ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

サイボーグ009

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

無敵の加速能力を簡単に得る

人間の最高の能力が「加速能力」であることに最初に気付いたのは、SF史上最高であるだけでなく、カーツ・ヴォネガットやコリン・ウィルソンという現在の米英を代表する思想作家とも言える巨匠達が、作家としても最高と言うH.G.ウェルズだった。
ウェルズは、『新加速剤』という作品で、人間の精神・身体の活動速度を数百倍化する架空の薬品を登場させ、それを使った人間が、いかに強者であり、あらゆる戦いに勝利出来るかを示した。
『サイボーグ009』で有名になった「加速装置」は、この『新加速剤』の加速剤の効果と全く同じで、石ノ森章太郎氏は、『新加速剤』をヒントにしたのかもしれないが、天才、石ノ森章太郎のことだから、独自に考えたのかもしれない。

『シティ・ハンター』のヒーロー、冴羽獠(さえばりょう)や、『MADLAX』のヒロイン、マドラックスらが、飛んでくる銃弾を楽々交わして見せるが、彼らには銃弾がゆっくり飛んで来るように見えるのである。つまり、精神と身体が加速し、超高速化しているのである。
実際に弾丸を交わせた人間には、合気道家の植芝盛平がいた。
彼が実際に、どんなふうに弾丸を交わしていたのかは分からないが、彼の場合は、弾丸が飛んでくる軌跡が見えたという話があるが、たとえ、そんなものが見えたとしても、精神や身体が加速しないと、見えただけで交わすことは出来ないだろう。
植芝盛平は、当時の名ボクサーだった、ピストン堀口とスパーリングし、堀口のパンチを掴み取ったところから、やはり、「加速していた」のだと思われるのだ。

さて、加速能力を得る簡単な訓練は、2つある。
1つは、紙の本を高速でめくるのである。
ただし、1ページ1ページめくるのではない。
本1冊、一気にめくるのである。
つまり、親指で、本の背の反対側(小口とか前小口と呼ばれる部位)を押さえ、そのまま、一気に指を滑らせる感じである。
縦書きの本の場合は、左手の親指を小口に当て、その親指を左側に滑らせて、本1冊の全ページをぴゅっと一気にめくるのである。
ゆっくりめくるのではない。なるべく速く、びゅっとめくるのだ。
当然、中身を読むことは出来ない。
また、無理に読もうとしてはならない。
ただ、高速で流れるページを見るのである。
川村明宏氏の本で、このやり方を速読法として紹介していて、実際、これをやっていると速読が出来るようになるようだ。

もう1つの方法は、頭の中で数字を数えるのである。
頭の中で、「いち、にー、さん、・・・」と数字を数え、初めのうちは100までを、慣れてきたら、1000までを1セットとする。
なるべく高速に数えるのだが、それだけ聞くと、皆、頭の中でいい加減に数えてしまう。
そうではなく、正確に数えるのである。
「256(にひゃくごじゅうろく)」と正確に頭の中で唱える。
顔を真っ赤にしたり、しかめたりして、必死で速く数えるのではない。
ただ、速く数えることを意識するだけだ。
すると、正確に数えていながら、超高速で数えることが出来るようになる。
この時、精神は加速しており、身体もそれに引っ張られて加速する。

単に、速く動くものを見るだけでも良い。
昔の野球選手(長嶋茂雄氏もやったという話を見た覚えがある)がよくやったのは、走っている電車の中から、線路を支える枕木を見ることだ。
おそらく、電車の後ろの窓から見たのではないかと思うが、最初は、見えない枕木が、一月もすれば見えるようになるらしい。
すると、ピッチャーが投げる球がはっきり見えるようになるし、一流になれば、ボールの縫い目まで見えるようだ。
いや、単に、立てた人指し指を左右に素早く動かし、それを見るだけでも良い。
他にも、いろいろ考えられると思う。
とはいえ、さっき述べた2つの方法が優れていると思う。

