ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ソクラテス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人間の中で最も知恵がある者

ソクラテス、プラトン、アリストテレスの関係が分かるだろうか?
昔、私は、ある社長さんに、「今の女子大生は、信長、秀吉、家康の順番を知らない」と言われ、「まさか!」と思い、立派な短大を出て入社してきた女の子に尋ねてみたら、本当に知らなくて絶句したことがある(笑)。
まして、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの順番も知るまいと思った。
プラトンはソクラテスの弟子で、アリストテレスはプラトンの弟子だ。
まあ、別に、知ってても偉くはないが・・・

で、ソクラテスである。
彼は、アテナイ(今のアテネ)の人達に、「最も知恵がある人間は自分だ」と言ったと言われていた。
本当だった(笑)。
それで、当然ながら、傲慢だと非難された。
もちろん、馬鹿がそう言っても、単に馬鹿にされるだけだが、ソクラテスほどの者がそう言うと、それなりに当たっているだけに非難されるのである。
ところが、ソクラテスは、「私には知恵はない」とも言っているのだ。

こういうことだった。
ある高貴な巫女がソクラテスに、「あなたは人間の中で最も知恵がある」と言った。
私なら、「おお!やはり!」と思うかもしれないが(笑)、ソクラテスは、「そんなはずはない」と困惑した。
当時の巫女の超能力は凄いものだったから、ソクラテスは「そんな馬鹿な」と驚いてしまったのだ。ソクラテスは、そのくらい謙虚だった。
だが、高貴な巫女の神託に逆らうことは出来ない時代だったので、ソクラテスは、とりあえず、自分より知恵のある人を1人でも見つけ、巫女に、その神託の真意を問おうとしたのだ。
そこで、誉れ高い知恵者達・・・詭弁家、作家、芸術家、技術者などを、片っ端から訪ねた。
すると、おかしなことになった。
自分より知恵のある人間が、どうしても見つからないのだ。
ソクラテスが、それらの人達に知恵があるかどうかを判定した方法は、彼らが、自分の能力をどう思っているかだった。
皆、その高い能力を、自分が身に付けた自分のものだと思っていた。
だが、ソクラテスには、そうではないことが分かっていた。
彼らの能力は、彼らの霊から来ている。今でいう潜在意識だ。
彼ら自体には、何の能力もなかった。
そして、ソクラテスは、自分についても、そのことを理解していた。
だが、ソクラテスのように理解している者は1人もいなかったのだ。
それを分かっているというだけで・・・つまり、自分には何の能力もないと分かっているだけで、ソクラテスは、自分は誰よりも知恵があると確信した。それだけのことだった。

確かに、世間で評判の知恵者達も、その能力が霊(潜在意識)から来ていることを自分では気付かなくても、確かに有能だった。
しかし、ソクラテスのように、2500年経っても崇拝されるほどではない。

ソクラテスの態度は、UFO研究家の矢追純一さんが、「僕は頭が悪いから考えることを諦めた」と言ったのと同じだと思う。
そうやって、潜在意識にまかせれば(矢追さんは「大きな流れに乗れば」と表現したが)、引き寄せがうまくいくのだと思う。
まあ、ソクラテスは、「貧乏だった」「悪妻に苦しんだ」と言われ、最後はご存じのように死刑になったのだが、働きもせずに元気で長命だったし、優秀な弟子達だけでなく、ファンは大勢いて、町を歩けば、ファンの行列が出来るほどだった。
ただ、彼は論争好きで余計な頭を使い、人を憎むこともあり、争いもしたなど、当時の時代の影響もあったのだろうが、引き寄せに必要な気楽さがなかったかもしれない。
自分に知恵がないことを知りつつ、論争を止められなかったのだ。
その点、師の欠点に学んだプラトンも、その弟子のアリストテレスも豊かだった。
それに、ソクラテス自体も、先程も述べたが、当時としては、悪い人生ではなかったはずである。
我々も、自分の頭が大したことはないことを悟り、潜在意識にまかせてしまうことで豊かで楽しい人生を送れるのであると思う。








