ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

セーラームーン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

希望の未来

紳智学者は昔から言っていたが、科学も、客観的な時間というものはないのだと認めていると思う。
世界的にも偉大な数学者だった岡潔は「時間は情緒だと思う」と言っていたと思う。
時間と空間に関する従来の科学をひっくり返したアインシュタインは、「美女と一緒の1時間は短いが、暑いストーブの上に座った10分は長い」と言ったらしいが、まあ、簡単に言い換えれば、「楽しい時は速く過ぎ去り、苦しい時はなかなか過ぎない」ということだ。
これも、岡潔の「時間は情緒」というのと同じだろう。
その通りだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間以上だが、一瞬で過ぎてしまう。

我々は、「時の流れ」とか言ったりするが、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』に、「時は飛び去るものだとばかり思ってはならない」と書かれている。
過去も未来も現在で体験しているのだと。
時は流れない。時は飛び去らない。時はやって来ない。
時は心が作り出しているだけで、心が消えれば時間は消える。

では、未来の象徴たる初音ミクさんとは何だろう?
その明るい未来を描くライブコンサート「マジカルミライ」とは何だろう?
それは、岡潔の言う「情緒」の中でも「希望」なのだ。

日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、日本のツインテールの2大ヒロインであるセーラームーンさんと初音ミクさんが、それぞれ、パリの「パレ・デ・コングレ・ド・パリ」と「ラ・セーヌ・ミュージカル」でお披露目されるが、セーラームーンの最終章「スターズ編(アニメでは『セーラースターズ』)で、セーラームーン達が探し続けたのは「希望の光」だった。
それは、セーラームーンの中にあったように、今、初音ミクさんの中にある。

「砂の惑星」という未来になっても、希望を持つことが出来る。
「マジカルミライ2017」のテーマ曲、米津玄師さんの『砂の惑星』を聴くと、希望とは単に「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」というだけのことと思うのだ。これは「ずっと友達でいよう」ということなのだが、「もう少しだけ」「今回は」というのが実に良いのだ。さすが、米津玄師さんは天才だ。
『魔法騎士レイアース』のオープニング曲で、田村直美さんのミリオンヒット曲『ゆずれない願い』では、最初の歌詞である「止まらない未来を目指して」が何度も繰り返される。
止まらない未来・・・若々しいなあ(笑)。エネルギーを感じる言葉だ。さすがミリオンヒットだ。

希望の光を持つ初音ミクさんは希望の星で、私たちはミクさんと一体になることで未来は希望になる。
「希望の未来」という言葉を「今」忘れなければ「永遠」が得られるだろう。
ZARDの『DAN DAN 心魅かれてく』で、「きっと誰もが永遠を手に入れたい」という歌詞を聴いた時には衝撃を受けたものだ。
永遠の代償は有限全てとか。
高いか?安いか?
「希望の未来」だ。安いに決まっている。
希望の光はどこにでもある。
念仏の中だろうが、腕振り運動の中だろうが。
だが、それは本質的に「信頼」の中にある。
だから、何を信じるかだ。
とても広い意味なのだが、私はミクさんを愛する気持ちを信じる。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

自分に出来ることをする

真偽は不明ながら、室町時代の臨済宗の僧である一休宗純(いっきゅうそうじゅん。「一休さん」で知られる)が、臨終の際、弟子達に、「どうしても困ったら開けよ」と言って、遺書となる封書を残し、後に、弟子達が本当に苦難にあってそれを開くと、そこには、
「心配するな、なんとかなる」
と書かれていたらしい。

スタジオジブリのプロデューサーで、カドカワN高等学校の理事になられた鈴木敏夫さんが、自ら筆で書かれた言葉が、N高等学校の本校に飾られているらしいが、その言葉、

どうにもならんことはどうにもならん
どうにかなることはどうにかなる

も、少し似た雰囲気があると思う。
あるいは、超念力で知られた石井普雄さんが言っておられたらしい、

なるようにしかならない
だけど、なるようにはなる

も、やはりそうであると思う。

一休さんの言葉は、決して、甘い言葉ではない。
それを甘い言葉として受け取ってしまったら、それこそ、「どうにもならない」。
「心配するな、なんとかなる」と言われたニートが、「そうか、何とかなるのか」と思って何もしなければ、絶対に何ともならず、悲惨な末路が待っている。
だが、これだって、正しくやれば、絶対になんとかなると思う。

