ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

コンピュータープログラミング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

日本のためにやるべきこと

今後、日本はどんどん国力が衰えるという予想がある。
国力とは、経済のことを言っているのだろうし、それは、簡単に言えば、お金がなくなることである。
日本が経済大国になれたのは、技術力と勤勉さのおかげであるが、この両方がどんどん衰えているらしい。
加えて、世界的に、企業のビジネススキルが格段に進歩向上しているのに、日本の大半の企業のビジネスのやり方は古く、世界で通用しない(互角に戦えない)もののようだ。
ただ、ごく一部においては、日本にも、高い技術を持つ企業や人材も確かにいる。
ところが、日本の優秀な人材は、今後、海外の企業に引き抜かれる可能性が高いのだという。

将来においては、日本だアメリカだといった国境の重要性が薄れるかもしれないし、薄れるべきではあるのだが、現在においては、特に日本は、日本人というよく似た集団になっている。
その日本の大きな問題の1つが英語コンプレックスだ。
英語をやれば国際的だとか、英語ができないと国際的でないという馬鹿げた考え方をます捨てなければならない。
英語は、やりたければやれば良いし、やりたくなければ、別にやらなくて良い。
このことは、きちんと認識すべきである。
私も会社の中で、時々、外国人に英語で話しかけられることがあり、それは、用事があるというよりは、雑談の誘いである。
もちろん、用事でも雑談でも歓迎するが、ここは日本だ。
私がフランスに行けばフランス語で、インドに行けばインドの言葉で話すようになろうとするが、日本では外国人の方が日本語で話さなければならない。
もちろん、アメリカ人やイギリス人が日本に来たばかりで日本語がサッパリという場合には、誰でも最低限の英語はできるのだから、英語で話してあげる配慮も必要だが、まるで、日本人が英語を話さなければならないという態度は認める訳にはいかない。

昔、竹村健一さんが、自分は英語を武器にしてきたことを、よく強調されておられたが、彼は若い頃に留学生としてアメリカに行っていたからそれもできたが、日本にずっといる人に英語を勧めるのはちょっといただけない。
それなら、海外に出ることを勧めた方が良い。
海外に住むことになれば、嫌でも、その国の言葉の勉強に熱が入るし、そして、そこに行ってしまえば、自然にできるようになる。
しかし、日本にいる限り、英語が悪いのではないが、英語を使うと効率が悪いのである。
社内の公用語を英語にするという奇妙なことをやる企業が僅かながらあるが、重要なことは裏で日本語で決めているのであり、そんなやり方が歪みとなり、業績を落としている場合がほとんどだ。それで、企業も馬鹿ではないので、大怪我しないうちにやめているのである。
以前は、楽天やユニクロが、英語を社内公用語にしたという話がよく出ていたが、もうその話題も、あまり聞かなくなった。
多分、事実と思うが、楽天の三木谷氏は単なる英語マニアで、宋文州氏に言わせると、英語コンプレックスなのだそうだ。
ユニクロの社長はあまり出しゃばる人ではないので、私は名前も知らないが、彼自身は英語はできないらしい。
ユニクロは、別に英語で仕事をしろというのではなく、沢山の国の人が集まる機会が多いので、誰もが(日本人だけでなく、中国人もフランス人も)一応の英語ができるようになっておけという意味らしい。
国際的に活躍している人にも英語が全然できない人はいくらでもいる。
以前は、西洋の可愛い女の子と仲良くなるために英語を勉強したいという不埒者も多かったが、英語を話せるのとモテることは関係がないようだ。

英語以前にやるべきことがいくらでもあるだろう。
時々、英語の原書を、翻訳されるより早く読むメリットを上げる人がいるが、日本語の本すら、誤読すれば損害が大きいのに、英語の本なんか読んで役に立つはずがない。
日本語の本で足りないほど勉強家ではないし、分野によっては、良い本となると、むしろドイツ語やイタリア語、ロシア語のものが多いかもしれない。
英語よりは、明らかにコンピュータープログラミングを学ぶ価値が高いが、それも、必ずしも誰にでも必要な訳ではない。
明らかに、不向きな人もいると思う。それに、プログラミングといえば、すぐに、JavaだC#だ、JavascriptだRubyだと言う人がいるが、普通の人なら、ExcelとVBAを学ぶ方がずっと役に立つ。というより、専門家以外の人がJavaやC#等をやっても何の意味もない。

