ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

コリン・ウィルソン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人間の目的は本当はこれだった

アニメ『ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜』の中で、ルパンが次元に尋ねる。
「次元、お前は何のために泥棒をしている?」
それに対し、次元は澄まして、
「美味い酒を飲むためさ」
と即答する。
フィクション、ノンフィクションを問わず、これほど単純に人生の目的を言った例はない。
まあ、どこかの空手家の「地上最強を目指す」みたいな目的は、さすがに信じられないし、実際、調べたら嘘だった。
ラマナ・マハルシは人生唯一の目的は「真我の実現」と言うが、マハルシはある時期に実現したことになっており、その後は、何の目的もなかったことになる。

ただ、もう1つ、分かり易いと思うのが、ウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ』の主人公の中年男ハンバート・ハンバートで、彼の人生目的は、自分好みの可愛い少女を性的に享楽することであることは、まあ、間違いあるまい。

ただ、こうやって書いていたら、いろいろ重要なことが浮かんでくる。
イギリスの作家コリン・ウィルソンの人生の目的は、簡単に言えば、「人を元気にする」ことだったのだと思う。
他にも願いはあったのだろうが、彼は、本当に、人生を通じて、これを目指していた。
この目的は首尾よくいったとは言い難いが、彼はこれに関してだけは大真面目で誠実であったのだと思う。

さらに思い出す。
ラマナ・マハルシは、事実上、こう言ったのかもしれない。
「人間の本当の願いはぐっすりと眠ることだ」
そして、ぐっすりと眠ることとの類似点から、『葉隠』の、「武士道とは死ぬことと見つけたり」に至る。
武士に限らない。
人生の目的は死ぬことで、しかも、その死が「良い死」となることだ。
三島由紀夫が『葉隠』を絶賛していたのはなぜか全く知らないが、絶賛すべきものであるのだろう。
まあ、三島由紀夫が「良い死」を得たかどうかは甚だ疑わしいが。

宗教者の、人々を救うといった目的は、言っては悪いが、全部嘘と思って間違いない。
だが、まずいことに、自分ではそれが自分の目的だと思い込んでいる宗教者が多いのだと思う。
なぜ嘘だと断言するのかというと、そんな目的を本当に持っていたら、自覚は出来ないはずだからだ。
本当にそんな目的を持っている者であれば、次元のように、簡単に「美味い酒を飲むことさ」と言うはずだ。
つまり、次元は、自覚の出来ない人生の本当の目的を持っており、それが何かは自分では分からないが、それがあることを知っているのである。
そして、ルパンも同じであることを示唆した。
なかなかの脚本である。

知らない子
AIアート266
「知らない子」
Kay


さて、一部の人々は、『エイリアン・インタビュー』によって目的を得ることが出来る。
このローレンス・スペンサーの著作が事実かどうかに関わりなく、それが正しい目的になる。
その目的とは、古代に、悪の宇宙人が地球に仕掛けたマインド・コントロール装置の支配から逃れることである。
成功したのは、『エイリアン・インタビュー』によれば、固有の人物としては、釈迦、老子、ゾロアスターである。
繰り返すが、『エイリアン・インタビュー』は、そこで語られているお話が事実であるかどうかは分からない。
しかし、事実は人間に理解出来ないほど高度で複雑なので、人間に分かるようなたとえ話にしたと考えても良いと思う。
このお話から導き出される人生の目的が価値あるもので本物であることは保証出来ると思う。








クタクタに疲れた時の回復法

昨年(2022年)10月に亡くなられたアントニオ猪木さんの言葉で最もよく知られているのは「元気があれば何でもできる」だと思うが、まあ、確かに元気は大事なものだ。
だが、問題は、どうすれば元気になるかということだ。
普通の人にとって、これほど難しいことはない。
だから、イギリスの作家コリン・ウィルソンは次のようなことを言った。
あくまで分かり易い喩えとして言ったので、あまり上品と言えなくてもそこは見過ごそう。
あなたが男の場合である。
「あなたがくたくたに疲れていたとしても、あなたの好みのタイプの美女が全裸でやってきたらたちまち元気になるはずだ。私は、そのようなことを起こす方法を考え続けてきた」
いや、それなら、好みのタイプの美女を手に入れればいいだけだ・・・という話ではない(いつでも出来るわけではないし)。
まあそれに、私なら、全裸でやってくるような品のない女はゴメンだ・・・という問題でもないことが理解出来ないほどIQが低くても駄目だろう。
あくまで単純な例である。

