ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

スウェーデンボルグ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

死後の世界を恐れないために

健康な子供や若い人には、死というものが理解出来ない。
私が、小学3年生の時、「死ぬとはどういうことか?」と考えた時に出した自分の回答は、「それは夢のない眠りと同じ」だった。
それであれば、日頃、経験しているので、恐くはないように思えるが、よく考えると、それがずっと続くのだとしたら、「嫌だ」を通り越して、やはり、「恐い」になる。

私が死を恐ろしいものと思うようになったのは、平凡だが、映画や小説等で、少年や少女が、病気で余命1か月などと宣告され、残りの短い命を生きる姿を見た時だった。
例えば、『クリスマス・ツリー』という映画では、事故で白血病になった10歳位の少年が、余命数ヵ月となる。
少年の父親は、息子の短い生涯を楽しいものにしてあげようと、あらゆることをする。
例えば、狼が欲しいという息子のために動物園から狼を盗み出すことすらやった。
しかし、病気のことは息子には決して教えなかった。
だが、少年は、自分の死について、敏感に感じ取っていた。
そして、少年は、クリスマスの夜、命が尽き、すっかりなついていた狼が遠吠えを上げる。

人間が、善良でいようとする動機の1つとして、善良に生きて死ねば、死後の世界で幸福になれるからというものがある。
そして、案外に多くの人が、それなりに死後の世界のことを信じていて、それが確かに、悪事を思い止まらせる理由になっている。
しかし、当然ながら、今は、死後の世界を信じていない人が多いだろう。
さらに、神も天使も信じていないとなると、法に触れない限り・・・もっと言えば、バレない限り、何をしても良いと思うかもしれない。
ところで、神や天使というのは、死後の世界である天国とセットのようなものだから、神や天使を信じていないなら、死後の世界も信じていないし、その逆も高確率で成り立つと思う。
死後の世界や、神、天使、あるいは、仏、菩薩の存在を信じさせるのは宗教である場合が圧倒的なので、無宗教というのは悪い面もあるかもしれない。

世界では、いまだ、権力者が、自分の権益のために、庶民を不幸にしたり、さらには、虐殺するようなことすら、いくらでも行われている。
アメリカでは、アメリカ国外のそんな権力者達に金をもらって、言いなりになっている政治家やマスコミが、アメリカの自由と民主主義を滅ぼそうとしているのを、トランプ大統領が食い止めるべく戦っているが、多くの人はその事実すら知らない。
巨大な悪事を働く者たちは、神も天使も、死後の世界も全く信じておらず、死ねば全て終わりと思っているはずだ。
いくらなんでも、死後の世界の役人は金で買収出来ないだろうからね。

では、死後の世界が本当に存在するのかというと、実を言うと、それなりのエビデンス(証拠)もあるが、証拠ってのは、それを見ることなく「証拠はない」と言えば、無いことになってしまうのだ。
「え?そんなことはないだろう?」と言ったって、そんなことはある。
裁判においても、勝敗を決するのは、決して証拠の明確さではなく、原告と被告の力関係・・・もっとはっきり言えば、権力の大きさである。
そんなこと、世の中をちょっと見れば解ると思う。
どれほど明確な証拠があっても、権力がある者が「その証拠は不十分だ」と言えば、そうなるのである。
同じように、いかに死後の世界の十分な証拠があると言っても、その証拠を示す者に権力がない限り、「それは十分な証拠ではない」と言われれば反論出来ないのである。

だが、それでも、死が近くなると、人間は死後の世界があることが分かってしまうのだ。
だから、権力があって、自分の利益のためにだけ生きていた者は、死はあまりに恐ろしいものになる。
今は解らなくても、あなたも、死ぬ時には、死後の世界があることが分かるのである。
だから、神や天使に見られて恥ずかしいことは、なるべくしない方が良い。
だが、どうしても、人間の弱さから、神や天使に、目をつぶってもらいたいことをしてしまうことはある。
しかし、神や天使は、決して見逃してはくれない。
だが、そんな時のために、イエスは「人を許せ。そうすれば、神もあなたを許す」と言ってくれたのだ。
我々は、イエスを信用するしかないだろう。








