ジョージ・ワシントンが少年時代、斧の切れ味を試したくて、父親が大切にしていた桜の木を切ってしまったが、父親に正直に告白したら、父親は怒るどころか、かえって感心して彼を誉めたという有名な逸話は、どうやら作り話らしい。
ワシントンにはもう1つ、真偽が疑われる逸話がある。
それは、ワシントンがやはり少年時代、屋根から落ちたか、穴に落ちたのかは忘れたが、大人に、「大丈夫か?」と聞かれた時、「将来、アメリカを救う英雄になる僕が、こんなことくらいでどうにかなるはずがない」と答えたというものだ。
このような思い込みを持てることは幸運なことだ。
人間を動かす大きなエネルギーは、根拠のない自信、盲目的な信念だ。
だがそれは、意図的に持つことは出来ない。
だが、これこそ、「求めよ、そうすれば与えられる」である。
どうすればそれが与えられるかが、今回のお話である。
これを持てば、情熱溢れるスリリングな、不安などとは無縁な、楽しい冒険の人生が待っている。
アルベルト・シュヴァイツァーは二十歳の時、学者になるか宗教家(キリスト教の神父と思う)になるかで悩んでいた。優秀な彼は、いずれの道にも自信があった。
しかし、ふと、こんなことで迷うのは、自分のことしか考えていないからだと気付いた。
それで、「30歳までは自分のために生きる。30歳からは他の人のために生きる」と決意したら、迷いは消えた。
そして、学者、音楽家として大成功し、富も名誉も得たが、二十歳の時の誓いも忘れてはいなかった。
だが、何をすれば良いのか分からない。
ところが、30歳目前という時、たまたま見たパンフレットに、「アフリカでは人々が医療サービスを受けることが出来ず苦しんでいるので、誰か助けて欲しい」ということが書かれているのを見て、「これだ!」と思い、30歳にして医大に入学し、38歳で医学博士になると、90歳を過ぎて亡くなるまで、アフリカで医療活動を行い、また、そうしながら得た思想を『生命への畏敬』と題して発表した。
シュヴァイツァーの「30歳までは自分のため。30歳からは人のため」というのは、一種の霊感によるものと思うが、これが下りてきたのも、二十歳の時の彼がすでに、非利己的な人間であったからだと思う。
シュヴァイツァーの真似・・・というのも何だが、20代で医学博士の学位と富を得たアーマンド・ハマーは、「青春は終わった」と宣言し、医療機器を満載した船で、旧ソ連に行ったが、チホノフ首相に「医者はソ連にも居る。経済を頼む」と言われて、ビジネスで旧ソ連に貢献した。
このハマーの盲目的な信念が面白い・・・と言っては不遜だが、実際、興味深い。
それを得たのは、彼が7歳の時。
それはある願いなのだが、それは、「自分より優れた人のために役に立つこと」で、これが彼の生涯忘れなかった目標だった。
「自分より優れた人」というのは、自分以外の全ての人と解釈して間違いあるまい。
この謙虚さに満ちた利他的な目標が、彼に無限のエネルギーと幸運を与えたのだ。
偉大になる鍵は、利他的な目標である。
しかし、それを持つ器というものがあるのかもしれない。
普通の人は、自分が何とかやっていけるようにと願い、それを目標にする。
しかし、それでも別に構わない。
「人様に迷惑をかけない人間になる」というのは、庶民の目標として立派であるし、そう簡単なことでもない。
そもそも、まずこちらを達成してからでないと、利他的な目標もあったものではないので、まず、こちらを目標に持っても良いのかもしれない。
自分がまだ自立していないと思ったら、腕振り運動をしながら、少し、「人様に迷惑をかけない人間に」と思っていれば、アイデアは出てくるし、運も開け、必要なものは容易く得られる。
自分が自立していたら、あるいは、その自信があれば、「世のため人のため」と少し思いながら腕振り運動をやれば、より大きな閃きと幸運がやってくる。
あるいは、心の中で、微かな声で、「愛」とか「神」という一言を囁けば、そして、それを思い出す度にやれば、やがて、肌がゾクゾクするような霊感が起こるだろう。
人生というのはなかなか楽しいもののようである。
