ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スペシャリスト

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

虫けらの必殺芸

人生で勝つためには、何か1つ、必殺の切り札が必要であると時々(一昨日の記事、「絶対に負けないための切り札」など)書くが、私が本当に好きな必殺の切り札の話がある。
しかしこれは、本当に、ロクでもない必殺技・・・概ね、白い目で見られる、あるいは、軽蔑される必殺技だ。
だが私は、この必殺技のことを思い出す度に、感慨にふける・・・どころか、涙するのだ。
ある、ヤクザのオッサンの必殺技だ。
そうだ、ヤクザのおじさんなんて呼んでもらえない、そんな人間(ゴロつき、ならず者)の必殺技である。
もったいぶって言うほどのことでもないので簡単に言えば、喧嘩相手(この喧嘩は、ヤクザ同士の出入り、殺し合いである)の足元に滑り込んで、相手の脚を蹴って折る「脚折りキック」だ。
ある著名な実践格闘家は、若い時に喧嘩武道を探求していた時、わざわざヤクザの出入りの現場まで赴き、噂に聞く「脚折りキック」を現場で「見学」させてもらい、その手練の技の素晴らしさに感動したことを著書に書かれていた。

私がなぜ、このヤクザのオッサンの「脚折りキック」に感動するのか?
いや、上の話だけで感動する人もいるはずなのだ。
世の中には、沢山の素晴らしい必殺技がある。
英語やフランス語を高度に使えるとか、アラビア語やヒンディー語が流暢だとか、科学や技術、あるいは、医学のある分野のエキスパートとして丁重に招聘されるとか。
伝統芸能や伝統工芸の巨匠であるとか、オタクを萌えさせる絵が描けるイラストレーターだとか。
あるいは、Excelの達人であるとか、Javaプログラミングの名人とかである。
ヤクザの中にだって、空手や柔道の猛者だっているだろう。
だが、ほとんどの者が、「ご立派な」武器には縁がないと思う。
特に、この脚折りキックのオッサンはそうだったはずなのだ。
このオッサンは、子供の時、崩壊した家庭で育ったかもしれないし、学校で勉強が出来たなんてことはなかっただろうし、仲間外れにされていたか、あるいは、差別やいじめを受けていた可能性も高いと思われる。
そして、身体は小さく貧弱で、まともな喧嘩では強くなさそうだったようだ。
そのままでは、社会の底辺のその下でも底辺といった惨めな場所しか与えられなかったオッサンだ。
私は、心が病んでいるのかもしれないが、2019年に亡くなられた音楽家のOWAKAさんの『ワールズエンド・ダンスホール』(feat.初音ミク、巡音ルカ)の中の、「世界のすみっこでワン・ツー」なんて歌詞を聴くだけで泣けてしまう。世界のすみっこにしか居させてもらえない者がいるんだという、勝手な解釈で勝手に涙ぐむわけである。
そうだ、このオッサンの「脚折りキック」は、世界のすみっこにしか居られない者が生きるために身に付けた、せめてもの必殺技である。
この必殺技だって、集団戦の出入り(喧嘩)では、最初の一瞬でこそ役に立っても、その後でボコボコにされるか、殺されるかもしれず、実際、このオッサンも、そうなったかもしれない・・・いや、おそらく、そうなっただろう。
しかし、この半端者の中の半端者が、世界のすみっこで脚光を浴びたのである。
そのために、このオッサンは訓練もしただろうし、危ない目に遭いながら実戦でこの技を磨いたに違いないのだ。技が完成する前に殺されるか再起不能にされていた可能性の方が高いかもしれない。
まあ、こんなことでは想像力が働く私だ(笑)。

私が目指す必殺技は、このヤクザのオッサンの脚折りキックのようなものだ・・・などと言ったら、やはり、白い目、蔑んだ目で見られてしまうかもしれない。
『愛されなくても君がいる』(ピノキオピーfeat.初音ミク)では、「世界中が変な目で見てても、まだ君がそばにいてくれるなら」であるが、誰もそばにいてくれないものだ。
私は心情として、英語やスペイン語を目指すより、コガネムシ語や宇宙語を目指すのは、英語やスペイン語ではモノにならないし、多少やっても、上には上がいて、陽の目を見ないだろうからだ。
プログラミングだってそうで、C言語やJavaなどでは、上には上がいて、普通の腕になれても雑魚でしかない。
そこで私は、珍しいが優れたデータベースツールを選んで、それに多少熟達して良い思いが出来たが、ある小さな会社でも、そのツールを専門にしたおかげで、スキマのような市場で立派に存続している。
今で言えば、マイクロソフトAccessのようなデータベースツールだ(そのツールだって今でもあるが、安価なAccessで十分だ)。
Accessだって、「表側の人」には馬鹿にされるが、誰でもその気になれば習得出来、上手くなれば脚折りキックよりはずっと有益だろう。
既に広い場所が与えられている人のことは知らないが、世界のすみっこでワンツーするしかない人は、脚折りキック(のようなもの)を目指してはどうかと思う。








