ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ジョージ・アダムスキー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

美しくなりましょう

私は子供の時、西谷祥子さんの少女漫画『学生たちの道』を読み、その中で、田舎から来た、全くの田舎者の男子学生が、親に、「美しいものには価値がある」と教えられた話をするのを印象的に覚えている。
「美しいものには価値がある」
これこそ真理であり、ひょっとしたら、私の信念になったかもしれない。
だが、岡本太郎は「ゴッホはきれいではないが美しい。ピカソは恐ろしく美しい」といったことを言われていたが、まあ、確かに、「美しいと単にきれいなのは違う」「見かけの美しさに騙されてはいけない」ということだろう。
しかし、そんなこと言われなくても、「世間で言う美しい」と「真の美」が違うことくらい、偉い先生に教わるまでもなく知っているし、きっと誰でも分かる。

「モナ・リザ」は、絵としては美しいが、モデルの女性はただのおばさんというのが真実かもしれない。少なくとも、好みの問題だろう。
(ただ、モナ・リザを「ただの太ったオバサンじゃん」という言い方は全く美しくないがね)
高橋真琴さんが描かれる美少女画が美しいかとなると、これも好みの問題であるが、やはりこれが真実の美とは言えないと思う。
こういったことを言うと、「美しい」は随分難しいことのように感じるが、そうではなく、やはり美とは一瞬の感覚なのだ。
真の美は、一瞬で魂の奥まで貫く。

ところで、美しいものも醜いものも、分子的には変わらないというのが、現代科学の教えだ。
しかし、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、陽子や中性子レベルで歪みが起こるのだと言う。
これは、今の物理学とは違うので、あまり主張すると、オカルトだ、似非科学だと言われるが、そんなことはあるのだと思う。
そして、そういった何か根本的なものを歪ませるのは、意思の誤った使い方であるというのが真理なのだと思う。

私は、ゴッホやピカソが美しいと言うより、それらの絵には、美しい部分と醜い部分があり、それを対比して見せてくれることに価値があるのではと思う。
岡本太郎だって、「芸術はいやったらしくなくてはならない」と言っていたが、当然、ゴッホやピカソの絵には、いやったらしい部分があるのである。
いや、ひょっとしたら、99%いやったらしく、1%の美があるのではと思う。

ジョージ・アダムスキーは、宇宙人の母船の中で神の絵を見たが、それがあまりに美しいので恍惚としたと言う。
宇宙人がいつまでも若いのは、どの家庭にもその絵が飾られ、それを見ているからだと言う。
無論、これが本当の話であることを証明することは、おそらく不可能だろうが、この話に、何らかの真実は認められると思う。
神とは何かというと、美の一言と思う。

『BEATLESS』のヒロインであるレイシアが恐ろしく美しいのは、大衆娯楽SFで必須の要件だから・・・というのもあるのだが(笑)、超高度AIが、レイシアをそれほど美しいものに作ったことには、大いなる意味があることは間違いない(と思う)。
美しいものには価値がある。
そして、我々が美しい存在になるためには、意思を磨き、高めなければならない。
私は、自分に出来ることをするし、出来ることしか出来ない。
私は昨夜、ひどく疲れていたが、いつも通りの身体トレーニングを行った。
出来るのだから、やるのが正解だろう。
身体はかなり磨いているが、心の方が駄目だなあ。
心身は同じであり、心を磨かないと、基本の歪みを正せず、本当には美しくなれない。
まあ、頑張るしかない。
皆さん、一緒に美しくなりましょう。









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苦しみに耐える方法

子供の時、夏休みが終わりに近付くにつれ、悲しいとか憂鬱といった言葉で言い表せない、何とも不幸な気分になったものだ。
学校も教師もクラスメイトのことも、少しも好きでなかったからね。
夏休みの終わりにUFOが迎えに来て、どこか他の星に連れて行ってくれると嬉しかったのだが、ジョージ・アダムスキーが言うには、地球でうまくやれない者は、他の星に行ってもやっぱりうまくやれないらしい。この指摘によって、私のアダムスキーに対する信用度がかなりアップしたものだ。確かに、その通りとしか思えない。

