2人の人が1人に融合するというお話は古くからあるが、重要な意味がある。
昔の中国の話で、ある若者が1人の少女を愛するが、彼女の親に結婚を断られ、この地に居るのも嫌なので、遠くに行こうとすると、その少女が追ってきて、「連れて行って」と言うので、駆け落ちする。時が経ち、若者も出世したので、故郷に戻り、再度、少女の家に行って彼女の親に会い、結婚の許しを願った。しかし、少女の親は怪訝そうに、「あの子は、お前が出て行ってからずっと寝込んでいる」と言う。その時、少女が家の中に入ってくると、寝込んでいた少女が起き上がって出迎え、2人の少女は微笑み合うと1人になってしまった。
だいたい同じ話が、無門関という禅の公案の中の『倩女離魂(せいじょりこん)』だが、多分、伝承か何かのお話と思う。
『マジック・ストーリー』の中にも、ある貧しい男が、夢の中でもう1人の自分に会うが、目が覚めても、彼は身近にいて、奇妙な同居生活をすることになる。男は、ある日、勇気を出して、もう1人の自分に、「お前は誰か?」と訪ねると、彼は、「僕は君だ。神を手本に作られた者だ」と言う。そして、男は目覚めると、もう1人の自分はいなかったが、世界は変わっていた。2人は融合し、男が変わったので、世界も変わったのだろう。
あなたは、もう1人の自分を感じたことがあるだろうか?
私も以前はなかったが、「私は誰か?」という想い以外の想いを持たないようにしていれば、やがて、それがあることが分かった。
あるヨガの大家の日本人は、16歳の時、たまたま聖書の福音書を見せてもらって熱心に読んでいたら、部屋が暗くなった頃、キリストが現れたという。
ラマナ・マハルシの弟子は、解脱する前でも、クリシュナ(『バガヴァッド・ギーター』に登場する至高神)の姿を見ることがあった。
黒住宗忠は、天照大神と一体であることを感じていた。
もう1人の自分とは、キリスト、クリシュナ、天照大神と言えるかもしれない。
視聴者の大半は子供(女の子)だったはずなので、どう映ったのか興味があるが、アニメの『美少女戦士セーラームーンSuperS(スーパーズ)』で、セーラーマーキュリーである水野亜美の前に、セーラーマーキュリーが現れる。もう1人のマーキュリーは亜美に「私はあなた」と言う。2人は融合して一体化し、亜美は新しい自分に目覚める。当時見ていた子供達が、これを覚えていたら、良いことだと思う。
その原作漫画の『美少女戦士セーラームーン』で、幼い(6つか7つ)土萠(ともえ)ほたるは、ヴァイオリンを弾くと、子供達だけに見えるペガサスが現れた。彼女は、W.B.イェイツの詩を好み、特に『再来(再臨)』をよく暗誦していた。ある日、彼女の前に、彼女よりもっと年上の、立派な乙女といえる少女が現れ、「わたしは、あなたの中のねむれるあなた」と言う。そして、2人は融合する。もう1人の彼女はセーラーサターンで、ほたるは、セーラーサターンとして覚醒した。ほたるにとっては、イェイツの詩がトリガーとなったようだ。
ソクラテスによると、およそ傑作というのは、作家本人が書いたものではなく、内なる英知が運ばれてきてもので、その英知を伝えるものを、ソクラテスはダイモーンと呼んだ。セーラームーンというのも、そんな作品だったのだろう。だから、世界的にヒットするまでになったのだ。作者の武内直子さんにとっても、イェイツの詩が作用したのかもしれない。
我々は、自分の中の偉大な存在である自分自身を知らなければならない。
それは無駄な会話などしないし、苦しい時になぐさめてくれるようなものでもない。
いかなる時にも超然とし、その心を推し量ることは出来ない。無念無想なのかというとそうなのだが、だからこそ、愛そのものであり英知そのものである。
上に述べた人たちのように、目で見ることもあるかもしれないが、必ずしもそうではない。普通の人では、目で見ると恐ろしくて耐えられないだろう。世間の意味でいう「優しい」者ではない。しかし、限りなく優しいのだ。
その存在を知れば、それと一体になろうと思うようになるだろう。
その存在と一体となることを、正しく統一というのである。
1秒間でも無念無想になるようにすれば、その存在を感じるようになるだろう。
あるいは、私がやったように、ラマナ・マハルシの教えるように、「私は誰か?」と問い続けるのが良いと思う。
