ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジョセフ・マーフィー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

不安を消す真言

心身の健康に対する最大の敵はストレスであると言って良いと思う。
ストレスとは、過度の精神的プレッシャー(圧力)が起こすもので、苦痛や苦悩を意味する distress(ディストレス)が短くなったものだと言われている。
つまり、ストレスとは、精神的緊張が苦痛や苦悩を生み出してしまった状態だ。
森高千里さんの『ザ・ストレス』(作詞は森高千里さん)という歌で、「ストレスがオンナを駄目にする」「ストレスがオトコを駄目にする」「ストレスが地球を駄目にする」と歌われていたが、全くその通りであると思う。
ストレスが限度を超えると、脳機能が変調・低下し、それによって、判断力や感情だけでなく、消化器官、循環器官にも異常を起こす。そのまま放置すると、精神的、および、肉体的な病気になる危険がある。

また、ストレスは老化の原因であり、ストレスが高いほど早く老け、逆に、ストレスが少ないと若さを保ち、一切のストレスがなければ歳を取らない。
よって、人間は、何をおいても、ストレスを消さなければならない。
しかし、「ストレス解消」と言って、暴飲暴食や馬鹿騒ぎをしたら、かえってストレスは高まる。
また、ストレスが高い時の衝動買いは、ロクなものを買わないので、後で後悔し、これもストレスになる場合が多い。

ストレスの正体は何だろう?
それは、不安である。
ジョセフ・マーフィーの名著『あなたは不安なしに生きられる』の原題は、
LIVING WITHOUT STRAIN(1959)
で、"STRAIN"とは、「(心身に対する)重荷,重圧,緊張,重い負担」という意味だ。
この"STRAIN"を、名翻訳者、桑名一央氏は「不安」と訳したのだが、これがまさにぴったりで、「不安」とは「心の重荷、重圧」なのだ。
心の重荷(=不安)こそが、ストレスを作り、男を駄目にし、女を駄目にし、地球を駄目にする。
DS(闇の支配者)は、民衆の心に重荷をかけて不安にし、それでストレスを持たせることで、民衆を力なき愚民にして支配するのである。
ミヒャエル・エンデは、『はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)』で、「虚無」が人間を滅ぼすと言ったが、虚無の正体こそ不安である。
我々は、決して、不安に屈してはならない。
だが、それを気力や根性でやろうとしたら失敗する。
では、どうすれば良いのか?
それは意外に簡単である。

我々はこれまで、不安を消す方法を知らなかった。
だが、不安を消すのは真言である。
真言を唱えることで不安は消える。
なぜなら、さっき、不安の正体は、「心の重荷」と述べたことから、すぐに分かるのである。
イエスは、「重荷は私に託せ」と言ったではないか。
ラマナ・マハルシは、『私は誰か?』の18章で、記憶すべき重要なことを述べている。

どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。
神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?
われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
~『私は誰か?』(非売の小冊子)より~

この通り、やはり、重荷は神に託せと教えているのだ。
イエスに託すことと、神に託すことは同意である。なぜなら、イエスは、我々と神との仲介者であるからだ。
確かに、イエスは、その方法をはっきり示さなかったが、その方法は真言なのである。理由は明解である。すぐ述べる。

真言がなぜ、重荷を託し、不安を消すことになるのか?
なぜなら、真言とは、「神の名、神を褒め称える言葉、神の存在を認識する言葉、あるいは、神の存在を暗示する言葉」だからだ。
つまり、真言を唱えれば、自分よりはるかに高い存在であり、自分よりはるかに力のある存在に心を向けることになるが、それらの高次の存在には、我々の重荷など、取るに足らないのである。
そして、肝心なことは、頼めば、高次の存在は、簡単に重荷を引き受けてくれるのである。
特に、仏教がそれを保証している。

