「南無阿弥陀仏」という念仏に関し、法然は、主に、「死後、極楽浄土に生まれることが出来る」ことを説いたが、同時に、「仏(如来)は、念仏を唱える者を万全に守る」とも教えていた。ただ、その根拠は、「経典に書かれているから」であった。
親鸞は、法然の教えを継承しつつ、念仏には、最高度の現世利益の効果があると説いたが、それも、経典以外にエビデンス(根拠)はない。
また、親鸞の教えを記したものとして最も有名な『歎異抄』では、現世利益については、ほとんど書かれていない。ただ、「念仏を唱える者を神々すら敬い、鬼神(きしん。強い力を持つ神のこと)も道を譲るとの記述はある。ただ、やはり、科学的根拠はない。

このように、法然、親鸞の教えには、経典に書かれているとか、高僧の教えであるという以外の根拠はないのだが、当時はそれを、信じるしかなかった。
だが、現代のスティーブ・ジョブズだって、強調したことは、「今やっていることが、未来の何かの点とつながることを信じるしかない」だったのだ。
そして、科学的根拠を持って、人間の心は、宇宙全体とつながってるのであり、現実世界を創造するのであるから、信じるしかないと共に、信じるべきなのである。

よって、法然、親鸞の教えは科学的に正しいが、彼らはもちろん、科学的に念仏を捉えていたのではない。とはいえ、単に、「経典に書かれているから正しい」と考えた訳でも決してない。
彼らは、高度な直観で持って、それが正しいと確信したのであり、優れた直観は、科学的にも、真理を示す根拠と言えると思う。

「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀様に全て任せる」という意味で、阿弥陀様とは、宇宙全体あるいは、その力の象徴なのであるから、実際は、特に何と呼んでも構わない。
例えば、「神に全てを任せた」と言っても同じであり、経験的に、この宣言(呪文と言っても良いが)は最高の効果がある。
ただ、「苦しい時の神頼み」ではないが、これが効果を発揮するのは、自分の力が卑小であることを思い知った時である。
即ち、極めて苦しい状況でありながら、自分にはどうすることも出来ないことを痛感した時に、念仏のようなものが、強い効果を及ぼす。
それは、必ずしも、自分の望むような状況を引き寄せるとは限らないが、絶対的に正しい方向に動くのである。

ところで、京都大学名誉教授で、まるで、フォン・ノイマンのような広い分野(数学、経済、文化、教育、その他)で業績を上げた岸根卓郎氏が、高次元世界を見る方法として、ステレオグラムを見ることを薦めていることが面白かった。
ステレオグラムとは、何が描かれているか分からない平面の模様だが、見方によって、鮮やかな立体映像が見るというものだ。
左脳で論理的に見ている限り、平面にしか見えないが、右脳で直感的に見れば立体に見える。
高次元の世界というのも、理屈で考えては解らないし見えないが、法然や親鸞のように、直観で視れば見えるのである。
直観は右脳の領域であり、ステレオグラムを見るのも右脳であるから、高次元の世界を見る練習には丁度良いのである。









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