ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

スーフィー

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

駱駝をつなぐということ

宇宙全体を覆う意思というものは、おそらくあるのだろう。
それに気付いた人が、それを神と呼び、論理意的にそんなものが存在すると考えることが出来た人の中には、それを万能の宇宙コンピューターのように喩えた人もいる。
古来からの風習に従って神と呼ぶと、神の力は計り知れないながら、神は我々と離れたものではない。
むしろ、賢い人達は、神は手足よりも近い存在だと言った。
つまり、神と人間は一体である。
それは物理的関係で解釈することは出来ない。その理由は、人間の脳は、それを理解するには能力が足りないのだろう。

神と一体である我々に不可能はないが、単に神にまかせれば良い訳ではない。
いかにレベルの差があるとはいえ、人間は神のパートナーであり、パートナーである限りは、恩恵も与えられるが、責任もある。

仏教に、竹林の火事を消そうとした一羽のオウムの話がある。
竹林が火事になった時、長年棲家を与えてくれた竹林への恩と、竹林に棲む他の生き物達のため、オウムは池に飛び込み、身体を濡らして大火の上で羽ばたいて水をかけて、火を消そうとする。
オウムは来世までかかるとしても、やり抜く決意だった。
それを見て、神は手を貸すが、あくまで、オウムがパートナーに相応しいことをしたので、神は、年長の力あるパートナーとしての役割を果たしたのである。

このようなことを、スーフィー(イスラム教神秘主義)では、
「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
と、とても分かり易く言っている。

ジョセフ・マーフィーの『あなたも幸せになれる』(文庫版は『努力嫌いの成功法』)には、こんな話がある。
戦争中、部隊からはぐれた兵士は、部隊に戻る術がなかったが、彼は子供の時、森で迷ったことを思い出した。
少年だった彼は、森の中を歩いていたら、釣りをしている男に出会い、森から出る道を教えてもらうと、安心してそれに従い、森から出ることが出来た。
彼は、森から出られるのは当然という態度でいたのだ。
彼は、その時のことを思い出し、舞台に戻れて当然という態度で歩いていると、やがて部隊に出会い、親切に迎えられた。
彼がいかに神に祈っても、絶望してしゃがみ込んでいたら、野垂れ死にしていたかもしれない。
彼は、神を信用したが、駱駝はつないでおいた・・・つまり、顔を上げて歩くくらいのことはしたのだ。


恐れずに求めれば それは未来を変えるRevolution
こころKnock Knock Knock
不思議Trick Trick Trick
奇跡は起きる(Wow Wow)
Freely Tomorrow
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M。歌:初音ミク)より~


村上春樹さんは、作家になる前の若い時、1日原稿用紙10枚をノルマに必ず文章を書いたそうだ。
村上さんにとって、それが「駱駝をつなぐ」ことだったが、何かを信じていなければ出来ないことだったはずだ。









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神から安定した良い仕事をもらうには何をすれば良いか?

スーフィー(イスラム教神秘主義)では、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」と言うらしい。
彼等が、どんな意味で言っているのか正確には知らないが、
「自分で出来ることは自分でやれ」
「怠惰になるな」
ということと思う。

水野南北の教えは、
「神を信用しろ。だが、食は慎め」
と言えるかもしれない。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と言われたらしいが、これも、
「神を信用しろ。だが、満腹するまで食べるな」
と言って良いのだと思う。
親鸞の教えだって、
「阿弥陀如来を信じろ。だが、念仏は称えておけ」
と言って良いと私は思う。

ニートが、安定した良い仕事が欲しい場合は、どうすれば良いだろうか?
もちろん、それぞれが良いと思うことをやれば良いのだが、的外れをやっているうちは上手くいかないだろう。
私が思うに、一番相応しいのは、規則正しい生活をすることだ。
安定した仕事というのは、毎日、同じ時間に始業するのだからだ。

賢者になりたければ?
神は自分の内部におられるのだから、神を信用すれば、心の奥から叡智が湧き出てくる。
だが、『バガヴァッド・ギーター』は読め・・・といった感じになると思う。

