ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジョセフ・マーフィー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

1冊の本の裏側に宇宙が1つ在る

「本を1冊」と言われて即答出来る人は、魔法使い並の実力者だ。
とはいえ、その本が良いかどうかは、実のところ、あまり関係ない。
漫画でも良い・・・というか、漫画を実際に挙げる偉大な人物も少なくない。

割と多いパターンは、5~十数冊挙げる者だ。
頭でっかちで、自分は優秀だと思っているが、実行力がないタイプだ。

本当は、別に本でなくても良い。
「特技は?」「目標は?」「好きなことは?」と聞かれて、1つのことを即答する者は、おそるべきヤツだ。
例えば、イチローなら、シーズン前に「200本」と答えていたようにだ。
プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズは、1つの技と言われ、「ダブル・リストロック」と即答した。
プロレスはショーだが、だからといって実力が不要な訳ではない。テーズのダブル・リストロックは無敵だった。
Facebookのマーク・ザッカーバーグは「プログラミング言語を1つ」と言われたら、最高の評判とは言い難いPHPを迷わず挙げていた。
ビル・ゲイツはBASICだった。
そして、1つの最高を持っている者は、自ずと他の力も得る。
上に挙げた超一流達は、極めて多彩な能力を持っているが、実のところ、1つの最高級があるから、無理なく多種多様を得られるのである。

本の話に戻る。
アメリカのある偉大な政治家は、生まれた家が貧しく、家に聖書しかなかったが、それを何度も繰り返し読んだことが良かったと、本人が述べていた。
面白いのは、明治・大正の偉大な教育者、岡田虎二郎は、小学生の時に読んだルソーの『エミール』を生涯の指針としたが、虎二郎が読んだのは、何と、数ページの序文だけだった。
ところが、ルソーは最初、その序文しか書く気がなかったそうだ。
英国の世界的作家、コリン・ウィルソンは、崇拝するH.G.ウェルズの『ポリー氏の人生』を著書の中で、特に貴い書として何度も取り上げている。
変わった例では、魔法で治しているとまで言われた驚異の精神科医、ミルトン・エリクソンがある。
彼の生まれた農家には、本は、聖書と辞書しかなかった。そして、彼は何と、辞書を選んで、それを繰り返し読んだのだ。Aから順番に、何度も何度もね。
そして、やはり彼は、偉大な精神科医になった後も、それが素晴らしいことだったと言ってるのである。
ある、学生の時から引退するまで経営者として成功し続けた人物は、どれだったか忘れたが、啓発書としては、ジョセフ・マーフィーの1冊の本だけ読んでいた。

実際、本はどれでも良いのだと思う。
なぜなら、優れた1冊の本の裏側には、1人の人間の生涯を上回る霊的な何かが隠れているからで、読み込めば、それを引き出せるが、それは、1度の人生で汲み出しきれるような量ではない。多分、どれほど引き出した者でも、百分の1にもなっていないだろう。
そして、1冊に絞った方が、圧倒的に引き出しやすいのである。
ただし、知識として参考のために多くを読むのは、別に悪いことではない。
拙いのは、マスターとしての書をコロコロ変えることである。








周囲が黙って従う

人間は、最低限のレベルに達すれば、自分のことを話さなくなる。
たとえ老人になっても、自分の物語を熱を込めて語りたがるなら幼児である。

ジョセフ・マーフィーは、著書の中で、「原則的には自分のことは話さない」と述べているが、それは、「読者の役に立つなら」という条件付なら話すということだ。
しかし、ほとんどの人が自分について語ることは、誰の役にも立たない。
私の場合、信頼出来る超能力発現の話は自分のものしかないので、それは時々書くが、それ以外の自分の話は、やはり余計である。

自分のことを話して喜ばれるのは、若いイケメンや美少女くらいのものである。
これに関して、アニメの『甘城ブリリアントパーク』で端的に表現されていた場面がある。
3人のオジさん達が、自分の高校時代の思い出話を悠然と語り始めると、現役美少女女子高生、千斗いすず(せんといすず)が、彼女らしく無表情であるが、即座に、毅然と遠慮も容赦もなく、叩っ切るように話を終わらせる。
そして、「誰も興味ないわ」と冷たく言い放つか、完全に無視する。
厳しい・・・が、そんな当たり前のことに配慮しないオジさん達に全面的に非がある。

有償サービスの場でなら、サーバー(サービス提供者)は、お客様が自分のことを語るのを熱心に聴く振りはする。
また、紳士であれば、女性が自分のことを語るのを、マナーとして熱心に聴くだけでなく、もっと話すように促すこともあるが、その様子を傍から見れば、その女性は滑稽でしかない。

