子供の時に、「人の気持ちになって考えろ」と、よく言われたのではないだろうか?
しかし、そんなことを言うのは、迷惑な、どうしようもない馬鹿だ。
人の気持ちなんか、分かるはずがないじゃないか?
分かると思ったとしたら、それは大抵、大誤解だ。

それと似たものに、キリスト教のものだと思うが、黄金律(ゴールデンルール)というものがある。
これは、「自分がして欲しいことを他人にしろ」というものだ。
しかし、それは、「俺は金が欲しいから、みんなに金をやろう」といったものではなく、相手の立場に立って、「自分なら何をして欲しいか」と考える必要がある。
日本でも、「相手の身になって考えろ」という言い方があるが、それなら黄金律に近いかもしれない。
しかし、それは、あくまで、
「相手の立場に立ったらどうかという推測の元に考えろ」
「相手の身になって、想像しろ」
ということであり、あくまで、「推測」「想像」に過ぎないのであり、実際の相手のことは「全く分からないのだ」ということは、いくら強調してもし過ぎることはない。
ところが、世の中では、「あの人達は、こう考えているに決まっている」、「あの人は、こう思っているのよ」と、安易に決め付けていることが多い。
そして、決め付けている本人は、「ほとんど当っているはず」と思い込んでいるが、実際は、「ほとんど外れている」。
他人の想い、考えなんて、決して分からないものである。
そもそも、自分の考えを分かってくれる人なんていると思うかい?
少し真面目に調べてみれば分かるが、親、兄弟姉妹、夫婦恋人、親友にしたって、相手のことなんて、そんなに分かっていないものなのだ。
まして、どうでも良い他人のことなんて・・・である。

サイコパスってのは、共感能力がない。
それは、サイコパスは、他人の感情に全く無関心だからだ。
だが、その分、他人の気持ちをデタラメに推測して、それが相手の正しい想いだという愚かな思い込みをしない分、まともな部分もあるのだ。

相手の気持ちを誤解しながらの同情ほど迷惑なものはない。
しかし、多くの同情は、相手に対する極端な誤解の上でされている。
その点、決して同情しないサイコパスの方が、マシな場合もある。
そして、そんなサイコパスは失敗を免れることもある。
(サイコパスの)私は、若い頃から、親しい人に「3万円貸してくれ」と言われたら、返ってこなくても困らないなら、あげるつもりで渡した。その際、余計なことは一切聞かなかった。
相手は(金を必要とする)本当のことは言わないだろうし、推測しても当らないと感じていたからだ。
金が返ってきたためしはないが、その相手はいずれ私の前から消えてなくなった。
それは、消えてくれた方が良かった人に違いない。
だがもし、相手の、金がいる理由を聞き、それに推測を加えていたら、相手との関係は続き、いずれ、厄介なことになっていただろう。
1人だけ、貸した金(20万円)を返してくれた人がいた。
1年かかったが、ある日、ぽんと全額返してくれた。
私は儲けた気がしたが、結局は、その人との縁も切れた。
貸した相手もサイコパスだった。彼は、嘘を言って私から金を借りたが、そんなことは感付いていた。しかし、私には、どうでも良いことだった。
彼が返してくれたのは、誠意ではなく、その方が得だと思ったからだろう。これも推測には違いないが、サイコパスって、そんなものである。
もし、彼が返してくれなくても、被害は20万円で済んだのである。
それに、私には、「20万円くらい、はした金だ」という見栄があり、相手もそこにつけ込んだのだろう。
今の私なら、あるいは、賢い人なら、そんな金を貸したりしないだろう。









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