特化型人間が楽に面白く生きられる

楽で面白く生きる原則は、「万能型ではなく特化型」であると思う。
何か1つを徹底的に磨き抜けば勝てる。

学校や会社では、必ず、生徒や社員を、「何でもそこそこ出来る万能型」にしようとする・・・いや、「しようとする」なんてもんじゃない。「万能型しか許さない」である。
学校では、文武両道、理系も文系も・・・そこそこでいいから、どれも満遍なく出来る特徴のない生徒が可愛がられる。
会社もだ。特に凄いところはないが、何でもソツなくこなす社員が、会社にとって都合が良い。
管理者にとっては、個性派は面倒だし、有り難くないのである。
だから、特に大企業では、一定期間ごとに、社員の部署を移動させることをよくやる。
表向きには、「会社のことが何でも分かることで、将来の幹部になるために」などと言うが、単に、特徴のない、何でもそこそこ出来る、まさに、都合の良い社員にしたいだけである。
だいたい、その会社の全ての部署を回って、その会社のことなら全部分かるようになっても、他の会社では通用しない。
その会社独自の方式・・・早い話が、偏向性を持ってしまうということなのであり、ますます、社外で通用しないようになってしまうのである。
だが、他の事は何も出来なくても、税理士のようなスペシャリストなら、どの会社でも通用する。
もっとも、会社の中で、あまり良い思いをしている税理士を見たことはないが、Excelならマクロ(VBAプログラミング)まで高度に出来るなら、どの会社でも活躍出来る可能性がある。

中学や高校では、数学に特化するのが賢いかもしれない。
歴史や政治などの暗記科目や、古典など不要なものは無視してしまうのである。
そんな生徒は、学校には物凄く嫌われるし、恐い目にも遭わされる可能性がある。私がそうだった(笑)。
しかし、後で考えると、どう考えても、それが正解なのである。
確かに、IQ(知能指数)が高い者であれば、悠々と全科目で良い成績が取れるのかもしれないが、私のような平均以下の者は、全科目取り組んでも、シンドイだけで、どれも中途半端だ。いや、中途半端どころか、何も出来ない劣等生・落第生になりかねない。
西尾維新氏の人気小説『物語』シリーズの主人公、阿良々木暦(あららぎこよみ。高校3年生)がまさに数学特化型で、数学だけは1番で、他は全く駄目というより、初めからやらなかったが、ある意味、能力が必要なのは数学だけなので、それが大正解である。つまり、数学以外は、やろうと思えばいつからでも出来るが、数学は基礎理解が必要だ。
物理や化学も数学に似ている部分はあるが、基礎の基礎さえ押さえておけば、やはり、いつからでも出来る。
数学に抵抗がある人は多いと思うが、それは単に、教え方が下手な教師のせいであり、基礎は誰でも出来る。今は、優れた本が多いので、無能な教師を無視して独学することも難しくない。
ちなみに、私は昔の人だが、数学の授業を聞いたことは全くなく(あらゆる科目もだが)、全て本で理解し、数学の成績はそこそこ良かった。
そして、この独学の習慣は、生涯役に立つ。プログラミングも楽々、マスター出来る。
ちなみに、アインシュタインも数学特化型で、他が出来なかったので大学受験に合格出来ず、制度を利用して無試験で大学に入った。
数学の基礎があるから、物理学で発想が生かせたが、彼の数学は実は大したことはなかったのだ。

