ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

スウェーデンボルグ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

閻魔様の前で何を言おうか?

ギリシャ神話でも、エジプトの死者の書でも、人間は死んだら、生前の行為を裁かれ、死後の運命が決まるとされている。
仏教にも六道輪廻というものがあるが、キリスト教では、最後の審判まで死者は眠り続けるようだ。
だが、熱心なキリスト教徒であるダンテは、『神曲』で、死後の世界のことを詳細に描いているが、やはり、生前の行いにより、死後どうなるかが決まるのである。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、死後の世界を、事実として示したが、裁かれて天国に行くか地獄に行くかが決まるのではなく、仲間の霊が迎えに来るらしい。

他にも、色々な死後の様子のことが語られ、どれが本当か、全部嘘か、あるいは、物質世界では想像も出来ないミラクルな仕組みで、全て本当か・・・それは分からない。
しかし、裁かれるかどうかは別として、人生の総合評価がどうなるか、考えてみても良いと思う。

スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した1973年公開の150分の長編映画『パピヨン』で、スティーブ・マックイーン演じるパピヨンと呼ばれる男は、殺人罪などにより、終身刑の流刑となる。しかし、それは無実の罪だった。
流刑の地でも問題を起こし、独房に入れられたパピヨンは、砂漠の中で裁判を受ける夢を見る。
裁判官は「有罪」を告げ、パピヨンは「俺は殺していない」と訴える。
だが、裁判官は、「その罪ではない」と言う。
パピヨンが、「どの罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と告げる。
それを聴いたパピヨンは呆然として、うな垂れる。
そして、パピヨンは力なく言う。
「確かに有罪だ・・・認めるよ」

人生を無駄にすることが最大の罪であるようだ。
パピヨンもそうであったように、私も、なるほどと思ったものだ。
つまり、人生は値打ちのあるものであり、大切にしなければならない。

昔、こんなことが書かれているのを見たことがある。
「私は死んで閻魔様の前に出たら、大したことは何もしなかったが、便所の下駄だけは揃えて出たと言うつもりだ」
みみっちいようではあるが、もし、一生の間、パーフェクトに実行したなら大したものである。
そして、このように、自分の掟を持ってい者は、大事業とは言わないまでも、それなりに人生を有意義に過ごし、人生を無駄にはしないのかもしれない。
例えば、子供を立派に育てたりしてね。

さて、私は、人生裁判があれば、どう裁かれるのか?
どんな人生であったかと問われれば、アレルギーと人間嫌いに苦しむ人生だったかもしれない。
もちろん、それが人生を無駄にした言い訳にはならない。
というのは、私のそんなハンデはむしろ軽い方だからだ。
そして、子供を立派に育てるなんてことも・・・まあ、絶対しない。
で、威厳ある、敬うべき閻魔様が、
「お前は人生で何をした?」
と問われるなら、私は、
「初音ミクさんを愛しました」
とお答えする。
他には何もない。
そこで、恐ろしい形相で私を震え上がらせた閻魔様が、
「それが何になる?」
と、問い詰めるなら、私は言うだろう。
「それが神に近付くことでした」
しかし、閻魔様は、こう言われるかもしれない。
「それなら、善行に励めば良かったのではないか?」
しかも、悪行は多いときている。
駄目だこりゃ・・・
しかし、言わずとも、私の魂はこう告げる。
「ミクさんを崇めることに優る善はない」
同時に、閻魔様は教えて下さるだろう。
「ゆえに観音はお前を助けた」
確かに、恵み多い人生である。









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正しい食事の仕方とは

私は、2008年の7月末に、それまで、大食、肉食で、甘いものも沢山食べていたのが、急に、1日1食のベジタリアンになり、菓子も一切食べなくなった。
それから、かなりの間、極端な少食・粗食を行っていたと思う。
それで、体重は30kg減り、それまで、健康診断を受けると「異常」、「要精密検査」だらけだったのが、オールAの超健康体になってしまった。
健康以外の面で言えば、元々運は良い方だったので、よくは分からないが、やはり、より良くなったかも知れない。
ただ、人間性に関しては、欠点が多くなったような気がする。
『バガヴァッド・ギーター』によれば、人間の心は、3つの性質に支配される。それは、大体の雰囲気で言えば、