自らの正義を失うと起こること

私は、『スターウォーズ』シリーズの映画は、ほとんど、まともに観ていないし、blu-rayやDVDも1枚も買わなかった。
だが、「旧三部作シリーズ」と言われる、マーク・ハミルが主人公ルーク・スカイウォーカーを演じたものは、1本か2本、観ているのだと思う。
その中で、ルークの父であるアナキン・スカイウォーカーがなぜ悪の権化になったかや、ルークも悪に陥りそうになったことは興味深く思った。
新シリーズでは、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーになる過程は、「ちょっと違うな」と思ったが、いかんせん、真面目に見ていないのだから分からない。

人は、なぜ邪悪になるのだろう?
1つは欲望のためで、もう1つは恐怖のためだ。
そして、『スターウォーズ』で言うフォースという銀河を支配する強い力には、邪悪に陥る危険性が高く、その危険を回避出来る精神力がない者にフォースを授ける訳にはいかないのだろう。
フォースとは、単に「力」という意味だが、別にジェダイの騎士でなくても、誰の中にも無限の力であるフォースがある。
そして、確かに、邪悪な者がフォースを持てば危険である。
少しの間なら、その力で欲望を叶え、恐怖から免れるが、邪悪であれば、やがて自ら滅ぶのは避けられない。
悪が栄えたためしがない訳ではないが、悪が悲惨な最後を迎えなかったためしもないのである。

時々、引き寄せの法則の本で、「悪の力として使わないで欲しい」とか「この本が悪人の手に渡らないことを願う」と書かれていることがあるが、引き寄せを使う悪というのは、最初は善であったか、あるいは、悪を為しつつも、どこかに善があるのである。
キリスト教で、1割の献納(収入の1割を寄付すること)を薦めるのは、邪悪に陥り、悲惨な最後を迎えないためもあるのだ。
ただし、その1割献納は、全く純粋な寄付でなければならないのである。
そして、別に、金銭やボランティア等の寄付や奉仕ばかりが1割献納ではないだろう。
江戸時代の観相家(一種の占い師)で、独特の引き寄せの達人であった水野南北は、食での献納を薦め、それは、例えばであるが、3つ食べられるところを1つ食べないでおくだけで良いとした。
食べなかった1つは、心で神に捧げればよく、特に、神棚、仏壇に捧げる必要はない。
この「3つのうちの1つ」は例えであり、別に厳密に1/3と決まっている訳ではない。
もう少し食べたいところを我慢して食べなければ良いのだと思う。
エマニュエル・スウェーデンボルグも、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と教わったそうだが、これも同じような意味と捉えて良いと思う。

私の従兄は刑事だったが、まだ駆け出しの頃、下着泥棒を逮捕した時、押収した女性用下着を見て、「まあ、気持ちは解る」と言っていた(笑)。
しかし、やりたい気持ちがあっても、自分の正義を優先して悪いことをやらない者と、欲望を抑えられずやってしまう者がいるのである。
そして、巨大な悪になる者というのは、元々は、大きな正義を持っていたものなのだ。
だから、強い引き寄せを行えたが、フォースの暗黒面に巻き込まれ、ダース・ベイダーになった訳である。

まずは、自らの正義を持たない者に引き寄せは行えない。
細かくは言わないが、そんなシステムになっていることは解るのである。
1割献納しても良いし、満腹するまで食べないことでも良いし、その他、何か自分なりの正義を持たなけれなならない。
引き寄せの手順そのものは、ちゃんとなぞっているのに、なぜかうまくいかない者には、正義の信念がないのだと思う。
それがないと、強くならないのだろう。
私も、「これだけはすまい」と強く決めていると、大抵のことは引き寄せられた。
そして、大きな存在になった時こそ、よくよく自分の正義に背いてはならない。そうでないと、大きな悲劇がある。
この度のアメリカ大統領選挙を見ていると、それらのことがはっきり解るし、もうすぐ、邪悪になった大きな力が悲惨な最後を迎えるのを見ることになるだろう。