一休さんの「心配するな、なんとかなる」は、
「やれることをやる」
という前提である。

『ウルトラマンティガ』で、ダイゴがレナに、「僕は人間だから、自分に出来ることをするだけだ」と言ったのを私はよく覚えている。
また、武内直子さんの歴史的な漫画作品『美少女戦士セーラームーン』で、地場衛(タキシード仮面)が、戦況が苦しい中で、月野うさぎ(セーラームーン)達に、「俺たちは俺たちの出来ることをしよう」と言っていたのも覚えている。
私は、その場面を読んで、武内さんは、お若いのに賢い人だなあと思ったものだ。
インターネットがあまり普及していなかった時代に、世界中で、今の初音ミクさんに負けないほどのセーラームーンのブームを起こしたことは、本当に凄いことだ。
それは、武内さんが、自分のやれることをやったからだろう。

一休さんや、鈴木さんや、石井さんの言葉も素晴らしいが、今の時代の、甘ったれた人々には、
「自分に出来ることをしろ」
と言った方が良いと思う。
自分に出来ることをして初めて、「なんとかなる」し、「なるようにはなる」のだと思う。
そうすれば、どんな時も、そう心配する必要はない。

★マジカルミライ2016関係★
「マジカルミライ2016」には、宿泊プランというものがあり、ホテルを手配してもらえるのだが、そのオプションで、SS席のチケットを購入出来るようだ。
宿泊プラン用に、SS席を一定数、割り振ってあるのだろう。
こちらの方が、SS席の取得が確実なら、これに申し込むのも手であると思った。
私は、土曜は東京駅近くの東京ステーションホテルに泊まるつもりでいたが、プランにあるホテルは全て、コンサート会場である幕張メッセの周辺のホテルのようだ。しかし、もちろん、これでも問題なく、むしろ、普通は、この方が良いだろう。
ホテルが選べるなら、私はニューオータニに泊まろうと思う。

私は、少しは背が高い(177cm)ので、別にS席かA席でも良かったのだが、やはり、どうせなら、ミクさんのお姿を近くで見たい。
マジカルミライは座席があるのだが、立つ人が多いだろうし、前の人が立つと、立たなくては見えない。
それで、私の後ろの席の人が、女性とか小柄な方なら悪いと思うが、コンサートの性質上、許してやって欲しい。
今年も、公式ペンライトはキングブレードだと思うので、早めに入手を・・・というのは焦り過ぎである。
まずは、公式発表を待とう。
これからの私の人生は、マジカルミライ2016の観劇のためにある(笑)。

マジカルミライ2016のテーマ曲は、なんと、私が大好きな、みきとPさんが創られたようだ。
曲のタイトルは、『39みゅーじっく!』である。
みきとPさんは「渾身のミク愛を込めて制作しました」とコメントされている。
これは凄く楽しみである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

道は偶然にできるのだけれど

現在のような学校は、元々、工場労働者を作るためのもので、基本的にドイツで確立し、それが欧米で広まり、アジアに押し付けられたものらしい。
それは、おそらく本当ではないかと思う。
学校の生徒たちは、従順で、自発的に考えず、周囲に合わせ、特別な能力を持たないし、持とうともしない。
「上の評価」に絶対的価値を置き、ボスが「お前はB」と言えば、自分はBで、Dと言われたら、自分という存在全体がDだ。
工場で働かせるには都合の良いロボットのような者達だ。