サットヴァ・・・正しい道(至高者への道)を目指す性質
ラジャス・・・過激で極端に走る性質
タマス・・・怠惰になる性質

といったものだ。
心は、これらのいずれかが優勢になり、強く支配される。
私はそれまで、タマスに強く支配されていたのが、ラジャスの性質が強くなったということだろう。
それで、神道の祝詞である大祓詞を、休日には1日10時間以上、平日でも2~3時間上げたり、腕立て伏せを、毎月10回ずつ回数を増やしていき、最後は240回やれるようになったりといったことをやっていた。
また、元々が、フレンドリーな性質でなかったのが、ますます偏屈になっていたのだと思う。

それから、色々変化したのだが、現在は、食に関しては、次のような掟を定めている。
食に関しては、『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神が教えた通り、「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない」としている。
また、エマニュエル・スウェーデンボルグが、天使に警告された、「満腹するまで食べて、自分を甘やかすな」を、自分への教えとして忘れないようにしているが、これが正しい食の態度と思っている。
満腹するまで食べて自分を甘やかしてはいけないが、極端な少食も良くない。
つまり、上に挙げた、心の3つの性質で言えば、タマスに支配されてはならないが、ラジャスにとりつかれることも避けなければならないのである。
タマスに支配されると、ゆるんでしまうが、ラジャスでは、締まり過ぎるのである。
サットヴァを最優先することで、ゆるまない、理想的な状態でいられるのだと思う。

また、睡眠に関しても同じ態度でいる。
つまり、惰眠を貪ってはならないが、眠りが少な過ぎるのも良くない。
私は、毎日、平日も休日も変わらず、朝は4時に起きる。
ただ、就寝時刻は、平日は午後11時半だが、休日は10時半までに寝ることにしている。
本来は、平日も10時半までに寝たいのだが、これは仕事の関係などで難しい。
よって、睡眠時間は、普段は4時間強で、休日のみ、5時間強となる。

運動は、厳し過ぎず、軽過ぎない内容で、朝晩2回を、1年365日、1日も欠かさないように行っているが、かなり体調が悪い日や、帰宅時間が遅い時などは無理をせずに中止するので、1年に数日は、夜はしないということはあるが、1日しないというのは、おそらく、数年に一度くらいと思う。

極端な少食・粗食は避け、十分に食べているが、世間の人に比べると、かなり少食で、食べるものも質素なのだと思う。
身長177cmで、体重は、一昨々年の健康診断で59kg、一昨年は66kgだったが、今は63kgで安定しているようだ(一昨年は若干、食が過ぎたかもしれない)。
17歳の時が63kgで(身長は176cmだった)、これが私のベスト体重なのではと思う。
これより少ないと、私の場合は、痩せているというよりは特に上半身が貧弱な感じで良くないと思う。

食は、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」を守れば十分と思う。
極端な少食や、断食をしたがるのは、ラジャスに支配されているのであり、注意した方が良いと思う。
また、食欲があまりにないのも、食べ過ぎるのと同様、タマスに支配され、心身に異常を起こしている可能性がある。
食事は良いものであり、楽しく行うべきものと思う。









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無限の輪廻からの脱出方法

一説によれば、我々は、輪廻転生をクルクルクルクルと繰り返している。
wowakaさん作詞、作曲、編曲の、初音ミクさんと巡音ルカさんのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』という曲で、「くるくるくるくるり 回る世界に酔う」と言ってるのは、このことだと気付いた・・・ような気がする。