逆に言えば、駱駝を自分でつなぐ、食を自分の意志で慎む、誰にも強制されずに念仏を称える、自主的に規則正しい生活をする、進んで『バガヴァッド・ギーター』を読む・・・といったことをすれば、神を信用出来るようになるだろう。
しかし、あまりに無理な努力をする者は、自分だけを信じ、神を信じていないのだ。
そんな者は、自分1人分の力は発揮出来るかもしれないが、それはかなりちっぽけなものに違いない。









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究極の言葉

一休さんの教えは、彼の遺言である一言に全て込められていると思う。
あらゆる聖者達が言ったのも、結局はそれだったと思える。
その言葉を想うと、喜びとエネルギーが湧いてくる。
一休さんの遺言とは、「心配するな、なんとかなる」である。

イエスも法然も親鸞も、皆、結局は、そう言っているのだと思う。
ただ、イエスは、心配しないために必要なこととして、いろいろ厳しい戒めも説いた。
おそらく、当時の世の中には必要なことだったのだろう。
法然は、戒めを守ることは大切としながら、それが出来ないなら出来ないままで良いから、とにかく念仏を唱えなさいと教えた。
そして、親鸞は、念仏も唱えなくていいから、阿弥陀如来に全てまかせてしまえば心配ないと教えたのだと思う。
それどころか、親鸞は、戒律を守ろうとするな、善いことをしようとするなと説いたのだ。

親鸞の教えは究極であり、釈迦の教えを純化したものだと言えるが、このような、一切の注釈のないものは、誤解されやすいし、実際、誤解された。
法然、親鸞の後の人である一休は、誤解を避ける究極の言葉であり、後の世・・・阿弥陀如来の話が通用し難くなる時代(今がそうだ)でも効力を失わない言葉を考えたのではないかと思う。
それが、「心配するな、なんとかなる」である。

だが、「心配するな、なんとかなる」だと、怠惰に陥ってしまうのではないかという「心配」があるかもしれない。
しかし、そうはならない。
法然や親鸞のように、阿弥陀如来のような「絶対的な強い存在」を出さないことで、自分に頼るようになるからだ。
自分こそが、仏であり、神なのである。
実際、一休は、そう教えている。
「阿弥陀如来は西にいるのではない。南にいる」
この「南」とは、「皆身」すなわち、自分の中である。
親鸞の教えは、確かに、妙好人のように、全く学問がなくても悟りを開いたような人達を沢山生み出した。
しかし、妙好人たちは、やはり、どこか弱くはないかと思うのである。

ところが、スーフィー(イスラム教神秘主義)に、もしかしたら、一休をも超える、素晴らしい教えがある。
それは、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」である。
例えば、「彼女、俺のこと嫌いにならないかな?最近、冷たいような気がする」と言う男がいれば、一休のように、「心配するな、なんとかなる」では、まだ不安かもしれない。
そんな時は、「神を信用しろ。だが、デートの時、服は決めて(格好良くして)おけ」と言った方が良い。
また、「最近、体調が悪い。病気じゃないかな?」と言う者がいれば、やはり、一休の言葉では落ち着かない。
これも、「神を信用しろ。だが、腹は八分目にしておけ」と言ってやれば良いだろう。
宮沢賢治の『雨にもまけず』にある、

南に死にそうな人あれば
行って、怖がらなくても良いと言い

も、これで、その人は安心するだろうか?
この場合も、「仏様を信用しろ。だが、念仏は唱えておけ」と言った方が良い。
それであれば、まさに、法然と親鸞の両方を立てることが出来る。

「神を信用しろ。だが駱駝はつないでおけ」は、情緒と現実、あるいは、気持ちと論理を組み合わせたもので、まさに万能の格言となっている。
そのような言葉を言った人には、ジョージ・アダムスキーがいる。
「スーツは一着あれば良い。だが、それが得られないなら私は愚か者だということだ」
「スーツは一着あれば良い」だけでは、ただの小市民だ。
「スーツが買えないなら、私は愚か者だ」だけでは当たり前過ぎる。
だが、この2つを組み合わせると、力の言葉になるのである。
それは、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」も同じであることが分かると思う。