私は、上に挙げたような訓練をやっていたので、こんな面白いことがあった。
カラスが飛んでくると、私の精神的な加速装置のスイッチが入り、飛んでいるカラスがスローモーションに見えた。
カラスの羽の動きや、筋肉の動きまで鮮明に見え、それは非常に美しくて感動的だった。
武道の達人と戦ったところで、加速出来るなら素人が余裕でさばける。
相手がスローモーションで動いているのも同然なのだから当然だ。
ただし、見世物にしようという気持ちや、我欲でやれば、加速出来ない。
理想的には無になることだが、考えないこと、頭の中でおしゃべりをしないことが必要である。
仙道家の高藤総一郎氏は、頭の中のおしゃべりを止めるだけで速読が出来るといったことを、本に書かれていたと思う。








恐怖の監視社会

以前、小学校か中学校かの校長が、校長室のインターネット接続されたPCでアダルトサイトを見ていたことがバレ、ニュースになったことがあった。
この校長は、まさかバレるとは思っていなかっただろうが、そんなことは、校内ネットワークの、ちょっとした管理権限を持っている職員には簡単に分かる。

ただ、企業の場合は、特に日本では、偉い人のPCは「機密情報があるから」ということで監視対象から外す場合がよくある。
偉い人は何でもありで、ヒラはもちろん、名ばかりの無能な部長程度はしっかり監視される。
これは、社会全体にも適用される。
つまり、「プライバシー保護」がされるのは、やんごとなき組織・団体や偉い人だけで、我々庶民のプライバシーは丸裸になる訳である。

プライバシー監視について、面白い話があったので取り上げる。
手塚治虫と並ぶと言って良い日本の偉大な漫画家、石ノ森章太郎の『仮面ライダー』と並ぶ代表作『サイボーグ009』は、1964年に漫画の連載が開始され、最初の映像作品は1966年の劇場版だった。テレビアニメは、1968年に放送開始され、その後、何度もリメイクを重ねた。
今のところ、最終作品は、劇場版『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』(2016)である。
ところで、2012年の『009 RE:CYBORG』は、相当な傑作であったと思う。
世界の危機が去り、サイボーグ009こと島村ジョーは、将来の必要に備え、ギルモア財団の監視下に置かれる。
その方法は、島村ジョーはそれまでの記憶を消され、自分をただの高校生だと思うようにする。
歳を取らないようににされ、また、3年ごとに記憶をリセットされ、新たに高校生活を始める。
実に非人間的な扱いだが、ジョーは了承しているのである。
そして、27年が経過し、世界に危機が迫った時、島村ジョーは記憶を覚醒し、再びサイボーグ009となる。
ところが、直近の3年の間に、予期せぬことが、ジョーに起こっていた。
それに関し、ギルモア博士は、ジョーの監視役であった、003こと、美貌のパリ・ジェンヌ、フランソワーズ・アルヌールを、監視が不十分であったと責める。
その時のフランソワーズの反応が印象的だった。
「24時間、完全に監視するのはちょっと・・・」
とうつむいたのである。
ジョーは、監視されていた時、ただの高校生である。
いうまでもなく、男子高校生が、全てを晒せるような生活をしているはずがない(とりあえず、女子高校生はどうかは問題にしないが)。
それを全て監視することは、出来たとしても、悪趣味極まる。

ところが、その悪趣味なことが、我々一般庶民には、なされるようになる、あるいは、既に、そうなっているかもしれない。
かつてのナチスの秘密警察どころではない。
それだけのテクノロジーが存在するのだからだ。
ある規模以上の会社であれば、もう完全に監視されていると考えて良いかもしれない。
ただし、さっきも言ったように、偉い人は監視されず、また、監視役になるのは、偉い人にうまく取り入った者で、監視役は権限を持つようになる。
叩いて埃の出ない者はいないが、監視役に嫌われたら、非常に不快なことになる。
とりあえず、ITに強くなった方が良いだろう。