なぜ、自分のことを語ってはいけないのか?
1つは、上に挙げた美少女、千斗いすずが言ったように、「誰も興味がない」からで、興味がない話ほど退屈なものはないのは、朝礼の校長の話や、結婚式の新郎の上司の話が退屈なのと同じだ。
しかし、もう1つある。
それは、話すまでもなく、自分の正体はバレているからだ。
そして、その人の正体は、その人が話すことの1/5ならマシなのである。
その、1/5以下の正体が分かってる時、誰が、虚偽の5倍増しの話など聴きたいだろうか?
アメリカ最高の賢者エマーソンは、人間というのは、頭の上で自分の本当の中身を晒しているようなものだと言った。
それは、振る舞いや表情や雰囲気にもかなり現れるが、人間には元々、一言も会話を交わさずとも、相手を見抜いてしまう力があるのである。

普通の人は、どうしたって安い。
その安い自分の中身が、頭の上で晒されてしまっている。
そんな我々を、皆が見下すが、我々を見下す者達も、我々同様安いのである。
では、どうすれば良いかというと、過去の自分を捨ててしまうことである。
1秒前の自分も忘れ、1秒後の自分のことも考えない。
ただ、今、ここに生きる。
自分は1本の腰骨に過ぎず、自分は誰でもなく、来るものはそのまま映し、去れば、何の痕跡も残さない鏡だ。
そんな人間であれば畏怖され、周りが従う。
誰もが機嫌を取らざるを得ない赤ん坊のように。
それが極まると、本当に姿が消える。宇宙いっぱいに広がるからだ。
そうであれば、全てが意のままだ。
具体的なやり方は、簡単なものでは、ずっと「私」と頭の中で唱え続ける。
もう1つあり、空の星の1つのように、高いところに吹く風のように、ただ在ることだ。在る以外に何の意味も持たないことだ。











立ってつぶやくことで人生が変わる

このブログの16日の記事「軽く長くの訓練が人を超人に育てる」で、解剖学者の養老孟司さんが、「昔の日本人は、長時間正座をすることで身体が鍛えられていた」と述べていた話を書いたが、元M役員さんのコメントで、これに似た面白いことを知ることが出来た。
南カリフォルニア大学の研究である。
長時間、椅子に座ることは身体に有害な影響を与えているが、タンザニアの狩猟民族は、長時間座っていながら、身体を調べても、座ることで受ける悪影響が見られない。
その原因が、この民族は、座る時は、椅子に座るのではなく、しゃがんだり、膝を付いているからだと研究者は言う。
しゃがんだり、ひざまずくことには弱い筋肉活動があり、エネルギーを消費して代謝を高めているのだと思う。もちろん、日本の正座のように、腹筋や背筋を鍛える効果もあるだろう。
狩猟民族だから、若い世代の男は狩猟で身体が鍛えられるであろうが、そうでない、子供、女性、老人は、やはり、お尻をつけて座らず、しゃがんだり、膝をつく姿勢で座ることで身体が鍛えられ、おそらく、引き締まった良い身体をしているのだろう。

特定の時間だけ熱心に運動しても、普段、長時間椅子に座れば、身体を損なう危険がある。まして、だらしない姿勢で座れば、長い間には、かなり身体を悪くするのだと思う。
電車の中での、特に若い男のだらしない座り方は目に余るし、オフィスでは、やはり主に男は姿勢が悪い座り方をする者が多く、彼らは深刻な身体的欠陥(腰痛、内蔵疾患)を持っている場合が多いと思われる。

サバイバル技術のスペシャリストであるクリス・マクナブ(ウェールズ大学博士)は、『徒手格闘術ハンドブック』のトレーニング編の中で、「座らず立つよう心がける」ことを薦めているが、特に家の中では、ソファでだらしない姿勢で座ることが多いなら、なるべく立つようにすれば、身体に雲泥の差と言えるほど効果があるはずである。
「何か運動をしていますか?」と問われたら、「なるべく立っています」と言うのは、実は立派な回答なのだと思う。その上に、腕振り運動をやれば、実はかなりの良質な運動をしていることになる。
毎朝、腕振り運動を2千回やっていた関英男博士(電波工学の世界的権威)は、90歳を超えても世界中を飛び回って研究をしていたし、腕振り運動で医療に頼ることなく胃癌を治したという。また、自分だけでなく、沢山の難病患者が腕振り運動で治った事例を『宇宙学序章グラヴィトニクス』で紹介している(残念ながら、この本は絶版で古書も高価な場合が多い)。

