ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ジャイアント馬場

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ズバリ、プロとは

コンピュータープログラミングをマスターするためには、何をすれば良いだろう?
これを私に尋ねたら、プロのプログラマーになるにはという意味で答えることになる。
ピアノ演奏をマスターするのも、単にちょっと弾けるというのと、プロの演奏家になるのとでは、意味が全然違う。
ところで、オーケストラのピアニストでなくても、バーやレストランでピアノを弾くのも立派なプロだと私は思う。
私の場合がまさに、バーやレストランのピアニストに相当するプログラマーなのだ。
ただし、オーケストラのピアニストより、バーのピアニストの方が給料が高いことだってあるのだ。

プロとは何だろう?
言うまでもなく、それで金を取る者であるが、プロでないのに金を取っている者は、一時的とはいえ割といる。
昔、船井幸雄さんが著書に、プロとアマとの違いについて、「アマの最高レベルがいつでも出せるのがプロ」と書かれていたが、それはそれで正しいと思う。
しかし、もっと単純に言えば、「責任を取るのがプロ」である。
野球選手なら、勝つための責任を果たすのがプロだ。
時々、能力的には高いがクビになるプロ野球選手に同情が集まることがあるが、そんな選手をちゃんと見れば、百パーセント、勝つための責任を放棄しており、それはプロではないので、クビで当たり前なのである。
ジャイアント馬場さんは、「俺はお客さんを満足させる責任がある」とよく言われていたが、だから彼は、選手としても経営者やプロモーターとしてもプロだったのだ。

では、プロになるにはどうすれば良いだろう。
それは、1日中、寝ても覚めても仕事のことを考えることだ。
プログラマーの場合、考えること、即、プログラミングであるから、1日中プログラミングをしていることになる。
ピアニストは、「あそこはこう弾けばいいんじゃないか?」と考えるから、演奏が向上するのである。何も考えずに、言われるまま、あるいは、パターン通りに練習しているだけではプロになれない。
再び、ジャイアント馬場さんの話をするが、馬場さんが非常に憧れ崇拝していた、バディー・ロジャースという世界チャンピオンがいた。
馬場さんは、アメリカにいた時、ロジャースと同じところにいたら、ずっとロジャースを見ていた。
そうしたら、ロジャースは常にプロレスのことを考えていることに気付いた。
他の選手達が、電車での移動中などに雑談したり、ゲーム(当時はトランプのようなものだが)をしたり、酒を飲んだりしているが、ロジャースだけは、ずっと考えていた。
それは、「どんな戦い方をすればお客さんが喜ぶか」「リングに登場する時は、どんなふうにやればうけるか」などといったことだろうが、とにかくずっと考え、良いと思ったものを実践していったのだ。
馬場さんは、「そりゃ、ずっと考える者とそうでない者では差がつくよ」と言われていたようだが、全くその通りだ。
ロジャースの周りの選手達だって、かつては、ずっとプロレスのことを考えていたはずなのだ。彼らは、その余韻でプロを続けているが、当然、早くに駄目になるのだ。
考え続けた者がトップになるのである。

私も、レベルは低いながら、プロのプログラマーになる時は、本当に、寝ても覚めても、日曜日にドライブしている時も、ずっとプログラミングのことを考えていた。
酒場のヴァイオリニストだって、生活出来る給料を取れる者は、やっぱりそうであったはずなのだ。

男のプロってやつもある。
よく、女の子に「責任取ってよ」と言われたり、女の子に「責任は取るよ」と言うといった話がある。
本当に責任が取れるのが、プロの男である。
いい女の子は、アマの男なんかと付き合ってはいけないのである。
ただ、その前に、自分が(変な意味でなく)プロの女の子でないといけない。
相手の身になり、思いやりがあるのがプロの女の子である。