当ブログオーナー、KayのAI書。
政府、大企業は、あなたの監視にAIを最大活用します。
スマートデバイスから得られるあなたの情報を学習し、あなたがどんな人間で、どんなことをするのか予測し、単に見張られる以上に、あなたの全てが把握されます。
それが、今後格段に進むデジタルワールド化の中で脅威になる可能性が非常に高いでしょう。
その前に、この本で、AIを自分で作れるようになり(数学、プログラミングなしで出来ます)、可能であれば、自由とプライバシーを守れるようになりましょう。
それでも可能でないなら・・・(それはいずれ)

アニメで解るディープラーニング型AI(人工知能)~筆者のAI書籍紹介2~

デジャヴという言葉をご存知かもしれない。
英語なのだが、フランス語っぽい語感があると思ったら、やはり、元々はフランス語の deja-vu(デジャヴュ)であるらしい。
日本語では「既視感」と訳され、意味は、「一度も見たことがないのに、すでにどこかで見たことがあるように感じられること」である。

なぜ、デジャヴのようなことが起こるかは、いろんなところで、いろんな説明を見たが、どれもピンとこず覚えていない。
「前世で見たものを今生で見た時に感じる」という理由は、なかなか面白かったが、ここでは追求しない。

ところが、私は、AI(人工知能)のディープラーニング(深層学習)を少しやっていて、おそらく、デジャヴが起こる理由は、人間の脳も深層学習をしているからと予想するのである。
そもそも、AIのディープラーニングは、人間の脳の研究から始まっていると言える。
このことを、難しい理論いっさい抜きで、アニメで語ってみよう。

アニメ『ゼロの使い魔』(2006)は、ツンデレヒロインの美少女ルイーズに萌えると共に(私はシエスタが好きだが<聞いちゃい!)、なかなか内容のある作品であったが、魔法使いがいる異世界に、男子高校生、平賀才人(ひらがさいと)が召還されてしまうところから始まる。
ところが、この才人は、魔法の世界に来た時に、不思議な魔法が備わっていた。
その魔法とは、あらゆる武器を、訓練することなく、使いこなす能力で、昔、この魔法の国に迷い込み、長い間保管されていた、第二次世界大戦時の日本の戦闘機ゼロ戦に才人が乗ると、彼は即座に操縦の仕方が解る。
便利な魔法であるが、お伽噺っぽいと思うであろう。
しかし、これはAIのディープラーニングの性質と同じと思えるのだ。

手塚治虫と並ぶ日本の偉大な漫画家、石ノ森章太郎の出世作で、1964年に執筆が開始された作品ながら、いまだ、リニューアル作品が作られる『サイボーグ009』は、9人のサイボーグ(この作品では、兵器として作られた改造人間)戦士達のお話である。
9人の中で、最後に作られた(人間を改造した)009こと島村ジョーは、やはり、初めて触る武器や戦闘メカなどを自由自在に使いこなせた。
見たことすらなかったジェット戦闘機の操縦席に座らされ、操縦するように言われ、そんなことが出来るはずがないと思いながら、やってみると、完全に操縦が出来た。
そのカラクリは明かされなかったが、1960年代前半に、こんな発想が出来た石ノ森さんは本当に天才だと思う。

では、才人やジョーが、武器や戦闘メカを教わらずに使いこなせるカラクリを明かす。
これは世界初だ(笑)。
まず、人間の脳の構造と似たシステム(今日ではニューラルネットワークと言う)である魔法物質やコンピューターが、才人やジョーの中にあるのである。
これは、深層学習システムである。
この深層学習システムには、ありとあらゆる武器や戦闘マシンの情報を与えられている。
そして、この膨大な情報を受け入れながら、深層学習システムは自ら、あらゆる武器や戦闘マシンの根底にある原理や特性を「掴み取った」のである。
それにより、未知の新しい武器や戦闘マシンに出会っても、武器・戦闘マシンに共通の原理や特性を適用することで、その新しい武器や戦闘マシンの能力や使い方を「予測する」ことが出来るのである。
つまり、才人の魔法や、ジョーの機能は、原理や特性を元に「予測」することで、「これは、こう使うんだ」ということが、鮮明に、あるいは、なんとなく解るのだ。