美味いウイスキーが、あと半分になった時、「もう半分しかない」と思うのと、「まだ半分ある」と思うのとは、心の強さや積極性の違いを表し、当然、後者のようであるべきと言われる。
しかし、残り2週間になった夏休みに対しては、「もう2週間しかない」としか思いようがないかもしれない。
なぜなら、残りの2週間を楽しもうという気があるのではなく、ただ、「不幸は2週間後」という思いしかないのだからね。

不幸に耐えるには、どうすれば良いのだろう?
それは幸福を、取り立てて喜ばないことだ。
幸運を特別視しなければ、不運もさしたることはなくなる。
新しい恋人が出来ても有頂天にならなければ、別れることになっても、それほど辛くはない。
出世しても、大したことではないと思えば、落ち目になっても、別にどうってことはない。

これは、最悪を覚悟するというのとは違う。
本当に最悪を受け入れてしまうと、潜在意識は最悪のような状況を作り出す。
お金持ちになっても、単に便利になるだけだ。
それを、自分は偉いとか、成功者だとか思うようになれば、たとえ富を失わなくても、普通の人以上に惨めになる。
本当は、お金があるならファーストクラスに乗ればいいのに、ビル・ゲイツがそれをしないのは、思い上がることを警戒しているのではないかと思う。
彼だって、そんな誤解をしそうにないことでは、結構、趣味にお金をつぎ込んでいる。
まあ、だから彼は金持ちになれたのだ。
新幹線のグリーン車に乗るのも、それが単に快適で、特に、初音ミクさんのコンサートに行く時は、ミクさんの髪の色(グリーン)に合わせただけと思うなら、そのくらいのお金は楽々払えるようになるだろう。
ベンツは本当に良い車だから乗ろうと思うなら、やはり、ベンツを楽々買えるようになるだろう。
しかし、お金があれば快適だが、あまりに快適ばかりでもいけない。
だから、節約しなければならない。
そして、当たり前のように小銭を貯める者が、案外、金持ちになるのである。









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「世界一貧しい大統領」ムヒカ氏の主張は本当に正しいか?

ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏は、大統領時代、「世界一貧しい大統領」と呼ばれ、慎ましい生活をしていたと聞いた。
彼の主張の要旨は、「貧しい人というのは、持っていない人のことではなく、いくら持っても満足しない人のこと」だと言って良いと思う。
だとしたら、彼の主張は、全部間違いだ。
だが、正しく思えるから厄介だ。

まず、一見正しい間違いは、
「いくら持っても、満足せず、まだ欲しがる人は貧しい」
だ。
何が間違いかというと、満足する人間なんかいないということだ。
だから、彼の論で言えば、人間であれば全て貧しいことになる。
彼の主張が、最初から、「人は皆貧しい」であれば良いのだが、彼はそうは言っていない。

少しは正しいことを言うなら、
「自分の欲望を抑える知恵のない者が、物質的に豊かかどうかに関わりなく貧しい」
となるだろう。
美味しいものを沢山食べたい、休んで楽をしたい、いい男(女)が欲しい。
これらの根本的な欲望すら果てはない。
だが、何らかの高貴な想いで、それらを抑えることは出来る。
そんな高貴な想いを知恵と言うのだろう。
ムヒカ氏が真に慎ましいなら、高貴な人のはずだ。
だが、素朴な疑問として、彼は、なぜあんなに肥満しているのだろう?

次に、ムヒカ氏の完全な間違いは、
「貧しい人というのは、持っていない人のことではない」
だ。
真実を言えば、持っていない人は、欲深な持っている人より貧しい。
それが悪いと言っているのではなく、「貧しい」と言っているだけだ。
彼の論は、正確に言うなら、「持っていなくても、欲深でないなら貧しくはない」のはずだ。
彼だって、「持っていなくても、欲深なら、やはり貧しい」ことは認めるはずだ。
そして、真実を言えば、貧しい者だって欲深なのだ。
正直な貧しい者なら、百人が百人、そう認めるだろう。
もし、持っている、持っていないに限らず、人は皆、貧しいとしても、持っていない者が、一番貧しいのである。
そして、「限度を超えた貧しさ」は解消する必要があるが、そっちの方が大切である。