英語は単なる一例であるが、一部の人の利益や、誤った思い込みのために不合理なこと、非効率なことをしていては、日本の国力はどんどん衰えるだろう。
教育のあり方も、日本の学校の馬鹿馬鹿しさは堂々ナンバーワンかもしれない。
なるべく早く独学できるようになり、学校を無視できるよう努力すべきと思う。
中学2年生くらいになれば、本やインターネットを使って自分で勉強できるので、基本的に学校は不要だ。
しかし、他人と一緒に学ぶことにも大きなメリットがあるので、現在の学校とは異なる別の学校が必要である。
そんなことも実現させる必要がある。
日本のためにね。









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座禅も静坐もTMもあなたには合わない

世の中には沢山の瞑想法があり、それぞれに独自のやり方がある。
道元の座禅や、岡田虎二郎の静坐は、細部まで厳格な取り決めがあるが、他の多くの瞑想法もそうである。
比較的自由なやり方のものもあるが、それでも、守らなければならないことは、それなりにあるはずだ。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのTM(超越瞑想)は、これのマーケティングを託されたという船井幸雄氏が、「自然瞑想と呼び方を変えた方が良い」と著書で述べておられたが、それはどうだろうと思う。
TMは、1日2回の空腹な時、つまり概ね、朝食前と夕食前に20分行うこととし、背筋を伸ばして座り、心の中で自分専用のマントラをずっと繰り返すというもので、その他の注意を含め、十分に制約が多く、私には、自然なものとは感じられない。

道元や岡田虎二郎が偉大だったといっても、現代の我々がそれに従うのは時代遅れかもしれない。
道元の時代と違い、虎二郎の時代は、既に十分な本があり、虎二郎も非常に多くの書を読んでいた。
特に彼は、明治34年に渡米し、そこでも多くの本を読んだようだ。
しかし、今の世の中にある本や、その他の印刷物の数は、虎二郎の時代とは比較にならないだろう。
無論、私もだが、現代人の大半は虎二郎のように多く勉強してはいないが、触れる情報に関しては桁違いに多いのだ。
ほとんどの人は聞いたら驚くかもしれないが、現在の世の中にある情報のうち、印刷されたアナログ情報は、なんと全体の2%以下で、後はデジタル情報なのだ。
確かにデジタル情報には、下らない情報も多い。
しかし、情報は雑多でも量が多いことに価値があるというのが、少し前から注目されているビッグデータによって分かってきたことだ。
そして、虎二郎の時代は、情報量が圧倒的に少ない上、その情報のかなりのものが、やはり正確さに甚だしく欠けるものであったはずなのだ。
私は、道元や岡田虎二郎、その他の古い時代の偉人達に、おそらく大きな敬意は持っていると思うが、絶対的に崇拝するというのは、明らかにおかしなことと思う。
彼らの誰もコンピュータープログラミングなどは想像もしなかった。
プログラミングの能力を持てば、それが彼らに対しても圧倒的なアドバンテージになる。
プログラミングには、それだけの力がある。

瞑想であれば、道元の座禅、岡田虎二郎の静坐、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのTMをはるかに超えるものを、それぞれが作れなければおかしいと思う。
これらの(座禅等の)瞑想法が合う人もいるが、そうでない人もいるはずだ。
どれも、ぴったりと適合する人は、せいぜい数パーセントで、割合に合う人でもせいぜい4割程度、後は、あまり合わないか、致命的に合わずに、悪い影響があることも少なくないはずだ。
もちろん、ものを深く考える習慣がなく、性急であったりする者も少なくないので、何でも我流というのは勧められないかもしれない。
しかし、これからは、自分独自のものがなければいけない時代だ。
最初は失敗することがあり、また、リスクもあるとしても、自分だけのものを創り出さないといけないのだ。
今、人生がうまくいっていない人というのは、そんな進取の気性に欠けているのである。

私は、瞑想は、座禅でも静坐でもなく、TMはやったことはあるがとおに捨て、私にとっては、これらよりはるかに良いやり方でやっている。
しかし、私は瞑想の指導で儲けて豪邸に住もうなどと思わないので、それを他人に教えようとは思わない。
そして、瞑想程度のことは自分に最も合ったやり方を自分で見つけなければならない。
瞑想自体は価値あることだ。
自分で考えた自分に適した瞑想を行うことは、あらゆることを自分で考え、自分の世界を創造することにもつながるはずである。