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異世界にワープする方法

細かに解説しながら書くと、どれだけ膨大な文書になるか見当もつかないので、以下はフィクションとしておく。
未来人Mが私に言った。
「君はどんな未来でも創り出せるが、そのためには感情的に納得しなければならない」
それは私にも解るような気がする。
しかし、完全に感情を納得させることは不可能なことが多いはずだ。
例えば、石原さとみさんと結婚できるなんて、誰が納得できるだろう?
すると、Mは言う。
「完全に納得しなくていい。君が創り出す世界は1つではなく無限なのだ。わずかでも可能性を信じることができるなら、そんな世界はただちに出現する」

ところで、未来人が過去の人間である私に、何か教えれば、未来が致命的に変わったりしないだろうか?
昔から、SF小説には、誰かが過去にタイムトラベルして歴史を変えてしまうことを阻止する任務を負うタイムパトロールというものが登場する。
そういったことに対するMの説明はこうだ。
「致命的かどうかは知らないが、誰かが過去に行っただけで歴史は変わるんだ。もっと正確には、過去を観測しただけでもそうなんだ」
そして、それは恐ろしいことではないらしい。
世界は無限に存在するからだ。
だが、現在の人類は、自分が1つの世界に固定されてしまっているから、それを恐いと感じるのだ。
では、どうすれば、別の世界に移動できるのだろう。
その問いに対しては、Mはこう言った。
「世界間の移動を妨げているものは重力だ。そして、重力は、それぞれの世界に原因のあるものではない」
重力のない世界に行った宇宙飛行士は、同じ人間でいることはできないと言われる。
つまり、一度宇宙に行くと、別の人間になってしまうのだ。
そして、それは、文字通りの意味でそうなのだ。
重力のクサリから解き放たれると、別の世界に行ってしまい、この世界の自分は、別の世界の個我と入れ替わるのだ。
ただ、このことをあまり単純に考えてはいけない。
おそらく、実際にやってみないと本当には分からない。
とりあえず言っておくと、別の個我と入れ替わっても、自分は自分だ。

重力がなければ別の世界に移動できる。
そんなことを心の奥で知っているので、宇宙飛行の予約を募集すると、どんなに高価でも、いくらでも希望者は集まるのかもしれない。
では、宇宙に行かなければ、別の世界に行けないのか?
「いや、想念を持たない者は重力の影響を受けない」
無になった者に不可能がないのはそのためだ。
だが、想念を消すために、瞑想をしたり、宗教的な修行をしてもほとんど意味はない。
しかし、実は、想念を消すことはとても簡単なことなのだ。
「天にも昇る気持ち」って言うじゃないか?
その言葉が、重力を断ち切って、別の世界に行くことを表している。
天に昇るとは、神様を信頼することだ。
だが、とりあえず、自分を納得させることを何かしておくことだ。
スーフィー(イスラム神秘主義)では、そのことを、
「神を信頼しろ。だが、駱駝はつないでおけ」
と言ったのだ。
神様を信頼すれば、可能性を信じるようになる。
ただ、そのための生贄が必要なのだ。
それが、驢馬をつなぐという行為なのだ。
もし、美しい処女の命を奪うことで自分が納得できるのなら、その人は災害を免れることができる世界に移動できた。
しかしね、ほとんどの人が、そんな残酷な人身御供(ひとみごくう)の儀式を納得していなかったので、誰も救われなかったというのが本当のことなのだ。
我々は賢くなければならないのだ。









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どんな大事を前にしても緊張しない人とは

どんな大事(重大な事柄)を前にしても、緊張することなく平静な人間のことを「肝が据わっている」とか言う。
それはある意味、鈍感なのかもしれないが、そんな人が、感覚や情緒といったことでは、普通の人よりはるかに敏感であるのだから、何かが退化した、あるいは、衰えたことによる鈍感ではないことが分かる。
それは、自分の名誉や利益、さらには、命に対して無頓着ということだ。
自分に対するこだわりがない、自己に無執着であると言っても良い。
それは、自分に対する関心がないということである。
一方、普通の人とは、自分にしか関心がないのだが、特に近年の日本では、それが極端になっていると感じる。