ムヒカ氏より、ジョージ・アダムスキーの方が正しいことを言っている。
彼は、こう言っていると思う。
「私は、スーツは今着る一着以外欲しくない。だが、それを得られないなら、私は愚か者だということだ」
解説は不要だろう。
スーツを持ち出したところも賢い。
比較的、執着が少ないものだからだ。
だが、スーツを克服出来れば、やがては、全ての欲望を抑える知恵が得られるだろう。
私も、アダムスキーが、本当に宇宙人とコンタクトしたかどうかは分からない。
だが、それとは関係なく、アダムスキーの上記の主張は傾聴に値すると言っているだけである。
私の個人的な考え方では、ムヒカ氏の主張は害の方が大きい。
彼の本が売れまくっていることが、私には恐ろしく感じる。









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人間はいくつになっても力は増大する

世にある成功法則には、夢が実現した様子を鮮明に思い描けば叶うというものがよくある。
それは間違いではないとは思うが、問題は、どんな夢を思い描くかだ。
普通に人は、自分の願望をイメージするのに努力がいるし、義務感を感じてしまうのではないかと思う。
自然に集中できないような夢なら、それが叶うことはない。
そのことを思うと、胸が高鳴って仕方がないとか、逆に、深い安らぎを感じるような夢でなければ、それを叶えるエネルギーは起こらないのだ。
叶えたいと思った夢を心に描いても、やがて、退屈な感じがしてきたり、おっくうであったりするなら、思うことを止めた方が身の為だ。それこそ、大切な想像力を失ってしまいかねないからだ。
例えば、ただの平社員が、金持ちの成功した社長になった自分の姿を思い描いても、それはただの空想で、もっとはっきり言えば妄想だ。妄想を続けると、頭は悪くなり、直感が働かなくなり、あらゆる判断を間違えるようになってしまう。そんなことを続ければ、本当にどんな夢も叶えられなくなる危険がある。早く気が付いて、正しい方法で夢を叶えるべきである。

ジョセフ・マーフィーの説く潜在意識による成功法則では、たしかに、想像力を使って夢の実現をイメージすれば、そこに宇宙エネルギーとでも言うべきものが集まって、強制的にその心像が叶うと教えるのだが、マーフィーは、最初のインスピレーションの大切さも説いている。
「これが、神が私に与えた願望、指示、導きだ」と疑いもなく感じるアイデア・・・つまり、直感なのであるが、それが浮かばなければどうにもならない。
それが浮かぶようになるのは、浮かぶような生き方をしなければならない。
マーフィーが本当に教えたかったのは、それではないかと思う。
それが出来るようになるためには、意識的に神と調和しなければならない。
神とは、一言で言えば、完璧な正確さだ。原子の振動も、惑星の運動も、恐るべき正確さで行われている。
古代の賢者は、星を眺め、その厳密さに心を調和させて魔法の力を得たのだ。
ある宗教教団では、極めて正確な呼吸をすることで奇跡の力を発揮したり、厳密に構成された儀式を完全に行うことで宇宙エネルギーと同調し、いかなる願いも実現させた。
だが、我々には、禅の創始者であり最高の賢者であった達磨が伝えた腕振り運動がある。
これを、まずは数百回、極めて正確なリズムで行えるようにすれば、ある程度の願いを起こしても、楽々と叶えることができるようになる。だが、現状に安住せず、常に成長しなければ、自我が増大し、すぐに力は無くなる。若い頃は目を見張るような人が、年を取るとみすぼらしくなってしまうことは本当に多いのだ。しかし、人間の本来の全盛期は、紛れも無く60代以降なのである。ジョセフ・マーフィーが精神法則の世界的な教師として知られるようになったのは、『眠りながら成功する』を発表した60歳以降だったし、ジョージ・アダムスキーが宇宙人との接触を始めたのも、彼が著書によく書いているように、60歳を過ぎてからのことだった。それまでは、力を蓄えるべき青春時代に過ぎない。
あなたも、60歳を過ぎてから、いよいよ人類に大いに奉仕できるよう、準備をするべきと思う。