しかし、ウィルソンは、そんなものを提示することには失敗した。
ただし、そんなものがあることを示唆することは出来た。だから彼は偉大なのである。

元気というのは、シビレルことでも、興奮することでも、盛り上がって大騒ぎすることでもない。
まあ、IQが低い者はそう思う場合が多いのである。
元気とは、単に自然な状態だ。
つまり、現代人は自然な状態にない。
そして、自然な状態であるのに何か必要なわけではなく、むしろ、余分なものがあるから自然な状態から遠ざかるのでる。

確かに、自然な状態からあまりに遠い時に、自然な状態を求めて異能を発揮する人間がいて、そんな者を天才と言うのである。
だが、それは偽物の天才で、本当の天才はただ自然なのである。
自然であれば、老木からも新芽が芽生えるように、いつまでも若い。

では、人間を自然から遠ざけるものは何だろう?
ゲーテは何か難しいことを言ったが、それは間違いである。
人間を自然から遠ざけるのは思考である。
よって、思考を消せば、自然であり元気なのである。

緑色の水
AIアート254
「緑色の水」
Kay


思考を消すには、静かな呼吸をすれば良いだけである。
ところで、私は時々、悪魔的な存在にエネルギーを持っていかれてくたくたになってしまうことがある。
おかしなことを言うようだが、ざっと見まわすと、同じような状態の者がよくいる。
そんな時は、思いっきり鼻から息を吸って、吸い切ったら、胸や腹の力で息を数秒保持し、その後、胸や腹の筋肉から力を抜いて一気に息を吐き出すということを数回繰り返すことをお薦めする。
それによって、気やプラーナ・・・ではなく、酸素を取り込んで細胞を活性化させるのである。
そうすれば、細胞は再びエネルギーを生み出す。
その良いやり方が、今朝ご紹介した、「天人女史」松木草垣の呼吸法である。
さらに、この呼吸法には思考を消す強力な効果もある。








偉人だって嘘を言う

うまくいっていないと感じている時やピンチだと思っている時は、必ず呼吸が乱れている。
呼吸が乱れるとは、呼吸が速くなっているということである。
一方、呼吸が整うとは、呼吸がゆっくりしていることである。
このように、我々は、呼吸について、「整っている」「乱れている」といった、曖昧でいい加減な表現を使うが、「ゆっくり」「速い」といった明晰で正確な表現をすべきだ。
そして、呼吸が「ゆっくり」なまま・・・俗に「整った」まま、うまくいっていないとかピンチを感じることは出来ない。
そんな時(呼吸がゆっくりしている時)は、ただ1つの状況があるだけで、うまくいっていないわけでもピンチでもない。
逆に、呼吸が速ければ、どんな場合もうまくいっておらずピンチなのである。
それなら、常に呼吸をゆっくりにすべきである。

コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』の中で、右脳の優秀さを指摘し、右脳の力が発揮されれば難しい問題も解決出来るという正しいことを示唆したが、その方法論は曖昧で稚拙だった。
彼は、右脳を働かせるには、左脳のスピードを落とせば良いと言った。
しかし、左脳のスピードを落とすって、いったい何なんだい(笑)。
そうではなく、呼吸のスピードを落とすと言わなければならない。
呼吸のスピードを落とすと思考が消えていくのである。
十分に呼吸のスピードが遅いと、思考はほとんど消える。
こんな簡単なことを、ウィルソンはひどく難しく言うのであるが、彼に悪意はなく、単に気付かなかったのである。

そういえば、どうすれば引き寄せが出来るのかについて、何十冊、何百冊、何千冊もの本が書かれ、今も書かれ、今後も書き続けられるが、必要なことはゆっくり呼吸をするだけである。1ページもいらない。
よって、我々は、常日頃、ゆっくり呼吸をすることを心がけ、時間があればゆっくり呼吸をする練習をすれば良いと思う。
ただ、こう言うと、深い呼吸をすることと思い違いをする者が大半で、大袈裟な深呼吸をしたがる。
不自然に息を大量に吸う必要はないし、不自然に苦しそうに息を吐き出す必要もない。
単にゆっくり呼吸をすれば良いのである。
私は、そこらを誤解し難いように「微かな呼吸」という表現を好むのである。

