ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

ジョセフ・マーフィー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

全ての運命が決定済みだということと、マーフィーの潜在意識の法則は全く矛盾しない

私が先月の4月7日からはっきり申し上げるようになった、人の運命は生まれてから死ぬまで全て完全に決まっているということと、以前はよくお奨めしていた、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則は矛盾するのではないかといったコメントをいただいたが、これについて説明しよう。

ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則とは、いかなる願望であろうが、それを潜在意識に刻み込めば、潜在意識に隠された無限の力がそれを実現するというものだ。
しかし、上に述べた通り、人の運命はいかなる些細な点も全て決まっており、我々にはいかなるコントロールをする力もない。我々はただ、決められた通りに動き、話し、考えるだけの操り人形のようなものである。
それらが矛盾するかと言うと、何らの矛盾もない。
私は決定された運命のことと同時に、度々、石を投げ上げれば必ず落ちてくるのが法則だと述べている。
そして、マーフィーの潜在意識の法則は、正しい法則であり、石を投げれば落ちてくるのと同様、正しく使えば必ず願いは叶う。
私は、ジョセフ・マーフィーという人は、我々が思う以上に大変な人なのだと思う。普段の生活は実に質素で、ほとんどいつも、本を書くか読むかしかせず、食事なども非常に慎ましいものであったらしい。しかし、度々世界旅行に出かけていて、馴染みになっている海外の地も数多いようだった。彼は、インドやヨーロッパの魔法結社のようなものとも、よく通じていたに違いないと思う。

まず、世界に対し、何等の支配力も持たない我々の願いが叶うかというと、それは視点によって異なる。
それは、マーフィーの本にちゃんと書いてあるのだが、マーフィーの教えを勝手な解釈で歪めた人が多いので、そんな人達の書いたものを読むと分からなくなる。
私は、以前から、マーフィーの教えは、必ず、マーフィー自身が書いた本から学べと度々強調していたのだ。
我欲の願いは決して叶わない。叶ったように見えても、それは、たまたまそういう宿命だったというだけのことだ。
一方、本心から来る願い…それは、閃きとして浮かぶものだが、そんな願いは叶う。叶うべき願いが、閃きで訪れるのである。自分では、願いが起こった後にそれが叶ったように思っているが、実はその逆で、成就は既に決まっていたことが、心の深奥から願いとして湧いてくるのである。

再度言うが、石を投げれば落ちてくるのが法則であるように、マーフィーの法則に正しく則って祈れば必ず叶う。
マーフィーは、黄金律を守れ、即ち、自分に起こって欲しいことを他人のために心から祈れと教えたはずだ。そして、憎しみは捨てなければならず、自分に悪いことをした者も赦さなければならないと常に強調していたはずだ。
我欲からの願いで、これらのことは決してできない。
しかし、魂からの願いであれば、心がすっと晴れた瞬間、これらのことが完全に成されるのである。そして、その願いは必ず叶うのだ。
ただ、マーフィーは、一般の人々に対し、彼らのものの考え方に合わせた教えを与えたのも事実だ。
それは、釈迦もイエスも同じであり、まずは、人々が受け入れ易いような話をしたのである。









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辛い状況から抜け出す実践技術

今回は、読者の方からのコメントに対する返答である。他の方々の参考にもなるはずだ。

粗食、少食になり、聖典を読み、瞑想や腕振り運動(スワイソウ)をする人には、苦しい現状を打破し、安楽に至りたいという人が少なくないと思う。
それは悪いことではないし、是非、良い状況に世界を作りかえれば良いと思う。
だが、多くの人が、それがなかなか上手くいかないと言うだろう。それで、私はいつも、うまくいかない理由と、それを修正する方法も、同じことを何度も言葉を変えて言うのだが、言葉というのは効率の悪いものだ。話言葉であれば、少々話すことが上手い人でも、言ったことの3割伝われば良い方だが、文章でも、内容によるが、まあ、そんなものである。そこで、釈迦やイエスは、たとえ話を多用し、その場ではピンと来なくても、時期が来れば内部から自然に理解が訪れるようにしたのだ。