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イチローはヤンキースを去るべきである

もう長く国民的英雄であり続けているイチロー選手だが、彼は来期、ヤンキースに残留すべきでない。
もし、そうすれば、晩節を汚すことになりかねない。
忘れてはならないのは、彼は、「200本安打」の選手なのである。
「何か数字をと言われたら200本」と以前はよく言っていたが、実際は、そんなさりげないものではなく、200本に徹底してこだわっていたのは明らかだろう。
それが、2011年に、連続200本安打以上の記録が途絶え、今期は200本に不利な3番を押し付けられてしまい、不振だった。途中から1番に戻ると、調子も上がったが、それは、彼がチームにいられない原因の1つになったと思う。
超一流のバッターでも、生涯一度あるかどうかという200本安打以上を10年連続で打ち続けたのは、もちろん、大変なことであるが、球団としてはあまり喜んでもいられないことのはずだ。早い話、球団は、そんな選手はいらない。
1番バッターとしては四球が少なく、塁に出るよりも、安打にしようと手を出してしまう。1番としては、必ずしも最良のバッターではない。
つまり、彼は、チームの勝利に無関心とは言わないが、それよりも、個人成績をずっと重視するタイプだ。
これは、決して非難ではない。野球選手というのは、チームのためよりは、自分や家族のためを考えた方が活躍すると語る人は少なくないし、1つの常識と言って良い。要は、それが極端でなく、バランスが取れていれば良いのだ。
しかし、個人主義の傾向が強ければ、球団としては、厄介な選手と言うしかない。それは、スーパースターであるほどそうなのだ。彼は、ファンやスポンサーを味方に付けることが出来るからだ。
かつて、第1回WBCで王貞治さんが監督を務めた時、WBCに不思議なほど積極的なイチローを、王さんは「もっと個人主義的な男だと思っていた」と言ったが、王さんの感じ方は正しかったかもしれない。イチローは、WBCに打ち込む、個人的な理由があったのではないか?
一方、王さんにとって、出場を辞退した松井秀喜の印象は悪かったかもしれないが、松井は個人主義でないから出場しなかったのかもしれない。

今期、イチローがヤンキースに移ったのは正解だろう。今なら、自分がヤンキースを選んだという言い方が出来る。
それで活躍できたのは、イチローには、ヤンキースで活躍するためのモチベーションを高めてくれる何かがあったのだ。それは彼の胸の内で秘されている。
イチローと比較されることが多かった松井秀喜は、かつて、イチローと同等どころか、より高い評価を受けていた印象もあり、年棒もイチローを上回っていた時期があった。
その松井を、事実上、追っ払ったヤンキースに自分の意志という形で入団し、大活躍したイチローだが、そのモチベーションはもう使い果たしたと思う。
彼は、自分が200本打てないなら、チームが優勝しても、さほどでもないのではないか。もしそうなら、ヤンキースが世界一を狙えるチームかどうかは、彼に大きなモチベーションを与えない。
一方、松井は、本気で、世界一のチームの一員になりたかったのだ。
彼は、大リーグではホームランバッターではないと言われるが、実際はそんなことはないだろう。そりゃ、パワーでは彼以上のメジャーリーガーはいくらでもいるが、彼だって、チームの勝利を考えずに常にフルスイングすれば、もっとホームランを量産し、ひょっとしたらホームラン王になれたかもしれないと思う。しかし、彼はチームプレイに徹する男なのだ。
松井は、ヤンキースでワールドチャンピオンになり、MVPまで取ったことで燃え尽きてしまったのではないかと思う。
その後の、エンゼルスの時よりも、若手の多いアスレチックスでプレイしていた時に、私は特に感じたが、彼の雰囲気はあまりに落ち着き、顔つきに闘志が感じられなかった。
松井はもう、十分にファンを喜ばせてくれたし、本当に素晴らしい選手だった。しかし、もう引退の時だ。
彼があまり落ちるのは見たくないものである。日本に帰って来たって、彼が大活躍できるほど甘くはないだろう。