プログラミングでも、ソフト開発会社に入ったら、会社は、あらゆるプログラミング言語、あらゆるOSを扱える万能型を可愛がる。
だが、実力があり、良い条件で転職出来るのは特化型だ。
スマートフォンアプリの開発でも、iOSかAndroidかのいずれかに特化する者の方が、会社にとっては駄目かもしれないが、自分は得だし、それに、優秀である場合が多い。
極端には、古いCOBOLしか出来ないとか、LispやSmalltalkのような「本当に使われているの?」といったプログラミング言語しか出来なくても、徹底的に出来れば、良い思いが出来る。
私は一頃、MAGICという業務アプリ開発ツール1本で勝負していたが、それで無茶苦茶、良い思いが出来たのである。
事務系社員であれば、Excelマクロを超人的スキルにまで高めておけば、もう何も心配ないと思う。
Accessマクロが出来る人であれば、さらに一段高い「良い思い」が出来るのではないかと私は思う。

野球だって、野茂英雄さんのように、フォークボール1本で勝負出来るタイプが実は強いし、本人も楽しいのである。
フォークボールの場合は、ストレートもそこそこ速くないといけないが、野茂さんのストレートはまさに「そこそこ」だった。
しかし、フォークが凄いからメジャーで通用したのである。
彼は、打つのも走るのも全く駄目だった。ハナからやる気がなかったはずだ。
ところで、フォークと、そこそこのストレートどころか、ナックルボールという変な変化球しか投げないが、超一流になったピッチャーもいる。
このピッチャーは、普通にやっていれば、3流投手にもなれなかったかもしれない。

武道家の堀部正史さんの本で見たが、あるヤクザのおじさんは、喧嘩では「脚折りキック」という技1本でやっていたが、その技のキレ味は感動的だったと、堀部さんは書かれていた。
おそらく、このヤクザのおじさんは、体力はなく、他にも見るべきところがない落第ヤクザなのかもしれないが、この脚折りキックのおかげで、畏怖され、誰からも一目置かれていたのである。
プロレスで、かつて、超スーパースターだったフリッツ・フォン・エリックは、握力を鍛え上げ、クロー攻撃という、顔や胃袋を手でひたすら掴むという技だけでトップになった。後は、殴る蹴るだけであるが、クローが凄いからこそ、パンチとキックまで迫力を感じさせるところもあったと思う。

他にいくらでも、特化型、スペシャリスト型がお得で楽しいという例があると思う。
あなたも、是非、スペシャリスト、特化型になりなさいと言いたい。
使い捨ての、いい子の万能型などになってはならないと私は思う。








松下幸之助の本を読んではいけない人達

「スペシャリスト(専門家)志向」、「ゼネラリスト(広範囲の知識を持つ者)志向」などという言葉がある。
「これからはスペシャリストか、ゼネラリストか」などという問いを聴くこともあると思う。
だが、絶対的に言えることは、
「スペシャリストでない、まともなゼネラリストなどいない」
ということである。
何か1つのことを高度に磨いたことがなければ、決して、有用なゼネラリストになることはない。
社長さんの中にはよく、「俺は経営しかできないぞ」と言う人がいるが、そういう社長でも、あえてやらないだけで、実際は、社内の専門家より専門分野で上という場合は珍しくない。
少なくとも、経営をしている分野で、専門家として相当な経験を積んでいるものである。
例外は、ただの1つもないと考えて間違いないだろう。
普遍的な知恵や、人心把握能力だけで成功したなんて人は絶対にいないのだ。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズはゼネラリストである。
ゲイツがプログラマーとして作った製品は、8ビットコンピューター用のBASICインタプリタだけだが、それをアセンブリ言語でプログラミングする能力はあったのだ。
それがあったから、後の高度なITを理解し、事業の戦略を立てることができたのだ。
スティーブ・ジョブズは、プログラミングは出来なかったと思うが、エレクトロニクス機器のハードウェア技術者として、それなりの技術、経験はあったのだ。
そうでなければ、製品のアイデアなど出せるはずがない。
彼のアイデアはいかに荒唐無稽に見えようが、あくまで現実的なのである。
彼は技術スタッフに、どこでもドアを作れなどとは言わなかった。

松下幸之助だって、後の高度な電化製品の開発を自分で出来る訳ではなかったが、技術者としての知識、経験を十分に持ち、物作りとはどういうことか、しっかり理解していた。
しかし、彼の本には、精神論のようなことばかり書かれている。
そんなものより、まずは専門性を身に付ける必要があり、彼の素晴らしい箴言(いましめの言葉)を連ねた「ありがたい教え」は、専門家として一人前になってからで良い。
何の専門性もない者が、松下幸之助の人生論を読むと、勘違いして、「専門もないのにマスター気取りの愚か者」になる危険が大きく、実際、そうなってしまった者が多いに違いない。
「専門家になるまでは、決して松下幸之助の本は読んではならない」と書いた紙を、家や学校の壁に貼っておいても良いほどである。