まず、自分の状況、自分の世界を創りだしているのは、自分の心である。
とりあえず言ってみると、世界は実在ではなく、心が作り上げた幻想であり、想念を持たない聖者にとって、世界というものは存在していない。
そうは言われても、凡人たる我々にとって、世界はリアルであり、確かに存在する。
しかし、やはり辛い状況というのは、自分が作り出しているものなのだ。
斎藤一人さんという大事業家は、一番最初に書いた本『変な人が書いた成功法則』で、「困ったことなんか起るはずがない」と書かれていた。彼はその後、膨大な数の本を書いているが、私は、覚えておくべき教えは、この「困ったことなんか起るはずがない」だけでいいと思う。
実際、我々に困ったことなんか起らない。
自分で勝手に困っているだけだ・・・と書いて気付くが、なるほど、真理ほど誤解を受け易いものはない。斎藤さんが、その後、この言葉を封印し、多くのことを語った気持ちも分かろうというものだ。
私も、困ることだらけであったが、斎藤さんが述べられた通り、困ったことなんか起るはずがないと思ったら、実際、後で考えたら、何にも困っていなかった。気疲れして損をしたような気もしたが、そうではないのだ。責任を放棄してのほほんとしていたら、やっぱり本当に困ることになる。

苦しいのはあなただけではない。皆、辛いといえば辛いのだ。苦難のない人間など一人もいない。嫌なことがないなら人間に生まれてきたりなどしない。
植物や動物は、引き抜かれたり、殺されたりして餌になるとしても、別に嫌だとは思っていない。恐怖や苦痛はあるかもしれないが、人間のように思い煩ったりしない。喰われることもまた快感なのだ。本能はそうプログラムされている。
今の辛い状況は、それを辛いと思わなくなれば、そこから脱出するか、あるいは、現実が劇的に変わるだろう。
誰が辛いとか苦しいと言っているのか?
誰が嫌だと感じているのか?
それを見出せば、そのようなものは存在しないことが分かる。現実に分かる。
いつも述べる通り、想念を消し、無になれば、人間に不可能はない。
どんな考えであっても構わない。それが起った時に、「この考えは誰に起ったのか?」と問うのだ。答は、「私に」であるに決まっている。それが了解されたなら、すかさず、「私は誰か?」と問うのだ。すると、想念は破壊される。これを根気強く続ければ、私自体が消滅するだろう。そして、真の自分が輝き現れる。
このようなことは、食を慎み、性的な関心から注意を引き上げている者にとっては、容易いものである。
だが、たかだか数ヶ月、1日1食をやったくらいで、早急な効果を期待してはならない。しかし、いずれ、確実な効果があるだろう。

ラマナ・マハルシは、悟りには師の恩寵は必ず必要だと言った。
では、師を持たない我々はどうするのか?
しかし、師がいないはずがないというのが真相だ。
『エメラルド・タブレット』で、トートは、いつも人々の中にいると書いていなかっただろうか?
イエスは、いつもあなた方の中にいると言わなかっただろうか?
肉体を持っている時すら、マハルシはほとんど会話をしなかった。しかし、マハルシの沈黙の前にしばらくいた者は、皆、生まれ変わって去って行ったのだ。
いまや、マハルシは偏在である。我々は、いようと思えば、いつでもその現前にいられる。彼が亡くなって半世紀以上も経っても、彼のアシュラマム(道場)への世界中からの巡礼は絶えない。マハルシも、巡礼は良いものだと言ったが、別に、今流行のパワースポットに行くという意味ではなく、心を目標に向け易いからだ。魂の中に、場所というものはない。
N.V.ピールの本に書かれていたが、アメリカ中を車で行商していた男は、仕事が厳しいと感じていたが、イエスが共にいることを感じるようになってからは、何の不安も持つことがなく、仕事も上手くいくようになったという。J.マーフィーの本では、ポンコツのトラックで古着を売る仕事をしていた、小学校も出ていなかった男は、やはり、聖なる存在を身近に感じるようになり、やがて富豪になった。
聖典を毎日読むのは、師を探し、見つけるためである。
エドガー・ケイシーは、9歳から毎朝欠かさず聖書を読み、13歳の時に、師が外側の世界に現れる。それ以降も、彼の人生に苦難は多かったが、それは、周囲にそう見えるだけのことだ。