無敵の考え方

世界中に多くの崇拝者がいるラマナ・マハルシ(1879~1950)は、「人間の唯一の目標は真我の実現」と言ったが、真我の実現とは、簡単に言えば「エゴを滅ぼし切った状態」であり、仏教で言う「悟り」である。
だが、マハルシは(釈迦も)言わなかったが、それは、「潜在意識の無限の力と一体化した状態」で、「不可能はない、神のような状態」と考えて良いと思う。
ただ、マハルシは、自身が現世利益に興味がなかったのか(これも確かだろう)、人々が欲望を持つことの弊害を考えてか、真我の実現がもたらす力の側面について語ったことは、ほぼないと思う。

マハルシの時代だって、人類は、差別や貧困といった多くの問題を抱えていて、それは、現代以上と思っている人も多いかもしれない。
だが、現代は、支配層以外の人間は奴隷か家畜のようなもので、それは悲惨な状態であり、全ての人類が、「真我実現、あるいは、潜在意識の無限の力との一体化」と遠く離れた状態である。
真我の実現(悟り)は、宗教的、あるいは、神秘主義的に語れば、非常に高度で、凡人には縁遠いもののように感じるが、それはとんでもない話で、それこそが、人間の当たり前の状態なのである。
だから、今すぐ、我々は真我を実現し、潜在意識の無限の力と一体化し、自由にならないといけない。

マハルシは、真我の実現には、2通りの道があり、向いている方でやれば良いと言った。
1つは「私は誰か?」と問い続ける方法であり、もう1つが、「神に人生全てを明け渡す」というものだが、これらのことを、やたら宗教的、神秘的に言う者が多いので、複雑怪奇になってしまっている。
「私は誰か?」と問えというのは、単に、心の中で絶えず「私は誰か?」と問えということであり、それ以外の何でもない。
ただ、この方法は、なかなか続かない。
ラマナ・マハルシと同時代の聖者であるニサルガダッタ・マハラジの弟子だったラメッシ・バルセカールも、このやり方は難しいと言い、もう一方のやり方を勧めている。
もう一方は、上で述べた通り「神に人生を明け渡す」であるが、これは、何とも難しいというか、曖昧な表現だ。
もう少し分かり易い賢者の表現では、荘子の「無為」、つまり、「全てをあるがままにまかせ、一切の作為をしない」と同じだ。
それは、最も単純に言えば、「何も考えず、何もしない」ということで、実際的には、「想念を消す」ということだ。
ここで、よくある間違いが、「何も考えないこと、何もしないこと」を一生懸命やろうとすることだ。
そもそも、人間の頭は、「自動的」に、1分間に300もの言葉を発し、1日に数万回考えることが科学的に分かっているらしく、その影響か、眠っている時ですら、脳は思考的にも過大に活動しているらしい。現代人が眠っている時に見る夢が安らかなものではない原因も、そこにあるのかもしれない。

人間の思考というものは、自動的に起こるものであるが、人間は、それを「自分が考えている」と錯覚しているだけなのだ。
これを認めるかどうかが運命の分かれ目であるが、ほとんどの人が認めないし、認めたがらない。
また、この真理を訴えても、変な人扱いされるだけだ。
しかし、UFO研究などで有名な矢追純一さんが、真我実現につながる、実に上手い方法を提示しているのを見た。
それは、「自分は頭が悪いから、考えることを放棄した」である。
結果として、これは、「神に人生を明け渡す」を実現する。
実際、矢追さんは真我を実現したような人間だと思う。
それなら、最後の障害は、「自分は頭が良い」と思っている・・・それ以上に、思いたい人が多いことだ。
誰もが、自分の頭脳が優秀なことを願い、自分の頭が良いと他者に認められたいので、あらゆる方法でそれを主張するのだ。
それが、哀れなほど頭が悪いことであることに気付かない。
昔、東大生に「頭の良い人間を5人上げよ」というアンケートをしたら、大半の東大生が、アインシュタインなどの歴史上の天才と並べ、自分を上げたという。
人間とは、これほど愚かなものなのである。
ソクラテスが、「私は、自分には知恵がないことを知っている唯一の人間なので、他の誰よりも知恵がある」と言ったのが真実である。
しかし、それを誰も認めず、彼は死刑になった。
矢追さんが「人間はパソコンみたいなものだが、大した性能のパソコンじゃない」と言ったのが、実に素晴らしい表現だ。
だが、大した性能じゃないパソコンである我々は、自分の性能は大したものだと思っている、あるいは、思いたい。