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ワシントンにはもう1つ、真偽が疑われる逸話がある。
それは、ワシントンがやはり少年時代、屋根から落ちたか、穴に落ちたのかは忘れたが、大人に、「大丈夫か?」と聞かれた時、「将来、アメリカを救う英雄になる僕が、こんなことくらいでどうにかなるはずがない」と答えたというものだ。
このような思い込みを持てることは幸運なことだ。
人間を動かす大きなエネルギーは、根拠のない自信、盲目的な信念だ。
だがそれは、意図的に持つことは出来ない。
だが、これこそ、「求めよ、そうすれば与えられる」である。
どうすればそれが与えられるかが、今回のお話である。
これを持てば、情熱溢れるスリリングな、不安などとは無縁な、楽しい冒険の人生が待っている。
アルベルト・シュヴァイツァーは二十歳の時、学者になるか宗教家(キリスト教の神父と思う)になるかで悩んでいた。優秀な彼は、いずれの道にも自信があった。
しかし、ふと、こんなことで迷うのは、自分のことしか考えていないからだと気付いた。
それで、「30歳までは自分のために生きる。30歳からは他の人のために生きる」と決意したら、迷いは消えた。
そして、学者、音楽家として大成功し、富も名誉も得たが、二十歳の時の誓いも忘れてはいなかった。
だが、何をすれば良いのか分からない。
ところが、30歳目前という時、たまたま見たパンフレットに、「アフリカでは人々が医療サービスを受けることが出来ず苦しんでいるので、誰か助けて欲しい」ということが書かれているのを見て、「これだ!」と思い、30歳にして医大に入学し、38歳で医学博士になると、90歳を過ぎて亡くなるまで、アフリカで医療活動を行い、また、そうしながら得た思想を『生命への畏敬』と題して発表した。
シュヴァイツァーの「30歳までは自分のため。30歳からは人のため」というのは、一種の霊感によるものと思うが、これが下りてきたのも、二十歳の時の彼がすでに、非利己的な人間であったからだと思う。
シュヴァイツァーの真似・・・というのも何だが、20代で医学博士の学位と富を得たアーマンド・ハマーは、「青春は終わった」と宣言し、医療機器を満載した船で、旧ソ連に行ったが、チホノフ首相に「医者はソ連にも居る。経済を頼む」と言われて、ビジネスで旧ソ連に貢献した。
このハマーの盲目的な信念が面白い・・・と言っては不遜だが、実際、興味深い。
それを得たのは、彼が7歳の時。
それはある願いなのだが、それは、「自分より優れた人のために役に立つこと」で、これが彼の生涯忘れなかった目標だった。
「自分より優れた人」というのは、自分以外の全ての人と解釈して間違いあるまい。
この謙虚さに満ちた利他的な目標が、彼に無限のエネルギーと幸運を与えたのだ。
偉大になる鍵は、利他的な目標である。
しかし、それを持つ器というものがあるのかもしれない。
普通の人は、自分が何とかやっていけるようにと願い、それを目標にする。
しかし、それでも別に構わない。
「人様に迷惑をかけない人間になる」というのは、庶民の目標として立派であるし、そう簡単なことでもない。
そもそも、まずこちらを達成してからでないと、利他的な目標もあったものではないので、まず、こちらを目標に持っても良いのかもしれない。
自分がまだ自立していないと思ったら、腕振り運動をしながら、少し、「人様に迷惑をかけない人間に」と思っていれば、アイデアは出てくるし、運も開け、必要なものは容易く得られる。
自分が自立していたら、あるいは、その自信があれば、「世のため人のため」と少し思いながら腕振り運動をやれば、より大きな閃きと幸運がやってくる。
あるいは、心の中で、微かな声で、「愛」とか「神」という一言を囁けば、そして、それを思い出す度にやれば、やがて、肌がゾクゾクするような霊感が起こるだろう。
人生というのはなかなか楽しいもののようである。
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