我々は、自分の辛い状況を、何とも思わないようになれる。
そして、そうなれば、もはや、そのような状況は不要となり、あなたはもっと相応しい場所に行くか、周りの状況が変わってしまうだろう。
決して、状況が変わって、あなたの苦悩がなくなるのではない。
このあたりが分からないので、いつまでも苦しむ人が多いのである。

他の人の役に立つような、良いご質問をお待ちしている。









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なぜ敬虔な想いを感じた時、胸に手を当てるのか?

ある西部劇映画で、非常に印象に残った1シーンがある。
西部劇では、酒場とレストランの区別がつき難いと思うが、そこは、バンドが演奏していたので、そこそこには広い、酒場あるいはレストランだった。
そこで、まず、2人くらいの男達が殴りあいの喧嘩を始め、周りの男達は、そのとばっちりを喰う度に喧嘩に加わり、やがて、酒場全体が乱闘状態になってしまった。

その時、バンドが、アメリカ国歌『星条旗』の演奏を始める(アメリカ国歌を『星条旗よ永遠なれ』と思っている人が多いが、それは間違いである)。
すると、男達は乱闘をやめ、帽子を脱ぎ、それを持った手を胸に当てて、じっと立ったまま演奏を聴いていた。
アメリカ人の、アメリカという国家に対する崇敬の念が現れているが、日本でいえば、天皇陛下に対してならありえるのかなと思う。
これが誇張かというと、そうでもない。
元クライスラー会長のリー・アイアコッカの2冊目の自伝『アイアコッカ2』で読んだ覚えがあるが、1980年代に、ニューヨークの自由の女神の修復が行われ(アイアコッカは、その資金集めに協力して奔走していた)、それが完成した時の式典の日、ニューヨークでは、タイヤ1つ盗まれなかったと書かれてあった。泥棒達ですら、アメリカの象徴の晴れの日には閉店休業したのである。

多大な苦難の末に達成したアメリカ合衆国の英国からの独立や、海外から自由とチャンスを求めて移民してきた人々が、自由の女神を見て感じたアメリカへの希望というものは、恵まれた我々には想像もできないものなのだろう。

ところで、あの西部劇のシーンを思い出した時、もう1つ注意すべきは、男達が、帽子を持った手を胸に当てていたことだ。
サッカーの国際大会でも、国歌が演奏される時、多くの国で、選手達は、やはり国歌を歌いながら、胸に手を当てているだろう。
これは、人類共通の無意識な行為と思う。なぜ、そのようなことをするのかというと、緊張したり、恐怖を感じたり、あるいは、驚いた時に、心臓に大きな反応が起こることから、心が胸、あるいは、心臓にあると思うようになったのだと考えても不自然ではないと思う。それで、深く心を込めた思いを表す時には、自然に胸に手を置くのだろう。
しかし、別に心臓の働きに影響がある訳でもない、ほっとした時や、安らぎを感じる時、敬虔さや畏怖を感じる時にも、自然に胸を押さえるのだ。それは、鼓動とはまた違った、何か不思議な感覚を胸に感じるからである。

アニメ『デビルマン』の最終回「幼獣ゴッド、神の奇跡」で、ヒロインで高校1年生の美少女、牧村美樹の前に現れた、神のごとき奇跡の力を持つ幼獣ゴッドは、「我、神なり」と言うが、美樹はそれを認めず、「神様ならここにいる」と言って、胸を押さえた。
このようなストーリーが普通に成立するように、人間は、胸の位置に、貴い何かを感じるのだ。

