テレビのいろいろな学習講座を見ると、どれも教師が登場する。
それで私は思うのだが、先生達は、格好の良い服・・・少なくとも恥ずかしくない服を着なければならないし、服の綻びや継ぎはぎ等は決してあってはならない。そして、服のしわもない方が良いと思うだろう。
理屈では誰も見ないと思う教師の髪形も、「かっちり」と言うよりは「お洒落」にしたいと思うだろうし、アレルギーのためにまぶたが腫れていたり、寝不足でぱっちりしない目も駄目だろう。
いやはや何とも大変である。
最近、インターネット授業も多くなったが、やっぱり狭い画面の中に教師がしゃしゃり出てくる。
世界最大のオンライン学習サイト「カーン・アカデミー」では、先生は一切出てこない。
先生が身だしなみに気を使わなくていいというだけでなく、生徒も、黒板や解説の声に集中できるからだ。
人間ってのは、子供でも大人でも、人間の顔に注意を向けてしまうものなんだからだ。
カーン・アカデミーのようにやってみたら、「これまでは、なんで先生がいちいち出てこなくちゃいけなかったの?」と思うのである。
ルドルフ・シュタイナーが大昔に、「教師は空気のようなのが最高だ」と言ったのに、誰も聞いちゃいなかったのである。
これはほんの一例で、カーン・アカデミーでは、これまでの学習法で行われていたこと(伝統や慣習)であっても、良くないものは平気でやめ、逆に、これまでは決して行われなかったことでも、良いことはどんどん行った。
だから、素晴らしいものになったのだ。
それができたのも、サルマン・カーンが頭が良かったことと共に、彼が教育学の素人であったことが幸いだったのだ。
彼は、従来のやり方に囚われるどころか、従来のやり方なんて、元々知らなかったのだ。
それでもカーンは、マサチューセッツ工科大学という名門大学で数学と電気工学とコンピューターサイエンスの学位を取り、電気工学とコンピューターサイエンスで修士号を取っているらしい。
そして、ハーバード大学ではMBA(経営学修士)を取得している。ハーバードも最近はマサチューセッツ工科大学に大学ランキングで負けているが、やはり超名門だ。
これらの学位を取ったことが、カーンに取って良かったのかどうかは分からないが、彼がヘッジファンド・アナリストを仕事に選んでいたのが興味深い。
学問を実践的に生かすのに最適な仕事だと思われるからだ。
そんなところからも、彼は実際的であることを重視する賢い人なのであることが分かるように思うのである。
カーンは教育を自分の天職と考えているようだが、ビル・ゲイツも、最近の彼の言動を見ると、彼もまた明らかに教育に取り組む意欲が非常に大きいのだと思う。
また、ゲイツは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通して、カーン・アカデミーを財政支援しているようだ。
ところで、ゲイツもスティーブ・ジョブズも、あるいは、FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグも学位の1つも持っていない。
ゲイツは初め、ハーバードで数学をやりたかったそうだが、そこの数学科には、彼など足元にも及ばない数学の天才がごろごろいたのでやめたらしい。
しかし、それは、ゲイツが数学者になる宿命になかったというだけのことだろう。
また、18歳頃のゲイツは、まだ学校教育に汚されたところがあって、マイクロソフトで長い時間を過ごすことでそれを洗浄できたのだと思うのである。
ゲイツにしろジョブズにしろ、人間の脳の宇宙全体を包括するホログラムの役割を果たすような潜在能力を、他の人間より多く顕現させたのだろうと思う。
カーンの場合は、学校でよく勉強したからこそ、伝統的な学習法や教育の欠陥を見逃さず、概ねでそれと反対をやれば良いことに気付いたのだろう。
私は、最近、学校でしっかり勉強した、いわゆるエリートの人達と話をする機会が多いのだが、学校の勉強を基盤に考える人は思考の制限や囚われが多いことは、かなりはっきり感じるのである。学歴が10倍なら思考の締め付けも10倍といったところなのである。
せっかく本来の頭は良いのに、学校で駄目になってしまったのだと感じる人も少なくない。
そして、彼らにとっては学歴にプライドがあるところがさらに問題なのである。
そんなこともあり、私は、教育家としてのゲイツに期待したいと思っているのである。