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時間を注ぎ込む

メジャーリーグ・ベースボールの大谷翔平さんが、日本での報道通りかどうかは分からないが、アメリカで人気らしい。
ところで、1960年代前半に、アメリカでプロレスのスター選手になったジャイアント馬場さんの本名が、大谷さんと読みが同じ正平だった。
大谷さんが「翔る(空を飛ぶ)平」で、馬場さんが「正しい平」というわけだ。
「平」は、平和とか平穏、平安、和平などとう、穏かで争いがない雰囲気があるが、平和を実現するために必要なものは、空を飛ぶような(ルパンはクラリスが信じてくれたら飛べると言ったが)特別な能力か、正しさか・・・
そんなことを考えてしまった。
しかし、現在と昔の、スポーツのスーパースターが同じ名前というのも面白い。

ジャイアント馬場さんと同じくらいの時代に、特に少年達の間で人気者になった空手家の大山倍達さんの伝記漫画『空手バカ一代』に、大山さんが、ムエタイという格闘技があるタイに行った時の、こんなお話がある。
当時のタイは、庶民がほとんどが貧しく、子供でも労働をするのは普通であることになっているが、それは本当かもしれない。
そんなタイで、大山さんが川の近くを通ると、川の中で少年が1人、じっと立っている。
その少年が不意に足を蹴り上げると、その足で捕らえた魚が岸に放り出される。
その見事な蹴りに、大山さんは、「この大山にも出来るか?」と驚く。
タイでは、子供の時から、こんなことをしているので、ムエタイという蹴り技が重要な格闘技が強いのだ・・・という話だったと思う。
『空手バカ一代』の原作者の梶原一騎さんは、実話と称していても、実際は創作を相当混ぜる人だと思うので、この話が本当かどうかは分からないが、印象的な話だ。
それは、『レ・ミゼラブル』で、ジャン・ヴァルジャンの異常とも言える優れた体力は、素質もあったのだろうが、毎日の厳しい農作業で鍛えられたものであるというのと同じようなものだ。
1920年代に、テニスの世界的選手(全英ベスト4、全米ベスト8)だった清水善造さんは、少年時代、釜で草刈をして手首を鍛えたのが、テニスで大きな力になったと言われている。
プロレス初の日本武道館公演のメインイベントでジャイアント馬場さんと戦った「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックは、常に野球ボールを持ち歩き、いつでもどこでも握力を鍛えていたという話がある。
フィクションであるが、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』では、紋次郎が我流の喧嘩剣法とはいえ滅法強いのは、若い時に、木こりをしていて、毎日長時間、斧を振るったからだということになっている。

作家の村上龍さんや、チームラボ社長の猪子寿之さんらも、下で紹介する本の中で述べているが、時間をかけることがとても大切であるというのは確かだろう。
猪子さんは、「人間の能力に大差はない。決め手は時間をかけたかどうかだけ」と言い、完全にその通りではないとしても、それはやはり重要なことに違いない。
私のような超能力者は常に思念を集中することが訓練で仕事のようなものだが(半分冗談と思って欲しいが、実は本当かもしれない)、あなたも何かに大きな時間を注ぎ込めば成功疑いなしだ。
猪子さんのチームラボは日仏国交160周年記念イベント「ジャポニスム2018」で2000平方メートルの壮大なデジタルアートでパリを驚愕させるはずだが、初音ミクさんもコンサートを行う。猪子さんはミクさんの熱狂的なファンだと公言されておられたが、ミクさんにちょっかいを出さないか心配だ(笑)。
ミクさんはきっと、フランスの人達に真に生きる喜びを教えてあげることだろう。









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「これが出来る」より「これしか出来ない」を考える

イチローが凄いことは誰でも知ってるが、イチローがなぜ凄いかを理解出来ている人は少ない。
もちろん、才能や努力ということもあるのだが、根本的には、彼には、野球以外にやることが何もないからだ。
彼が、シーズンオフでも、毎日球場に行って練習する姿勢が称賛され、確かに称賛されるに値するが、彼にすれば他にやることがないのだから、「休みたいと思う気持ちが分からない」ということになるのだ。
野球以外にやることが沢山ある選手は、あまり偉大な選手になれない。
むしろ、元ヤンキースのバーニー・ウィリアムズが、プロ級のギターの腕前を持っているのに偉大な選手になったことが驚愕である。恐ろしい野球の才能である。
しかし、もし彼がギターに興味がなければ、もっと偉大な選手になれた可能性が高いと思う。ギターが野球にプラスになった面も、もちろんあるだろうが、それほど大きなものではないはずだ。