根のない花
AIアート205
「根のない花」
Kay


ラマナ・マハルシは思考と呼吸が同じであることは指摘していた。
だが、思考を消す方法としては、思考の主体である「私」を追い詰め消滅jさせる「私は誰か?」という自分への問いを重視した。
その一方、呼吸の制御は一時的として軽視した。
マハルシすら誤解や偏見があったのは面白い。彼だって万能ではない。
おそらく、彼は、悪い呼吸制御の方法を見て、そんなこと(呼吸制御を軽視すること)を考えるようになったのだと思う。
だが、シンプルに呼吸のスピードを下げる・・・つまり、ゆっくりした呼吸をすることの欠点はなく、むしろ、「私は誰か?」と問い続ける方が難しい人が多いと思う。
だから、微かな呼吸をするか、「私は誰か?」と自分に問うか、自分に合った方でやれば良い。

だが、以上のことが分かれば、コリン・ウィルソンやラマナ・マハルシらの本は役に立つし、優れた引き寄せの本もそうである。
彼らはやはり偉大なのである。








これに吐き気を感じたらIQが高い?

コリン・ウィルソンが、デビュー作にして代表作である『アウトサイダー』で引用した、ヘミングウェイの『兵士の故郷』を取り上げる。
『兵士の故郷』は、他にも多くの先生方が解説しているようだ。

第一次世界大戦から復員した青年クレブスは、母親が居る故郷の実家で引きこもっていた。
(第一次世界大戦からの復員ということは、当たり前過ぎるのか、ウィルソンもその他の人もほとんど書いていないが、私には分からなかった)

母親が、毎日を読書と玉突きで過ごすクレブスに、
「神様の王国には怠け者はいない。神様は人間が働くことを望んでいる」
と言うと、クレブスは、
「僕は神様の王国になんかいない」
と言う。
次に、母親がクレブスに、
「母さんを愛してくれてないのかい?」
と尋ね、クレブスが、
「うん」
と答えると母親が泣きだす。
クレブスは仕方なく、今のは冗談だったと言い、いくらか言い訳した。
すると母親は、
「私はお前の母親だ。お前が赤ん坊だった時、よくお前を抱っこしてやったものさ」
と言い、クレブスは吐き気を感じた。
そして、母親はクレブスに、一緒にひざまずいて祈るよう言ったが、クレブスにはそれは出来なかった。

これについて、ウィルソンは難しいことを書き、他の先生方も同じだろうが、私に言わせれば問題は1つだ。
母親とクレブスでIQの差が大き過ぎるのだ。
無論、クレブスのIQが母親よりはるかに高い。
だが、元々は、両者のIQは、それほどの差ではなかった。
なぜ、それほどの差がついたのか?
それは、母親は考え続け、クレブスはあまり考えなかったからだ。
こう言うと、「え?それは反対だろ?」と言いたい者が多いだろう。
普通の人は、考えない母親が馬鹿になり、大学や軍隊で頭を使ったクレブスが賢くなったのだと言いたいはずだ。
だが、それは洗脳された偏見というもので、今の大半の人がそんなおかしな観念を持っている。
母親は世間の教義や信念にどっぷり浸かっていたが、そんな人間は下らないことを次々に考えるのである。
一方、クレブスは大学や軍隊で、自主的にいろいろな活動をしていたのだろう。そんな人間はあまり考えずに動くのだ。
そして、人間は思考することでIQが下がる・・・つまり、馬鹿になる。
逆に、思考を消した程度に応じて、内なる天才が現れ、賢くなるのである。

