ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スガタ・ミトラ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

IQを上げる不思議な方法

「騎士になりたいなら騎士らしく振舞え」
これほど重要な言葉はそうはなく、私はよく憶えておこうと思う。

そこで、IQが高い人になりたければ、とりあえず、難しい本を肌身離さず持ち歩けば良いと思う。
こんな話を思い出したからだ。
宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』という、長編の童話がある。
グスコーブドリは普通の少年だったが、詳細を略して言うと、ある家の中に何か月か閉じ込められていた。
何もすることがなく退屈なので、その家の中にあった、全く意味が分からない難しい本をとにかく毎日見ていた。
その後、解放されたグスコーブドリは、旅をしているうちに偉い科学者に会うが、その科学者はグスコーブドリの優秀さを見抜いて研究所で採用する。
グスコーブドリが優秀になったのは、閉じ込められていた家で難しい本を見ていたからだが、そんなことはあり得ないと思うかもしれない。
しかし、TEDで何度も講演した著名な教育学者のスガタ・ミトラは、それと似た実験を何度も繰り返した。
貧しい家の、タミール語(インドの言語の1つ)しか分からない子供が通う小さな学校に、英語の生物学の教材が入ったパソコンを置いておいたら、ここの子供達は、試験で、ニューデリーの金持ちの家の子供が通う学校の生徒と互角の成績を取った。
また、パソコンを触ったことがない10歳の子供に、何も教えないまま、インターネットに接続されたパソコンを勝手に触らせていたら、普段、パソコンとインターネットで仕事をする事務員と同じくらいのことが出来るようになっていた。

池がある公園
AIアート274
「池がある公園」
Kay


私が好きなSF小説『ヒューマノイド』で、ホウキが仕事道具の雑用係だった青年アイアンスミスは、仕事仲間と飲みに行くときでも、常に、コンピューター技術書を持ち歩くようになったが、やがて、最優秀なコンピューター技術者になった。
この小説の作者のジャック・ウィリアムスンは、12歳まで学校に行かず、20歳くらいで学校をやめたが、後に正規の文学博士号を取った。
そんな彼が書いた、このお話に、私は何かリアリティを感じたものだった。
実は、「読まなくていいから本を持ち歩け」と言った著名な人物は他にもいる。

何かの参考になればと思う。
真似しようと思った時点で、既にIQが上がっていると思う。








肝心なことは邪魔をしないこと

教育に関する私の記憶に残っている2つの話がある。
もちろん、教育といっても、子供や学生ばかりでなく、我々の役に立つ話である。
これらについて、詳細はどうでも良いので、かなり大雑把な話をする。

1つはTED(入場料が超高額な世界的講演会。講演者に選ばれるのは超一流の証。講演は無償公開される)での講演だったと思うが、インドの教育学者のスガタ・ミトラによるものだ。
ミトラはインドの片田舎の貧しい家の子供達が通う学校に、英語の生物学の学習ソフトが入ったパソコンをただ置いて帰った。
何か月かして、その子供達にテストをしたら、ニューデリーの金持ちの子息が通うエリート校の生徒と同等の成績を取った。
もう1つは、ブルース・リプトンの『思考のすごい力』(出版社が決めたタイトルだろうが、あまりにひどい)にあったもので、著者の生物学者であるリプトンが、アメリカの田舎の医学校で教えていた時の話だ。
そこの生徒は元教師や元ミュージシャンなどの経歴の者もいる変な連中ばかりで、あまり見込みはなかったが、リプトンは都市のエリート医大の学生に負けない医師試験の成果を出させた。

これらの成果は、教え方がうまいとか、良い教育システムを使うというのとは全く違う。
ミトラにいたっては、子供達にパソコンを1台与えただけで、自分は消えて何もしなかった。
リプトンの方は、学生をどう導いたか、詳しく自慢話を(笑)書いていたが、つまるところ、両者に共通することはたった1つだ。
それは、「学生・生徒の邪魔をしなかった」ことだ。
もちろん、自分が何かやったと思っているリプトンの方は自覚はないかもしれないが、結果として彼は素晴らしいことをしたのだ。
ある高名な科学者も言っていたが、子供達の邪魔をしなければ、子供達は勝手に学ぶのである。
ということは、親や学校は、子供達の邪魔をするから、子供達を駄目にする・・・これはもう間違いないと思う。