お金は頼りになる友

新型コロナウイルスにより起こった最大の問題は、貧富の差だ。
元々、世の中の問題の大半はお金の問題で、それが隠されていたのだが、新型コロナウイルスによって、表面に出て来てしまったのだ。
これまでの、地震、台風、豪雨などの天災も、本当は、そこが問題だったのだが、まだ隠されていた。しかし、今回の新型コロナウイルスでは、それを隠せない。
物価はすぐに極端に変動するから銀行預金を含む現金を持ってても仕方がないと言う人もいるが、それは、あくまで、クーデターが起こるような国の話だ。
今回の、新型コロナウイルスにより、蓄えがあることが何より大切であることが分かったと思う。
日本では、新型コロナウイルスが割と早く収束したので、大部分の人は、ちゃんと給料を貰い、これからも、貰えることが期待出来ると思うが、次は分からない。
物価の極端な変動は起こらないとしても、株価は変動する。これが意味することは、大きな会社が潰れないまでも、業績は大きく変化するということだが、そんな上の方の話はどうでも良く、我々個々が認識すべきは、「この先、給料がずっと入ってくるなんて、夢々信じないこと」だ。
大きな会社に勤めていてもそうだし、まして、大きな会社の業績の影響を大きく受ける小さな会社は、さらにそうである。
では、どうすれば良いか?
いきなり収入の大幅アップなど、滅多にあるはずがない。
それなら、一番大切なことは、余計なお金は絶対に使わないことだ。
政府も大企業も、あの手この手で、国民にお金を使わせたがっている。
大企業はテレビCMによって、国民のお金をむしり取ろうとしているし、政府は消費拡大は善であると声を上げる。
あなたはそれを無視すべきである。

自販機で気楽に缶コーヒーや缶ジュースを買うのは、決まって給料の安い人で、私は、お金持ちが自販機に金を入れるのを見たことがない。
そりゃ、お金持ちと食事に行けば、高給な料理を食べさせてくれるが、お金持ちは、無駄なものまでは注文せず、いわゆる札びらを切るようなことをしない(見栄を張らない)。賢い人はワインなんて、高いのも安いのも同じだって、よく分かっているし、そもそも、普通に考えれば分かることだ。(慎ましい日本の皇室はもちろんだが、イギリス王室の方々も、国内晩餐会程度なら、ごく普通のワインを飲んでいる)
398円のお弁当と298円のお弁当があれば、特に理由がなければ、298円の方を買うというのは、ケチでもなければ、貧乏人意識でもない。単に、お金を大切にしているだけのことだ。
それに、私が見た感じでは、むしろ、398円の方が、美味しそうだが、不健康な感じを受けることが多い。
寄付は悪い事ではないが、見栄や自己満足のために、自分に不釣合いな額を出してはならない。
パム・グラウト の本には、手取り収入の1パーセントが相応しいと書かれていたと思うが、それなら、月の手取りが20万円なら2000円で、確かに、その位が適正かもしれない。
だが、その位は人のために使うと、良いことがあると思う。

細木数子さんを、正直、私はあまり好きではないが、それでも、昔、彼女が言っていた、お札の向きを揃えて財布に入れるのは正しいことと思う。
お金を大切にしているということだからだ。
また、多くの金持ちが、小銭を大切にすることを薦めているが、私も昔、10円のお金を大切にしていたら、百万円からどうしても増えなかった貯金が二百万円になって「本当だなあ」と思ったことがあったが、それは偶然ではなく、何か感じることもあった。
また、個人的経験から言えば、お菓子を5つ食べられるところで3つにしたら、願いが叶い易い。だが、0か1つにするのは、欲望が強過ぎるからか、かえってうまくいかない。
江戸時代の少食家で大長者(富豪)だった水野南北も、「3つ食べられるところを、1つを食べずに、心で神仏に捧げれば、願いが叶う」と言っていたと思う。
だが、くれぐれも、無理な超少食や、まして、断食はお薦めしない。
エマニュエル・スウェーデンボルグが天使に教えられた通り、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」を守れば十分である。

加えて、Excel VBAをマスターし、ついでに、私の本『楽しいAI体験から始める機械学習』でAIを作れるようになると良い。
コツは、本を肌身離さず、なるべく多く開くことだ。
そして、「VBAが好きだ」とか「AIが好きだ」と言うことをお薦めする(有声、無声、いずれでも良い)。
そうすれば、気が出て、学習能力は90倍化する・・・かもしれない(笑。藤平光一著『氣の威力』が参考になる)。












当ブログオーナー、KayのAI書。
「自分にはAIなど関係がない」と言いたい人ほど、読んでいただきたい。
誰でもAIを作れる時代は、もう目の前です。
ただし、ツール的にはそうでも、AIを実用的に作るには、プログラミングや数学とは異なるコツやセンスが必要です。
そこで、実際に、自分でAIを作りながら、楽しくそれが分かるようになることを意図して書きました。
Excelが使えるスキルがあれば十分で、Excel VBAが出来るとさらに有利と思います。
ほぼ全ての実習のためのデータを作れるExcelマクロ(VBAプログラム)を出版社サイトから無料ダウンロード出来ます。