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コンピュータープログラミングの本当の楽しさとは何か

ネットのあちこちで、コンピュータープログラミング教育の必要性なんてものが主張されている。
ところで、昨年12月の、アメリカのコンピューターサイエンス教育週間で、オバマ大統領が、全ての人がプログラミングを学ぶべきだという演説をしたという記事をよく見るのだが、オバマ大統領は、あくまで、「若いアメリカ人にコンピューターサイエンスを学んで欲しい」と言っただけだ。
どこまでも、アメリカの将来のためにね。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の学習科学の権威ミッチェル・レズニック教授が、「コンピュータープログラミングの能力は読み書きの能力に等しいのだから、全ての人がプログラミングを学ぶべきだ」と言ったのは本当らしい。
エリートらしい高慢な言い方だ。
誰かは知らないが、やはり、コンピューターの専門家が、「プログラミングができたらコンピューターを使えるけど、そうでなければ、コンピューターに使われているのだ」といったようなことを言ったらしい。
そんなことを言っている者は、コンピューターより、もっとタチの悪い人間に使われているのではないのかなあ?
他にも、国の未来の産業の発展のために、子供達にプログラミングをさせようとか言っていたと思うが、子供達を、そんな我利我利亡者のいいなりにさせたくないものだ。
また、子供達にプログラミングを教えているある会社では、子供達をそそのかし、優秀な子にコンピューターの本質に何の関係もないスマートフォンアプリを作らせて優越感を与え、思い上がらせて宣伝に利用しているとしか思えない。

コンピュータープログラミングの、コンピュータープログラミングらしい楽しさは、利益とも賞賛とも何の関係もない。
正しいプログラミングをすれば期待通りの結果となり、誤ったプログラミングをすれば予期せぬ結果となる。
それは、誰がやってもそうなる。
そんな公平で中立な存在を相手にすることは素晴らしいことなのだ。
初音ミクの声は、なぜか心に沁みるという。
ミクには自我がないからだ。
コンピュータープログラミングの本当の楽しさは、それと同じことだ。
上に挙げた人達によって、欲望のプログラミングをさせられると、それが分からない。
私は考え方を変えることにした。
あなたも、私のように、新しい自分になって、プログラミングを始めていただきたいと思う。









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技術者的発想と空想力をあわせもつ者だけが成功できる

技術者的発想という言葉は、良い意味にも悪い意味にも使われる。
良い意味では、現実的、理論的で、成功率が高い(堅実)というものだろう。
悪い意味では、堅過ぎ、雄大さに欠けるといったところだろう。

技術者的発想の反対は、空想的発想とでも言えると思う。
その良いところと悪いところは、丁度、技術者的発想で述べたことを反対にしたものだ。
即ち、空想的発想の良いところは、柔軟、雄大さで、悪いところは、非現実的、非論理的で、成功率が低いということだ。

技術者的発想の強い人間は空想的な人間を馬鹿にすることが多いし、空想的な傾向が強い人間は、技術者的な人間を疎んじることがよくある。
そして、我々は、技術者的か空想的かのいずれかに極端に偏ることが多い。
数の上では、おそらく、空想的な人間の方が多いので、どちらかというと、技術者的発想をする者は肩身が狭い。
空想的な人間から見れば、技術者的な人間は独断的、あるいは、傲慢に感じるのだと思う。
しかし、技術者的な人間から見れば、技術者的発想を否定する空想的な人間を、馬鹿で傲慢な人間と思うものなのだ。

ビジネスで成功した人間で、技術者的発想を持たなかった者は、おそらく皆無だろう。
その一方、技術者には経営、あるいは、経営に不可欠な営業はできないと言われる。
成功した事業家というのは、間違いないく、技術者的発想と空想力を高度に調和させることができた者だけである。
そんな人間は多くはなく、おそらく、稀である。
よって、成功者は極端に少ないのである。
松下幸之助や本田宗一郎、あるいは、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも、基本的には技術者であったが、豊かな空想力も持っていた。

実を言えば、技術者的発想のある空想を想像と言うのであり、空想と想像ははっきりと異なる。
大きなことをしたかったり、成功したいなら、オーセンティック(正真正銘の)な想像・・・つまり、技術者的発想のある空想の力が不可欠だ。
「夢見る力」は大切だが、単なる空想であれば、何の力も持たない。
技術者的発想ができた上での「夢見る力」が、優れた想像力となり、あなたを成功させるのである。

