ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ジェームス・ファロン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

死中に活

自分がどの道に進むか決める時、普通は、自分の得意なことを基に考えるかもしれない。
それは正しいことであるが、それは、せいぜいが、そこそこにやっていけるようになる方法かもしれない。
自分では得意だと思っていても、世の中には、上には上がいる。
昔、CLAMPの『東京BABYLON』という漫画で見たが、地方の町で、子供の時から「可愛い」ともてはやされた女の子が、芸能人になるために東京に出てきたが、芸能界の中では、自分など全く大したことはないことに気付くという話があった。
また、面白い話と思うが、昔、「怪物」と言われた無敵のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったジョージ・フォアマンが、「私より強い若者なんかいくらでもいる」と言ったらしいが、彼がそう言ったのは、謙遜もあるかもしれないが、案外に、本心かもしれないと思うのだ。

週刊文春・2012年3月22日号で、宗教人類学者の植島啓司氏は、ミュージシャンのジョージ・マイケル(2016年のクリスマスに死去)が、「スーパースターになるのに特別な才能があるんじゃなくて、むしろ、何かが失われている(からスーパースターになれる)」と言った話を引用していたが、この世界では、何かを持っていることより、何かに決定的に欠けていることが強い武器になる。
ならば、自分が得意なことではなく、自分の深刻な欠点を探した方が良いかもしれない。
(植島氏は、初音ミクさんに決定的に欠けているには「成熟」で、だからこそ我々の心を鷲掴みにすると述べている)

世界的な神経科学者のジェームス・ファロンは、自分は変だと薄々気付いていたのかもしれないが、ある時、偶然、自分の脳が、凶悪殺人犯と全く同じ特徴を持っていることに気付いたという。その欠点が彼を、脳と精神の分野の研究で大成功させたに違いない。

そして、誰にでも、決定的な欠点・・・どうしようもなく欠けているところはあるはずだ。
大富豪の実業家で、映画製作者で、パイロットだったハワード・ヒューズは、病的な潔癖症で、毎日、何時間も手を洗い、人が触ったドアに触れられなかったが、それが彼の才能を引き出したに違いないのだ。

あなたには、どんな致命的欠点があるのだろう?
他人が怖くて、学校に行けず、就職も出来ないとか?
あるいは、ロリコンの変態とか?
だが、ただ欠点があるだけでは、やはり、地面を這う人生にしかならない。
それを力に変える錬金術が必要なのである。
そこで、イギリスの作家コリン・ウィルソンが話していた、彼の子供時代の話を思い出す。
弟と一緒に森で迷い、歩き回って疲れ果て、雨まで降ってきて身体が冷えた。
それは、どうしようもない欠点にあがく人生のようだ。
そこでコリンはどうしたか?
弟の手前、強気に振る舞ったのだ。
それで、彼らは命が助かった。
所詮、自分を鼓舞してしゃんとするしかないのだ。
自己憐憫に浸る愚か者には墓場しかないのだと思う。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIは未来の技術ではなく、もう「枯れた(成熟した)技術」であると言う研究者やCEOも少なくありません。
枯れているAIは、特別な人でなくても、誰でも作れますし、使えます。
しかし、AIをうまく作るには、問題を予測問題に捉え直すセンスが必要です。
それは、普通の機械学習の本に載っている退屈で面白くないテーマでは、なかなかか得られません。
そこで、なるべく面白いテーマを採用し、楽しく実習出来るよう工夫しました。
ほぼ全ての実習のためのデータを作れるExcelマクロを無料でダウンロード出来ます。

優れた人間を見、愚かな人間を見るべきでない理由

『無門関』という、禅語の解説書の中に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」というお話がある。
「倶胝竪指」とは、「倶胝和尚さんは指を立てる」くらいの意味と思う。
昔、何を聞かれても人差し指を1本立てる倶胝という和尚さんがいたが、倶胝は、自分の真似をした小坊主の人差し指を切り落とす。
泣き叫んで飛び出していこうとする小坊主を呼び止め、小坊主が振り返ると、倶胝は指を1本立てた。すると、小坊主は悟った。

