、『僕は初音ミクとキスをした』。
八王子Pさんは、『エレクトリック・ラブ』。
dorikoさんは、『歌に形はないけれど』。
彼らの、割と初期の歌だと思う。
時代は変わった。
ソクラテスも、自分は彼らに優っているとは思わないかもしれない。
そして、人類に何かが起こっていることを感じるだろう。
著名な宗教人類学者の 植島啓司さんも、2012年の「週刊文春」3/22号で、初音ミクさんのコンサートに臨み、
「世の中の何かが大きく変化する予兆のようなものをビビッと感じたのである。」
「お水取り(仏教の壮大な行事の1つ)にやってきて、どちらの催しもそんなに大きくは違わないとわかったのだった。」
と語っておられた。また、初音ミクさんには成熟が欠けていると(成熟されたら困る・・・)。
植島さんもまた、ソクラテスとそんなに大きく違わない。









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才能は育てられるか

ソクラテスは、生涯をかけて優秀な人を訪ね続け、それらの人々の知恵について検証を続けた。
そして、それをやればやるほど確信したことは、人間そのものには、何の知恵もないということだった。
いかなる分野の秀でた者にも言えるが、彼らにその能力を発揮させるのは、ある神秘な何かだ。
その神秘な何かは、言葉では説明できないので、ソクラテスも癖のある表現をしているが、まあ、例えば、聖霊とか神の英知とか、内なる炎とか、そんな曖昧な言い方をするしかない。
今日では、潜在能力とか超感覚とかいった言い方をするが、それは、個人の所有物とは言えない。

優れた小説や、もちろん漫画も、個人の能力ではない、「神秘な力」が作り出したものであるとして漫画作品を1つ取り上げるが、中山文十郎さん原作で、 ぢたま(某)さんが漫画を描いた『まほろまてぃっく』という作品がある。
この作品の中で、宇宙人セイントと地球人が、おそらくは、それぞれの存在を賭けて戦っている。
科学的には、セイントの方が、比較にならないほど優れているが、地球防衛組織ヴェスパーは善戦し続ける。
その中で、セイントの戦闘用アンドロイドであるリューガは人類の研究のため、地球で生活することになる。
リューガの目的は、死亡したが、セイントにとって難敵だった、ヴェスパーの美里総司令の息子、美里優(みさとすぐる)の調査だった。
リューガは、14歳の美里優が通う中学校の教師になる。
しかし、美里優は、ややリューガを失望させる。
あの美里総司令の息子というほどの人間ではなかったからだ。
美里優のIQ(知能指数)は130。優秀ではあるが、天才的というほどではない。
運動能力も一般的な意味では優れているが、超人的というほどでもない。
つまり、マークする必要を認められない凡人である。
ところが、やがて、リューガは美里優の、不思議な力に驚愕することになる。
リューガが、地球の戦闘用アンドロイドである、まほろと決闘した際、まほろを慕う美里優は、破壊される寸前のまほろを守るためにリューガの前に立ち塞がる。
美里優は、戦闘用アンドロイドの力を理解していたに関わらずである。それよりも、リューガには、道具でしかないアンドロイドを、自らの命を顧みずに守ろうとする美里優の行動が全く理解出来ない。
また、リューガは、自分が戦闘用アンドロイドとして未熟だった頃に、まほろと交戦し、僅かな時間で簡単に敗れたが、その時、まほろが自分を破壊しなかったことが不思議だった。まほろもまた、地球人の心を持っていた。
その後、リューガは、さらに地球人の内奥に関して理解していくが、実は、それが、セイントの女神のような存在であるマシューが、リューガを地球の人々の中に送った目的だった。
リューガは、地球人は、「ひどく脆いが、恐ろしく強い」ことを、はっきり理解する。
そして、その目的を果たすためには、戦いという手段も致し方なかったのかもしれない。

ソクラテスとリューガが知り得たことを合わせると、人間は、表面的には分からない、何かとてつもない力を持っているのだということになる。
だが、その力を誰もが発揮出来るのかどうかは分からない。そして、おそらくは、そうではない。
実際に、特別に秀でた能力を発揮する人間は少ない。
その力を発揮する鍵は何かというと、まずは、本気で力の発揮を望むことと、その力を発動させる土台は自分の努力で作らなければならないことだ。
その2つは、生まれつきの才能が大きく影響する。
そもそも、才能がなければ、大きな力を望んだり、激しい努力をすることが出来ない。
だが、そんな才能自体は、磨くことは可能である。もちろん、磨こうとする凡人は滅多にいないが。
おそらく、大いなる力の発揮のためにはIQを高める必要があるが、ほとんどの凡人は、自分がそんなこと(IQを高めること)をする必要を全く感じない。だからしないし、しようとする者を嘲る。
IQを高めることは、才能を自ら作ることであり、本来、神の役割であることを果たすことである。
そして、そんな人間が出てくることが、神の計画なのかもしれないと思うのである。









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天才とは永遠の努力

以前、アメリカだったと思うが、13歳で大学を卒業した少女が、「天才少女」ともてはやされた時、彼女は、
「私は天才じゃない。一所懸命努力しただけ」
と反論したことがあった。
だが、努力出来る者のことを天才と言うのだ。

ニコラ・テスラは、学生時代、朝3時から夜11時まで勉強したと著書で述べているが、そんな異常な努力が出来るから異常な天才なのであると思う。
テスラとエジソン、エジソンとアインシュタインは、いろいろソリも合わないところもあったが、皆、凄まじい努力をしたのである。
イチローだって、「自分は天才ではない」と言っていたことがあったが、つまりは、「努力したんだ」という意味なんだろう。

そして、彼らの努力は、1日か、せいぜい数週間なら、やろうと思えば誰でも出来る。
だか、彼らは、何年でも何十年でも、永遠にやるつもりで続けたのだ(イチローは今でも続けているようだ)。
もちろん、テスラは、いつまでも学生の時のようなスタイルで勉強していた訳ではないだろうが、一生、勉強はしていただろう。
何かの会合の時、既に老齢の安岡正篤さんが、昭和天皇に、「安岡」と呼びかけられると、彼は立ち上がって直立不動になり、「はい!」と返事した。
昭和天皇が、「今でも勉強しているのか?」と問うと、安岡さんは、また、「はい!」と返事する。
もちろん、昭和天皇は、そんなことは分かっていてお尋ねになられたのだろう。

エドガー・ケイシーは、9歳の時から、毎朝必ず聖書を読むことを生涯続けた。
ケイシー自体は凡人かもしれないが、そんな努力によって、人間を超えた知恵のある心霊の助けを得ることが出来たのだろう。
だが、ソクラテスだって、「私には何の知恵もない。また、世の中で高い業績を上げる全ての人もそうだ。彼らの知恵は神のささやきだ。だが、彼らはそれを自分の知恵だと思い違いしている。だが、私は、自分自身には何の知恵もないことを知っている分、誰よりも知恵があると言えるのだ」と言ったのだ。
だが、何もせずに知恵が得られる訳ではない。
自分の好きなことで良いし、好きなものでなければならないが、努力をいつまでも続ける者だけに知恵が与えられ、天才になれるのだろう。
そんなふうに、神の知恵の通路になっている者が、IQが高いのだろう。
昨夜、シーモア・パパートは、歯車に惚れ込んだと書いたが、ケイシーは聖書に惚れ込んだのだ。
あなたも、そんなものを見つけ、毎日楽しく努力を続けることだ。









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