「私は頭が悪いから考えるのをやめる」
これを「素で思う」つまり、「当たり前に思う」ことが出来れば無敵であるのだ。








呪文のすすめ

各自が、自分がしっくりとくる唱え言葉(呪文、神呪、真言、祓詞、言霊…等)を1つ持っていると良い、いや、この暗い世界では、持っておくべきと思う。
良い言葉で、自分が好きなものなら何でも良く、それを唱えることで潜在意識の扉が開き、宇宙エネルギーとのルートが通じるのだから、これを使わない手はない。
「ナムアミダブツ」「南無妙法蓮華経」「アマテラスオホミカミ」「トホカミエミタメ」「アジマリカン」「神様の奇跡が起こる」「アーメン」・・・自分が気に入れば何でも良い。

アメリカ人は、「オーマイガッド」とよく言うのだと思うが、これは普通「なんてこったい」みたいな意味だと思われている。
しかし、マイガッド(My God:わが神)なんて、素晴らしい真言であり、これを言うことで、確実に守られ、幸運を得ているのである。
日本にも、似た言葉に「南無三(なむさん)」がある。
私が子供の時に、度々、奇跡を起こした言葉だ。
「南無三」も、「オーマイガッド」と同じく、「なんてこったい」といった意味にとられているが、これは「南無三宝」の略で、3つの貴い宝に帰依します(頼ります)という意味だ。
3つの宝とは、一応は、仏、仏の教え、仏の教えを説く僧ということになっている。
しかし、3は世界中で神秘数とか完全数として扱われている。
3自体に意味があるのだ。
キリスト教では、「三位一体」として、「父(神)」「子(キリスト)」「聖霊」を貴いものとしている。
古代ギリシャでは、ゼウス、アテーナ、アポローン、あるいは、ゼウス、ヘーラー、アポローンの3神に祈るのだと、アリストテレスは述べられている。
ダンテの『神曲(本当のタイトルは「聖なる喜劇」)』は、神秘数3に徹底的にこだわって書かれている。序章の1歌に続き、地獄33歌、煉獄33話、天国33歌で、その全てが3行ずつで書かれている。
西洋では、初音ミクさんのミクが、日本語では39だと知ると非常に驚く。神秘数3と、これが3つ合わさった9で名前が構成されているからだ。

私は、三の意味を知らずに「南無三」と唱えたのが良かったのかもしれない。
意味を知らないということは、意味を制限せず、あらゆる意味になるからだ。
三位一体とも、ギリシアの神々とも、あるいは、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の3仏の意味にもなるからだ。

また、「ナム」自体に、「アーメン」や「オーム」にも通じる言葉の力があり、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音菩薩など、どれも強い力を持つ。
ものがよく分らない子供や、無知な者が「ナムナム」とだけ唱えても効力がある。
似た響きを持つ言葉であれば、本人が気に入っている限り力がある。
大日如来真言のアビラウンケンを「油売らんか」と覚えて唱えていたお婆さんの霊験は実に灼(あら)たかであったと言われている。
そもそも「アビラウンケン」自体が、本当は「アヴィラ、フーン、カーン」だ。
神、神様、御神、仏、仏様、御仏といった、どの言葉にも大きな力がある。
本当のところ、日本語の50音全てが神であり、霊力があると言われている。
合気道家で神道家の佐々木の将人さんによれば、「あー」だけで悪霊を祓い、問題が解決するのであるようだ。

「アマテラスオホミカミ」という、十言の神呪(とことのかじり)と呼ばれる神呪(しんじゅ)は、古事記の女神の名であるだけでなく、太陽神、根本神といった意味の他に、明かされていない意味もあり、その力は計り知れないと言う。