野の白百合
AIアート192
「野の白百合」
Kay


ウィルソンは、23歳の時に書いたこの『アウトサイダー』で、一夜にして世界的作家になった。
当時としては画期的だったが、もう役割は終えた。

思考を消すには、20世紀初頭に、ラマナ・マハルシが「私は誰か?」と自分に問う方法を提示した。
これは、最上の方法だった。
だが、継続出来る者がほとんどおらず、結果、誰も思考を消せなかった。
そして、あれから1世紀が経ち、世界も変わった。
今は、「私は存在しない」という、もっと速やかに思考を消せる言葉がある。
この「私」は、思考の本体である自我=心である。
ラマナ・マハルシの「私は誰か?」は、方便とはいえ、誤魔化しが入っている。
「私は誰か?」の「私」が、自我か魂か特定されていないのだから。
一方、「私は存在しない」は、極めてストレートに真理を述べている。
「私は存在しない」は、「私はない」「われなし」、その他、好きなように言えば良い。
ただ、別に、「私は誰か?」に効果がないわけでは全くなく、これを唱えていた人は、抵抗なく「私はない」に移行出来る。
「私は存在しない」は、現代的な言葉である世界コマンド「私は何も考えない」「私は何も信じない」をはるかに超える。
なにせ、考える主体、信じる主体である「私」の存在を否定しているのだからだ。

ただ、「私は存在しない」は、「私は誰か?」を唱える等で、ある程度IQを高めた者でないと抵抗があるかもしれない。
すんなり「私は存在しない」と唱えられれば、あるいは、上の『兵士の故郷』のエピソードで、クレブスのように吐き気を感じたなら、IQは120程度以上はあるだろう。








超人化した人間の事例

イギリスの作家コリン・ウィルソンは『右脳の冒険』『フランケンシュタインの城』で、人間が超人化した事例を的確に描いたが、彼自身はその意味が全く分からず、ほとんど実用的なことを教えることが出来なかった。
だが、自分で事例を探しに行く必要がなくなったことは実にありがたい。
また、ウィルソンが誤った考察を示してくれたおかげで、楽に正しいことが分かるのである。

1つ、その事例を上げる。主旨さえ分かれば良いことなので、現象の描写が正確ではないかもしれないが問題ない。
とにかく、無駄な描写を除き、簡単に書く。それで十分だ。
ある若い夫婦がいた。
新婚間もなかったのかもしれない(そこそこの熱愛状態であったことも関係するかもしれないので書いた)。
妻が心神喪失・・・つまり、意識不明に陥った(原因はどうでも良い)。
夫は、妻の意識が戻る瞬間を逃さないよう、ずっと妻を観察し続けた。
何か月もかかかったのかもしれないが、妻は意識が回復した。
その時、夫は超人化した。
夫が超人化した理由について、ウィルソンはこう考えた。
夫は心神喪失した妻を観察している間、ずっと緊張していた。
そして、妻が意識を回復した時、夫の緊張が解けた。
つまり、緊張状態を続け、緊張を解いた時(弛緩した時)に、程度の差はあれ超人化する・・・とウィルソンは考えた。
ウィルソンは、おそらく最後まで(亡くなるまで)、この「緊張-弛緩」の考えに囚われていたのだと思う。

だが、事実は、夫が妻を観察していた間、緊張していたりなどしなかった。
当たり前だ。
そんなことをしたら、夫は疲れ切ってしまい、精神の健康を失い、癇癪を起したりうつ状態に陥ったりしたはずだ。
だが、この夫は静かに妻を観察した。
夫が何をしたのかと言うと、思考を消したことであるのは明らかだ。
観察という行為を続けただけで思考が消えたのか、何かの手段・・・例えば祈ること等で思考を消したのかは分からない。
こういった手段については、全く書かれていないが、おそらく、祈るか、ごくシンプルなイメージが心を占めたのだろう。
それが長期間続く間に、徐々に思考が消えたのだろう。心が消えたと言っても良い。
心が消えず、考えていたら、思考はどんどん悪い方に行き、上でも述べた通り、夫は無事でいられなかったはずだ。
だが、夫は、思考(=心)を消す適切な手段を持っていたか、何かの理由で(妻をよほど愛していたか、特別な精神性を持っていた等)、夫はうまく思考(=心)を消すことが出来たのだ。
それで、妻が回復した後、夫は不思議な能力を発揮し始めたのである。

白薔薇の意識
AIアート171
「白薔薇の意識」
Kay


私はウィルソンの肩に乗ることで真実が分かった。
だから、もちろん、私がウィルソンより優秀なわけでは全くない。

我々は思考を消すために、別に、夫や妻や恋人に心神喪失に陥ってもらう必要はない。
ただ「私は誰か?」と自分に問い続ければ良い。
他にも多くの手段があることは何度も述べたし、自分が好きなものをやれば良いが、最良の方法は「私は誰か?」と問うことである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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