ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ザ・ケルン・コンサート

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

悲壮感のある人が呪文で輝く

呪文を唱えずとも、うまくいく人がいる。
それは、生まれつき恵まれている人だ。
両親はお金持ちの教養人。
自身も美男美女で、頭が良かったり、運動神経が良い、あるいは、特別な才能があり、早くからそんな天分を生かして称賛され、自信を持ち、さらに飛躍する。
人間は、意識してはいなくても、頭の中で沢山の言葉をつぶやいているのだが、そんな人間は、「私は特別」「誰にも負けない」「偉大なり、私」「私が一番」という言葉が頭の中に定着し、自動的にうまくいく。

そんな人間には、呪文は不要だ。
呪文を必要とするのは、「持たざる者」だ。
放っておいたら、頭の中はマイナスの言葉だらけになって自滅するような者だ。
呪文以外に頼るものがない場合も多い。
しかし、それで良い。
呪文しかなくても、呪文を唱え続けると、「持っている者」をはるかに超える。
「持っている者」というのは、初めから高いところにいて崇められるが、どこか「いけすかない」もので、若い間は良いが、やがて色褪せていく。

人間は、悲壮感があった方が輝く。
ジャズ音楽で最高の売上を上げているライブ演奏『ザ・ケルン・コンサート』は、キース・ジャレットの即興演奏のピアノ・ソロコンサートだ。
ところが、この時、ジャレットは24時間眠っておらず、車を長時間運転して疲れていて、時間は夜の11時半。
用意されたピアノは小さ過ぎる上に壊れていて、ペダルも黒盤も高音域も使い物にならない。
ジャレットは悲壮感を持って挑んだはずだ。
しかし、演奏が開始されると同時に奇跡が起こっていることは誰にも分かった。
まさに、神の演奏だった。
1974年のこの演奏のレコード、CDは今も売れ続けている。

ジャレットは何か言葉をつぶやき続けていたはずだ。
それも、アメリカ人だから、「オールライト(大丈夫)」という単純な言葉だったに違いない。
恵まれた条件なら、そんなことはせず、上手い演奏にはなっても、魂に届くものにはならない。
ウィーンフィルやベルリンフィルも、エリート集団になってからは、恐ろしく上手くても全然良くなくなってしまった。

念仏も、呪文と同じ原理であるが、法然はまさに、何も持たない悲壮な人々を見て、僧としての自分の悲壮を感じた。
その時、まさに仏が入り、「念仏さえあれば良い」「念仏以外にない」と確信したのだろう。

プロレスの話だが、日本のプロレス史には、ジャンボ鶴田という、とんでもない天才レスラーがいた。
素材は、プロレス史上最強のルー・テーズ以上だった。
大学からレスリングを始めてもオリンピックに出てしまう。
2メートル近い長身で、体力、運動神経は生まれつき超人的という、あらゆるものを持った天才だった。
ジャイアント馬場の全日本プロレスでは、若い時から、馬場に次ぐナンバー2が確約され、馬場は超一流の外人レスラーをいくらでも呼べるので、鶴田はそれらの選手と伸び伸び戦っていれば良かった。
だが、その凄まじい才能の半分も生かせなかったと思う。
名著『1964年のジャイアント馬場』に、こんな非常に印象に残ることが書かれていた。
ある、実に鋭い洞察をする人が鶴田に言う。
「アントニオ猪木にあって、お前にないのは悲壮感だ。お前はいくらでも一流の外人レスラーと戦えるが、猪木のところにはタイガー・ジェット・シンしか来ない。しかし、猪木はシンと一生懸命戦っている。そこに悲壮感があるが、お前にはそれがなく、一生懸命戦えない」
猪木さんは、まさに悲壮を絵に描いたような人だが、あの存在感は凄い。
猪木さんも、絶対に何かの言葉を持っているのだと思う。

「持たざる者」である我々は、呪文を唱えなければならない。
努力をしても悪い方にしかいかない。
頭の中で悪いヘビがささやき続けているのだから、努力すればするほど悪くなる。
いわゆる、「がんばったのが裏目に出る」のだ。
ある程度、歳を取っている人なら実感していることだろう。
恵まれた人に言うことはない。
だが、そんな人も、すぐに落ちぶれるので、呪文を必要とする。
万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の中から1つを選び(あるいは、同意の他の言葉でも良い)、常に心の中で、感情を込めずに淡々と唱える必要がある。
それで確実にうまくいくが、ほとんどの人が続かない。
頭の中のヘビに負けてしまうのだ。
だから、思い出す度に呪文を唱えていただきたいものである。