ところで、長時間の弱い負荷が鍛えるのは身体だけでなく、脳、あるいは、精神も同じである。
頭の中で、高速に(ただし正確に)数を数えることで、驚くほど頭の回転が速くなるという報告もある。これも、1回や2回では効果はなく、長期間に渡って続けなければならないのだろう。そして、脳というのは、放置して好きなようにさせると、案外にロクなことをしない。頭の中では、1分に300から1000のつぶやきが発せられているらしいが、普通の人では、圧倒的にマイナスのつぶやきが多く、そのために、年齢が進むほど、頭が悪くなり、精神もひなびてくる。
だから、意識的にプラスの言葉、例えば、「大丈夫」「絶好調」などをつぶやくと良いと考えられ、実際、困難な状況に打ち勝てる人間を研究したら、頭の中でプラスの言葉をつぶやいていることが分かっているらしい。
ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法では、聖書の中のよりすぐりの言葉を、暗誦したりカードに書いて、なるべく長時間唱えたり、読んだりする手法があるが、これもまた、日常の中で精神を望ましい状態に導く方法である。
また、既に何度もご紹介したが、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』に書かれているが、ある売れない女優が、毎日長時間「歓喜、成功、富」という言葉を繰り返すことで、成功した女優になれたという話があるし、国際的に著名な教育学者の七田眞さんの著書には、七田さんが事実であると保証する話なのであるが、あるホームレスの男性が、1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えていたら、宝くじで1億円を当て、さらに続ければ、また1億円を当てたという凄い話もある。
脳や心の場合は、繰り返しが潜在意識に達し、脳や精神を強化するだけではなく、世界を創造する普遍的知性(神と呼ばれることが多い)と通じて、そういった不思議としか思えないことも起こるのだと思う。

トレーニングの時間や祈祷の時間だけ鬼のように頑張るのではなく、日常にちょっとした心がけをするだけで、人生は大きく変わるに違いない。











親鸞が一番凄い

親鸞は仏教の中の浄土真宗の開祖とされているが、彼は僧というよりも、思想家として人類の歴史でも稀な人と思う。
釈迦やイエスの後の人が、彼らを開祖とする仏教やキリスト教を作っただけで、釈迦やイエス自体は思想家であったようにだ。
思想家と言っても、学術用語の思想家と言うのではなく、哲学者とでも精神指導者とでも、何と呼んでも構わない。
思想家とか哲学者と言ったら、すぐに、それらの教科書的な定義を持ち出さずはいられない学問馬鹿が多いと思うが、そんなことはどうでも良い。
人間は誰でも、どんな愚か者でも、思想家であり哲学者であるが、別に教祖と言っても構わないのである。

親鸞の何が凄いかというと、こんなことを言ったところだ。
「我々は何も善いことをしなくて良い。なぜなら、念仏以上の善はないからだ」
「我々はどんな悪いことをしても救われる。なぜなら、念仏の救いを妨げるような悪はないからだ」
だから、念仏さえ唱えていれば良いということになる。
そして、それは、私(親鸞)の考えではなく、お釈迦様の教えの根本だと言う。
釈迦がそんなことを教えたという証拠はないと思う。
しかし、釈迦の真の思想を理解すれば、その通りなのだと思う。
まあ、認めない人も多いとは思うが。

念仏さえ唱えていれば後は一切いらないというのが、本質で言えば釈迦の教えであり、イエスの教えである。
もちろん、イエスが「南無阿弥陀仏」と唱えよと言ったのではない。イエスの場合は、「第一の戒律は神を愛することだ」「全ての荷を私を通し、神に負わせよ」と言ったようである。
そして、「南無阿弥陀仏」というのは、仏様という絶対者に全てまかせよという意味であり、イエスの言うことも全く同じことなのだ。

親鸞も、阿弥陀如来という仏様が、仏像や仏画に描かれている姿をしたものとは思っておらず、仏様は形も色もない存在だということは理解していた。
意識を向ける対象として、仏像や仏画があるだけである。
仏像や仏画の作者達も、自分が本当に仏様を見た訳でないことは百も承知なので、それが自分の心の反映であることは解っていて、良い仏像や仏画であるほど、人々が意識を向ける対象になることを目的としているのだと思う。

