ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ソクラテス

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

あらゆるスローガンが嘘くさい理由

X(旧ツイッター)で、「人間性の基礎」として、以下の4つをあげているツイートを見た。
・嘘をつかない
・他人に親切にする
・ルールを守る
・勉強をする

ところで、アメリカの偉大な作家カート・ヴォネガットは、この星(地球)のルールは1つで、それは、
「人に優しくする」
だと述べた。

どれも好ましいものであることは言うまでもない。
だが、これらを、掟、ルール、スローガン、理念とするのは間違いである。

まず、これらのことを標語のように言うのは、そこそこIQが高い(ざっくり116以上)人である。
そして、ある程度のIQ(ざっくり106以上)があれば、これらの道理をかなり理解出来る。
しかし、IQが低い人に、これらのことを守らせるには、嘘をついた時に殴り、不親切なことをしたら罰を与え、ルールを破ったら食事を与えないといったことをしなければ、現実的に身につかないのだ。
「勉強する」にいたっては、大袈裟に言えば、殺されたって従わないかもしれない。
まあ、現代の乱れた世の中では、やはり現実的に言って、IQが低い者には、このような体罰教育が必要と私は思う。
体罰と言って差し障りがあるなら、軍隊式とでも言おうか。

一方、IQが高い者は、これらの掟のようなものの合理性は理解出来る。
しかし、自分の都合で独特な解釈を作ったり、また、ルールを破れば(短期的にだが)得をすることを発見し、それを実行するのだ。

解決策はただ1つで、これが完全な解決策であるが、現在は、ほとんどの者が理解出来ない。
理解出来ない理由は、やはり洗脳されてしまっているからだろう。
結果、十分なIQを持たない者が多い(必ずしもIQテストの成績を指さないが、相関性はあると思う)。
だから、XなどのSNSでは言わないが、このことに限らず、あらゆる問題の解決策は、もちろん、思考を消すことである。
たとえば、矢追純一さんのように、「僕は頭が悪いから、考えることを放棄した」と決めれば、嘘はつかないし、相手の区別なく親切だし、必要なルールは守るし、必要な勉強ならする。
そして、これはなおさら理解出来ないことかもしれないが、思考を消せば不可能はない。
「私は、自分に知恵がないと知っている唯一の人間だから、誰よりも知恵がある」と言ったソクラテスや、荘子や黒住宗忠などは典型的なのだが、真の賢者でそう(考えないことが叡智と)言っていない者は皆無だ。そう言わないなら真の賢者ではない。

ケルトの森
AIアート435
「ケルトの森」
Kay


で、必要なことは、どうすれば「本当に」思考を消せるかであり、それをずっとここで書いているのである。
(尚、意識があるまま思考を消すことが必要で、眠ったり失神したりした状態は叡智ある状態ではない)








人間の面白くも意外な存在意義

ある著名な神道家が著書に、人間の存在理由について、「神様を褒め讃えるため」と書かれていた。
つまり、神様は褒め讃えて欲しいので、自分達を褒め讃えてくれる存在として人間を作ったという主張だ。
同意出来る人はそれで良いが、まあ、あまり納得出来ないのではないだろうか?
だが、「そういうふうに見える」という意味では、なかなかいい線をいっていると思う。

もし、人間がいなくても、宇宙や自然はこのようであるかと言えば、多くの人は「当たり前じゃないか」と言うだろう。
しかし、もし、人間がいなかったら、こんな素晴らしい宇宙や自然が存在することは、もったいないにもほどがある。
それで、詳しい話は飛ばすが、人間がいなければ宇宙は存在しないという論があり、科学的にもかなりの支持を得ている。
とりあえず、人間がいるから宇宙があるとする。
それなら、宇宙大自然を神様の現れとすれば、上の神道家の話は、一面的には正しいと言える。