日本人には馴染みの深い真言である念仏「南無阿弥陀仏」は、まさに、「阿弥陀仏に帰依(頼りすがること)する」という意味である。
これはつまり、阿弥陀仏に自分の重荷を全托するという意味に他ならない。
高次の存在は、心を向ければ(意識を向ければ)、応えてくれるのである。
そして、最も強く心を向けるのは、信頼することや、褒め称えることである。
だって、我々は、何かを心から褒め称える時、その対象への信頼を感じているのである。そうでなければ、その称賛は偽物だ。
確かに、偽物の称賛は多い。
例えば、金メダリストへの称賛、一流大学合格者への称賛、疑惑のある選挙で選ばれた大統領への称賛などは、偽物である場合が多い。
口では称賛しながらも、信頼を感じていないからだ。
だが、真言は、心からの称賛の言葉だ。
例えば、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」も、観世音菩薩真言「オン、アロリキャ、ソワカ」も、仏・菩薩を心から褒め称える言葉である。
般若心経の呪文(これも真言である)「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」もそうである。
これらの言葉は、偽りでない称賛が起こるようプログラムされた特別な言葉である。
心ではそう気付かなくても、それを唱える者は、魂で高次の存在を称賛するのである。
「アマテラスオホミカミ」や「アメノミナカヌシノカミ」などの神の名もそうで、神の名(これも真言である)を唱える時、魂は神を称賛するのである。
称賛を受けた神は、喜んで重荷を引き受けてくれる。
それは確実であり、そうであれば、不安が残るはずがない。
不安が消えるまで、たゆまず、真言を唱えるべきである。








不死身の秘密

この世界に、問題や苦しみは多く、それに対し、人間の力はあまりにも小さい。
誰かが、人間の運命は、海に漂う小舟のようだと言ったが、なるほど、それが実感だろう。
どこに流されるかさっぱり分からないし、風が吹いて海が荒れれば、あっさり沈みかねない。
だが、昔から、そんな沢山の小舟の中で、風が吹いたら、あっさり沈む船もある一方、全く沈まずいつも安全な船があった。
そして、どんな船が沈まないか・・・つまり、幸運な人間であるかが深く探求されてきた。

人間を船に喩えたついでに言えば、遭難して助かる人間は、割と特徴がある。
意思の強い人間である。
信仰というのは、時として強い意思を与える。
ある男は、乗っていた船が沈没し、救命胴衣で浮かんで海を漂っていたが、必ず神が助けてくれると信じて祈り続け、ついに救助された。
確かに、たまたま助かったのかもしれないが、助けた船の方からすると、不思議な経緯で、遭難者を見つけた場合が多く、やはり信仰というのは力があると考えられる場合が多いのである。
また、無信仰な男の、こんな話もある。
第二次世界大戦中、その男は日本海軍の船に乗っていたが、何度も米軍の艦船の襲撃を受け、米軍の飛行機の銃撃や魚雷で大半の者が死に、そこで死ななかった者は船にあった浮かぶ物に掴まって漂流するのだが、鮫に襲われることも多く、それよりも、ほとんどの者は恐怖と絶望で気力を失って、すぐに死んでしまうものらしい。
だが、その男は、5度も乗っていた船を沈めらたが、毎回、彼は当然のように生き残った。
一緒に漂流している者達が次々死んでいく中で、彼だけは死なないのである。
特別に身体が強靭であったわけではない。
だが、とにかく、彼は酒が大好きで、暗く寒い海に漂いながらも、陸に上がって酒を飲むことだけを考え続けたという。
その異常なまでの酒好きが、彼に「もう一度飲みたい」という強い願望を与え、それが強い意思になったのである。
信仰のためか、あるいは、酒を飲みたいといった低俗な願望のためかという違いはあっても、それによって得られる強い意思は、救助船をも引き寄せるのである。
そうであれば、強い意思は、あらゆる良いものを引きつけることだろう。

だが、我々は、強い信仰を持っている訳ではない。
ひょっとしたら、信仰を持っているつもりかもしれないが、極限的な場面でも揺るがないほどではないかもしれない。
熱心な信仰者と言われている者も、その信仰は、大抵はそれほど強くはない。
また、酒ではないにしても、誰しも、何らかの願望はあるが、それも、不死身の力を与え、宇宙を動かすほどのものである場合は稀である。
だが、自分の意思は弱くても、強い意思と融合すれば、超人的な意思の力を持っているのと同じことなのだ。
強い意思の中でも、最高の強大な意思・・・つまり、神や仏の意思と融合する方法が真言を唱えることである。
宇宙に何らかの意思が存在し、それが宇宙を生んだのであることは、科学者、ことに、量子物理学者の間では認められつつあるが、太古の人類は、その意思を神や仏として感じていた。
そして、神や仏と融合するリズムや響きのある言葉、つまり、真言を、シャーマンのような人達が神や仏から直接教わり、自ら、そして、敬虔な人々に教え、共に、長い年月、唱え続けることで、強化していった。
それが、今日に伝わる真言で、特に、仏教の中の密教として伝えられている。
神の名、教文、呪文、念仏も、多くの人が長く唱えることで、人類共通の意識(集合意識、純粋意識、超意識などで、神や仏の意識との境目はない)に、その言葉を根付かせ、その言葉を唱える者を、やはり、強大な意識と融合させ、強い意思の力を与えた。それらの言葉も真言と考えて良いだろう。