自分に関心がない人間は、とても鷹揚(おうよう)だ。
鷹揚とは、鷹(たか)が悠然と空を飛ぶように、小さなことにこだわらずゆったりとしていることだ。
一方、自分に対する関心が強過ぎ、自分にしか関心のない人間は、こせこせしている。
こせこせとは、細かなことにこだわって、ゆとりや落ち着きがないことだ。

鷹揚とこせこせが、人間の姿の両極端であると思う。
男でも、女でも、鷹揚であるほど、美しく魅力があるが、こせこせしているほど、醜く魅力がない。
どんな化粧品も鷹揚ほどの効果はなく、高価な服を着たり超高級車に乗ることよりも鷹揚であることが、その人を際立たせる。

鷹揚であれば人生は楽しく、生きるに値するものとなり、こせこせしていれば、自分が何のために生きているのか分からないだろう。

では、どうすれば、鷹揚な人間・・・自己に執着せず、自分に無関心でこせこせしない、常に平静な、英雄のような、天使のような人間になれるのだろう?
「自分に執着するな」などとストレートに言っても仕方がない。
決闘でもするのなら、「命を捨ててかかれ」と言うのが適切かもしれないが、「死んだ気になる」のには、よほどの状況と決意が必要だろう。

自分に関心のない人間は、あまり緊張することがないことに注目すべきかもしれない。
こんな話がある。
史上最高のプロレスラーと言われたルー・テーズは、若い頃は試合のことで緊張したと言っていた。
しかし、1956年にホイッパー・ビリー・ワトソンに敗れてからは、不思議とどんな大試合を前にしても、全く緊張しなくなったという。
その日が彼の境目ということだ。
40歳直前にしてテーズが自己へのこだわりをさっぱりと捨てたということだろう。

自分に関心がないということは、つまるところ、自分より高い存在に価値を置いているということだ。
人間の精神は複雑なので、こんな心境を言葉で表すのは難しいのだが、シンプルに分かりたいのであれば、それは、神を信頼することであると思うことだ。
アインシュタインは「神は老獪である。だが悪意はないのだ」と言ったのは、やはり、彼は神を信頼していたということなのだ。
アインシュタインは、その首にナチスが多額の賞金をかけても平気だったし、どんなに偉くなっても、いつもヨレヨレの服を着て満足し、豊かな収入の大半を誰とでも分かち合った。
ところで、彼は、自分への執着はなかったが、おかしなことに、神の概念に関する執着があったので、多少の不都合があったのだが、普通の人よりはずっと幸福だった。

私は、スーフィー(イズラム神秘主義)の教えらしいのだが、「神を信用しろ。だが、驢馬はつないでおけ」と言う言葉に、全てが含まれているのだと思う。
いくら神が守ってくれるからと言っても、「驢馬をつないでおかなくても、驢馬はいなくならないし、盗まれもしない」と思うのは、、やはりおかしいのだ。
ダイエットしたい人には、「神を信用しろ。だが、炭水化物や砂糖は控えろ」と言うのが適切だ。
失業している人には、「神を信用しろ。だが、履歴書は送っておけ」と言うべきだろう。

神を信用していても、驢馬は盗まれるかもしれない。
しかし、神を信用せずに驢馬をずっと見張っていたら、盗賊達に殺されたかもしれない。
神を信用しても痩せないかもしれない。
しかし、神を信用せずに拒食症になったり、逆に、過食症になるより良い。
神を信用しても職は得られないかもしれない。
しかし、神を信用せずに、心配し過ぎて眠れなくなり、病気になることに比べればずっとマシだ。

テーズは負けることで神を信用したのだ。
そして、神を信用しても、トレーニングは怠らなかったのだ。

「神を信用しろ。だが、道徳的であれ」
というのは、道徳的でなければ神は救ってくれないという意味ではない。
このことを、親鸞は、
「薬があっても、毒を好むことはあるまい」
と、とても上手い表現で言った。

ここまでの話で、どこか、「こんがらがる」ような気がする人が多いと思う。
それは、世間の教義や信念に平伏している証拠だ。
「神を信用しろ。だが、驢馬はつないでおけ」
このことが納得できれば、あなたが不幸になることはあり得ないだろう。









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