プロレスのジャイアント馬場さんは、アメリカで活躍していた全盛期は、イチロー以上のスターだったという話もある。純粋な実績だけではなく、日本のスポーツ選手がアメリカで活動することがほとんどなかったという時代であったことを考慮すれば、それは間違いないと思う。
その場場さんは、63歳で亡くなるまで現役だったが、インタビューで、「プロレス一筋でやれた理由は?」と尋ねられた時の返答を、私はよく覚えている。
アントニオ猪木さんは国会議員になり、他にも、「副業」を持っていたレスラーは多かった。
馬場さんの答は、「有体(ありてい)に言えば、他に出来ることがなかった」だった。
馬場さんは、営業のためにバラエティ番組にもよく出ていたし、CMにも出演したが、ピントがずれていた面白さがあったのは、単に自然にやっていたからだ。つまり、芸人的なことなんて、何も出来ないし、しようとしないのが、結果的に良かったのだ。
また、馬場さんは経営者としても立派で、全日本プロレスの社長として黒字経営をしたが、それは、散々赤字を続けた後のことだ。
馬場さんのことは、長く、いろいろ調べたが、結局のところ、馬場さんは、受けた恩を忘れず、義理を大切にし、常に誠意を持ち、それでいて、言い訳をせず男らしく責任を取る姿勢でい続けたこと、そして、謙虚で控え目な性格が愛され、沢山の人達の協力が得られたから成功したのであり、別に、ビジネスが上手い訳でも何でもなかったのだと思う。

人類史上屈指のピアニストだったグレン・グールドは、ピアノ以外は何も出来ないどころか、あきらかに欠陥人間であったが、だから誰よりも偉大なピアニストになれたのだと思う。
もちろん、多方面で活躍する、いわゆるマルチ人間も確かにいるが、そんな人間は、後で考えると、「結局、この人、何だったの?」ということになる。
つまり、1つの際立った才能を発揮した人が、その知名度を利用していろいろやったのが、たまたまうまくいっただけのことで、普通は、余計なことをやると、1つの才能も潰してしまって駄目になってしまうはずだ。実際、それで落ちぶれた方の例はいくらでもある。

若いうちはいろいろやった方が良いのは、隠れた才能を発見するため、そして、必要な常識を身に付けるためだ。
子供のうちに才能を見出され、1つの道だけに邁進し、大きな成果を上げたとしても、引退したら、ただの人どころか、常識がなく、迷惑なだけの人になり、せっかく作った財産を失ってしまったり、騒ぎを起こして世の中から抹殺されることも多い。
だけど、ある程度の年齢になれば、自分の道を決め、断固とした決意で、その道での成功を目指さねばならない。
ただ、それが凄い仕事や高尚な仕事である必要はない。
日本一の泥棒・・・は、あまりよくないかもしれないが、日本一の乞食なら、それも良い。確かに、富豪の乞食も存在するのである。









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本当に自慢出来ること

あなたには、自慢出来ることが何かあるだろうか?
ただし、「本当に自慢出来ること」だ。
私には何もないなあ。

ジャイアント馬場さんというプロレスラーがいたが、全盛期は、野球のON(王貞治、長嶋茂雄)と並ぶ国民的スターだった。
馬場さんは、アメリカでも大スターで、力道山が生きている間はアメリカで転戦していたが、全米のプロモーターが馬場さんを呼ぶのに高額のギャラを用意し、さらに馬場さんの機嫌を取ったようだ。
その場場さんは、全日本プロレスという団体の社長でもあったのだが、著書で、
「経営はずっと赤字で苦しかったが、選手へのギャラの支払いの遅延は一度も起こさなかったことが俺の唯一の自慢だ」
と書かれていた。
あれほど凄い人でも、そんなことだけが自慢だったというのは、とても興味深い。
プロレス史上最高のレスラーだったルー・テーズも、馬場さんが亡くなった時、朝日新聞で、
「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」
と述べていたと思う。