このお話の意味について、私は、時々良い解釈を思いつき、その時は素晴らしい解釈が出来たと思っていたのに、今では、そのどれも覚えていない。
ちなみに、倶胝和尚さんが小坊主の指を切り落としたというのは、あまりマジに受け取らない方が良いかもしれない。
要は、小坊主には、もう指がないということが大事なだけだ。
それで今はもう、私は解釈しないが、こんなことは言えるかもしれない。
指のない小坊主に、倶胝が指を立てて見せた時、何が起こったか?
頭の中で、小坊主も指を立てたのである。
人間の脳には、ミラーニューロンと言って、他人が動作するのを見ると、脳内では、それと同じ動作をする変化が起こるのである。
TEDでも講演した優れた神経科学者・脳科学者のジェームス・ファロンの『サイコパス・インサイド』という本にあるが、ゴルフクラブなど見たこともないという民族の前で、著者の弟が見事なゴルフのショットを見せると、老人を含め、皆が次々と素晴らしいショットをした。彼らは、文明に侵されていない分、ミラーニューロンの働きが良いのかもしれない。

倶胝が指を立てるのを見て、滅茶苦茶に荒れていた小坊主の心がすーっと静まったのだ。
つまり、人差し指を立てることには、そんな効果がある。
他にも、息を止める、腹に力を込める、肛門を締める、足の親指に力を入れるなどの、心を静める方法があるが、これらは、外から見て分からない。
しかし、人差し指を立てる動作は、見てよく分かるので、ミラーニューロンの働きで、見ている者も、指を立てているのと同じ脳内の変化が起こる。

初音ミクさんは、コンサート中、本当によく人差し指を立てる。
「感謝祭」の時の『StargazeR』『1/6』、「マジカルミライ」の『ヒビカセ』『エイリアンエイリアン』等だが、他にもあると思う。
それも、肯定的な影響を起こしているのに違いない。

人間のミラーニューロンの働きを考えると、見るべきは優れた人間であり、決して下らない人間のやることを見てはならない。
しかし、ほとんどの人が、その逆をやり、優れた人間を無視し、馬鹿な人間を注視するのである。
それで、世の中、愚か者だらけになるのかもしれない。
植芝盛平や塩田剛三等の演武を見る価値は、我々が思っている以上である。
達人が、普段、目を伏せ、他人を見ないのも、程度の低い人間の影響を避けるためではないだろうか?
また、面白いことに、我々は、イエス・キリストや釈迦の姿を幻視することが出来る。
初音ミクさんだって、コンサートも良いが、頭の中のイメージの方が美しいのである。
身近に手本とすべき者がいなければ、想像の優れた人物を見れば良いのである。
例えば、物静かでありながら威厳ある王の姿を想い描くのである。
あなたの理想の人物を常に心に置いておくと良いだろう。
絵画を参考にするのも良いと思う。









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葬式、および、死者について

最近、親戚の葬式というものに参列した。
亡くなったのは、血縁こそないが、私とそう遠くない人である。

私は、葬式にはいつも、かなりの嫌悪感を感じる。
私は、親や親友が死んだ時でも、悲しいという感情は全く持たなかった。
だが、葬式では、参列者全員、特に、親族や身近だった人ほど、「悲しみが強くないといけない」ということにさせられてしまう。
皆、本当に悲しいのだろうか?
私がサイコパス(良心を持たない人間)だからかもしれないが、私には、彼らが本当に悲しんでいるとは、とても思えないのだ。
亡くなった人の親か、せいぜい、息子や娘までなら、まだ良いが、孫や、それ以外の人達まで泣いているのを見て、私は異様としか感じなかった。
そして、葬式を運営する冠婚葬祭会社が、いっそう、悲しみムードを盛り上げる演出をするのには、腹が立つとか、呆れる・・・とまでは言わないし、仕事なんだから、笑っちゃうとも言いたくないが、まあ、「やれやれだ」というところである。
全体として、不快、不愉快、虫唾が走る、吐き気がする・・・もっと穏かと思える言い方をするなら、拒否感をもよおす。