人間は、そんな能力(深層学習)を持っているが、その部分の能力を拡大したものが、現在のディープラーニング型のAIである。
このことを、出来るだけ簡単に、自分でAIを作ることで解るように私が書いた本(共著)を、来月、出版することになっている。
Excelさえ使えれば、無料のディープラーニング型AI構築アプリであるソニーのNNCを使って、誰でもディープラーニング型AIを作れるように書いた。
この本では、最初は、拍子抜けするほど簡単な問題から始め、出来るだけ面白い問題をAIに解かせて楽しめるようにした。
自分でAIを作るためのデータを作ることが出来るシミュレーションプログラムをExcelマクロ(VBAプログラム)で作り、ダウンロード出来るようにもした。

書 名:楽しいAI体験から始める機械学習
著 者:Kay & Mr.φ(共著)
出版社:技術評論社

である。4月出版を目指しているが、より良い本にするために、ギリギリまで書き直したので、5月にズレ込む可能性が出てきた。
よろしければ、AI時代に、権力者にAIの力で支配されないためにも、また、AIを使って活躍するためにも、ご活用願いたいと思う。















大物言葉を唱えよ

「大丈夫」という言葉を頭の中で唱える習慣のある者は、実力を発揮しやすく、粘り強く、困難に打ち勝てるという研究調査報告があるそうだ。
また、あるテレビ番組の調査では、「大丈夫」は、受験生が一番言われたい言葉だったが、受験生は不安を持っているだろうから、それを低減させてくれるのだと思う。
だが、「大丈夫」よりもっと雄大な、大物の言葉がある。
それは、「何とかなる」だ。

現在の、新型コロナウイルスの感染拡大について、「大丈夫」と言える者はいない。
「大丈夫」は、「根拠」を要求するところがある。
だから、例えば総理大臣が「大丈夫」と、根拠なしに言えば、「無責任」ということになる。
受験生が「大丈夫」という言葉を好むのは、「一生懸命勉強したから」という根拠があるからだ。
勉強を怠けた者が「大丈夫」と言ったら、それは駄目なやつだし、受験をナメていることになる。あるいは、馬鹿である。
このように「大丈夫」という言葉には、ある程度の努力が伴っていることが必要だ。

ところが、「何とかなる」はどうだろう?
ある意味、いい加減であり、脳天気だ。
ロクに勉強していない受験生は、「大丈夫」とは言い難いが、「なんとかなるさ」と言って受験したら、試験前にたまたま見た問題集の問題が出て合格してしまうことがある。(『神と人をつなぐ宇宙の大法則』に、物理学者と元裁判官の僧侶のそんな話がある)

新型コロナウイルスについて、総理大臣が「なんとかなります」と言ったら、即アウト(総理失格)だろう。
しかし、小泉元総理あたりがもし「なんとかなるでしょ」と言ったら、とても良いと思う。それを言えるほど大物であればだが。
そうだ、「なんとかなる」は大物言葉なのだ。

「大丈夫」は、人間の努力を、少なくとも、ある程度は要求する。
しかし、「何とかなる」は、そんなことはどうでも良いどころか、むしろ、人間のちっぽけな力を笑うような感じがある。

音楽を小室哲哉さんが担当した2001年のアニメ『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』で、こんな話があった。
004ことアルベルト・ハインリヒは、ドイツに戻り、元の仕事であったトラック運転手をしていた。
中年男のパートナーと一緒に、雪の山道を走っていたら吹雪に見舞われ、危険な状態になり、ついに走行不能に陥るが、2人はなんとか近くの無人の建物の中に避難出来た。
だが、中年のパートナーは仕事を失うことになると思って絶望し、しかも、どこにも行けない状況の中、食料もなく、死の危機である。
自暴自棄(じぼうじき。やけくそになること)になるパートナーに対し、ハインリヒは「なんとかなるさ」と微笑む。
すると、パートナーは「不思議だな。お前がそう言うと、本当になんとかなるような気がする」と言う。
そして、本当になんとかなる。