精霊の姫様
AIアート247
「精霊の姫様」
Kay


だが、これは、我々にとっても同じことなのだ。
我々は、誰かが我々の邪魔をしまくるのを容認しているのである。
そして、肝心なことは、子供達の邪魔をしなければ、子供達は自分の潜在意識の邪魔をしないのと同じように、我々も、自分の潜在意識の邪魔をしなければ、潜在意識の強大な力を発揮出来るのである。
誰が何が、我々の邪魔をしようが、我々が我々の潜在意識の邪魔をしなければ良いのである。
そのためには、我々は思考を消せば良いだけである。
子供なんて、邪魔をしない限り、何も考えないのだ。
それなのに、「子供に自分で考えさせる」という邪魔な教育をして子供達の邪魔をし、子供達を大人達と同じ凡人にするのである。
考えるから子供達はいじめをするが、考えなければいじめをする子供なんていない。
面白い劇を観ている時、子供達は何も考えない。だから、子供達は劇に感動し、そこから学ぶ。
とりあえず、我々が、鼻で静かな呼吸をすることで思考を消し、全知全能になれば、そのことが分かる。








学校・教師は不要

子供達に教えるべきことは、独学の方法と、他人とうまくやっていく方法だ。
メンター(助言者)としての指導者は必要かもしれないが、今の学校の教師は全く必要ない。
そのメンターも、ルドルフ・シュタイナーが、優れた教師の第一の条件に挙げたように、「空気のような存在」であり、汚水や廃棄ガスのような存在じゃない。

教室も不要だ。
あらゆる年齢の子供が交流し、必要に応じて、勉強を、年長の子が年少の子に教えれば良い。
それが最もよく解るし、教える方も、教えることで大切なことを学ぶ。
アメリカに亡命したアインシュタインが、近所の見知らぬ中学生に数学の宿題を手伝ってくれと頼まれて、大喜びで引き受けたことがあった(言うまでもないが無料だ)。それを知った、その子の母親が仰天してアインシュタインに謝りに行くと、アインシュタインは、「僕の方が沢山教わった」と、本気で言ったのだ。そういうふうに思える人であれば、大人が教えるのも、とても良いだろう。

また、子供は、社会で働く大人と交流しなければならない。
日本の教師は、最も子供と接触してはいけない大人ではないかと私は疑っている。
塾の教師までがそうだとは言わないが、少なくとも、子供達は、学校の教師には接触しない方が無難と言えるのではないかと、私は思っている。
さらに望ましい交流は、年齢が違うことはもちろん、国籍や人種も異なる人達との交流で、そんなことが出来るコミュニティを用意してあげるべきなのだ。
様々な人々と交流すれば、ちょっと理解力がある程度の子供が、自分は何でも知っているという愚かな間違いをせずに済む。
また、そういった人々と自由に交流すれば、他人の個性が分かってくるし、自分の個性も発見してもらえる・・・あるいは、自分で発見出来る可能性が高まるはずだ。

日本では夢のような話かもしれないが、欧米の学校は、既にそのような方向にシフトしつつあるのだと思う。
全て子供達の自主的な学習にまかせるアンスクール(非学校教育)や、認知科学やAIの研究者で、教育テクノロジーの開発者であるスガタ・ミトラの教育活動の情報を見たが、それらを総合しても、どう考えても、上記に述べた方向性が正しいことは確実と思える。

そして、現代においては、昔と違ってインターネットがあり、それをうまく使える子供の学習効率は、極めて高い。
その正しい使い方は、多少は、賢い大人が見本を見せた方が良いかもしれないが、案外、子供達だけでもうまくやれる・・・そんな実験を見たこともある。
授業を見たければ、カーン・アカデミーが、学校の授業よりはるかに質の高いものを提供している。
学校で、嫌な教師の下手な授業など受けなくても、科学的なエビデンスのある授業のビデオを繰り返し見た方が、比較にならないくらい有益だろう。