一見、専門性のない、純粋で偉大なゼネラリストに見える人達もいる。
思想家の吉本隆明などもそうかもしれないが、彼は元々、立派な技術者だったし、独学かもしれないが、文化文明やその周辺に関する恐ろしいほどの知識を持っていた。
彼の場合、世の中にない専門を自分で作ったようなものだが、それだけに、普通の意味での専門家を凌駕するほどのレベルに達していたのだ。

今は、動画投稿サイトで「歌ってみた」「踊ってみた」、あるいは、ニコニコ学会βの発起人の言うような「研究してみた」というものが多い。
確かに、初めは「やってみた」で良いのであり、いろんなことをやってみるのは良いことだ。
しかし、やってみて面白かったら、レベルを高めなければならない。
あるいは、いろんな経験をして人間の幅を広げるために、今までやったことがないことをやってみるのは良いことだが、何か1つは、「とことんやってみた」のレベルをはるかに超えたことをやらないといけない。

専門的に何かやるために、必ずしもその方面の学校に行かなければならない訳ではない。
本田宗一郎は、確かに経営者をやりながら大学に通ったが、ビル・ゲイツは学校でコンピューターやプログラミングを学んだ訳ではない。
学校に行かずにフロイトの専門家になることもできるが、半端ない勉強や独自の研究が必要だろう。
とはいえ、学校に行くだけでは専門家にはなれず、学校はあくまで基礎なのである。

日本の学校が、あまりに専門性を無視し、その影響もあると思うが、企業でも、社員に専門性を高めることをあまり要請しないので、30代や40代にもなっているのに、「専門は?」と聞かれて、平気で「そんなものはない」と答えたり、ごく低レベルなものを自慢に思ったり、自分の特技と考えている者が多い。
そんな者達は、決して成功したりはせず、一生、会社の奴隷、いわゆる、社畜であるし、社畜でいられればまだ良いが、いつお払い箱になっても仕方がなく、そうなれば悲惨な人生になるしかない。
何の専門家になるかは、偶然で決まるようなこともある。
私だって、事務員をやっていた時、たまたま、技術部の課長に、「君、プログラミングの勉強をしなさい」と言われて、プログラミングを勉強したので、システム開発技術者になれたのである。
そんな偶然は、誰にでもあるはずである。
それを逃したかどうかなのだと思う。









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楽で、面白く、しかも、充実する生き方を伝授

上手い生き方を教える。
ただしこれは、小手先でちゃらちゃらやる処世術とは全然違う。
実際に強くなり、敬意を払われ、会社なら一目置かれ、給料は上がり、良い思いばかりする。
しかも、楽しく、充実して生きられる。
それでいて、楽なやり方だ。
何度か書いたが、私は中学、高校と、夏休みの宿題を含む宿題は一切やらず、中学2年からは授業は聞いていない。
それでも問題ないのだ、このやり方なら。

それは、名付けて、「明日のためのその1方式」だ。
別に知らなくても良いが、『あしたのジョー』というボクシング漫画で、主人公の少年、矢吹丈は、最初、左ジャブだけを身につけた。
それだけで、どんな相手も、軽くKOできた。
本格派ボクサーの力石徹を除いてはね。
だが、普通、力石になんか出会わない。
だから、左ジャブだけ徹底して磨けば良いのだ。

私は、中学2年から、学校の勉強はやらなかったが、ただ1つ、数学だけはやった。
もう数学だけである。
宿題も何もせずに、数学の参考書ばかりやっていた。
おかげで、数学だけは、本質的によく分かっていた。
一科目だけなら、数学とはいえ、とても楽なのだ。
そして、一科目だけでも、本当にできると、意外に困らないものだ。
その上、数学は本当に役に立つ。
あなたは、本当に自分のやりたいものを選ぶのだ。
ただ、迷うなら数学をお薦めする。

社会人になってからは、さらに徹底した。
「お前の仕事だ」と言われることを全部やってたら、疲れるだけでなく、私は何もできない駄目人間になっただろう。
しかし、好きな仕事1つだけ、徹底してやれば、天国が待っているものだ。
どれも中途半端であるより、何か1つ、本当にできる方が、自分はもちろん、実際は会社にも良いのだ。
そして、自分は好きなことだけやり、後のつまらないことは、他の連中にやらせれば良いのである。