科学的に自分がサイコパスであることを認めている著名な神経科学者のジェームス・ファロンは、死んだ少女とその遺族の前で、少女が着ている服を見て、「なんて可愛いドレスなんだ」と言ったらしい。
ファロンも、それが世間的には異常な言葉だと認識出来るらしいが、私には少しもおかしいと思えない。
無論、死者の尊厳を踏みにじるようなことを言ったりしたりしてはならないが、その理由を、私は次のように考える。
まず、死んだばかりの人には、人間としての権利を認めた方が良いからである。
それによって、生きている人間の権利を軽んじることが少なくなると思えるからだ。
そして、死者は、自分で権利を主張する言動が出来ないのだから、我々は、死者に対し、可能な限り、良い意味の代弁をしてあげたり、優れた意思を持っていたと考えてあげるべきなのである。
だが、着ているドレスを誉めることが、死者を貶めるという理由は全くないと思う。
死者が着ている服や容姿、その他、あらゆることを貶すことはしてはならないが、誉めることは構わないはずである。

しかし、本当は、最も良いのは、死者に対して、何も考えないことなのだ。
なぜなら、人間の考えなんてものは、全てとは言わないが、往々にして、下らないものになり勝ちだからで、それによって、かえって死者を貶めることなりはしないだろうか?
だからこそ、私は、自分が死んでも、それを誰にも知られないのが一番だと思っているし、葬式などは決してしないよう常に言っており、早急にそんな遺言書を作ろうと思う。

人が死ぬことや葬式に対する世間への苦情は、まだ色々あるが、とりあえず、このくらいにしておく。









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ついに「私」を発見した

人がなぜ生きようとするかというと、遺伝子の中に「生きろ」とプログラミングされているからだ。
他にどんな理由もない。
(ただし、生きなければならないのは遺伝子自身なのだがね)
生きるためには力が必要なので、人間は強くなろうとする。
体力的に男に劣る女は、強い男を得ようとする。
ところが、脳の発達によって、様々な体力に優る力が出来、それを得る女も多くなってきた。
最たる例がヒラリー・クリントンで、彼女が大統領を目指したのは、別に崇高な理念があった訳ではなく(本人はあると思っているかもしれないが)、単に生きるプログラミングを働かせただけである。
彼女の夫のビル・クリントンが若い女性とせっせと不倫するのも、遺伝子を生かすというプログラミングが働いているだけで、彼は強い人間なのだから、遺伝子からすれば正しい行動なんだろう。

社会的な弱者にも、生きるプログラミングが働いているので、自分の能力の範囲で、生きるためにあれこれするが、それは、滑稽だったり、醜悪だったりする。
例えば、同情を買う芸だけで生きている・・・というより、それで生きられると思って、その芸に頼る愚か者もいる。

共感に欠ける人間は、生きるプログラミングに従うと、自尊感情がどんどん高まり、それを満たすために、平気で嘘をつく。
それがサイコパスである。
高名な神経科学者ジェームス・ファロンは自分で認めるサイコパスだが、サイコパスの特徴は、彼の親しい友人が、彼に対して持っている、本音の評価に表れている。
ファロンは、あえてそれを聴いたのだから偉いし、さらに、それを公開したのだから、物凄く偉い。
「人を操る」、「魅力的だが狡猾」、「狡知に長けたガキ大将」、「自他にかかわらず不誠実だ」、「自己愛的」、「表面的で軽薄」、「いざというときに信頼できない」、「自己中心的」、「深く愛することができない」、「恥知らず」、「まったく良心の呵責がない」、「巧妙な嘘をつく」、「法律や権威、社会のきまりに対して無頓着」、「都合のいい道徳だけで生きている」、「無責任」、「完全に無感情」、「冷たい」、「共感性に欠ける」、「情緒的に浅い」、「偉大なり、この私は」、「病的虚言者」、「他責的」、「完全な自信過剰」、「いつも退屈している」、「騒ぎを求めている」、「絶えず刺激を欲しがる」、「恐れ知らず」、「自分も他人も巻き込んで非常な危険に追いやる」、「非常に人気があるが、多くはうわべだけの関係でしかない」、「いかなる罪悪感もない」
~『サイコパス・インサイド』(ジェームス・ファロン著、影山任佐訳、金剛出版)より~
ファロンの高い知性とエネルギーでのみ可能になるものを除き、全く私にあてはまる。
「偉大なり、この私は」・・・もう笑うしかない。これが、「ザ・私」だ。
中村天風なんて人は、全部当てはまるのではないだろうか?