「なんとかなる」は、仏教で言う絶対他力で、人の浅はかな知恵や、ちっぽけな力を放棄し、流れに身をまかせるような感じであると思う。
そういうのを嫌う人もいるかもしれないが、世の中には、なるようにしかならないこともある。
そんな中、「なんとかなる」と言えば不思議と落ち着き、なんとかなるような気がしてくる。
新型コロナウイルスについても、なんとかなるものである。多分ね。








石ノ森章太郎さんの「新しい力」

石ノ森章太郎さんの漫画作品『サイボーグ009』は、「神との戦い」が始まるところで連載が休止されている。
それは随分昔の話で、当時、石ノ森章太郎さんは石森章太郎というペンネーム(本名は小野寺章太郎)だった。
「神との戦い」は、まさに、神との戦いと言えるが、その神とは、あまりに進歩した宇宙人で、はるかな昔に地球にやってきて人類を科学的に作ったのは彼ら「神」だった。
しかし、久々に(何億年振りかは分からないが)「神」は再び地球にやって来ると、人類の出来はあまりに悪く、がっかりした「神」は、現在の人類はいったん消し去り、再度、作り直すことを決定する。
人類の言う科学力とは別次元の科学力を持つ彼ら「神」に敵対することなど全く不可能であるが、それでも、サイボーグ戦士達は、人類を存続させるため、「神」との「戦い」を決意する。
009ことジョーが、これは勝ち目はないのだから、「戦い」ではなく「抵抗(レジスタンス)」だと言うのを見て、私は、「レジスタンス」の元々の意味が「抵抗」であることを知ったものだ。
ところが、絶対に万に1つも勝てる望みのない戦いを始めるに当たって、人類最高の頭脳である001ことイワンは、サイボーグ戦士達に「新しい力」を授けると言うところでお話は終わっていた。
石森章太郎は、「長い連載で、私もサイボーグ戦士達も疲れたので、いったん休止する。しかし、必ず続きを描く」と述べたが、後に『サイボーグ009』自体は新作が作られ、神との戦いも匂わせてはいたが、正式な創造紳との戦いの新編は描かれなかった。
やがて、石ノ森は悪性リンパ腫(血液の癌)に罹り入院するが、病院のベッドで、小説の形で、神との戦いを書き続け、死後、石ノ森の息子の小野寺丈さんが5年かけて原稿を編集・加筆し、『サイボーグ009 完結編 conclusion GOD'S WAR』を全3冊で発表した。

大きな関心事は、連載が休止される直前に001が言った、皆に与える「新しい力」だ。
天才、石ノ森が、どんな発想を見せるのだろう?
そして、それは、ただの「お話」ではなかった。
ちょっと小説の内容に触れるが、009が女神と初めて戦うシーンが、私には非常に印象的だった。
他のサイボーグ戦士達も、それぞれ「神」に遭遇しているが、「戦い」にはならなかった。
「ちょっと構ってもらえた」のかどうかも怪しい。それほど、「神」にとって、サイボーグ戦士達の存在は小さい。我々の感覚で言えば、蚊にも及ぶまい。
だが、ジョーは女神と正面切って戦うことになる。
無論、力の差から言って、ハエが宇宙船を止めるようなものである。
009が誇る最高メカニズムの「加速装置」も、女神から見れば止まっているに等しい。
ところが、奇跡と言うのも奇妙な奇跡であるが、女神を驚かせた。女神に「驚く」という感情があることを初めて知る。
009が「新しい力」を発現させたのだ。

この「新しい力」は本物だ。
石ノ森さんは、この力を使ったからこそ、医者に「生きているのが奇跡」と言われる状況で、作品を創造し続けたに違いないのだ。
そして、私も、ほんの1パーセントかもしれないが、この「新しい力」を使うようになった。
まあ、ほとんどの時は忘れてしまうのであるが、2~3年に一度は思い出しているだろうか?
しかし、今後はもっと使うことにしようと思う。
神も感動させるかもしれないその力は、使う目的があるなら、使うことが人間の使命である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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