確かに今の時代、何の「ひっかかり」もなく、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えられる人は少ないと思う。
阿弥陀仏のインドでの元々の名前であるアミターバが無限の光という意味であるように、阿弥陀仏は宇宙の根源の力であり、それは人間の理解を超えているので名付けようがないので、仮に阿弥陀仏と呼んでいるだけである。
ジョセフ・マーフィーが、ある本で「宇宙の活力(コズミック・エナージャイザー)」と呼んでいたものと同じだ。
それが理解出来れば、我々でも「ひっかかり」なく「南無阿弥陀仏」と唱えることは出来るが、「南無阿弥陀仏」と言った途端、「あ、それ仏教のアレですね」「宗派は浄土宗ですか?浄土真宗ですか?」ということになるから面倒なのである。
宗派など、何の関係もないが、なかなかそれが通用しない。

阿弥陀如来、あるいは、仏様が、宇宙に偏在する無限の力であることを理解すれば、「南無阿弥陀仏」で良いのだが、世間では、この考え方を理解しない。
だが、「南無阿弥陀仏」は、最近、時々書いている「神様の奇跡が起こる」と「全く」同じなのである。
まあ、こう言えば、「そんな訳あるか!」とか「神と仏は違うぞ!」という、見事に教育されてしまった人達が多いので普段はそんなことは言わないが、日本人にとっては、「神」という言い方の方が、宇宙に偏在する力のイメージに近いと思う。
それは、日本では仏教に比べ、キリスト教の方がずっと少ないので、神という言葉についいた宗教色・宗教臭の方が、仏様についたそれより少ないからだ。
宗教的な馴染みがないから良いという、宗教家にとっては残念なことであるが、それだけ、多くの宗教家、宗教団体のレベルが低いということである。それは、優れた宗教家も認めるところではないかと思う。

我々は、「神様の奇跡が起こる」とずっと唱えていれば幸福になれる。
この言葉にも「ひっかかる」なら、「神は道なきところに道を作られる」を。「神」という言葉も駄目なら、「私は目の前で起きることを驚嘆の目で見る」と唱えると良い。
別の考え方もあろうが、本質的には、成功や幸福の根本原理はこれしかないのである。











豊かな生活のために

まず、あらゆる意味で、安定した生活を送るにはどうすれば良いだろう。
人間だから、生きていればいろいろあり、嫌なことや精神的に苦しいことが無いはずが無い。
しかし、人生、なんとかなるもんだ。
とはいえ、健康と、余裕のあるお金は必要だ。
それらを得るにはどうすれば良いかというと、不健康で金の無い人間の逆をやれば良い。
不健康で金の無い人間は、起床する時間が遅いことが最大の特徴だ。それもそのはずで、起床する時間が遅ければ不健康で金が無いように世界は出来ているのである。
それなら、朝5時までに起床すれば良いだけである。
余程の止む無き事情があれば別だが、1年365日、1日も欠かさず5時までに起床する不健康で金の無い人間というのは考えられない。
会社であれば、社長が朝7時半までに出社する会社で倒産した会社は無いそうである。
それが個人であれば、朝5時までに起床することに当たる。
最も理想的な起床時間は午前4時であるらしいが、まずは、午前5時となる。
無論、夜に仕事をしている等の、自分でコントロールが不能な事情がある場合は、可能な範囲で早く寝て、遅くとも8時間後に起床することだ。
(健康で経済的な心配をしなくて良い子供や、十分に豊かである場合は例外もあるが、ここでは取り上げない)

次に、より人生を楽しくするにはどうすれば良いかだが、典型的なことを言うと(典型的で良いのだが)、次の2つの言葉のうちのいずれかを口癖にすることだ。
その2つは、
「神様の奇跡が起こる」
「歓喜、成功、富」
である。
両方でも良さそうなものだが、両方だと、続く可能性が半分になる。
何度か書いたが、「神様の奇跡が起こる」は、これを1日中唱えていたホームレスの男性が宝くじで1億円当て、さらに続けて唱えていると、再度1億円当てた言葉だ。
この話を著書に書いた教育学者の七田眞氏は、これが事実であることを保証している。
もう1つの、「歓喜、成功、富」は、ジョセフ・マーフィーの世界的ベストセラー『あなたも金持ちになれる』に書かれているもので、売れない女優が、この言葉を頻繁に唱えていたら、良い役に恵まれるようになって女優として成功した言葉だ。
尚、「神様の奇跡が起こる」のバリエーションとして次の言葉があり、こちらの方がぴったりすれば使っていただきたい。
「神は道なきところに道を作られる」
「私は目の前で起きることを驚嘆の目で見る」

もう1つ2つ、注意をしたいところだが、上の2つで十分なので、知らなくても良いだろう。
上の2つで、必要なことは勝手にやるようになる・・・というより、自動的に起こり、進んでいくだろう。











プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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