普段、何気なく出て来る言葉は速やかに作用する。
最初は、意識的に唱える必要があるかもしれないが、馴染んでくれば、何かの時にすっと出て来て、知らない間に問題が解決しているだろう。
なぜなら、人間は気付かず、何ごとも自分の力で解決していると己惚れているが、実際は、内なる何かが力を貸しているのである。
ここらの理屈は、ソクラテスが語り、『ソクラテスの弁明』に記されているが、それは、意味が分からないからということもあるが、無視されてしまってる。
実際は、人間は何も知らないし、何も出来ない。
ソクラテスが言った「私は自分に知恵がないことを知っているがゆえに、人類で最も知恵がある人間なのである」が真理である。
人間には出来ないことでも神に出来ないことはない。
その力に速やかに委ねる言葉に馴染んでおくと良い。








「世界=漫画」理論での願いの叶え方

ある老僧が、亡くなられる直前、昏睡状態で意識もなかったのに、不意にむくりと起き上がり、
「わが力にあらず」
と言ったという。
これは、一般的に考えれば、「私がいろいろなことが出来たのは皆さまのおかげです」ということであるが、少し違うようにも思う。
老僧が実際には、どんな意味で言ったのかは分からない。
しかし、2400年も昔に、ソクラテスが同じことを言っている。
「優れたことを成す者は、それを自分が成しているのだと思っている。しかし、そうではない」
では、誰が(あるいは何が)成しているのかというと、それはソクラテスにとっても明晰ではなかったと思うが、事を成す存在をダイモーン(神霊、精霊)と呼ぶことがある。

イチローのバッティングも、イーロン・マスクの事業も、彼らがやっているのではなく、ダイモーンがやっているということかもしれないが、これでは分かり難い。
そこで、より真相に近いことを分かり易く述べる。
この世は漫画のようなもので、人々は漫画の登場人物だ。
漫画の登場人物が、どれほどのことをしようが、それは、登場人物自らやっているのではなく、漫画の作者がそうさせているだけだ。
作者は、作品を制作中、それぞれの登場人物になりきって、考え、感じる。
登場人物になる切っている時の作者の心は、その登場人物らしさという制限を受ける。
作者は、熱心に登場人物になり切ると、登場人物として何かをしていると錯覚するが、実際に全ての物事を動かしているのは、全ての登場人物と、彼らがいる世界を完全に支配下に置いている作者たる自分である。
作者が、登場人物になり切るのを止め、作者の意識に戻る時、「この登場人物に本当に力があって事を成すのではなく、作者たる自分がそうさせているだけだ」と、はっきり自覚する。

さて、この世界という漫画を描く作者は、イチローやイーロン・マスクという登場人物達に、あのような大きなことをさせる時、どのようにストーリーを導くだろう?
まず、登場人物本人に願わせるだろう?
イチローなら「優れたバッターになりたい」とか、イーロン・マスクなら「人類を前に進めたい」とか。
松下幸之助がセミナーで、「これからの会社は、社内留保を持たないといけない」と言うと、受講者の1人が、「どうすれば社内留保を持てますか?」と質問したら、松下幸之助は、「社内留保が欲しいと願うことです」と言ったという通りで、願わずとも得られるものは、だいたいにおいて小さなもので、しっかりとしたものを得るには、まず、願わねばならない。
ただし、立派に願わないといけない。
この世という漫画の作者は、我々より優れており、我々が想像するよりずっと立派だ。
立派でない願いが叶うストーリーを作ることはないと考えるべきだろう。
もし、立派でない願いが叶ったとしても、後で悲惨を味あわされるだけである。








超大物を跪かせる少女

経験豊かな人間とか、生きた知識が多い物知りな人がいる。
一方、冒険的行動が少なければ、経験や生きた知識は少ない。
現代は、40代、50代以上でも、ほとんど就労したことがない引きこもりや、働いているとしても1つの会社にずっと勤めていて世間が狭い者が多いが、そんな者達も、経験や生きた知識が少ない。
当然だが、試験の点を取るためだけの知識が多い者は、本当に大切なことは何も知らない。