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昔の中国の話で、ある若者が1人の少女を愛するが、彼女の親に結婚を断られ、この地に居るのも嫌なので、遠くに行こうとすると、その少女が追ってきて、「連れて行って」と言うので、駆け落ちする。時が経ち、若者も出世したので、故郷に戻り、再度、少女の家に行って彼女の親に会い、結婚の許しを願った。しかし、少女の親は怪訝そうに、「あの子は、お前が出て行ってからずっと寝込んでいる」と言う。その時、少女が家の中に入ってくると、寝込んでいた少女が起き上がって出迎え、2人の少女は微笑み合うと1人になってしまった。
だいたい同じ話が、無門関という禅の公案の中の『倩女離魂(せいじょりこん)』だが、多分、伝承か何かのお話と思う。
『マジック・ストーリー』の中にも、ある貧しい男が、夢の中でもう1人の自分に会うが、目が覚めても、彼は身近にいて、奇妙な同居生活をすることになる。男は、ある日、勇気を出して、もう1人の自分に、「お前は誰か?」と訪ねると、彼は、「僕は君だ。神を手本に作られた者だ」と言う。そして、男は目覚めると、もう1人の自分はいなかったが、世界は変わっていた。2人は融合し、男が変わったので、世界も変わったのだろう。
あなたは、もう1人の自分を感じたことがあるだろうか?
私も以前はなかったが、「私は誰か?」という想い以外の想いを持たないようにしていれば、やがて、それがあることが分かった。
あるヨガの大家の日本人は、16歳の時、たまたま聖書の福音書を見せてもらって熱心に読んでいたら、部屋が暗くなった頃、キリストが現れたという。
ラマナ・マハルシの弟子は、解脱する前でも、クリシュナ(『バガヴァッド・ギーター』に登場する至高神)の姿を見ることがあった。
黒住宗忠は、天照大神と一体であることを感じていた。
もう1人の自分とは、キリスト、クリシュナ、天照大神と言えるかもしれない。
視聴者の大半は子供(女の子)だったはずなので、どう映ったのか興味があるが、アニメの『美少女戦士セーラームーンSuperS(スーパーズ)』で、セーラーマーキュリーである水野亜美の前に、セーラーマーキュリーが現れる。もう1人のマーキュリーは亜美に「私はあなた」と言う。2人は融合して一体化し、亜美は新しい自分に目覚める。当時見ていた子供達が、これを覚えていたら、良いことだと思う。
その原作漫画の『美少女戦士セーラームーン』で、幼い(6つか7つ)土萠(ともえ)ほたるは、ヴァイオリンを弾くと、子供達だけに見えるペガサスが現れた。彼女は、W.B.イェイツの詩を好み、特に『再来(再臨)』をよく暗誦していた。ある日、彼女の前に、彼女よりもっと年上の、立派な乙女といえる少女が現れ、「わたしは、あなたの中のねむれるあなた」と言う。そして、2人は融合する。もう1人の彼女はセーラーサターンで、ほたるは、セーラーサターンとして覚醒した。ほたるにとっては、イェイツの詩がトリガーとなったようだ。
ソクラテスによると、およそ傑作というのは、作家本人が書いたものではなく、内なる英知が運ばれてきてもので、その英知を伝えるものを、ソクラテスはダイモーンと呼んだ。セーラームーンというのも、そんな作品だったのだろう。だから、世界的にヒットするまでになったのだ。作者の武内直子さんにとっても、イェイツの詩が作用したのかもしれない。
我々は、自分の中の偉大な存在である自分自身を知らなければならない。
それは無駄な会話などしないし、苦しい時になぐさめてくれるようなものでもない。
いかなる時にも超然とし、その心を推し量ることは出来ない。無念無想なのかというとそうなのだが、だからこそ、愛そのものであり英知そのものである。
上に述べた人たちのように、目で見ることもあるかもしれないが、必ずしもそうではない。普通の人では、目で見ると恐ろしくて耐えられないだろう。世間の意味でいう「優しい」者ではない。しかし、限りなく優しいのだ。
その存在を知れば、それと一体になろうと思うようになるだろう。
その存在と一体となることを、正しく統一というのである。
1秒間でも無念無想になるようにすれば、その存在を感じるようになるだろう。
あるいは、私がやったように、ラマナ・マハルシの教えるように、「私は誰か?」と問い続けるのが良いと思う。
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