このような理由で、真言の力は絶大で、いかなる問題があろうが、真言を唱えれば必ず解決し、救われるのであるから、安心して良いのである。
何か問題があれば、あれこれ余計なことを考えず、真言を唱えれば解決する。
確かに、人間個人の心というものがあり、それで出来る些細なことはしないといけない。
例えば、私で言えば、いかに、初音ミクさんのライブのチケットが欲しくても、自分で出来ること・・・つまり、チケットの抽選申し込みはしなくてはならない。
しかし、後は、真言を唱え、なりゆきにまかせるしかない。
すると、大抵は間違いなく当たるのだが、当たらないとしても、それに倍する良いことがあるのである。
逆に言えば、自分で出来る程度のことも出来ないのは、意思が弱過ぎるのであり、それは、真言が足りていないのである。そして、今は、意思が弱過ぎる者が多くなってしまった。
かつて、私が勤めていた職場に、何をやっても駄目な男がいて、これほど駄目なのも、この男の宿命と思って諦めていたが、やはり、彼は意思が弱過ぎるのであり、真言を唱えていれば、駄目でなくなったはずなのである。
だが、彼に真言を唱えさせるのは難しかったかもしれない。
意思があまりに弱いせいで、世間の教義や信念にすっかり染まっており、真言を唱えようとは思わないだろうから。
しかし、真言を唱えていれば救われたのである。
それなら、我々が代わりに救われれば良いのである。

尚、宇宙、あるいは、神の意思について、ジョセフ・マーフィーの『努力嫌いの成功法』に上手く書かれていると思う。
この本の原題は『コズミック・エナージャイザー』で、これは、「宇宙の活力」という意味だが、これこそが宇宙の、あるいは、神の意思と思って良いと思う。
その意味、科学的な視点の成功法則の本と言えると思う。








内にある宝に気付く方法

豊かさとは何かを考えさせられる2つの対照的なお話がある。
それぞれ単独でも面白いが、2つ同時に見ると、もっと面白い。
そして、そこに仏教の知恵を加えると、誰でもそれを得られる。

1つは、ある女性の話で、彼女は普通の家庭に生まれ、普通に育った。
現在の日本の大半の子供同様、何不自由ない生活だったが、彼女の賢い親には無駄を慎む美徳があり、彼女にもそれをしっかり躾けた。
彼女は普通に大学を出て、普通に就職したが、親は余計な干渉もしない代わりに余計な援助で甘やかすこともなかったので、彼女は苦労しながらも、仕事で立派に勤めを果たしていた。
すると、ある時、彼女の親は、彼女に彼女名義の預金通帳とその印鑑を渡した。
それには、サラリーマンの生涯給与くらいは入っていた。
実は、彼女の家は、相当な金持ちだったのだが、彼女はそれをずっと知らなかったのだった。
今や、彼女が人間的に立派になったので、彼女の親は、もう、このお金を渡しても大丈夫だと判断し、そうしたのだった。

もう1つは、マーフィーの成功法則で世界的に知られるジョセフ・マーフィーの本に書かれていることだ。
貧しい労働者の息子は、ある時、自分は将来、医者になりたいと思い、父親に言ってみた。
すると、父親は意外なことを言った。
「実は、こんな時のために、父さんは貯金をしていて、既にかなりの額になっている。だから、お前は望み通り医者になれる。しかし、思うのだが、お前は、医者になるまで、この金を使わない方が良い。しかし、いざという時には自由に使えるので安心しなさい」
息子は感激し、金は自分が立派に医者になるまで使わないと父に誓った。
そして、苦労をしながらも、息子は医大を出て医者になった。
その時、父は言った。
「私のような貧しい労働者が貯金するなんてことは出来ない。金は本当は無かった。しかし、お前は医者になれた」