神様が人間に褒め讃えて欲しいなら、人間にとって楽しい世界を作るはずだ。
そして、実際そうである。
しかし、人間は自分勝手に「あれが欲しい、これが欲しい」と考えるようになった。
だが、人間の頭なんてたかが知れているので、自分では素晴らしいと思っているものは実際は下らないものなのだ。
たとえば、お金とか、高級車とか、偉い身分とかだ。
だが、人間の足りない頭でどんどん考えるので、ますます下らないものが欲しくなり、本当に素晴らしいものが分からくなってしまった。
だから、『星の王子さま』でも、「本当に大切なものは目に見えない」なんて書かれることになってしまったのだ。
神様の方でも、人間に褒められるよう、ある程度のリクエストには応えるが、それに伴って世界は歪み、神様も、本当に良いものを見てくれないので、やる気をなくしてしまった(笑)。
今の世界が、そんな状態だ。
だから、人間が自分で何も考えず、本当に素晴らしいものが何か知っている神様にまかせれば、世界は良いものだらけになるのである。

寝る子
AIアート423
「寝る子」
Kay


深呼吸をしたり、他に良い方法があればそれで思考を消し、神様にまかせてしまえば幸福になれる。
江戸末期の神道家で、イエスにも匹敵する力を見せた黒住宗忠は、これを「まること(丸ごと)」の教えとして、神様に丸ごとまかせてしまうよう教えたのである。
矢追純一さんが「僕は頭が悪いので、考えることを放棄した」というのは、人間として最も賢い選択なのだと思う。
ソクラテスは「私は自分に知恵がないことを知っているが、それを知っているのは私だけだった。だから私は一番知恵がある」と言ったように、知恵のない頭で考えることをやめることが一番の知恵である。
そして、それによって神の知恵が現れ、望まずとも良いものをこれでもかと与えられ、楽しませてくれるのである。








洗脳されない秘儀

新聞やテレビのようなマスメディアが、嘘の情報と言うよりは、重要な情報を隠したり、見ている者に一方的な思い込みを持たせるような言い方・書き方をしていることを理解している人が増えて来ていると思う。
だが、「騙されない」「洗脳されない」人はまだまだ少ないし、マスメディア側もさらに洗脳力を上げているのではないかと思う。

分かり易い例で言えば、たとえば朝日新聞には、「トランプ前大統領は2020年の大統領選挙には不正があったという根拠のない主張を繰り返している」という記述がよくあるが、私は別に、トランプの主張に「根拠がある」と言いたいわけではない。
しかし、公平に言って「根拠のない」は記述不要であり、見ている者にトランプに対する悪印象を与える意図があることが分かる。
また、私はテレビは見ないが、YouTubeでも放送されるテレビ番組というものもある。そんな番組で、先日、オーストリアで開かれた国際原子力機関(IAEA)の年次総会に関する政治評論家などのパネルディスカッションを見たが、ここで福島第一原発のALPS処理水(汚染水と呼ぶ人もいる)の海洋放出に関して話されていた。
番組では、次のようなことが言われていた。
この総会で、科学技術担当大臣の高市早苗がALPS処理水の海洋放出の正当性を英語でスピーチし、それが多くの国に受け入れられた。対して、このスピーチに中国は中国語で反論したが、その反論は他国にほとんど認められずに中国が孤立したという。
こういった内容を巧妙に話すので、私はうっかり、ALPS処理水の海洋放出は正しいことであると信じそうになったくらいである。これはちょっと恐ろしかった。
私は別に、ALPS処理水の海洋放出は悪いことであると言いたいのではなく、それぞれ一流の専門家の間でも見解が異なっており、どちらが正しいとも言えないと言いたいだけである。
私は、このような問題に関し、堀江貴文氏や上念司氏のような専門家でない人の主張は無視というのではないが、参考程度にしか聞かない。
また、真摯に取材をしたジャーナリストの情報は、堀江氏らの発言よりはずっと重要視するが、それでも、やはり科学技術の専門家ほどには重く見ない。
そして、現場が分かる専門家にはALPS処理水の海洋放出にエビデンスを持って反対している人も多いのに、その声は一般の人にはなかなか届かない。