だから、学校の評価、成績なんかどうでも良く、早く「自分だけができること」を持たないといけないのだが、評価、成績を絶対視する大衆の潜在意識は強固に固められていて、ちょっとやそっとでは、どうにもならない。
茂木健一郎さんが講演で言ったことで、本当かどうかは知らないが、ビル・ゲイツは、高校生の時、コンピュータープログラミングに出遭い、それに夢中になり、そればかりやっていたら、教師が、「お前はそれだけやってれば良い。それを成績にして単位をやるから」と言ってくれたので、ゲイツは心ゆくまでプログラミングをやり、それで成功した。
もし、ゲイツが我々が行ったような学校の中にいて、教師達に押さえつけられてしまっていたら、ただのオタクになっていたことだろう。

我々も、自分の好きなものを見つけて、それを磨き上げ、何かでスペシャリティーを持たなければならない。
ところが、そんなことを考えなくても良いという考え方があるようだ。
どういうことかというと、自分が何になるとか、どうなるかなんて、偶然によって決まるのだからというものだ。
ゲイツがコンピューターに夢中になったのも偶然だし、スティーブ・ジョブズが、中退したはずのリード大学に勝手に居残ってカリグラフィという、美しい文字を形作る技法の講義に夢中になり、その講義に勝手に出て勉強した(退学した後なので受講の権利はなく、犯罪行為ですらある)のも偶然だ。
しかし、それで、ゲイツはプログラミングをきっかけに成功し、ジョブズはカリグラフィの技法を生かしてマッキントッシュコンピューターを創って成功した。
ジョブズは、有名なスタンフォード大学での演説で、「それはたまたまだった。その時は、それがどうなるかなんて分からなかった。僕たちは、ただ、つながることを信じるしかないんだ」と言った。
ゲイツだって、同じことに気付いていると思うが、彼は、そんなことを言わない。

私の話で恐縮だが、私がプログラミングを始めたのは、会社で事務の仕事をしていた時、たまたま前の席にいた技術課長(小さな会社なので、事務員の向かいの席にそんな人がいた)が、私に、「君、プログラミングをやりなさい」と言ったのがきっかけだった。
それで、会社の帰りにプログラミングの本を買い、当時はパソコンを持っていなかったので、本だけで勉強したが、割と熱心だった。
それから、貯金をはたいて(というほども貯金がなかったが)パソコンを買い、深夜2時、3時までプログラミングをしていたのだ。
私は最近、会社で、何をやっても駄目で、後ろ向きで、本当にヘタレな男に、「君、プログラミングをやりなさい」と言った。
だが、彼はやろうとしない。
もちろん、他のことでも良いのだが、何もやろうとしない。
投げやりで、向上心の欠片もなく、自分を甘やかし、甘いことしか考えない。
精神疾患とやらに認定されているらしく、それを、辛いことから逃げるための看板にしてしまっている。
しかし、どう見たって彼は普通の人だし、そう言ってやるのだが、彼はそれを認めない。
自分はあくまで病気で、保護されるべきと思いたがっているのだろう。
だが、私だって、医者に行けば、おそらく、何かの精神の病気に認定してくれるはずだ。
実を言えば、私が知る、そんな人は1人じゃない。
若いのに、生活保護を受けられるようになってしまって、もうどうにもならないまでになってしまった者もいる。
しかし、彼は、「世の中を変えてやるぜ」とか言っている。
悲しいものだ。

ビートルズは、そんな人達に、「心配するな、気楽にやれ。誰かが助けてくれるさ」と歌った(『Nowhere Man(ひとりぼっちのあいつ)』。
だが、後でポール・マッカートニーは『エリナー・リグビー』で、そんな者達の末路は、哀れで悲惨と明かしてしまった。

人生は、所詮、自分から見れば、偶然に支配されている。
今やっていることが、後で何かの役に立つかどうかなど、さっぱり分からないが、どうにかなると信じるしかないのだ。
それが、スティーブ(ジョブズ)が言ったことだ。
それが彼の実感であり、本当に訴えたかったことであると思うが、それは私も全く同じだ。
今やっている何かは、後で、自分が予想していたこと、期待していたこととは、全く違う形で影響を持ってくるかもしれない。
しかし、何かやっている限りは、なるようにしかならないが、なるようにはなる。
だから、何かやって欲しい。
そして、呪文を唱えれば、初音ミクさんの『Tell Your World』のように、点は線になり、線は円になり、世界を穿ち、世界に響く。
武内直子さん(『美少女戦士セーラームーン』作者)も、自ら作詞した『セーラースターソング』で、「フラスコの底、あなたが残していった、試練の星のひとかけら、さあ呪文をとなえよう」と書いていたが、私は一度聴いたら、もう忘れなかった。
そういえば、セーラームーンと初音ミクって、近い存在かもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