1つ目は、実際はお金があるのに、それを知らなかった女性の話で、もう1つは、金があると思っていたが、実際はなかった男性の話だ。
しかし、同じことなのだ。
賢い親により、2人は幸福になった。
賢ければ、金があろうがなかろうが同じなのである。
仏教にこんなお話がある。
ある男が、ひどく貧しい友に、お守りをあげ、「これを大事にし、いざとなったら開けなさい」と言った。
長い月日が流れ、2人は再会したが、貧しかった友は、今も貧しかった。
ところが、この友に渡したお守りの中には、大きなダイヤモンドが入っていたのに、友はそれに気付かなったのだ。
仏教では、誰でも、このようなダイヤモンドを持っていると教えている。
最初から、仏様からそれをもらっているのだが、ほとんどの人はそれに気付かない。
昔から、厳しい修行をすることで、それを得ることが出来ると言われているが、得るも何も、最初から持っているので、修行など必要ない。
それに気付く方法が、真言を唱えることなのである。
それを、龍樹からの1つの流れである、道綽、善導、法然、親鸞は、念仏として伝え、別の流れである、不空(ふくう)、恵果(えか/けいか)、空海は真言密教として伝え、主な真言は「オン、アビラウンケン」である。
他にも、法華経の中の観音経では「南無観世音菩薩」で、他にも、いろいろな真言がある。
ルドルフ・シュタイナーが言うように、高級な霊界である神界に仏教の世界があるが(想像出来ないほど壮大と思う)、真言が、そことの霊的交流を起こす手段と思われる。
高貴な真言には、どれも、その力があるはずで、心の中で、丁寧に静かに唱えると良い。
すると、仏の力とも言えるものが現実的に流れ込むのである。
仏典には、それが象徴的に述べられているのだと思う。








ジョセフ・マーフィーの成功法則を真に生かすには

昔、私は、ジョセフ・マーフィーの本を読んでニートを止めることが出来た。
マーフィーの潜在意識の活用法に効果があるかどうかというよりも、極めて重要なのに、親族も学校もテレビも教えてくれなかった知識・・・人間の中に広大無辺な力があるということを教えてもらえたことが良かったのだと思う。
逆に言えば、こういうことを知らずにいたら、これほど悲惨なことはない。
ただ、私は、中学1年生の時、『エリート』(原作:平井和正、漫画:桑田二郎)という漫画で、普通の人間は潜在的に持っている能力のほんの僅かしか使っていないことを気付かされたので、マーフィー法則にも親しみを感じたのだ思う。これも幸運なことだった。
そして、マーフィーの成功法則は、おそらく確かに効果がある。
私は、最初の仕事はフルコミッション(完全歩合制)セールスという、文明国の中では最もブラックな仕事の1つに就いたが、10人入社したら1カ月後には9人が止めるという中で残ったし、駆け出しの頃に、強豪セールスマン達を押しのけてセールスコンテストで優勝した時は、マーフィー法則で設定した目標額とほとんどぴったりの金額を売り上げたものだった。
そして、有名セールスマンの本も読んだが、彼らのほとんど全部が潜在意識の力について語るのだから、この方面の理解はますます大きくなった。

そんなわけで、今はニートだが立派に働きたい者や、人生で二進(にっち)も三進(さっち)もいかない状況にある人は、ジョセフ・マーフィーの本を読むことをお勧めする。
ただし、マーフィーの法則で、いつまでもやっていられるわけではないと思う。
マーフィーの法則で成功した人の話は沢山あるが、そんな人達の後日談は、ほとんど出て来ないのには、何かわけがありそうだ。
少し前に、ようやく、『和の成功法則』という本で、マーフィーの成功法則のようなもので大成功したが、その後はあまり良いことにならなかった話が著者自身の話としてあったが、別に、大成功しなくても、そうなる場合が多いと思う。
結局のところ、人間が本当に求めているのは心の安らぎのようなもので、物質的に満たされても、それが得られる訳ではない。
心の安らぎのために、ある程度のお金は必要かもしれないが、非常に貧しくても心から満足している人もおり、究極的にはそれが理想なのである。
アメリカのあるセミナーで、願いは100万ドルという女性に対し、深い知恵にも通じていたセミナー講師がとっておきのテクニックで、この女性に心の安らぎを感じさせたら、彼女は100万ドルはどうでも良くなった。
そして、そんな状態になってこそ、必要であれば無理なく100万ドルがやって来るのである。
逆に、必要もないのに、無理に100万ドルを得たりしたらロクなことにはならない。
まあ、普通は100万ドルの器がなければ、そんなものはやっては来ないが、間違って自分の器を大きく超える額が来たら悲惨である。
器の大きさは運命のようなもので、誰もが大金持ちになれるわけではないし、本当のところ、ならない方が幸せであろう。