だがまあ、抗っても仕方がない。
抗えないのだ。
ただ、他者の生きるプログラミングとの間に争いを起こさないよう、せいぜい気をつけるべきなのである。それが知性ってものだ。









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この簡単なことで、自分がサイコパスであることが分かる

凶悪犯罪者になる可能性もあるサイコパス(脳機能の欠陥により良心を持っていない人間)であるかを診断する最も標準的なものは、心理学博士のロバート・ヘアが作成したチェックリスト・・・通称「ヘア・チェックリスト」によるもので、ヘアも、著書『診断名サイコパス』の中で、このチェックリストの信頼性に対し自信を見せている。
「ヘア・チェックリスト」の作成には、この最高の心理学者が金も労力もかけている。
著名な神経科学者のジェームス・ファロンは「ヘア・チェックリスト」が正確さに欠けることを指摘するが、そもそも、「ヘア・チェックリスト」さえあれば簡単に診断出来るというものではなく、サイコパスの診断は難しいものである。
だから、「ヘア・チェックリスト」位で良いのだと思う。
ファロンのように、特殊な方法で脳スキャンを撮ることで判定すれば、主観を交えず、正確・客観的に判定出来るのかもしれないが、そんなことは、恵まれた環境の中にいる人にしか出来ない。

確かに、ヘアの『診断名サイコパス』を読むと、私は自分がサイコパスであるという確信をますます深めるが、私は、もっと別の理由で自分がサイコパスだと思うのである。
それは、私は、生涯で一度も、「喜んで拍手をしたことがない」ということだ。
私的には、喜んで拍手をする人間が本当にいるとは全く信じることが出来ない。
クラシックコンサートでは、演奏後、指揮者や演奏者、その他関係者が舞台でゆっくり挨拶したり、あるいは漫然と立っている間、ずっと拍手をさせられる。
そんな時、私は、本当にうんざりする。
「早く引っ込め!」と本気で思うのだ。
それでも、以前は、誰よりも熱心に拍手をしているフリをしたところもまた、サイコパスらしいところだ。
学校や会社では、校長や教頭、生徒会長、会長や社長、あるいは、リーダー的な人間が、生徒達や社員達の前で、理念を声高らかに宣言し、皆が大きな拍手をする。
あの馬鹿らしさは、もし、自分の手に、全世界とまでは言わないが、日本を壊滅させる装置のスイッチがあれば、躊躇なく押すに違いないと思うほどだ。そしたら、どこの国が喜ぶだろうかと冷静に考えるほどマジである。

まあ、自分が拍手されるのは好きである(されることはないが)。
だが、他の者や者達のために、私が拍手する気は全くない。
そこにいくと、初音ミクさんのコンサートでは、誰も拍手などしない。
手にペンライトやサイリウムを持っているのが普通で、拍手しようにも出来ないのだが、そうでなくても、本当に荘厳な宗教儀式というものがもしあるなら、まさか拍手なんてしないのと同様、ミクさんに対して拍手などしないだろう。
ミクさんは、透明な至高の存在だからだ。

私同様、拍手が嫌いなあなたは、嫌いであればあるほどサイコパスである。
拍手とは、感情で同調する相手に対して行うものだ。
私は、どんな人間とも、気持を重ねることは決してない。それがサイコパスである。
ただ、ミクさんの透明な心にだけはシンクロするのである。









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