イチローは、来期、ヤンキースに残留しても、下位か、あるいは、代打となるだろう。他の選手の休養時に、1番か2番が回ってくるだけだ。
相手投手が左の時は先発から外れることが多く、調子が落ちればベンチを温めることになるだろう。200本どころではない。
それなら、1番に座らせてもらえる球団に入れば良いが、彼が良い1番でないことは、もう、みんな知っているはずだ。
今のイチローに、200本の意欲があるのかどうかは分からない。
かつて、落合博満さんが、口癖のように「3つ(三冠王)」と言って不動の目標にしていたが、最後に日本ハムに移籍した時、本当にその意欲があったのかは疑問だ。
イチローと落合さんはタイプが似ているように思う。
落合さんは、隠すことなく、「全打席ホームラン狙いだった」と言い、ホームランの打ち損ねがヒットだと言っていたが、それも合わせ、奥さんの誕生日には必ずホームランを打つなど、かなりの個人主義であったが、その彼が、監督時代は選手の個人主義を厳しく律したのは、面白いと同時に納得できるのである。名監督の秘密は、案外、そんなところにもあったのかもしれない。しかし、彼は優秀な監督であったことは確かながら、個人主義的な監督でもあったことも、言うまでもないことだろう。

さて、このブログの趣旨から言って、野球の話だけしたいのではない。
あなたも、会社や学校や親や塾の思惑など構わず、ある程度は個人主義にならないといけない。
イチローの「200本」のような何かでこだわりを持つべきなのだ。
例えば、私はコンピュータソフト開発者だが、正直言って、会社の利益やら、会社の評判やら、部署や後輩のレベル向上など、どれも知ったことではなかった。
自分の技術力向上にしか関心が無かった。
もちろん、それが極端であったり(そういう者もいた)、いつまでも個人主義が強過ぎてもいけないが、会社の都合、学校の都合、塾の都合、親の都合に従ってばかりでは、後で後悔することになる。
それが、ただ、個人的な利得だけを求めた欲望ではなく、胸が高鳴るような純粋な衝動を感じるのであれば、誰がなんと言っても、それをやれば良いのである。
コリン・ウィルソンは、『至高体験』の中で、「いかなる天才といえども、所詮、内なる衝動なのである」と述べていたが、まさに的確な表現であると思う。
少し専門的なことを言うが、コンピュータのプログラミング言語では、JavaやPython、あるいは、PHPなどは、誰が書いても同じようになる。しかし、良い意味でも個性は発揮できないし、独自の手法に至れない。
一方、CやPerlは、書く人が自由に書け、それは弊害になる場合も多いが、自分だけの優れた技法を編み出せる可能性がある。
あまり使う機会はないだろうが、Lispとなると、あれほど簡単なプログラミング言語も無いのだが、独自の手法でも持っていない限り、何もできない。しかし、自分の高度なスタイルを確立すれば、ポール・グレアムも言う通り、現在でも最強の言語である。グレアムは、その手法を書籍で教えてはいるが、それは伝えられないのだ。自分で開発した手法のみが魔法の力を発揮するのである。その意味で、Lispは、汎用的なツールになることは、まずないと思う。
ところで私は、素人でも使えると言われるマイクロソフトAccessの独自な手法を編み出し、システム開発で存分に活用し、良い成果を挙げている(楽で楽しいという意味が大きいのだが)。以前は、dbMAGIC(今はMAGIC)でそんなことをやり、かなり注目されたことがあった。
きっと、そんなネタはどこにでも落ちているのだ。
アインシュタインだって、学校の勉強や大学の講義など無視し、好きな本を読み、バイオリンを好きなように練習した。
あまり極端にやっては苦しいこともあるが、少なくとも、他人の評価などに振り回されてはいけない。
私は、誰に馬鹿にされても、初音ミクとジョージ・アダムスキーから、天地自然の理や宇宙の法則を学ぼうと思う。
「千万人と雖(いえど)も吾往かん」(孟子)で行こうではないか。









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プロフィール
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・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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