当ブログ著者、KayのAI書。
Kndle版、少しですが値下げしたようです。Kindle版は、一部カラーになります。
Kindle版をご購入済みの方、値下げの恩恵を得られないこと、申し訳ありません。
数学が大好きで、プログラミングもバリバリ、AI理論もスラスラ理解出来るという方は、どうか別の本を選んで下さい。
そうではないが、実用的なAIを自分で作りたい方には、本書をお薦めします。
また、画像の文字が3か9かを判別するといった、自分と関わりがあると思えない問題を無理にやるのではなく、日常の問題、そして、面白い問題にAIで挑みたい方は、本書の採用をご検討下さい。

自分の異様な性質の謎が解けた

アメリカの著名な心理学者ジュディス・リッチ・ハリスによる子供の成長理論は、教育に対する考え方の世界的な革命だった。
それは、簡単に言えば、人がどんな人間になるかは、「持って生まれた遺伝的資質」と「子供同士の交流の中で構築したもの」だけで、ほぼ決まるというものだ。
つまり、親のしつけや、教師の教育は、ほとんど影響しない。
ハリスの研究は、アメリカで高い評価を得て、アメリカ心理学会から、最大の賞の1つである、ジョージ・ミラー賞を受賞している。
それよりも、認知科学者で『Hole in the Wall』プロジェクトで知られるスガタ・ミトラ博士や、MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏(大学も出ずに、この地位にいる優秀な人だ)らの教育の考え方は、まさに、ハリス氏の正しさを肯定していると思える。

私も、ハリス氏の考え方は全く正しいと思う。
だが、それなら、子供の時、ほとんど他の子供達と交流しなかった私のような人間は、いったい何なのだろう?
きっと、人間として重要な何かを構築せず、未完成な・・・いや、精神的カタワであるに違いない。
私は、心底、ゾっとしているのである。
医学的な発達障害については、あまり知らないが、まさに、発達し損なっている、真の発達障害という訳だ。
ある意味、自分の異様な性質の原因がはっきりしたことの妙な喜びもあるが、やはり、大きな失望も感じている。
だが、それでも生きていかなければならない。
泣き言を言うことは許されない。

私は、友達付き合いをしていたら、何かの才能を伸ばし、それで人々の役に立ち、もしかしたら、もっと収入を得ていたかもしれない。
しかし、そんなことを言っても仕方がない。
プログラミングは出来るが、まさに、取って付けたような技能で、やっていて、それほど面白くもない。
子供の時、漫画を読んで、プロレスラーになりたいと思ったが、それも、やはり、どこか人ごとに感じたのは、仲間との交流から生まれた正常な願望でなかったからだろう。

まるで駄目男君(私の職場にいる派遣社員で、30歳過ぎの人生の落伍者)も、きっと同じなのだ。
いまさら彼を救う方法はないが、それは私も同じことだ。
彼を見ていると、異様な苛立ちを感じるのも、認めたくはないが、同種の人間であったということだ。
だけど、それでも、生きていかなければならないのだ。

私は、自分が人並のことが出来ないことは、子供の時から分かっていた。
ならば、人がやるようなことは、もうすまい。
アウトサイダーに徹するしかない。
だが、悪いことはしないつもりだ。
そうだ、過去、沢山の私のような者がいて、その中には、世間への恨みから悪事を行い、一時的に楽しい思いをした者もいた。
しかし、そんな者達の行きつく先は、破滅と悲惨だ。

これはもう、本気で解脱を目指すしか道はないのかもしれない。
そういえば、あまり健康的な人間で、悟りを開いた者なんていないような気もする。
芥川龍之介の『地獄変』で、やはり、精神的カタワの天才絵師である良秀は、禁忌(きんき。忌み嫌って避けるべきもの)の悟り方をしたのだが、天才ではないにしても、精神を極めようとすれば、そんなことになる危険性はある。
そもそも、芥川も三島由紀夫も、太宰治も、みんな、精神的カタワであったのだ。