人が自分を指す時、自然に胸の右側を指すという。それは、私も全く同意できる。
ラマナ・マハルシに関する著書によれば、マハルシは、聖典にそのことが述べられており、胸の中央から指2本分右に、魂の座があるという。
人が、「私、私、・・・」と考えていると、想念はそこに集まってくる。
心は、その胸のその部位から起こる。想念の一番最初のものは「私」であるから、私について考えると、心は、魂の座である、そこ(胸の右側)に引き戻されていくのである。
常に、「私は誰か?」と問い続けると、あらゆる想念は破壊され、ついには、「私は誰か?」という想念すら消滅する。
その時には、ただ、「静かに在る」という感覚だけがある。
デカルトは、「疑っている私は確かに存在している(我思う、ゆえに我あり)」と言ったが、実際は、あらゆる想いが消えても、私は存在し続けるのである。
ただ、全てを疑い、全てが幻だとしても、私が在るということだけは本当だというデカルトの洞察は、やはり天才であると思う。

「私は誰か?」以外の想いを起こさないようにしていると、やがて心は動揺しなくなる。心が本来の場所(胸の右側)にあり、外にさ迷い出ていかないからだ。慣れてくれば、胸に意識を持っていくだけで、一瞬で心が静まり、何も恐れなくなる。そうなれば無敵である。聖書にも、「心を静め、自分が神であると知れ」と書かれている通りである。
ある意味、「私は誰か?」と問うことは、心を静め、心を動じなくするトレーニングである。より多くやれば上達する。

「私は誰か?」以外の想いを持たないと危険なのではないかと思うかもしれないが、むしろ安全である。それ以外の何かの思いに心を奪われている時こそが危険なのである。
心が何にも囚われていないと、最も効率の良い行動ができる。丁度、真の剣豪が、何の気負いもなくても無敵であるようなものだ。
心に想いが無いと、いかなる者も、また、出来事も、あなたに危害を及ぼすことはできない。
砲弾飛び交う戦場にあっても、あなたに弾は当たらない。
心に想いが無くなる訓練を積んだアメリカのある刑事は、目の前で何度も狙撃されながら、なぜか銃は常に不発だったというアメリカでの話がある。
また、英国のある連隊は、第2次世界大戦で5年戦い、1人の死者も出さなかった。この連隊では、「守りの詩篇」と呼ばれる、聖書の詩篇91篇を全員が暗記し、定期的に唱えていた。これにより、緊急事態にあって、心に想いが無くなったのである。
これらの話は、下にご紹介する、ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』や、『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻に書かれている。『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻は、単独で読むこともできる、貴重な秘法が込められた書である。









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引き寄せだってトレーニング次第だ

願うことを何でも実現するという、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則や、チャールズ・ハアネルやヒックス夫妻の引き寄せの法則、ロンダ・バーンのシークレットなどがあるが、やってみてさっぱり上手くいかない人がいる・・・というより、いかない方が大半だろう。
そんな人達というのは、練習せずにサッカーをやってるような人に違いない。

エドガー・ケイシーという偉大な超能力者(高次の存在と精神交流する)がいた。私は彼の能力は信用するが、彼の能力に関して書かれた著作はあまり興味がない。例えば、『超能力開発のすすめ』とか『超能力の秘密』とかだ。
ケイシーは、9歳から13歳までに、聖書を13回通読するというトレーニングをやり、その後も、毎朝、聖書を読むトレーニングをしたというだけのことだ。
偉大な政治家にも、家に聖書が1冊しかなかったので、それだけ繰り返し読んだという人がいたが、それが良いトレーニングになったのだ。
ミルトン・エリクソンとなると、家に聖書と辞書しかなかったが、彼は辞書の方を選んで繰り返し読んだのだ。後に彼は、それをしたことが大変に良かったと述べている。それが、彼が超人的な精神科医になる基礎トレーニングになったのだろう。もっとも、聖書の方を選んでいたら、どうなっていたかとは思う。

法然は、死ぬ時、「私は念仏以外やらなかった」といった意味の遺書を残した。
法然は、老齢になってから流罪にされたりと、悲惨なイメージがあるが、流刑地は気候の良い場所が選ばれたり、体調が悪いといって、そこまで行かずに別のところに行ったり、さらに、そこで布教したりと、別に迫害されていたというのではない。生活の面倒も見てもらえたし、やがては京都に戻り、弟子に囲まれて良い最後だったと思う。
念仏しかしなかったというより、念仏をちゃんとやったと言うべきかもしれない。法然は、1日に6万回、後に、7万回の念仏を唱えたのだ。
法然は、念仏すれば、仏様は、沢山の仏や菩薩を送って守ってくれると言っているのである。
彼は、サッカーのカズ(三浦知良さん)のような練習熱心な仏僧だったということだ。

