英国のコリン・ウィルソンほど翻訳書が多く出ている作家はいないと思う。
彼は中学しか出ていないが、工場労働者などをやりながら(嫌だったようだが)勉強し、23歳の時に書いた『アウトサイダー』で、一晩で世界的作家になった。
80歳になるが、今でも元気で創造的活動に取り組んでいるはずだ。
ウィルソンは、同じ英国の作家ハーバード・ジョージ・ウェルズをこよなく崇敬していることが、彼の作品の多くからうかがえる。ただし、ある著作には、晩年のウェルズは女性のスカートの中にしか興味がなく、見境なかったと書きもしたが、これほどの偉人でも性欲を克服しないとロクなことにならないということだろう。

ウェルズの『タイムマシン』や『宇宙戦争』は何度も、そして、ごく近年でも、映画、それも大作映画が制作されていることをご存知かもしれない。
また、他の作品も映画化されているが、私は、古いモノクロ映画ながら、ウェルズ自ら脚本を書いた『来るべき世界』こそ、真に重要な映画作品で、その原作小説『世界はこうなる』も大変な作品だと思う。
ところで、短編ながら、ウェルズの最も重要な作品と思えるものに『堀についたドア』というものがある。
早い話が、異世界・・・異次元の世界とでもいうのだろうか、ある人生の成功者が、子供の頃にただ一度、偶然に入り込んだそんな世界に、一生憧れ続けるというものだ。
ウェルズが、なぜそんな世界のことを描いたのかは分からないが、それは単なる空想の物語ではない。
私は、エマーソンがエッセイの中で書いていた、「想像と空想は異なる」という言葉が大好きだが、それはまさに、『堀についたドア』に言えることだ。
ソクラテスの言う、神の言葉を伝えるダイモーンによって書かれた作品に違いないとも思う。
その異世界の美しさは、読めば誰でも憧れるに違いない。
だが、その物語の主人公は、なんともつまらない理由でその世界を無視してしまう。もちろん、そうしなかったなら、どうなったかは分からないが。
その世界は、陶淵明(とうえんめい)という、3~4世紀の中国の文学者が語った桃源郷とよく似ているように思える。陶淵明は、その世界への再訪は不可能というが、まさに『堀についてドア』の男がそうだった。
だが、そのような世界は、シャンバラ、シャングリラ、ザナドゥなどとも呼ばれ、世界中に伝説があり、現代でも、そのような世界がある可能性を語る者は少なくは無い。

『ローム太霊講和集』には、桃源郷の一歩手前の世界である次元界のことが語られている。この世と桃源郷の中間のような世界であるが、やはり、この世界の者から見れば理想世界だ。私は、『堀についたドア』の異世界は、次元界のようにも感じる。
そして、次元界には、その気になれば誰でも、割に簡単に行けるし、中国には古くから、そんな世界に入る方法が色々伝えられていて、太霊ロームもそれを教えているし、そこに行くことも奨めている。

シャンバラ、シャングリラの場所は、例えばチベットのある場所にあるとか色々言われるが、それが地下にあるという者もいる。
ウェルズと並ぶ大SF作家ジュール・ヴェルヌの最高傑作『地底旅行』は、そんな世界を訪れるお話だ。
私がいつもご紹介する『エメラルド・タブレット』の翻訳者ドリール(ドウリル)博士は、シャンバラに行き、そこで学んだ者だ。彼の話から考えると、世界各地にあると言われるシャンバラは、シャンバラそのものと言うより、シャンバラへの通路と言うべきだろう。シャンバラ自体は異次元の世界と言えると思う。
『堀についたドア』の、異世界のその美しい描写を思うと、ウェルズもまた、異世界への強い憧れを抱いていたのだと思うし、その世界の存在を信じていたのだろう。
だが、いまや、その世界の秘密が明かされる時が来ているかもしれない。それは、人類の破滅とも表裏一体であるということでもある。

















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