仏教の目的は、輪廻転生からの脱出である。
しかし、キリスト教では、輪廻転生は認めていない。
あの偉大なスウェーデンボルグも、キリスト主義者であるから、輪廻転生を認めなかった。
エドガー・ケイシーは、輪廻転生は、それぞれの魂の成長度合いにより、不定期に起こると言うが、ジョージ・アダムスキーは、「あの世」でゆっくりしている暇もなく、死んだらすぐに転生すると言った(アダムスキーは霊界の存在を認めていない)。

私は、以前はおかしい気がしていたが、案外、アダムスキーの「死んだらすぐに転生」が一番正確なのではないかと思う。
輪廻転生を象徴的に言い表した歌が2つある。

1つは、『劇場版・美少女戦士セーラームーンR』のテーマ曲『Moon Revenge』だ。
最近は、ももクロがカバーしているらしいが、作詞したのは、偉大なる作詞家、冬杜花代子さん(2003年に亡くなられている)だ。
「宿命の愛は、逃げても、追いかけても、死んですら終わらない。なぜなら、それが月の復讐だから」というモチーフで作られた残酷な歌だ。
冬杜さんは、作詞の依頼を受けた時、『美少女戦士セーラームーンR』の「R」の意味を、作者の武内直子さんに尋ねようとしたが、詩人の天才的なインスピレーションでもあったのか、それをやめて、自分で「Revenge」という言葉を割り当てたのだそうだ。

もう1つが、意外に思う人もいるかもしれないが、じんさんが作詞、作曲、編曲した、初音ミクさんの曲『カゲロウデイズ』だ。
凄い歌なんだが、簡単に詩の内容を言うと、

多分、高校生のカップルが、いつものように公園で駄弁(だべ)っていた。
女の子は自分の猫を抱えていた。
その猫が逃げ出し、追いかけていった女の子が車道に飛び込んだ時には、信号機は赤に変わっていて、女の子はトラックに跳ねられて死んでしまう。
そこで、男の子ははっと目を覚まし、ひどい夢を見たと思う。
それで、夢の通り、公園で女の子と話していたが、何か気になったのか、「今日はもう帰ろうか」と言って帰りかけると、空から鉄骨が降ってきて、女の子を貫き、女の子は即死。
そこでまた、男の子は目が覚める。
・・・そんなことを何十年も繰り返す。
男の子は、なんとかして、女の子を救おうとしたが、何をどう試みても駄目だったのだろう。
しかし、ついに男の子は、車道に飛び込もうとする女の子を押しのけ、自分が車道に飛び込む。
次の瞬間、トラックに激突。
「ざまぁみろよ」
僕は勝ったぞ・・・死にゆく刹那、彼はそう思ったのだろう。
しかし、猫を抱きかかえた女の子は目を覚まし、「またダメだったよ」と一人・・・

私は、『カゲロウデイズ』の小説は読んでいないのだが(そろそろ読もうと思っている)、この輪廻を断ち切る方法なら分かる。
それは、男の子か女の子のいずれかが、相手を救おうという目的を捨てることだ。
『Moon Revenge』であれば、執着する愛しい人を捨てることだ。
簡単に言えば、全くの無目的になることだ。
だが、人間にとって、それは難しいのだろう。
しかし、無目的にならなければ、輪廻の鎖は断ち切れない。

ぼーかりおどPさん作詞、作曲、編曲の初音ミクさんの『1/6』という歌も、解釈によっては輪廻転生を表している。
「いつか君を重力の鎖から救い出し、君を連れて月に行くよ」といった歌であるが、歌にもある通り、「今は君を救いたいエゴイズム」がある限り無理である。
やるべきことは、彼女を手放すことだ。

私は、無目的になる練習をしている。
「賢くなろう」とか「救われよう」などという一切の希望を捨て、ただ淡々と『新約聖書』を読むというのも、その1つだ。
あるいは、「解脱しよう」、「悟りを開こう」なんてことを全く考えずに、ただ、自分に対して「私」と呼びかける。
「認められよう」、「偉くなろう」などと全く思わずに仕事をする。
「試験で良い点を取ろう」、「受験に合格しよう」などと夢々思わずに勉強する。
そんなことが出来たら、死を待つまでもなく、輪廻の鎖を断ち切れるが、そんなことを目的としても、また駄目なのである。

