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壊れた人間の生きる道

エンジンが狂った車や、調律が出来ていない楽器、バグのあるプログラムのように、頭、あるいは、心が狂っていたり、歪んでいたり、深刻な欠陥を持っていたら、いくら努力し、修行をし、情熱をたぎらせ、犠牲的精神すら発揮して、強い意思で行動しても、結果は悲惨だ。

そんな壊れた人間は、どれほど頑張ろうとも、経験するのは失敗と屈辱だけだ。
たまたま(本人にとって)上手くいった例がヒトラーだが、成功したら成功したで、やはり、世の中にも自分にも災禍をもたらすだけだ。
だが、偉人のように思われている者にも、狂った者はいると思う。
極度のロリコンだったルイス・キャロルは間違いなくそうだったし、錬金術にのめり込んでいたニュートン、人格者のように思われているが(部分的にはそうかもしれないが)偏執的な人間であったアインシュタインや、特定の食品を偏愛する大物俳優のジョン・トラボルタもそうだろう。
彼らの場合は、肯定的に成功し、人類に利益すら与えたかもしれないが、マイナス面も少なくないはずだ。
そして、有名人とか成功者でない、「ただのつまらない狂った人間」は、きっと多い。
先天的に脳に異常がある場合もあるだろうし、家庭や学校の教育や、生まれ育った環境のせいで狂ってしまった者もいる。

狂った人間は、自分の狂いを自覚して、騙し騙しやったり、自分とは別の自我を自分で構築して、ロボットとして行動することで成功することもあるだろうが、そのままでは、狂った人生を送るしかない。

「努力したのに」
「がんばったのに」
「我慢したのに」
「犠牲を払ったのに」
「苦しかったのに」
敗北と屈辱と悲哀しか与えられなかった者達の霊の呻きが聴こえる。

「ザ・ケルン・コンサート」という、狂ったピアノで演奏された世紀の名演奏がある。
いったいなぜ、あんな奇跡が起こったのかは分からない。
だが、演奏者のキース・ジャレットは、ピアノが壊れていることはよく分かっていた。
まともな人間のことは見当がつかないが、我々狂った人間は・・・狂った脳や心を持った人間は、狂いを自覚し、それを隠さなければならない。
狂いの部分が評価されたことはない。
たとえ狂気の天才と呼ばれることはあっても、彼が評価されたのは、まともな業績であることに気付かなければならない。
念仏なんて、狂った人間が、それを隠すためのツールのようにも思える。
いや、般若心経の呪文でも何でもいい。
それで狂いを封じ込めれば希望はある。









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ひきこもり器質は武器である

人類史上最高のスプリンターと言われるウサイン・ボルトは背骨に障害を持ち、それは本来、陸上短距離走者としては致命的な欠陥であるようだ。
それで、ボルトは、困難を抱えて苦闘する人々の希望になっているのだろう。
しかし、こんな言い方をしたら文句や非難まで出るかもしれないが、ボルトは、障害があったからこそ成功したのかもしれない。
つまり、人間は、困難があった方が成功するのである。
むしろ、才能はあるのに、「困難に恵まれなかったために」成功しなかった人が多いに違いない。

困難があった方がクリエイティブになれるといったテーマで、2015年にティム・ハワードがTEDで講演した中で取り上げた、ジャズピアニストのキース・ジャレットのドイツ・ケルンでのピアノソロコンサートは、まさに困難だらけだった。
ジャレットは長距離を運転し24時間眠っていなかったし、主催者は何かの手違いでちゃんとしたピアノを用意出来ず、ジャレットは小さな音の弱い、そして、壊れているピアノで演奏した。
ところが、その演奏が、ジャズ部門で史上最高の売上となる名演奏になったのである。

成功した人、最高の業績・成果を上げた人がいれば、「この人にはどんな困難があったのだろう?」と、最初に思っても良いくらいではないだろうか?
実際、成功の陰には、必ず障害があるのだと思う。
むしろ、何かに取り組む際、困難がなければ、「私は成功出来ないのではないだろうか?」と不安に思うくらいで丁度良い。
まあ、本気で何かに取り組めば、必ず困難に・・・そして、志が大きいほど、大きな困難がやってくるものだ。