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それで私は思うのだが、先生達は、格好の良い服・・・少なくとも恥ずかしくない服を着なければならないし、服の綻びや継ぎはぎ等は決してあってはならない。そして、服のしわもない方が良いと思うだろう。
理屈では誰も見ないと思う教師の髪形も、「かっちり」と言うよりは「お洒落」にしたいと思うだろうし、アレルギーのためにまぶたが腫れていたり、寝不足でぱっちりしない目も駄目だろう。
いやはや何とも大変である。
最近、インターネット授業も多くなったが、やっぱり狭い画面の中に教師がしゃしゃり出てくる。
世界最大のオンライン学習サイト「カーン・アカデミー」では、先生は一切出てこない。
先生が身だしなみに気を使わなくていいというだけでなく、生徒も、黒板や解説の声に集中できるからだ。
人間ってのは、子供でも大人でも、人間の顔に注意を向けてしまうものなんだからだ。
カーン・アカデミーのようにやってみたら、「これまでは、なんで先生がいちいち出てこなくちゃいけなかったの?」と思うのである。
ルドルフ・シュタイナーが大昔に、「教師は空気のようなのが最高だ」と言ったのに、誰も聞いちゃいなかったのである。
これはほんの一例で、カーン・アカデミーでは、これまでの学習法で行われていたこと(伝統や慣習)であっても、良くないものは平気でやめ、逆に、これまでは決して行われなかったことでも、良いことはどんどん行った。
だから、素晴らしいものになったのだ。
それができたのも、サルマン・カーンが頭が良かったことと共に、彼が教育学の素人であったことが幸いだったのだ。
彼は、従来のやり方に囚われるどころか、従来のやり方なんて、元々知らなかったのだ。
それでもカーンは、マサチューセッツ工科大学という名門大学で数学と電気工学とコンピューターサイエンスの学位を取り、電気工学とコンピューターサイエンスで修士号を取っているらしい。
そして、ハーバード大学ではMBA(経営学修士)を取得している。ハーバードも最近はマサチューセッツ工科大学に大学ランキングで負けているが、やはり超名門だ。
これらの学位を取ったことが、カーンに取って良かったのかどうかは分からないが、彼がヘッジファンド・アナリストを仕事に選んでいたのが興味深い。
学問を実践的に生かすのに最適な仕事だと思われるからだ。
そんなところからも、彼は実際的であることを重視する賢い人なのであることが分かるように思うのである。
カーンは教育を自分の天職と考えているようだが、ビル・ゲイツも、最近の彼の言動を見ると、彼もまた明らかに教育に取り組む意欲が非常に大きいのだと思う。
また、ゲイツは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通して、カーン・アカデミーを財政支援しているようだ。
ところで、ゲイツもスティーブ・ジョブズも、あるいは、FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグも学位の1つも持っていない。
ゲイツは初め、ハーバードで数学をやりたかったそうだが、そこの数学科には、彼など足元にも及ばない数学の天才がごろごろいたのでやめたらしい。
しかし、それは、ゲイツが数学者になる宿命になかったというだけのことだろう。
また、18歳頃のゲイツは、まだ学校教育に汚されたところがあって、マイクロソフトで長い時間を過ごすことでそれを洗浄できたのだと思うのである。
ゲイツにしろジョブズにしろ、人間の脳の宇宙全体を包括するホログラムの役割を果たすような潜在能力を、他の人間より多く顕現させたのだろうと思う。
カーンの場合は、学校でよく勉強したからこそ、伝統的な学習法や教育の欠陥を見逃さず、概ねでそれと反対をやれば良いことに気付いたのだろう。
私は、最近、学校でしっかり勉強した、いわゆるエリートの人達と話をする機会が多いのだが、学校の勉強を基盤に考える人は思考の制限や囚われが多いことは、かなりはっきり感じるのである。学歴が10倍なら思考の締め付けも10倍といったところなのである。
せっかく本来の頭は良いのに、学校で駄目になってしまったのだと感じる人も少なくない。
そして、彼らにとっては学歴にプライドがあるところがさらに問題なのである。
そんなこともあり、私は、教育家としてのゲイツに期待したいと思っているのである。
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