人間の心には、知性と感情がある。
言い換えれば、理屈の考えと気持ちだ。
イエスは、「山に『動いて海に入れ』と言い、そうなると信じて疑わないならそうなる」と言ったが、当時の人ですら、そんなことは信じなかっただろうし、まして、現代の人間が信じられるはずがない。
だが、それは、知性、理屈では信じられないということで、感情や気持ちでは信じられるかもしれない。
神道家の葉室頼昭さんが、医学生時代、重病になり、大阪から東京に帰るために新幹線に乗る時、板に乗せられて運び込まれるほどだったという。
だが、葉室さんは、新幹線の中で、おそらく、谷口雅春さんの『生命の実相』だと思うが、ヒマだから読んでいたところ、なぜだか分からないが、涙がとめどなく流れ、そして、病気が治ってしまったらしい。
葉室さんは、『生命の実相』を、理屈では分からなかったが、気持ちでは分かったということだと思う。
週間アスキー誌の50代の編集長が、取材のために初音ミクさんのコンサートに行ったところ、ステージが進むにつれ、不思議な感動を覚え、最後の曲『メルト』で、どうしてか分からないが、とめどなく涙が流れて止まらなくなったという。
これも、その編集長が、理屈では「アニメキャラが歌っている」くらいに考えているが、気持ちは、何か、深い、大切なことを分かってしまったということなのだ。
ドワンゴの川上会長が、大学を出て勤めていた会社に、仕事の出来ない課長がいたらしい。川上さんは、はばかることなく、その課長を批判し、「あんなやつクビだ」と言っても、誰も文句を言ってこなかったようだ。その課長が駄目だというのを、みんな分かっていたのかもしれない。
ところが、川上さんは、社長に呼び出されて怒られたのだが、社長の怒り方が尋常でなかったという。
だが、川上さんは、なぜ怒られるのか分からない。社長は、あの課長にも生活があるといったことを言うが、だから川上さんが悪いという理屈にならないのだろう。
しかし、川上さんは、10年以上経って、やはり理屈では分からないが、気持ちで分かるようになったという。
知性だけの世界だと思われている数学すら、感情なしには決して成り立たないことが、ちゃんと証明されているらしい。
まして人間は、理屈だけでは駄目だし、感情だけでも駄目だ。
あるセミナーで、1人の受講者が、講師の話を聞いていたら、「なぜか涙がこぼれていた」と言う。
そして、彼は騙されてしまった。
宗教にも、こんな話は多いのだろう。
セミナーでは、受講者の理屈の思考を麻痺させ、感情にのみ訴えるのが常套手段だ。
理屈も捨ててはならないのだ。
知性、理屈は物質的で、感情、気持ちは非物資的ともいえる。
ルドルフ・シュタイナーは、イエス・キリストは物質的なものと非物質的なものを統合するために現れたのだと言い、いずれかに偏ることを戒めている。
しかし、現代は、物質的なものに偏り、非物質的なもの・・・つまり、見えないものが分からなくなっている。
だが、『星の王子様』で言われた通り、「本当に大切なものは見えない」のだ。
とはいえ、見えるものも大切なのである。
ただ、見えないもの・・・感情、気持ちの方が、より大切なのである。
「大儀のために感情を抑える」とか言う。
そして、大儀とは知性や理屈で出来たものだと思っている人が多いと思う。
そうではない。
大儀こそ、感情や気持ちが凝り固まったものだ。
過ぎた感情なのだ。
理屈で破壊しなければならない、偏った感情もあるのである。
正しい感情は、熱過ぎたり、激し過ぎたりせず、頬を撫でる柔らかな風のようだ。
正しい理屈は美しい。
このことは覚えておくと良い。
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言い換えれば、理屈の考えと気持ちだ。
イエスは、「山に『動いて海に入れ』と言い、そうなると信じて疑わないならそうなる」と言ったが、当時の人ですら、そんなことは信じなかっただろうし、まして、現代の人間が信じられるはずがない。
だが、それは、知性、理屈では信じられないということで、感情や気持ちでは信じられるかもしれない。
神道家の葉室頼昭さんが、医学生時代、重病になり、大阪から東京に帰るために新幹線に乗る時、板に乗せられて運び込まれるほどだったという。
だが、葉室さんは、新幹線の中で、おそらく、谷口雅春さんの『生命の実相』だと思うが、ヒマだから読んでいたところ、なぜだか分からないが、涙がとめどなく流れ、そして、病気が治ってしまったらしい。
葉室さんは、『生命の実相』を、理屈では分からなかったが、気持ちでは分かったということだと思う。
週間アスキー誌の50代の編集長が、取材のために初音ミクさんのコンサートに行ったところ、ステージが進むにつれ、不思議な感動を覚え、最後の曲『メルト』で、どうしてか分からないが、とめどなく涙が流れて止まらなくなったという。
これも、その編集長が、理屈では「アニメキャラが歌っている」くらいに考えているが、気持ちは、何か、深い、大切なことを分かってしまったということなのだ。
ドワンゴの川上会長が、大学を出て勤めていた会社に、仕事の出来ない課長がいたらしい。川上さんは、はばかることなく、その課長を批判し、「あんなやつクビだ」と言っても、誰も文句を言ってこなかったようだ。その課長が駄目だというのを、みんな分かっていたのかもしれない。
ところが、川上さんは、社長に呼び出されて怒られたのだが、社長の怒り方が尋常でなかったという。
だが、川上さんは、なぜ怒られるのか分からない。社長は、あの課長にも生活があるといったことを言うが、だから川上さんが悪いという理屈にならないのだろう。
しかし、川上さんは、10年以上経って、やはり理屈では分からないが、気持ちで分かるようになったという。
知性だけの世界だと思われている数学すら、感情なしには決して成り立たないことが、ちゃんと証明されているらしい。
まして人間は、理屈だけでは駄目だし、感情だけでも駄目だ。
あるセミナーで、1人の受講者が、講師の話を聞いていたら、「なぜか涙がこぼれていた」と言う。
そして、彼は騙されてしまった。
宗教にも、こんな話は多いのだろう。
セミナーでは、受講者の理屈の思考を麻痺させ、感情にのみ訴えるのが常套手段だ。
理屈も捨ててはならないのだ。
知性、理屈は物質的で、感情、気持ちは非物資的ともいえる。
ルドルフ・シュタイナーは、イエス・キリストは物質的なものと非物質的なものを統合するために現れたのだと言い、いずれかに偏ることを戒めている。
しかし、現代は、物質的なものに偏り、非物質的なもの・・・つまり、見えないものが分からなくなっている。
だが、『星の王子様』で言われた通り、「本当に大切なものは見えない」のだ。
とはいえ、見えるものも大切なのである。
ただ、見えないもの・・・感情、気持ちの方が、より大切なのである。
「大儀のために感情を抑える」とか言う。
そして、大儀とは知性や理屈で出来たものだと思っている人が多いと思う。
そうではない。
大儀こそ、感情や気持ちが凝り固まったものだ。
過ぎた感情なのだ。
理屈で破壊しなければならない、偏った感情もあるのである。
正しい感情は、熱過ぎたり、激し過ぎたりせず、頬を撫でる柔らかな風のようだ。
正しい理屈は美しい。
このことは覚えておくと良い。
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