このやり方なら、嫌な会社の中だろうが充実して過ごせる。
むしろ、真面目な連中の方が、ダラダラした仕事をしながら、不満ばかり言っている。
そして、1つのことが高度にできるようになれば、それさえやっていれば文句を言われなくなるし、むしろ、誰かも敬服されるようになる。
そのことに関しては、誰も敵わないのだから。

ただ、これは、優秀なやつには向いていないかもしれない。
優秀なやつは、イチローや松井になれば良い。
ところが、あまり多くはないが、大リーグには、守備専門の選手というものがいる。
バッティングや走塁は、ピッチャーに毛の生えた程度、場合によっては、全然できなくたって良い。
ただ、守備だけは超人的なのだ。
それで、ちゃんと高い給料をもらっている。
私なら、そんな選手になりたいのだ。
そして、そんな特化型スペシャリストは、どんな世界にでもおり、格好良く、特別な存在として輝きを放っているのである。

私は優秀でないから、そのようなやり方を躊躇なく選んだ。
優秀なやつには分からないかもしれない。
しかし、それで、損をしたことは全くない。
そして、良い思いばかりしているのである。
「これしかできない」「しかし、これならできる」というものを持つのだ。
参考になればと思う。









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スペシャリストになる方法

人間は、ゼネラリストであることが望ましいのかもしれない。
ゼネラリストとは、スペシャリストに対する言葉で、スペシャリストをまとめたり、使ったりする立場で働く人のことを言うのだと思う。

しかし、誰もが本当のゼネラリストになれると思っているのなら、それは妄想というものだ。
そもそも、何かのスペシャリストでなければゼネラリストにはなれないし、その上で、直観力と優れた人間性を持ち、チームを機能させるリーダーの資質が必要だ。
私にはまず無理だし、事実上、ほとんどの日本人には向いていないと思う。

いずれにしても、まずはスペシャリストにならなければいけない。
つまり、何かの特技、専門知識、専門技能を持たなければならない。
どんな分野でも、プロと言えるスペシャリストになるには、少なくとも5年、普通、10年以上かかる。

スペシャリストになるためには、没頭が必要だ。
他の一切のことを忘れて、それさえやっていれば心が安定するような状態がなければならない。
それが、ずっとであることが望ましいが、それは難しいとしても、起きている時間の半分は、自分の専門が心を占めているようでないと、プロにはなれないだろうと思う。

では、どんな分野のスペシャリストになれば良いのかと言えば、私のようなコンピュータープログラミングの専門家もいれば、薬の専門家、医学の専門家、機械の専門家、絵の専門家、服のデザインの専門家、ナイフ作りの専門家・・・など、案外に多くのものがある。
そして、一般には専門とみなされないようなことも、本気でやれば、スペシャリストとしてプロになれ、極めればエキスパートとして広く力を及ぼせる。

最近、英語のスペシャリストという面白い人を見た。
英語なんて、英語圏の人達の誰もが普通に使っているのに、それを専門にするというのもおかしな気がするが、英語を普段あまり使わない国・・・特に日本では充分にありえることだ。
その英語のスペシャリストは、留学も、海外渡航の経験もないのに、まず、徹底した「読む英語」から始め、長い時間をかけて英語を高度に学び、研究し、英語で考え、英語を理解し、高度なエキスパートと認められ、尊敬され、誰に許可されるのでもなしに権威ある話し方ができるのである。
実績も確かにあるが、そんなものは過去のものであり、70を過ぎた現在でも、英語の超スペシャリストとして活躍し、さらに、向上を目指しているのである。
そんな人はアクが強く、反発したくなる一面もあるが、本当はみんなそんなふうになりたいのだろう。

私は、良かったら、ExcelとVBAのスペシャリストになると良いとよく勧めるのだ。
多くの人にとって、すぐに役に立つ技能だし、本当にそれができるようになれば、素晴らしい力になり、あなたを押し上げ、適用範囲は広く、もちろん、収入も上がる。
日本国内では、使える場所という点では、英語などよりはるかに恵まれていると思うし、習得にさしたるお金はかからない。
どのプログラミング言語も、さしたる違いはない。
その中で、Excelという優れたソフトの機能を自在に操ることができ、今の仕事や研究にすぐに役に立ち、給料を上げることにつなげやすいVBAの習得を勧めたいと思うのである。
そして、プログラミングは思考能力に直結するので、即座に頭が良くなり(だから真の教育者が教育に活かしている)、しかも、これからの世界を理解するためには、極めて有利な技能なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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