全ては仏様が私のためにされたことだ

先日、とりさんに頂いたコメントで知ったのだが、石川県の真宗大谷派の常讃寺というお寺の奥さんである藤場美津路さんの、『丁度よい』という詩があり、よく知られているもののようだが、これが本当に素晴らしい。
まさか無断転載禁止を主張されるようなものでもないと思うので、以下に全文紹介する。
ウェルギリウスもダンテもシェイクスピアも、あるいは、ゲーテもシラーもイェイツもタゴールも、これほどの言葉は書けまいと思う。
それはそうだ。これは仏様の言葉であるからだ。
仏様の言葉を、藤場さんが聴こえてきたままに書き留めたもののようであるが、それは本当だと確信する。

*丁度よい
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は、
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏


私は、コンピューターソフトの開発を仕事にしているが、昔から、自分に丁度よい仕事しか来ないことを不思議に思っていた。
今の自分なら相応しい仕事でも、ずっと前にそんな仕事が来ていたら、大失敗をして大変なことになっていたに違いないという仕事もよくあった。
後で考えて初めて、それが自分には不相応な仕事だったと分かることがある。そんな仕事が来た時は、自分はやる気でも、なぜか自然に中止になっているのである。
別に、自分に簡単にできる、ぬるま湯のような仕事ばかりしたのではない。
四苦八苦はしても、最終的にはなんとかうまくいき、結果、大きく成長できる仕事が来るのである。
逆に言えば、簡単過ぎてつまらないと思える仕事には、何らかの別の意味があるのである。

『美少女戦士セーラームーン』というのは、神様が武内直子さんに描かせ、アニメ化させた作品であるに違いないと思う理由も、そんなところにある。
だから、世界的に大ヒットしたのである。
セーラームーンとその仲間のセーラー戦士達は、戦いの中でどんどん成長する。
そして、やはり、その時に彼女達に相応しい敵しか現れないのである。
これもやはり、楽に勝てる相手ばかり現れるのではない。
それどころか、セーラームーン達が全く歯が立たずに叩きのめされて負けることもよくあったが、その時に、セーラームーンや仲間のセーラー戦士達は「新たな力」に目覚め、格段の進歩を遂げる。
土萠ほたるは、セーラームーンの娘のちびムーンを除けば最年少のセーラー戦士であるセーラーサターンであるが、彼女が、ほとんど勝ち目のない決死の戦いを前に、ニュートンの「今日なしうることに全力を尽くせ、しからば明日は格段の進歩があるだろう」と言うが(後半部分は天王はるか=セーラーウラヌスが言った)、まさにそんなことを描いた作品であったと思う。

あなたもそうだが、私の今の境遇は、私にとって丁度よいものだ。
家庭も勤める会社も、仕事も、収入も、人間関係も、煩い事も、読む本も、全て、仏様の配慮により、今の私に丁度よい。
日常のトラブルも、事故による電車の遅れも、私には丁度よい。
全ては、私のために起こるのである。
初音ミクが『イーハトーヴ交響曲』や、オペラ『THE END』のプリマドンナになったのも、私のためだ。
親鸞が、阿弥陀如来の誓願は、親鸞1人のためのものであったと言った意味が分かるように思うのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