「足るを知る」といった年寄めいたことを言う必要はなく、欲しいものは大きく求めれば良いが、欲張ってはいけないことも確かである。
ある世界最高の投資家に成功の秘訣を聞いたら、「欲張らないことさ」と言ったというが、それが彼の実感とか本音であると思う。彼だって、欲張って大失敗した経験があるから分かるのだろう。
とはいえ、失敗から学ぶと言っても、取り返しのつかない失敗をしてはどうにもならない。
だから、マーフィーの法則でうまくいってから精神性を求めるのではなく、なるべく早い機会から、心を重んじることを同時にやるのが良いだろう。
そうすれば、マーフィーの法則自体がうまくいかない人も、すいすい引き寄せが出来るようになる。
何せ、欲しいものを得ても害を受けないなら、神様も安心して与えられるというものである。
さしずめ、『バガヴァッド・ギーター』を読み、どれほどやりがいのある仕事、創造的な仕事、重要な仕事であっても、所詮は義務でしかないことが分かると良いと思う。
責任感を持って仕事に励む財務長官も、実は何もしていないのであり、そうではなく、自分がそれをしているのだと、あまりに強く思うから悲惨な失敗をするのである。








ソフトタッチこそが極意

人間、力むとロクなことがない。
潜在意識による成功法則の世界的権威であるジョセフ・マーフィーは、代表的な著書『眠りながら成功する』で、願いがいかに強く熱意があっても、その願い方はどこかソフトタッチでなければならないと書いていたが、これは本当に重要なことと思う。
力むとは、自我(顕在意識と言って良いと思う)が優勢になっている状態であり、それだと、願いが万能の潜在意識に届かない。

スポーツでも、ダンスでも、講演でも、武道でも、力んで緊張していると実力が発揮出来ない。
本当に優れた者は、力が抜け、リラックスしているものである。

発明家の政木和三博士は、50歳を過ぎてから始めたゴルフも達人で、関西シニア選手権で優勝し、ゴルファーの夢であるエージシュート(年齢以下のスコアを出す)を2度達成している。
政木博士が言うゴルフの極意とは、インパクトの瞬間、力を抜くことであった。
最小の力でボールを叩くのである。
私はゴルフは全然知らないので表現が適切でないかもしれないが、政木博士はドライバーで370ヤードを飛ばしたことがあり(男子プロでも難しい)、300ヤードはいつでも飛ばせたと言う。

合気道の達人、塩田剛三が、こんな興味深いことを言っていたらしい。
「合気道では打撃の練習はしないが、打撃でも、ボクシングや空手より強い」
これは、ビックリ仰天発言だろう。
だが、塩田剛三の師である植芝盛平は、「拳聖」と言われた名ボクサー、ピストン堀口とスパーリングした際、堀口のパンチを掴み取ることが出来たそうだ。
塩田剛三も、ボクシング経験のある米兵とストリートファイト(早い話が喧嘩)し、楽勝したと言う。
塩田剛三が言う打撃のコツは、
「手は軽く握る。力を入れず、ぽんぽんと当てるように打つ」
だったと思う。
ここでもやはり、ソフトタッチが一番強いことをうかがわせる。

私が最近注目している言霊研究家、大野靖志氏の著書で、穢れを祓えば自分で決めたことが叶うが、その時も、軽く決めよと書かれていた。
やはり、「絶対叶えてやる」と力むと叶い難いのだと思う。
大野氏が製作した特殊なお祓いのCDや、それから作った音源をオーディオ機器やパソコンやスマホで流しながら、願いを「〇〇になった」と過去完了形で口で言うか心で思う、あるいは、紙に書いてそのパソコンの上にでも乗せておけば良いが、やはり、力まずに言ったり思ったりすることが大切で、紙に書いても、保存しておく必要はないと言う。

ソフトタッチ(あるいはフェザータッチ)こそ、究極の極意であることを、よくよく忘れてはならないと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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