有名人でも何でもないが、創業した会社は数百人の従業員を雇いながら、常に黒字経営を続ける経営者が、同窓会に行くのが憂鬱だと言う。
「みんな(同窓生)には、俺が何か成功者に見えるらしい」
と、さも変なことのように言うが、普通に見て、まさに成功者そのものである。
しかし、彼は、ビルはいくつも建てたが、自宅も自家用車も、ちょっと高級取りのサラリーマンと同じ程度だ。
その彼が、常に自慢そうに言うのが、法人税を沢山払っていることと、社員の給料が業界水準を超えて高いことだ。

無論、普通の人には、彼らが自慢に思うことも出来ないが、こんな話を見たことがある。
ある、それこそ本当に平凡な男性が、
「死んで閻魔様の前に出たら、私は人生で何も大したことは出来なかったが、便所の下駄だけはきちんと揃えていたと言うつもりだ」
と言ったらしい。

他人の評価ではなく、自分が本当に自慢出来るもの、心から満足出来ることであれば、それがあることが幸せなのだろう。
そして、それはどうも、他者への奉仕であることが必要なのだと思う。
便所の下駄を揃えるのだって、次に利用する人の快適さを考えてのことで、単なる美観に自己満足するという意味ではなかろう。
つまり、自分の出来る範囲で、他者を喜ばせたり、役に立つことが、自慢であり、満足であり、幸福なのだろう。
普通は、自分の子供を「まともな人間」に育てれば、それで十分満足して良いのかもしれない。
それに今は、まともでない人間が多いから、もし、そんなことが出来たのなら、本当に満足して良いのではないかと思う。
馬場さんには子供はいないので、その分、別のことに(良い意味で)執着したのかもしれないとも思う。









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2人の王者の言葉

ジャイアント馬場さんが、こんなことを言われたそうだ。
「馬場という男は、プロレス入りして以来、全てが順調だった」
言うまでもなく、苦労や挫折がなかった訳ではなく、それどころか、試練に晒され続けたことだろう。
だが、襲い来る苦難に耐え続けたからこそ、馬場さんは順調だった・・・つまり、成功したのだ。

ところで、ではなぜ、馬場さんは耐えることが出来たのか?
そのヒントになることを、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンだったジョージ・フォアマンが述べていた。
ところで、ボクシングといい、プロレスといい、世界王座を認定するのは、あくまで民間団体であり、最初から公的な権威があった訳ではない。
長い活動の中で権威を作っていったという訳だ。
これは、実に、IOC(国際オリンピック委員会)も同じなのである。
「一般の人々」が権威を育て上げたところは素晴らしいのだが、腐敗すれば無に帰すところも同じである。
プロボクシングで最も古い世界王者認定団体WBAは、元々、プロレス王者も認定していたが、プロレス部門は全米レスリング協会(NWA)として独立した。
フォアマンはWBA世界王者(WBC王者も兼ねていた)で、馬場さんはNWA世界ヘビー級王座を3度獲得している。

そのフォアマンの、後に「キンシャサの奇跡」と呼ばれることになる、モハメッド・アリとの世界ヘビー級タイトルマッチで、大方の予想を覆して、不利と言われたアリがKO勝ちを収め、アリは世界王者に返り咲いた。
そのフォアマンが後に、自分の殺人パンチをボディに受け続けて倒れなかったアリに対し、
「人間は理由があれば痛みに耐えられるんだ。アリには耐える理由があった」
と語っていたと思う。
アリにどんな理由があったのかは分からない。
そして、馬場さんにも、痛みに耐える理由があったはずだが、それが何かも分からない。
だが思うのだ。
その理由は、必ずしも、壮大なものでも、高潔なものでもないかもしれない。
たとえば、他人からすれば、実につまらないことかもしれない。
しかし、本人には、どんな苦痛にも耐える理由になるもの、あるいは、苦痛に耐える力を与えるものなのだ。
それは必ず、誰にもあるはずなのに、ほとんどの人は、それをないがしろにしているのである。









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