こういったことに対し、「自分で情報を集め、自分の頭で考えないといけない」と言う人がいるが、「私は自分で情報を集めている」「私は自分の頭で考えている」と言う者は、別の者達に洗脳され易いのである。
では、どんな態度が正しいのかを言えば、学校やテレビで洗脳された者は笑うのである。
一応、正しい態度を言えば、J・クリシュナムルティのように「私は何も信じない」や、矢追純一氏のような「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」である。
荘子も「思慮分別を捨てろ」と言っている。
で、その根拠は一重に、人間の頭なんて全然大したことがないということである。
それをソクラテスは「私は自分に知恵がないことを知っている」と言ったのである。
だが、「何も考えない」とか「何も信じない」と思っていると、かえっておかしな方に行ってしまい、中道に立てないものである。
「私はトランプがロクでもない人間だという報道を信じない」と思ったら、トランプの言うことやることは全部良いと思い込みやすいようなものである。
別に、トランプだって悪いことをしていると言っているのではない。単に、「分からない」と言っているだけである。
どうすれば正しい態度でいられるかと言ったら、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、主人公の紋次郎がよく言う、
「別に疑ってやしません。ただ信じもしません」
であると思う。

ウクライナ戦争に関するマスメディアの一方的主張である、「原因はプーチンの野望である」も、「別に疑うわけではないが信じもしない」と受け取れば良いし、その反論である「問題はウクライナ側にあり、プーチンには正当性がある」と言うのも、「別に疑うわけではないが信じもしない」と受け取れば良いのである。
そうすれば、いずれ正しい答が訪れる。
「あなたを愛しています」と言ってくる者に対しても同じである。
映画やアニメで「俺を信じるか?」「はい、信じます」という場面が多いが、あれも問題があるかもしれない。
『ギルティクラウン』というアニメで、悪役の男が、主人公の少年に、
「1つアドバイスをあげましょう。自分を信じろと言う者を信じてはいけません」
と言ったのを印象深く憶えていて、良い面もあるアドバイスと思うが、全然足りない。
信じてはいけないが、疑う必要もないのである。
この悪役が「信じてはいけない人」と想定していた人物は、信じて良い部分も確かにあったが、信じてはいけない部分もあったのである。
『木枯らし紋次郎』は、大衆娯楽小説であるが、自己啓発書はもちろんだが、思想書・哲学書すら全く及ばない傑作と個人的には思う。
著者の笹沢佐保氏は只者ではないと思う。

森の中で
AIアート414
「森の中で」
Kay


デカルトは『方法序説』の中で「疑いようもなく正しい場合を除き、全て間違いと即座に決める」と言い、疑いようもなく正しいものはただ1つ、「自分が疑っていること」だけであると発見する。
デカルトや『方法序説』の全てが正しいわけではないが、このソクラテス的とも言える態度は正しいと思う。
しかし、木枯らし紋次郎の方が分かり易い。








その悪い頭で考えてどうなるのか?

世の中では、「自分の頭で考えろ!」「自分の頭で考えられる人になれ」「自分の頭で考える人に育てないといけない」「一番大事なことは自分の頭で考えることだ」などということが、とても立派なことであるように言われる。
だが、私は言いたい。
「その貧弱な頭で考えてどうなるんだい?」
どんぐりの背比べに何の意味があるだろう?
人間の世界のIQテストは、どんぐりの大きさの差を示すだけだ。
そんなIQテストで計れるものを「知」と言うなら、本物のIQは、荘子の言い方を借りれば「明」と言う。
それは、人間が考える知とは全く別次元の高度な知性である。