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少食、運動を続ける秘策

少食が良いと言われても、ほとんどの人が、美味しいものをいくらでも食べることが出来る今の日本で、それ(少食)を実践できる人は滅多にいない。
だが、大食に耽っていると、身体や運勢から段階的な警告が来るが、それを無視し続けると、ひどく健康を害したり、ツキに見放されて惨めな状態になる。
ところが、体調が悪くて病院に行っても、どんな医者も、「食べ過ぎが原因です」とは言ってくれず、山のように薬を出した上、「栄養を取りなさい」なんてことを言う。
まして、仕事や家庭や交友がうまくいかないことの原因が大食だと言う人は、ほとんど皆無だ。

少食になれば、健康も運勢も向上するといった内容の本も沢山あるし、おそらく、大方では、それらの本に書かれている通りなのだが(食を慎めば良いだけであるから、外しようがないが)、そんな本は、読まない人は読まないし、読めと薦められて読んでも実践出来ない。
偉大な神秘家で、科学者、政治家、思想家であったエマニュエル・スウェーデンボルグは、亡命したイギリスで、夕食を食べ過ぎた時に、霊、あるいは、天使が現れ、「満腹するまで食べて自分を甘やかしてはならない」と厳しく警告されて食を慎むようになった。
あれほどの人物でも、そんなことでもない限り、食べ過ぎてしまうのだ。
食の慎みは大切であるが、それが出来る人は、やはり立派なのである。
だが、立派でなくても少食になりたいなら、格好の良いスタイルになって優越感を持ちたいという、邪まな目的でも持った方が良いのかもしれない。

私が1日1食の少食になった原因はよく分からない。
確かに、体調も悪くなっていたが、正直に言えば、見栄もあったに違いない。
3ヶ月で体重が25kg落ちたが、普通は、ここでリバウンドする。
あるいは、もう少し持っても、やがて、元に戻る場合が多い。
敬愛する岡田斗司夫氏は、レコーディング・ダイエット(食べたものをメモするだけ)で50kg痩せ、彼が書いたダイエット本(複数)はベストセラーになり、講演でもさぞ儲けたと思うが、今はすっかりリバウンドし、ドワンゴの川上会長との対談で、川上氏に、「ダイエットに成功してリバウンドしないことが、岡田さんの唯一尊敬出来るところだったのに、尊敬出来るところがなくなっちゃいました」と言われていたようだ(ただし、先に岡田氏が、川上氏の茶髪を「似あってない」「何、若者ぶってるの」と言ったことに対する仕返しっぽいが)。
だが、私は、少食を始めたのが2008年7月末と、既に、初音ミクさんデビューから1年近くで、かなり有名になっていたミクさんのスリムなお姿に憧れたおかげで、いまだリバウンドは全くありえない。

私の少食を永遠にしたのは、まさたかPさんによる、初音ミクさんのPVの傑作『Chaining Intention』だ。
このPVを、ミクさんの映像と量子的に融合するほど見たものだ。
【初音ミク PV】Chaining Intention【HD】[HD1080p] -Youtube-
ダイエットしたい方は見ることをお奨めする。
さらに進化したミクさんの『Chaining Intention』のダンスは、『夏祭初音鑑』で披露されている。
これのブルーレイやDVDの映像特典でお姿を見て、格好良いことに驚いたまさたかPさんには感謝している。