そこにいくと、ひきこもり器質なんて、何をやる上においても障害なのであるから、最初から成功の種を持っていると思って良いのである。
一歩を踏み出しさえすれば、困難に抗いさえすれば、必ず成功するのである。
ただ、成功の定義はそれぞれで、必ずしも大富豪になるようなことではなく、何度か引用したが、ドワンゴの川上量生会長がブログで書かれていたように、社会の最底辺に入れてもらえることかもしれない。
ただし、ひきこもりが社会の最底辺に入れた時、そのひきこもりは何か貴重なものを得ているのであり、それこそが本当の成功なのである。
あの世にお金は持っていけないが、ひきこもりが得た、その何かは、重要なものとして持っていけるのだと思う。

思想家の吉本隆明さんは、自分はひきこもり気質だと言われていたと思うが、もしそうでなければ、彼は大思想家にはなれなかったに違いない。
ただ、欠陥の自覚がなければ、それは武器にならないのだと思う。
サイコパスだって、それを人間としての致命的欠陥と自覚出来るサイコパスだけが本当の意味で成功するのだろうと私は思うのだ。









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禁断の愛ほど燃えるのはなぜか

「障害のある愛ほど燃える」とか言うが、それは違う。
「障害のない愛なんか燃えない」が正しい。
「禁断の愛」こそ、身も心も燃え上がるのである。

イタリア映画「愛のほほえみ」で、8歳くらいの可愛い少女オルガがタバコを手に、「火をお持ちでない」と言い、ルーカ少年を驚かせるが、公爵夫人の孫であるオルガは、「あたし、やってはいけませんということは全部やりたいの」と言う。
その「やってはいけないこと」は、厳しく禁じられ、決してやらせてもらえないし、出来ないようなことだろう。
つまり、「簡単に出来る」ことなんかやっても面白くなく、「困難が多い」ことほど面白いということなのだ。

困難があった方が、生命力が高まり、能力が発揮され、充実するのである。
スポーツの試合でも、怪我を押して出場したり、体調が悪い方が、案外に活躍したりする。
あるプロボクシングの世界タイトルマッチで王者がKO勝ちしたが、実は王者は風邪で40度近い熱があったなんて話もある。体調万全であったら、もっと苦戦したか、ひょっとしたら負けていたかもしれない。
昔の東京オリンピックの女子体操で団体準優勝と個人総合優勝を獲得したチェコチームは、その時、亡命の真っ最中で、練習場所もなく、木の枝を使って段違い平行棒の練習をしていたとかいうし、ロサンゼルスオリンピック女子体操で個人総合優勝したメアリー・レットンは、足首を捻挫して、試合2日前までは歩けなかったとかいう。
そんな障害がなかったら、案外に、いまひとつの結果になっていたかもしれない。

1975年に、ドイツのケルンで行われた、ジャズピアニスト、キース・ジャレットの即興演奏によるピアノ・ソロ・コンサートこそ、障害、困難が奇跡を起こしたものである。
ピアノは小さ過ぎ、ジャレットは中腰で力強く鍵盤を叩かなくてはならなかったし、そもそも、そのピアノは壊れていて、黒盤、高音域、ペダルが使えなかった。
しかも、ジャレットは運転で疲れ、24時間眠っておらず、コンサートは深夜11時半に開始された。
だが、その演奏は神懸り、いまだ、アナログレコード、CDは売れ続け、ジャズ音楽で最高の売上を記録している。

商売でも、「買って下さい」と平身低頭する商売人よりも、「買わなくていいよ」という態度の商売人の方が大きな契約を取るものである。
女の子だって、「もうどうにでもして」と寄ってくる子より、「雪の女王」というほどの冷たい子の方が燃えてしまうもので、それを心得て、そっけない態度をする女の子もいる。
ツンデレが可愛いのは、ツンが様になっている場合だ。