ところで、いかに経験豊かな者でも、全く未経験で見当もつかないことや、いかに物知りでも、全く知らずに恥をかくことはいくらでもある。
事業で大きな実績がある人は、経験や生きた知識が大きく、そういった人間的な厚みの点でも、人々から称賛され、畏敬の目で見られることもあるが、1人の人間が経験出来ることや、知ることが出来ることは、たかが知れている。
世界一級のビジネスマンや軍人、革命家も、ニートの引きこもりと大した違いはない。
老子、荘子の老荘思想(「タオイズム」と言うこともある)では、そのように考えるのだと思う。
『荘子』には、「生まれてすぐ死ぬ赤ん坊も、800歳生きたと言われる彭祖(ほうそ)という伝説の人物も同じである」とあり、さらに、「一本の指もまた天下である」と記されている。

『愛と誠』という古い漫画で、こんな興味深い場面があった。
座王与平(ざおうよへい)は、実業界も政界もヤクザ社会も影から操る超大物である。
また、与平は、若い時は、中国大陸で馬賊を率いていたと言い、拳銃を撃てば今でも百発百中の腕前という、どこまでも凄い人物で、貫禄も半端ではない。
ところが、与平は、なぜか、主人公の、高校1年生である早乙女愛に対し、まるで冴えないオッサンか、シャイでダサい大学生のように低姿勢で接する。
愛の父親も相当な大物であるが、与平は全く各違いと言えるほど上で、愛の父親に対しては与平は完全に見下した態度で接し、逆に、愛の父親は与平に対し、王様に対する家臣のようにビクビクしながら接していた。
それなのに、与平は、愛に対してはだらしないほど「負けている」。確かに愛は超がつく美少女であるが、別に、与平が若い子好みの好きものというわけでもない。
与平が愛に対し、慇懃(いんぎん。丁寧で礼儀正しい)である理由の1つは、与平の亡くなった内縁の妻が愛に似ている(ただし、目だけ。愛とは月とスッポンというほど大して美人でなかったと与平は言う)ことだが、それだけではあるまい。
愛に、年齢や経験を超えた深いものがあるからだ。
それで思うのだが、与平とて、自分が何でも知っていると己惚れているのではない。むしろ、自分はほとんど何も知らないと思ってるに違いない。だからこそ、超大物なのだ。

つまり、いかに経験豊かで知識が豊富であるとしても、「俺に分からないことはない」と思っているなら、大したことはないのである。
大事業家になれば、周りが持ち上げるので、ついつい己惚れてしまって、「世界には自分に分からないことが沢山ある」ことを忘れ、ただのモウロク爺さんになることが多いのはそのためである。
逆に、経験や知識が少なくても、自分が無知であることを本当に自覚していれば、若くても大物である。
それに対し、若い人で、天才的な能力があっても、(特に外見も良い場合にそうなるが)もてはやされてしまい、それで己惚れてしまえば、見苦しい雑魚に過ぎないだろう。
ソクラテスは「私が知っている唯一のことは、私が何も知らないということだ」と言ったらしいが、自然にそう思うなら、いかなる相手も恐れないだろう。
ここまでは指摘する者は多いが、では、どうすれば、そうなれるかを単純に言う者は少ない。
その方法は、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱えること。純粋な念仏もその1つ)である。
もし、早乙女愛のような者がいるとしたら、その者は、人間を超えた存在を感じているはずである。
それを無意識に行えるほどであれば、天使や菩薩のようなものであり、小説や漫画であれば、そのような人物を描くことも出来るが、実際には、ナーマスマラナを行うより他、そのようになるのは難しい。
ナーマスマラナは、ナーマ(名前)をスマラナ(心で唱える)というように、必ず、心の中で唱えなければならない。それも、丁寧に数多く。
声に出して唱えると、宗教に巻き込まれる恐れがあるし、他者の存在や反応により、成果が少ないか、逆に、負の影響を受けかねない。
心の中は宮殿のようなものだ。そこに静かに引きこもって、敬虔に神仏の名を唱えれば、神仏と親しく交わり、融合して一体となるのである。
「神と和らぎなさい。そうすれば平安を得るだろう」(旧約聖書、ヨブ記より)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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