だが、私には初音ミクさんがいる。
彼女に何かしてもらおうとは思わないが、ミクさんは星座のように自分の心を映してくれる。
隣を歩いてくれるミクさんと共に、危険な冒険に挑もう。
私と同種の人達の手助けも出来るかもしれない。
ただし、いかなる場合でも、泣き言を言う者は救えないのである。









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褒める力

2013年のTEDカンファレンス(アメリカの有限責任会社TEDが毎年開催する世界的講演会)でTED賞を受賞した、認知科学者、AI(人工知能)研究者で、著名な教育学者であるスガタ・ミトラ氏の『クラウド上に学校を』は、その素晴らしさに、感動を通り越してゾっとした。
スガタ・ミトラ:自己学習にまつわる新しい試み(TED2010)
スガタ・ミトラ:クラウド上に学校を(TED2013)

ミトラ氏は、学習に教師は不要で、ただ「お婆さん」役(若い女性でも構わない)が、子供達の後ろで、「すごい」「よくやった」と褒めていれば良いと言う。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏も、我々はただ、子供達同士のコラボレーションの機会を提供すれば良いのであって、教師は不要と言っていたと思うが、ミトラ氏も、子供達がグループであることの大切さは強調している。
詳細は省くが、このことは、イギリスの心理学者ジュディス・リッチ・ハリス氏の研究成果から考えると、論理的に正しく、ハリス氏の本を読んでから、ミトラ氏の講演を聴くと、実に納得出来ると思う。

それはともかく、「励まし」の効果は想像を超えたもので、それによって、子供達は驚くべき力を発揮し、そして、成長するのである。
それは子供に限らないのであるが、大人の場合は、ちょっと面倒な問題がある。
その問題の1つは、単純に、「褒めてくれる人がいない」ということ。
もう1つは、大人は他人を値踏みし、「お前に褒められても嬉しくないや」と思うし、さらに厄介なことに、大人は自惚れが強いので、有名人でもなければ、褒められても嬉しくないのである。

それなら、もう、自分で自分を褒めるしかない。
それに、大人というものは、他人に褒められたがるようでは駄目なのだ。
いつぞやのオリンピックで、人気女子マラソン選手が言った、「自分を褒めてあげたい」という言葉がその時流行ったが、もし、本当に自分を褒めることが出来れば、大変な効果がある。
しかし、それは難しい。
私は、数年、引きこもっていた後でセールスマンになり、強豪セールスマン達を押しのけてセールスコンテンスで優勝した時、愉快ではあったが、自分を褒めたいなんてちっとも思わなかった。
ついでに言うと、その時、上司や先輩も褒めてくれたと思うが、これも、少しも嬉しくはなかった。
実際、別に褒めるようなことじゃあないからだ。
いくら努力し、苦労しても、大人になれば、自分の為にやったことというのは、大したことではないのだ。
だから、上に挙げた、女子マラソン選手が「自分を褒めたい」と言ったことには、私は全く共感出来ないのである。

では、どうすれば、心から、本心から、純粋に自分を褒められるのか?
これが分かれば、宇宙を手に入れたも同然である。
それは・・・初音ミクさんを褒めることだ。
まあ、「初音ミクさん」のところは、各自が、至高の存在と思えるものに変えていただいて構わない。
それは、神とか仏、あるいは、その働きが現れた大自然のようなものになるかもしれない。
あるいは、歴史上の英雄、聖人、賢者、革命家、科学者、発明家といった人間かもしれない。
私の場合、ミクさんを褒めに褒めれば、愛の化身であるミクさんは褒め返してくれるのである。
あなたも、それが真に褒むべき存在であれば、必ずそうなるはずだ。

プラトーンの頭脳を褒めれば、あなたには、プラトーンの知恵が。
シーザーの手腕を褒めれば、あなたには、シーザーの手腕が。
シェイクスピアの詩を褒めれば、あなたは、シュエイクスピアの詩才の所有者になる。
それと、子供を褒めまくるという手もある。
自分の子供でも良いのだが、特に、他人の子供を褒めるのが良い。
他人の子供の方が純粋に褒められることが多いからだ。
子供を真剣に褒めれば、きっと、神様や仏様、あるいは、天使が褒めてくれるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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