ところで、少食と共に難しいのは運動だ。
私は、元々がプロレスラー志望で、プロレス流トレーニングに詳しかったから、少食で身体が軽くなったら、運動も楽に取り組めたが、そうでない人もいるだろうし、まして、沢山食べて、消化にエネルギーを奪われている人には難しいかもしれない。
実際、消化に必要なエネルギーは想像以上で、坂本龍一さんだったと思うが、食事の後に創造的なことをやろうとしても駄目だと言っておられたと思う。全くその通りだ。
そこで、私は、楽で、しかも、効果抜群の腕振り運動をよく薦めているのだが、これも、続けるには根気がいる。シンドくはないが、時間がかかるからだ。
そんな時、上にも挙げた川上量生さんが、ブログに、引きこもっていた自分にとって幸運だったのは、家に階段があったことで、階段の昇り降りでも良い運動になると書かれていたのを見て、「なるほど」と思ったのだった。
生活や遊びに必要なものが、1階と2階に分けて置いてあると、「仕方なく」階段を昇り降りするもので、それは確かに、立派な運動なのである。
それに気が付いてから、私は、「無駄に」階段を昇り降りするようになった。
買ってきたものを2階に持って行く時、一度に運べると思っても、丁寧に2回に分けて運べば、階段も2回昇ることが出来る。
「2階のエアコン消したっけ?」と、ちょっとでも思ったら、躊躇なく確認に行けば、また階段を昇れる。
また、買い物に行くのも、良い運動だ。
すっかり似合うようになったスリムなジーンズで決め、引きこもりとしては本当は行きたくない、賑やかな百貨店に、1~2km歩いていけば素晴らしい運動になるし、たとえ車で行っても、店内を高速で歩き回れば良い。まあ、買うものがほとんどないのが泣き所ではある。欲しいものが無いので、買い物に行くモチベーションを持ち難いのだが、可愛い店員のいるスーパーも1件ある。
スーパーは、売上を上げたければ、昔ながらに、看板娘でも置けば良い・・・まあ、半分冗談だ(つまり、半分、本気だ)。

少食、運動共に、「仕方なく」の部分を作らないと、なかなかうまくいかないかもしれない。
メタボ検診というのは、かなりデタラメなものらしいが、それでも、これに引っかかって恥ずかしい(あるいは面倒な)思いをしたくないので、「仕方なく」食を慎むというのもありだろう。
どん理由にしろ、食を慎めば勝ちである。
岡田斗司夫さんには、リバウンドしてはいけない「仕方のない」理由が無いのだろう。
私のように、初音ミクさんを崇めていれば、「仕方なく」食を慎めるのだが、残念なことである。彼は、オタクの割に、女神信仰はないのだろうか?
人間は、そんなに・・・いや、少しも立派なものではないので、「止む無く」「仕方なく」の部分がなければ、怠惰に流れる自分を止められないのかもしれない。
虚栄心というものが決して消えないなら、役立っていただこうではないか?









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仏典や聖書に書かれていることをそのままに受け取ってしまう人たち

さすがに現代の我々が、西の方角のはるか彼方に西方極楽浄土があり、そこに阿弥陀如来という仏様がいて、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、かならず阿弥陀如来が救ってくれるというお話を、そのまま受け取ることはできない。
大昔の、教養も情報もない人々なら、そのまま受け取ることが正しいことだった。
ところが、現代の、十分な教養や情報を持っているはずの人々が、なぜか、仏典や、あるいは、その他の神話、聖典に書かれていることを、「事実」として受け取ることがよくある。
怪しい新興宗教に入る人達は、そんな人だ。
かといって、仏典や神話に書かれていることを「嘘デタラメ」と取るのも、やはり馬鹿なのである。
それらは、象徴的に書かれているのであり、深い真理を、昔の教養のない人々にも分かるよう、神話の形をとっているだけである・・・というのは、あまりに当たり前のことのように思う。
なぜ、現代の教養ある人々が、仏典や聖典に書かれていることを、そのまま事実と受け取るかというと、その理由は2つである。
(1)学校では、暗記ばかりやらされ、自分で考えるという訓練をしなかった。
(2)権威に平伏(ひれふ)すよう調教された。仏典や聖典は権威があるので、度を過ぎて調教された優等生ほど疑わない。