学歴がない、資金がない、英語が出来ない・・・、そりゃ、非常に歓迎すべきことだ。
そうでなくては成功出来ない。
しかし、皆、そんな障害に気持ちで負けてしまうのだ。

ラズベリー*モンスター
纏う 攻撃は最大の防御なのに誰もが逃げてる
ラズベリー*モンスター
僕を止められるヤツは何処にも居ない
~『ラズベリー*モンスター』(作詞・作曲・編曲:HoneyWorks、歌:初音ミク)より~

ある空手家が、真剣を持った剣術の達人と決闘した。
百パーセント勝ち目はないので、空手家は、「よし、死のう」と思って突進し、その後の記憶がないのだが、気がついたら、剣術の達人は目の前で伸びていた。
だが、先に命を捨てなければ、空手家は殺されていただろう。
ここまでの状況はなかなかないだろうが、困難があれば、飄々(ひょうひょう)と念仏でも称えて忘我、没我、無我に近付くことだ。









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うっかり天才になってしまう空想のやり方

学校の授業中、空想をしていたら、教師に、「ぼーっとするな」と怒られる。
授業が面白かったら、空想は別の時にするのだし、空想はとても大切だ。
吉本隆明さんは、「ぼーっとする時間は大切」と言い、子供達がぼーっとしていたら邪魔をせず、代わりに、この日本最高の思想家が、買い物籠を持って買い物に行っていたらしい(レジ袋がなかった時代には、買い物籠というものが使われた)。
吉本さんも、子供の時から、よくぼーっとしていたのだろう。

空想が頭脳を発達させ、IQを高める。
ただ、空想にも良いやり方があるのだろう。
とはいえ、難しいことではなく、本当に自由で、生き生きしていて、楽しければそれで良いである。
アインシュタインは、「光と一緒に飛んだら、どんなだろう?」と思って空想したが、ある時点で、脳の自動的な思考に任せたはずだ。
ニコラ・テスラは、空想で見知らぬ地に何度も行くうちに、その空想の地の人々と親しくなるほどだった。当然、空想の全てを自分で支配したのではなく、空想が起こるがままに任せたからだろう。
子供は空想が好きだが、それは、何が起こるか分からない冒険だからだ。
空想だけではいけないというのも分かるが、「なぜ、空想だけではいけないのか?」が分からないので、やたら空想が否定される。

空想の世界と現実世界は重なり合い、活発に呼応している。
だから、現実が貧しかったり、惨めだったりすると、空想も雄大で輝くものにならない。
現実の出来事が、空想のきっかけになる場合が多いが、親や教師は、そのきっかけを与えない。
子供達は、子供達同士のコミュニケーションの中で、優れた気付きやアイデアを得るのであることは、最新の科学的研究でも明らかになっている。
だから、子供の時に、良い子供集団の中にいなかったとしたら、精神を発達し損なった部分は確かにあるが、嘆いても何にもならない。
そこはうまく、補償(損害を補う)をすれば良い。
アインシュタインや芥川龍之介らも、そうだった(子供の時に精神を発達させ損なった)のだろうと思うが、彼らは、青年期から生涯、本を読み、楽器を演奏し、散歩して自然に触れ、農作業をし、動物の世話をしたり一緒に遊ぶ中で、空想のきっかけを得ていたのだ。

空想を始めたら、自分の心と宇宙の心(別の言い方では、人間と神霊、意識と無意識)の交流が起こるようにしないといけないが、普通、子供はそれを自然にうまくやる。
大人の場合は、少し意識的に受け身になることだ。でないと、あちら(神霊)の活動を妨げてしまう。
ソクラテスは、重要なものは、皆、あちらから来るのだが、賢い人すら、それに気付いていないと言ったのだと思う。
世の中の優秀な人達はきっと、子供の時に、良い空想をして知能を発達させたが、それが、異次元と交流する能力であることを知らないのだ。
まあ、言葉で説明するのも難しく、そのせいで、ソクラテスは死刑になったのだがね。
いい加減、ソクラテスの時代から進歩したいものだが、むしろ、退化しているかもしれないほどだ。

初音ミクさんの歌は、時空を超えた意識と無意識の無限の連鎖が現れ出たもので、これほどの空想のきっかけは、そうはない。
クラシックも良いのだが、時々、権威の塊を避けなければならない。
『ザ・ケルン・コンサート』は、精神を覚醒させる奇跡的な響きで、あれを聴いて空想しているうちに、うっかり天才になって四苦八苦している人も多いと思う(笑)。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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