昔であれば、技術者的発想を持つことは、少し難しかった。
興味がなければ、半田ごてを握って電子回路を組み立てる気にはならないし、自動車のエンジンの整備のやり方を自分で憶えようとは思わないだろう。
ところが、今は、コンピュータープログラミングの訓練をしっかりやれば、かなりの技術者的発想が身につくのである。
そして、コンピュータープログラミングは、ますます取り組みやすくなってきている。
その中でも、仕事や研究にすぐに役立ち、比較的習得が容易な、ExcelでのVBA言語でのプログラミングのメリットは、いくら強調してもし過ぎることはない。
JavaやC++言語、あるいは、PerlやRubyといったプログラミング言語でのプログラミングであれば、実用的なこと(自分がやりたいこと)をする前の段階で、非常に多くの面倒なことをやらないといけないが、Excelや、あるいは、Accessであれば、高度な実用機能が最初から揃っていて、プログラムでそれらの機能を使えるのであるから、便利さや、プログラミングの効率は桁違いである。
あなたが、研究やビジネスで成功するための技術者的思考を身に付けるためにプログラミングの訓練が役に立ち、さらに、その研究やビジネスそのものにExcelやAccessとVBAによるプログラミングが大きな力になるのである。
これに取り組まない手はないと思う。









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何に対して敬意を払うべきかの救い難い歪み

何のテレビCMだったかは意識しなかったので知らないのだが、サッカーの日本代表監督のザッケローニや、選手が出ていたものだった。
そのCMの中で、サッカー選手というものは、凄い努力をしてそのピッチ(フィールド)に立っているのだから、我々は敬意を払わなければならないといったことが言われていたと思う。
無論、サッカー選手に対しても敬意を払うというのは賛成であるが、それは、サッカー選手だからではなく、人間としてである。
それはつまり、サッカー選手であろうが、ロック歌手であろうが、工芸家であろうが、清掃作業員であろうが、全く平等に敬意を払うべきであるということだ。
むしろ、サッカー選手という部分に関して言うなら、自分のため・・・はっきり言えば、自分の我欲のために努力したのであり、その努力が大きければ大きいほど欲望が強いのであるから、とてもではないが、敬意の対象にはならないのである。
世間では、努力して一流の実力を身につけ、成功した者を英雄扱いする風潮があるが、それらも全て、自分のための努力であるのだから、偉くもなんともない。
むしろ、自分の富や名誉のために、そこまで努力できる人というのは、考えてみれば、かなり怖いものである。
ただ、努力して実力をつけた後の行いが崇高であれば、それは、自我を抑えて高い理想に従ったということなのだから、それならば尊敬にも値する。
しかし、金メダル自体は、ちっとも立派ではないのである。

一流の人とは比較にもならないが、私が習得したプログラミング技術やその他の知識、技術に対し、「よく努力しましたね」と誉めてくれる人がいるのだが、これも、私は単に自分のために努力しただけであり、人様に誉めてもらえるようなものでは全くない。
むしろ、過剰に努力することで、迷惑をかけた人や、嫌な思いをさせた人も少なからずいるのだから、貶されても仕方がないとすら思うのである。

ところで、コンピュータープログラミングに関しては、こんな話をしておきたい。
1964年3月1日、午前4時にBASIC言語が誕生した。
ダートマス大学の2人の数学教授、ジョン.G.ケメニーとトーマス.E.カーツは、当時の、ごく一部の人しか利用すことができず、また、非常に使いにくかったコンピューターを誰にでも使えるようにするため、一台のコンピューターを大勢で使うための仕組みであるタイム・シェアリング・システムと共に、このBASIC言語を開発した。
これは、あくまで研究者としての仕事であることも確かであるが、ほとんど善意で行ったことであり、しかも、BASICに関する権利を手放し、世界中の誰でも利用できるようにしたので、BASIC言語は世界中に広まり、私を含む、膨大な数の人々に恩恵を与えた。
ケメニーもカーツも、過ぎた努力はしたが、それに対する報酬は考えていなかった。
このような努力に対し、敬意を払うべきなのである。
その後、ビル・ゲイツは、このBASICをマイクロコンピューターに搭載することで富を得たが、それは自分のための努力であり、素晴らしい成果であることはもちろん認めるが、やはり、偉くも何ともないのである。
ただ、ゲイツは得た富を使って、自分のためではなく、世界のために働くようになったのかもしれない。
そうであるなら、我々は彼に敬意を払わなければならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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