引き寄せの法則などで上手く願望を実現できないというなら、トレーニングが不足しているか、全くやっていないのだろう。
エドガー・ケイシーや、ミルトン・エリクソン、法然、あるいは、カズを見習って、しっかりトレーニングすることだ。

大体、トレーニングという言葉は、英語のトレイン、つまり、列車だが、これは、ラテン語のtrahereが語源で、まさに、「引っ張る」という意味なのだ。
ジョセフ・マーフィーに関して言えば、彼は、聖書の詩篇を繰り返し読むことを薦めており、これがトレーニングになるのである。
このブログでも何度も書いたが、第2次世界大戦で、部下全員に聖書の詩篇91を繰り返し唱えさせ、5年間の戦闘で1人の死者も出さなかった大佐がいたが、これも、幸運を引き寄せるトレーニングである。

誰かがカズに、「44歳まで現役を続ける秘訣は?」などという馬鹿な質問をしていた。
カズは、「秘訣はない。毎日トレーニングすること」と言ったが、それが秘訣なのだ。
しかし皆、「カズは偉い」だの「尊敬する」だの「勇気をもらいました」といった、変な方に行ってしまい、せっかくの秘訣を無視するのだ。









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平清盛が結局は愚か者で終った訳

POPミュージックの歌詞も、積極思考、プラス思考の前向きなものが多く、「叶わない夢はない」といった意味の歌は、おそらく相当な数があると思う。
叶わない夢はない・・・というのは、確かにその通りなのだが、誰も言わないのが、人は思うように願えないということだ。
私は、ひきこもりでニートを長くやっていた時、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の活用による成功法則の本を読み、なるほど、どんな願いも実現させることができると分かったが、金持ちになろうと願うことが全くできなかった。そりゃ、大金が持てればいいなあとは思うが、真剣に金持ちになりたいと思ったことはない。
そして、『エメラルド・タブレット』の中に、「富は目的を果たす手段に過ぎない」とあるが、富が必要な目的がなければ、そんなものは必要ない。せいぜいが、豊かで不足のない生活が送れれば十分だろうし、不要なものを求めれば問題が起こるだろう。

ソロモン王は、神様に、なんでもやると言われて知恵を望んだらしい。
また、題名は忘れたが、本宮ひろ志さんの漫画で、ある少年が、最も得たいものを、肝・・・つまり、雄大な心であると言い、それを得る話があったと思う。
ところで、雄大な心が本当の知恵なのである。
ペーパー試験でいい点を取ったり、議論に勝つようなものは、小智の中でも低劣なものだ。それ自体は別に悪いものではないが、そんなものを持つと、虚栄心や欲望に囚われて卑しい人間になる危険が大きい。
本物の知恵のことは、『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスが明かしているが、これが学校で教えられることは決してない。それと学校教育とは根本的に相容れないものだし、そもそも、学校教師に教えられることではない。つまり、学校というのは、ソクラテスの知恵に敵対する立場にあるのである。それは断言しておく。
雄大な心とは、動じない心、無欲な心だ。また、無欲であれば動じない。そして、無欲が知恵なのだ。
知恵ある者に崇高な目的が与えられ、手段としての富も得るだろうが、いつか知恵を失くして道を誤るのが人の常であるようだ。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
~平家物語の第一章『祇園精舎』の冒頭部分~

本当は、こうである必要は全くないのだ。結果としてそうなるのは、人の自我の問題である。
平清盛も、天から使命を与えられたのだが、自我が前面に戻った時に、愚かさに包まれてしまったのは当たり前のことだった。
イエスが、「退けサタン!汝、敗れたり」と言った時のサタン(悪魔)とは自我のことである。
このあたりの詳細な教えも『エメラルド・タブレット』に記されている。イエスも、タブレットの知恵に学んだという話もあるが、本当ではないかと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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