法然は、『選択本願念仏集』で、「南無阿弥陀仏」を唱えれば、阿弥陀如来は、無数の仏、菩薩を派遣して守ってくれると説くが、もちろん、象徴的に言ったのである。
ただ、法然は、無知な庶民は、そのまま信じれば良いと思っていただろうし、素直に信じれば、結果として、救われる。
しかし、現在の我々が、そのまま信じるなら、それは、素直というのではなく、自分でモノを考えない馬鹿である。
仏教が方便(便宜上の手段)であることは大前提であるし、それは、いかなる宗教も同様のはずだ。

阿弥陀如来などの話は、象徴的なものであり、方便であると、割とはっきり言ったのが、法然の弟子の親鸞だった。
親鸞は、エリート僧達が、仏典に書かれていることをそのまま受け取る馬鹿であることに呆れていたのだ。
「庶民はそれで良い。しかし、指導する僧がそれでは困るじゃないか」
親鸞も、庶民や、仏教の専門家でない武士の前などでは、自分も、仏典に書かれていることを、そのまま信じているふりをしたに違いない。
しかし、弟子達の前では、西方極楽浄土も、阿弥陀如来も、象徴的に表現されたものであることを、ごく自然に語っていたのである。
一休は、庶民に対しても、仏典のもっと良い解釈をさせようとしていた。一休は、生活が楽だったし、仏教界に対し、多少の批判はあっても恨みがないので、親鸞よりゆったりしたところがあったのだと思う。

エマニュエル・スウェーデンボルグによると、むしろ、現代人は馬鹿になっているので、聖書に書かれていることをそのまま受け取るのだと言う。
古代の人達には叡智があり、聖書を読んでも、その真の意味が分かったらしいのだ。
なるほど、我々には、古代の賢者のような叡智はない。
しかし、科学や情報があり、それなりの正しい答は導ける。
ところが、学校では暗記ばかりやらされ、自分で考えないので、屁理屈は言えても、本当の理屈には弱いのだ。

ジョセフ・マーフィーの成功法則も、やはり庶民用として、聖書に書かれていることを、ある程度はそのままの調子で適用している。
マーフィーは、「子供でも分かるように書いた」というが、逆に言えば、ある程度は子供用なのである。
だから、ある時期がくれば、象徴的に書かれている部分は、自分で解釈しなければならない。そして、優れた解釈をするためには、知識や思考力も必要である。
ある程度の考える力を持ち、欲深にならずに、淡々と読めば、マーフィーの本にしろ、仏典や聖書、その他の聖典の意味も自然に分かると思う。
ところが、巷には、マーフィーの本の内容を、そのまま「ガチの事実」として解説した本を出す、頭の悪い困った人達や出版社が多いのである。

だが、自殺したい子供達には、ある程度は、「事実として」マーフィーや、その他の潜在意識の法則の本を読ませれば良い。
それが支えになり、自殺する気はなくなる。
そして、大人になり、知識が増え、考える力がつけば、それらの本の真意が分かるようになり、その時こそ、大きなことも出来るようになる。
だが、たとえ狂信的になったとしても、死なれるよりは良い。
『クリスマス・ツリー』という映画で、10歳の息子に何でも買い与える(ブルドーザーですら)父親を、彼の友人が叱責した。
「そんなことでは、お前の息子はとんでもないロクデナシになるぞ!」
それに対し、父親は、
「なって欲しいよ。どんなロクデナシでも。なれるのならね」
と応える。
息子は、白血病に侵され、後、数ヶ月しか生きられないのだった。

マーフィーの本を正しく解釈するためには、例えば、『投影された宇宙』や河合隼雄さんの本を読むと良いと思う。
私は、東浩紀さんが作詞された初音ミクさんの歌『イニシエーション』を聴いて、その中の「コンステレーション」という言葉の意味が分からなかったが、河合隼雄さんの本を読んだら、第一章のタイトルが、いきなり『コンステレーション』で、しかも、読むとよく分かった。やはり、精神にはそんな力があり、私の個人的な事例を挙げても、凄いものは沢山あるのである。









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