人間の知性について、矢追純一さんが、パソコンを使ってうまく述べておられた。
人間の頭脳は、たとえて言えば、大して性能が高くないパソコンだ。
それで考えたって、大したことないというか、本当につまらないことしか考えられない。
だが、パソコンをネットワークに接続し、超高性能なスーパーコンピューターに接続して、そのスーパーコンピューターに依頼すれば、パソコンの何千倍もの能力で思考してくれるのである。
宇宙のスーパーコンピューターは、我々の頭脳の数千倍なんてレベルではないはずだ。
適当なことを言えば、人類最高の頭脳・・・たとえばIQ300の天才といったところで、宇宙のスーパーコンピューターから見れば極めて卑小な知性であるに違いない。
だから、わずかでも宇宙のスーパーコンピューターにつながれば、実質、IQは1000にも2000にもなる。
矢追純一さんは、「僕は頭が悪いから、ずっと前に考えることを放棄した」と言うが、この「自分の頭が悪い」ことを悟っていた人類最高の賢者がソクラテスだった。
彼は「私は自分には知恵がないことを知っている。だが、それを知っている人間は他にいなかった。だから私は人間の中では一番知恵がある」と言ったのであるが、誰も彼の言葉を理解出来ず、彼は不敬の罪で死刑になった。

禁断のシュリンクス
AIアート298
「禁断のシュリンクス」
Kay


自分の思考とか、自分の頭で考えることに何の意味もないことが分かれば、思考は消える。
だが、我々は、深呼吸の力を借りなければ、なかなか思考を消せない。
それと、これも「スーパーラーニング」の技術であるが、延々とした繰り返しが思考を消し、偉大な知性につながることが分かっている。
だから、ここでいつもご紹介する「4の呼吸」「よかった・ありがとうの呼吸」「ナ・ダームの呼吸」などの、呼吸法をやり、また、腕振り運動や足踏み四股を延々と行うことで、本当に賢くなり、本当に高いIQを得られることが分かるのである。








ニュートン・ロマン

今朝はソクラテスの思想を示すと言われる「無知の知」「私は自分が何も知らないということだけを知っている」という言葉に関し、決して、
「自分は無知だからもっと勉強しないといけない」
とか、
「ソクラテスでさえ何も知らないというなら、私はもっとずっと知らないのだから謙虚にならねば」
という意味に受け取ってはならないと書いた。

これらの言葉は、荘子の言う「知の限界を知る」ということで、しかも、人間の知なんて卑小で、その限界などとても低いと荘子は言っているのである。
ソクラテスもまた、いくら賢人と褒められても、たかが人間である自分の知恵など他愛ないもので、本当の知恵は内なる神の霊から来るのだと言った。
これは全く正しいと思う。

ニュートンや、あるいは、デカルトも同じ考え方だったのだ。
有名なニュートンの「浜辺の子供」の話をご存じかもしれない。
うろ憶えだが、ニュートンはこんなことを述べていた。
「私は砂浜で遊ぶ子供だった。時折、きれいな貝殻や石ころを見つけて楽しんでいたが、目の前に横たわる真理の大海には全く手をつけられなかった」
ニュートンは傲慢な人間だった。
だが、そんなニュートンすら、一番と言われる科学者の自分でも、人間の知性はせいぜい、貝殻や石ころを拾い上げる程度なのだと言う。
まさに、ソクラテスの「無知の知」「何も知らないということしか知らない」、荘子の「人間の知の限界」を痛感していたのだ。
そして、実は、ニュートンは、ほとんどの時間を聖書の研究に注ぎ、数学や物理学はついでにやっていたようなものだった。
彼は、真理の大海に挑もうとしたのかもしれない。
しかし、それはバベルの塔を建てるようなものだったのだろう。

夏の暑さにも負けぬ
AIアート240
「夏の暑さにも負けぬ」
Kay


だが、思考を消せば、誰でも、神の霊と通じ、その知恵と力を現わすことに、ほとんどの人が気付いていない。
それどころか、現代人は、思考という神を崇拝し、心(思考)を魂(神)の上位に置くという愚かなことをしている。
このままでは、この世界は持ちこたえることは出来ないだろう。
だが、そうだとしても、思考を消した者には何の関係もないのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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