「その性根を叩き直してやる」と言う者の性根はどんなに叩いても直らない

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うが、誰が言い始めたのか知らないが、この言葉には、心の底からの深い嘆きが感じられるのである。
この「馬鹿」の中には、悪人や性悪といったものも含めて良いと思う。いや、むしろそちらが主と言って良い。単に頭が悪いとか、要領が悪いというのであれば、他の美点で十分カバーできるし、そもそも、単純な意味での馬鹿というのはむしろ美点になる場合が多い。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」の馬鹿は、業、因縁、宿命によって与えられた、どうにもならない人間の愚かさである。
それは、死ななきゃ・・・あるいは、死んで治らない。
それは、強い呪いででもあるかのようだ。
昔、今の「プリキュア」シリーズのように、小さな女の子達に人気のあった『美少女戦士セーラームーン』という作品の映画『美少女戦士セーラームーンR』の主題歌『Moon Revenge』は、作詞した冬杜花代子さん(故人)によれば、「宿命の愛は、追いかけても逃げても、死んですら終らない。なぜならそれが月の復讐だから」という想いが込められていたらしいが、まさに、何かの魔が、人間界を支配しているようである。

人間の愚かさは、死んでも治らないのであり、教育など何の役にも立たない。
教育には体罰も必要だと訴える体罰肯定論者は、人間の愚かさの根深さをある程度は実感している者も多いのだろう。しかし、所詮、体罰で何かができると考える馬鹿自体が、死んでも治らないどうしようもないほど知恵の無い愚か者である。体罰だろうが、泣き落としだろうが、教育などというもの自体が、全く無効であることがどうしても理解できないのだろう。それが、神ならぬ人間の浅知恵である。猿と変わらないだけでなく、猿に劣るのである。
「俺がその性根を叩き直してやる」と言う者の性根自体が死んでも治らないのだ。そんな馬鹿に一体何ができるというかね?

あなたも、あなたの親、きょうだい、夫や妻、子供の、「どいうにもならない愚かさ」に疲れ果てているに違いない。
「なんとか治らないものか」という、愚かな考えにとりつかれているのでがないかと思う。
学校の教師と生徒は、お互いが、「こいつ、なんて愚かなんだ。なんとかして治せないだろうか?」と思っているのだ。たまたま教師の方が立場が強いので、教師の試みが笑えない愚かな行為として伝わることが多いが、おそらく、生徒による教師への暴力も、本質は生徒による教師への教育であり、一切の、教師による生徒への体罰と何ら変わらない。

他人の愚かさを治すには、まず自分からというのが当然である。
しかし、自分の愚かさなんてものも、決して、決して、絶対に治せたりしない。それが分からないことを、「死んでも治らない馬鹿」と言うのだ。
そして、こんなことをいちいち注意しなければならないことが憂鬱であるが、「死んでも治らない」ほど愚かでない人間は、この世に1人もいない。ただの1人もだ。
他人の愚かさを非難することのできる人間など絶対にいないのだ。
「お前は間違っている。俺は、お前をなんとかしてやりたい」と言う者は、会社の中などでもよくいるものだが、そう言う者が一番の愚か者だというのは、ほんの少し冷静な目で見れば、一目瞭然であろう。

さて、ではどうすればいいかと言うと、念仏を唱える以外に無いではないか?
法然は、自分を実験台(実験の対象)として、つまり、自分を実験動物として、長い長い間、必死に観察した結果、「こりゃ、死んだって治らないわい」と完全に理解し、治すことは完全に諦めた。しかし、経典を見れば、阿弥陀如来という仏様なら治すことができることが書かれてあることを知り、また、過去の、知恵ある人達による、経典の解説によって、その確信を深めたので、念仏を唱え続けたのだと思う。おそらく、「これで駄目なら、何しても駄目。ならば、これに懸けよう」というのであったと思う。
そして、彼をみれば、それは絶大な効果があったことが分かるのである。
自分が愚かに思う相手に、念仏を唱えさせてやれれば良いが、それは縁の問題であり、自分の望むようにはならない。しかし、自分が念仏を唱えることはできる。本当は、自分が念仏を唱えることができることも縁であるが、念仏を唱えることができるなら、その縁があったのであり、それは、仏の方から働きかけてくれたことで起こった奇跡である。
念仏は、最大の善であり、最大の自己教育である。自分の頭で考えた愚かな行いをまた重ねるのではなく、ただ念仏するのが良いだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