適度な修行は良いものだ

昔、会社で、パワハラに対して、今のように厳しい目を向けられなかった時代のことだが、勤務してた会社の若い女性社員が、こんなことを言っていた。
彼女の妹が、短大を卒業して就職したが、毎日泣きながら帰って来ると言う。
ただ、別に、彼女の妹が、特別に厳しい職場にいる訳ではなく、要するに、学生の時の甘い環境に慣れていた妹には辛く感じるというだけのようである。
まあ、彼女の妹のような人は、女に限らず多いが、普通は、やがて逞しく鍛えられ、平気で働けるようになるが、はっきり言って、そんな者は、家庭の中で甘やかされ過ぎたのだと言える。

子供のためを思うなら、ある程度は厳しくしてあげた方が良いのだが、適度に厳しく躾けられた子供は少ない。
親にバランス感覚がないのである。
それで、子供に理想を押し付けて過度に厳しくする親がいる一方、過度に甘やかして子供を駄目にしてしまう親かの、いずれかに偏っているのである。
厳しいというのではなく、親の人間性に大きな問題があって、子供を虐待したり放置したりもあるが、今回は、それは置いておく。
今は、子供を甘やかす場合が多いのだと思う。

マンションなどでは少し様子が違うが、住宅地では特定の曜日に特定の場所にゴミを出すのだが、家の旦那がゴミ出しをしているのは普通に見るが、二十歳以下の若い人がゴミ出しをしているのを見た記憶が私にはない。
こんな簡単なことは、いくら何でも小学5年生になれば出来るのであるから、子供にやらせれば良いはずである。
小学生の時からゴミ出しをさせられた人は幸福である。そうやって得た、まともな思考形態は、即座に役に立ち、社会でもうまくやっていける人間になれる可能性が高まるのだからだ。
かくいう私も、小学生の時どころか、大学生、ニート(笑)、社会人になってからすら、一度もゴミ出しをしなかったので、こんなになってしまった(今はやっているが)。
(数年前、元プロ野球選手の長島一茂さんがテレビで、「僕は子供に何も買ってやらなかった。なぜなら、僕は子供の時、何でも買ってもらえたから、こんなになっちゃった」と言って笑いを取っておられたが、顔はマジだった)
私も、ニート明けに社会人生活を始めた頃は、やはりひどく厳しく感じたが、おそらく、普通のことだったのだろう。
もっとも、私の場合、最初の仕事がセールスマンで、極寒の冬、深夜0時まで、セールスで街を彷徨っていたものである(当時でも法律違反だが、ブラック企業だったので)が、今考えると、どうということはない。まあ、多少鍛えられて、本当に良かったという感じだ。

まあ、子供の時に甘やかされたなら仕方がない。
そんなに極端にする必要はないので、自分を甘やかさず鍛えることだ。これは、甘やかされた自覚が大きい私は、大真面目にやっていた。とはいえ、最近は、自分に甘くなってきたので、ちょっと気合の入れ直しが必要である。
スェーデンの万能の天才で、神秘学者として有名で、あのエマーソンが人類の中の5人の1人に選び、ヘレン・ケラーも崇拝していたエマニュエル・スウェーデンボルグ(今はスウェーデンボリと表記されることが多い)が、こんなことがあったと本に書かれていた。
彼がイギリスに亡命中、レストランで食事をしていて、ちょっと食べ過ぎたと思った時だ。
天使が現れて、「満腹するまで食べて自分を甘やかさすな」とスウェーデンボルグに言ったそうだ。
この、「満腹するまで食べない」というのが、最上の自分の鍛え方の1つと思う。
軽めのものでいいから、何か自分に掟を課し、いかなることがあってもそれを守る(他者に不利益を与えたり、他者の心を不当に害す場合は別)ことをすれば、1年くらいでも、多少鍛えられるはずである。
「アジマリカン」や「南無阿弥陀仏」を唱えようが、自分に甘い者は駄目である。
ただし、何度も言うが、厳し過ぎるのも駄目である。あまりに厳しい課題を持つのは、歪な欲望が基になっている場合が多い。
完全に断酒しなくていいから、ビールならロング缶(中ジョッキ相当)2本、日本酒なら一合といったふうに、限度を決めれば良い。
要は、決めた時間に、決めた量を食べて飲むことだ。
また、決めた時間に、腕降り運動200回とか、腕立て伏せ5回とかを、よほどのことがない限りやるのも効果的だ。
その程度で良いが、逆に言えば、その程度が出来なければ、何をやっても駄目と思う。








悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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